1. 概要

リカルド・ジャコーニ(Riccardo Giacconiリカルド・ジャコーニイタリア語、Riccardo Giacconiジャコーニ英語)は、イタリア出身のアメリカの宇宙物理学者であり、X線天文学の基礎を築いた先駆者である。彼はジョンズ・ホプキンス大学の教授を務めた。2002年には「宇宙X線源の発見につながった天体物理学への先駆的貢献」が評価され、ノーベル物理学賞を受賞した。
2. 生涯
リカルド・ジャコーニの生涯は、イタリアでの幼少期から始まり、アメリカでの学術的なキャリア、そしてX線天文学における画期的な貢献へと続いた。
2.1. 出身地と幼少期
ジャコーニは1931年10月6日にイタリアのジェノヴァで生まれた。幼少期はミラノで過ごした。
2.2. 教育と初期の研究
彼はミラノ大学で学び、宇宙線物理学のラウレア(学士号に相当)を取得した。その後、天体物理学研究のキャリアを追求するためアメリカへ渡った。1956年にはフルブライト奨学金を得てインディアナ大学で物理学教授のR.W.トンプソンと共同研究を行った。また、プリンストン大学でも短期間の博士研究員を務めた。
1959年、彼はマサチューセッツ州にある研究会社であるアメリカン・サイエンス・アンド・エンジニアリング(American Science and Engineering, Inc.AS&E社英語)に入社した。ここではブルーノ・ロッシが顧問を務め、国防総省やNASAからの委託業務も行っていた。AS&E社ではX線天文学の研究に取り組み、X線望遠鏡の開発とロケットへの搭載を進めた。
3. 科学的業績
ジャコーニは、地球大気によって吸収される宇宙X線放射の問題に対し、革新的な装置開発と観測ミッションを通じてX線天文学の基礎を確立した。
3.1. X線天文学の基礎確立
宇宙線X線放射は地球大気によって吸収されるため、X線天文学には宇宙空間に配置された望遠鏡が必要となる。この課題に対し、ジャコーニはX線天文学のための観測機器開発に尽力した。1950年代後半から1960年代初頭にかけてはロケット搭載型検出器の開発を進めた。
1962年6月18日、彼らはロケットを用いた観測で、太陽系外に存在する初のX線源であるさそり座X-1(Sco X-1)の発見に成功した。これは宇宙X線源の存在を初めて確認した画期的な出来事であった。その後、彼らは宇宙X線の初のサーベイ(全天観測)を実施し、主にブラックホールや中性子星に物質が降着することで放出される339個のX線「星」を発見した。その中には、ブラックホールであると広く合意された最初の天体であるはくちょう座X-1(Cygnus X-1)も含まれていた。また、銀河のハローにおける高温ガスからのX線放出も発見した。
3.2. 主要なX線観測衛星と発見
ジャコーニの先駆的な研究は、複数の主要なX線観測ミッションを通じて継続された。
- ウフル衛星 (Uhuru英語): 1970年代に打ち上げられた初の軌道上X線天文学衛星である。この衛星は、宇宙X線源の体系的な探査を可能にし、X線天文学の発展に大きく貢献した。
- アインシュタイン観測衛星 (Einstein Observatory英語): 1978年に打ち上げられた、宇宙で初めて完全な画像取得能力を持つX線望遠鏡を搭載した衛星である。この衛星は、X線源のより詳細な画像を提供し、X線天文学の観測能力を飛躍的に向上させた。ジャコーニは1973年にハーバード・スミソニアン天体物理学センターに加わった後、この強力なX線観測衛星(HEAO-2としても知られる)の構築と運用を主導した。
- チャンドラX線観測衛星 (Chandra X-ray Observatory英語): 1999年に打ち上げられ、現在も運用されている高性能X線観測衛星である。ジャコーニは2000年代にNASAのチャンドラX線観測衛星を用いた主要プロジェクトであるチャンドラ・ディープ・フィールド・サウス計画の主任研究員を務めた。
3.3. X線望遠鏡技術の開発
X線天文学の発展には、X線を効率的に集光する望遠鏡技術の開発が不可欠であった。X線は屈折率が非常に小さいため、可視光や赤外線と同様の望遠鏡を製作することは困難であるという課題があった。
ジャコーニらは、X線が特定の角度で鏡面に当たると全反射する現象を利用し、放物線鏡でX線を全反射させることで集光するX線望遠鏡を開発した。この技術により、X線源の同定が可能なX線望遠鏡が実現し、X線天文学の発展に大きく貢献した。
4. 主要機関での指導的役割
ジャコーニは、X線天文学の分野だけでなく、より広範な天文学コミュニティにおいても指導的な役割を果たし、複数の主要な科学機関の運営に貢献した。
4.1. 宇宙望遠鏡科学研究所 (STScI) 所長
