1. 概要
セントビンセント及びグレナディーン諸島は、カリブ海の小アンティル諸島に位置する島嶼国家です。国土は火山性のセントビンセント島と、その南に連なる多数の小さなサンゴ礁の島々であるグレナディーン諸島から構成されています。歴史的には、先住民のカリナゴ族(カリブ族)の居住地でしたが、ヨーロッパ列強による植民地化と、それに伴うアフリカからの奴隷労働力の導入、そして先住民の抵抗と強制移住という苦難の道を歩みました。1979年にイギリスから独立を達成し、現在はイギリス連邦の一員として立憲君主制を敷いています。政治体制は議院内閣制を基本とし、複数政党制による民主主義が機能しています。経済は伝統的に農業、特にバナナ生産に依存してきましたが、近年は観光業が成長の柱となりつつあります。しかし、自然災害の頻発や高い失業率といった課題も抱えています。社会的には、アフリカ系住民が多数を占め、多様な民族的背景を持つ人々が共生しています。文化的には、カリブ音楽やクリケットなどが盛んです。この記事では、セントビンセント及びグレナディーン諸島の地理、歴史、政治、経済、社会、文化といった基本的な情報と核心的な内容を包括的に紹介するとともに、特に社会的影響、人権の状況、民主主義の発展、そしてマイノリティや脆弱な立場の人々の権利に関する問題に焦点を当て、中道左派的・社会自由主義的な視点から記述します。近年のスフリエール火山の噴火は、国の経済や国民生活に大きな影響を与え、国際的な支援の重要性を浮き彫りにしました。また、旧宗主国に対する奴隷制への賠償請求や、LGBTQ+の権利といった人権問題も、国内外で重要な課題として認識されています。
2. 国名
セントビンセント及びグレナディーン諸島の正式名称は、Saint Vincent and the Grenadines英語(セイント・ヴィンセント・アンド・ザ・グレナディーンズ)です。この国名は、主要な島であるセントビンセント島と、それに連なるグレナディーン諸島から構成されることに由来します。英語では、まれにSaint英語をSt.英語と略記することがあります。
「セントビンセント」という名称は、カトリック教会の聖人であるサラゴサのヴィセンテにちなんでいます。これは、1498年にクリストファー・コロンブスがこの島をヨーロッパ人として初めて視認したとされる日が、聖ヴィセンテの祝日(1月22日)であったためです。コロンブスは島を「サン・ヴィセンテ島」(Isla de San Vicenteスペイン語)と名付け、その後、フランス、イギリスと支配者が変わってもこの名称が使われ続けました。
「グレナディーン」の名称は、スペインの都市グラナダに由来するとされていますが、誰が最初にこの名称を用いたかは明確ではありません。グレナダ島との区別のために、指小辞(小さいものを示す接尾辞)が用いられたと考えられています。地理的な区分としての「グレナディーン諸島」は、実際には南のグレナダ国に属する島々まで広がっており、「グレナダ」(Grenada英語)と「グレナディーン」は同じ語源を持っています。
日本語における公式な表記は「セントビンセント及びグレナディーン諸島」ですが、一般的には「セントビンセント・グレナディーン」という通称も用いられます。また、前半部分を「セントヴィンセント」、後半部分を英語の発音に近い「グレナディーンズ」と表記することもあります。略称としては「セントビンセント」が広く使われており、日本の在外公館も「在セントビンセント日本国大使館」と呼称されています。英語の頭文字を取った「SVG」という略称も存在しますが、これは画像形式のScalable Vector Graphicsと混同される可能性があります。
ヨーロッパ人の到来以前、セントビンセント島に居住していた先住民カリナゴ族(カリブ族)は、この島を「ユールメイン」(Youloumainコード未登録の言語)と呼んでいました。これは、彼らが島に住むと信じていた虹の精霊「ユールーカ」(Youloucaコード未登録の言語)を称えるものであったと言われています。また、別の呼称として「ハイロウナ」(Hairounaコード未登録の言語、「祝福された島」の意) もあったと伝えられています。
3. 歴史
セントビンセント及びグレナディーン諸島の歴史は、先コロンブス期における先住民族の定住から始まり、ヨーロッパ列強による植民地化、奴隷制、そして独立と現代国家としての歩みへと続いています。この過程で、社会構造は大きく変動し、経済もプランテーション農業から観光業へと多様化の道を模索してきました。
3.1. 先コロンブス期
ヨーロッパ人やアフリカ人が16世紀に到来する以前、セントビンセント及びグレナディーン諸島には、シボニー族、アラワク族、そしてカリナゴ族(島嶼カリブ族)を含む様々なアメリカ先住民の集団が通過したり、定住したりしていました。現在セントビンセント島として知られる島は、元々カリナゴ族によって「ユールメイン」と呼ばれていました。彼らは自らをカリナ(Kalinaカリブ語)またはカリーナ(Carinaカリブ語)と称していました。カリナゴ族は18世紀に至るまで、ヨーロッパ人の入植に対して積極的に抵抗しました。この時期、近隣のバルバドス、セントルシア、グレナダから難破したり逃亡したりしてきたアフリカ人奴隷がセントビンセント本島に辿り着き、カリナゴ族と混血し、後にガリフナ(またはブラック・カリブ)として知られる独自の民族集団を形成しました。
3.2. ヨーロッパ人の到来と初期植民地時代
