1. 人物
小林よしのりは、その思想形成に深く関わる家族背景と幼少期の経験、そして漫画家としての初期の苦闘を経て、独自の政治評論家としての道を歩むことになった。
1.1. 出生と家族背景
小林よしのりは1953年8月31日、福岡県筑紫郡大野町(現在の大野城市)にある母方の寺院で、二人兄妹の長男として生まれた。彼の男系家系である小林家は、幕末の土佐勤王党弾圧に加わった土佐藩士の小林 伝七日本語にまで遡る。
父親は1927年生まれで、2006年1月に死去した。太平洋戦争末期の1945年には日本軍に徴兵され、当初は沖縄戦が繰り広げられていた沖縄県へ派遣される予定だったが、間に合わず宮崎県で本土決戦に備えていた。戦後、父親は復員後に公務員(郵便局職員)として就職し、労働組合に加入してマルクス主義者となっていた。彼は戦後の日本において、家庭内で昭和天皇の物真似を皇室冗談として好んで行い、真面目な貯金主義者であった。
母親は1932年から1933年の間に生まれたと推測され、真言宗寺院の娘であった。母方の曾祖父は明治時代の日清戦争および日露戦争に従軍した近衛兵だった。このように、理想主義的な共産主義を支持する父親と、現実主義的な仏教を支持する母親の間には、思想的な対立があった。小林は1950年代以降に生まれたしらけ世代の人物であるが、自身を同じ世代の人物とは異なる特異な存在と自覚している。
1990年代の平成初期には、自身の著書『ゴーマニズム宣言 差別論スペシャル日本語』の題材ともなった被差別部落民への部落差別問題を福岡の地域社会で目撃し、成長した。彼は戦後の昭和期に周囲で発言していた大人たち(左翼による戦前の大日本帝国の先祖や国防、愛国心への批判)や文化人を見て育ち、その周囲の異常な感覚に日頃から違和感を抱いていた。30歳頃には、戦後の日本社会に違和感を持つ若手漫画家となっていた小林は、戦後思想に真っ向から逆らう思想家として、団塊の世代とは異なる思想を形成していった。彼の妹は、漫画『逆噴射家族日本語』に登場するアイドル歌手と女子プロレスラーの両方を志望する少女のモデルとなっている。
小林には子供が一人もいない。漫画の中で「自分が30代になって愛する者が手術室に入っていった」「妻が婦人科系の病気で子供を出産できない身体になった」と語っており、妻の不妊症がその一因である。また、金銭的な都合も子供を持たない要因であったと述べている。彼の妻は、小林と他の女性との交遊には寛容であるという。
1.2. 幼少期と学歴
幼少の頃から気管支喘息を患い、ひどい時には気管が細くなり、腕立て伏せのポーズでないと息ができないほどであった。体はガリガリにやせており、「もやし」「ガイコツ」「黄金バット」といったあだ名で呼ばれた。両親は「あんたは大人になるまでに死ぬんだからね。保険金もかけてあるんだから」と突き放した態度を取っていたというが、これは自立心を養うためという口実であり、実際には父親が近所の住民と麻雀をして騒音を立てた際に小林が激昂したため、小林専用の離れ部屋ができたのが真相であった。
夏休みなどの長期休暇には、地方で密教寺院の住職を務める祖父の寺に預けられた。祖父は僧侶でありながら女性関係もあったという型破りな人物であったが、大東亜戦争中にニューギニア島へ派遣された際に、俳優の加東大介と共に将兵向けの慰問芝居を行い、これが後に『南の島に雪が降る』として映画化されたことを誇りに思っており、小林もその自慢話をよく聞かされた。この寺での体験は、後に『ゴーマニズム宣言日本語』をはじめとする彼の作品に大きな影響を与えており、小林は自らを「不動明王の生まれ変わり」と称している(これは文字通りに信じているのではなく、自身の精神力に関する比喩である)。
子供の頃は親の方針であまり物を買ってもらえず、その経験が物欲に対する執着心を弱めるに至ったと語る。長年にわたって自家用車を持たなかったのも、その影響によるものだという。小学校半ばの頃はまだ体も弱かったが、クラスメイトから親しまれ、級長を務めていた。しかし、当時の多くの学校に見られたスパルタ教師であった男性担任から、ホームルームなどの学級行事進行を手厳しく叩き込まれた。知的障害気味でブタ鼻のクラスメートがおり、遠足の弁当の時間に同席する仲間がいない時は、彼と笑い合って一緒にいたという。