1981年から1993年まで、ハッブル宇宙望遠鏡の科学運用センターである宇宙望遠鏡科学研究所(Space Telescope Science InstituteSTScI英語)の初代常任所長を務めた。彼はこの研究所の設立と運営を主導し、ハッブル宇宙望遠鏡の科学的成果の最大化に貢献した。
4.2. ヨーロッパ南天天文台 (ESO) 総長
1993年から1999年まで、ヨーロッパ南天天文台(European Southern ObservatoryESO英語)の総長を務めた。この期間中、彼は超大型望遠鏡VLT(Very Large TelescopeVLT英語)の建設と発展を監督し、世界有数の地上観測施設の整備に貢献した。
4.3. 連合大学機関 (AUI) 会長
1999年から2004年まで、連合大学機関(Associated Universities, Inc.AUI英語)の会長を務めた。この役職において、彼はアタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計(Atacama Large Millimeter/submillimeter ArrayALMA英語)の初期段階の管理に携わった。ALMAは、ヨーロッパ、アメリカ、日本などの機関グループによってチリの高地で建設された、大規模なミリ波およびサブミリ波の電波望遠鏡アレイである。
4.4. ジョンズ・ホプキンス大学
彼はジョンズ・ホプキンス大学で長年にわたり教鞭を執った。1982年から1997年まで物理学および天文学の教授を務め、1998年から2018年に亡くなるまで研究教授を務めた。彼はまた、同大学のユニバーシティ・プロフェッサーでもあった。この間、彼は教育と研究の両面で多大な貢献をした。
5. ノーベル物理学賞 受賞
2002年、ジャコーニは「宇宙X線源の発見につながった天体物理学への先駆的貢献」が評価され、ノーベル物理学賞を受賞した。この年のノーベル物理学賞は、ニュートリノ天文学への貢献により小柴昌俊とレイモンド・デイビス・ジュニアにも授与されており、ジャコーニは彼らと賞を分かち合った。この受賞は、X線天文学が天文学の主要な分野として確立されたことを示すものであった。
6. 受賞歴と栄誉
ジャコーニは、その生涯にわたる顕著な科学的貢献に対し、数々の権威ある賞と栄誉を授与された。
- 1966年 - ヘレン・B・ワーナー天文学賞
- 1971年 - 米国科学アカデミー会員
- 1971年 - アメリカ芸術科学アカデミー会員
- 1975年 - リヒトマイヤー記念賞
- 1980年 - エリオット・クレッソン・メダル
- 1981年 - ブルース・メダル
- 1981年 - ヘンリー・ノリス・ラッセル講師職
- 1981年 - ハイネマン賞天体物理学部門
- 1982年 - 王立天文学会ゴールドメダル
- 1987年 - ウルフ賞物理学部門
- 2000年 - マルセル・グロスマン賞
- 2001年 - アメリカ哲学協会会員
- 2002年 - ノーベル物理学賞
- 2003年 - アメリカ国家科学賞
- 2004年 - カール・シュヴァルツシルト・メダル
7. 命名されたもの
ジャコーニの科学的功績を称え、小惑星 (3371) ジャコーニが彼の名にちなんで命名された。これは彼の宇宙物理学への貢献が永続的に記憶されることを意味する。
8. 死去
ジャコーニは2018年12月9日、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴで87歳で死去した。
9. 科学的遺産と影響
リカルド・ジャコーニは、X線天文学という新たな分野を切り開き、その基礎を確立したことで、天文学界に計り知れない永続的な遺産を残した。彼の研究と指導的役割は、宇宙の最も高エネルギーな現象を理解するための道を拓いた。
彼は、地球大気によって吸収されるX線放射を観測するためのロケット搭載型検出器から始まり、ウフル衛星、アインシュタイン観測衛星、チャンドラX線観測衛星といった画期的な宇宙X線観測ミッションの開発と運用を主導した。これらのミッションを通じて、さそり座X-1やはくちょう座X-1のような宇宙X線源の発見、ブラックホールや中性子星、銀河ハローからのX線放出の解明に貢献した。
また、X線の全反射を利用したX線望遠鏡技術の開発は、X線天文学の観測能力を飛躍的に向上させ、この分野の発展に不可欠な基盤を提供した。宇宙望遠鏡科学研究所、ヨーロッパ南天天文台、連合大学機関といった主要な科学機関での指導的役割は、彼の科学的ビジョンが広範な天文学コミュニティに影響を与え、国際的な協力プロジェクトの推進に貢献したことを示している。
ジャコーニの業績は、単に新しい観測窓を開いただけでなく、宇宙における極限的な物理条件、例えばブラックホール周辺の現象や銀河団の進化などを研究するための新たな道筋を示した。彼の先駆的な貢献がなければ、現代のX線天文学の発展はあり得なかったとされており、彼の科学的遺産は今後も長く天文学研究に影響を与え続けるだろう。