クリストファー・コロンブスが1498年にセントビンセント島を視認したと考えられており、彼が聖サラゴサのヴィセンテにちなんで島名を名付けたとされています。しかし、先住民であるカリナゴ族、特に後にブラック・カリブ(ガリフナ族)として知られるようになった人々は、セントビンセント島へのヨーロッパ人の入植に対して激しく抵抗しました。イギリス人やオランダ人による島の領有の試みは何度も失敗に終わりました。
3.3. フランスとイギリスによる植民地化とカリブ戦争

ヨーロッパ列強による入植の試みが続く中、最初に島を植民地化できたのはフランスでした。1719年、フランス人入植者はセントビンセント島の風下側にあるバルアリの町に定住しました。フランスは、砂糖、コーヒー、インディゴ、タバコ、綿花、カカオなどを生産するプランテーションを経営するために、アフリカから黒人奴隷を強制的に連れてきました。
七年戦争中の1763年、イギリスはフランスから島を奪取し、その領有は1763年のパリ条約によって確認されました。イギリスは島の支配権を握ると、フォートシャーロットの基礎を築き、プランテーションでの労働力として奴隷の輸入を継続しました。これに対し、島に住む先住民ガリフナはイギリスの存在に強く反発し、公然と武力衝突を開始しました。これが第一次カリブ戦争(1772年-1773年)です。
アメリカ独立戦争中の英仏戦争(1778年-1783年)において、フランスは1779年にセントビンセント島を再占領しました。しかし、1783年のヴェルサイユ条約によって、イギリスが再び支配権を回復しました。
イギリスとガリフナの間の不安定な平和は長く続かず、第二次カリブ戦争(1795年-1797年)へと発展しました。ガリフナは最高首長ジョセフ・シャトイヤーに率いられ、マルティニーク島を拠点とするフランス人、特にヴィクトル・ユーグの支援を受けました。しかし、ガリフナは1797年にサー・ラルフ・アバークロンビー率いるイギリス軍に最終的に敗北しました。和平協定の結果、約5,000人のガリフナがホンジュラス沖の島ロアタン島や、ベリーズ、グレナディーン諸島のバリソー島へ強制移住させられました。この強制移住はガリフナ社会に壊滅的な打撃を与え、彼らの故郷からの追放という悲劇的な結果をもたらしました。
3.4. イギリス植民地時代 (19世紀)
第二次カリブ戦争後、イギリスによる支配が確立されると、1806年にはフォートシャーロットの建設が完了しました。1812年にはスフリエール山が噴火し、島に大きな被害をもたらしました。
イギリスは1834年にセントビンセントを含む全ての英領西インド諸島で奴隷制度を廃止しました。その後、1838年まで見習い制度が続きましたが、奴隷解放はプランテーションにおける深刻な労働力不足を引き起こしました。この問題に対処するため、まずポルトガルのマデイラ諸島から契約労働者が導入され、1845年から1850年の間に約2,100人のポルトガル系カトリック教徒が到着しました。続いて1861年から1888年にかけては、インド人契約労働者が多数島へ送られました。元奴隷や新たにやってきた契約労働者たちの生活は依然として厳しく、世界的な砂糖価格の低迷は20世紀初頭まで経済を停滞させました。多くの土地所有者はプランテーションを放棄し、解放された奴隷たちがその土地を耕作するようになりました。
1887年には、ナイジェリアのオポボの王であったジャジャ王が、イギリスの仲介業者を通さずにパーム油を直接リヴァプールに輸出しようとしたためイギリス当局に逮捕され、セントビンセント島へ追放されました。
3.5. 20世紀から独立まで

1902年、スフリエール山が再び噴火し、1,500人から2,000人が死亡、多くの農地が被害を受け、経済はさらに悪化しました。
セントビンセント及びグレナディーン諸島は、イギリス統治下で様々な植民地段階を経ました。1776年には代議制議会が認可され、1877年にはクラウン植民地政府が樹立されました。1925年には制限選挙制に基づく立法評議会が創設され、1951年には普通選挙権が成人男女に与えられました。イギリスは統治期間中、この地域における支配を単一の行政機構を通じて簡素化するため、セントビンセントを他のウィンドワード諸島と統合しようと何度か試みました。1960年代には、イギリス政府からの独立を目指す動きの中で、セントビンセントを含む地域の全島嶼を単一の政治的統一体、すなわち西インド連邦へと統合しようとしましたが、この試みは1962年に崩壊しました。
1969年10月27日、セントビンセントはイギリスから「準国家」としての地位を付与され、内政に関しては完全な自治権を獲得しましたが、法的には完全な独立には至りませんでした。
1979年4月、スフリエール山が再び噴火しました。死者は出なかったものの、数千人が避難し、農業に広範囲な被害が出ました。
同年10月27日、セントビンセント及びグレナディーン諸島は完全な独立を達成しました。この日は現在、国の独立記念日として祝日となっています。独立後もイギリス連邦に留まり、当時のイギリス女王エリザベス2世を国家元首とし、その代理として総督が置かれる体制を選択しました。
3.6. 独立以後
