1. 概要

エサペッカ・ラッピ (Esapekka Lappiˈesɑˌpekːɑ ˈlɑpːiフィンランド語) は、1991年1月17日にフィンランドのピエクサマキで生まれたフィンランドのラリードライバーです。彼は2012年のフィンランドラリー選手権、2014年のヨーロッパラリー選手権(ERC)、そして2016年のWRC-2選手権でそれぞれチャンピオンに輝きました。現在はヒョンデ・シェル・モービスWRTに所属しており、WRCに参戦しています。
2024年のラリー・スウェーデンで、ラッピは自身のWRCキャリアで2度目の優勝を飾りました。これは、2017年の母国イベントであるラリー・フィンランドでの初優勝から、期間にして6年204日ぶり、出走ラリー数では81戦ぶりという、WRC史上最長の勝利間隔記録を更新するものでした。彼は様々なメーカーのチームを渡り歩き、その環境適応能力と堅実な走りでラリー界に影響を与え続けています。
2. 生い立ちと初期の経歴
エサペッカ・ラッピは幼少期からモータースポーツに親しみ、ラリードライバーとしてのキャリアを築き始めました。
2.1. 幼少期とアマチュア時代
ラッピは6歳の頃からレーシングカートに乗り始め、当初はF1ドライバーを目指していました。2007年にはカートのフィンランド選手権を制覇するなど才能を見せましたが、ジュニア・フォーミュラへとステップアップするための資金が不足していたため、ラリー競技へと転向することを決意しました。
2009年にはホンダ・シビックタイプRを駆って本格的にラリーに参戦を開始。2011年からは長年にわたるコ・ドライバーであるヤンネ・フェルムとコンビを組み、シトロエン・C2 R2でラリー・フィンランドに出場し、WRCデビューを果たしました。この年末に、後にアンドレアス・ミケルセンやポンタス・ティデマンドといった著名なドライバーを輩出することになるノルウェーのスポーツマネジメント会社「イーブン・マネージメント」と契約したことが、彼のキャリアにおける大きな転機となります。
2.2. プロ経歴の始まりとフィンランド選手権 (2011年 - 2012年)
2012年、ラッピはフォード・フィエスタ S2000を駆り、フィンランド国内ラリー選手権の全7戦で優勝という圧倒的な成績を収め、チャンピオンに輝きました。この年のラリー・フィンランドにはフォード・フィエスタ S2000で、ラリー・ドイチュラントにはシトロエンC2 R2でスポット参戦しました。
同年10月には、チェコ共和国の名門シュコダ・モータースポーツと契約しました。そして、シュコダ・ファビア S2000を駆って出場した同年のERC(ヨーロッパラリー選手権)ラリー・ポーランドでは、デビュー戦ながら見事優勝を飾りました。
3. プロラリー経歴
エサペッカ・ラッピのプロとしてのラリー経歴は、複数の著名なワークスチームを渡り歩き、様々な環境でその才能を発揮してきました。
3.1. シュコダ・モータースポーツ時代 (2013年 - 2016年)

2013年、ラッピはシュコダのワークスドライバーとしてシュコダ・ファビア S2000を駆り、国際舞台での活動を本格化させました。アジアパシフィックラリー選手権(APRC)にはチームMRFからフル参戦し、6戦中3勝を挙げて、チームメイトのガウラブ・ギルに次ぐ年間総合2位を獲得しました。この年、彼は第5戦ラリー北海道に出場するため来日しています。
ERCとWRC-2にもシュコダ・モータースポーツからスポット参戦し、ERCでは3度のターマックラリーに出場し、最終戦のラリー・アンテルナショナル・デュ・ヴァレーで優勝を飾るなど、年間総合5位の成績を収めました。WRC-2では3つのラリーに出場し、ラリー・デ・ポルトガルで勝利を挙げただけでなく、WRC総合で10位に入り、キャリア初のWRCポイントを獲得しました。
2014年にはERCにフル参戦し、ラトビア、北アイルランド、スイスでの優勝を含む8戦中3勝を挙げ、ERCチャンピオンシップタイトルを獲得しました。
2015年からはマシンを新たなシュコダ・ファビア R5に変更し、WRC-2選手権に参戦を継続しました。ラリー・ポーランドとラリー・フィンランドで2勝を挙げ、ナセル・アルアティヤとユーリ・プロタソフに次ぐ年間総合3位でシーズンを終えました。この年のラリー・フィンランドではWRC総合で8位に入り、自身のキャリアにおけるWRC最高成績を更新しました。
2016年は再びWRC-2に参戦し、シーズン序盤の不振から後半にかけて調子を上げ、ラリー・フィンランド、ドイツ、イギリス、そして最終戦のオーストラリアで4連勝を達成し、見事逆転でWRC-2チャンピオンの座を射止めました。
