1. 概要
ジンガ・プレスコッド(Nzingha Prescod英語、1992年8月14日生)は、アメリカの元フェンシング選手であり、フルーレを専門としていました。彼女はカデットワールドカップで2度世界チャンピオンに輝き、世界フェンシング選手権大会で銅メダルを獲得し、パンアメリカン競技大会では3つのメダルを獲得、そして2度のオリンピックに出場した著名な選手です。競技引退後は、EYでデータアナリストとしてキャリアを築き、さらにUSAフェンシング理事会の選手理事に選出され、スポーツ組織における透明性と公平性の向上に積極的に貢献しています。彼女のキャリアは、競技における卓越性と引退後の社会貢献活動の双方において、多大な影響を与えています。
2. 生い立ちと教育
プレスコッドの生い立ちは、ニューヨーク市での誕生と家庭背景、そして学生時代を通じた学業とフェンシングキャリアの形成に特徴づけられます。彼女は、その名を17世紀のアンゴラの女王ンジンガ・ムバンデにちなんで名付けられました。ンジンガ女王はポルトガルによる植民地化に抵抗したことで知られています。
2.1. 出生と家族背景
プレスコッドは1992年8月14日にニューヨーク市で、マーバ・プレスコッドとホーマー・リチャードソンの間に生まれました。彼女の母親はセントビンセント・グレナディーン出身の弁護士です。
2.2. 学生時代の学業とフェンシングキャリア
彼女は2010年にニューヨーク市のスタブイサント高校を卒業しました。その後、コロンビア大学に進学し、2015年に政治学を専攻して卒業しました。コロンビア大学では、大学のフェンシングチームであるコロンビア・ライオンズのメンバーとして活躍し、フェンシングの腕を磨きました。

大学1年生だった2010年から2011年のシーズンには、アイビーリーグの新人王に選ばれるとともに、オールアイビーリーグのファーストチームにも名を連ねました。2012年から2013年のシーズンには再びオールアイビーに選出されています。コロンビア大学でのフェンシングキャリアを通じて、彼女はフルーレの試合で117勝19敗という優れた戦績を記録しました。また、オリンピック出場に向けたトレーニングに集中するため、2011年から2012年のシーズンは休学しています。
3. 主なフェンシング成績と業績
プレスコッドは、カデットワールドカップでの初期の成功から、オリンピックや世界選手権大会での輝かしい参加に至るまで、その競技キャリアを通じて数多くの優れた成績と業績を収めました。
3.1. 初期キャリアとワールドカップでの成功
彼女は、2008年と2009年のカデットワールドカップでフルーレの世界チャンピオンに輝きました。これは彼女の選手生活初期における重要な成功でした。2011年にはパンアメリカン選手権の女子フルーレで3位に入賞し、銅メダルを獲得しました。さらに、2013年にはフランスで開催されたマルセイユフルーレグランプリで金メダルを獲得し、アメリカの女子フルーレ選手として初めてグランプリタイトルを獲得するという歴史的快挙を成し遂げました。2015年1月のNAC(北米カップ)のディビジョンI女子フルーレでは3位に入賞しました。彼女の最高世界ランキングは5位でした。
3.2. オリンピックおよび世界選手権大会への参加
プレスコッドは19歳だった2012年のロンドンオリンピックに、女子フルーレ個人戦および団体戦で出場しました。個人戦では32人制のトーナメントでハンガリーのアイダ・モハメドに10対15で敗れました。団体戦ではチームUSAは準々決勝で韓国に敗れ、順位決定戦の結果6位で大会を終えました。
2015年の世界フェンシング選手権大会では、女子フルーレで銅メダルを獲得しました。その後、23歳で出場した2016年のリオデジャネイロオリンピックでは11位の成績を収めています。
4. 引退後の活動
競技フェンシングから引退した後、ジンガ・プレスコッドは新たなキャリアを追求し、スポーツ界における重要な役割を担っています。
4.1. 負傷による引退
プレスコッドは大腿骨頭壊死症に苦しんでいました。彼女は痛みを抱えながらも1年間競技を続けましたが、最終的には人工股関節置換術が必要な状態に直面しました。これにより、3度目のオリンピック出場を目前に控えていた2020年1月に、競技からの引退を発表しました。
4.2. 専門職としてのキャリアと社会貢献
2016年、プレスコッドはEY(旧アーンスト・アンド・ヤング)が主催する「女性アスリートビジネスネットワーク」を通じて、6か月のインターンシップに参加する8人のオリンピック選手の一人に選ばれました。2020年時点では、彼女はEYでデータアナリストとして勤務していました。
2021年1月1日には、USAフェンシング理事会の選手理事に選出されました。この選出は、オリンピック、パラリンピック、パンアメリカン競技大会、シニア世界選手権大会でアメリカを代表した選手による投票で、彼女が最多得票者となった結果です。彼女は2020年にUSAフェンシングの規律決定が「加害者に対する寛大さと優遇措置にまみれていた」と公に批判しました。この発言は、彼女がスポーツ組織の透明性と公平性の向上を強く求めていることを示しています。
5. 評価と影響
ジンガ・プレスコッドは、その優れたフェンシング技術と国際大会での輝かしい実績により、アメリカフェンシング界におけるトップ選手の一人として高く評価されています。彼女はカデットワールドカップでの2度の世界チャンピオン、世界選手権での銅メダル、そして2度のオリンピック出場という経歴を通じて、多くの若手選手に影響を与えました。
競技引退後も、彼女は単なる元アスリートに留まらず、EYでのプロフェッショナルなキャリアと、USAフェンシング理事会での選手理事としての活動を通じて、社会に貢献しています。特に、彼女がスポーツ組織の規律決定における透明性と公平性を厳しく批判したことは、アスリートの権利保護と組織の倫理的責任に対する意識を高める上で重要な役割を果たしました。プレスコッドは、競技パフォーマンスだけでなく、スポーツ界全体の健全な発展に貢献する人物として、多方面からその影響力を発揮しています。