1979年の独立後、初代首相には1974年から自治領首相であった中道左派のセントビンセント労働党(SVLP)のミルトン・ケイトーが就任しました。ケイトー政権下の1979年12月には、グレナダでの革命に触発されたレノックス・チャールズ(通称「ブンバ」)が、中央政府によるユニオン島の軽視を訴えて同島で短期間の反乱を起こしましたが、これはすぐに鎮圧されチャールズは逮捕されました。1980年代初頭には一連のストライキも発生しました。
1984年の総選挙でケイトーは、中道右派の新民主党(NDP)のジェームズ・フィッツ=アレン・ミッチェルに敗れました。ミッチェルは2000年まで16年間にわたり首相を務め、3期連続で選挙に勝利しました。ミッチェル政権は地域の統合改善の試みの最前線に立ちました。この間、1980年のハリケーン・アレンや1987年のハリケーンは多くのバナナやココナッツのプランテーションに被害を与え、1998年と1999年のハリケーンシーズンも活発で、特に1999年のハリケーン・レニーは島の西海岸に広範な被害をもたらしました。
2000年、ミッチェルの引退に伴いNDPの党首を引き継いだアーニム・ユースタスが首相に就任しましたが、翌2001年の総選挙で、SVLPの後継政党である統一労働党(ULP)のラルフ・ゴンザルヴェスに敗れました。ゴンザルヴェスは国内で「同志ラルフ」として知られる左派の政治家であり、ヨーロッパ諸国は大西洋奴隷貿易における役割についてカリブ海諸国に賠償を支払う義務があると主張してきました。ゴンザルヴェスは2005年、2010年、2015年、そして2020年と連続して選挙に勝利し、長期政権を築いています。
2009年には、エリザベス2世女王に代わる非行政的な大統領を国家元首とする共和制への移行を目指す新憲法案の採否を問う国民投票が行われました。ゴンザルヴェス首相はこの案を支持しましたが、可決に必要な3分の2の賛成を得られず、賛成22,493票(43.13%)に対し、反対29,019票(55.64%)で否決されました。
セントビンセント及びグレナディーン諸島は、2020年から2021年にかけて国際連合安全保障理事会の非常任理事国を務めました。これは、同国が国際社会で積極的な役割を果たそうとしていることを示すものです。
2021年4月9日、スフリエール山が大規模な噴火を起こし、火山灰を数マイル上空まで噴き上げました。噴火に先立ち約16,000人が避難しました。この災害に対し、近隣諸島やイギリス、国際連合などの機関から支援が提供され、世界銀行は4月13日に2000.00 万 USDの長期資金援助を表明しました。この噴火は国のインフラや農業に深刻な被害を与え、復興には長期的な努力が必要とされています。民主主義の発展と人権状況の向上は、自然災害からの復興と並んで、同国が直面する重要な課題です。
4. 地理
セントビンセント及びグレナディーン諸島は、カリブ海の東端、小アンティル諸島のウィンドワード諸島南部に位置します。バルバドスの西、セントルシアの南、グレナダの北にあります。国土の総面積は369 km2です。
この国の領土は、主要な島であるセントビンセント島(面積約344 km2)と、その南に連なるグレナディーン諸島の北側3分の2(面積約45 km2)から構成されています。グレナディーン諸島は、セントビンセント島からグレナダに向かって南に伸びる32の小島と岩礁の連なりです。
4.1. 地形と島嶼構成
セントビンセント及びグレナディーン諸島を構成する島と岩礁は32あり、そのうち9島が有人島です。これには、本島であるセントビンセント島と、グレナディーン諸島のヤング島、ベキア島、マスティク島、カヌアン島、ユニオン島、メイルー島、プティ・セントビンセント島、パーム島が含まれます。グレナディーン諸島の主な無人島には、捕鯨船の基地として利用されたプティ・ネビス島や、2000年代初頭に不動産詐欺事件の舞台となったプティ・マスティク島などがあります。その他の無人島として、トバゴ・ケイ諸島、バリソー島、バトウィア島、クアトレ島、サヴァン島などがあります。
首都はセントビンセント島のキングスタウンです。セントビンセント島は、長さ約26 km、幅約15 kmです。セントビンセント島に属するグレナディーン諸島は、最北端から最南端まで約60.4 kmにわたって連なっています。
セントビンセント島は火山性で、大部分が森林に覆われており、平坦な土地はほとんどありません。島の風上側は岩が多く急峻ですが、風下側には砂浜や湾が多く見られます。セントビンセント島の最高峰はスフリエール山(標高1234 m)です。その他の主要な山としては、北部から南部の順にリッチモンド・ピーク(標高1079 m)、ブリスベン山、コロナリー山、グラン・ボノム山、プティ・ボノム山、セント・アンドリュー山などがあります。セントビンセント島には多くの川が流れ、その中でもリッチモンド川が主要な河川の一つです。
4.2. 気候
セントビンセント及びグレナディーン諸島は熱帯海洋性気候に属し、年間を通じて温暖湿潤です。気温は年間を通じて摂氏18度から32度の間を推移します。明確な乾季(1月から5月、特に1月から4月)と雨季(6月から12月、特に5月から12月)があり、北東からの貿易風の影響を受けます。年間降水量は、海岸部では平均1500 mmですが、内陸部の標高が高い地域では4500 mmに達することもあります。
この国はハリケーンシーズンの影響を受けやすい地理的特徴を持っており、大西洋の熱帯低気圧の主要な発生海域内に位置しています。最近では、2023年に熱帯暴風雨ブレットが島々に直接的な影響を与えました。
4.3. 生態系と環境
