1. 生涯
エルネスト・ソルベーは、自身の探求心と社会貢献の精神をもって、その生涯を歩みました。
1.1. 生い立ちと教育
エルネスト・ソルベーは1838年4月16日、ブラバン・ワロン州のレベックで誕生しました。彼の家族はブリュッセル南方の農村地域で鉱山を所有する地元のブルジョワ階級に属していました。エルネストは弟のアルフレッド・ソルベーと共にキリスト教系の寄宿学校で学び、幼少期から物理学や化学に強い関心を示していました。彼は中等学校の先輩から専門的な科学知識を学び、リエージュで専門知識を深めるなど、高等教育に相当する学びを続け、当初はエンジニアになることを志していました。しかし、17歳の時に胸膜炎を患い、医師から安静を指示されたため、大学に進学することはできませんでした。この病気により、彼はベッドでの療養中に多くの時間を独学に費やし、科学への情熱をさらに深めました。
1.2. 私生活と死去
エルネスト・ソルベーは、その生涯を産業と慈善活動に捧げました。彼は1922年5月26日にイクセルで84歳で死去し、イクセル墓地に埋葬されました。
2. 産業における功績
エルネスト・ソルベーの最大の功績は、化学工業、特に無機化学の分野に革新をもたらしたことにあります。
2.1. 初期職務経験と研究
大学進学を断念した後、エルネスト・ソルベーは21歳で家業である店舗の会計士として働き始めました。その後、ブリュッセルのサン=ジョス=テン=ノードにあった叔父のガス工場で実習生として管理者の職務に就きました。彼はこの工場で、労働者を監督する傍ら、ガス生産過程で失われるアンモニアの液濃度について実験を行いました。また、化学者アンリ・ベルジェの公開講座に参加したり、産業博物館(Musée de l'industrie)を頻繁に訪れるなどして、知識の習得に努めました。
2.2. ソルベー法の開発と特許取得
1861年、エルネスト・ソルベーは弟のアルフレッド・ソルベーと共に、塩化ナトリウムを供給する塩水と炭酸カルシウムを供給する石灰石からソーダ灰(無水炭酸ナトリウム)を製造するためのアンモニア・ソーダ法、通称「ソルベー法」を開発しました。これは、当時の主要なソーダ製造法であったルブラン法に比べて、より効率的で環境負荷の低い画期的な方法でした。彼はこの年、自身の実験室で塩、アンモニア、炭酸ガスを混合して炭酸ナトリウムを製造することに成功し、直ちに特許を申請しました。この発見は、他の化学者が理論的な可能性に留まっていた反応を実用化したものであり、ソルベーは1872年までに製造法をさらに完成させ、特許を再取得しました。ソルベー法の登場により、工業規模での重無機化学産業が確立され、ソーダの価格は大幅に低下しました。1870年には1トンあたり40 GBPであったソーダの価格は、1900年には1トンあたり12 GBPにまで下落しました。
2.3. ソルベー社 (Solvay & Cie) の設立と国際展開
ソルベー法の発明に続き、エルネスト・ソルベーは1863年に弟のアルフレッド、そしてルイ=フィリップ・アシュロワを含む友人と共にソルベイ社を設立しました。彼らはまずブリュッセルのスケールベークに試験工場を建設し、次いでシャルルロワに統合されたクイエに最初の工場を設立しました。設立当初の運営資金は父親からの援助によって賄われましたが、ソルベー社は技術的および財政的な課題に直面しました。しかし、ギヨーム・ネリス、ユードル・ピルメール、ヴァランタン・ランベールという金融、政治、法律、商業、産業の各分野で影響力を持つ3人の有力な事業家からの資金援助を得ることで、この困難を乗り越え、企業は長期的な存続を確保することができました。
ソルベー法が特許取得後、その工場は急速に世界各地に拡大しました。イギリス、アメリカ合衆国、ドイツ、オーストリア、ウクライナのリシチャンシク、ロシアなど、世界中にソルベー法の製造工場が設立されました。現在でも、世界中で約70のソルベー法プラントが稼働しており、この技術の enduring な影響を示しています。また、アメリカ合衆国で最初のソルベー法プラントが建設されたニューヨーク州ソルベーや、イタリアのロジーニャーノ・ソルベーといった都市は、彼の名にちなんで名付けられています。
3. 慈善活動と社会貢献
