1. 生涯と背景
イリアス・イリアディスの柔道人生は、彼の故郷であるジョージアでの幼少期から始まりました。家族の柔道への深い関わりは、彼がこのスポーツに打ち込む上で重要な要素となりました。
1.1. 出生と家族
イリアス・イリアディスは、本名をჯარჯი ზვიადაურიジャルジ・ズビャウリグルジア語といい、1986年11月10日に旧ソビエト連邦グルジア・ソビエト社会主義共和国(現在のジョージア)のカヘティ州アフメタで生まれました。彼の家族には柔道の才能を持つ者が多く、特に2004年アテネオリンピック男子90kg級で金メダルを獲得したズラブ・ズビャウリは彼のいとこにあたります。
1.2. 国籍取得と初期の柔道
イリアディスは10歳の時にジョージアで柔道を始め、後に世界のトップ選手となるアブタンディル・チリキシビリやヴァルラーム・リパルテリアニらと同じ道場で厳しい訓練を積みました。2002年に、家族と共にギリシャに移住し、ギリシャに帰化しました。この移住と国籍取得は、彼のキャリアにおける重要な転機となりました。ギリシャでの生活の中で、彼はニコラス・イリアディスに養子として迎えられ、イリアス・イリアディスの名を名乗るようになりました。
2. 柔道選手としてのキャリア
イリアス・イリアディスの柔道選手としてのキャリアは、ジュニア・カデット時代から目覚ましいものでした。彼は若くして国際舞台で頭角を現し、数々の歴史的記録を打ち立てました。
2.1. ジュニア・カデット時代の活躍
イリアディスはジュニア・カデット時代からその才能を発揮し、早くから注目を集めました。73kg級で出場した2001年のヨーロッパユースオリンピックフェスティバルでは優勝を飾り、同年開催されたヨーロッパカデ柔道選手権大会でも優勝を果たしました。続く2002年にはヨーロッパジュニア柔道選手権大会で3位に入賞し、2003年のヨーロッパU23柔道選手権大会では優勝を果たすなど、シニアの舞台に進出する前から国際大会で安定した成績を残しました。これらの経験が、彼が将来的に世界を代表する柔道家となるための土台を築きました。
2.2. シニアデビューとアテネオリンピック金メダル (2004年)
2004年、イリアディスはシニアデビューを果たし、81kg級でフランス国際とドイツ国際でそれぞれ3位に入賞しました。同年にはルーマニアのブカレストで開催されたヨーロッパ柔道選手権大会に出場し、史上最年少での優勝という快挙を成し遂げました。この勢いのまま、彼は自国開催となったアテネでの2004年アテネオリンピックに男子81kg級で出場しました。当時17歳という若さながら、イリアディスは圧倒的な強さを見せ、金メダルを獲得しました。この快挙は、男子柔道史上最年少での金メダル獲得という歴史的記録であり、彼の柔道界における伝説の始まりとなりました。この功績により、彼はギリシャ軍の大佐に任命されるという栄誉も得ました。
2.3. 世界・ヨーロッパ選手権での成功 (2005年-2011年)

アテネオリンピックでの成功後、イリアディスは階級を90kg級に上げ、新たな挑戦を続けました。2005年の世界柔道選手権大会では決勝で日本の泉浩に敗れ銀メダルを獲得しましたが、同年開催された地中海競技大会では90kg級で優勝を果たしました。2007年の世界柔道選手権大会でも決勝でイラクリ・チレキゼに敗れ、2大会連続の銀メダルとなりました。
2008年、イリアディスは北京で開催された2008年北京オリンピックの開会式で、ギリシャ選手団の旗手という大役を務めました。これは、鳥の巣国家体育場に最初に入場する選手としての名誉であり、彼のギリシャにおける象徴的な存在感を物語るものでした。しかし、競技では2回戦敗退という不本意な結果に終わりました。
2007年の世界柔道選手権大会で2位になって以降、怪我の影響もあり一時的に成績が低迷し、「半ば引退」とも囁かれる時期がありました。しかし、イリアディスは不屈の精神で復活を遂げます。2010年の東京で開催された世界柔道選手権大会では、優勝候補と目された日本の小野卓志や西山大希らを次々と破り、見事に金メダルを獲得しました。同年にはヨーロッパ柔道選手権大会で銅メダルも獲得しています。
