1. 初期生い立ちと背景
船木は青森県南津軽郡尾上町(現平川市)に生まれ、幼少期から映画館を経営する父の影響で武術映画に親しんだ。特にブルース・リーを熱烈に崇拝し、その他にもサモ・ハン・キンポーや千葉真一の作品も熱心に観ていたという。しかし、彼の父は若き日の船木とその家族を置いて家を出た。
2. 初期プロレスラー時代
船木のプロレスラーとしてのキャリアは、高校進学を諦め新日本プロレスに入門することから始まった。
2.1. 新日本プロレス時代 (1985-1989)
1984年3月、弘前大学教育学部附属中学校を卒業後、高校入学前日に新日本プロレスに入門。彼は新日本道場に入門し、武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也、鈴木みのる、野上彰(現:AKIRA)、獣神サンダー・ライガー(当時は山田恵一)らと同期であった。新日本道場は、肉体的にも精神的にも練習生に非常に厳しく、最高の選手だけを卒業させることで知られていたが、船木はその卓越した運動能力、タイミング、そして関節技の天賦の才でトレーナーたちを驚かせた。元高校レスラーの鈴木みのると共に、船木は道場のグラップリング指導責任者であった藤原喜明と強い絆を築いた。
1985年3月3日、15歳11か月という当時史上最年少の若さで後藤達俊を相手にデビュー(現在は中嶋勝彦の15歳9か月が最年少記録)。若手時代の船木は伸びのあるドロップキックを武器に前座戦線を沸かせ、アントニオ猪木がヘビー級に焦点を移す中でジュニアヘビー級に留まっていたため、プロモーションからの目立ったプッシュはなかったものの、野上彰とタッグを組み、新生UWFの安生洋二・中野龍雄組と数々の名勝負を繰り広げ、前座の名物カードとなった。また、山田恵一からシューティングスタープレスを受けた最初の選手ともなった。
1987年3月からは堀辺正史の下で骨法を学び始めた。1988年4月には、オットー・ワンツが主宰するCWAに参加するためヨーロッパへ遠征し、4月から12月までオーストリアとドイツをサーキットした。この遠征直前、高田延彦と山崎一夫は船木の送別会を開き、その席で船木に「UWF再興」の意向を伝え、船木もその場で新生UWFへの参加を決意したという。実際、前田日明と神新二は遠征先を訪れ、船木にUWFへの入団を打診していた。1989年1月からはイギリスに渡り、山田恵一と共に「フライング・フナキ」として活躍した。
当時、新日本プロレスのエースであった前田日明は、バックステージの政治に苛立ち、長州力をシュートキックで負傷させた後、メキシコ遠征を拒否したために出場停止処分を受け、新日本を離脱して新生UWFを旗揚げした。船木は自身の才能を開花させる機会と見て、前田に続こうとした。前田は、船木の契約を、友人である鈴木みのる、そして師匠である藤原喜明の契約と共に、金額は非公表ながら新日本プロレスから買い取る形で獲得した。新日本は船木の将来を期待し、残留を説得。船木曰く「再契約金1000万円に加え、試合のギャラも藤波辰爾・長州力と同ランクとする」との提示も受けたが、最終的には猪木、前田、鈴木、船木の四者話し合いの末、新日本プロレスの円満退社とUWF移籍が決定した。
2.2. 新生UWFとプロフェッショナルレスリング藤原組時代 (1989-1993)
新生UWFにおいて、船木は前田日明のライバルとしてプロモーションのトップの一人となった。1989年5月4日、第二次UWF1周年記念の大阪球場大会で、共に新生UWFデビューとなる藤原喜明と対戦。頭突きを使った藤原が反則負けとなったが、船木の希望で試合続行。しかし最後は膝十字固めで敗退した。同年8月13日には横浜アリーナで高田延彦と対戦。開始早々、掌底と膝蹴りの連打で高田からダウンを奪うなど圧倒したが、高田のバックドロップからのキャメルクラッチでギブアップ負けを喫した。
1989年9月7日の「U.W.F. FIGHTING BASE」大会より、リングネームを本名の「船木優治」から「船木誠勝」に改名した。同年11月29日に東京ドームで開催された「U-COSMOS」では、当時のキックボクシング世界王者で5年間無敗だったモーリス・スミスとの異種格闘技戦が予定されていたが、スミスの負傷により鈴木みのるが代役を務めることとなった。
1990年4月15日、負傷による長期欠場からの復帰戦となった鈴木みのる戦では、レガースを着用せずグラップリングのみの試合を行った。同年5月4日、日本武道館で行われた「UWF THE MEMORIAL」で前田日明と初対決。船木はレガースを着用せず、骨法流の掌底とボクシング仕込みのパンチのコンビネーションで前田をダウンさせるなど善戦したが、体格で圧倒する前田の片羽絞めでタップアウト負けを喫した。試合後、前田が船木の耳元に何かを語りかけるシーンは語り草となっている。同年8月13日、高田延彦と前回と同日同会場で再戦し、軽快なフットワークで高田の打撃を完璧にディフェンス。10分過ぎ、船木の掌打連打から顔面への膝蹴りで高田の目尻が深くカットしたためレフリーストップにより勝利した。
1990年12月の第二次UWF解散に伴い、船木は藤原喜明、鈴木みのるらと共に新UWF藤原組の旗揚げに参加した。1992年4月19日、東京体育館での藤原組旗揚げ一周年記念興行で、プロボクシング世界4階級制覇王者ロベルト・デュランと異種格闘技戦を行った。2ラウンドにボディブローでダウンを喫するも、3ラウンドに腕固めで勝利した。同年10月4日には、東京ドームでWKA世界ヘビー級王者モーリス・スミスと異種格闘技戦を行い、4ラウンドにダウンを奪われたものの、判定で引き分けとなった。
1992年12月、船木はより格闘技的な路線を志向し、藤原組を離脱。所属団体を持たず、鈴木みのる、高橋義生らと共に練習を重ねた。同時期、K-1エグゼクティブの石井和義から1993年のGPトーナメントへの出場を打診されたが、彼は総合格闘技に照準を定めていたためこれを断っている。
3. 総合格闘家時代
船木は鈴木みのると共にパンクラスを設立したことで、総合格闘技のキャリアをスタートさせた。
3.1. パンクラス時代 (1993-1999)
1993年9月21日、東京ベイNKホールでパンクラスを旗揚げ。旗揚げ戦のメインイベントで、弟子のケン・シャムロックと対戦し、肩固めで一本負けを喫した。しかし、続く大会で柳澤龍志からヒールホールド、そして膝十字固めでわずか1分35秒で一本勝ちを収め、そのグラウンド技術を見せつけた。その後、セース・ベーゼムスとの試合では、ベーゼムスが反則のクローズドパンチを放ったことに対し、船木はテイクダウンからアームロックで一本を取り、タップアウト後もホールドを継続したため、レフェリーに止められる一幕もあった。パンクラス旗揚げ初期の4大会を、高橋"義生"和生への掌打と膝蹴りの連打によるKO勝利で締めくくった。
1994年が明けると、船木はバス・ルッテンと対戦し、偶発的な反則打撃でルッテンが気を取られた隙に足を捉え、トーホールドで一本勝ちを収めた。同年9月1日には、ケン・シャムロックにチョークスリーパーで一本勝ちを収め、旗揚げ戦のリベンジを果たした。10月15日には鈴木みのると対戦し、チョークスリーパーで失神KO勝ちを収め、パンクラスにおける両者の唯一の対戦を制した。同年12月には、初代キング・オブ・パンクラス王座決定トーナメントに出場。一回戦でトッド・ビョルネトゥンに巴投げからのマウントからの腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収め、二回戦ではヴァーノン・ホワイトを三角絞めやスイープを多用してアームロックで破った。しかし、決勝でケン・シャムロックと三度目の対戦。数分間は防戦一方だったものの、マウントを奪われ、初戦と同じく肩固めで一本負けを喫した。