テレビ番組が子供文化にも浸透すると、『忍者部隊月光』や『宇宙大作戦』などを視聴した。子供の頃の憧れの人物は『宇宙家族ロビンソン』のドクター・スミスであったと語っている。小学6年生だった1964年にベトナム戦争が勃発すると、小林は父親の影響で『しんぶん赤旗日本語』の記事をスクラップブックにして夏休みの宿題として提出した。この宿題では、ベトナム戦争をアメリカ合衆国による侵略戦争であるとして批判していた。この宿題は学校の自由研究のコンクールで佳作となり展示されたが、『しんぶん赤旗日本語』の記事を使用したことに関しては反共主義者であった母親に叱られたという。中学生の時には、クラスメイトと3人で手作りの漫画雑誌「きまぐれ」を制作した。
漫画家になるため受験勉強をしないで済む学校が最適であると判断し、福岡市立福岡商業高等学校(現在の福岡市立福翔高等学校)に在籍した。この高校は珠算、簿記、税務会計の授業がある地元の実業家の子弟が通う高校であった。小林は、併願で進学校にも合格したが、あえて商業高校へ入学した理由を「家から近い」「暇なので漫画が描ける」「学校の3分の2が女」「勉強する奴がいないから、少し勉強すれば優等生」であったと述べている。商業関係の資格取得が卒業条件であったため、1年次には日商簿記検定2級および珠算3級の資格を取得し、その後の高校生活はほとんどギターを弾いて遊んで過ごしたとのこと。中学時代は坊主頭だった髪を伸ばすなど、しばしば生活指導の先生に叱られていた。同級生には甲斐よしひろがいた。
高校卒業後の希望は、上京して石ノ森章太郎の弟子になり漫画家修行をするつもりでいた。しかし、担任教師に「大学へ行って本を読め」と勧められ、福岡大学人文学部フランス語学科に入学した。この時に受験勉強の準備に取り掛かったことが、後に『東大一直線日本語』を描くきっかけになったと述べている。フランス語の上級会話能力者であり、フランス語を専攻した動機は、大学へ進学するにしても自分には合わない商学部には進学したくなかったことや、当時はミッシェル・ポルナレフなどのフレンチ・ポップスが流行っていたことから、「フランス語でミッシェル・ポルナレフが歌えたらカッコいいし、女にモテるだろう」というものであった。フランス語学習の影響で、『いろはにほう作日本語』の「ふまんたれぶー」や『茶魔日本語』のカメ達の名前など、フランス語由来の名称や語句が多数使われている。また、フランスに旅行した際に、日本語しか話せない日本人観光客を無視し続ける現地の女性店員に、フランス語で話しかけたところ、非常に怪訝な目で見られたことがあるという。
大学時代、左翼活動に若干ながら関わったことがあった。しかし、日々の左翼活動の中で、勧誘活動で人々の反応がいまひとつであったり、宗教活動の勧誘のほうが信者をより多く集めているなど、当時の左翼活動が人々の支持を失っているという現実を目の当たりにし、違和感を募らせた結果「自分とは違う世界だ」と気づき、左翼活動の仲間と袂を分かち、独自の世界を作るべく、その後は「今これをやっておかなきゃ後悔する気がする」と、貧血になるほどに読書にのめり込んだり、アルバイトにも精を出した。アルバイト先の喫茶店の常連客で、相撲の話が好きなヤクザの幹部と話を合わせねばならず、相撲のうんちくを本で必死に勉強したこともあった。建設業のバイト先の先輩と車に同乗した際に、併走している車に対し「おい!学生!文句言え!」などと理不尽な命令をされたり、探し物が見つからなかったことを弁解したら、「どこかにあるから探して来い!」などと怒鳴られたり理不尽な扱いを受けつつも、虚弱体質ゆえに肉体労働に向かず解雇寸前になった時、アルバイト先の先輩達が「いい奴だから雇い続けてくれ。その分は俺たちがカバーする」と雇い主に訴えたなどの逸話があり、その出来事の中で、仲間の優しさに触れたと同時に、自分の小ささを自覚せざるを得なかったと述懐している。
『戦争論2日本語』では、女性にもてる大学時代の親友が、小林が漫画家となりヒットした頃に、小林と深夜に長電話して「また会おう」と言って切った後に、自殺したと語っている。
