1. 概要
アレクサンドル・ミハイロヴィチ・ズベレフ(Александр Михайлович Зверевロシア語、1960年1月22日 - )は、ロシア出身の元プロテニス選手であり、現在はテニスコーチである。選手としてはソ連代表として活躍し、1979年から1987年までデビスカップのソ連代表チームでプレーした。現役引退後はドイツへ移住し、テニス指導者として活動している。彼はプロテニス選手であるイリーナ・ズベレワの夫であり、同じくプロテニス選手であるミーシャ・ズベレフとアレクサンダー・ズベレフの父親である。
2. 選手としてのキャリア
アレクサンドル・ミハイロヴィチ・ズベレフは、ソビエト連邦およびロシアを代表するプロテニス選手として、国内外の主要大会で数々の実績を残した。
2.1. 初期キャリアとデビスカップ
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ズベレフはソチで生まれ、1979年にソ連のデビスカップ代表チームに選出され、プロテニス選手としてのキャリアをスタートさせた。同年8月、1980年のデビスカップヨーロッパ地域予選におけるギリシャ戦でプロデビューを果たし、ニコラオス・カロゲロプロスを破って勝利を収めた。
2.2. 主要国際大会での活躍
ズベレフは数々の主要な国際アマチュア大会で輝かしい成績を収めた。1983年7月にカナダのエドモントンで開催された1983年夏季ユニバーシアードでは、男子シングルスで銅メダルを獲得した。
1984年8月にはポーランドのカトヴィツェで開催されたフレンドシップ・ゲームに参加。この大会では男子シングルスでチームメイトのヴァディム・ボリソフを破り金メダルを獲得したほか、セルゲイ・レオニュークと組んだ男子ダブルスでも銀メダルを獲得した。
1985年8月、日本の神戸市で開催された1985年夏季ユニバーシアードに出場し、男子シングルスでルーマニアのフロリン・セゲルチャヌを破って金メダルを獲得。さらに、セルゲイ・レオニュークとの男子ダブルスでも金メダルを獲得し、2年前の成績を上回る活躍を見せた。
翌1986年7月にはモスクワで開催された1986年グッドウィルゲームズに参加。ここでもセルゲイ・レオニュークとペアを組み、チェコスロバキアのカレル・ノバチェクとマリアン・バイダ組を破り、男子ダブルスで金メダルを獲得した。
2.3. グランドスラム大会出場
ズベレフはキャリアを通じてグランドスラム大会に合計3回出場した。
1985年全豪オープンでは、予選を勝ち抜いて本戦に進出したが、1回戦でティム・ウィルキソンに敗れた。
1986年ウィンブルドン選手権でも予選から出場し、1回戦でティム・メイヨットと対戦したが、ストレートセットで敗れた。
また、1986年全仏オープンではスベトラーナ・チェルネワと組んで混合ダブルスに出場した。
2.4. ATPチャレンジャーツアーでの活動
ズベレフは主にATPチャレンジャーツアーで活動し、そこで当時のトップ50選手であったアンドレイ・チェスノコフとヤン・グンナーソンに対し勝利を収めるなど、注目すべき成果を上げた。また、グランプリ・テニス・サーキットの一部であった1985年ジュネーブ・オープンでは2回戦に進出した。
2.5. ソ連選手権での実績
ズベレフは、ソ連国内選手権大会で目覚ましい成功を収めた。男子シングルスで3回、男子ダブルスで4回の優勝を飾っている。
2.6. デビスカップ記録
ズベレフは1987年に最後のデビスカップに出場し、プロ選手としてのキャリアを終えた。デビスカップでは通算36試合(ラバー)に出場し、そのうち18勝を挙げた。特筆すべき勝利の一つに、当時テニスダブルスの世界ランキング1位であったチェコスロバキアのリボル・ピメクとトマーシュ・シュミットのペアに対するダブルスでの勝利がある。
3. コーチとしてのキャリア
選手としてのキャリアを終えた後、アレクサンドル・ミハイロヴィチ・ズベレフはテニスコーチとしての新たな道を歩み始めた。彼は1991年に家族と共にロシアからドイツへ移住し、以降ドイツを拠点に指導活動を行っている。
4. 個人生活
アレクサンドル・ミハイロヴィチ・ズベレフの個人生活は、家族との絆、特にテニス一家としての側面、そしてロシアからドイツへの移住という重要な転機によって特徴づけられる。
4.1. 家族
アレクサンドル・ミハイロヴィチ・ズベレフは、元プロテニス選手であるイリーナ・ズベレワと結婚した。彼らには二人の息子がおり、いずれもプロテニス選手として活躍している。長男はミーシャ・ズベレフであり、次男はアレクサンダー・ズベレフである。ミーシャはロシアで生まれたが、ドイツで育ち、ATPツアーではドイツ代表としてプレーしている。アレクサンダーはドイツで生まれ、2013年にプロに転向した。ズベレフ兄弟は、両親の国籍であるロシアではなく、ドイツを第一国籍として選択している。
4.2. ドイツへの移住
アレクサンドル・ミハイロヴィチ・ズベレフは、1991年に妻のイリーナ・ズベレワと共にロシアからドイツへと移住した。この移住は、彼のコーチとしてのキャリアの基盤となり、二人の息子たちがドイツでテニス選手として成長する上で重要な転機となった。