1. 生涯
金子誠の生涯は、千葉県での出生から、学生時代の野球活動、そしてプロ野球選手としてのキャリアをスタートさせるまでの期間にわたる。
1.1. 出身地と学歴
金子誠は千葉県我孫子市の出身である。常総学院高校で野球に打ち込み、春夏合わせて3回甲子園に出場した。高校時代は遊撃手を務め、3年夏の1993年第75回全国高等学校野球選手権大会では、土肥義弘を擁する春日部共栄高校に準決勝で敗れたものの、この大会の全試合で安打を記録する活躍を見せた。
1.2. プロ入り
1993年秋のドラフト会議で日本ハムから3位指名を受け、入団した。
2. 選手経歴
金子誠のプロ野球選手としてのキャリアは、北海道日本ハムファイターズでの長きにわたる活躍と、国際舞台での貢献が特徴である。
2.1. 日本ハム時代
金子誠は、プロ入り後、北海道日本ハムファイターズの内野陣の要として、長年にわたりチームを支え続けた。
2.1.1. デビューと初期の活躍 (1994-2001)
1994年、一軍出場はなかった。1995年にはプロ入り初出場を果たし、4試合に出場して2安打を記録した。プロ3年目となる1996年、レギュラー二塁手に定着し、打率.261、そしてパシフィック・リーグ最多の38犠打を記録し、その年のパ・リーグ新人王に選出された。この年のセントラル・リーグ新人王は、金子と同じ常総学院高校OBの仁志敏久であった。
1997年には、1試合2本塁打を含む自身初の2桁本塁打(12本)、打率.277を記録。この年はオリックスの大島公一に1票差でゴールデングラブ賞を逃したが、翌1998年と1999年には2年連続でゴールデングラブ賞(二塁手部門)を受賞した。1998年は前年と大きく変わらない成績ながら、開幕から打撃不振に陥り、5月終了時点での打率は2割1分と低迷。主に9番打者を務め、打点26と得点圏での課題を残したものの、三振数は前年から大幅に減少させた。1999年には、成績は前年同様であったが、プロ入り後初の全試合出場を果たした。2000年は打率.231と低迷し、これまでの成績を下回った。しかし、2001年には打率を上げ、2年ぶりに全試合出場を達成した。
2.1.2. ポジション変更と中盤の活躍 (2002-2009)
2002年、それまで正遊撃手だった田中幸雄が三塁手にコンバートされたことに伴い、金子自身も遊撃手へコンバートされた。この年は打撃も好調で打率.285を記録した。オフには、この年より阪神タイガースへ移籍した兄貴分として慕っていた片岡篤史が着用していた背番号8(2002年は1年間欠番)を受け継いだ。
2003年は打率.244と不振に陥り、100安打に届かなかった。2004年、シーズン途中の8月に開催されたアテネオリンピックには、チームメイトの小笠原道大と共に野球日本代表に選出され、銅メダル獲得に貢献した。しかし、シーズンではこの年も100安打には到達しなかった。
2005年、当時のトレイ・ヒルマン監督から出塁率の低さを指摘され、新外国人エリック・アルモンテに遊撃手のレギュラーを奪われ、開幕を二軍で迎えた。しかし、アルモンテの不振により5月には一軍に昇格し、レギュラーに復帰。シーズンオフには札幌グランドホテルで開催された選手ディナーショーに出演し、ファン層拡大に努めた。
2006年、日本ハム選手会の会長に就任。主に9番打者として活躍し、チームのリーグ優勝と日本一達成に貢献した。中日との日本シリーズ第2戦では、1対2とリードされた7回表に山本昌から逆転打を放ち、その裏には一死一・二塁のピンチで代打立浪和義の難しい打球を好捕し、二塁封殺を取る活躍を見せた。第5戦では0対1とリードされた5回裏、川上憲伸から巧妙なスクイズバントを決め、同点に追いつくなど、要所で存在感を発揮した。この年のパ・リーグプレーオフからは、リストバンドを浅葱色のものに変更した。
2007年には主将に就任。シーズン序盤は打線全体の低調とは対照的に金子の打撃は好調で、クリーンナップを打つこともあったが、主に9番を務めた。打率.243とリーグ最下位ながら、得点圏打率は.285を記録し、チーム3位の53打点を挙げた。中日との日本シリーズ第1戦では、7回までセギノールの1本塁打に抑えられていた川上憲伸からセンター前ヒットを放った。
2008年は、開幕から打撃不振と怪我に見舞われ、絶不調に陥った。9月以降は持ち直したものの、打率・本塁打数は前年を下回った。同年オフに同じ遊撃手の二岡智宏がトレードで日本ハムに移籍した際には、対抗心を見せず「自分らしく」とマイペースな意気込みを語った。
