1. 個人情報
鍵谷陽平の個人的な背景には、彼の出身地である北海道七飯町での幼少期の野球経験、学業と野球を両立させた大学時代、そして女優の青谷優衣との結婚がある。また、彼の愛称やグラブの色、アイスホッケー選手との深い交友関係など、多岐にわたる人物像が知られている。
1.1. 出生と生い立ち
鍵谷陽平は1990年9月23日に北海道亀田郡七飯町で生まれた。小学1年生から野球を始め、5年生の時に内野手から投手へ転向した。七飯町立七飯中学校時代は、軟式野球部に所属していた。
1.2. 学歴
野球推薦の話があったことと、野球を続けるなら親に甘えたくないという理由から、札幌市にある北海高等学校に進学した。高校時代は1年時の夏からベンチ入りし、2年時の秋からエースを務めた。3年時の夏には全国高等学校野球選手権南北海道大会を制し、第90回全国高等学校野球選手権記念大会に出場したが、1回戦の東邦高等学校戦で先頭打者本塁打を含む14被安打12失点と打ち込まれ、7回途中で降板し、チームも10-15で敗退した。

高校卒業後は中央大学に進学し、東都大学野球連盟に加盟する野球部に入部した。2年時の春から公式戦に登板し、同年秋には自己最速となる152 km/hを記録したが、同時に右肘の靭帯を損傷し全治4か月の怪我を負った。その後回復し、4年時からは先発としても起用されるようになった。最終的に、リーグ通算37試合に登板し、7勝9敗、防御率1.94の成績を残した。大学の2学年先輩には澤村拓一、遠藤一星が、1学年先輩には井上晴哉が、2学年後輩には島袋洋奨がいた。
1.3. 結婚
2020年1月21日に女優の青谷優衣と結婚した。
1.4. 人物像と人間関係
鍵谷の愛称は「カギ(さん)」である。真面目かつ優しい人柄の持ち主で、チーム内での人望が厚いことで知られている。
大学は特待生での入学ではなかったため、奨学金を借りていた。法学部に所属し、勉強と野球を両立させていた。
理容組合北海道日本ハムファイターズ後援会が球団とコラボレーションして、毎年の最新ヘアデザインのモデルを若手選手の中からファン投票で選出している企画「ファイターズスタイル」の2016年度モデルに選ばれた。
グラブは、北海道に関係のある色にするため富良野のラベンダーをイメージした紫色にし、鍵谷の出身校である北海高校の校章である星のマークを入れていた。これが話題となり、鍵谷といえばラベンダー色(のグラブ)というイメージをファンに根付かせたが、2年目よりグラブ軽量化のため黒色のグラブを使用している。
レッドイーグルス北海道の牛来拓都、元日本製紙クレインズの春田啓和の両アイスホッケー選手・元選手とは北海高校時代からの友人で、プロ/トップリーグ入りした際に3人とも背番号「30」で揃えた。読売ジャイアンツ移籍後もそのシーズン終了時に30に戻してもらうなど、この背番号への愛着は強い。また、この縁で日本ハム時代に日本製紙がクレインズの廃部を表明した際には、クレインズ存続のための2019年3月24日の札幌ドームでの東京ヤクルトスワローズとのオープン戦で、杉谷拳士、斎藤佑樹、秋吉亮、杉浦稔大の協力を取り付けるなど尽力した。この活動が話題を呼び、署名が10万に届いたことでクラブチームとしての存続に大きく貢献している。
七飯中学校の先輩にBリーグ・長崎ヴェルカの野口大介がいる。
2024年12月13日、七飯町民栄誉賞を授与された。
2. プロ経歴
鍵谷陽平のプロ野球選手としてのキャリアは、2012年のドラフト会議での指名から始まった。北海道日本ハムファイターズでデビューし、その後読売ジャイアンツでの活躍を経て、再び古巣の日本ハムに戻り、そのキャリアを終えた。
2.1. ドラフトとプロ入り
2012年10月25日に行われたプロ野球ドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズから3位指名を受けた。同年11月13日には、契約金6000 JPY、年俸900 JPY(金額は推定)で入団に合意した。
この年のドラフト会議では、鍵谷の他に、白崎浩之内野手(駒大、DeNA1位)、佐藤峻一投手(道都大学、オリックス2位)、伏見寅威捕手(東海大学、オリックス3位)、大累進内野手(道都大学、読売2位)と、北海道出身者が計5人指名された。北海道出身者がドラフトで5人指名されたのは史上初であり、全員が即戦力の大学生で、順位も3位以内という快挙であった。
3. 北海道日本ハムファイターズ(第1期)
鍵谷陽平のプロ野球キャリアは、北海道日本ハムファイターズでの第一期から始まった。彼はルーキーイヤーから一軍で登板機会を得て、リリーフ投手としてチームに貢献。キャリアハイを記録するシーズンもあり、チームのリーグ優勝や日本一にも貢献した。

3.1. デビューと初期の活躍(2013-2015年)
2013年、新人ながら大谷翔平とともに開幕一軍入りを果たした。開幕戦となった3月29日の埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム)でプロ初登板・初ホールドを記録した。4月14日のオリックス・バファローズ戦でプロ初勝利を挙げた。これは、日本ハムが北海道移転10年目にして初めての北海道生まれの勝利投手でもあった。最終的に、38試合に登板し、2勝3敗1ホールド5セーブ、防御率3.33を記録した。オフには、700 JPY増の1600 JPYで契約を更改した。
