1. 概要
ロランド・セペダ・アブレウ(Rolando Cepeda Abreuロランド・セペダ・アブレウスペイン語、1989年3月13日生)は、キューバのバレーボール選手である。ナショナルチームのキャプテンを務めるなど、キャリアを通じて重要な役割を担ってきたが、2016年にはフィンランドで発生した強姦事件に関与し、有罪判決を受けた。この事件は彼の選手としてのキャリアに大きな影響を与え、リオデジャネイロオリンピックへの出場や韓国Vリーグ入団が取り消されるなど、その後の活動にも深刻な影を落とした。
2. 幼少期とキャリアの始まり
ロランド・セペダ・アブレウは1989年3月13日にキューバのハバナで生まれた。彼はバレーボールキャリアを初期からスタートさせ、国内のチーム、特にサンクティ・スピリトゥスで活躍した。長身と高い跳躍力を武器に、アウトサイドヒッター(オポジットヒッター)として頭角を現し、将来のナショナルチームのキャプテン候補として期待された。彼の身長は198 cm、体重は77 kgである。スパイク到達点は359 cm、ブロック到達点は344 cmに達する。
3. クラブキャリア
セペダはキューバ国内のサンクティ・スピリトゥスでキャリアを開始し、その後、国外の様々なクラブで活躍した。
国外での主な所属クラブと活動期間は以下の通りである。
期間 | 所属クラブ | 国 |
---|---|---|
2015-2016 | PAOKテッサロニキ | ギリシャ |
2016 | OK貯蓄銀行ラッシュ&キャッシュ | 韓国 |
2018-2019 | イネギョル・ベレディエスポル | トルコ |
2019-2020 | クウェートSC | クウェート |
2020-2021 | ソルグン・ベレディエスポル | トルコ |
2021-2022 | クウェートSC | クウェート |
2023-2024 | デヴェリ・ベレディエスポル | トルコ |
2024- | ブルサ・ビュユクシェヒル・ベレディエシSK | トルコ |
特にPAOKテッサロニキでは、2015-2016シーズンのギリシャバレーボールリーグにおいて、プレイオフで4位から逆転して優勝を果たすという歴史的な快挙に貢献した。この活躍により、彼は同シーズンのギリシャバレーボールリーグ最優秀選手(MVP)に選出された。
また、2016年には韓国Vリーグの外国人選手トライアウトでOK貯蓄銀行に指名され、入団が決定していた。しかし、後述の強姦事件により逮捕されたため、この契約は破談となった。
4. 代表チームキャリア
セペダは2009年から2016年までキューバ男子バレーボール国家代表チームの一員として活動し、その間チームのキャプテンも務めた。
彼は主要な国際大会で以下のような実績を残している。
- 2010年**:FIVBバレーボール男子世界選手権で銀メダルを獲得。
- 2012年**:FIVBバレーボール・ワールドリーグで銅メダルを獲得。
これらの大会での活躍を通じて、彼はキューバ代表の攻撃の要として、チームの成功に大きく貢献した。
5. 主な実績
セペダは選手生活を通じて、チームおよび個人として数々の実績を達成した。
5.1. チーム実績
- 2015/2016年**:ギリシャチャンピオンシップ優勝(所属: PAOK)
5.2. 個人賞
- 2013年**:キューバ選手権 - 最優秀選手
- 2013年**:キューバ選手権 - 最高得点者
- 2013年**:キューバ選手権 - 最高サーバー
- 2013年**:NORCECA選手権 - 最高得点者
- 2014年**:パンアメリカンカップ - 最優秀選手
- 2015年**:NORCECA選手権 - ベストアウトサイドスパイカー
- 2016年**:ギリシャチャンピオンシップ - 最優秀選手
- 2019年**:トルコチャンピオンシップ - ベストアウトサイドスパイカー
- 2019年**:トルコカップ - ベストアウトサイドスパイカー
6. 論争と法的問題
セペダのキャリアは、2016年に発生した重大な強姦事件によって大きく揺るがされた。この事件は彼の選手生活、特に国際舞台での活動に決定的な影響を与えた。
6.1. 2016年フィンランドでの強姦事件
2016年7月、ロランド・セペダ・アブレウを含むキューバ男子バレーボール国家代表チームの6人の選手が、フィンランドのタンペレで集団強姦の容疑で逮捕された。この容疑は加重強姦という非常に重大なものであった。
裁判の結果、セペダは他の4人の選手と共に有罪判決を受け、2年半の懲役刑を言い渡された。この事件は国際的な注目を集め、スポーツ界における選手の倫理と責任について、改めて議論を提起する契機となった。
6.2. キャリアへの影響とその後の活動
2016年のフィンランドでの強姦事件は、セペダのバレーボールキャリアに壊滅的な影響を与えた。逮捕と有罪判決により、彼はその年のリオデジャネイロオリンピックへの出場を断念せざるを得なくなった。キューバ代表チームは事件後、主力選手を失った状態でオリンピックに臨むことになった。
また、既に契約が決定していた韓国VリーグのOK貯蓄銀行への入団も、この逮捕によって破談となった。韓国のバレーボールファンにとっては、期待されていた選手の加入が叶わない結果となった。
懲役刑を終えた後、セペダはトルコやクウェートのクラブチームに復帰し、選手としての活動を再開している。具体的には、イネギョル・ベレディエスポル、クウェートSC、ソルグン・ベレディエスポル、デヴェリ・ベレディエスポル、そして現在のブルサ・ビュユクシェヒル・ベレディエシSKなど、いくつかのクラブでプレーを続けている。しかし、この事件が彼のバレーボール界における評価と、国際的な舞台での活躍の機会に影を落とし続けているのは明らかである。