1. 概要
高井雄平(たかい ゆうへい)は、神奈川県川崎市宮前区出身の元プロ野球選手(投手 → 外野手、左投左打)であり、現在はプロ野球コーチを務めている。東京ヤクルトスワローズで2003年から2021年まで18年間プレーしたワン・クラブ・マンであり、キャリアの途中で投手から外野手へと転向し、登録名も本名の「高井雄平」から「雄平」に変更した。現役引退後は、2022年シーズンから東北楽天ゴールデンイーグルスの打撃コーチとして指導者の道を歩んでいる。
2. 生い立ちと背景
高井雄平は、神奈川県川崎市宮前区で生まれ育った。
2.1. 出生地と家族構成
高井雄平は神奈川県川崎市宮前区の出身である。実父と実母はともに中学校の教師を務めていた。兄の高井大輔はアクロバットダンサーや大道芸人として活動している。また、タレントのベッキーは小学校・中学校の1学年先輩にあたり、高井のヤクルト入団が決まった際には、ベッキーから直筆サイン色紙が贈られたというエピソードがある。
2.2. 高校時代の野球キャリア
高井は川崎市立有馬中学校を卒業後、宮城県仙台市にある東北高等学校に進学した。高校時代は「高校ナンバー1の左腕投手」として、日本のプロ野球球団だけでなく、MLBのスカウトからも注目を集めた。東北高校の若生正廣監督は、高井の潜在能力の高さについて、プロ入りした先輩である後藤伸也(投手)と嶋重宣(打者)を引き合いに出し、「投げては後藤伸也以上、打っては嶋重宣以上」と評した。
投手としては最速151 km/hのストレートを計測し、一方で打者としても高校通算36本塁打を記録するなど、投打にわたる非凡な才能を見せていた。2学年下には後にメジャーリーグで活躍するダルビッシュ有がいた。
2.3. プロ入り
2002年のNPBドラフト会議において、投手として大阪近鉄バファローズとヤクルトスワローズから1巡目で指名された。抽選の結果、ヤクルトが独占交渉権を獲得し、契約金1.00 億 JPY、年俸1200.00 万 JPY(金額は推定)で入団契約を締結した。入団当初の背番号は16で、登録名には本名の高井雄平が用いられた。
3. プロ野球選手としての経歴
高井雄平はプロ入り後、投手としてキャリアをスタートさせたが、後に外野手へと転向し、その才能を開花させた。
3.1. 投手時代
2003年、高井は東京ヤクルトスワローズに入団。同年4月22日の読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で一軍公式戦にデビューし、6月11日の同カードで一軍初勝利を挙げた。6月28日の広島東洋カープ戦(広島市民球場)では、5回4失点ながら10奪三振を記録し勝利投手となった。このシーズンは27試合に登板し5勝6敗、防御率5.03を記録したが、セントラル・リーグ最多の12暴投を記録するなど、制球難が課題として浮上した。
2004年はシーズン前半を二軍で過ごし、一軍登板は9試合にとどまったが、後半に一軍昇格後は先発で4勝を挙げた。2005年には初めて開幕を一軍で迎え、先発ローテーションの一角を担う。4月3日の阪神タイガース戦(大阪ドーム)では、3回表の初打席で能見篤史からプロ初本塁打を放ったが、その直後に打ち込まれ敗戦投手となった。与四死球の多さが響き、6月には二軍降格となった。
2006年、背番号を22に変更。これは、MLBのロサンゼルス・ドジャースから復帰した石井一久が以前着用していた背番号16を希望したためである。この年は主に救援投手として36試合に登板したが、防御率は自己ワーストの6.51に達した。6月17日の千葉ロッテマリーンズ戦では、福浦和也の側頭部に投球が直撃し、危険球と判定されわずか1球で退場処分を受けた。10月12日の横浜ベイスターズ戦(明治神宮野球場)では、1イニング3暴投のNPB一軍公式戦最多タイ記録を達成し、無安打で走者を生還させる場面もあった。
2007年には、高津臣吾が背番号22に変更したことに伴い、自身の背番号を41に変更。制球力向上のため、投球フォームをノーワインドアップからセットポジションに変更した。この年は救援陣で唯一の左投手として、自身最多の52試合に登板。7月16日の中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で一軍初セーブを記録し、15ホールドポイント(3救援勝利12ホールド)を挙げたが、防御率は5.19と高く、シーズン終盤には一軍から遠ざかった。
2008年、新任監督の高田繁の方針で先発調整を再開。増渕竜義、由規、加藤幹典らと先発ローテーション入りを争ったが、制球難を克服できず、ストレートの球速も140 km/hを下回るなど不調に陥った。一軍登板はわずか1試合(2/3イニング)に終わり、シーズン終盤には鬼崎裕司と共にハワイ・ウィンターリーグへ派遣された。
2009年も投球フォームを大幅に改造したが、一軍登板は前年と同じく1試合にとどまった。イースタン・リーグでも振るわなかったため、9月30日にはフェニックスリーグからの野手転向を打診された。高井は一度は了承したものの、後にサイドスローへの転向による投手継続を直訴した。しかし、シーズン終了後の秋季キャンプからは、野手としての練習を本格的に開始した。
