1. 生い立ち
アナトリー・グリゴリエヴィチ・ピサレンコは、1958年1月10日にソビエト連邦のキエフで生まれた。彼はキエフのディナモでトレーニングを積んだ。彼は身長1.85 m、体重120 kgであった。
2. 重量挙げ選手としてのキャリア
アナトリー・ピサレンコは、そのキャリアを通じて数多くの国際大会で成功を収め、複数の世界記録を樹立した。
2.1. 主な成績
ピサレンコは、世界ウェイトリフティング選手権およびヨーロッパウェイトリフティング選手権で輝かしい成績を残した。
年 | 開催地 | 階級 | スナッチ (kg) | クリーン&ジャーク (kg) | トータル | 順位 | ||||||||||
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1回目 | 2回目 | 3回目 | 順位 | 1回目 | 2回目 | 3回目 | 順位 | |||||||||
ウエイトリフティング世界選手権 | ||||||||||||||||
1981 | フランス、リール | +110 kg | 187.5 | 金メダル | 237.5 | 金メダル | 425 | 金メダル | ||||||||
1982 | ユーゴスラビア社会主義連邦共和国、リュブリャナ | +110 kg | 197.5 | 銀メダル | 247.5 | 金メダル | 445 | 金メダル | ||||||||
1983 | ソビエト連邦、モスクワ | +110 kg | 205 | - | 245 | 金メダル | 450 | 金メダル | ||||||||
ウエイトリフティングヨーロッパ選手権 | ||||||||||||||||
1984 | スペイン、ビトリア=ガステイス | +110 kg | 200 | 金メダル | 250 | 金メダル | 450 | 金メダル |
また、ソビエト連邦国内の選手権でも以下の成績を収めている。
- 1980年 モスクワ大会 (+110 kg): 銀メダル
- 1982年 ドニプロペトロウシク大会 (+110 kg): 金メダル
- 1983年 モスクワ大会 (+110 kg): 銀メダル
- 1984年 ミンスク大会 (+110 kg): 金メダル
2.2. 世界記録
ピサレンコはキャリアを通じて合計13の世界記録を樹立した。
年 | 種目 | 結果 | 階級 | 開催地 |
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1981 | スナッチ | 201.5 kg | スーパーヘビー級 | ポドリスク |
1981 | トータル | 447.5 kg | スーパーヘビー級 | ポドリスク |
1982 | スナッチ | 202.5 kg | スーパーヘビー級 | ドニプロペトロウシク |
1982 | クリーン&ジャーク | 258 kg | スーパーヘビー級 | フルンゼ |
1982 | クリーン&ジャーク | 258.5 kg | スーパーヘビー級 | ドニプロペトロウシク |
1982 | トータル | 450 kg | スーパーヘビー級 | フルンゼ |
1982 | トータル | 455 kg | スーパーヘビー級 | フルンゼ |
1982 | トータル | 457.5 kg | スーパーヘビー級 | ドニプロペトロウシク |
1983 | スナッチ | 203 kg | スーパーヘビー級 | オデッサ |
1983 | スナッチ | 205 kg | スーパーヘビー級 | モスクワ |
1983 | スナッチ | 206 kg | スーパーヘビー級 | モスクワ |
1983 | クリーン&ジャーク | 260.5 kg | スーパーヘビー級 | アレンタウン |
1984 | クリーン&ジャーク | 265 kg | スーパーヘビー級 | ヴァルナ |
2.3. 自己ベスト
アナトリー・ピサレンコの自己ベスト記録は以下の通りである。
- スナッチ: 206 kg (1983年、モスクワ)
- クリーン&ジャーク: 265 kg (1984年、ヴァルナ)
- トータル: 465 kg (1984年、ヴァルナ)、階級は+110 kg。
3. ドーピング問題と処分
1985年、アナトリー・ピサレンコはカナダのモントリオールで開催される大会に出場するため入国しようとした際、カナダ税関で大量のアナボリックステロイドを所持していたことが発覚した。彼は販売目的による不法所持の疑いで逮捕された。この事件により、同僚のアレクサンドル・クルロビッチ、そしてナショナルチームのトレーナーと共に、1985年1月12日にナショナルチームから追放処分を受けた。さらに、ソビエト連邦重量挙げ連盟からは終身出場停止処分が下され、彼の保持していた「スポーツマスター」の称号も剥奪された。
4. 評価と功績
アナトリー・ピサレンコは、その驚異的な身体能力と記録的なパフォーマンスにより、重量挙げ界に大きな足跡を残した選手である。彼は数々の世界記録を樹立し、国際大会で金メダルを獲得するなど、その競技力は高く評価されている。2023年には、Weightlifting Houseによって「最も象徴的なアスリート」の一人に選ばれた。
しかし、彼のキャリアはドーピング問題によって大きく揺らいだ。1985年のステロイド所持による逮捕と終身出場停止処分は、彼の功績に影を落とし、スポーツの公平性と健全性に対する重大な警鐘となった。この事件は、当時のソビエト連邦におけるドーピングの実態を浮き彫りにし、クリーンなスポーツの重要性を改めて世界に問いかけるものとなった。ピサレンコのケースは、アスリートが直面する倫理的課題と、ドーピングがスポーツ界全体に与える負の影響を示す例として、彼の遺産の一部として語り継がれている。