1. 概要

アリ・パルヴィン(علی پروينペルシア語)は、イランの著名なサッカー選手であり、後に監督としても活躍した人物です。1947年9月25日に生まれ、攻撃的ミッドフィールダーまたはフォワードとしてプレイし、特にペルセポリスFCでは18年間選手として、また3度の監督として計17年間を過ごし、クラブの会長も務めました。
彼はイランサッカー界で最も傑出した選手の一人として広く認識されており、AFCアジアカップの優勝に2度貢献し、オリンピックやFIFAワールドカップにも出場しました。監督としては、ペルセポリスFCを複数のリーグタイトルやカップ戦優勝に導き、イラン代表チームの監督としてもアジア競技大会で金メダルを獲得するなど、数々の成功を収めました。彼の功績は、アジアサッカー連盟からアジアのサッカーエリートの一人に選ばれ、ペルセポリスFCの殿堂入りを果たすなど、高く評価されています。この記事では、選手および監督としての彼の輝かしいキャリアと、イランサッカーに与えた多大な影響について詳細に記述します。
2. 幼少期と個人的な背景
アリ・パルヴィンは1947年9月25日に生まれました。幼少期には近所のクラブ「アーレフ」でストリートサッカーをプレイしているところを発掘されました。その後、「カヤンFC」のリザーブチームであるアルボルズFCに入団し、すぐにトップチームに昇格しました。最終的にパイカンFCに加入し、イランサッカー界での短い期間ながらも、チームのスター選手の一人として活躍しました。
3. 選手としてのキャリア
アリ・パルヴィンの選手としてのキャリアは、クラブと国際舞台の両方で輝かしいものでした。
3.1. クラブキャリア
パルヴィンはパイカンFCで頭角を現し、1969年のテヘラン州リーグ優勝に貢献しました。1970年にパイカンFCが解散すると、多くのパイカン選手と共にペルセポリスFCに移籍しました。ペルセポリスFCでは18年間プレーし、イラン革命とイラン・イラク戦争の時期には、クラブの存続に極めて重要な役割を果たしました。彼の選手としてのキャリアの終わりには、選手兼監督として活動しました。彼は1988年にプロサッカーから引退しました。
ペルセポリスFCでの選手としての主な功績には、イランサッカーリーグで3回の優勝(1972年、1974年、1976年)、エッパンディカップで1回の優勝(1979年)、テヘラン州リーグで3回の優勝(1983年、1987年、1988年)、テヘラン・ハズフィーカップで2回の優勝(1982年、1987年)があります。また、ペルセポリスFCの殿堂入りを果たし、1970年代のペルセポリスの偉大な12人の選手の一人に選ばれました。ペルセポリスでは、18年間で275試合に出場し、98得点を記録しました。
3.2. 代表キャリア

パルヴィンは1970年にイラン代表チームに初選出され、その後10年間、チームの中心選手として活躍しました。彼はAFCアジアカップで2回の優勝(1972年、1976年)を経験しました。
また、パルヴィンは1972年ミュンヘンオリンピックのサッカー競技に参加し、イランの全3試合に出場しました。さらに、1976年モントリオールオリンピックにも出場し、ここでもイランの全3試合でプレーしました。この大会ではグループリーグのポーランド代表戦で得点を挙げました。
彼は1978年のアルゼンチンワールドカップでイラン代表が敗退した後、国際サッカーから引退しました。国際Aマッチの出場数は76試合、得点数は11でした。
3.3. キャリア統計 (選手)
国際Aマッチでの得点記録を以下に示します。
| # | 日付 | 会場 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 大会 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 1972年1月1日 | パナシナイコスタジアム、アテネ、ギリシャ | クウェート代表 | 2-0 | 勝利 | 1972年オリンピック予選 |
| 2. | 1972年2月1日 | パナシナイコスタジアム、アテネ、ギリシャ | クウェート代表 | 2-0 | 勝利 | 1972年オリンピック予選 |
| 3. | 1973年5月6日 | シャヒード・シルーディ・スタジアム、テヘラン、イラン | クウェート代表 | 2-1 | 勝利 | 1974 FIFAワールドカップ予選 |
| 4. | 1974年9月3日 | アザディ・スタジアム、テヘラン、イラン | パキスタン代表 | 7-0 | 勝利 | 1974年アジア競技大会 |
| 5. | 1974年9月3日 | アザディ・スタジアム、テヘラン、イラン | パキスタン代表 | 7-0 | 勝利 | 1974年アジア競技大会 |
| 6. | 1974年9月9日 | アザディ・スタジアム、テヘラン、イラン | マレーシア代表 | 1-0 | 勝利 | 1974年アジア競技大会 |
