1. 概要
ドメニコ・ツィーポリ(Domenico Zipoliイタリア語、1688年 - 1726年)は、イタリア後期バロック音楽の作曲家、オルガニスト、そしてイエズス会の宣教師である。彼はスペイン植民地時代のペルー副王領(現在のアルゼンチン、コルドバ)で活動し、その地で没した。新大陸に渡ったヨーロッパの作曲家としては最も著名な一人であり、当時の洗練されたイタリア音楽を新世界にもたらした。特に、イエズス会宣教師の中では最も優れた音楽家として記憶されている。この記事では、彼の生涯、イタリアと南米での主要な業績、そして彼の音楽が社会や文化に与えた影響について詳述する。
2. 生涯と初期の訓練
ツィーポリの生い立ち、イタリア各地での初期音楽教育、そしてローマでのキャリア形成について概説する。
2.1. 初期音楽教育
ツィーポリはトスカーナ大公国のプラートで生まれた。彼の基本的な音楽訓練はプラートで受けたが、聖歌隊に加わったという記録は残っていない。1707年にはトスカーナ大公のコジモ3世の庇護を受け、フィレンツェでオルガニストのジョヴァン・マリア・カシーニに師事した。1708年にはナポリで一時的にアレッサンドロ・スカルラッティに師事した後、ボローニャでも学んだ。そして1709年にはローマでベルナルド・パスクイーニの指導を受けたと考えられている。
2.2. イタリアでのキャリア
ツィーポリはその後もローマに留まり、様々な役職に就いた。中でも最も重要なのは、1715年頃にイエズス会の母教会であるジェズ教会のオルガニストに就任したことである。これは非常に名誉ある地位であった。その翌年である1716年の初めには、彼の最もよく知られた作品である鍵盤楽曲集『Sonate d'intavolatura per organo e cimbaloオルガンとチェンバロのためのソナタイタリア語』を完成させた。この作品は1716年にローマで出版され、後に1959年にはルイージ・フェルディナンド・タリアヴィーニ校訂版がハイデルベルクで出版された。また、この初期のローマ時代には、オラトリオ『San Antonio di Padovaイタリア語』(1712年)と『Santa Caterina, Virgine e martireイタリア語』(1714年)も作曲されたが、これらを含む彼の劇音楽のほとんどは現在では散逸している。
3. イエズス会宣教師としての活動
ツィーポリがイエズス会に入会し、新大陸の宣教地へ渡るまでの経緯、そしてアルゼンチンでの宣教師としての生活について詳述する。
3.1. イエズス会への入会
不明な理由から、ツィーポリは1716年にスペインのセビリアへ赴き、同年7月1日にイエズス会に入会した。彼はスペイン植民地時代の新大陸にあるパラグアイ伝道所への派遣を強く望んでいた。まだ修練者であった彼は、総勢53人の宣教師団と共にスペインを出発し、1717年7月13日にブエノスアイレスに到着した。
3.2. 南米での宣教師生活
ツィーポリはアルゼンチンのコルドバで、1717年から1724年にかけて神学および司祭としての養成課程を修了した。しかし、当時適任の司教が不在であったため、彼は司祭に叙階されることはなかった。この数年間、彼は地元のイエズス会聖堂で音楽監督を務め、彼の作品はペルーのリマでも知られるようになった。残念ながら、彼は司教がコルドバに到着して叙階式を行うよりも前に、正体不明の感染症に罹患し、1726年1月2日にコルドバのイエズス会施設で死去した。かつてコルドバ州の山中にある旧サンタ・カタリーナ・イエズス会教会が彼の死地とされたこともあったが、この説は現在では否定されている。彼の埋葬地は今日まで発見されていない。
4. 主要作品と作曲
ツィーポリの主要な音楽作品を、イタリア滞在期と南米宣教師時代に作曲されたものに分けて紹介する。
4.1. イタリア時代の作品
イタリア時代に作曲されたツィーポリの主要作品は、鍵盤楽曲集『Sonate d'intavolatura per organo e cimbaloオルガンとチェンバロのためのソナタイタリア語』である。これは1716年にローマで出版され、後に1959年にはタリアヴィーニ校訂版がハイデルベルクで出版された。また、この時期にはオラトリオ『San Antonio di Padovaイタリア語』(1712年)と『Santa Caterina, Virgine e martireイタリア語』(1714年)も作曲された。しかし、これら2つの完全なオラトリオと3つ目のオラトリオの断片を含む彼の劇音楽のほとんどは、現在では散逸している。
4.2. 南米時代の作品
ごく最近になって、ボリビアのチキートスでツィーポリの南米時代の教会音楽がいくつか発見された。これには、2曲のミサ曲、2曲の詩篇設定曲、3曲の教会聖歌、1曲の『Te Deum laudamusテ・デウム・ラウダーマスラテン語』などが含まれる。1784年にボリビアのポトシで筆写され、スクレに伝承されたミサ曲の譜面は、他の2曲のミサ曲に基づいて地方で編集されたものと考えられている。ツィーポリの劇音楽はほとんど散逸したが、伝道オペラ『San Ignacio de Loyola聖イグナチオ・デ・ロヨララテン語』の3つの部分は、彼の作品であるとされており、マルティン・シュミットによってツィーポリの死後何年も経ってからチキートスで編纂され、ほぼ完全な形で現地の資料に残されている。
5. 遺産と評価
ツィーポリが残した音楽的遺産と、後世における彼の作品の評価、特に南米の教会音楽に与えた影響について論じる。
5.1. 現在に続く評価
ツィーポリは今日に至るまで、その鍵盤楽器のための作品によって広く知られている。彼の作品の多くは、初級から中級の演奏者にとって十分に演奏可能であり、ほとんどの標準的なアンソロジーに収録されている。特に彼のイタリア時代の作品は、常に知られ続けてきた。
5.2. 作品の再発見
1972年に、ボリビアのチキートスで彼の南米時代の教会音楽の一部が再発見された。この発見は、長らく失われていた彼の功績を明らかにする上で極めて重要であった。
5.3. 教会音楽への影響
ツィーポリの音楽は、彼の同僚であるイエズス会士たちによって高く評価され続け、その後の南米の教会音楽のあり方に決定的な影響を及ぼした。彼の作品は、イエズス会宣教師たちによって広く普及され、新世界における音楽的景観の形成に貢献した。