1.3. 初期キャリアとデビュー
小林よしのりは1976年に『東大一直線日本語』を投稿し、『週刊少年ジャンプ』で連載を開始し漫画家としてデビューした。この作品は1979年まで連載された。その後、1980年から1981年にかけて『週刊ヤングジャンプ』で続編となる『東大快進撃日本語』を連載した。
デビュー当時は福岡で執筆活動を行っていたが、1982年に東京へ上京し、信濃町に住んだ。彼は「どうせなら東京の真ん中に住もう」と考えたが、どこが真ん中なのか分からず、東宮御所のすぐそばに居を構えたものの、生活に不便が生じたため、その後すぐに引っ越したという逸話がある。『東大快進撃日本語』終了後、『週刊ヤングジャンプ』当時の副編集長であった角南攻から、どんな作品を描いても大丈夫と太鼓判を押された小林は、ラブコメなどの軟弱化した若者に喝を入れる「(誅)天罰研究会」を連載開始した。しかし、この作品は連載第1回から人気投票でグラビアページ以下の最下位を記録し、打ち切りとなった。その後、集英社との専属契約を終了した。当時の他の作品には、『風雲わなげ野郎日本語』や『メンぱっちん日本語』などがある。
この頃、手塚治虫の手法として有名なスター・システムを小林も一時的に使っており、その一例として『東大一直線日本語』のチョンマゲ先生日本語や『(誅)天罰研究会』の首長の竜日本語などが挙げられる。小林が最も手を加えてやりたいと思っていたのは『東大一直線日本語』の名脇役、多分田吾作日本語で、『メンぱっちん日本語』の敵役の他、主役とした読切「多分・ザ・ジゴロ」などを発表した。後に多分田吾作日本語を発展させたキャラクターで『ヤングジャンプ』に読切「布抜呆作伝日本語」を掲載。さらに1984年から1986年にかけて『週刊少年チャンピオン』にて『いろはにほう作日本語』として連載を行い、単行本にして全9巻と『東大一直線日本語』に次ぐ記録となった。
2. 漫画家としての活動
小林よしのりは、初期のギャグ漫画で大衆的な人気を博した後、自身の作風を大きく転換させ、政治・社会評論へと活動の幅を広げていった。
2.1. 初期作品とブレイク
『いろはにほう作日本語』の連載終了と入れ替わるように、1986年5月から1994年9月まで『月刊コロコロコミック』で連載された『おぼっちゃまくん日本語』が大ヒットし、これによって小林自身も大ブレイクを果たした。この作品は日本だけでなく、令和初期に人気アニメとしてテレビ放送されているインドでも高い知名度を持つ。
『おぼっちゃまくん日本語』は1989年からはテレビ朝日系でテレビアニメ化され、人気番組となった。また、ファミリーコンピュータやPCエンジン向けのビデオゲームも制作された。『コロコロ』編集部は『おぼっちゃまくん日本語』以外の小林の漫画も求め、『いなか王兆作日本語』の同時連載(『おぼっちゃまくん日本語』後に連載を開始するも先に終了)、『救世主ラッキョウ日本語』のリメイク、前述の『いろはにほう作日本語』の『コロコロ』における再録などが行われた。なお、小林は『救世主ラッキョウ日本語』のリメイクについて「ちょっと"ヒネリ"が入りすぎてて、いまひとつ小さな子供にはピンとこなかったみたいやね」と自身の著書で語っている。
『おぼっちゃまくん日本語』は1989年に第34回小学館漫画賞児童部門を受賞した。授賞式での審査員に、陰湿で皮肉めいた批判発言をされたことに対して激怒した小林は、「こんな下品な漫画に賞をくれた審査員の度胸に感謝します」と、痛烈な皮肉を込めたコメントで反撃し、翌年以降の審査員が刷新される事態にまで発展した。この顛末は当時『宝島』に連載していた『おこっちゃまくん日本語』で描かれた。この一件が、後に自身の漫画作品の作風を180度転換させる主因となったとされている。
2.2. 政治評論への転換
1992年、小林はこれまでの自身の作品スタイルを180度転換させ、自身第3のヒット作となる『ゴーマニズム宣言日本語』を『SPA!』誌上で連載開始した。この作品は、彼が日本社会の非政治的な傾向に議論を巻き起こすことを意図して、意図的に傲慢で論争的、かつ過激なキャラクターとして自身を描写している点で、スティーヴン・コルベアのキャラクターに似た側面を持つ。しかし、実際の対話においては、小林はよりニュアンスに富んだ見解を示すこともある。例えば、彼は日本の歴史教科書問題において、日本が独自の教科書を執筆すべきという立場を取りながらも、西部邁との対談では、右翼団体が実際に作成した教科書がイデオロギーを追求するために歴史を美化していることを認めている。
