1. 生い立ちと教育
1.1. 幼少期と高校時代
ジョアンナ・ヘイズは1976年12月23日にアメリカ合衆国ペンシルベニア州ウィリアムズポートで生まれた。彼女の父親は、ロサンゼルスでホームレス支援活動家として知られるテッド・ヘイズである。幼少期を過ごした後、彼女はカリフォルニア州リバーサイドにあるジョン・W・ノース高校(John W. North High Schoolジョン・W・ノース高校英語)に進学した。高校時代には、陸上競技で顕著な才能を発揮し、1995年のCIFカリフォルニア州大会(CIF California State MeetCIFカリフォルニア州大会英語)では、女子100メートルハードルで大会記録を樹立して優勝し、さらに300メートルハードルでも優勝を果たした。これらの功績により、彼女は権威ある『Track and Field Newsトラック・アンド・フィールド・ニュース英語』誌から、その年の全米女子「高校最優秀アスリート」(High School Athlete of the Yearハイスクール・アスリート・オブ・ザ・イヤー英語)に選ばれた。
1.2. 大学時代
高校での輝かしい成績が評価され、ヘイズはUCLAから陸上競技のスカラシップを獲得し、同校に進学した。大学時代も引き続き陸上競技に取り組み、UCLAのチームの一員として競技生活を続けた。
2. 選手としての経歴
ジョアンナ・ヘイズの選手としてのキャリアは、400メートルハードルを専門とするところから始まったが、後に100メートルハードルへと主種目を転向し、オリンピックでの金メダル獲得という偉業を達成した。
2.1. 初期のキャリア:400mハードル
キャリアの初期、ジョアンナ・ヘイズは主に400メートルハードルの選手として活躍した。1999年には夏季ユニバーシアードに出場し、この種目で54秒57という自己ベスト記録を樹立して銀メダルを獲得した。また、2003年のパンアメリカン競技大会では400メートルハードルで金メダルに輝いている。しかし、1999年と2003年の世界陸上競技選手権大会では、残念ながら決勝に進出することはできなかった。
2.2. オリンピック金メダルと100mハードルへの移行
2004年以降、ヘイズは主種目を100メートルハードルに移行し、国際大会でこの種目に本格的に参戦した。同年3月には世界室内陸上競技選手権大会の60メートルハードルに出場し、7秒86の記録で4位に入賞した。そして、2004年8月には2004年アテネオリンピックに出場し、女子100メートルハードル決勝で12秒37という自己ベスト記録を樹立して金メダルを獲得した。この記録は当時のオリンピック記録でもあった。オリンピックでの金メダル獲得後も好調を維持し、シーズン終盤にはIAAFワールドアスレチックファイナルの100メートルハードルで優勝を果たした。
2.3. 後期のキャリアと怪我
2004年の輝かしい成功の後、ジョアンナ・ヘイズは2005年の世界陸上競技選手権大会でも優勝候補の一人と目されていた。同年6月には12秒47の好記録を出していたが、世界選手権の決勝ではハードルにつまずき、完走することができなかった。同年開催されたIAAFワールドアスレチックファイナルでは3位に入賞した。しかし、その後は2006年に12秒76、2007年に13秒28、2008年に12秒63と、自己ベストを大きく下回るシーズンが続いた。2008年には怪我のため北京オリンピックへの出場を逃し、選手としてのキャリアは下降線を辿った。2008年のIAAFワールドアスレチックファイナルでは8位に終わった。彼女は2010年12月に娘を出産した後、2012年に競技への復帰を目指したが、以前のような成績を収めることは難しかった。
2.4. 主な競技成績
ジョアンナ・ヘイズの主な国際大会での成績は以下の通りである。
年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 |
---|---|---|---|---|---|
1999 | 夏季ユニバーシアード | パルマ・デ・マヨルカ(スペイン) | 400mハードル | 2位 | 54秒57 |
2003 | パンアメリカン競技大会 | サントドミンゴ(ドミニカ共和国) | 400mハードル | 1位 | |