1995年、ジェイソン・デルーシアにサブミッション勝利でリベンジを果たした後、ケン・シャムロックの義弟であり、次期スター候補であったフランク・シャムロックと対戦。船木はガードからの攻防で新たな才能を見せ、三角絞めとキムラロックの複合技でロープエスケープを奪い、最終的にトーホールドで一本勝ちを収めた。しかし、続く山田学戦では、マウントからの反転で山田にヒールホールドを極められ、まさかの一本負けを喫した。その後、パンクラスの新人ガイ・メッツァーとシーソーゲームを繰り広げ、メッツァーがキック、打撃、プレッシャーで試合を支配する中、船木がアキレス腱固めを極めて勝利した。フランク・シャムロックとの再戦では、船木がガードを下げ、飛び後ろ回し蹴りを放つなど相手を挑発したが、チョークに捕えられロープエスケープを強いられた後、腕ひしぎ三角固めで反撃。ローリングトーホールドでポイントを優位に進めるも、足関節の攻防でまさかの一本負けを喫した。シャムロックは後に自伝で、船木がフランクの人気を高めるために「ダイブ」して負けたと主張している。
1996年9月7日、パンクラス・アニバーサリーショーにおいて、キング・オブ・パンクラス王者バス・ルッテンに挑戦。この試合はパンクラス史上最高の試合の一つとされている。船木は序盤にアンクルホールドで試合を終わらせる寸前までいったが、ルッテンは奇跡的に脱出し、試合を続行した。船木はニーオンザベリーやマウントポジションを多用し、足関節攻撃を仕掛けたが、ルッテンは常にこれを切り返し、最終的に船木を突き放した。その際、船木がルッテンに膝立ちの状態から反則の蹴りを入れてしまった。ルッテンは掌打で船木をダウンさせ、さらに2発目の掌打で船木の鼻を完全に骨折させた。船木は立ち上がろうとしたが、ルッテンの得意な打撃が炸裂。ルッテンは掌打と膝蹴りで船木を2度ダウンさせ、その後も一方的な連打を浴びせ続け、最後は顔面への膝蹴りで船木をマットに沈めた。
1999年3月1日、パンクラス所属選手の長谷川悟史が道場近くのマンションから転落死するという事件が発生。団体責任者である社長の尾崎允実と船木は事情聴取を受けた。船木は現場にはおらず、車の運転中に携帯電話への連絡でこの悲報を知ったという。同年9月18日のトニー・ペテーラ戦での勝利を最後に、度重なる負傷とパンクラスの多忙なスケジュールによる燃え尽き症候群のため、船木はパンクラスを離脱した。
3.2. ヒクソン・グレイシー戦と引退 (2000)
満身創痍の状態であったにもかかわらず、船木は2000年5月26日に東京ドームで開催された「コロシアム2000」で、伝説的なヒクソン・グレイシーとの一戦のために復帰した。この興行は、ヒクソンがルール変更を要求し、膝蹴りや頭部への打撃を禁止にしようとしたため、一度は中止寸前となったが、最終的に問題は解決され、興行は開催された。このイベントはテレビ東京で3000万人の視聴者に放送された。この試合にチャンピオンシップタイトルはかかっておらず、ヒクソンの要求の大部分が受け入れられ、立っている状態でもグラウンド状態でも頭部への肘打ちと膝蹴りは禁止された。
船木はサムライの装束を身につけ、日本刀を携えてリングに登場し、日本の実況陣と観衆の大きな興奮を呼んだ。試合が始まると、船木とヒクソンはコーナーで組み合い、船木はギロチンチョークを極めたかに見えた。船木はヒクソンをテイクダウンしたが、グラウンドに移行すると同時にチョークを外し、ヒクソンの顔面にパウンドを一発入れてから立ち上がった。両者はキックを打ち合ったが効果はなく、その後、ヒクソンのタイミングの良いキックが船木の負傷していた膝を直撃した。再び組み合ったが、船木の負傷により正確なレスリングができなくなり、ブラジルのグラップラーにテイクダウンされ、すぐにマウントを奪われた。船木は顔面へのグラウンド・アンド・パウンドを浴びて朦朧とした状態となり、最終的にヒクソンにチョークスリーパーを極められた。船木はこの技にタップアウトすることを拒否し、レフェリーが試合を止めるまで失神状態であった。
この試合の後、船木は総合格闘技からの引退を表明し、2000年12月4日には地元青森県で「船木誠勝 引退記念興行」が開催され、試合終了後に引退セレモニーが行われた。藤原喜明、佐山聡、藤波辰爾、山本小鉄、獣神サンダー・ライガー、夢枕獏らがリングに駆けつけ、船木を胴上げしてその功績を称えた。
3.3. K-1・DREAMでの復帰 (2007-2008)
引退後もパンクラスの運営や格闘技中継の解説者、俳優業などで活動していた船木は、2007年12月31日の「K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!」で、7年ぶりに現役復帰した。この試合は、自身の弟子である柴田勝頼を破ったばかりの桜庭和志との対戦であり、日本の総合格闘技イベントで最も視聴率を稼ぐ大晦日興行のメインイベントとして組まれた。船木は入場時に青森ねぶた祭りを模した長いローブとマスクを着用し、派手な入場を披露した。
試合では、船木が右クロスを大きく外した際に、桜庭がダブルレッグテイクダウンに成功した。船木は桜庭をガードで捕らえた後、開いて膝十字固めを狙う体勢に入り、一瞬桜庭の足を極めたかに見えたが、桜庭の卓越したサブミッション防御とリングロープ際の位置取りにより阻まれた。桜庭は船木の背後に回り込んだが、パンクラス創設者である船木はガードポジションに戻った。グラップリングの攻防から一瞬離れると、桜庭は立ち上がって船木の足に連続キックを浴びせ始め、船木も下からのキックで反撃し、桜庭の目尻をカットした。桜庭は再びグラウンドに戻ると、船木はすぐにスイープを試みたが、桜庭はこれを防ぎ、ダブルリストロックを極めて、最終的に船木をタップアウトさせた。
船木はその後、FEGが主催する総合格闘技イベントDREAMと契約を結んだ。2008年4月29日、DREAM.2で初開催されたミドル級グランプリの一回戦で田村潔司と対戦。激しい序盤の打撃戦の後、船木はパンチでふらつき、田村にガードを引いた。そこからパウンドを受け続け、1ラウンド57秒でTKO負けを喫し、ミドル級グランプリから敗退した。これは1998年9月14日にセーム・シュルトのボディブローでKOされて以来のTKO負けであった。
総合格闘技復帰後2連敗を喫した船木は、自身の競技者としての価値を証明するため、再びDREAMのミドル級戦線に参戦することを決意した。2008年9月23日にさいたまスーパーアリーナで開催された「DREAM.6」では、かつてパンクラスで指導した弟子「ミノワマン」こと美濃輪育久と対戦。試合開始早々、船木はかつての教え子に対し連続キックを繰り出し、美濃輪にキックをキャッチさせた。船木はその瞬間に飛び込んでヒールホールドを仕掛けた。美濃輪は体勢を立て直して逃れたが、船木は美濃輪の足をコントロールし続け、すぐにクロスボディの体勢から再びヒールホールドを仕掛け、1ラウンド52秒で美濃輪をタップアウトさせ、現役復帰後初勝利を飾った。
3.4. RINGSでの活動 (2012)
2012年12月16日、船木誠勝はRINGSの興行「RINGS/THE OUTSIDER: Volk Han Retirement Match」において、ヴォルク・ハンと対戦した。この試合はパンクラスのハイブリッド・レスリングに近い形式で行われ、ヴォルク・ハンの引退試合として組まれた。試合は15分時間切れとなり、ロストポイント2-2のドローに終わった。
4. プロレス復帰後