『ゴーマニズム宣言日本語』の連載開始は、ギャグ漫画から政治・時事・社会評論へと活動の場を広げる契機となった。彼は2002年から2012年まで、保守主義的な季刊誌『わしズム日本語』の責任編集長を務めるなど、言論活動にも注力した。また、オウム真理教を風刺する漫画を描き始めたことで、1993年にはオウム真理教のメンバーによる暗殺未遂事件の標的となった。
2.3. 主要作品
小林よしのりの作品は、設定の矛盾をものともしない展開と飛び抜けた発想を身上としている。これは「細かい設定にこだわっていると、結果として内容がつまらなくなる」という作者の考えによるもので、より良い設定を思いつけば、あえて過去の設定は切り捨てるという。
2.3.1. 漫画作品
- 『東大一直線日本語』(1976年 - 1979年)
- 『救世主ラッキョウ日本語』(1978年4月号 - 1979年8月号)
- 『世紀末研究所日本語』(1979年創刊号 - 1980年4月号)
- 『格闘お遊戯日本語』(1979年9月号 - 1981年3月号)
- 『ジューシィガンコ日本語』(1981年4月号 - 7月号)
- 『(誅)天罰研究会日本語』(1981年37号 - 1982年3・4合併号)
- 『風雲わなげ野郎日本語』(1982年13号 - 22号)
- 『異能戦士日本語』(1982年37号・1983年52号・1984年3・4合併号 - 33号)
- 『タコちゃん ザ・グレート日本語』(1983年1月号 - 1984年5月号)
- 『メンぱっちん日本語』(1983年6号 - 35号)
- 『角栄生きる日本語』(1983年10月号 - 1985年10月号)
- 『ときめきの蛮人日本語』(1983年)
- 『青年ジェット日本語』(1984年1月30日号 - 6月30日号)
- 『おーっと、フル・タッチ!日本語』(1984年5月号 - 12月号) - 作:古舘伊知郎、画:第一部のみ小林、第二部は国友やすゆき
- 『いろはにほう作日本語』(1984年36号 - 1986年24号)
- 『おぼっちゃまくん日本語』(1986年5月号 - 1994年9月号)
- 『タコちゃん ザ・グレーテスト日本語』(1986年9月号 - 1987年5月号)
- 『ろまんちっく牛之介日本語』(1986年28号 - 1987年1・2合併号)
- 『忠牛ばっふぁ郎日本語』(1987年20号 - 49号)
- 『突撃!!(偏)(へんさち)BOYS日本語』(1987年52号 - 1988年)
- 『厳格に訊け!日本語』(1988年10号 - 1989年18号)
- 『おこっちゃまくん日本語』(1989年2月号 - 1991年7月24日号、月刊コロコロコミック:1991年10月号 - 1994年5月号)
- 『最終フェイス日本語』(1989年23号 - 1991年8号)
- 『どとーの愛日本語』(1992年4号 - 18号)
- 『ゴーマニズム宣言日本語』シリーズ
- 『ゴーマニズム宣言日本語』(1992年1月22日号 - 1995年8月2日号)
- 『新・ゴーマニズム宣言日本語』(1995年9月27日号 - 2007年)
- 『ゴーマニズム外伝日本語』(1996年1月号 - 4月号・7月号)
- 『ゴー宣・暫日本語』(2007年 - )
- 『世論という悪夢日本語』(2006年冬号 - 2009年冬号連載のコラム「天籟」と描き下ろしを収録、活字版ゴーマニズム宣言と記載)
- 『ゴーマニズム宣言PREMIUM 修身論日本語』(過去のゴーマニズム宣言シリーズの単行本よりテーマに合わせて抜き出し、加筆訂正のうえ転載)
- 『ゴーマニズム宣言NEO日本語』
- 『ゴーマニズム宣言EXTRA日本語』
- 『ゴーマニズム宣言 2nd Season日本語』(2018年4月 - )
- 『ゴーマニズム宣言日本語』第1巻 - 第9巻