| 7. | 1975年8月20日 | シャヒード・シルーディ・スタジアム、テヘラン、イラン | バーレーン代表 | 3-0 | 勝利 | 1976年オリンピック予選 |
| 8. | 1976年6月13日 | アザディ・スタジアム、テヘラン、イラン | クウェート代表 | 1-0 | 勝利 | 1976 AFCアジアカップ |
| 9. | 1976年7月22日 | オリンピック・スタジアム、モントリオール、カナダ | ポーランド代表 | 3-2 | 敗北 | 1976年オリンピック |
| 10. | 1977年1月28日 | アッバシヤーン・スタジアム、ダマスカス、シリア | シリア代表 | 0-1 | 勝利 | 1978 FIFAワールドカップ予選 |
| 11. | 1978年4月26日 | アザディ・スタジアム、テヘラン、イラン | ブルガリア代表 | 1-1 | 引き分け | 親善試合 |
4. 監督としてのキャリア
アリ・パルヴィンは選手引退後、サッカー監督としてイランのクラブチームと代表チームを率い、多くの成功を収めました。
4.1. クラブ監督
パルヴィンは1982年から1988年まで、古巣であるペルセポリスFCで選手兼監督を務めました。その後、1989年から1993年まで正式な監督としてチームを率い、ハズフィーカップで2度の優勝、1990-91 アジアカップウィナーズカップで優勝、1992-93 アジアカップウィナーズカップで準優勝、1992年のテヘラン州リーグで準優勝という成果を上げました。
1998年には再びペルセポリスFCの監督に復帰し、2006年まで指揮を執りました。この期間には、1998-99 ハズフィーカップ優勝、イランサッカーリーグで3回の優勝(1998-99年、1999-2000年、2001-02年)という金字塔を打ち立てました。2003-04シーズンには一時的にチームを離れましたが、翌年にはテクニカルディレクターとして復帰し、2005-06シーズンには再び監督に就任しましたが、チームの不振によりシーズン終了後に退任しました。
4.2. 代表監督
ペルセポリスFCの監督を務めていた1989年から1993年には、イラン代表チームの監督も兼任しました。この期間中、彼は1990年アジア競技大会でイラン代表を金メダルに導きました。しかし、1992年のアジアカップでの早期敗退と1994 FIFAワールドカップ予選での敗退が響き、1993年に解任され、スタンコ・ポクレポビッチに交代しました。
4.3. 監督統計
以下に、アリ・パルヴィンの監督としての統計データと、シーズンごとの成績を示します。
| 国 | チーム | 就任 | 退任 | 記録 | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合数 | 勝利 | 引き分け | 敗北 | 勝率 | |||||||
| イラン | ペルセポリスFC | 1982年2月 | 1993年11月 | 317 | 200 | 99 | 18 | 63% | |||
| イラン | イラン代表 | 1989年11月 | 1993年10月 | 34 | 15 | 11 | 8 | 44% | |||
| イラン | ペルセポリスFC | 1998年9月 | 2003年6月 | 130 | 71 | 45 | 14 | 55% | |||
| 合計 | 501 | 291 | 165 | 45 | 58% | ||||||
| シーズン | クラブ | 国内大会 | 国際大会 | 獲得タイトル数 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| リーグ戦 | テヘラン州リーグ | カップ戦 | テヘラン・ハズフィーカップ | テヘラン・スーパーカップ | ACL | ACW | |||
| 1981-82 | ペルセポリスFC | 準優勝 | 優勝 | 1 | |||||
| 1982-83 | 優勝 | 1 | |||||||
| 1983-84 | 準優勝 | 0 | |||||||
| 1984-85 | 0 | ||||||||
| 1985-86 | 5位 | 0 | |||||||
| 1986-87 | 優勝 | 16強 | 優勝 | 2 | |||||
| 1987-88 | 優勝 | 優勝 | 2 | ||||||
| 1988-89 | 優勝 | 準決勝 | 予選 | 1 | |||||
| 1989-90 | 準優勝 | 優勝 | 1 | ||||||
| 1990-91 | 優勝 | 準決勝 | 優勝 | 2 | |||||
| 1991-92 | 3位 | 準優勝 | 優勝 | 1 | |||||
| 1992-93 | 準優勝 | 準優勝 | 0 | ||||||
| 1993-94 | なし | ||||||||
| 1994-95 | |||||||||
| 1995-96 | |||||||||
| 1996-97 | |||||||||