セントビンセント及びグレナディーン諸島には、主に2つの陸上生態地域が存在します。それは、ウィンドワード諸島湿潤林と小アンティル乾燥林です。これらの生態系は、多様な動植物種を育んでいます。国の森林は国土の約36%を占めており、その保全が重要な課題となっています。2019年の森林景観健全性指数(Forest Landscape Integrity Index)の平均スコアは6.95/10で、世界172ヶ国中61位でした。
豊かな海洋生態系も特徴であり、サンゴ礁やマングローブ林などが多くの海洋生物の生息地となっています。しかし、気候変動の影響(海面上昇、サンゴの白化、ハリケーンの激化など)や、過剰な開発、汚染などが環境問題として懸念されています。固有の動植物種の保護と、持続可能な資源利用に向けた努力が続けられています。
5. 政治


セントビンセント及びグレナディーン諸島は、立憲君主制及び議院内閣制に基づく統治形態をとるイギリス連邦王国の議会制民主主義国家です。国家元首はイギリス国王(現在はチャールズ3世)であり、国王は島内に居住していないため、その代理として総督が置かれています。行政権は首相及び内閣が有し、立法府は一院制の議会で構成されています。

5.1. 政府構造
国家元首であるイギリス国王は、セントビンセント及びグレナディーン諸島においてはセントビンセント・グレナディーン国王の称号を持ちます。国王の代理を務める総督は、現在はデイム・スーザン・ドゥーガン(2019年8月1日就任)です。総督の職務は主に儀礼的なものであり、議会の開会や様々な政府高官の任命などを行います。
実際の行政権は、選挙で選ばれた首相とその内閣にあります。現在の首相は、2001年に統一労働党(ULP)の党首として選出されたラルフ・ゴンザルヴェスです。
立法府である議会は一院制で、小選挙区から選出される15名の民選議員と、上院議員として知られる6名の任命議員、合計21名で構成されます。議員の任期は5年ですが、首相はいつでも解散総選挙を行うことができます。
司法府は、地方裁判所、東カリブ最高裁判所、そして最終審としてイギリスの枢密院司法委員会から構成されています。
5.2. 政党と政治動向
議会に議席を持つ主要な政党は、新民主党(NDP)と統一労働党(ULP)です。NDPは中道右派、ULPは中道左派の傾向があるとされています。ULPは、かつてのセントビンセント労働党(SVLP)の後継政党です。
議会の野党は、総選挙で次点の議席数を獲得した政党によって構成され、その党首が野党指導者となります。現在の野党指導者は、NDPのゴッドウィン・フライデーです。
近年の政治は、ラルフ・ゴンザルヴェス首相率いるULPが長期政権を維持しており、2001年以降、2005年、2010年、2015年、2020年の総選挙で連続して勝利しています。重要な政治的争点としては、2009年に行われた共和制移行を目指す憲法改正案の国民投票がありましたが、これは否決されました。
5.3. 行政区画
セントビンセント及びグレナディーン諸島は、行政的に6つの教区(parish英語)に分かれています。そのうち5教区はセントビンセント島にあり、残りの1教区はグレナディーン諸島全体で構成されています。首都キングスタウンは、セント・ジョージ教区に位置し、国の中央行政の中心地です。
各行政教区は以下の通りです。
教区名 | 英語名 | 面積 (km²) | 人口 (2000年) | 主要都市 |
---|---|---|---|---|
シャーロット教区 | Charlotte | 149 | 38,000 | ジョージタウン |
グレナディーン教区 | Grenadines | 43 | 9,200 | ポート・エリザベス |
セント・アンドリュー教区 | Saint Andrew | 29 | 6,700 | レイオー |
セント・デイヴィッド教区 | Saint David | 80 | 6,700 | シャトーブレール |
セント・ジョージ教区 | Saint George | 52 | 51,400 | キングスタウン |
セント・パトリック教区 | Saint Patrick | 37 | 5,800 | バルアリ |
(人口データは2000年時点のものです。)
5.4. 軍事
セントビンセント及びグレナディーン諸島は、正規の国防軍を保有していません。国防および国内の治安維持は、主に王立セントビンセント・グレナディーン警察隊(Royal Saint Vincent and the Grenadines Police Force英語)が担っており、この警察隊内には特殊部隊(Special Service Unit, SSU英語)や予備役部隊が存在します。また、セントビンセント・グレナディーン沿岸警備隊も海上警備の役割を担っています。
同国は、1982年に設立された地域安全保障システム(RSS)の加盟国であり、近隣のカリブ海諸国と安全保障面で協力しています。このシステムは、東カリブ諸国機構(OECS)加盟6か国とバルバドスによって構成され、地域の平和と安定に寄与することを目的としています。1984年に首相に就任したジェームズ・フィッツ=アレン・ミッチェルは、アメリカ、イギリス、東カリブ海諸国による合同軍事演習への不参加を表明するなど、独自の外交・安全保障路線を歩んだ時期もありました。
2017年には、セントビンセント及びグレナディーン諸島は核兵器禁止条約に署名し、核兵器のない世界への意志を示しています。