2014年シーズンは21試合に登板し、1勝0敗2ホールド、防御率2.20を記録した。10月16日のパシフィック・リーグクライマックスシリーズファイナルステージの福岡ソフトバンクホークス戦で3番手として登板し、2回を無失点に抑え勝利投手となった。プレーオフ、クライマックスシリーズで勝利投手となったのは、北海道出身選手としては史上初であった。オフには、100 JPY増の推定年俸1700 JPYで契約を更改した。
2015年7月末には不振により一軍登録を抹消された。しかし、9月21日に一軍に昇格すると、22日のソフトバンク戦で同年シーズン3勝目を挙げ、翌日のソフトバンク戦で4勝目を挙げ2試合連続となる勝利投手となった。最終的に、40試合に登板し、5勝3敗15ホールド、防御率4.67を記録した。オフには、500 JPY増の推定年俸2200 JPYで契約を更改した。
3.2. 主要シーズンとトレード(2016-2019年)
2016年は、キャリアハイとなる48試合に登板し、5勝3敗3セーブ3ホールド、防御率4.23を記録してチームのリーグ優勝・日本一に貢献した。オフには、600 JPY増の推定年俸2800 JPYで契約を更改した。
2017年は、チーム順位が5位に沈む中、宮西尚生やクリス・マーティンらと安定した投球を続け、キャリアハイとなる60試合に登板し、2勝3敗1セーブ17ホールド、防御率2.53を記録した。オフには、2200 JPY増の推定年俸5000 JPYで契約を更改した。
2018年は、前年の活躍から石川直也と共に守護神争いが期待されたが、春季キャンプ中の3月16日に「右尺側手根屈筋(前腕内側)の筋挫傷」で離脱した。5月末に一軍復帰してからも不安定な投球が目立ち、28試合の登板にとどまり、0勝0敗2ホールド、防御率4.28を記録した。オフには、700 JPY減の推定年俸4300 JPYで契約を更改した。
2019年、開幕一軍入りを果たし、後述のトレードまで18試合に登板し、0勝0敗1ホールド、防御率5.94を記録した。6月10日に登録を抹消されていた。
2019年6月28日に、藤岡貴裕と共に、宇佐見真吾、吉川光夫とのトレードで読売ジャイアンツに移籍した。これは令和における日本プロ野球 (NPB) 初のトレードとなった。背番号は32となった。
4. 読売ジャイアンツ
読売ジャイアンツへの移籍後、鍵谷陽平はリリーフ投手としてチームのリーグ優勝に貢献し、重要な場面での登板を重ねた。しかし、キャリアの晩年にはコンディション不良や成績の変動に見舞われ、最終的には戦力外通告を受けることとなった。
4.1. 移籍後の活躍(2019-2021年)
読売ジャイアンツ移籍後はリリーフとして27試合に登板し、0勝2敗6ホールド、防御率3.00を記録した。オフには、200 JPY増の推定年俸4500 JPYで契約を更改し、背番号を日本ハム時代と同じ30に変更することが発表された。
2020年、チーム最多の46試合に登板し、3勝1敗13ホールド、防御率2.89とリーグV2に貢献した。しかし、福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズ第2戦ではアルフレド・デスパイネに満塁本塁打を打たれるなどして、チームは4連敗を喫した。オフには、2000 JPY増の推定年俸6500 JPYで契約を更改した。
2021年もチーム最多の59試合に登板し、3勝15ホールド1セーブを記録した。11月7日の阪神タイガースとのCSファーストステージ第2戦では、1点リードした二死満塁のピンチでジェフリー・マルテを三塁ゴロに抑えるなど、CSファイナルステージ進出に貢献した。オフには、1000 JPY増となる推定年俸7500 JPYで契約を更改した。
4.2. 晩年と戦力外通告(2022-2023年)
2022年は、下半身のコンディション不良による調整遅れが影響してか、6月4日に一軍昇格となった。最終的に、21試合に登板し、2勝0敗3ホールド、防御率3.71を記録した。オフには、1200 JPY減となる推定年俸6300 JPYで契約を更改した。
2023年は開幕を一軍で迎え、13試合で2勝0敗1セーブ、防御率3.18を記録したものの、10月13日に戦力外通告を受けた。
5. 北海道日本ハムファイターズ(第2期)
巨人での戦力外通告後、鍵谷陽平は古巣である北海道日本ハムファイターズに育成選手として復帰した。2024年シーズンに支配下登録されたものの、一軍登板の機会はなく、同年限りでの現役引退を発表。引退試合では、彼のキャリアを締めくくる特別な登板を果たした。
5.1. 復帰と現役引退(2024年)
2023年11月19日に、古巣となる北海道日本ハムファイターズと育成選手として契約した。背番号は130となり、推定年俸は1000 JPYであった。