2009年、選手会長の座を後輩の田中賢介に、主将の座を稲葉篤紀にそれぞれ譲った。4月7日の千葉ロッテマリーンズ戦から15日のオリックス・バファローズ戦にかけて、日本プロ野球新記録となる7試合連続二塁打を放ち、月間打率.423を記録したことが評価され、パ・リーグ月間MVP(野手部門)に選出された。これはプロ16年目での初受賞であり、1992年の金石昭人(日本ハム)の14年目を更新し、月間MVP制定後、パ・リーグで最も遅咲きの初受賞となった。最終的には、1997年以来となる2桁本塁打と、キャリア初の打率3割を記録した。自身3度目となるゴールデングラブ賞を受賞し、過去2度の二塁手部門に続き、遊撃手部門としては初の受賞となった。12月10日には、自身初の1億円越えとなる推定年俸1.35 億 JPYで契約を更改。金子の1億円到達は17年目のことであり、球団史上最も遅い記録であった。
2.1.3. 後期のキャリアと引退 (2010-2014)
2010年、金子は開幕を一軍で迎えたが、痛めていた両足のアキレス腱痛や股関節痛により二軍降格を経験した。その後一軍に復帰するも、右内側腓腹筋の筋挫傷(中等度)で再び二軍落ちし、その後の出場がないままシーズンを終えた。
2011年は、故障への配慮から飯山裕志や今浪隆博らと併用され、一度も二軍落ちすることなくシーズンを乗り切った。しかし、打撃成績、守備成績ともに下降傾向が見られた。
2012年は、怪我の影響で戦線離脱はあったものの、3年ぶりに100試合以上の出場を記録し、チームのリーグ優勝に貢献した。しかし、自身の打撃成績は打率2割台前半と低迷し、1995年以来となる本塁打0本に終わった。シーズンオフには、膝の精密検査により左大腿骨軟骨損傷と診断され、全治3か月の骨穿孔術を受けた。
2013年、手術後のリハビリが思うように進まず、その間に中島卓也の台頭や、当時オリックス・バファローズの正遊撃手であった大引啓次がトレードで加入したこともあり、一軍定着後では最低となる32試合の出場に留まった。打撃面では56打席で18三振を喫し、本塁打0本、打率2割と低迷。守備でも2002年以来となる二塁手を主に務めたが、二塁での守備率は.927と低い数字に終わり、攻守に精彩を欠くシーズンとなった。
2014年も若手の台頭により前年の出場試合数をさらに下回り、17試合の出場に留まり、打率も.143に低迷した。同年9月27日に現役引退を表明。10月1日の楽天戦で引退試合が行われ、9番・遊撃手で先発出場した。試合後には盛大な引退セレモニーが執り行われた。
2.2. 国際大会での活躍
金子誠は2004年アテネオリンピックにおいて野球日本代表に選出され、銅メダル獲得に貢献した。
3. 指導者経歴
金子誠は、選手引退後も野球界に留まり、北海道日本ハムファイターズや野球日本代表、そして千葉ロッテマリーンズで指導者としてその経験と知識を伝えている。
3.1. 北海道日本ハムファイターズでのコーチ
2014年11月25日、金子誠は2015年シーズンより北海道日本ハムファイターズのチーム統轄本部特命コーチに就任することが発表された。これは、日本ハムと業務提携を結ぶサンディエゴ・パドレスへのコーチ研修を目的とした野球留学を兼ねながら、日本帰国時には指導にもあたるというものであった。フロントスタッフとしての位置づけであり、コーチとしては非常勤ながら、かつてトレイ・ヒルマンや梨田昌孝両元監督が着用した背番号「88」を背負うこととなった。また、GAORAや札幌の民放局のファイターズ中継で解説者としても活動した。
2016年には一軍打撃コーチに配置転換され、正式なコーチングスタッフの一員となった。その後、2018年は一軍内野守備コーチ、2019年は一軍打撃チーフ兼作戦コーチ、2020年から2021年にかけては一軍野手総合コーチ、2022年は一軍野手総合コーチ兼打撃コーチを務めた。同年限りで契約満了に伴い、日本ハムを退団した。
3.2. 野球日本代表でのコーチ
北海道日本ハムファイターズのコーチを務める傍ら、2017年からは日本代表のコーチも兼任した。
- ENEOS アジアプロ野球チャンピオンシップ2017:ヘッドコーチ
- ENEOS 侍ジャパンシリーズ2018および2018日米野球:ヘッドコーチ
- ENEOS 侍ジャパンシリーズ2019および2019 WBSCプレミア12:ヘッド兼打撃コーチ
- 2020年東京オリンピック:ヘッド兼打撃コーチとして金メダル獲得に貢献。
3.3. 千葉ロッテマリーンズでのコーチ