- 『ゴーマニズム宣言EXTRA 1日本語』
- 『ゴー外!日本語』
- 『ゴーマニズム宣言差別論スペシャル日本語』(1995年)
- 『新・ゴーマニズム宣言日本語』第1巻 - 第14巻
- 『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 脱正義論日本語』(1996年)
- 『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論日本語』(1998年、全3巻) - 累計1.5 M部以上のベストセラーとなった。
- 『差別論スペシャル-ゴーマニズム宣言日本語』(1998年)
- 『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 「個と公」論日本語』(2000年)
- 『新ゴーマニズム宣言スペシャル・台湾論日本語』(2000年) - 台湾で繁体字中国語に翻訳され、大きな論争を巻き起こした。
- 『ゴーマニズム宣言スペシャル よしりん戦記日本語』(2003年)
- 『新ゴーマニズム宣言スペシャル・沖縄論日本語』(2005年)
- 『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 靖國論日本語』(2005年)
- 『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 挑戦的平和論日本語』(全2巻)
- 『いわゆるA級戦犯 ゴー宣SPECIAL日本語』
- 『ゴーマニズム宣言PREMIUM 修身論日本語』
- 『ゴーマニズム宣言NEO日本語』
- 『ゴーマニズム宣言EXTRA日本語』
- 『いなか王兆作日本語』(1992年4月号・8月号 - 1993年1月号)
- 『よしりんぞーん日本語』(1993年7号・12号・17号)
- 『ザ・カリスマンガ 聖人列伝日本語』(1994年7月号 - 1995年2月号)
- 『ザ・よしりん仮面日本語』(1995年4月7日号 - 4月28日号)
- 『私たち普通の日本人日本語』(1995年38号・41号 - 43号・46号 - 1996年6号) - 隔週連載
- 『よしりん昔話日本語』(1996年4月号 - 5月号)
- 『次元冒険記日本語』(1996年16号 - 38号) - 隔週連載
- 『夫婦の絆日本語』(2002年 - 2025年)
- 『遅咲きじじい日本語』(2006年 - 2008年) - 自身の眼病罹患以降の心境の変化が大きいとされる。
- 『卑怯者の島日本語』
- 『よしりん辻説法日本語』
- 『新・おぼっちゃまくん日本語』(2018年 - 2020年) - 登場人物の年齢はそのままに舞台を連載当時の現代に置き換えている。
- 『本日の雑談日本語』
- 『ライブ・ア・ライブ』(1994年、スクウェア) - 原始編のキャラクターデザインを担当。
2.3.2. 読み切り・描き下ろし漫画作品
- 『ザ・樹海日本語』
- 『目の玉日記日本語』
- 『ゴーマニズム宣言スペシャル・パール真論日本語』
- 『ゴーマニズム宣言スペシャル・天皇論日本語』
- 『ゴーマニズム宣言スペシャル・天皇論追撃篇日本語』
- 『ゴーマニズム宣言スペシャル・天皇論 平成29年日本語』
- 『ゴーマニズム宣言スペシャル・昭和天皇論日本語』
- 『ゴーマニズム宣言SPECIAL 新天皇論日本語』
- 『ゴーマニズム宣言スペシャル・国防論日本語』
- 『ゴーマニズム宣言スペシャル・反TPP論日本語』
- 『ゴーマニズム宣言SPECIAL 大東亜論日本語』
- 『ゴーマニズム宣言スペシャル・脱原発論日本語』
- 『ゴーマニズム宣言スペシャル AKB48論日本語』
- 『ゴーマニズム宣言ライジング ニセモノ政治家の見分け方日本語』
- 『ゴーマニズム宣言ライジング 開戦前夜日本語』
- 『女性天皇の時代日本語』
- 『保守も知らない靖国神社日本語』
- 『ゴーマニズム宣言SPECIAL 新戦争論日本語』
- 『9条は戦争条項になった日本語』
- 『ゴーマニズム宣言SPECIAL 民主主義という病い日本語』