2024年、7月24日までに二軍で13試合に登板し、防御率1.10を記録。宮内春輝、梅林優貴とともに支配下選手契約の締結が発表された。背番号は60となった。しかし、一軍登板の機会はなく、9月5日、球団を通じて同年限りでの現役引退を発表した。9月25日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(エスコンフィールドHOKKAIDO)が引退試合となり、ルーキーイヤー以来11年ぶりに先発登板した。この試合では小郷裕哉を二ゴロ、小深田大翔を遊直に打ち取ったところで降板した。試合後には引退セレモニーが行われ、同期入団の大谷翔平から労いのビデオメッセージも流された。
6. 選手としての特徴
鍵谷陽平は、主にリリーフとして活躍した右腕投手である。彼の投球スタイルは、スリークォーターからの力強いストレートと、切れ味鋭い変化球が特徴である。
6.1. 投球スタイルと球種
スリークォーターから平均球速142 km/h、最速153 km/hのストレートとスライダーが武器であった。その他に、フォーク、ブレーキの効いたパームを投げていた。
プロ入り後は、ルーキー時代の2013年に先発登板が2試合あっただけで、他は全てリリーフ、抑えでの起用となっていたが、引退試合で11年ぶりに先発登板した。
7. 詳細情報
7.1. 年度別成績
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ ー ブ | ホ ー ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ ー ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | WHIP |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013 | 日本ハム | 38 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 1 | 5 | .400 | 231 | 54.0 | 41 | 4 | 33 | 0 | 1 | 42 | 1 | 0 | 21 | 20 | 3.33 | 1.37 |
2014 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1.000 | 119 | 28.2 | 25 | 4 | 10 | 0 | 2 | 27 | 0 | 0 | 9 | 7 | 2.20 | 1.22 | |
2015 | 40 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 3 | 0 | 15 | .625 | 159 | 34.2 | 45 | 3 | 12 | 0 | 1 | 32 | 1 | 0 | 23 | 18 | 4.67 | 1.64 | |
2016 | 48 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 3 | 3 | 3 | .625 | 187 | 44.2 | 37 | 3 | 21 | 1 | 0 | 38 | 4 | 0 | 23 | 21 | 4.23 | 1.30 | |
2017 | 60 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 1 | 17 | .400 | 218 | 57.0 | 33 | 6 | 17 | 0 | 0 | 46 | 0 | 0 | 23 | 16 | 2.53 | 0.88 | |
2018 | 28 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | ---- | 128 | 27.1 | 33 | 2 | 12 | 0 | 1 | 22 | 1 | 0 | 14 | 13 | 4.28 | 1.65 | |
2019 | 18 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | ---- | 77 | 16.2 | 16 | 0 | 12 | 0 | 0 | 16 | 0 | 0 | 11 | 11 | 5.94 | 1.68 | |
巨人 | 27 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 6 | .000 | 117 | 27.0 | 21 | 4 | 18 | 3 | 0 | 11 | 0 | 0 | 11 | 9 | 3.00 | 1.44 | |
'19計 | 45 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 7 | .000 | 194 | 43.2 | 37 | 4 | 30 | 3 | 0 | 27 | 0 | 0 | 22 | 20 | 4.12 | 1.53 | |
2020 | 46 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 13 | .750 | 148 | 37.1 | 25 | 2 | 13 | 1 | 1 | 40 | 0 | 0 | 12 | 12 | 2.89 | 1.02 | |