3.2. トヨタ・ガズー・レーシング時代 (2017年 - 2018年)
2017年、ラッピは4年半在籍したシュコダを離れ、19年ぶりにWRCに復帰するトヨタ・ガズー・レーシングと契約しました。彼はチームのテストドライバーとして活動しながら、WRC第6戦ラリー・デ・ポルトガルからサードドライバーとしてトヨタ・ヤリスWRCを駆って参戦を開始しました。
WRカーでの参戦2戦目となるラリー・イタリア・サルディニアでは、パワーステージを含め6つのスペシャルステージで勝利を記録し、最終的に総合4位でフィニッシュしました。そして、WRカーでの参戦わずか4戦目、母国で開催されたラリー・フィンランドで、彼はキャリア初となるWRC優勝を飾るという衝撃的なデビューを飾りました。これは、首位を争っていたチームメイトのヤリ=マティ・ラトバラのマシントラブルによる決着ではありましたが、彼のスピードとポテンシャルを強く印象付けました。
2018年も引き続きトヨタから参戦し、初のWRCフル参戦シーズンとなりました。この年は優勝こそなかったものの、3度の3位表彰台を獲得するなど安定した成績を残し、チームメイトのオィット・タナックとラトバラに次ぐ年間総合5位に入りました。この活躍は、トヨタがWRC復帰2年目にしてマニュファクチャラーズタイトルを獲得する上で大きな貢献となりました。しかし、経験豊富なチームメイトたちと比較して新パーツの優先度が低いことへのわずかな不満や、将来のキャリアに対する不安を感じていた彼は、シトロエンからの熱心なオファーを受け、トヨタを離れることを決意しました。彼はシトロエンを解雇されたクリス・ミークと入れ替わる形でシトロエンへ移籍することになりました。
3.3. シトロエン・トタル・ワールドラリーチーム (2019年)

2019年、ラッピは6年連続WRCチャンピオンのセバスチャン・オジェのチームメイトとしてシトロエン・トタルWRTに加入しました。フィンランド人ドライバーがシトロエンに移籍するのは、ミッコ・ヒルボネン以来の出来事でした。
開幕後の第2戦ラリー・スウェーデンで2位に入り、移籍後初の表彰台を獲得しました。しかし、スウェーデン以降はなかなか結果を残すことができず、第5戦ラリー・アルゼンチンでのクラッシュや、第7戦ラリー・デ・ポルトガルでの転倒など、一時的にスランプに陥りました。チームはシーズン後半に向けてシトロエン・C3 WRCにアップデートを投入。これが功を奏し、第9戦ラリー・フィンランドでは前年までのチームメイトであったタナックと互角のスピードを見せ、2位表彰台を獲得しました。第11戦ラリー・オブ・ターキーでは、チームメイトのオジェを凌ぐ速さで初日を首位で快走し、最終的にはオジェに優勝を譲ったものの、自身は今季3度目の2位に入り、シトロエンに4年ぶりのワンツーフィニッシュをもたらしました。
しかし、トヨタに所属していた前年と比べて安定感に欠け、ポイントを取りこぼす場面も多く、年間ランキングは前年を下回る10位に終わりました。シーズン終了後、オジェがトヨタへ移籍したことに伴い、シトロエンは2020年からのWRC撤退を発表。ラッピは一時的にシートを失うことになりましたが、その後すぐにMスポーツと交渉し、2020年シーズンは同チームから参戦することが決定しました。
3.4. Mスポーツ・フォード・ワールドラリーチーム (2020年)

2020年、ラッピはカート時代からの友人であり同郷のテーム・スニネンをチームメイトに迎え、Mスポーツ・フォードWRTからフォード・フィエスタWRCを駆ってシーズン全戦に参戦しました。開幕戦ラリー・モンテカルロでは、序盤のエンジントラブルで出遅れたものの、その後は本来の速さを取り戻し、最終的に4位でフィニッシュしました。続くラリー・スウェーデンでも5位に入り、チーム力を考慮すればまずまずのスタートを切りました。しかし、ラリー・メキシコ終了後に新型コロナウイルス感染症のパンデミックによりシーズンが中断・再編され、全7戦へと短縮されることになりました。
シーズン再開後はしばらく精彩を欠き、苦戦を強いられました。しかし、最終戦のモンツァでは、初日にタイヤ選択が的中し一時的に首位を快走しました。第2レグでは難しい路面コンディションに苦しめられ優勝争いからは脱落しましたが、その後は堅実に走り切り、開幕戦以来となる4位を獲得しました。この年はWRカーで参戦して以来初めて表彰台ゼロのシーズンとなりましたが、メキシコで表彰台を獲得したスニネンを上回る年間ランキング6位でシーズンを終えました。しかしシーズン終了後、フランス出身の若手ドライバーであるアドリアン・フルモーの加入が決定し、スニネンがチームに残留することになったため、ラッピは再びWRカーのレギュラーシートを失うことになりました。