3.2. 外野手時代
2010年、一軍公式戦への出場機会はなかったが、イースタン・リーグの公式戦で規定打席に到達し、打率.283、4本塁打、35打点を記録した。
2011年、登録名を本名の「高井雄平」から名前のみの「雄平」に変更した。イースタン・リーグでは開幕から7月中旬までに打率.348、5本塁打、24打点と好成績を残し、打率トップを維持したことで、オールスターゲーム直前の7月11日に野手として初めて出場選手登録された。一軍公式戦での野手デビューには至らなかったものの、イースタン・リーグ公式戦では規定打席到達打者でトップの打率.330を記録した。
2012年、野手として初めて開幕を一軍で迎え、読売ジャイアンツとの開幕カード第2戦(東京ドーム)に代打で出場し、野手転向後の一軍初安打を記録した。5月に一度出場選手登録を抹消されたが、9月に一軍へ再昇格すると、シーズン終了まで「1番・中堅手」に定着した。
2013年3月30日の阪神タイガース戦(明治神宮野球場)では、藤浪晋太郎から6回裏の打席で野手転向後初となる本塁打(自身8年ぶり)を放つなど、開幕から外野手のレギュラーとして一軍で活躍した。しかし、4月17日の中日ドラゴンズ戦(神宮)で外野守備中にジャンピングキャッチ後の着地で右膝を負傷し、右膝前十字靱帯断裂と診断されたため、5月10日に靱帯再建手術を受け、残りのシーズンをリハビリに費やした。
2014年、開幕から一軍に復帰。当初は「2番・中堅手」として起用されたが、打線の組み替えによりすぐに5番打者へ定着した。4月終了時点では打率.224と低調だったが、外野手出身の小川淳司監督からの助言をきっかけにフルスイングを心掛けたことで徐々に復調。5月28日の北海道日本ハムファイターズ戦(神宮)では、先発登板した大谷翔平から2本塁打を放ち、シーズンの通算本塁打数が自身初の2桁(10本)に到達した。同年5月は打率.364、8本塁打、19打点、長打率.646という好成績で、自身初の月間MVP(野手部門)を受賞した。投手として同リーグの一軍公式戦へ登板した後に野手へ転向した選手の受賞は、1993年9月の仁村徹(中日)以来2人目であった。7月には、故障で離脱したウラディミール・バレンティンに代わって4番を務めたほか、セントラル・リーグの監督推薦選手としてオールスターゲームにプロ入り後初めて出場した。一軍公式戦全体では141試合に出場し、打率.316、23本塁打を記録。外野手として、セ・リーグのベストナインにも初めて選出された。シーズンオフの契約交渉では、2度の交渉を経て、この年のNPBで最高の昇給率(380%)となる年俸6000.00 万 JPY(推定)で契約を更改した。
2015年、オープン戦期間中に開催された「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」で、野球日本代表のトップチームに初めて招集された。3月10日の第1戦に「7番・中堅手」で先発出場し、3月11日の第2戦には途中出場した。レギュラーシーズンでは「4番・中堅手」として開幕を迎えたが、後に4番を外れるなどシーズン全体の成績は低調で、打率(.316→.270)、本塁打(23→8)、打点(90→60)のいずれも前年を大きく下回った。しかし、10月2日の阪神タイガース戦(神宮)では、同点で迎えた11回裏二死一・三塁の打席で能見篤史から安打を記録。この適時打によるサヨナラ勝利で、チームは14年ぶり7度目のセ・リーグ優勝を決めた。ポストシーズンでは、クライマックス・シリーズ4試合で打率.333を記録するなど打撃が好調で、チームの日本シリーズ進出に貢献した。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでも5試合に出場したが、打率は.150と振るわず、チームもシリーズ制覇を逸した。同年7月16日には、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出されたことが発表されたが、最終選考には残らなかったため本大会には出場していない。
また、この年の7月20日の横浜DeNAベイスターズ戦で、7回先頭打者のアーロム・バルディリスが放った左翼線際のフライを二塁手の山田哲人が落球し、追いついた雄平はそのままフェア判定を受けたことに気づかずファウルと勘違いして観客に向かってエキサイティングシートに投げ込んだ。同日には、北海道日本ハムファイターズでも西川遥輝がアウトカウントを間違えて客席に投げ入れる珍プレーが記録されており、同じ日にNPBの公式戦で勘違いによるボールの客席への投げ込みが2つ記録された事例は前例がない。
2016年、一軍公式戦の開幕を「5番・右翼手」として迎えたが、左側腹部筋挫傷で7月27日に出場選手登録を抹消された。9月上旬から一軍へ復帰したものの、セ・リーグの規定打席には若干及ばず、打率3割にもわずかに届かなかった。