5.5. 対外関係
セントビンセント及びグレナディーン諸島は、カナダ、イギリス、アメリカ合衆国といった国々と緊密な関係を維持しています。また、東カリブ諸国機構(OECS)、カリブ共同体(CARICOM)といった地域の政治経済組織と協力しています。2019年8月には、ラルフ・ゴンザルヴェス首相の中華民国(台湾)公式訪問後、台北に6番目の在外公館(大使館)を開設しました。他の5つの主要な在外公館は、ロンドン(イギリス連邦諸国間では大使館ではなく高等弁務官事務所を設置)、ワシントンD.C.、ハバナ、カラカス、ブリュッセルにあります。同国は米州ボリバル同盟(ALBA)にも加盟しており、ベネズエラやキューバといった国々とも連携を深めています。
国際機関においては、国際連合(UN)、イギリス連邦、米州機構(OAS)、ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELAC)、カリブ諸国連合(ACS)などに加盟しています。2020年から2021年にかけては、国連安全保障理事会の非常任理事国を務め、国際社会における発言力を高めました。
外交上の主要な課題としては、ベネズエラがアベス島の完全な実効支配を主張し、カリブ海の広大な部分に及ぶ排他的経済水域(EEZ)および大陸棚を設定していることに対する抗議があります。また、旧宗主国であるヨーロッパ諸国に対する奴隷制への賠償請求も重要な外交課題の一つです。
大韓民国とは1979年の独立直後に国交を樹立し、1988年のソウルオリンピックにも選手団を派遣しました。朝鮮民主主義人民共和国とは1981年に初めて国交を結びましたが、1988年の大韓航空機爆破事件を理由に断交し、その後1990年に再樹立しています。
5.5.1. 人権状況と社会問題
セントビンセント及びグレナディーン諸島における人権状況と社会問題は、国内外で注目されています。特に以下の点が挙げられます。
- LGBTQ+の権利:国内法では、同性愛行為を示唆しうる「甚だしいわいせつ行為」は違法とされています。刑法第148条では、同性の他者と公私を問わず甚だしいわいせつ行為を行った者、または同性の他者に自身との間で同様の行為を犯させようとしたり、犯させようと試みたりした者は、有罪となり5年以下の懲役に処せられると規定されています。これは、LGBTQ+コミュニティに対する差別的な法制度として国際的な人権団体から批判を受けています。
- 植民地支配と奴隷制に対する賠償要求:ラルフ・ゴンザルヴェス政権は、過去の植民地支配と大西洋奴隷貿易における役割について、旧宗主国であるヨーロッパ諸国に対して賠償を支払うよう積極的に要求しています。2013年にはカリブ共同体(CARICOM)の他の加盟国と共にこの要求を公式に表明しました。2022年4月には、イギリスのエドワード王子とソフィー妃が同国を訪問した際、奴隷貿易へのイギリスの関与に対する賠償を求める抗議デモに直面しました。抗議者の中には、セントビンセント・グレナディーン国家賠償委員会の元委員長であるジョモ・トーマス氏も含まれており、歴史的責任の清算を強く訴えました。
- 国際的な人権問題への言及:セントビンセント及びグレナディーン諸島は、国際場裏においても人権問題について発言しています。2017年9月の第72回国連総会では、ソロモン諸島、ツバル、バヌアツの首相らと共に、インドネシアによる西パプアの先住民パプア人に対する人権侵害疑惑について国連に対応を求めました。これは、小国ながらも国際的な人権問題に関与し、発言していく姿勢を示すものです。
これらの課題は、国の民主主義の成熟度、社会正義の実現、そして歴史的責任との向き合い方を示す重要な指標となっています。
6. 経済

セントビンセント及びグレナディーン諸島の経済は、伝統的に農業、特にバナナ生産に大きく依存してきましたが、近年はサービス業、とりわけ観光業の重要性が増しています。しかし、単一作物への依存、高い失業率、自然災害のリスクといった構造的な課題を抱えており、経済の多角化と持続可能な発展が求められています。経済発展を議論する際には、環境への配慮、労働者の権利、社会的公正といった側面が重要視されています。
6.1. 経済構造と現状
セントビンセント及びグレナディーン諸島は、世界銀行の分類で下位中所得国に位置付けられています。2000年時点の国内総生産(GDP)構成比は、農業が10.6%、工業が17.5%、サービス業が71.9%でした。2004年のGDPは約3.90 億 USD、一人当たりGDPは約3516 USDとされています。失業率は依然として高く、1991年の国勢調査では19.8%、2001年には15%と報告されていますが、依然として深刻な社会問題です(1997年の統計では22%との報告もあります)。物価上昇率は1999年時点で2.2%でした。
バナナのような単一作物への継続的な依存は、熱帯暴風雨によって収穫の大部分が失われる年が多いため、同国の発展にとって最大の障害となっています。小規模な製造業部門と、国際ビジネスを対象とした小規模なオフショア金融部門も存在しますが、その秘密保持法は国際的な懸念を引き起こしています。
6.2. 主要産業
- 農業:経済の伝統的な柱であり、特にバナナ生産が中心です。その他、ココナッツ、サツマイモ、香辛料なども栽培されています。セントビンセント島はアロールート(クズウコン)の世界最大の生産国の一つでもあります。しかし、EUの特恵関税制度の変更や自然災害により、バナナ産業は困難に直面しています。
