1. Biography
アレクサンドル・クルロビッチは、その人生を重量挙げに捧げ、国際舞台で傑出した成績を収めた選手である。
1.1. Early Life
アレクサンドル・ニコラエヴィッチ・クルロビッチは、1961年7月28日にソビエト連邦のグロドノで生まれた。彼はグロドノの軍スポーツ協会(SKAグロドノとしても知られる)でトレーニングを積んだ。彼の初期のキャリアはソビエト連邦の重量挙げシステムの中で培われ、最重量級の選手として頭角を現した。
1.2. Athletic Career
クルロビッチの重量挙げ選手としての主要な活動期間は、1983年から1994年にかけてである。彼はキャリアの大部分をソビエト連邦代表として過ごし、ソビエト連邦崩壊後は独立国家共同体、そしてベラルーシ代表として競技を続けた。彼は主に+110 kg級(後に+108 kg級)という最も重い階級で競い、その圧倒的な力で世界のトップに君臨した。彼の競技スタイルは、力強さと技術の融合であり、多くの世界記録を打ち立てたことで知られる。

2. Achievements and Records
アレクサンドル・クルロビッチは、重量挙げの歴史において最も偉大な選手の一人とされるほどの数々の功績と記録を樹立した。
2.1. Major Competition Results
彼の主要な国際大会での成績は以下の通りである。
年 | 開催地 | 階級 | スナッチ (kg) | クリーン&ジャーク (kg) | トータル (kg) | 順位 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1回目 | 2回目 | 3回目 | 順位 | 1回目 | 2回目 | 3回目 | 順位 | |||||
オリンピック | ||||||||||||
1988 | ソウル、韓国 | +110 kg | 202.5 | 207.5 | 212.5 | 1 | 245.0 | 250.0 | 250.0 | 1 | 462.5 | 1 |
1992 | バルセロナ、スペイン | +110 kg | 195.0 | 200.0 | 205.0 | 1 | 237.5 | 245.0 | 250.0 | 1 | 450.0 | 1 |
1996 | アトランタ、アメリカ合衆国 | +108 kg | 195.0 | 195.0 | 195.0 | 4 | 230.0 | 247.5 | -- | 7 | 425.0 | 5 |
世界選手権 | ||||||||||||
1983 | モスクワ、ソビエト連邦 | +110 kg | 195.0 | 200.0 | 205.0 | - | 245.0 | 245.0 | 262.5 | - | 450.0 | 2 |
1987 | オストラヴァ、チェコスロバキア | +110 kg | 205.0 | 210.0 | 212.5 | - | 247.5 | 260.0 | 266.0 | - | 472.5 WR | 1 |
1989 | アテネ、ギリシャ | +110 kg | 202.5 | 210.0 | 215.0 | - | 240.0 | 245.0 | 262.5 | - | 460.0 | 1 |
1991 | ドナウエッシンゲン、ドイツ | +110 kg | 195.0 | 202.5 | 205.0 | - | 237.5 | 250.0 | 262.5 | - | 455.0 | 1 |
1994 | イスタンブール、トルコ | +108 kg | 197.5 | 203.0 WR | 205.0 WR | - | 240.0 | 250.5 WR | 253.0 WR | - | 457.5 WR | 1 |
2.2. World Records and Personal Bests
クルロビッチは、彼のキャリアを通じて合計12の世界記録を樹立した。これは彼の卓越した強さと技術の証である。
彼の自己最高記録は以下の通りである。
- スナッチ: 215 kg(1989年アテネ世界選手権)
- クリーン&ジャーク: 260 kg(1987年オストラヴァ世界選手権)
- トータル: 472.5 kg(1987年オストラヴァ世界選手権、スナッチ212.5 kg + クリーン&ジャーク260 kg)
2019年時点で、スナッチで彼の215 kgを超える重量を挙げた選手は、ブルガリアのアントニオ・クラスティエフ、イランのベフダド・サリミ、アルメニアとバーレーンのゴル・ミナシャン、そしてジョージアのラシャ・タラハゼのわずか4名のみである。また、クリーン&ジャークで彼の260 kgを超える重量を挙げた選手は、ソビエト連邦のチームメイトであったセルゲイ・ディディク、アナトリ・ピサレンコ、レオニード・タラネンコ、ロシアのアンドレイ・チェメルキン、ジョージアのラシャ・タラハゼ、そしてイランのホセイン・レザザデの6名のみである。トータルでは、ラシャ・タラハゼ、ホセイン・レザザデ、レオニード・タラネンコの3名のみが、彼が1987年の世界選手権で記録した472.5 kgを上回っている。
3. Controversy
アレクサンドル・クルロビッチの輝かしい選手キャリアには、アナボリックステロイドに関連する論争の影がつきまとった。1984年、彼はカナダで開催される大会に参加する際、チームメイトのアナトリ・ピサレンコ、そしてナショナルチームのトレーナーと共に、販売目的と疑われる大量のアナボリックステロイドを所持していたことで、税関で逮捕された。この事件は国際的なスキャンダルとなり、彼はソビエト連邦の国家チームから追放されるという結果を招いた。この出来事は、彼の競技人生における汚点として記録されている。
4. Honors
クルロビッチはその功績に対し、数々の栄誉と表彰を受けている。
- ソ連功労スポーツマスター(1987年)
- 名誉勲章
- ベラルーシ共和国体育名誉労働者(1992年)
- 国際重量挙げ連盟殿堂入り(2006年)
5. Death
アレクサンドル・クルロビッチは2018年4月6日、自身の故郷であるベラルーシのグロドノで、心臓発作のため死去した。享年56歳であった。
6. Legacy and Assessment
アレクサンドル・クルロビッチは、その競技における圧倒的な力と記録によって、重量挙げの歴史にその名を刻んだ。
6.1. Impact on Weightlifting
クルロビッチは、重量挙げの最重量級において一時代を築いた選手である。2度のオリンピック金メダルと4度の世界選手権優勝、そして12の世界記録樹立という類まれな実績は、彼が単なる強豪選手ではなく、この競技における伝説的な存在であったことを示している。特に、スナッチ、クリーン&ジャーク、トータルの自己最高記録は、その後の世代のトップ選手と比較しても依然として上位に位置しており、彼の技術と身体能力がいかに高かったかを物語る。彼は後進の選手たちにとって、常に目標とされるべき存在であり、重量挙げの歴史における最重要人物の一人として記憶され続けるだろう。
6.2. Public and Historical Evaluation
アレクサンドル・クルロビッチのキャリアは、その輝かしい競技成績と同時に、アナボリックステロイド使用を巡る論争という影も持つ。彼の功績は疑いようがなく、オリンピックでの2連覇や多数の世界記録は、彼が純粋に優れたアスリートであったことを証明している。国際重量挙げ連盟殿堂入りという栄誉は、彼のスポーツへの貢献が広く認められていることを示している。しかし、1984年のステロイド事件は、彼の公衆からの評価に複雑な影響を与えた。この出来事は、スポーツにおけるドーピング問題の深刻さを浮き彫りにする一例となり、彼のレガシーを語る上で避けては通れない側面となっている。それでもなお、彼はソビエト連邦およびベラルーシ重量挙げ界の象徴として、また世界中の重量挙げファンにとって、その並外れた力と技術で記憶される存在である。