1. 個人情報と背景
1.1. 出生と幼少期
小西海偉は、1981年5月16日に中国河北省辛集市で生まれた。身長は178cm、体重は70kgである。幼少期の7歳から卓球を始め、河北省体育学院で劉文清コーチの下で指導を受けた。一人っ子である。
1.2. 帰化と改名
1997年、小西海偉は日本のコーチにスカウトされ、日本へ渡った。来日後、青森山田高校で3年間の高等教育を、続いて青森大学で2年間の大学教育を修了した。2004年3月に日本国籍を取得し、中国名である宋海偉ソン・ハイウェイ中国語から、当時の高校時代の恩師である吉田安夫監督の姓にちなんで吉田海偉(よしだ かいい)へと改名した。その後、現在の小西海偉へと再び名前を変更している。
2. 選手経歴
2.1. 卓球との出会いと日本への移籍
小西海偉は7歳で卓球を始め、中国の河北省体育学院で練習を重ねた。1997年、日本の卓球関係者の目に留まり、日本への移籍を決断した。日本に渡った後は、青森山田高校に進学し、その後青森大学を卒業。学業と並行して選手としての生活を本格的に開始し、国内外の大会で活躍する道を歩んだ。
2.2. 国内での活躍
日本国内の卓球大会において、小西海偉は数々の顕著な成績を収めた。高校時代には、インターハイ男子シングルスで異例の3年連続優勝を達成した。2004年には全日本卓球選手権大会に初出場し、男子シングルスでいきなり優勝を飾るという快挙を成し遂げた。この際の優勝インタビューで「優勝は当たり前」という言葉を残し、強い印象を与えた。翌2005年の全日本卓球選手権大会でも2連覇を達成した。
また、ジャパントップ12卓球大会では、2005年から2008年まで男子シングルスで4年連続優勝を果たすなど、国内では「ほぼ敵なし」と言われるほどの活躍を見せた。2004年には日本卓球リーグ・ビックトーナメントの男子シングルスでも優勝している。
しかし、2006年と2007年の全日本選手権では水谷隼に決勝で敗れ、2008年には高校生の松平健太に準決勝で敗れた。さらに2009年の全日本選手権でも再び水谷隼に決勝で敗れるなど、若手選手の台頭により、以前ほどコンスタントに上位進出を果たすことが難しくなった。
2011年には、第66回国民体育大会(山口国体)卓球競技会の成年男子で、岸川聖也、平野友樹とともに山口県代表として優勝に貢献した。
2.3. 国際大会での活躍とランキング
国際舞台においても、小西海偉は日本のエースとして活躍した。2010年6月には世界ランキングで自己最高の20位を記録し、同年7月時点でも21位に位置していた。
ITTFプロツアーでは、2006年のセルビアオープンで男子シングルス初の優勝を飾った。また、2008年のチリオープンでは3位に入賞している。2005年のあいおい・トヨタカップ決勝では、2004年アテネオリンピック金メダリストの柳承民(韓国)をマッチポイントまで追い詰める激戦を演じた。
彼はまた、2006年のアジアカップで当時の世界ランキング12位だった荘智淵(チャイニーズタイペイ)を破り、2008年の世界卓球選手権広州大会でも再び荘智淵に勝利するなど、強豪選手を相手に番狂わせを起こした。ゾラン・プリモラッツにもITTFプロツアーで勝利したことがある。
団体戦やダブルスにおいても重要な選手であり、2007年のアジア卓球選手権(中国揚州)では男子団体で2位に貢献した。また、2008年の世界卓球選手権広州大会男子団体戦では銅メダルを獲得。2009年の世界卓球選手権横浜大会では男子シングルスでベスト8に進出した。2009年のアジア卓球選手権(インドラクナウ)では男子団体で銀メダル、同年の東アジア競技大会(香港)でも男子団体で銀メダルを獲得した。
2010年5月には、世界卓球選手権モスクワ大会男子団体で銅メダルを獲得した。さらに、2011年のワールドカップ(ドイツマクデブルク)では男子団体で銅メダル、同年のアジアカップ(中国長沙)では男子シングルスで銅メダルを獲得している。
2.4. プレースタイル
小西海偉のプレースタイルは、右利きのペンホルダーグリップで、現在では国際的に少数派となっている片面のみを使用する裏ソフトドライブ主戦型である。使用ラケットは「吉田海偉」モデル、フォア面のラバーは「テナジー64」である。松下浩二が「世界レベルから見てもトップクラス」と評するほどの強力なドライブを最大の武器としている。特に、そのフォアハンドドライブは攻撃の核であり、多くの得点源となっている。