2022年11月24日、金子誠は2023年シーズンより千葉ロッテマリーンズの戦略コーチに就任することが発表された。背番号は引き続き「88」である。
4. 人物・特徴
金子誠は、その愛称や家族背景に加えて、選手としての卓越した守備能力と、チーム内外からの高い評価で知られている。
4.1. 愛称と家族
金子誠の愛称は「マック」、「マコ」、「ネコ」、「相談役」など多岐にわたる。
妻は元テレビ朝日のスポーツ記者・ニュースキャスターである白木清か。
入団当初はチーム内に同姓の金子貴博(1991年ドラフト7位、一軍出場なし)がいたため、報道などでは「金子誠」と表記されていた。1996年オフに金子貴博が引退した後は10シーズンにわたり「金子」表記であったが、2006年ドラフト会議で金子洋平が入団したため、再び「金子誠」と表記されるようになった。2009年限りで金子洋平は引退したが、以降も新聞などではフルネームで表記され続けている。
4.2. プレースタイルと評価
金子誠は、1996年から2001年まで二塁手、2002年から2012年まで遊撃手として、日本ハムの内野陣を長年にわたり支えた。特に田中賢介との二遊間は、山田久志から「12球団一と言われた中日の荒木雅博・井端弘和と遜色ない」「金子なんて井端以上だよ。肩は強いし、送球がぶれない。守備位置も金子のほうが後ろだから、守備範囲も広くなるし、それだけ深い三遊間でゴロでとってもノーバウンドで投げてアウトに出来る」と絶賛された。
Full-Countの分析によると、二塁手時代と遊撃手時代を合わせた金子が守備によって減らした失点(RRF: Runs Reduced by Fielding)は、243.5に達するとされている。また、二塁手としては1997年から2001年まで5年連続で守備率1位を記録しており、これはパシフィック・リーグのタイ記録である。
5. 表彰・記録
金子誠は、そのキャリアを通じて数々の個人表彰を受け、多くの記録を達成してきた。
5.1. 主な表彰
- 新人王:1回(1996年)
- ベストナイン:1回(二塁手部門:1999年)
- ゴールデングラブ賞:3回(二塁手部門:1998年、1999年 / 遊撃手部門:2009年)
- 月間MVP:1回(野手部門:2009年4月)
- 東京ドームMVP:1回(1997年)
- 札幌ドームMVP:1回(野球部門:2009年)
- 札幌ドームMVP特別賞:1回(2006年)
- 札幌ドームMVP功労賞:1回(2014年)
- ベスト・ファーザー イエローリボン賞 in 「プロ野球部門」(2009年)
- 千葉県知事賞:1回(2004年) - アテネオリンピック野球日本代表メンバーとしての銅メダル獲得を称えて
5.2. 記録
; 初記録
- 初出場:1995年4月2日、対近鉄バファローズ2回戦(藤井寺球場)、9回表に五十嵐信一の代走で出場
- 初先発出場:1995年10月3日、対西武ライオンズ13回戦(西武ライオンズ球場)、8番・二塁手で先発出場
- 初安打:同上、7回表に小野和義から
- 初打点:1996年4月12日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(東京ドーム)、7回裏にエリック・ヒルマンから
- 初盗塁:1996年4月17日、対福岡ダイエーホークス4回戦(福岡ドーム)、8回表に二盗(投手:内山智之、捕手:吉永幸一郎)
- 初犠打:1996年5月2日、対西武ライオンズ5回戦(東京ドーム)、6回裏に鹿取義隆から
- 初本塁打:1996年5月5日、対近鉄バファローズ6回戦(藤井寺球場)、8回表に池上誠一からソロ
; 節目の記録
- 1000試合出場:2004年4月6日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(千葉マリンスタジアム)、9番・遊撃手で先発出場 ※史上391人目
- 1000安打:2005年8月23日、対西武ライオンズ15回戦(インボイスSEIBUドーム)、7回表に大沼幸二から中前安打 ※史上236人目
- 200犠打:2007年8月14日、対福岡ソフトバンクホークス15回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、8回表に和田毅から ※史上27人目
- 1500試合出場:2008年8月18日、対福岡ソフトバンクホークス19回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、9番・遊撃手で先発出場 ※史上162人目