- 観光業:成長産業であり、美しい自然景観やビーチを活かしたリゾート開発が進んでいます。映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズのロケ地となったことも、観光客誘致や投資促進に貢献しました。建設部門の活発な動きと観光業の改善が近年の経済成長を刺激しています。
- 漁業:国内消費および輸出向けに重要な役割を担っています。特にベキア島では、国際捕鯨委員会(IWC)の生存捕鯨枠内で、年間4頭までのザトウクジラの捕獲が先住民によって伝統的に行われていますが、これは国際的に議論のある問題です。
- 製造業:小規模ながら、食品加工(小麦粉、ラム酒など)、家具、繊維製品などの分野が存在します。
- オフショア金融サービス:国際金融サービスへの需要が高まっており、株式交換や金融仲介業者の金融活動が見られますが、規制の緩さや透明性の問題が指摘されることもあります。
6.3. 交通
国内に鉄道はなく、島内の主な交通手段は自家用車、ミニバス(「バン」と呼ばれる乗り合いワゴン車)、またはタクシーです。バンは本島の隅々まで(一部地域を除く)運行されており、国民の重要な足となっています。離島への移動には、首都キングスタウンの港から出航するフェリーか、空港からの小型航空機が利用されます。
- 空港:国内には大小6つの空港があります。主要な国際空港は、2017年2月14日に開港したアーガイル国際空港です。これは既存のE.T.ジョシュア空港に代わるもので、キングスタウンから東海岸に約8.3 kmの場所に位置しています。LIAT航空やカリビアン・スター航空などが、バルバドスやトリニダード・トバゴといったハブ空港へ国際便を運航しています。国内の離島へは、SVGエアーやマスティーク・エアウェイズなどが国内便を運航しています。
- 港湾施設:首都キングスタウンには主要な港があり、国内外の貨物船やクルーズ船が寄港します。
- 道路網:国内の道路網は整備が進められていますが、山がちな地形のため、特に内陸部では道路状況が厳しい場所もあります。
- フェリー:キングスタウンの港から各離島へ国内線フェリーが出ています。隣のベキア島へは、ベキア・エクスプレスが毎日運航しており、所要時間は約1時間、往復料金はEC$25(東カリブ・ドル)です。また、バラクーダと呼ばれるフェリーが、本島とカヌアン島(片道EC$20)、メイルー島(片道EC$25)、ユニオン島(片道EC$30)を週2往復運航しています。(料金は2006年時点)
- バン(乗り合いバス):本島のバンは、全ての路線がキングスタウンのリトルトーキョー魚市場脇にあるバスターミナルから発着します。本数が少ない路線もありますが、多くの地域へは頻繁に運行されています。運行は基本的に運転手と助手の2人で行われます。料金の目安は、空港・首都間がEC$1、首都・インディアンベイ間がEC$1.5です。(2006年時点)
- タクシー:決まった車体デザインはなく、「TAXI」の表示以外は自家用車と見分けがつきにくい場合があります。メーター付きタクシーは一般的ではありません。料金の目安は、空港・首都間がEC$15~20、首都・インディアンベイ間がEC$25です。(2006年時点)
6.4. 通信
2010年時点で、セントビンセント及びグレナディーン諸島には約21,700回線の固定電話網がありました。固定電話システムは完全に自動化されており、セントビンセント本島全域と全ての有人民のグレナディーン諸島をカバーしています。
携帯電話の普及も進んでおり、2002年には10,000台でしたが、2010年には131,800台に増加しました。携帯電話サービスは、セントビンセント島およびグレナディーン諸島のほとんどの地域で利用可能です。
インターネット接続に関しては、国内にはDigicelとFlowの2つの主要なインターネットサービスプロバイダ(ISP)があり、携帯電話サービスとインターネットサービスを提供しています。
7. 人口統計
セントビンセント及びグレナディーン諸島の総人口は、2023年の国連推計で約103,698人です。人口密度は1平方キロメートルあたり300人(1平方マイルあたり700人)を超えています。
この国の人口動態は、奴隷貿易と契約労働の歴史を色濃く反映しています。
7.1. 人口と民族構成
民族構成は、アフリカ系住民が最も多く、人口の約66%を占めています。彼らの多くは、かつてプランテーションで働くために西中央アフリカから強制的に連れてこられた奴隷の子孫です。次いで混血が約19%、インド系(東インド系)が約6%、ヨーロッパ系(主にポルトガル系)が約4%、先住民であるカリナゴ族(ガリフナを含む)が約2%、その他(中国人などを含む)が約3%となっています。
ポルトガル系住民は、19世紀半ばに奴隷制度廃止後の労働力不足を補うためにマデイラ諸島からやって来た契約労働者の子孫です。同様に、インド系住民も19世紀後半に契約労働者として移住してきました。近年では中国系の人口も増加傾向にあります。
国民は自らを「ヴィンセント人」または口語で「ヴィンシー」(Vincy英語)と呼んでいます。
7.2. 言語
公用語は英語です。しかし、国民の多くは日常生活において、ビンセント・クレオール語(Vincentian Creole英語)と呼ばれる英語ベースのクレオール言語を話します。この言語は、地元では「ダイアレクト」とも呼ばれ、独自の強いアクセントや、標準英語とは異なる文法体系を持つ場合があります。