しかし、ドライブの威力とは対照的に、台上技術に弱点があるとされている。彼の戦型はフットワークを多用するため、身体への負担が大きく、怪我に悩まされることも少なくなかった。実際、2005年には腱鞘炎、2006年には肩を故障するなど、故障歴も抱えていた。中国の王皓選手とは異なり、ラケットの片面しか使用しないという特徴も持つ。
3. 主な大会成績
3.1. 世界卓球選手権
3.1.1. 男子シングルス
- 2009年 横浜:ベスト8
3.1.2. 男子団体
- 2008年 広州:銅メダル
- 2010年 モスクワ:銅メダル
3.2. ワールドカップ
- 2011年 マクデブルク:男子団体 銅メダル
3.3. アジア競技大会・アジア卓球選手権
3.3.1. 男子団体
- 2005年 済州(アジア卓球選手権):銅メダル
- 2007年 揚州(アジア卓球選手権):銀メダル
- 2009年 ラクナウ(アジア卓球選手権):銀メダル
- 2010年 広州(アジア競技大会):銅メダル
3.3.2. 混合ダブルス
- 2005年 済州(アジア卓球選手権):銅メダル
3.4. 東アジア競技大会
- 2009年 香港:男子団体 銀メダル
3.5. ITTFプロツアーおよびその他国際大会
3.5.1. 男子シングルス
- 2006年10月22日 セルビアオープン(ベオグラード):優勝
- 2008年4月27日 チリオープン(サンティアゴ):銅メダル
- 2009年6月14日 ジャパンオープン(和歌山):銅メダル
- 2005年 アジアカップ:4位
- 2011年 長沙(アジアカップ):銅メダル
- 2017年10月 ポーランドオープン:準優勝
3.5.2. 男子ダブルス
3.6. 国内主要大会
3.6.1. 全日本卓球選手権大会
- 2004年 男子シングルス:優勝
- 2005年 男子シングルス:優勝(2連覇)
- 2007年 男子シングルス:準優勝
- 2008年 男子シングルス:準優勝
- 2010年 男子シングルス:準優勝
3.6.2. ジャパン トップ12
- 2005年 男子シングルス:優勝
- 2006年 男子シングルス:優勝(2連覇)
- 2007年 男子シングルス:優勝(3連覇)
- 2008年 男子シングルス:優勝(4連覇)
3.6.3. あいおい・トヨタカップ
- 2005年 男子シングルス:準優勝
大会 | 年 | 種目 | 成績 |
---|---|---|---|
全国高等学校総合体育大会卓球男子単 | 1997 | 男子シングルス | 優勝 |
全国高等学校総合体育大会卓球男子単 | 1998 | 男子シングルス | 優勝 |
全国高等学校総合体育大会卓球男子単 | 1999 | 男子シングルス | 優勝 |
全日本学生卓球選手権大会 | 2000 | 男子シングルス | 優勝 |
全日本学生卓球選手権大会 | 2001 | 男子シングルス | 3位 |
全日本学生卓球選手権大会 | 2001 | 男子ダブルス | 優勝 |
日本卓球リーグ・ビックトーナメント | 2004 | 男子シングルス | 優勝 |
第66回国民体育大会(山口国体) | 2011 | 成年男子団体 | 優勝 |
4. 私生活
4.1. 結婚
小西海偉は、2010年6月5日にグランドプリンスホテル高輪で卓球選手の小西杏と結婚した。
5. 近年の活動と所属
小西海偉は、2015年から2016年のシーズンには卓球ブンデスリーガのポーランドのKS UNIA AZS AWFiS Gdańskに所属した。このため、2016年の全日本卓球選手権大会ではリーグ戦を優先し出場を見送っている。2017年の全日本卓球選手権大会では準決勝に進出した。
2017年4月からは東京アートに所属した。
2022年には、再びポーランドのスーパーリーグに属する「デコルグラス・ジャウドボ」との契約を発表し、海外リーグでプレーを続けている。
また、グローバルアスリートプロジェクトにも所属している。
2023年9月には、テレビ東京の卓球専門番組『卓球ジャパン!』にゲスト出演し、9月9日には「小西海偉ついにスタジオ初登場!」、9月16日には妻の杏や息子とともに「小西海偉・杏・紅偉!一家勢揃いSP」という特集が組まれた。
6. 論争と事件
6.1. 性的暴行容疑での逮捕
2024年8月21日、小西海偉は自身が講師を務める卓球スクールの生徒の母親の体をわいせつ目的で触ったとして、神奈川県警に強制わいせつ容疑で逮捕された。