2011年には、パリで開催された世界柔道選手権大会で、前年に引き続き決勝で西山大希と対戦し、大腰で一本勝ちを収めて2年連続の世界選手権優勝を果たしました。また、同年にはイスタンブールで開催されたヨーロッパ柔道選手権大会でも金メダルを獲得し、さらにワールドマスターズでは銀メダル、グランドスラム・モスクワでは金メダルを獲得するなど、90kg級においても国際舞台での強さを改めて証明しました。
2.4. その後のオリンピック出場 (2008年、2012年、2016年)
イリアディスは計4回のオリンピックに出場し、各大会で様々な経験をしました。2008年の北京オリンピックでは旗手を務めながらも2回戦敗退という結果に終わりましたが、その後も弛まぬ努力を続けました。
ロンドンで開催された2012年ロンドンオリンピックでは、優勝候補の一角として臨みましたが、準々決勝でロシアのキリル・デニソフに有効で敗れる波乱がありました。しかし、彼は敗者復活戦を勝ち上がり、見事に銅メダルを獲得し、2大会ぶりのメダル獲得となりました。
2013年のリオデジャネイロで開催された世界柔道選手権大会では、準決勝でキューバのアスレイ・ゴンサレスに有効で敗れましたが、3位決定戦に勝利し銅メダルを獲得しました。
2014年にはロシアのチェリャビンスクで開催された世界柔道選手権大会に出場し、決勝でハンガリーのトート・クリスティアーンを払巻込で一本勝ちで破り、2011年以来となる自身3度目の世界選手権優勝を飾りました。これにより、彼は柔道史上でも類を見ない偉大な選手としての地位を確固たるものにしました。2015年にはバクーで開催されたヨーロッパ競技大会で銅メダルを獲得しています。
リオデジャネイロで開催された2016年リオデジャネイロオリンピックは、彼の選手キャリアの最終舞台となりました。しかし、初戦で中国の程訓釗に大外刈で敗れ、早期敗退となりました。
2.5. 選手キャリアの終焉と引退
2016年リオデジャネイロオリンピックでの敗退後、イリアディスは現役引退を表明しました。これは、長年のトップ選手としての激しい戦いと、度重なる怪我との闘いの末の決断でした。しかし、彼は柔道への情熱を捨てきれず、2017年には世界選手権(無差別)に出場し、一時的に現役復帰を果たしました。しかし、この大会では初戦でオランダのロイ・メイヤーに大外刈の技ありで敗れ、再び引退を表明しました。この一連の出来事は、彼の柔道への深い愛情と、選手としての限界への挑戦を示していました。
3. コーチとしてのキャリア
選手としての輝かしいキャリアを終えた後、イリアディスは柔道への情熱を指導者として次の世代に伝える道を選びました。2019年11月からは、ウズベキスタン柔道ナショナルチームのヘッドコーチに就任しました。彼の豊富な経験と実績、そして国際的な舞台での知見は、ウズベキスタン柔道チームの強化に大きく貢献しています。彼の指導のもと、ウズベキスタンの柔道家たちはさらなる高みを目指しています。
4. 受賞と評価
イリアス・イリアディスは、その並外れた柔道選手としての功績により、数々の賞や称号を受けてきました。彼はギリシャ国内だけでなく、国際的にも高く評価されています。2004年のアテネオリンピックでの金メダル獲得後、彼はギリシャ軍の大佐に任命され、国家への貢献が称えられました。また、2014年にはその年のギリシャ年間最優秀男子選手に選出されるなど、彼の活躍はスポーツ界を超えて広く認知されました。彼のキャリアは、若きアスリートにとっての模範であり、不屈の精神と努力が報われることを示すものでした。
5. 主な戦績
イリアス・イリアディスの主な戦績を以下に示します。
年 | 大会 | 開催地 | 順位 | 階級 | |
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73kg級 | |||||
2001 | ヨーロッパユースオリンピックフェスティバル | 優勝 | 73kg級 | ||
2001 | ヨーロッパカデ柔道選手権大会 | 優勝 | 73kg級 | ||
2002 | ヨーロッパジュニア柔道選手権大会 | ロッテルダム | 3位 | 73kg級 | |
2003 | ヨーロッパU23柔道選手権大会 | エレバン | 優勝 | 73kg級 | |
81kg級 | |||||
2004 | フランス国際 | パリ | 3位 | 81kg級 | |
2004 | ドイツ国際 | デュッセルドルフ | 3位 | 81kg級 | |
2004 | ヨーロッパ柔道選手権大会 | ブカレスト | 優勝 | 81kg級 | |