3.5. プライベーター参戦とトヨタへの復帰 (2021年 - 2022年)

2021年、ラッピはモヴィスポーツからWRC-2選手権にスポット参戦し、アークティック・ラリーとラリー・デ・ポルトガルでフォルクスワーゲン・ポロ GTI R5を駆って優勝するなど、ワークスチームと同等のペースを発揮しました。母国ラリー・フィンランドでは、トヨタからヤリスWRCをレンタルして参戦し、総合4位の好成績を収めました。
ラリー1規定が導入された2022年シーズン、ラッピはトヨタ・ガズー・レーシングへの復帰が発表されました。彼はトヨタ・GRヤリス ラリー1の3台目を、かつてのシトロエン時代のチームメイトであるセバスチャン・オジェと共有する形で参戦しました。ホームイベントである北欧のラウンドで強さを見せ、ラリー・スウェーデンとラリー・フィンランドでそれぞれ3位表彰台を獲得しました。また、ターマックイベントであるイープル・ラリーでも3位表彰台を獲得するなど、多方面での活躍を見せ、チームのマニュファクチャラーズ選手権2連覇に貢献しました。この結果からトヨタ残留がほぼ確実視されていましたが、レギュラーシートを強く望んでいたラッピは、オィット・タナックが離脱したヒョンデ陣営からオファーを受け、翌シーズンはヒョンデからのフル参戦が発表されました。これにより、ラッピは2010年代以降では珍しい(他にはオジェのみ)4つの異なるマニュファクチャラーからWRカーのフル参戦を経験したドライバーとなりました。
3.6. ヒョンデ・シェル・モービス・ワールドラリーチーム (2023年 - 現在)
2023年、ラッピはヒョンデ・シェル・モービスWRTから3年ぶりにフル参戦を果たしました。開幕戦は8位と精彩を欠き、第2戦ラリー・スウェーデンでは3位につけていたものの、SS13でスノーバンクにスタックし7位に後退しました。第3戦ラリー・メキシコでは初日に前年チームメイトだったオジェを抑えてトップを快走しましたが、2日目のSS11でクラッシュしリタイアに終わりました。
しかし、同じヒョンデのチームメイトであったクレイグ・ブリーンが事故死した直後の第4戦ラリー・クロアチアで、移籍後初の3位表彰台を獲得しました。続くラリー・デ・ポルトガルでも3位表彰台を獲得。第5戦ラリー・イタリア・サルディニアでは、2日目のSS10までオジェと激しいトップ争いを繰り広げ、移籍後初優勝が期待されましたが、SS11でオジェが脱落したと知ると、チャンピオンシップの可能性を秘めるチームメイトのティエリー・ヌービルにトップを譲り、自身は2位でフィニッシュし、チームのワンツーフィニッシュに貢献しました。第7戦ラリー・エストニアでは終盤にチームメイトのヌービルと2位争いを展開するも届かず3位に終わりました。その後はラリー・フィンランド、ラリー・チリ、セントラル・ヨーロッパ・ラリーではクラッシュによりリタイア。アクロポリス・ラリーで5位、ラリー・ジャパンではポディウムを独占したトヨタに次ぐ4位に入りました。この年、ラッピはヌービルと共にチームのダブルエースとして期待されましたが、ヌービルがほとんどのラリーで表彰台を獲得したのとは対照的に、ラッピは安定感に欠け、マニュファクチャラーズ選手権でトヨタに差をつけられる要因となってしまいました。年間ランキングは6位でシーズンを終えました。
2024年も引き続きヒョンデから参戦していますが、オィット・タナックのチーム復帰に伴い、ダニ・ソルド、そして5年ぶりに復帰となるアンドレアス・ミケルセンと共に3台目のシートを共有するパートタイム参戦となりました。ラッピはスノーと高速グラベルのラリーに参戦することになりました。初戦のラリー・スウェーデンでは、初日にトヨタの勝田貴元と激しいトップ争いを繰り広げ、2日目に勝田がスノーバンクにスタックして脱落すると、その後は最終日までペースをコントロールし、初優勝から実に6年204日ぶりとなる通算2勝目を飾りました。これはWRC史上最長の勝利インターバル記録となります。ここから勢いに乗るかと思われましたが、第3戦サファリ・ラリーでは序盤2位につけるもパンクとトランスミッションのトラブルで12位に終わりました。その後もラリー・ラトビア、ラリー・チリではリタイア、ラリー・フィンランドでは43位に終わり、ヒョンデのサードドライバーの中で唯一勝利を挙げたにも関わらず、2024年シーズンのドライバーズランキングは12位で終えることとなりました。