英語は教育、政府、宗教、その他の公的な場面で使用され、クレオール語は家庭内や友人同士など、非公式な状況で広く使われています。また、グレナディーン諸島の一部では、フランス語の影響を受けたパトワと呼ばれるクレオール語が話されることもあります。一部ではスペイン語も使用されています。
7.3. 宗教

2001年の国勢調査によると、セントビンセント及びグレナディーン諸島の人口の81.5%がキリスト教徒であると回答しています。他の宗教を信仰する者は6.7%、特定の宗教を持たないか無回答の者は8.8%(うち1.5%が無回答)でした。
キリスト教の中では、聖公会(アングリカン)が最大の宗派で、人口の17.8%を占めています。次いでペンテコステ派が17.6%、メソジストが10.9%、セブンスデー・アドベンチスト教会が10.2%、バプテストが10.0%となっています。その他のキリスト教宗派には、ローマ・カトリック(7.5%)、福音派(2.8%)、チャーチ・オブ・ゴッド(2.5%)、ブレザレン(1.3%)、エホバの証人(0.6%)、救世軍(0.3%)などがあります。
1991年から2001年の間に、聖公会、ブレザレン、メソジスト、ローマ・カトリックの信者数は減少しましたが、ペンテコステ派、福音派、セブンスデー・アドベンチスト教会の信者数は増加しました。
キリスト教以外の宗教は少数派ですが、ラスタファリ運動の信者が人口の1.5%、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒が合わせて1.5%存在します。
8. 文化

セントビンセント及びグレナディーン諸島の文化は、アフリカ、ヨーロッパ(特にイギリスとフランス)、インド、そして先住民カリナゴといった多様な民族的背景の影響を受けて形成されてきました。音楽、スポーツ、祭りなどが国民生活に彩りを与えています。キングスタウンでは毎年、ソカを中心としたカーニバルが盛大に開催され、サンバカーニバルのような華やかな仮装行列が見られます。造船技術、特に装飾的な船の建造は、セントビンセント島とグレナディーン諸島の伝統的な芸術形態の一つです。男性の間では、ドミノのようなテーブルゲームが人気です。
8.1. 音楽
セントビンセント及びグレナディーン諸島で人気のある音楽ジャンルには、ビッグ・ドラム、カリプソ、ソカ、スティールパン、レゲエなどがあります。ビッグ・ドラムはアフリカ起源の太鼓音楽で、儀式や祭りで演奏されます。カリプソやソカはトリニダード・トバゴ発祥の音楽ですが、この国でも広く親しまれ、カーニバルの中心的な音楽となっています。スティールパンも同様に重要な楽器です。その他、弦楽器バンドによる音楽、カドリーユ(ヨーロッパ起源のダンス音楽)、伝統的な語り物なども人気があります。
著名な音楽家としては、ソカ歌手のケヴィン・リトルが国際的に知られています。彼は2013年9月19日に同国の文化大使に任命されました。
国歌は「美しきセントビンセントランド(Saint Vincent, Land so beautiful英語)」で、1979年の独立時に制定されました。
8.2. スポーツ
セントビンセント及びグレナディーン諸島で最も人気のあるスポーツはクリケットとサッカーです。その他、ネットボール(特に女性に人気)、バスケットボール、バレーボール、陸上競技、ラグビー、テニスなども盛んに行われています。
- クリケット:イギリス植民地時代からの影響で深く根付いており、国内リーグも存在します。同国の選手は、他のカリブ海諸国と共に多国籍ナショナルチームであるクリケット西インド諸島代表のメンバーとして国際大会に出場します。
- サッカー:国内トップリーグとしてSVGFFプレミアディビジョンがあり、2009年に設立され、12クラブが参加しています(アベニュー・ユナイテッドFCが最多優勝回数を誇ります)。サッカーセントビンセント・グレナディーン代表は、FIFAワールドカップへの出場経験はありませんが、CONCACAFゴールドカップには1996年大会に初出場しました。また、カリビアンカップでは1995年大会で準優勝の実績があります。著名な選手には、元代表キャプテンでメジャーリーグサッカー(MLS)の複数クラブでプレーし、シカゴ・ファイアーFCのヘッドコーチも務めたエズラ・ヘンドリクソンがいます。
- 陸上競技:国際大会でも活躍する選手を輩出しています。ナターシャ・メイヤーズは2010年のコモンウェルスゲームズ女子100mで金メダルを獲得。キネケ・アレクサンダーは2015年のパンアメリカン競技大会女子400mで銅メダルを獲得。エスウォート・クームズは1995年のパンアメリカン競技大会男子400mで銅メダルを獲得しました。2024年のパリオリンピックでは、シャフィカ・マロニーが女子800mで4位に入賞し、同国選手として初めてオリンピックの決勝に進出する快挙を成し遂げました。同大会にはハンデル・ロバンも出場しました。
- バスケットボール:男子および女子の代表チームがカリブ海バスケットボール選手権に定期的に参加しています。
- ラグビー:独自の代表チームがあり、世界ランキングでは84位に位置しています。
オリンピックのセントビンセント・グレナディーン選手団も参照のこと。
8.3. メディア
セントビンセント及びグレナディーン諸島には、複数のラジオ局、テレビ局、新聞、オンラインメディアが存在します。