船木は総合格闘技の活動を経て、プロレス界に復帰し、様々な団体で活躍した。
4.1. 全日本プロレス時代 (2009-2013, 2015-現在)

2007年8月、武藤敬司と船木は、武藤が社長を務める全日本プロレスへの船木の定期的なプロレス復帰の可能性について話し合った。そして2009年8月30日、両国大会で武藤とタッグを組み、蝶野正洋、鈴木みのる組を破ってプロレスに復帰。翌31日には、船木は全日本プロレスと1年間の契約を締結した。
2010年1月3日、船木は武藤敬司と組んで、太陽ケアと鈴木みのるが保持する世界タッグ王座に挑戦。26分50秒、交差式かかと固めでケアからギブアップを奪い、新王者となった。これは船木にとって、純粋なプロレスでは生涯初のベルト獲得となった。同年3月21日には、全日本プロレスの両国国技館大会で、全日本初となる「金網マッチ」で鈴木みのると再戦し、飛び膝蹴りでKO勝利を収めた。4月にはチャンピオン・カーニバルに初出場し、唯一無敗のままリーグ戦を突破して鈴木みのると優勝決定戦を争うも、鈴木のスタンディングスリーパーでタップアウトし、優勝を逃した。同年8月30日には全日本プロレスに正式に所属となった。
2012年1月4日、船木は新日本プロレスのレッスルキングダムVI in 東京ドームに特別参戦し、河野真幸と組んで永田裕志と井上亘の誠軍組と対戦した。試合中に永田の膝蹴りを顔面に受け、左眼窩底を骨折。この負傷により、約6ヶ月間の長期欠場を余儀なくされた。同年6月17日、全日本プロレスの後楽園ホール大会で復帰。田中稔とのタッグで、武藤敬司&カズ・ハヤシとの復帰戦に臨み、勝利を飾った。
2012年6月29日、全日本プロレスのオフィシャルサイトで、船木の新技「変型ツームストンパイルドライバー」の名称が公募によって「ハイブリッド・ブラスター」に決定したことが発表された。この技名は、関節技とドライバー技を組み合わせたこと(ハイブリッド=異質のものを組み合わせ一つの目的を成すもの)、及び船木が「ハイブリッドレスラー」と呼ばれていたことに由来し、船木自身が選考した。同年7月29日、全日本プロレスの「JUNIOR HYPER LEAGUE」最終戦で、自身を負傷させた永田裕志と因縁のシングルマッチで対戦。ハイブリッド・ブラスターで勝利を収め、三冠ヘビー級王座の次期挑戦者となった。同年8月26日、三冠ヘビー級選手権試合で王者秋山準をわずか4分37秒で破り、第45代三冠ヘビー級王者となった。しかし、2013年3月17日、諏訪魔に敗れ、王座を失った。
2013年6月、新社長白石伸生の就任と武藤敬司の退団に伴い、船木も全日本プロレスからの退団を表明した。全日本プロレスでの最終試合は同年6月30日に行われ、「Stack of Arms」のパートナーである金本浩二と河野真幸(彼らも全日本を退団)と共に、曙、西村修、浜亮太組と6人タッグマッチで対戦し敗れた。
フリーランスとなった船木は、2015年11月11日にケンドー・カシンと組んで諏訪魔と佐藤光留組を破り、全日本プロレスに復帰した。以降、船木は散発的に全日本プロレスのタッグマッチに出場しているが、再びタイトルを狙う意欲は示していない。
4.2. WRESTLE-1時代 (2013-2015)
2013年7月10日、船木は武藤敬司の新団体WRESTLE-1の設立メンバーとして発表された。同年9月8日のWRESTLE-1旗揚げ戦では、河野真幸とタッグを組み、柴田勝頼と桜庭和志組に敗れた。試合後、河野は船木を裏切り、鉄椅子で攻撃した。船木と河野は9月15日のWRESTLE-1第2戦でシングルマッチで対戦し、カズマ・サカモトと斉藤了の介入を受けた河野が勝利した。10月12日の再戦では、船木が勝利を収めた。
2014年3月2日の「Kaisen: Outbreak」では、TNA代表のボビー・ルードを破り、試合後にカート・アングルに対戦を要求した。同年7月6日、船木はプロレスリングZERO1代表の佐藤耕平を破り、ZERO1世界ヘビー級王座を獲得した。しかし、9月19日に佐藤に敗れ、王座を失った。その3日後、船木はWRESTLE-1 Championshipトーナメントにエントリーし、一回戦でTAJIRIを破った。翌日にはAKIRAを破り、準決勝に進出した。トーナメント準決勝を前に、船木は元ライバルであるTAJIRIが自身の試合準備を助けるというストーリーラインに入った。しかし、10月8日、船木は準決勝で河野真幸に敗れ、この試合でTAJIRIが船木を裏切った。
2015年6月、船木はWRESTLE-1との契約が月末で満了することに伴い、フリーランスとなることを発表した。WRESTLE-1での最後の試合は同年6月20日に行われた。
4.3. フリーランス時代 (2015-現在)
2015年8月18日、船木はフリーランスとしての初戦を柿原将暉のがんチャリティ興行で行い、鈴木みのると組んで永井満也と冨宅飛駈組を破った。同年9月18日、船木はリアルジャパンプロレス(RJPW)のスーパー・タイガーを破り、フリーランスとして初のタイトルとなるレジェンドチャンピオンシップを獲得した。12月9日に関本大介にタイトルを失ったが、2016年6月23日に再びタイトルを奪還した。しかし、同年9月10日には大谷晋二郎に敗れ、レジェンドチャンピオンシップを失った。
2017年1月9日、船木はDDTプロレスリングのイベントで坂口征夫と組み、竹下幸之介とマイク・ベイリー組を破り、KO-Dタッグ王座を獲得した。しかし、4月29日の3度目の防衛戦で男色ディーノと高山善廣組に敗れ、タイトルを失った。
2020年8月30日、ノアの川崎大会に参戦し、M's allianceに加入した。同年11月22日には丸藤正道とのタッグで、杉浦貴・桜庭和志組が保持するGHCタッグ王座に挑戦するも、タイトル獲得には至らなかった。
2022年1月22日、船木はGHCナショナル王座に挑戦し、チャンピオンの拳王から勝利を収め、ナショナル王座を戴冠した。試合後、突如として金剛への加入を宣言。セコンドの丸藤と田中将斗に詰め寄られるも、意思は固く金剛入りを果たした。また、この日以降からコスチュームを赤色に変更した。
2024年6月22日には「ブラッドスポーツ 武士道」に参戦し、デイビーボーイ・スミス・ジュニアと対戦し勝利を収めている。
5. 格闘スタイルと得意技
船木は、新生UWFへの参加と新日本時代の骨法修行によって培われた、切れ味鋭い打撃と関節技を中心に試合を組み立てる独自の「ハイブリッドレスリング」スタイルを特徴とする。パンクラス旗揚げ以降はグラウンド技術をさらに磨き上げ、プロレス復帰後は総合格闘技参戦時に会得した技術を用いつつ、プロレスらしい技も織り交ぜて試合を展開することが多い。
5.1. 打撃技
- 掌底(掌打)
手のひらの一番固い部分を使った張り手。新日本時代の骨法修行で会得し、ボクシング訓練の成果もミックスされた。新生UWF時代には高田延彦や山崎一夫から出血によるレフェリーストップで勝利を奪い猛威を振るった。藤原組時代に東京ドーム大会で対戦したキックボクサーのモーリス・スミスも、船木の掌打について「厳しい攻撃だった」と評価している。プロレス回帰後も、試合序盤から終盤まで多種多様な場面で使用されている。
- バックハンドブロー(裏拳)
キック技などとのコンビネーションやフェイントを織り交ぜて使用される。
- ボディーブロー
新生UWF時代に掌底とのコンビネーションで多用された。
- 各種キック
ローキック、ミドルキック、ハイキックそれぞれを使い分ける。ハイキックはプロレス回帰後のフィニッシュ技の一つで、掌底のラッシュからの右ハイキックへの連携や、変則的なフォームで見切りづらい左ハイキックなど、複数のバリエーションがある。
