1. 生い立ちと背景
パトリック・オルトリープは1967年5月20日にオーストリアのフォアアールベルク州ブレゲンツで生まれた。
1.1. 幼少期と教育
オルトリープがスキーを始めたのは比較的遅く、13歳の時であった。この遅いスタートは、彼の競技人生において特筆すべき点となっている。
1.2. スキーとの出会い
13歳でスキーを始めたオルトリープは、その後アルペンスキー選手としての道を歩み始める。
2. スキー選手としてのキャリア
パトリック・オルトリープは、そのキャリアを通じてスピード系種目のスペシャリストとして名を馳せた。

2.1. ワールドカップでのキャリア
FISワールドカップでは、通算4勝(滑降3勝、スーパー大回転1勝)を挙げ、合計20回の表彰台(滑降18回、スーパー大回転2回)を獲得した。
2.1.1. ワールドカップでの勝利と表彰台
オルトリープのワールドカップにおける表彰台記録は以下の通りである。
シーズン | 日付 | 開催地 | 種目 | 順位 |
---|---|---|---|---|
1989 | 1988年12月10日 | ヴァルガルデナ、イタリア | 滑降 | 2位 |
1991 | 1991年3月16日 | レイクルイーズ、カナダ | 滑降 | 3位 |
1992 | 1992年1月11日 | ガルミッシュ、ドイツ | 滑降 | 2位 |
1992年1月18日 | キッツビューエル、オーストリア | 滑降 | 3位 | |
1992年3月14日 | アスペン、アメリカ合衆国 | 滑降 | 3位 | |
1993 | 1992年12月11日 | ヴァルガルデナ、イタリア | 滑降 | 3位 |
1993年1月23日 | ヴェイソナ、スイス | 滑降 | 2位 | |
1993年2月28日 | ウィスラー、カナダ | スーパー大回転 | 3位 | |
1994 | 1993年12月18日 | ヴァルガルデナ、イタリア | 滑降 | 1位 |
1994年1月15日 | キッツビューエル、オーストリア | 滑降 | 1位 | |
1994年3月15日 | ヴェイル、アメリカ合衆国 | 滑降 | 3位 | |
1995 | 1994年12月11日 | ティーニュ、フランス | スーパー大回転 | 1位 |
1994年12月17日 | ヴァル=ディゼール、フランス | 滑降 | 2位 | |
1995年1月13日 | キッツビューエル、オーストリア | 滑降 | 2位 | |
1995年2月25日 | ウィスラー、カナダ | 滑降 | 3位 | |
1995年3月11日 | クヴィートフィエル、ノルウェー | 滑降 | 3位 | |
1996 | 1995年12月1日 | ヴェイル、アメリカ合衆国 | 滑降 | 3位 |
1995年12月16日 | ヴァルガルデナ、イタリア | 滑降 | 1位 | |
1996年1月20日 | ヴェイソナ、スイス | 滑降 | 2位 | |
1997 | 1996年12月15日 | ヴァル=ディゼール、フランス | 滑降 | 3位 |
2.1.2. シーズン別ランキング
ワールドカップにおけるシーズンごとの総合および種目別順位は以下の通りである。
シーズン | 年齢 | 総合 | スラローム | 大回転 | スーパー大回転 | 滑降 | 複合 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1989 | 21 | 30 | - | - | - | 12 | - |
1990 | 22 | 43 | - | - | - | 17 | 14 |
1991 | 23 | 23 | - | - | 26 | 6 | - |
1992 | 24 | 10 | - | - | 18 | 4 | 18 |
1993 | 25 | 7 | - | - | 7 | 7 | 6 |
1994 | 26 | 12 | - | - | 21 | 3 | - |
1995 | 27 | 11 | - | - | 9 | 3 | - |
1996 | 28 | 20 | - | - | 27 | 3 | - |
1997 | 29 | 33 | - | - | 16 | 14 | - |
1998 | 30 | 62 | - | - | 32 | 27 | - |
1999 | 31 | 82 | - | - | - | 35 | - |
2.2. 世界選手権でのキャリア
パトリック・オルトリープは、世界選手権においても輝かしい成績を残している。
年 | 年齢 | スラローム | 大回転 | スーパー大回転 | 滑降 | 複合 |
---|---|---|---|---|---|---|
1991 | 23 | - | - | - | 7 | - |
1993 | 25 | - | - | 中止 | 8 | - |
1996 | 28 | - | - | - | 1 | - |
1997 | 29 | - | - | - | 8 | - |
- 1993年のスーパー大回転は、悪天候による度重なる延期の後、中止となった。
特に1996年アルペンスキー世界選手権(シエラネバダ)では、得意の滑降で金メダルを獲得した。
2.3. オリンピックでのキャリア
オルトリープは2度の冬季オリンピックに出場し、金メダル1個を獲得している。
年 | 年齢 | スラローム | 大回転 | スーパー大回転 | 滑降 | 複合 |
---|---|---|---|---|---|---|
1992 | 24 | - | - | 18 | 1 | - |
1994 | 26 | - | - | - | 4 | - |
1992年アルベールビルオリンピックでは、滑降で金メダルを獲得し、その名を世界に知らしめた。この大会ではスーパー大回転でも18位に入っている。続く1994年リレハンメルオリンピックでは、滑降で4位に入賞した。
2.4. 主要大会と種目
オルトリープは、滑降とスーパー大回転といったスピード系種目を専門としていた。特にオーストリアのキッツビューエルで開催されるハーネンカム競技では、1994年に滑降で優勝を飾るなど、数々の主要大会で活躍を見せた。
3. スキー選手生活の転機
パトリック・オルトリープのスキー選手としてのキャリアは、予期せぬ事故によって突然の終わりを迎えた。
3.1. 引退と負傷
1999年1月、31歳だったオルトリープは、キッツビューエルのハーネンカムコースでの練習中に大事故に遭遇した。ハウスベルクカンテ(Hausbergkante)でコントロールを失い、安全ネットに激突。このクラッシュにより、右大腿骨の開放骨折と、右股関節の重度の脱臼および軽度の骨折という重傷を負い、競技人生に終止符を打つこととなった。
4. 引退後の活動
選手引退後、パトリック・オルトリープは新たな分野で活動を開始した。
4.1. 政治活動
1999年の選手引退後、オルトリープは極右政党であるオーストリア自由党から国民議会議員に選出され、3年間その職を務めた。
4.2. 事業と私生活
現在は、フォアアールベルク州レヒ・アム・アールベルクで「ホテル・モンタナ」という4つ星ホテルを経営している。
5. 家族
パトリック・オルトリープには、娘のニーナ・オルトリープがいる。ニーナもまた、父と同じくアルペンスキー選手として活動している。
6. 評価と影響
パトリック・オルトリープの1992年アルベールビルオリンピックでの滑降金メダルは、当時の滑降の第一人者であったフランツ・ハインツァーがワールドカップ3連覇中であったこともあり、ワールドカップ未勝利だったオルトリープの勝利は「フロック」と見なされることもあった。しかし、1994年のワールドカップキッツビューエル大会での勝利、さらに1996年の世界選手権での滑降金メダル獲得によって、彼は自身のオリンピックでの勝利が偶然ではないことを証明した。これにより、オルトリープは真の実力者としてアルペンスキー界にその名を刻み、スピード系種目におけるトップ選手としての地位を確立した。