2004 | オリンピック | アテネ | 優勝 | 81kg級 | |
90kg級 | |||||
2005 | フランス国際 | パリ | 優勝 | 90kg級 | |
2005 | 地中海競技大会 | アルメリア | 優勝 | 90kg級 | |
2005 | 世界柔道選手権大会 | カイロ | 2位 | 90kg級 | |
2006 | チェコ国際 | プラハ | 2位 | 90kg級 | |
2006 | オランダ国際 | ロッテルダム | 優勝 | 90kg級 | |
2006 | ポルトガル国際 | リスボン | 2位 | 90kg級 | |
2006 | 世界軍人柔道選手権大会 | 優勝 | 90kg級 | ||
2006 | ヨーロッパU23柔道選手権大会 | モスクワ | 優勝 | 90kg級 | |
2007 | フランス国際 | パリ | 2位 | 90kg級 | |
2007 | ドイツ国際 | デュッセルドルフ | 優勝 | 90kg級 | |
2007 | イタリア国際 | ローマ | 3位 | 90kg級 | |
2007 | ルーマニア国際 | ブカレスト | 優勝 | 90kg級 | |
2007 | 世界柔道選手権大会 | リオデジャネイロ | 2位 | 90kg級 | |
2007 | ミリタリーワールドゲームズ | 優勝 | 90kg級 | ||
2007 | 嘉納杯 | 東京 | 優勝 | 90kg級 | |
2008 | グルジア国際 | トビリシ | 2位 | 90kg級 | |
2008 | フランス国際 | パリ | 優勝 | 90kg級 | |
2008 | オリンピック | 北京 | 20位 | 90kg級 | |
2009 | タリン国際 | タリン | 2位 | 90kg級 | |
2009 | 地中海競技大会 | ペスカーラ | 優勝 | 90kg級 | |
2010 | ヨーロッパ柔道選手権大会 | ウィーン | 3位 | 90kg級 | |
2010 | グランドスラム・リオデジャネイロ | リオデジャネイロ | 5位 | 90kg級 | |
2010 | サンパウロ国際 | サンパウロ | 3位 | 90kg級 | |
2010 | マドリード国際 | マドリード | 3位 | 90kg級 | |
2010 | グランドスラム・モスクワ | モスクワ | 5位 | 90kg級 | |
2010 | 世界柔道選手権大会 | 東京 | 優勝 | 90kg級 | |
2011 | ワールドマスターズ | バクー | 2位 | 90kg級 | |
2011 | グランプリ・デュッセルドルフ | デュッセルドルフ | 5位 | 90kg級 | |
2011 | ヨーロッパ柔道選手権大会 | イスタンブール | 優勝 | 90kg級 | |
2011 | グランドスラム・モスクワ | モスクワ | 優勝 | 90kg級 | |
2011 | 世界柔道選手権大会 | パリ | 優勝 | 90kg級 | |
2011 | グランドスラム・東京 | 東京 | 5位 | 90kg級 | |
2012 | ワールドマスターズ | アルマトイ | 5位 | 90kg級 | |
2012 | グランドスラム・モスクワ | モスクワ | 優勝 | 90kg級 | |
2012 | オリンピック | ロンドン | 3位 | 90kg級 | |
2013 | 世界柔道選手権大会 | リオデジャネイロ | 3位 | 90kg級 | |
2013 | グランプリ・チェジュ | チェジュ | 2位 | 90kg級 | |
2014 | グランプリ・デュッセルドルフ | デュッセルドルフ | 優勝 | 90kg級 | |
2014 | 世界柔道選手権大会 | チェリャビンスク | 優勝 | 90kg級 | |
2015 | ヨーロッパ競技大会 | バクー | 3位 | 90kg級 | |
2015 | グランプリ・チェジュ | チェジュ | 3位 | 90kg級 | |
2016 | ワールドマスターズ | グアダラハラ | 5位 | 90kg級 | |
2016 | オリンピック | リオデジャネイロ | 17位 | 90kg級 | |
無差別級 | |||||
2017 | 世界柔道選手権大会(無差別) | マラケシュ | 初戦敗退 | 無差別級 |