2004 | 世界室内陸上選手権 | ブダペスト(ハンガリー) | 60mハードル | 4位 | 7秒86 |
2004 | オリンピック | アテネ(ギリシャ) | 100mハードル | 1位 | 12秒37 |
2004 | IAAFワールドアスレチックファイナル | モンテカルロ(モナコ) | 100mハードル | 1位 | 12秒58 |
2005 | IAAFワールドアスレチックファイナル | モンテカルロ(モナコ) | 100mハードル | 6位 | 12秒78 |
2008 | IAAFワールドアスレチックファイナル | シュトゥットガルト(ドイツ) | 100mハードル | 8位 | 13秒08 |
2.5. 自己ベスト
ジョアンナ・ヘイズの主要種目における自己ベストは以下の通りである。
- 100m: 11秒41(2004年4月10日)
- 100mハードル: 12秒37(2004年8月24日、アテネオリンピック決勝)
- 400mハードル: 54秒57(1999年7月10日、夏季ユニバーシアード)
3. コーチとしての経歴
選手としてのキャリアを終えた後、ジョアンナ・ヘイズは陸上競技のコーチとして新たな道を歩み始めた。彼女はまずロサンゼルスにあるハーバード=ウェストレイク・スクール(Harvard-Westlake Schoolハーバード=ウェストレイク・スクール英語)で陸上競技とクロスカントリーのコーチを務めた。その後、2014年から2016年までは母校であるUCLAでアシスタントコーチを務めた。2017年からは南カリフォルニア大学(University of Southern California南カリフォルニア大学英語)のアシスタントコーチとして、2024年シーズンまでチームに貢献している。同大学では、陸上競技およびクロスカントリー部門の運動ディレクター(Athletic Director for Track and Field and Cross Country陸上競技およびクロスカントリー部門運動ディレクター英語)に任命されている。さらに、2018年から2020年までは、400メートルハードルの世界記録保持者であるプロの陸上選手シドニー・マクラフリン(Sydney McLaughlinシドニー・マクラフリン英語)のパーソナルコーチも務めた。
4. 私生活
ジョアンナ・ヘイズは、2010年12月に娘のゾーイ(Zoeゾーイ英語)を出産している。彼女の家族関係は、ロサンゼルスで著名なホームレス支援活動家である父親のテッド・ヘイズとの関係でも知られている。彼女は選手引退後も、社会貢献活動にも関心を寄せている。
5. 受賞と表彰
ジョアンナ・ヘイズは、選手およびコーチとしての功績が認められ、数々の賞や表彰を受けている。2014年10月11日には、母校UCLAのUCLAアスレチックス殿堂(UCLA Athletics Hall of FameUCLAアスレチックス殿堂英語)入りを果たした。2024年には、全米陸上競技連盟(USATF全米陸上競技連盟英語)が主催する「ナイト・オブ・レジェンド・アワード」(Night of Legends Awardナイト・オブ・レジェンド・アワード英語)において、「USATFナイキ年間最優秀コーチ」(USATF Nike Coach of the YearUSATFナイキ年間最優秀コーチ英語)を受賞し、指導者としての功績も高く評価された。
6. 遺産と影響

ジョアンナ・ヘイズは、アスリートとして、特に2004年アテネオリンピックでの金メダル獲得によって、陸上競技史にその名を刻んだ。彼女の努力と成功は、多くの若手アスリート、特にハードル種目を目指す選手たちにとって、大きな目標となっている。選手引退後もコーチとして、シドニー・マクラフリンのような世界レベルの選手を育成するなど、次世代の才能を支援し、陸上競技界の発展に積極的に貢献している。
また、彼女の父親がホームレス支援活動家であるという背景は、ヘイズが単なるスポーツ選手以上の社会的視点を持つことを示唆している。彼女のキャリアは、スポーツ界における多様性と包摂性の重要性を強調し、アスリートが社会に対して持つポジティブな影響力を体現していると言える。ヘイズの遺産は、彼女の競技成績だけでなく、コーチとしての指導力、そして社会貢献への意識を通じて、スポーツ界全体に長期的な影響を与え続けている。