- 逆回し蹴り(ソバット)
船木の場合は、時計回りに体を半回転させ右足で放つ。ハイキックを警戒させた状態から相手のガードをワンテンポずらすように仕掛けたり、走り込んできた相手へのカウンター時に使用する。
- 浴びせ蹴り
前転しながら自分の脚(主に踵)を相手に叩き込む骨法の蹴り技。総合格闘技ではあまり有効利用される場面がなかったが、プロレス回帰後は不意打ち(フェイント)気味に仕掛けたり、タッグ時のカット用まで、幅広く使用されている。
5.2. 投げ技
- ダブルアームスープレックス
船木の師匠である藤原喜明も隠れた得意技にしていたが、船木が使用する同技は藤原の物とはやや異なり、「低空かつ高速」で投げるタイプである。
- 逆水車落とし
アマチュアレスリングの両足タックルからテイクダウンを奪う技術の応用。通常の水車落としとは違い、相手を担ぎ上げた後、自ら前転しながらスパインバスターのように前方に相手を叩きつける。
- 閂スープレックス
相手の両腕を自分の脇に挟み絞り上げながら、後方へ反り投げる。田上明の同名技と同型。ただし、船木の場合は藤原組時代のごく短期間しか使用しておらず、プロレス回帰後も使用していない「幻の技」である。
- バックドロップ
U系レスラーの多くが使用する、相手を後ろに引き倒すような低空かつ高速で投げるタイプ。プロレス回帰直後はフィニッシュ技になる場合もあった。
- ハイブリッド・ブラスター
現在の船木の主なフィニッシュムーブ。相手の左腕をハンマーロックで固めてからのツームストン・パイルドライバー。ハイキックで倒した相手にチキンウィングフェイスロックを仕掛けてから最後に決めるパターンが多い。2012年に怪我からの復帰戦で初公開され、技名は一般公募によって決定された。
5.3. 締め技、関節技
- スリーパーホールド(チョークスリーパー)
パンクラス時代の必殺技の代表格。
- 肩固め
- チキンウィングフェイスロック
相手の腕を極めながらの顔面締め。プロレス回帰直後はフィニッシュ技になることもあったが、ハイブリッド・ブラスター開発後は同技への布石として使用機会が多い。
- 各種アームロック
- ストレートアームバー
骨法の「腕絡・腕折」に由来する。相手の腕を真っ直ぐに伸ばして極める腕関節技。
- 横三角締め(トライアングル・アームバー、トライアングルアームロック)
柴田勝頼に伝授された、相手の腕を極めながら自分の脚で相手の首を蟹挟みで締める複合技。
- アンクルホールド
1988年ヨーロッパ遠征中にミレ・ツルノから習得した技として船木が日本で初公開した。1995年後半に、パンクラスのルール上、ヒールホールドが禁止技になり、それに代わる脚関節技として使用されたことがきっかけで船木の使用する代表的脚関節技になった。また、パンクラス時代に船木から教えられたケン・シャムロックが後にWWEでフィニッシュホールドとして使用している。
- ヒールホールド
1995年にパンクラスのルールで同技が禁止技になり(ヒールホールドをかけられた相手が、膝の十字靱帯を傷める事例が多発したため)、それ以降、パンクラスの試合では封印していた。
- クロスヒールホールド(飛びつき式クロスヒールホールド)
コマンドサンボに由来する相手の両足をX字状態に交差させて極める脚関節技。船木もパンクラス時代に数度試みていたが、上記のアンクルホールドと比べるとほとんど使われることがなかった。プロレス回帰後は頻繁に使用され、フィニッシュ技に用いられることもある。
5.4. 飛び技
- 串刺しドロップキック
新日本の若手時代は打点の高いドロップキックを得意としていたが、ロープに振っても返ってこない対UWF対策として編み出した技。対角線に振ってからコーナーマットに相手を突き刺すようにドロップキックを放つ。
- ミサイルキック
新生UWF時代、ボブ・バックランド戦で思わず使用してしまい反則負けになってしまった船木の「苦い思い出」のある技。
その他、プロレス回帰後に、プランチャやトペ・スイシーダにトライしているが、いずれも未遂に終わることが多い(飛ぶと見せかけたフェイントによる心理戦という見方もある)。
6. 人物と私生活
船木は再婚しており、妻は元舞台女優の喜山いづみである。2015年からは大阪にパーソナルトレーニングジム「Hybrid Fitness」を開設し、トレーナー勤務のため現地に移住している。また、2017年2月20日からは「SPM SUPPORT PROJECT」というチャンネル名でYouTube活動も行い、自身の経験やレスラー時代の思い出を語る動画を定期的に配信している。
パンクラス旗揚げの際に提唱した「ハイブリッド・ボディ」は、肉体の鍛錬方法に関するもので、ケン・シャムロックの食事メニューを参考に、脂質を極力排除したタンパク質中心の食事法とトレーニング方法を述べた。後に書籍やビデオとしてまとめられ、現代レスラーの肉体改造にも影響を与えた。また、「コロシアム2000」でのヒクソン・グレイシー戦前には、ヒクソンが練習に取り入れていたクンダリニーヨーガ(火の呼吸)を自らも取り入れた。
プロレスの若手時代、ヨーロッパ修行をきっかけにステロイド剤を使用していたことを告白している。体が大きくなり、ウエイトトレーニングで使う重量が短期間で上がったり、試合で投げ技が楽に感じるようになるなど効果を実感したが、帰国後に副作用で負傷が増え、試合を長期間欠場するなどしたため、使用をやめたと後年述懐している。
一見クールなイメージがあるが、天然なところがあり、若手時代には先輩から可愛がられていた。また、激情家の一面も持ち合わせており、一度火がつくと後先を考えずに言動をすることがある。性格的には熱く燃え上がる一方で、熱が冷めると躊躇や迷いを抱くことなく他人と縁を切るクールな一面も持つ。
盟友鈴木みのるとは厚い友情で結ばれており、新日本時代の若手時代に鈴木と飲みに行って素人相手に喧嘩をして現行犯逮捕され、警視庁麻布警察署に留置された際、鈴木だけが解雇になりそうになったため、船木は「鈴木を首にするのなら俺も首にしてください」と発言し、結果的に二人で謹慎処分を受けたというエピソードがある。先輩であった山田恵一とも仲が良く、共に骨法を習っていた。
ヒクソン・グレイシーとの対戦前に行った須藤元気とのスパーリングの際、須藤のパンチで左眉の辺りをカットしたことで船木が激高し、須藤に蹴りを入れ、バットで殴ろうとしたことがある。しかし、お互いがパンクラスを退団した後、専門誌で対談するなど、深い確執には至らなかった。
2003年11月30日には、当時低迷していたパンクラスism所属選手に対し、「正直言って、ismはどうしようもない」「来年からismは解散して欲しい」と突き放すような発言をして物議を醸した。
7. 主な著書
- 『船木誠勝のハイブリッド肉体改造法』(ベースボール・マガジン社、1996年7月)ISBN 4583033184
船木自身の経験から編み出された、格闘家としての本格的な筋力トレーニングとパンクラスで行われる実践トレーニングを掲載。当時の間違った肉体改造に言及し、プロレスラーとしてあるべきトレーニングを示唆。格闘技を志す者への手引きとなっている。
- 『パーフェクト!ハイブリッド肉体改造法Ⅱ』(ベースボール・マガジン社、1999年12月)ISBN 458303623X
一般向けに有酸素運動と基礎的な筋力トレーニングを総合的に行い、生活に便利な体を作る方法を掲載。
- 『ダイエット無用!パーフェクト!ハイブリッド肉体改造法Ⅲ』(ベースボール・マガジン社、2005年7月)ISBN 4583038593