- 『ゴーマニズム戦歴日本語』
- 『ゴーマニズム宣言外伝「女について」日本語』
- 『素晴らしき哉、常識!日本語』
- 『ゴーマニズム宣言SPECIAL 新・堕落論日本語』
- 『慰安婦日本語』
- 『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論日本語』
- 『ゴーマニズム宣言SPECIAL ウクライナ戦争論日本語』
- 『ゴーマニズム宣言SPECIAL 愛子天皇論日本語』
- 『よしりん御伽草子日本語』
- 『原発はヤバイ、核兵器は安全日本語』
- 『ゴーマニズム宣言SPECIAL 日本人論日本語』
2.3.3. 共著・関連書籍
- 『知のハルマゲドン-ゴー宣・サリン・パープリン日本語』 小林よしのり、浅羽通明(1995年)
- 『ゴーマニズム思想講座 正義・戦争・国家論-自分と社会をつなぐ回路日本語』 竹田青嗣、橋爪大三郎、小林よしのり(1997年)
- 『教科書が教えかねない自虐日本語』 小林よしのり、竹内義和、日本の戦争冤罪研究センター(1997年)
- 『歴史教科書との15年戦争-「侵略・進出」から「慰安婦」問題まで日本語』 西尾幹二、藤岡信勝、小林よしのり、高橋史朗(1997年)
- 『朝日新聞の正義-逆説の新ゴーマニズム宣言日本語』 小林よしのり、井沢元彦(1997年)
- 『知のハルマゲドン日本語』 小林よしのり、浅羽通明(1998年)
- 『新しい歴史教科書を「つくる会」という運動がある日本語』 小林よしのり、新しい歴史教科書をつくる会(1999年)
- 『戦争論争戦-小林よしのりVS.田原総一朗日本語』 小林よしのり、田原総一朗(1999年)
- 『子どもは待ってる!親の出番日本語』 金美齢、高橋史朗、小林よしのり、濤川栄太(1999年)
- 『国家と戦争-徹底討議日本語』 小林よしのり、西部邁、佐伯啓思、福田和也(1999年)
- 『自虐でやんす。日本語』 小林よしのり、竹内義和、日本の戦争冤罪研究センター(1999年)
- 『入国拒否-『台湾論』はなぜ焼かれたか日本語』 小林よしのり、金美齢(2001年)
- 『李登輝学校の教え日本語』 李登輝、小林よしのり(2001年)
- 『愛国対論日本語』 渡部昇一、小林よしのり(2002年)
- 『反米という作法日本語』 西部邁、小林よしのり(2002年)
- 『アホ腰抜けビョーキの親米保守日本語』 小林よしのり、西部邁(2003年)
- 『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 個と公論日本語』
- 『日本人なら知っておきたい靖國問題日本語』小林よしのり、高森明勅、大原康男、小堀桂一郎、中西輝政、西尾幹二、百地章、長谷川三千子(2007年6月)
- 『誇りある沖縄へ日本語』企画・編著:小林よしのり、著:宮城能彦、高里洋介、砥板芳行(2008年6月)
- 『日本人よ、もっと悪人になりなさい日本語』上坂冬子、小林よしのり(2009年6月)
- 『日本を貶めた10人の売国政治家日本語』小林よしのり編、副島隆彦、大原康男、田久保忠衛、堀辺正史、西尾幹二、関岡英之、潮匡人、古谷野敦、勝谷誠彦、木村三浩、宮城能彦、長谷川三千子、高森明勅、宮台真司、高山正之、八木秀次、富岡幸一郎、業田良家、西村幸祐(2009年7月)
- 『希望の国・日本 九人の政治家と真剣勝負日本語』小林よしのり(2010年4月28日)
- 『国民の遺書「泣かずにほめて下さい」靖国の言乃葉100選日本語』小林よしのり責任編集(2010年7月16日)
- 『新日本人に訊け!-ゴーマニズム対論集日本語』小林よしのり、石平、呉善花、鄭大均、ペマ・ギャルポ、ビル・トッテン、金美齢(2011年5月) - 日本に帰化した「親日」の元外国人たちとの対談集。
- 『はじめての支那論 中華思想の正体と日本の覚悟日本語』小林よしのり、有本香(2011年7月27日)
- 『私と宗教日本語』渡邊直樹編、高村薫、小林よしのり、小川洋子、立花隆、荒木経惟、高橋恵子、龍村仁、細江英公、想田和弘、水木しげる(2011年、10月)