4. 主な成績と記録
エサペッカ・ラッピは、そのキャリアを通じて数々の選手権タイトルとWRC優勝を達成してきました。
4.1. 選手権タイトル
- 2012年: フィンランドラリー選手権 チャンピオン
- 2014年: ヨーロッパラリー選手権(ERC)チャンピオン
- 2016年: WRC-2選手権 チャンピオン
4.2. 世界ラリー選手権での優勝
ラッピはWRCで以下の2勝を挙げています。
# | イベント | シーズン | コ・ドライバー | 車 |
---|---|---|---|---|
1 | ラリー・フィンランド | 2017 | ヤンネ・フェルム | トヨタ・ヤリスWRC |
2 | ラリー・スウェーデン | 2024 | ヤンネ・フェルム | ヒョンデ・i20 N ラリー1 |
5. 経歴統計
エサペッカ・ラッピのラリー経歴における詳細な成績データは以下の通りです。
5.1. WRC成績
世界ラリー選手権におけるエサペッカ・ラッピの年ごとの成績と、各ラリーにおける詳細な結果は以下の通りです。
年 | 所属チーム | 車 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2011 | Printsport | シトロエン C2 R2 | SWE | MEX | POR | JOR | ITA | ARG | GRE | FIN 32 | GER | AUS | FRA | ESP | GBR | NC | 0 | |
2012 | Printsport | フォード・フィエスタ S2000 | MON | SWE | MEX | POR | ARG | GRE | NZL | FIN 25 | NC | 0 | ||||||
エサペッカ・ラッピ | シトロエン C2 R2 | GER Ret | GBR | FRA | ITA | ESP | ||||||||||||
2013 | シュコダ・モータースポーツ | シュコダ・ファビア S2000 | MON Ret | SWE | MEX | POR 10 | ARG | GRE | ITA | 30位 | 1 | |||||||
エサペッカ・ラッピ | FIN 31 | GER | AUS | FRA | ESP | GBR | ||||||||||||
2015 | シュコダ・モータースポーツ | シュコダ・ファビア R5 | MON | SWE | MEX | ARG | POR 12 | ITA 17 | POL 12 | FIN 8 | GER 42 | AUS | FRA 14 | ESP Ret | GBR | 20位 | 4 | |
2016 | エサペッカ・ラッピ | シュコダ・ファビア R5 | MON 9 | 12位 | 16 | |||||||||||||
シュコダ・モータースポーツ | SWE 12 | MEX | ARG | POR | ITA 21 | POL 14 | FIN 8 | GER 7 | CHN C | FRA | ESP | GBR 11 | AUS 8 | |||||
2017 | トヨタ・ガズー・レーシングWRT | トヨタ・ヤリスWRC | MON | SWE | MEX | FRA | ARG | POR 10 | ITA 4 | POL Ret | FIN 1 | GER 21 | ESP Ret | GBR 9 | AUS 6 | 11位 | 62 | |
2018 | トヨタ・ガズー・レーシングWRT | トヨタ・ヤリスWRC | MON 7 | SWE 4 | MEX 11 | FRA 6 | ARG 8 | POR 5 | ITA 3 | FIN Ret | GER 3 | TUR Ret | GBR 3 | ESP 7 | AUS 4 | 5位 | 126 | |
2019 | シトロエン・トタルWRT | シトロエン・C3 WRC | MON Ret | SWE 2 | MEX 13 | FRA 7 | ARG Ret | CHL 6 | POR Ret | ITA 7 | FIN 2 | GER 8 | TUR 2 | GBR 27 | ESP Ret | AUS C | 10位 | 83 |
2020 | Mスポーツ・フォードWRT | フォード・フィエスタWRC | MON 4 | SWE 5 | MEX Ret | EST 7 | TUR 6 | ITA Ret | MNZ 4 | 6位 | 52 | |||||||