ダイエットをしたいが時間がない男性向けに、有酸素運動なしで短時間でできる簡単な筋力トレーニングで基礎代謝を上げ、筋肉質な体を作る方法を掲載。
- 『船木誠勝の格斗誠書』(ベースボール・マガジン社、1998年9月)ISBN 4583035470
- 『船木誠勝リアル護身術』(大泉書店、2000年11月)ISBN 4278049005
- 『明日また生きろ。』(まんだらけ、2000年12月)ISBN 4944099878
- 『船木誠勝リアル格闘術』(大泉書店、2001年7月)ISBN 427804903X
- 『船木誠勝の真実』(エンターブレイン、2003年9月26日)ISBN 4757716192
- 『船木誠勝 ハイブリッド・ヨガ』(宝島社、2006年5月)ISBN 4796652655
- 『船木誠勝流リアルボディ改造術』(宝島社、2007年3月)ISBN 4796657320
- 『ストレィト 船木誠勝物語 1969-1992』(佐々木徹著、ナツメ社、1991年11月)ISBN 4816313311
- 『BRAIN 船木誠勝』("Show"大谷泰顕著、メディアワークス、2000年5月)ISBN 4840215634
- 『船木誠勝 海人』(安田拡了著 、ベースボール・マガジン社、2000年7月)ISBN 4583035829
- 『First Step船木誠勝』(佐々木健著 、サンクチュアリ出版、2000年10月1日)ISBN 4921132410
- 『REAL HEART船木誠勝』("Show"大谷泰顕著、二見書房、2001年1月)ISBN 4576007548
8. 主な出演作品
船木は映画、Vシネマ、ドラマ、バラエティ番組、アニメ、ビデオゲーム、ラジオなど、多岐にわたるメディアに出演している。
8.1. 映画
- 五条霊戦記 GOJOE (2000年、東宝) - 湛塊(弁慶の宿敵で盗賊の頭)
- シャドー・フューリー (2001年、クロックワークス・日米合作) - 主演・タケル(役柄のために体脂肪を極限まで絞り込んだ。この時の様子は「肉体改造法シリーズ」第三弾で綴られている。)
- 新・影の軍団シリーズ (2003年、シネマパラダイス) - 金剛丸 (※2作目と4作目のみOV)
- 新・空手バカ一代(2003年)
- 新・日本の首領 (2004年) - 塩野晋(遠山建設秘書室長)
- 力道山 (2004年、ソニー・ピクチャーズ・日韓合作) - 井村昌彦(木村政彦がモデル)
- ゴジラ FINAL WARS (2004年、東宝) - 熊坂教官
- デビルマン (2004年、東映) - ジンメン(デーモン族)
- 真説タイガーマスク (2004年、GPミュージアムソフト) - タイガーマスク
- 岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説 中華街のロミオとジュリエット(2008年、松竹ホームビデオ)
- 純喫茶エルミタージュ(2005年、NETCINEMA.TV)
- 劇場版 Dr.コトー診療所 (2022年、フジテレビ、東宝) - 山下努(漁師)
8.2. Vシネマ
- 跋扈妖怪伝 牙吉 第二部(2004年) - 桜丸
- 新・日本の首領(2004年) - 辰野会系唐沢組組長 唐沢丸人
- ワル 序章(2004年)
- 武装戦線 ~政府軍VS革命軍~(2005年)
- 実録・東声会 初代・町井久之 暗黒の首領(2006年) - 安西組若頭 花村敬(→安西組組長代行)
- 龍が如く ~序章~ (2006年、セガ) - 主演・桐生一馬
- ビジネスマン必勝講座 ヤクザに学ぶ指導力(2007年)第四話「ハードボイルド・ダンディー」 - Z親分
- 新宿暴力街 華火(2007年) - 大畔組組員 ツムラ
- 新宿暴力街 烈華(2008年) - 大畔組組員 ツムラ
- 極潰し(2014年) - 若松組若頭 片桐アキラ
- 伝説のやくざ ボンノ 烈火の章(2017年)
8.3. ドラマ
- サラリーマン金太郎 第3シリーズ(2002年、TBS) - 和田(旭星会会長・大須賀義助のボディガード)
- Dr.コトー診療所 (2003年・2006年、フジテレビ) - 山下努(漁師)
- 富豪刑事 第2シリーズ、第3話 (2006年、テレビ朝日) - 大垣大垣(振り込め詐欺団の副リーダー)
- 牙狼〈GARO〉-GOLDSTORM- 翔、第9話(2015年、テレビ東京) - ウォスカ(ホラー)人間態
8.4. バラエティ
- 筋肉番付シリーズ(TBS系列)
8.5. アニメ
- ストリートファイターII MOVIE(1994年、東映) - フェイロン
- ザ・ハード BOUNTY HUNTER(1996年、東宝) - タイロン (※主題歌「サイレンサー」を歌っている。)
- 高校鉄拳伝タフ OVA版(2002年、スパイク) - 宮沢静虎 (主人公の父。灘神影流活殺術第14代目当主)
- BATON (2009年) - ハデス
8.6. ゲーム
- ファイアープロレスリング2nd Bout(1991年)
- スーパーファイヤープロレスリング(1991年)
- スーパーファイヤープロレスリング2(1992年)
- ファイアープロレスリング3 LEGEND BOUT(1993年)
- スーパーファイヤープロレスリングIII Final Bout(1993年)
- スーパーファイヤープロレスリングIII Easy Type(1993年)
- スーパーファイヤープロレスリングSPECIAL(1994年)
- スーパーファイヤープロレスリングX(1995年)
- 激闘バーニングプロレス(1995年)
- スーパーファイヤープロレスリングX PREMIUM(1996年)
- 船木誠勝 HYBRID WRESTLER 闘技伝承(1994年)
- バーチャルプロレスリング64(1997年)
- バーチャルプロレスリング2 ~王道継承~(2000年)
- TOUGH DARK FIGHT(2005年、プレイステーション2用) - 宮沢静虎
- レッスルキングダム2(2007年)
8.7. ラジオ
- 桑原征平粋も甘いも(2017年11月29日、ABCラジオ) - 「征平の1時の一字」コーナーにゲスト出演 (※アシスタントの小川恵理子は松竹芸能の同僚にあたる。)
9. 獲得タイトルと受賞歴
船木は総合格闘技とプロレスの両分野で数多くのタイトルを獲得し、受賞歴を持つ。
9.1. 総合格闘技
- パンクラス
- 第4代無差別級キング・オブ・パンクラス王座(1回)
- 第6代無差別級キング・オブ・パンクラス王座(1回)
- 1996年キング・オブ・パンクラス王座決定トーナメント優勝
- 1994年キング・オブ・パンクラス王座決定トーナメント準決勝進出
9.2. プロレス
- ドラディション
- 2023年DRAGON CUP優勝(パートナー:LEONA)
- 全日本プロレス
- 第45代三冠ヘビー級王座(1回)
- 第56代世界タッグ王座(1回) - パートナー:武藤敬司
- 2009年世界最強タッグ決定リーグ戦優勝 - パートナー:武藤敬司
- 秋山準杯(2010年) - パートナー:武藤敬司、S1マスク
- 超花火プロレス
- 第5代爆破王(1回)
- DDTプロレスリング
- 第59代KO-Dタッグ王座(1回) - パートナー:坂口征夫
- 日刊スポーツ
- 年間最高試合賞(2010年) - 3月21日鈴木みのる戦
- 年間ベストタッグ賞(2009年) - パートナー:武藤敬司
- プロレスリング・ノア
- 第8代GHCナショナル王座(1回)
- プロレスリングZERO1
- 第17代世界ヘビー級王座(1回)
- リアルジャパンプロレス