- ラジオ局:FMラジオ局が12局あり、主なものに88.9 Adoration FM、89.1 Jem Radio、89.7 NBC Radio、95.7 および 105.7 Praise FM、96.7 Nice Radio、97.1 Hot 97、98.3 Star FM、99.9 We FM、103.7 Hitz FM、102.7 EZee Radio、104.3 Xtreme FM、106.9 Boom FMなどがあります。インターネットラジオ局もいくつかあり、Chronicles Christian Radioなどが知られています。
- テレビ局:地上波テレビ局としてSVGTV(ZBG-TV)が1局あります。また、ケーブルテレビプロバイダーも1社存在します。セントビンセント・グレナディーン放送公社(St Vincent and the Grenadines Broadcasting Corporation英語)は、SVGTVおよびラジオ局Magic 103.7の親会社です。
- 新聞・オンラインメディア:複数の新聞やオンラインニュースサイトが国内の情報を発信しています。
8.4. 祝祭日
セントビンセント及びグレナディーン諸島の法律で定められた主要な公的祝祭日は以下の通りです。これらには、キリスト教関連の祝日、歴史的な出来事を記念する日、そして国民的な文化行事であるカーニバルに関連する休日が含まれます。
日付 | 日本語表記 | 英語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | New Year's Day | |
3月14日 | 国民英雄の日 | National Heroes' Day | |
移動 | 聖金曜日 | Good Friday | 移動祝日 |
移動 | イースターマンデー | Easter Monday | 移動祝日 |
5月1日 | メーデー | Labour Day | |
移動 | 聖霊降臨祭の月曜日 | Whit Monday | 移動祝日 |
7月第1月曜日(または指定日) | カーニバル・マンデー | Carnival Monday | ヴィンセント・カーニバル(Vincy Mas英語)期間中。早朝に体にインクを塗るジュベ(J'ouvert)というイベントあり。 |
7月第1火曜日(または指定日) | カーニバル・チューズデー | Carnival Tuesday | ヴィンセント・カーニバル(Vincy Mas英語)の最終日(マルディグラ)。 |
8月1日 | 奴隷解放記念日 | Emancipation Day | |
10月27日 | 独立記念日 | Independence Day | 1979年の独立を記念。 |
12月25日 | クリスマス | Christmas Day | |
12月26日 | ボクシング・デー | Boxing Day |
※ヴィンセント・カーニバル(Vincy Mas英語)は、通常6月最終金曜日から7月第1火曜日までの期間に開催されます。
9. 主要な人物
セントビンセント及びグレナディーン諸島出身者、またはこの国の歴史や発展に重要な影響を与えた人物には、様々な分野で活躍する人々がいます。
- 政治・行政
- ミルトン・ケイトー:初代首相。独立を主導。
- ジェームズ・フィッツ=アレン・ミッチェル:長期間首相を務め、地域の統合に尽力。
- ラルフ・ゴンザルヴェス:現首相。長期政権を維持し、奴隷制への賠償請求などで国際的に発言。
- K. ドワイト・ヴェナー:元東カリブ中央銀行総裁。
- 音楽
- ケヴィン・リトル:Soca英語ミュージシャン、歌手。「Turn Me On英語」のヒットで国際的に知られる。
- ジュディ・ブーチャー:レゲエ歌手。
- スキニー・ファビュラス:ソカミュージシャン、歌手。
- プロトジェ:レゲエ歌手。
- マーロン・ルーデット:シンガーソングライター。
- スポーツ
- エズラ・ヘンドリクソン:元サッカー選手(代表キャプテン)、指導者。メジャーリーグサッカーで活躍。
- アドナル・フォイル:元NBAバスケットボール選手。社会活動家としても知られる。
- ナターシャ・メイヤーズ:陸上競技選手。2010年コモンウェルスゲームズ女子100m金メダリスト。
- シャフィカ・マロニー:陸上競技選手。2024年パリオリンピック女子800mで4位入賞。
- ニクソン・マクリーン:元クリケット選手。
- ソフィア・ヤング:元WNBAバスケットボール選手、NCAAチャンピオン、3度のオールスター選出。
- ドクター・キショール・シャロー:クリケット西インド諸島連盟会長。
- その他
- フランクリン・シールズ:テレビ・映画俳優。
- リンカーン・アレクサンダー:カナダの弁護士、政治家(オンタリオ州副総督)。セントビンセント系。
- アンドレア・ルイス:カナダの女優、歌手。セントビンセント系。
- エンキール・ハリー:アメリカンフットボール選手(NFL)。セントビンセント生まれ。
- ジェシー・リンガード:イングランドのサッカー選手。セントビンセントにルーツを持つ。
- 21サヴェージ:ラッパー。イギリス生まれ、アメリカで活動。セントビンセントにルーツを持つ。
- ミスト:ラッパー。イギリスで活動。セントビンセントにルーツを持つ。
(このリストはアルファベット順ではありません。分野別、または影響の大きい順に記載しています。)