エルネスト・ソルベーは、自身の発明と事業で得た莫大な富を、人類の福祉増進と社会全体の発展のために積極的に活用しました。彼の慈善活動は、科学研究、教育、社会学の分野に広範に及びました。
3.1. 教育・科学機関の設立
ソルベーは、教育と科学の進展に強い関心を持っていました。彼はブリュッセル自由大学に多大な貢献をしました。
- 社会学研究所 (Institut des Sciences Sociales - ISS)**: 1894年、彼は社会学の研究を目的とした研究所を設立しました。これは、社会科学分野における先駆的な取り組みでした。
- 国際物理学・化学研究所**: 同じく1894年、ソルベーは物理学と化学の国際的な研究を促進するための研究所を設立しました。これは、当時の最先端科学研究を支援する基盤となりました。
- 生理学研究所**: 1895年には、生理学の分野にも貢献するため、生理学研究所を設立しました。
- ソルベー経営大学院 (Solvay Business School)**: 1903年、彼は経営学の教育機関であるソルベー経営大学院を設立し、次世代のビジネスリーダーの育成に尽力しました。
また、フランスのナンシーには、電気工学を専門とする学校(現在の国立ナンシー電気力学学校)の設立にも貢献しました。ソルベーは、自身の富を科学、物理学、教育学の研究を促進する財団設立に投資することを決意し、人間社会の福祉を増進するという明確な目的を持って行動しました。
3.2. ソルベー会議

エルネスト・ソルベーの科学への貢献を象徴するのが、彼が創設したソルベー会議です。1911年、彼はブリュッセル自由大学において、世界一流の物理学者や化学者を招き、専門的な学術討議を行う一連の重要な会議を開始しました。この会議は、当時まだ32歳だったアルベルト・アインシュタインをはじめ、マックス・プランク、アーネスト・ラザフォード、マリ・キュリー、アンリ・ポアンカレといった著名な科学者が参加し、物理学の発展に多大な影響を与えました。その後の会議には、ニールス・ボーア、ヴェルナー・ハイゼンベルク、マックス・ボルン、エルヴィン・シュレーディンガーなども名を連ね、20世紀の科学史における重要な転換点となりました。ソルベー会議は、分野横断的な議論を促進し、科学的発見を加速させるための重要なプラットフォームとして機能しました。
4. 政治的キャリア
エルネスト・ソルベーは、産業界と慈善活動での功績に加え、政治にも関与し、社会政策にも早くから強い関心を示していました。彼はベルギーの上院議員に自由党から2度選出され、国家の立法に貢献しました。その功績が認められ、生涯の終盤には1918年に国務大臣の名誉称号が授与されました。
5. 遺産と栄誉
エルネスト・ソルベーの業績は、化学産業と科学研究の双方に計り知れない影響を与え、その功績は現代まで称えられ続けています。
5.1. 産業・科学への影響
ソルベーが発明したソルベー法は、重無機化学産業の基礎を築き、ガラスや洗剤といった日常製品の生産に不可欠な炭酸ナトリウムを安価に供給することを可能にしました。これにより、関連産業の発展が促進され、経済全体に大きな影響を与えました。また、彼が設立した多数の科学・教育機関や、彼が主催したソルベー会議は、科学研究の発展に貢献し、多くの画期的な発見の議論の場となりました。彼の哲学は、科学的進歩が社会全体の福祉と幸福に直結するというものであり、産業と科学の境界を越えて社会に貢献する道を切り開きました。
5.2. 栄誉と記念
エルネスト・ソルベーは、その多大な功績により、数々の栄誉を授与されました。1918年11月21日には王室令により国務大臣の職位を授与され、同年12月8日にはレオポルド勲章のグラン・コルドン章を受章しました。さらに、1919年11月7日にはフランスのレジオンドヌール勲章グラン・コルドン章を授与されました。
彼の名は、彼が設立した企業や技術だけでなく、地名や天体にも残されています。アメリカ合衆国で最初のソルベー法工場が建設されたニューヨーク州のソルベーや、イタリアのロジーニャーノ・ソルベーは、彼の功績を記念して名付けられました。また、小惑星のソルベー (小惑星)も彼の名にちなんで命名されています。
6. 関連項目
- ソルベー (企業)
- ソルベー会議
- ソルベー・インスティテュート・オブ・ソシオロジー
- ソルベー・ハット
- エミール・ヴァクスワイラー