2021 | Movisport | フォルクスワーゲン・ポロ GTI R5 | MON | ARC 10 | CRO | POR 7 | ITA | KEN | EST | BEL | GRE | 12位 | 22 | |||||
RTE-Motorsport | トヨタ・ヤリスWRC | FIN 4 | ESP | MNZ | ||||||||||||||
2022 | トヨタ・ガズー・レーシングWRT | トヨタ・GRヤリス ラリー1 | MON | SWE 3 | CRO 49 | POR | ITA 44 | KEN | EST 6 | FIN 3 | BEL 3 | GRE 22 | NZL | ESP | JPN | 9位 | 58 | |
2023 | ヒョンデ・シェル・モービスWRT | ヒョンデ・i20 N ラリー1 | MON 8 | SWE 7 | MEX Ret | CRO 3 | POR 3 | ITA 2 | KEN 12 | EST 3 | FIN Ret | GRE 5 | CHL Ret | EUR Ret | JPN 4 | 6位 | 113 | |
2024 | ヒョンデ・シェル・モービスWRT | ヒョンデ・i20 N ラリー1 | MON | SWE 1 | KEN 12 | CRO | POR | ITA | POL | LAT Ret | FIN 43 | GRE | CHL Ret | EUR | JPN | 12位 | 33 |
5.2. SWRC成績
スーパー2000世界ラリー選手権 (SWRC) におけるエサペッカ・ラッピの成績は以下の通りです。
年 | エントラント | 車 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2012 | Printsport | フォード・フィエスタ S2000 | MON | SWE | POR | NZL | FIN 5 | GBR | FRA | ESP | 12位 | 10 |
5.3. WRC-2成績
世界ラリー選手権2 (WRC-2) におけるエサペッカ・ラッピの成績は以下の通りです。
年 | エントラント | 車 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013 | シュコダ・モータースポーツ | シュコダ・ファビア S2000 | MON Ret | SWE | MEX | POR 1 | ARG | GRE | ITA | 16位 | 25 | |||||||
エサペッカ・ラッピ | FIN 11 | GER | AUS | FRA | ESP | GBR | ||||||||||||
2015 | シュコダ・モータースポーツ | シュコダ・ファビア R5 | MON | SWE | MEX | ARG | POR 2 | ITA 9 | POL 1 | FIN 1 | GER 13 | AUS | FRA 2 | ESP Ret | GBR | 3位 | 88 | |
2016 | シュコダ・モータースポーツ | シュコダ・ファビア R5 | MON | SWE 3 | MEX | ARG | POR | ITA 9 | POL 3 | FIN 1 | GER 1 | CHN C | FRA | ESP | GBR 1 | AUS 1 | 1位 | 130 |
2021 | Movisport | フォルクスワーゲン・ポロ GTI R5 | MON | ARC 1 | CRO | POR 1 | ITA | KEN | EST | BEL | GRE | FIN | ESP | MNZ | 7位 | 59 |
5.4. ERC成績
ヨーロッパラリー選手権 (ERC) におけるエサペッカ・ラッピの成績は以下の通りです。
年 | エントラント | 車 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2012 | シュコダ・モータースポーツ | シュコダ・ファビア S2000 | AUT | ITA | CRO | BUL | BEL | TUR | POR | CZE | ESP | POL 1 | SUI | - | 39 | |
2013 | シュコダ・モータースポーツ | シュコダ・ファビア S2000 | JÄN | LIE | CAN | AZO | COR | YPR | ROM | ZLÍ Ret | POL | CRO | SAN 2 | VAL 1 | 5位 | 64 |