2017年、一軍公式戦の開幕から40試合で4番打者を任されるほど好調だった。しかし、6月28日の読売ジャイアンツ戦(福島県営あづま球場)の打席でファウルを放った際に、右手の有鈎骨を骨折した。チームのシーズン最終戦で一軍公式戦へ復帰したが、一軍公式戦への出場は71試合、本塁打は2本にとどまった。打席数もセ・リーグの規定打席を大幅に下回ったが、3シーズンぶりに打率3割(.306)を記録している。
2018年、MLBへ移籍していた青木宣親が8シーズンぶりにチームへ復帰。春季キャンプ中には、青木を中堅手として起用することを前提に、前年の正中堅手・坂口智隆と並んで一塁手へのコンバート候補に挙げられていた。レギュラーシーズンでは「5番・右翼手」の座を堅持し、左投手の先発が予告された試合にスタメンを外れながらも、一軍公式戦には124試合に出場し、3年ぶりにセ・リーグの規定打席へ到達した。さらに、4年ぶりの2桁本塁打(11本)と自己最高の打率.318を記録。得点圏打率もリーグ2位の.356に達した。シーズン終了後の契約更改では、入団16年目(打者転向9年目)で初めて年俸1.00 億 JPYで更改した。投手としてNPBの球団に入った選手の年俸が、野手転向後に1億円に達した事例は、石井琢朗、福浦和也、糸井嘉男に次いで雄平が4人目である。
2019年は6月、7月にスタメンから外れる試合もあったが、131試合に出場し、打率.273、12本塁打、56打点を記録。年俸は現状維持の1.00 億 JPYでサインした。また、雄平と自主トレをする「雄平組」というチームを結成したことを明かし、メンバーには雄平の他に大村孟、松本直樹、太田賢吾、渡邉大樹、松本友の5人がいた。
2020年は43試合の出場にとどまり、年俸は2500万円減となる7500.00 万 JPYでサインした。
2021年は一軍出場がないまま、9月29日に現役引退を発表した。引退に際して雄平は球団関係者、ファン、家族への感謝の気持ちを表し、思い出の打席として2015年10月2日の阪神戦でリーグ優勝を決めたサヨナラ安打を挙げた。明治神宮野球場で行われた11月1日のシーズン最終戦(対広島)が引退試合となり、5回裏終了時には雄平の引退セレモニーが行われた。6回表から右翼手として途中出場し、7回裏の第一打席では森浦大輔から左前安打を記録。8回裏の最終打席は島内颯太郎と対戦し二ゴロに終わった。試合後には5度胴上げされた。
3.3. 主な達成記録と受賞歴
高井雄平がプロ野球選手として達成した主な記録、受賞歴、およびオールスターゲーム出場歴は以下の通りである。
- ベストナイン:1回(外野手部門:2014年)
- 月間MVP:1回(野手部門:2014年5月)
- スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞年間大賞:1回(2015年)
; 初記録
;; 投手記録
- 初登板:2003年4月22日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム)、8回裏に4番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、8回裏に斉藤宜之から空振り三振
- 初先発:2003年5月1日、対横浜ベイスターズ6回戦(明治神宮野球場)、3回5失点で敗戦投手
- 初勝利:2003年6月11日、対読売ジャイアンツ12回戦(東京ドーム)、4回裏に2番手で救援登板、3回無失点
- 初先発勝利:2003年6月28日、対広島東洋カープ14回戦(広島市民球場)、5回4失点
- 初完投:2005年5月27日、対北海道日本ハムファイターズ4回戦(札幌ドーム)、8回6失点で敗戦投手
- 初ホールド:2006年4月1日、対阪神タイガース2回戦(明治神宮野球場)、8回表に3番手で救援登板、1回1/3を無失点
- 初セーブ:2007年7月16日、対中日ドラゴンズ12回戦(ナゴヤドーム)、9回裏二死に5番手で救援登板・完了、1/3回無失点
;; 打撃記録
- 初打席:2003年4月24日、対読売ジャイアンツ5回戦(東京ドーム)、5回表にマシュー・ランデルから左邪飛
- 初安打・初打点:2003年5月7日、対読売ジャイアンツ7回戦(明治神宮野球場)、4回裏に高橋尚成から右中間へ3点適時二塁打
- 初本塁打:2005年4月3日、対阪神タイガース3回戦(大阪ドーム)、3回表に能見篤史から中越ソロ
- 初盗塁:2012年5月16日、対福岡ソフトバンクホークス1回戦(明治神宮野球場)、2回裏一死に二盗(投手:山田大樹、捕手:山崎勝己)
; その他の記録
- 1試合4二塁打:2017年5月7日、対横浜DeNAベイスターズ9回戦(横浜スタジアム)※史上12人目
- 一軍通算10勝以上でシーズン20本塁打(2014年)※藤村富美男以来59年ぶり4人目
- オールスターゲーム出場:2回(2014年 - 2015年)
4. 選手としての特徴
高井雄平は、投手時代には速球派として鳴らし、野手転向後は非凡な打撃センスと俊足強肩を武器に活躍した。
投手時代には、左腕から最速154 km/hのストレートを計測する速球派投手であった。スライダー、カーブ、フォークといった変化球も投げていた。しかし、プロ入り後は制球難に悩まされ、一軍公式戦での登板試合では、1試合平均の与四球率が5.0を上回ったほか、死球・暴投・悪送球を連発することが多かった。高井自身は打者転向後に「プロに入って驚いたのが、ストライクゾーン(が極端に狭くなったように感じられること)」と述懐している。投手時代の晩年には、ストレートの球速が落ち、得意のスライダーも思うように曲がらなくなるなど、投球の感覚が鈍っていたという。
