1. 生い立ちと背景
1.1. 出生と成長
アレクサンダル・シュシュニャルは1995年8月19日にオーストラリアのパースで生まれた。セルビア系オーストラリア人である。13歳の時、父から「セルビアに渡ってサッカー選手としてのキャリアを築かないか」と提案され、「もしうまくいかなくても、いつでもオーストラリアに戻ってこられる」という考えで、欧州へ渡る決断をした。セルビアでの生活では、時差に悩まされながらも、オーストラリアの通信教育を受けつつサッカーの練習に励んだ。
1.2. 初期キャリア
シュシュニャルは2010年から2013年までセルビアのFKラド・ベオグラードのユースアカデミーに所属し、サッカー選手としての基礎を築いた。2013年にはリトアニアのAリーガに所属するFKエクラナス・パネヴェジースに加入し、シニアデビューを果たした。
2. クラブ経歴
シュシュニャルのプロサッカークラブでのキャリアは、欧州各地、韓国のKリーグ、そして母国オーストラリアのAリーグで展開されてきた。
2.1. 欧州での活動
2013年から2014年にかけて、リトアニアのFKエクラナス・パネヴェジースでプレイし、30試合に出場して5得点を記録した。しかし、翌年にクラブが解散したため、2015年にはルーマニアのFCボトシャニに移籍したが、ここでは出場機会はなかった。
同年7月に一時オーストラリアに戻りパースSCに加入したが、8月には再び欧州へ渡り、セルビアのFKドニ・スレムで23試合に出場し1得点を挙げた。2016年2月には再びリトアニアに戻り、FKリエタヴァに加入。ここでは14試合に出場し1得点を記録した。
2016-17シーズンにはルーマニアのリーガ1に所属するCSガズ・メタン・メディアシュに加入し、18試合に出場したが得点はなかった。このクラブでの半年間の後、チェコのFKテプリツェに移籍し、27試合に出場した。
2018年1月にはFKムラダー・ボレスラフに完全移籍。同年7月24日にはスロバキアのMŠKジリナへ半年間の期限付き移籍を経験し、12試合に出場した。その後、2020年までFKムラダー・ボレスラフに在籍し、9試合に出場した。2023年には再びセルビアに戻り、FKノヴィ・パザルで3試合に出場した。
2.2. Kリーグでの活動
2019年2月28日、シュシュニャルは韓国のKリーグに所属する釜山アイパークに期限付き移籍した。ここでは「シュシュニャル」(수신야르Susinyar韓国語)という登録名でプレイし、29試合に出場した。
2.3. Aリーグでの活動
2015年に一時帰国した際にパースSCで4試合に出場し1得点を挙げた後、2020年10月にAリーグの新規参入クラブであるマッカーサーFCに加入した。彼は2023年5月にクラブを離れるまで、マッカーサーFCで50試合に出場し2得点を記録した。
2023年9月にはAリーグ・メンのパース・グローリーに加入し、再び故郷のクラブでプレイした。しかし、2024年5月にパース・グローリーを離れ、ニューカッスル・ジェッツへ移籍することが発表された。
3. 代表経歴
シュシュニャルは、セルビアのユース代表を経て、オーストラリアのユース代表およびフル代表として国際舞台で活躍している。
3.1. ユース代表
シュシュニャルは当初、セルビアの世代別代表としてプレイし、2011年にはU-17セルビア代表で1試合に出場した。その後、オーストラリアサッカー協会の注目を集め、2018年1月にはオーストラリアU-23代表に選出され、3試合に出場した。
3.2. フル代表
2018年3月、シュシュニャルはベルト・ファン・マルワイク監督が率いるサッカーオーストラリア代表(サッカールーズ)の初めての招集メンバーに選出され、フル代表に初選出された。同年3月23日に開催されたノルウェー代表との親善試合で、オーストラリア代表としてA代表デビューを飾り、これまでに1試合に出場している。
4. 私生活
彼の私生活に関する情報として、多様な語学力や、同姓同名の他のサッカー選手との混同といった背景が知られている。
4.1. 語学力
シュシュニャルは英語を母語としており、加えてセルビア語、リトアニア語、チェコ語を流暢に話すことができる。また、ルーマニア語も日常会話に困らない程度に操ることができるなど、複数の言語を習得しているマルチリンガルである。
4.2. 身体的特徴
彼の身長は191 cm、体重は81 kgであり、利き足は左足である。
4.3. 同姓同名の選手との混同
アレクサンダル・シュシュニャルは、彼より1歳年上の同姓同名のセルビア人サッカー選手とよく混同されることがある。このもう一人のアレクサンダル・シュシュニャルも、かつてFKドニ・スレムでプレイしており、彼らの兄であるミランもサッカー選手である。