2014 | シュコダ・モータースポーツ | シュコダ・ファビア S2000 | JÄN | LIE 1 | ACR 4 | IRE 1 | AZO | YPR Ret | EST 5 | CZE Ret | CYP | VAL 1 | COR Ret | 1位 | 162 |
5.5. APRC成績
アジアパシフィックラリー選手権 (APRC) におけるエサペッカ・ラッピの成績は以下の通りです。
年 | エントラント | 車 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013 | Team MRF | シュコダ・ファビア S2000 | NZL 1 | NCL Ret | AUS 1 | MYS Ret | JPN Ret | CHN 1 | 2位 | 117 |
6. 私生活とエピソード
エサペッカ・ラッピの私生活や、公に知られている興味深い逸話について紹介します。
6.1. 健康と公に知られた側面
ラッピはグルテン不耐症であることを公表しており、シトロエンのサービスパークのシェフは彼のためにグルテンフリーの料理を用意していました。また、彼のスポンサーの一つには、フィンランドのグルテンフリー食品メーカー「モイラス」が名を連ねています。
6.2. 注目すべき出来事と特徴
- 2019年から導入されたWRCの固定ナンバー制度では「4」を選びました。これは彼の姓「Lappi」にある「A」(アルファベットの4番目)にちなんだものです。
- スタート前には、両手首を高速で回すルーティンがあります。
- 2020年のラリー・メキシコのSS7フィニッシュ後、彼のフォード・フィエスタWRCの後部から出火しました。コ・ドライバーのヤンネ・フェルムはすぐにマシンを降り、マーシャルによる消火活動が行われましたが、火はなかなか収まりませんでした。それを見たラッピは、人のいないエリアへ移動させるためマシンを動かしましたが、森の中に入っても火の勢いは増す一方で、最終的に道の中央にマシンを停めて飛び降りると、車両は全焼してしまいました。幸いにもクルーに怪我はありませんでした。
6.3. 関係と文化的な関心
- 彼が初めて覚えた日本語は「生きがい」であると語っています。興味深いことに、かつてのチームメイトであるヤリ=マティ・ラトバラも好きな日本語に「生きがい」を挙げていますが、両者の関係性は不明です。
- 青年時代にファンとして訪れたF1で、F1ドライバーのヘイキ・コバライネンから帽子にサインをもらったことがあります。それから10年以上が経った後、二人はトヨタの縁で日本で対談し、お互いのマシンを交換して体験ドライブするという貴重な機会を得ました。コバライネンは、ラッピがカートで名を馳せていた頃から彼のことを知っていたと言います。
- 2018年にトヨタからシトロエンへの移籍が決まった後、トヨタのタイトル獲得記念Tシャツのイラストには、ラッピとフェルムがシトロエンのマシンを持って描かれていました。また、友山茂樹トヨタ副社長からはフランス語の辞書を贈られるなど、トヨタとの別れは円満なものでした。
- Mスポーツ・フォードとヒョンデでチームメイトだったテーム・スニネンもレーシングカート出身であり、二人はかつてカートで同じチームに所属していました。
7. 評価と影響
エサペッカ・ラッピは、そのキャリアを通じて様々なチームを渡り歩き、適応能力の高さと堅実なパフォーマンスでラリースポーツに貢献してきました。
7.1. ラリー界への影響
ラッピのドライビングスタイルは、フィンランド人特有の「フライング・フィン」と呼ばれる高速グラベルでの強さに加え、ターマックでも優れた適応性を見せる多才さが特徴です。彼は、WRC-2でのチャンピオンシップ獲得や、わずか4戦目でのWRC初優勝といった印象的な記録を打ち立て、若手ドライバーの台頭を象徴する存在となりました。
また、シュコダ、トヨタ、シトロエン、Mスポーツ・フォード、そしてヒョンデと、複数のマニュファクチャラーのワークスチームを渡り歩いた彼の経験は、ラリースポーツにおけるドライバーとチームの関係性、そして変化する環境への適応の重要性を示しています。特に、レギュラーシートへの強いこだわりが彼の移籍の原動力となることも多く、それが結果的に彼を多様な車種とチーム文化に適応させ、その中で結果を出し続ける原動力となりました。彼の成功は、チームの垣根を越えたドライバーの可能性を提示し、ラリー界に新たな競争とダイナミズムをもたらしています。彼の挑戦的なキャリア選択は、ラリースポーツの多様性と流動性を高める一因となっています。