- 250犠打:2010年6月5日、対読売ジャイアンツ4回戦(東京ドーム)、6回表にウィルフィン・オビスポから投手前犠打・野手選択 ※史上12人目
- 1500安打:2011年4月20日、対オリックス・バファローズ2回戦(ほっともっとフィールド神戸)、7回表に小林雅英から左翼線適時二塁打 ※史上107人目
; その他の記録
- 5年連続守備率1位:1997年 - 2001年 ※二塁手のパシフィック・リーグタイ記録
- 1試合5三振:1997年6月14日、対西武ライオンズ13回戦(西武ライオンズ球場) ※史上8人目(パ・リーグ4人目)
- 1試合遊撃手最多11補殺:2004年7月6日、対大阪近鉄バファローズ14回戦(札幌ドーム)、8回表及び2012年4月12日、対福岡ソフトバンクホークス3回戦(福岡 Yahoo! JAPANドーム)に記録
- 7試合連続二塁打:2009年4月7日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(東京ドーム) - 4月15日、対オリックス・バファローズ2回戦(札幌ドーム)※2024年6月30日に岡大海に更新され、近藤健介と並び歴代2位となる。
- オールスターゲーム出場:3回(2002年、2004年、2009年)
; 背番号
- 30(1994年 - 2002年)
- 8(2003年 - 2014年)
- 88(2015年 - )※日本代表コーチでも着用
; 代表歴
- 2004年アテネオリンピック野球日本代表
; 指導歴
- 2017 アジア プロ野球チャンピオンシップ 日本代表
- 2019 WBSCプレミア12 日本代表
- 2020年東京オリンピックの野球競技・日本代表
5.3. 年度別打撃成績
年度 | 所属 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗塁刺 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 故意四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 | 長打率 | OPS |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1995年 | 日本ハム | 4 | 6 | 6 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | .333 | .333 | .500 | .833 |
1996年 | 117 | 465 | 395 | 50 | 103 | 14 | 2 | 4 | 133 | 33 | 15 | 2 | 38 | 4 | 25 | 0 | 3 | 67 | 5 | .261 | .307 | .337 | .644 | |
1997年 | 134 | 604 | 513 | 80 | 142 | 18 | 2 | 12 | 200 | 53 | 13 | 9 | 36 | 5 | 46 | 0 | 4 | 91 | 10 | .277 | .338 | .390 | .728 | |
1998年 | 127 | 442 | 380 | 53 | 100 | 10 | 2 | 4 | 126 | 26 | 11 | 3 | 20 | 0 | 40 | 0 | 2 | 42 | 7 | .263 | .336 | .332 | .668 | |
1999年 | 135 | 473 | 416 | 56 | 114 | 17 | 3 | 3 | 146 | 29 | 4 | 6 | 18 | 0 | 38 | 0 | 1 | 65 | 11 | .274 | .336 | .351 | .687 | |
2000年 | 113 | 445 | 402 | 53 | 93 | 12 | 1 | 3 | 116 | 31 | 12 | 4 | 15 | 0 | 26 | 1 | 2 | 40 | 5 | .231 | .281 | .289 | .570 | |
2001年 | 140 | 559 | 501 | 57 | 127 | 22 | 2 | 8 | 177 | 56 | 9 | 9 | 10 | 4 | 38 | 3 | 6 | 65 | 4 | .253 | .311 | .353 | .665 | |
2002年 | 104 | 434 | 393 | 46 | 112 | 19 | 3 | 6 | 155 | 29 | 9 | 4 | 17 | 1 | 19 | 1 | 4 | 44 | 2 | .285 | .324 | .394 | .718 | |