| 1997-98 | |||||||||
| 1998-99 | ペルセポリスFC | 優勝 | 優勝 | 2 | |||||
| 1999-00 | 優勝 | 3位 | 1 | ||||||
| 2000-01 | 準優勝 | 16強 | 3位 | 0 | |||||
| 2001-02 | 優勝 | 準々決勝 | 1 | ||||||
| 2002-03 | 準優勝 | 16強 | グループステージ | 0 | |||||
| 2003-04 | なし | ||||||||
| 2004-05 | |||||||||
| 2005-06 | ペルセポリスFC | 9位 | 準優勝 | 0 | |||||
- ACW = アジアカップウィナーズカップ
- TPL = テヘラン州リーグ
- THC = テヘラン・ハズフィーカップ
- TSC = テヘラン・スーパーカップ
5. 運営役員としてのキャリア

選手および監督としてのキャリアを終えた後も、アリ・パルヴィンはサッカーの行政分野で重要な役割を果たしました。
2007年4月30日、彼はアーザデガン・リーグのクラブであるエクバタンFCの買収を主導し、同クラブはスティール・アジンFCと改名されました。彼はまた、取締役会のメンバーの一人となりました。2010年12月1日にはスティール・アジンの会長に選出されましたが、チームが2011年6月15日にアーザデガン・リーグに降格したため辞任しました。
彼は2001年5月から10月までペルセポリスFCの会長代行も務めました。2011年9月19日からは、2度目のペルセポリスの取締役会メンバーとして活動しました。2014年1月22日、クラブの会長であるモハンマド・ロウヤニアンの辞任後、パルヴィンは暫定会長に任命されました。
6. 栄誉
アリ・パルヴィンは選手としても監督としても数々の栄誉を獲得してきました。
6.1. 選手としての栄誉
6.1.1. クラブタイトル
- パイカンFC**
- テヘラン州リーグ: 優勝 (1969年)
- ペルセポリスFC**
- イランサッカーリーグ: 優勝 (1972年、1974年、1976年)、準優勝 (1975年、1977年、1978年)
- エッパンディカップ: 優勝 (1979年)
- テヘラン州リーグ: 優勝 (1983年、1987年、1988年)、準優勝 (1982年、1984年)
- テヘラン・ハズフィーカップ: 優勝 (1982年、1987年)、準優勝 (1981年)
6.1.2. 代表タイトル
- イラン代表**
- AFCアジアカップ: 優勝 (1972年、1976年)
- アジア競技大会: 金メダル (1974年)
6.1.3. 個人タイトル
- AFCアジアカップ最優秀選手: 1976年
6.2. 監督としての栄誉
6.2.1. クラブタイトル
- ペルセポリスFC**
- アジアカップウィナーズカップ: 優勝 (1991年)、準優勝 (1993年)
- イランサッカーリーグ: 優勝 (1998-99年、1999-2000年、2001-02年)、準優勝 (1989-90年、1992-93年、2000-01年)
- ハズフィーカップ: 優勝 (1987-88年、1991-92年、1998-99年)
- テヘラン州リーグ: 優勝 (1983年、1987年、1988年、1989年、1990年、1991年)、準優勝 (1982年、1992年)
- テヘラン・ハズフィーカップ: 優勝 (1982年、1987年)
6.2.2. 代表タイトル
- イラン代表**
- アジア競技大会: 優勝 (1990年)
6.2.3. 個人タイトル
- イランサッカーリーグ年間最優秀監督: 2000年、2002年
- ペルセポリスFC殿堂入り (監督部門): 2013年
- AFCゴールデンエリート: 2013年
- イランサッカー殿堂入り (監督部門): 2014年
7. 評価と功績
アリ・パルヴィンは、イランサッカー界で最も傑出した選手の一人として、そして成功した監督として広く認識されています。彼はAFCによって選ばれたアジアのサッカーエリート17人の一人であり、その功績を称えられ、記念の像を授与されました。
また、彼はペルセポリスFCの殿堂入りを果たしており、現役時代の素晴らしい活躍に対しクラブから感謝の意が表されました。クラブは彼の顔の像を贈呈し、1970年代のペルセポリスの偉大な12人の選手の一人に彼を指名しました。監督としても、2000年と2002年にイランサッカーリーグ年間最優秀監督に選ばれ、2013年にはペルセポリス殿堂入り、2014年にはイランサッカー殿堂入りを果たすなど、その指導力と実績は高く評価されています。
8. 私生活
アリ・パルヴィンは1976年に結婚しました。彼には2人の娘と1人の息子がいます。息子であるモハンマド・パルヴィンも元サッカー選手であり、ペルセポリスFCやパイカンFCでプレーしました。彼は妻と子供たちの家族と共に、テヘラン近郊のラヴァサーン地区に自身が建てた家に住んでいます。