2021 | 59 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 15 | 1.000 | 182 | 42.1 | 39 | 5 | 18 | 0 | 0 | 30 | 1 | 0 | 19 | 15 | 3.19 | 1.35 | |
2022 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 3 | 1.000 | 74 | 17.0 | 21 | 4 | 5 | 0 | 0 | 9 | 0 | 0 | 8 | 7 | 3.71 | 1.53 | |
2023 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 2 | 1.000 | 48 | 11.1 | 10 | 1 | 5 | 0 | 0 | 11 | 0 | 0 | 4 | 4 | 3.18 | 1.32 | |
2024 | 日本ハム | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 2 | 0.2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.00 |
NPB:12年 | 420 | 3 | 0 | 0 | 0 | 25 | 15 | 7 | 84 | .625 | 1690 | 398.2 | 346 | 38 | 176 | 5 | 6 | 324 | 8 | 0 | 178 | 153 | 3.45 | 1.31 |
- 2024年度シーズン終了時
年 度 | 球 団 | 投手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | ||
2013 | 日本ハム | 38 | 3 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
2014 | 21 | 2 | 4 | 0 | 1 | 1.000 | |
2015 | 40 | 0 | 7 | 0 | 0 | 1.000 | |
2016 | 48 | 4 | 4 | 0 | 1 | 1.000 | |
2017 | 60 | 2 | 7 | 0 | 1 | 1.000 | |
2018 | 28 | 1 | 4 | 0 | 1 | 1.000 | |
2019 | 18 | 1 | 4 | 0 | 0 | 1.000 | |
巨人 | 27 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
'19計 | 45 | 2 | 6 | 0 | 0 | 1.000 | |
2020 | 46 | 2 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | |
2021 | 59 | 3 | 6 | 0 | 0 | 1.000 | |
2022 | 21 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
2023 | 13 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
2024 | 日ハム | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
通算 | 420 | 20 | 45 | 0 | 4 | 1.000 |
- 2024年度シーズン終了時
7.2. 主な記録
鍵谷陽平のプロ野球キャリアにおける主な記録には、初登板、初勝利、初セーブといった節目の記録に加え、特に印象的な「1球セーブ」がある。
- 投手記録
- 初登板・初ホールド:2013年3月29日、対埼玉西武ライオンズ1回戦(西武ドーム)、6回裏二死に3番手で救援登板・完了、1/3回を無失点
- 初奪三振:2013年4月6日、対福岡ソフトバンクホークス2回戦(札幌ドーム)、9回表に今宮健太から空振り三振
- 初勝利:2013年4月14日、対オリックス・バファローズ3回戦(ほっともっとフィールド神戸)、6回裏に3番手で救援登板・完了、2回を無失点
- 初先発登板:2013年5月6日、対埼玉西武ライオンズ9回戦(西武ドーム)、5回1/3を1失点で敗戦投手
- 初セーブ:2013年7月3日、対福岡ソフトバンクホークス10回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、11回裏に7番手で救援登板・完了、1回を無失点
- 打撃記録
- 初打席:2013年5月17日、対横浜DeNAベイスターズ1回戦(横浜スタジアム)、2回表に井納翔一から見逃し三振
- その他の記録
- 1球セーブ:2021年5月22日、対中日ドラゴンズ10回戦(バンテリンドーム ナゴヤ)、9回裏二死から6番手で救援登板、1/3回無失点・完了 ※史上61人目、67度目。球団では2014年西村健太朗以来7年ぶり7人目。
7.3. 受賞歴
- 七飯町民栄誉賞(2024年12月13日)
8. 関連項目
- 北海道出身の人物一覧
- 中央大学の人物一覧
- 北海道日本ハムファイターズの選手一覧
- 読売ジャイアンツの選手一覧