2003年 | 117 | 409 | 373 | 42 | 91 | 19 | 2 | 3 | 123 | 33 | 8 | 6 | 6 | 5 | 22 | 2 | 3 | 61 | 10 | .244 | .288 | .330 | .618 | |
2004年 | 109 | 372 | 332 | 42 | 85 | 15 | 1 | 3 | 111 | 39 | 5 | 2 | 6 | 2 | 28 | 0 | 4 | 86 | 7 | .256 | .320 | .334 | .654 | |
2005年 | 79 | 230 | 208 | 19 | 50 | 9 | 1 | 4 | 73 | 24 | 2 | 2 | 8 | 1 | 13 | 1 | 0 | 33 | 3 | .240 | .284 | .351 | .635 | |
2006年 | 126 | 439 | 393 | 44 | 100 | 26 | 3 | 6 | 150 | 40 | 7 | 1 | 15 | 4 | 24 | 3 | 3 | 63 | 5 | .254 | .300 | .382 | .681 | |
2007年 | 132 | 470 | 419 | 34 | 102 | 15 | 4 | 4 | 137 | 53 | 9 | 5 | 20 | 0 | 27 | 0 | 4 | 78 | 9 | .243 | .296 | .327 | .623 | |
2008年 | 96 | 331 | 291 | 24 | 63 | 16 | 0 | 2 | 85 | 29 | 0 | 1 | 13 | 5 | 20 | 0 | 2 | 76 | 5 | .216 | .267 | .292 | .559 | |
2009年 | 136 | 510 | 454 | 58 | 138 | 31 | 2 | 14 | 215 | 66 | 6 | 4 | 22 | 4 | 27 | 0 | 3 | 88 | 8 | .304 | .344 | .474 | .818 | |
2010年 | 77 | 291 | 264 | 30 | 69 | 10 | 0 | 5 | 94 | 34 | 2 | 2 | 15 | 0 | 12 | 0 | 0 | 60 | 7 | .261 | .293 | .356 | .650 | |
2011年 | 98 | 279 | 256 | 18 | 60 | 7 | 1 | 3 | 78 | 20 | 0 | 1 | 12 | 0 | 11 | 0 | 0 | 49 | 5 | .234 | .266 | .305 | .571 | |
2012年 | 103 | 311 | 277 | 21 | 63 | 18 | 0 | 0 | 81 | 22 | 1 | 4 | 17 | 2 | 15 | 0 | 0 | 53 | 2 | .227 | .265 | .292 | .560 | |
2013年 | 32 | 56 | 50 | 3 | 10 | 0 | 0 | 0 | 10 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 1 | 18 | 1 | .200 | .231 | .200 | .431 | |
2014年 | 17 | 23 | 21 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 7 | 0 | .143 | .174 | .143 | .317 | |
通算:20年 | 1996 | 7149 | 6344 | 734 | 1627 | 279 | 29 | 84 | 2216 | 620 | 113 | 66 | 292 | 38 | 433 | 11 | 42 | 1086 | 107 | .256 | .307 | .349 | .658 |
- 各年度の太字はリーグ最高
5.4. 年度別守備成績
年度 | 球団 | 一塁 | 二塁 | 三塁 | 遊撃 | ||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | ||
1995年 | 日本ハム | - | 3 | 1 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | - | - | |||||||||||||||