- 第8代、第12代レジェンドチャンピオンシップ(3回)
- 東京スポーツ
- 敢闘賞(1990年)
- 功労賞(2000年)
- 技術賞(1993年)
- レスリング・オブザーバー・ニュースレター
- 殿堂入り(2006年度)
- プロレスリング・イラストレイテッド
- 『PWI 500』2013年度PWI年間シングルレスラー500人中第65位
- 『PWIイヤーズ』2003年度PWI年間ベストシングルレスラー500人中第251位
10. 主な試合記録
10.1. 総合格闘技
勝敗 | 戦績 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 | ラウンド | 時間 | 場所 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
引き分け | 39-13-2 | ヴォルク・ハン | 引き分け (マジョリティ) | Rings/The Outsider: Volk Han Retirement Match | 2012年12月16日 | 1 | 15:00 | 東京、日本 | ||
勝利 | 39-13-1 | 美濃輪育久 | 一本 (踵固め) | DREAM.6 ミドル級グランプリ2008 決勝戦 | 2008年9月23日 | 1 | 0:52 | さいたま、日本 | ||
敗北 | 38-13-1 | 田村潔司 | TKO (パウンド) | DREAM.2 ミドル級グランプリ2008 開幕戦 | 2008年4月29日 | 1 | 0:57 | さいたま、日本 | ミドル級グランプリ1回戦 | |
敗北 | 38-12-1 | 桜庭和志 | 一本 (チキンウィングアームロック) | K-1 PREMIUM 2007 Dynamite | 2007年12月31日 | 1 | 6:25 | 大阪、日本 | ||
敗北 | 38-11-1 | ヒクソン・グレイシー | TKO (チョークスリーパーによる失神) | コロシアム2000 | 2000年5月26日 | 1 | 12:49 | 東京、日本 | 特別ルール: スタンド・グラウンドでの頭部への膝蹴り、肘打ちは禁止 | |
勝利 | 38-10-1 | トニー・ペテーラ | 一本 (パウンド) | Pancrase: 1999 Anniversary Show | 1999年9月18日 | 1 | 1:16 | 千葉県浦安市、日本 | ||
引き分け | 37-10-1 | エベンゼール・ブラガ | 引き分け | Pancrase: Breakthrough 4 | 1999年4月18日 | 1 | 15:00 | 神奈川県横浜市、日本 | ||
勝利 | 37-10 | ジョン・レンケン | 一本 (パウンド) | Pancrase: Advance 12 | 1998年12月19日 | 1 | 5:50 | 千葉県浦安市、日本 | ||
敗北 | 36-10 | 國奥麒樹真 | 判定 (ロストポイント) | Pancrase: Advance 10 | 1998年10月26日 | 1 | 15:00 | 東京、日本 | ||
敗北 | 36-9 | セーム・シュルト | KO (ボディブロー) | Pancrase: 1998 Anniversary Show | 1998年9月14日 | 1 | 7:13 | 東京、日本 | ||
勝利 | 36-8 | 渋谷修身 | 一本 (肩固め) | Pancrase: 1998 Neo-Blood Tournament Second Round | 1998年7月26日 | 1 | 6:07 | 青森、日本 | ||
敗北 | 35-8 | ガイ・メッツァー | 判定 (ユニanimous) | Pancrase: Advance 5 | 1998年4月26日 | 1 | 30:00 | 神奈川県横浜市、日本 | パンクラス無差別級王座陥落 | |
勝利 | 35-7 | セーム・シュルト | 判定 (ロストポイント) | Pancrase: Advance 4 | 1998年3月18日 | 1 | 15:00 | 東京、日本 | ||
勝利 | 34-7 | 稲垣克臣 | 一本 | Pancrase: Advance 2 | 1998年2月6日 | 1 | 2:36 | 神奈川県横浜市、日本 | ||
勝利 | 33-7 | 近藤有己 | 一本 (三角キムラ) | Pancrase: Alive 11 | 1997年12月20日 | 1 | 2:20 | 神奈川県横浜市、日本 | パンクラス無差別級王座獲得 | |
勝利 | 32-7 | ジェイソン・ゴドシー | 一本 (カーフスライサー) | Pancrase: Alive 10 | 1997年11月16日 | 1 | 7:12 | 兵庫県神戸市、日本 | ||
勝利 | 31-7 | ガイ・メッツァー | 一本 (三角腕ひしぎ固め) | Pancrase: 1997 Anniversary Show | 1997年9月6日 | 1 | 3:58 | 千葉県浦安市、日本 | ||
勝利 | 30-7 | 渋谷修身 | 一本 (ギロチンチョーク) | Pancrase: 1997 Neo-Blood Tournament, Round 1 | 1997年7月20日 | 1 | 2:34 | 東京、日本 | ||
勝利 | 29-7 | ウェス・ガサウェイ | 一本 (アキレス腱固め) | Pancrase: Alive 7 | 1997年6月30日 | 1 | 1:05 | 福岡、日本 | ||
敗北 | 28-7 | 近藤有己 | 一本 (腕ひしぎ十字固め) | Pancrase: Alive 4 | 1997年4月27日 | 1 | 2:34 | 千葉県浦安市、日本 | パンクラス無差別級王座陥落 | |
勝利 | 28-6 | ポール・レイゼンビー | 一本 (アームロック) | Pancrase: Alive 3 | 1997年3月22日 | 1 | 4:36 | 愛知県名古屋市、日本 | ||
勝利 | 27-6 | セーム・シュルト | 一本 (トーホールド) | Pancrase: Alive 2 | 1997年2月22日 | 1 | 5:47 | 千葉県浦安市、日本 | ||
勝利 | 26-6 | ジェイソン・デルーシア | TKO (足の負傷) | Pancrase: Truth 10 | 1996年12月15日 | 1 | 2:34 | 東京、日本 | 空位のパンクラス無差別級王座獲得 | |
勝利 | 25-6 | 近藤有己 | 一本 (チョークスリーパー) | Pancrase: Truth 9 | 1996年11月9日 | 1 | 1:43 | 福岡、日本 | ||
敗北 | 24-6 | バス・ルッテン | KO (膝蹴り) | Pancrase: 1996 Anniversary Show | 1996年9月7日 | 1 | 17:05 | 千葉県浦安市、日本 | パンクラス無差別級王座戦 | |
勝利 | 24-5 | 伊藤崇文 | 一本 (チョークスリーパー) | Pancrase: 1996 Neo-Blood Tournament, Round 2 | 1996年7月23日 | 1 | 2:01 | 東京、日本 | ||
勝利 | 23-5 | ヴァーノン・ホワイト | 一本 (アキレス腱固め) | Pancrase: Truth 6 | 1996年6月25日 | 1 | 2:34 | 福岡、日本 | ||
