1. Early Life and Background
キリノは1985年1月4日、ブラジルのミナスジェライス州にあるベロオリゾンテで生まれた。彼のサッカー選手としての初期のキャリアは、ブラジルの名門クラブ、アトレチコ・ミネイロで始まった。
1.1. Atlético Mineiro Youth Career
キリノは1998年にアトレチコ・ミネイロの下部組織に加入し、才能を磨いた。その3年後、2001年に15歳という若さでプロ契約を結んだ。そして、2003年2月26日にトップチームでの公式戦デビューを果たした。プロとしてアトレチコ・ミネイロには2005年のシーズン終了まで所属し、合計65試合に出場して14ゴールを記録した。
2. Play Style and Characteristics
キリノの最大の持ち味は、その圧倒的なスピードを活かした相手のディフェンダーの裏への突破であった。さらに、その長身を活かした高い打点からのヘディングも得意としていた。
2006年にアトレチコ・ミネイロからスウェーデンのユールゴーデンIFに移籍する際、ユールゴーデンIFはキリノを「エキサイティングで、チームに刺激を与える選手」と評価した。また、2009年にユールゴーデンIFから日本の北海道コンサドーレ札幌に移籍した際には、コンサドーレ札幌も彼の「圧倒的なスピード」と「高い打点のヘディング」を武器として紹介した。北海道の地元スポーツ紙である道新スポーツも、同様に「スピードが武器」と言及するなど、彼のプレーの核となる特徴は広く認識されていた。
3. Club Career
キリノはブラジルを皮切りに、スウェーデン、日本、韓国、アラブ首長国連邦、マレーシアと、複数の国のクラブでプロキャリアを築いた。
3.1. Atlético Mineiro (2003-2005)
アトレチコ・ミネイロのユースで育ったキリノは、2003年から2005年までトップチームでプレーした。この期間に彼はチームの主要なフォワードの一人として経験を積み、その後の国際的なキャリアへの足がかりを築いた。
3.2. Djurgårdens IF (2006-2008)
2006年、キリノはスウェーデンのクラブ、ユールゴーデンIFに移籍した。移籍金は推定で1400.00 万 SEKと報じられ、クラブは彼を「ゴールデンボーイ」と称し、大きな期待を寄せた。彼はクラブと2009年シーズン末までの4年契約を結んだ。プレシーズンマッチではゲフレIF戦で1ゴール、IFブロンマポイカルナ戦で2ゴールを挙げるなど、順調な滑り出しを見せた。

しかし、2006年シーズンは期待通りの結果を残すことができなかった。リーグ戦全26試合中18試合に出場したが、わずか1得点に終わり、ほとんどが途中出場であった。ブラジルでのプレーからスウェーデンのサッカーへの適応に苦しんだことが要因と見られる。リーグ戦で唯一のゴールは、5月2日の第6節ゲフレIF戦で、ステファン・バタンのシュートのこぼれ球を押し込んだものであった。このゴールが決勝点となり、チームは1対0で勝利した。
2007年シーズンも、当初は出場機会に恵まれなかった。リーグ前半戦は、13試合中わずか2試合で途中出場するに留まった。しかし、7月21日の第15節IFエルフスボリ戦で転機が訪れた。エースストライカーのジョーンズ・クシ=アサレの負傷により、キリノが代役として後半30分から出場。0対1で劣勢の中、後半43分に同点ゴールを決め、チームの逆転勝利に貢献した。この試合以降、キリノは出場機会を増やし、9月3日のヘルシンボリIF戦では13ヶ月ぶりにスターティングメンバーに復帰し、2ゴールを挙げた。また、9月24日のAIKソルナとのダービーマッチでは途中出場ながら先制点を挙げた。このシーズンはリーグ戦13試合出場(うちフル出場は2試合)で8ゴールを記録し、チームの得点王となった。

2008年シーズンも、スターティングメンバーとして定着することはできず、リーグ戦22試合に出場(うちフル出場は4回)したが、得点は2点にとどまった。このシーズンでのゴールは、4月24日のAIKソルナ戦と10月5日のGIFサンズヴァル戦であった。
2008年11月21日、ユールゴーデンIFはキリノの北海道コンサドーレ札幌への移籍を公式に発表した。移籍金は250.00 万 SEKと報じられ、これはユールゴーデンがキリノ獲得に費やしたとされる金額よりも大幅に低いものであった。クラブ社長のボッセ・アンデルソンは、この移籍が「すべての関係者にとって望ましい結果」であるとコメントし、キリノの幸運を願った。
3.3. First J. League Stint: Consadole Sapporo (2009-2010)