1996年 | - | 116 | 269 | 327 | 15 | 56 | .975 | - | - | ||||||||||||||||
1997年 | - | 132 | 343 | 456 | 11 | 110 | .986 | - | 3 | 8 | 13 | 0 | 3 | 1.000 | |||||||||||
1998年 | - | 125 | 260 | 364 | 9 | 71 | .986 | - | 10 | 1 | 11 | 0 | 1 | 1.000 | |||||||||||
1999年 | - | 129 | 319 | 405 | 7 | 81 | .990 | 10 | 9 | 16 | 2 | 1 | .926 | 5 | 4 | 4 | 0 | 2 | 1.000 | ||||||
2000年 | - | 112 | 250 | 368 | 7 | 81 | .989 | - | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |||||||||||
2001年 | - | 140 | 352 | 439 | 10 | 103 | .988 | - | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | |||||||||||
2002年 | - | 23 | 33 | 65 | 1 | 11 | .990 | - | 83 | 103 | 227 | 8 | 41 | .976 | |||||||||||
2003年 | - | - | - | 116 | 185 | 346 | 13 | 83 | .976 | ||||||||||||||||
2004年 | - | - | - | 109 | 173 | 316 | 13 | 71 | .974 | ||||||||||||||||
2005年 | - | - | - | 79 | 106 | 191 | 4 | 52 | .987 | ||||||||||||||||
2006年 | - | - | - | 126 | 198 | 391 | 10 | 90 | .983 | ||||||||||||||||
2007年 | - | - | - | 132 | 172 | 408 | 12 | 80 | .980 | ||||||||||||||||
2008年 | - | - | - | 96 | 142 | 287 | 2 | 54 | .995 | ||||||||||||||||
2009年 | - | - | - | 136 | 203 | 446 | 8 | 76 | .988 | ||||||||||||||||
2010年 | - | - | - | 77 | 113 | 261 | 10 | 59 | .974 | ||||||||||||||||
2011年 | - | - | - | 97 | 114 | 246 | 11 | 40 | .970 | ||||||||||||||||
2012年 | - | - | - | 103 | 143 | 295 | 6 | 43 | .986 | ||||||||||||||||
2013年 | 2 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | 11 | 17 | 21 | 3 | 7 | .927 | 9 | 3 | 4 | 0 | 1 | 1.000 | 3 | 2 | 6 | 0 | 0 | 1.000 | |
2014年 | 1 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 7 | 1 | 7 | 1 | 1 | .889 | 7 | 3 | 8 | 0 | 1 | 1.000 | |
通算 | 3 | 11 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | 792 | 1844 | 2446 | 63 | 521 | .986 | 26 | 13 | 27 | 3 | 3 | .930 | 1184 | 1670 | 3457 | 97 | 696 | .981 |
- 各年度の太字はリーグ最高
- 太字年はゴールデングラブ賞受賞
6. 関連項目
- 千葉県出身の人物一覧
- 北海道日本ハムファイターズの選手一覧
- オリンピックの野球競技・メダリスト一覧