野手としての能力も非常に高く、プロ入り後も投手時代に公式戦で本塁打を放つほど、非凡な打撃センスを持ち合わせていた。2009年のフェニックスリーグには投手登録のまま外野手として出場し、リーグ閉幕後の秋季キャンプから正式に外野手へ転向した。しかし、7年間のブランクは想像以上に大きく、転向当初は「ど真ん中(のストレート)を普通に振っているのに(バットに)当たらなかったので、とにかく(練習でバットを)振りまくった」と語っている。
ヤクルトで野手転向4年目の2012年には、外野手登録のまま救援投手にも起用する「二刀流」の構想が一部で報じられた。当時の小川淳司監督から「二刀流」での起用を打診されたこともあったが、高井は「野手としてのプレーに専念したい」との理由で打診を固辞したため、転向後の公式戦に投手で起用されたことはない。
手動計測ながら、50m走で最速5.8 sを記録するなど俊足の持ち主でもある。守備面では、元投手らしい強肩を武器とした守備を披露する。
背番号については、結果的に野村克也・若松勉の両監督時代の功労者である石井一久(16番)、高津臣吾(22番)、稲葉篤紀(41番)の3人の背番号を着用した経験がある。
5. コーチとしての経歴
高井雄平は2021年の現役引退後、指導者の道に進んだ。
2021年11月8日、2022年シーズンからは東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍打撃コーチを務めることが発表された。背番号は84。2023年には一軍打撃コーチに昇格したが、5月25日時点でリーグワーストとなるチーム打率.209や121得点と打撃陣が低迷したため、5月26日に今江敏晃と入れ替わる形で二軍打撃コーチに配置転換された。
6. 成績
高井雄平のプロ選手としてのシーズンごとの打撃、投手、守備の記録データは以下の通りである。
6.1. 年度別打撃成績
年度 | 所属 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 2塁打 | 3塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗塁死 | 犠牲バント | 犠牲フライ | 四球 | 故意四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 | 長打率 | OPS |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2003 | ヤクルト | 30 | 35 | 30 | 2 | 6 | 2 | 0 | 0 | 8 | 4 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 15 | 1 | .200 | .200 | .267 | .467 |
2004 | 10 | 17 | 16 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | .313 | .313 | .313 | .626 | |
2005 | 18 | 18 | 13 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 | 5 | 2 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 9 | 1 | .154 | .214 | .385 | .599 | |
2006 | 36 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2007 | 52 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2008 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
2009 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
2012 | 47 | 153 | 143 | 14 | 40 | 4 | 0 | 0 | 44 | 8 | 2 | 3 | 3 | 0 | 7 | 0 | 0 | 19 | 0 | .280 | .313 | .308 | .621 | |
2013 | 13 | 43 | 37 | 6 | 11 | 4 | 1 | 2 | 23 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 10 | 0 | .297 | .395 | .622 | 1.017 | |
2014 | 141 | 597 | 547 | 97 | 173 | 28 | 3 | 23 | 276 | 90 | 10 | 2 | 1 | 0 | 48 | 0 | 1 | 103 | 11 | .316 | .372 | .505 | .877 | |