2009年、キリノは日本のJリーグに初挑戦し、J2リーグに降格したばかりの北海道コンサドーレ札幌に加入した。契約期間は2009年2月1日から2010年1月1日までの1シーズン契約であった。日本での選手登録名は「キリノ」。エースストライカーとして高い期待を背負ったが、開幕前の練習試合7試合では無得点に終わった。
しかし、2009年3月8日のJ2リーグ開幕戦でスターティングメンバーとして出場すると、続く3月15日のJ2リーグ第2節サガン鳥栖戦では、後半ロスタイムに決勝ゴールを挙げ、サポーターの期待に応えた。その後も得点を重ね、最終的にリーグ戦で19ゴールを記録し、チームの得点王となった。この活躍により、契約を更新した。
しかし、続く2010年シーズンはグロインペイン症候群を発症し、試合出場数が減少。得点も2点にとどまった。
3.4. K League Loan: Daegu FC (2011)
2011年シーズンは、北海道コンサドーレ札幌から韓国のKリーグに所属する大邱FCへ期限付き移籍した。移籍は2011年1月17日に公式発表され、1年間の契約であった。大邱FCでは12試合に出場し、3ゴールを挙げた。
3.5. Return to J. League: Consadole Sapporo and Shonan Bellmare (2012-2013)
2011年末、J1リーグ昇格を果たした北海道コンサドーレ札幌への復帰が報じられた。2012年シーズン、自身初のJ1リーグでのプレーとなったが、出場した7試合全てが途中出場であり、無得点に終わった。
同年7月、キリノは湘南ベルマーレへ完全移籍することが発表された。湘南では背番号9を着用。移籍後、J2リーグで17試合に出場し7得点を挙げる活躍を見せ、チームのJ1リーグ復帰に貢献した。特に、第41節のガイナーレ鳥取戦で試合終了間際に決めた決勝点は、チームの昇格を決定づける重要なゴールとなった。
2013年シーズンも引き続き湘南ベルマーレでプレーし、J1リーグで13試合に出場して2ゴールを記録した。
3.6. Middle East Transfer: Al-Shaab (2013-2014)
2013年8月、キリノはアラブ首長国連邦のUAEリーグに所属するアル・シャアブへ期限付き移籍した。中東での初の経験となったこの期間、彼は10試合に出場し2ゴールを挙げた。
3.7. Later J. League Career (2014-2018)
2014年8月、キリノはヴァンフォーレ甲府へ移籍し、再びJリーグの舞台に戻った。この時、彼は東ティモール国籍を取得していたため、アジア枠選手として登録された。しかし、負傷もあり、リーグ戦では7試合の出場で無得点に終わり、シーズン終了後に契約満了が発表された。
2015年9月、キリノはかつて所属した湘南ベルマーレへ復帰した。しかし、2015年は5試合出場、2016年も5試合出場といずれも無得点に終わり、出場機会は限られた。
2016年7月には、J3リーグに所属する大分トリニータへ期限付き移籍した。これが彼にとって初のJ3リーグでのプレーとなった。大分では5試合に出場したが、ここでも得点は記録できなかった。
大分トリニータへの期限付き移籍期間満了と、移籍元の湘南ベルマーレとの契約満了に伴い、2017年は母国ブラジルのアナポリスFCへ移籍し、4試合に出場して1ゴールを挙げた。
2018年、キリノは再び日本のクラブに戻り、鹿児島ユナイテッドFCへ移籍した。J3リーグで26試合に出場し、5ゴールを記録する活躍を見せた。
3.8. Malaysia Super League and Retirement: FELDA United FC (2019)
2019年、キリノはマレーシアスーパーリーグのFELDAユナイテッドFCへ移籍した。ここでは東ティモールのパスポートを用いてアジア枠の選手としてプレーした。しかし、出場は1試合にとどまり、得点は記録できなかった。
2021年、キリノは現役引退を正式に表明し、その長きにわたるプロサッカー選手としてのキャリアに幕を閉じた。
4. National Team Career
キリノはブラジルの世代別代表チームに選出され、国際大会での経験も積んだ。
4.1. Brazil U-20 National Team
2005年、キリノはブラジルU-20代表に選出され、南米ユース選手権に出場した。この大会で、彼はグループリーグと決勝リーグを合わせて8試合に出場し、3ゴールを記録した。特に、グループリーグ初戦のエクアドル戦では後半途中出場からわずか10分で2ゴールを挙げ、第3戦のチリ戦でも1ゴールを決めた。ブラジルは惜しくも準優勝に終わったが、この結果により同年のFIFAワールドユース選手権への出場権を獲得した。