勝利 | 22-5 | オーガスト・スミスル | 一本 (チョークスリーパー) | Pancrase: Truth 5 | 1996年5月16日 | 1 | 2:01 | 東京、日本 | ||
勝利 | 21-5 | 稲垣克臣 | 一本 (腕ひしぎ十字固め) | Pancrase: Truth 2 | 1996年3月2日 | 1 | 1:14 | 兵庫県神戸市、日本 | ||
勝利 | 20-5 | 柳澤龍志 | TKO (アームロック) | Pancrase: Truth 1 | 1996年1月28日 | 1 | 8:42 | 神奈川県横浜市、日本 | ||
勝利 | 19-5 | 冨宅飛駈 | 一本 (チョークスリーパー) | Pancrase: Eyes of Beast 7 | 1995年12月14日 | 1 | 0:31 | 北海道札幌市、日本 | ||
敗北 | 18-5 | フランク・シャムロック | 一本 (トーホールド) | Pancrase: Eyes of Beast 6 | 1995年11月4日 | 1 | 10:31 | 神奈川県横浜市、日本 | ||
勝利 | 18-4 | ガイ・メッツァー | 一本 (アキレス腱固め) | Pancrase: 1995 Anniversary Show | 1995年9月1日 | 1 | 6:46 | 東京、日本 | ||
勝利 | 17-4 | リオン・ダイク | 一本 (アキレス腱固め) | Pancrase: 1995 Neo-Blood Tournament Second Round | 1995年7月23日 | 1 | 1:01 | 東京、日本 | ||
勝利 | 16-4 | グレゴリー・スミット | 一本 (アキレス腱固め) | Pancrase: Eyes of Beast 5 | 1995年7月13日 | 1 | 7:30 | 東京、日本 | ||
勝利 | 15-4 | アレックス・クック | 一本 (ヒールホールド) | Pancrase: Eyes of Beast 4 | 1995年5月13日 | 1 | 7:14 | 千葉県浦安市、日本 | ||
敗北 | 14-4 | 山田学 | 一本 (ヒールホールド) | Pancrase: Eyes of Beast 3 | 1995年4月8日 | 1 | 4:43 | 愛知県名古屋市、日本 | ||
勝利 | 14-3 | フランク・シャムロック | 一本 (トーホールド) | Pancrase: Eyes of Beast 2 | 1995年3月10日 | 1 | 5:11 | 神奈川県横浜市、日本 | ||
勝利 | 13-3 | ジェイソン・デルーシア | 一本 (ヒールホールド) | Pancrase: Eyes of Beast 1 | 1995年1月26日 | 1 | 9:04 | 愛知県名古屋市、日本 | ||
敗北 | 12-3 | ケン・シャムロック | 一本 (肩固め) | Pancrase: King of Pancrase Tournament Second Round | 1994年12月17日 | 1 | 5:50 | 東京、日本 | ||
勝利 | 12-2 | ヴァーノン・ホワイト | 一本 (アームロック) | Pancrase: King of Pancrase Tournament Opening Round | 1994年12月16日 | 1 | 5:37 | 東京、日本 | ||
勝利 | 11-2 | トッド・ビョルネトゥン | 一本 (腕ひしぎ十字固め) | Pancrase: King of Pancrase Tournament Opening Round | 1994年12月16日 | 1 | 2:20 | 東京、日本 | ||
勝利 | 10-2 | 鈴木みのる | TKO (チョークスリーパーによる失神) | Pancrase: Road to the Championship 5 | 1994年10月15日 | 1 | 1:51 | 東京、日本 | ||
勝利 | 9-2 | ケン・シャムロック | 一本 (チョークスリーパー) | Pancrase: Road to the Championship 4 | 1994年9月1日 | 1 | 2:30 | 大阪、日本 | ||
勝利 | 8-2 | スコット・"バムバム"・サリバン | 一本 (ヒールホールド) | Pancrase: Road to the Championship 3 | 1994年7月26日 | 1 | 0:56 | 東京、日本 | ||
敗北 | 7-2 | ジェイソン・デルーシア | 一本 (膝十字固め) | Pancrase: Road to the Championship 2 | 1994年7月6日 | 1 | 1:01 | 兵庫県尼崎市、日本 | ||
勝利 | 7-1 | グレゴリー・スミット | 一本 (チョークスリーパー) | Pancrase: Road to the Championship 1 | 1994年5月31日 | 1 | 1:58 | 東京、日本 | ||
勝利 | 6-1 | 冨宅飛駈 | 一本 (チョークスリーパー) | Pancrase: Pancrash! 3 | 1994年4月21日 | 1 | 6:55 | 大阪、日本 | ||
勝利 | 5-1 | ヴァーノン・ホワイト | KO (掌底) | Pancrase: Pancrash! 2 | 1994年3月12日 | 1 | 1:13 | 愛知県名古屋市、日本 | ||
勝利 | 4-1 | バス・ルッテン | 一本 (トーホールド) | Pancrase: Pancrash! 1 | 1994年1月19日 | 1 | 2:58 | 神奈川県横浜市、日本 | ||
勝利 | 3-1 | 高橋義生 | KO (掌打と膝蹴り) | Pancrase: Yes, We Are Hybrid Wrestlers 4 | 1993年12月8日 | 1 | 3:09 | 福岡、日本 | ||
勝利 | 2-1 | キース・ベーゼムス | 一本 (アームロック) | Pancrase: Yes, We Are Hybrid Wrestlers 3 | 1993年11月8日 | 1 | 1:42 | 兵庫県神戸市、日本 | ||
勝利 | 1-1 | 柳澤龍志 | 一本 (膝十字固め) | Pancrase: Yes, We Are Hybrid Wrestlers 2 | 1993年10月14日 | 1 | 1:35 | 愛知県名古屋市、日本 | ||
敗北 | 0-1 | ケン・シャムロック | 一本 (肩固め) | Pancrase: Yes, We Are Hybrid Wrestlers 1 | 1993年9月21日 | 1 | 6:15 | 千葉県浦安市、日本 |
10.2. 異種格闘技戦
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
---|---|---|---|---|
勝利 | モーリス・スミス | 1R 1:50 チョークスリーパー | 全日本キック 「EVOLUTION STEP-8」 | 1993年11月27日 |
引き分け | モーリス・スミス | 3分5R終了 引き分け | 藤原組 「STACK OF ARMS」 | 1992年10月4日 |
勝利 | ロベルト・デュラン | 3R 1:31 腕固め | 藤原組 「獅子王伝説」 | 1992年4月19日 |
10.3. プロレス
UWF系の試合結果