2015 | 141 | 585 | 551 | 57 | 149 | 33 | 4 | 8 | 214 | 60 | 7 | 4 | 1 | 3 | 27 | 1 | 3 | 82 | 7 | .270 | .307 | .388 | .695 | |
2016 | 108 | 436 | 412 | 44 | 122 | 20 | 0 | 7 | 163 | 55 | 7 | 1 | 1 | 2 | 21 | 2 | 0 | 51 | 9 | .296 | .329 | .396 | .724 | |
2017 | 71 | 300 | 281 | 29 | 86 | 21 | 0 | 2 | 113 | 32 | 2 | 3 | 0 | 2 | 12 | 0 | 5 | 42 | 5 | .306 | .343 | .402 | .745 | |
2018 | 125 | 482 | 446 | 50 | 142 | 19 | 1 | 11 | 196 | 67 | 6 | 1 | 0 | 2 | 33 | 5 | 1 | 62 | 13 | .318 | .365 | .439 | .804 | |
2019 | 131 | 493 | 447 | 55 | 122 | 19 | 0 | 12 | 177 | 56 | 4 | 3 | 1 | 6 | 37 | 4 | 2 | 71 | 4 | .273 | .327 | .396 | .723 | |
2020 | 43 | 113 | 103 | 6 | 23 | 4 | 0 | 0 | 27 | 9 | 3 | 0 | 0 | 3 | 6 | 0 | 1 | 23 | 2 | .223 | .265 | .262 | .528 | |
2021 | 1 | 2 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .500 | .500 | .500 | 1.000 | |
通算:19年 | 969 | 3277 | 3030 | 362 | 882 | 154 | 9 | 66 | 1252 | 386 | 41 | 17 | 18 | 18 | 198 | 12 | 13 | 494 | 53 | .291 | .335 | .413 | .748 |
6.2. 年度別投手成績
年度 | 所属 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 無四球 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 打者 | イニング | 被安打 | 被本塁打 | 四球 | 故意四球 | 死球 | 奪三振 | 暴投 | ボーク | 失点 | 自責点 | 平均自責点 | WHIP |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2003 | ヤクルト | 27 | 17 | 0 | 0 | 0 | 5 | 6 | 0 | -- | .455 | 458 | 102.0 | 99 | 14 | 56 | 2 | 7 | 80 | 12 | 0 | 62 | 57 | 5.03 | 1.52 |
2004 | 9 | 8 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 0 | -- | .667 | 223 | 49.0 | 48 | 7 | 29 | 1 | 3 | 54 | 8 | 0 | 26 | 24 | 4.41 | 1.57 | |
2005 | 18 | 11 | 1 | 0 | 0 | 4 | 4 | 0 | 0 | .500 | 330 | 73.2 | 70 | 7 | 42 | 1 | 2 | 74 | 8 | 0 | 37 | 37 | 4.52 | 1.52 | |
2006 | 36 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 5 | .667 | 143 | 27.2 | 29 | 3 | 21 | 0 | 4 | 27 | 8 | 0 | 27 | 20 | 6.51 | 1.81 | |
2007 | 52 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 6 | 1 | 12 | .333 | 188 | 43.1 | 39 | 3 | 24 | 3 | 0 | 30 | 3 | 0 | 26 | 25 | 5.19 | 1.45 | |
2008 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 5 | 0.2 | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 13.50 | 4.50 | |