南米ユース選手権での活躍が評価され、キリノは引き続きFIFAワールドユース選手権の代表にも選ばれた。この大会では、グループリーグ1試合と決勝トーナメント3試合に出場したが、得点を挙げることはできなかった。グループリーグではナイジェリア戦に途中出場したのみで、スイス戦と韓国戦では出番がなかった。ブラジルはグループリーグを突破し、決勝トーナメントに進出。キリノはシリアとのラウンド16では控えだったが、準々決勝のドイツ戦、準決勝のアルゼンチン戦、そして3位決定戦のモロッコ戦の全てに途中出場した。ブラジルはこの大会で3位に入賞した。キリノはU-17ブラジル代表およびU-23ブラジル代表にも選出歴がある。
5. Career Statistics
シーズン | クラブ | リーグ | リーグ | カップ | リーグカップ | 大陸大会 | 通算 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
2003 | アトレチコ・ミネイロ | セリエA | 65 | 14 | - | - | - | 65 | 14 | |||
2004 | ||||||||||||
2005 | ||||||||||||
2006 | ユールゴーデンIF | アルスヴェンスカン | 18 | 1 | 3 | 1 | - | 3 | 0 | 24 | 2 | |
2007 | 13 | 8 | 2 | 0 | - | 2 | 0 | 17 | 8 | |||
2008 | 22 | 2 | 2 | 0 | - | 2 | 0 | 26 | 2 | |||
2009 | 札幌 | J2リーグ | 48 | 19 | 2 | 1 | - | - | 50 | 20 | ||
2010 | 17 | 2 | 0 | 0 | - | - | 17 | 2 | ||||
2011 | 大邱FC | Kリーグ1 | 12 | 3 | 1 | 0 | 2 | 0 | - | 17 | 3 | |
2012 | 札幌 | J1リーグ | 7 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | - | 11 | 0 | |
2012 | 湘南ベルマーレ | J2リーグ | 17 | 7 | 1 | 0 | - | - | 18 | 7 | ||
2013 | J1リーグ | 13 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | 14 | 2 | ||
2013-14 | アル・シャアブ | UAE PL | 10 | 2 | - | 3 | 1 | - | 13 | 3 | ||
2014 | ヴァンフォーレ甲府 | J1リーグ | 7 | 0 | 1 | 0 | - | - | 8 | 0 | ||
2015 | 湘南ベルマーレ | J1リーグ | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 5 | 0 | |
2016 | 5 | 0 | - | 2 | 0 | - | 7 | 0 | ||||
2016 | 大分トリニータ | J3リーグ | 5 | 0 | 2 | 0 | - | - | 7 | 0 | ||
2017 | アナポリスFC | セリエD | 4 | 1 | - | - | - | 4 | 1 | |||
2018 | 鹿児島ユナイテッドFC | J3リーグ | 26 | 5 | - | 1 | 0 | - | 27 | 5 | ||
2019 | FELDAユナイテッドFC | マレーシアスーパーリーグ | 1 | 0 | - | - | - | 1 | 0 | |||
キャリア総通算 | 295 | 66 | 13 | 4 | 12 | 1 | 7 | 0 | 327 | 71 |
- スウェーデンリーグ初出場:2006年4月10日 アルスヴェンスカン第1節 対ハンマルビーIF(ローズンダ・スタディオン)
- スウェーデンリーグ初得点:2006年5月2日 アルスヴェンスカン第6節 対ゲフレIF(ストックホルム・スタディオン)
- Jリーグ初出場:2009年3月8日 J2第1節 対ベガルタ仙台(札幌ドーム)
- Jリーグ初得点:2009年3月15日 J2第2節 対サガン鳥栖(鳥栖スタジアム)
6. Major Titles
- J3リーグ:1回(2016年、大分トリニータ)