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
---|---|---|---|---|
引き分け | ヴォルク・ハン | 15分終了 引分け | RINGS/THE OUTSIDER 「ヴォルク・ハン引退記念興行」 | 2012年12月16日 |
勝利 | ツタハゼ・ザオール | 7:10 アンクルホールド | 藤原組 「TRY AGAIN VOL1」 | 1992年12月5日 |
勝利 | メドベジ・アレクセイ | 2:07 腕ひしぎ十字固め | 藤原組 「TURN OVER ACT3」 | 1992年9月4日 |
勝利 | 柳澤龍志 | 8:55 腕ひしぎ十字固め | 藤原組 「獅子王伝説 外伝」 | 1992年8月15日 |
勝利 | バート・ベイル | 30:00 判定勝ち | 藤原組 「TURN OVER ACT2」 | 1992年7月27日 |
勝利 | 高橋和生 | 14:44 足首固め | 藤原組 「TURN OVER ACT1」 | 1992年6月25日 |
勝利 | 冨宅飛駈 | 7:08 腕ひしぎ十字固め | 藤原組 「獅子王伝説PART2」 | 1992年5月15日 |
勝利 | ウェイン・シャムロック | 40:00 三角締め | 藤原組 「獅子王達の咆哮PART2」 | 1992年2月24日 |
引き分け | ウェイン・シャムロック | 30:00 時間切れ引分け | 藤原組 「獅子王達の咆哮PART1」 | 1992年1月15日 |
勝利 | ジェリー・フリン | 5:18 羽交い絞め | SWS 「スーパーレッスルin東京ドーム」 | 1991年12月12日 |
勝利 | 高橋和生 | 6:24 アキレス腱固め | 藤原組 「獅子王達の闘い 第2章」 | 1991年10月17日 |
勝利 | マック・ローシュ | 10:59 腕ひしぎ十字固め | 藤原組 「獅子王達の闘い・Ⅰ」 | 1991年9月28日 |
敗北 | ウェイン・シャムロック | 21:03 KO(フルネルソンスープレックス) | 藤原組 「One for All and All for One 藤原組第4章」 | 1991年8月23日 |
敗北 | 藤原喜明 | 12:04 腹固め | 藤原組 「One for All and All for One」 | 1991年7月26日 |
勝利 | ジョニー・バレット | 9:40 腕ひしぎ十字固め | 藤原組 「藤原組第二章」 | 1991年5月16日 |
勝利 | 新倉史裕 | 7:56 腕ひしぎ十字固め | SWS 「宣戦布告 リージョンプラザ上越大会」 | 1991年4月23日 |
勝利 | 佐野直喜 | 23:42 腕ひしぎ十字固め | SWS 「レッスル・ドリームin神戸」 | 1991年4月1日 |
勝利 | 佐野直喜 | 10:23 腕ひしぎ十字固め | SWS 「レッスル・フェストin東京ドーム」 | 1991年3月30日 |
勝利 | バート・ベイル | 17:36 フェースロック | 新UWF藤原組 「旗揚げ戦」 | 1991年3月4日 |
勝利 | ウェイン・シャムロック | 18:04 逆エビ固め | UWF 「U.W.F. ENERGY」 | 1990年12月1日 |
敗北 | 前田日明 | 16:59 裸絞め | UWF 「U.W.F. ATLANTIS」 | 1990年10月25日 |
勝利 | 藤原喜明 | 14:47 KO | UWF 「U.W.F. MOVE」 | 1990年9月13日 |
勝利 | 高田延彦 | 12:18 レフリーストップ | UWF 「U.W.F. CREATE」 | 1990年8月13日 |
勝利 | 宮戸成夫 | 9:46 裸絞め | UWF 「U.W.F. MIND」 | 1990年7月20日 |
勝利 | 山崎一夫 | 11:24 レフリーストップ | UWF 「U.W.F. IDEA」 | 1990年6月21日 |
勝利 | 安生洋二 | 21:14 腕ひしぎ逆十字固め | UWF 「U.W.F. FIGHTING f」 | 1990年5月28日 |
敗北 | 前田日明 | 18:02 片羽絞め | UWF 「U.W.F."THE MEMORIAL"」 | 1990年5月4日 |
勝利 | 鈴木みのる | 8:53 ヒールホールド | UWF 「U.W.F. FIGHTING AREA」 | 1990年4月15日 |
敗北 | 藤原喜明 | 14:15 ヒールホールド | UWF 「U.W.F. FIGHTING BASE」 | 1989年9月7日 |
敗北 | 高田延彦 | 12:00 駱駝固め | UWF 「U.W.F. MID SUMMER CREATION」 | 1989年8月13日 |
勝利 | 中野龍雄 | 9:04 レフリーストップ(逆エビ固め) | UWF 「U.W.F. FIGHTING SQUARE」 | 1989年7月24日 |
敗北 | 安生洋二 | 22:14 逆腕固め | UWF 「U.W.F. FIGHTING SQUARE」 | 1989年6月14日 |
敗北 | ボブ・バックランド | 13:58 反則負け | UWF 「U.W.F. MAY HISTORY 2nd.」 | 1989年5月21日 |
敗北 | 藤原喜明 | 15:36 膝十字固め | UWF 「U.W.F. MAY HISTORY 1st.」 | 1989年5月4日 |
11. 入場テーマ曲
船木が使用した主な入場テーマ曲は以下の通りである。
- Danger Zone
映画『トップガン』の主題歌。デビュー戦や1987年のIWGPジュニア王座決定トーナメントの入場時に使用された。
- ONE
作曲:浅倉成章。WRESTLE-1旗揚げ戦(2013年)より使用された入場曲。現在までCD化はされていない。
- RED ZONE
作曲:石田長生。パンクラス時代からプロレス復帰後(2010年2月)まで使用された入場曲。2000年9月27日には『船木誠勝~RED ZONE 引退記念シングル』が発売されている。
- TO-U(1987)
作曲:鈴木修。新生UWF時代(1990年まで)と2010年3月以降に使用中の入場曲。再度使用し始めたきっかけは、船木いわく「『RED ZONE』がパンクラス時代のイメージ(総合格闘家のイメージ)が強いから、プロレス時代(新日本時代から藤原組時代)の方に戻していきたい」という理由による。また、全日本プロレスのリングアナである木原文人が、プロレスラーの入場曲のレコード・CD収集を趣味にしており、木原が当時の音源を所有していたことに船木は「縁」を感じたという。
- Julie's Final
「AMERICAN ANTHEM」サウンドトラックより。第2次UWF時代、腕の骨折から長期欠場後の復帰戦である1990年4月15日の博多スターレーンでの鈴木みのる戦より使用。その年に山崎、高田、藤原の3強を連破した。UWF解散後も藤原組で使用され、SWSでの佐野直喜との2連戦を経て、1991年夏に藤原喜明とウェイン・シャムロックに2連敗するまで使用した。その後、1992年2月の後楽園ホールでのシャムロック戦で一度だけ復活使用された。以降、藤原組後期からパンクラス時代は親交のある石田長生作曲のオリジナル曲を数曲使用。Julie's Finalは長らく使用されることはなかったが、全日本プロレスで2010年3月に行われた鈴木みのるとの金網マッチの際に再び使用された。当日会場に観戦に来ていた伊藤崇文がすぐに気づいて懐かしがっていたことを、共に観戦していた北岡悟がブログに記載している。