2009 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 4 | 1.0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.00 | |
通算:7年 | 144 | 37 | 1 | 0 | 0 | 18 | 19 | 1 | 17 | .486 | 1351 | 297.1 | 287 | 35 | 174 | 7 | 16 | 265 | 39 | 0 | 179 | 164 | 4.96 | 1.55 |
- 各年度の太字はリーグ最高
6.3. 年度別守備成績
年度 | 球団 | 投手 | 外野 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | ||
2003 | ヤクルト | 27 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | - | |||||
2004 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | - | ||||||
2005 | 18 | 5 | 7 | 0 | 0 | 1.000 | - | ||||||
2006 | 36 | 2 | 7 | 3 | 0 | .750 | - | ||||||
2007 | 52 | 3 | 8 | 0 | 0 | 1.000 | - | ||||||
2008 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | - | ||||||
2009 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | - | ||||||
2012 | - | 39 | 77 | 4 | 1 | 3 | .988 | ||||||
2013 | - | 11 | 18 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||
2014 | - | 139 | 316 | 3 | 7 | 1 | .979 | ||||||
2015 | - | 140 | 254 | 8 | 3 | 2 | .989 | ||||||
2016 | - | 104 | 192 | 7 | 2 | 2 | .990 | ||||||
2017 | - | 69 | 104 | 3 | 2 | 0 | .982 | ||||||
2018 | - | 120 | 175 | 4 | 4 | 1 | .978 | ||||||
2019 | - | 118 | 198 | 2 | 2 | 1 | .990 | ||||||
2020 | - | 30 | 52 | 1 | 1 | 0 | .981 | ||||||
2021 | - | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | ||||||
通算 | 144 | 10 | 22 | 3 | 0 | .914 | 771 | 1386 | 32 | 22 | 10 | .985 |
- 各年度の太字はリーグ最高
7. 人物像と人間関係
高井雄平の家族構成や、学生時代からの交友関係、そして選手としての応援歌に関するエピソードは以下の通りである。
高井の実父と実母はともに中学校の教師を務めていた。兄の高井大輔はアクロバットダンサーや大道芸人として活動している。また、タレントのベッキーは高井の小学校・中学校の1学年先輩にあたり、高井のヤクルト入団が決まった際には、ベッキーから直筆サイン色紙が贈られたという縁がある。
音楽グループBREATHEの宮田悟志とは、中学生時代に所属していたリトルリーグのチームメイトであり、高井と同様に神奈川県内から東北高等学校へ進学した。このような縁から、ヤクルト入団後の2014年にはBREATHEの楽曲『Tomorrows』を登場曲に採用していた。
2015年までの応援歌の歌詞は「高き理想を目指して 熱き血潮を井(わかし)て 君よ雄々しく羽ばたけ 地平の彼方」と、カギ括弧内を合わせると「高」「井」「雄」「平」と読めるように作られていた。なお、この応援歌の原曲は桃太郎電鉄シリーズのサイコロ行進曲(桃鉄15版)であった。
8. 外部リンク
- [http://bis.npb.or.jp/eng/players/01005117.html NPB.com]
- [http://npb.jp/bis/players/01005117.html 日本野球機構]
- [https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=takai-001yuh Baseball-Reference.com]
- [https://ameblo.jp/yuheitakai/ 雄平 - Ameba Blog]
- [https://www.youtube.com/channel/UCK126LpXMuLmAHfbWQpU3iA 雄平【ヤキュウマンちゃんねる】]