- 『AKB48白熱論争日本語』小林よしのり、宇野常寛、中森明夫、濱野智史(2012年8月27日)
- 『ナショナリズムの現在-〈ネトウヨ〉化する日本と東アジアの未来日本語』宇野常寛、萱野稔人、小林よしのり、朴順梨、與那覇潤(2014年12月12日)
- 『戦争する国の道徳 安保・沖縄・福島日本語』小林よしのり、宮台真司、東浩紀(2015年10月15日)
- 『孤独を貫け日本語』小林よしのり、清水克衛(2016年5月15日)
- 『ザ・議論!~「リベラルVS保守」究極対決~日本語』小林よしのり、井上達夫(2016年11月11日)
- 『日本人なら知っておきたい天皇論日本語』小林よしのり、田原総一朗(2017年10月)
- 『ゴー宣〈憲法〉道場①白帯日本語』小林よしのり、井上達夫、山尾志桜里、駒村圭吾、曽我部真裕(2018年4月)
- 『ゴー宣〈憲法〉道場②黒帯日本語』小林よしのり、井上達夫、山尾志桜里、枝野幸男、伊勢崎賢治、山元一、井上武史(2018年10月)
- 『天皇論『日米激突』日本語』小林よしのり、ケネス・ルオフ(2019年10月)
- 『新型コロナ-専門家を問い質す日本語』小林よしのり、泉美木蘭(2020年11月)
- 『コロナ脳 日本人はデマに殺される日本語』小林よしのり、宮沢孝幸(2021年4月)
- 『コロナとワクチンの全貌日本語』小林よしのり、井上正康(2021年9月)
- 『統一協会問題の闇 国家を蝕んでいたカルトの正体日本語』小林よしのり、有田芳生(2023年3月)
2009年5月には、京楽産業からパチンコ機『CRぱちんこおぼっちゃまくん日本語』が発売された。
3. 主張
小林よしのりは、自身の政治的イデオロギー、歴史観、そして現代社会に対する見解において、常に論争的な立場を取り、日本の言論界に大きな影響を与え続けている。
3.1. イデオロギーと基本思想
小林よしのりは自身を保守主義者と自認しており、大東亜戦争肯定論と反米主義を明確に打ち出している。彼は「大東亜戦争は自衛戦争であり、日本はアジア諸国として初めて白人による植民地体制に全面的に戦いを挑んだものである」という見解を示している。
自身の政治スタンスとしては「わしは『公日本語』を守るのであって、『権力日本語』は守らない、『権力日本語』を守るなんてダサい」としており、「わしは、自民党が政権を取ろうが、野党が政権を取ろうが、『公日本語』からズレたら批判する」と述べている。彼は親米保守を「親米ポチ日本語」と呼び、安倍晋三の米議会演説に対しては、「アメリカに媚びたその自虐史観にムカムカした」「安倍首相が靖国神社に参拝しても、わしはアメリカのポチに成り下がった奴が、英霊を愚弄するんじゃないと怒るしかない」と発言している。
皇位継承問題については女系天皇を容認し、男系維持論者を批判して旧皇族皇籍取得論に反対している。男系維持論者・支持者に対しては「男系絶対主義者」後には「男系固執主義者」とし、また男系論者を「皇室論の専門家ではない」と断じている。彼は統一教会に批判的なスタンスを取り、有田芳生との共著『統一協会問題の闇日本語』で岸信介・安倍晋太郎・安倍晋三と三代続く政界との関係を指摘している。
3.2. 歴史観と論争的な主張
小林は南京事件と第二次世界大戦中の従軍慰安婦制度の両方を否定している。1996年8月には『SAPIO』連載の「新・ゴーマニズム宣言日本語」で、元従軍慰安婦の証言やメディアの報道内容に疑問を提起した。同年12月2日、藤岡信勝、西尾幹二らが中心となって「新しい歴史教科書をつくる会」(略称:つくる会)の結成記者会見が開かれた際、西尾は「この度、検定を通過した7社の中学教科書は、証拠不十分のまま従軍慰安婦の強制連行説をいっせいに採用した。安易な自己悪逆史観のたどりついた一つの帰結だ」との声明を発表した。この声明文には、藤岡、西尾、小林、坂本多加雄、高橋史朗、深田祐介、山本夏彦、阿川佐和子、林真理子の計9人が呼びかけ人として名を連ねた。翌1997年1月21日、小林ら「つくる会」のメンバー7人は小杉隆文部大臣に面会し、教科書の慰安婦関連の記述は検定基準に違反しているとして、削除を要求した。
3.3. 現代日本政治への見解
小林よしのりは、安倍政権については「今の『体制』は戦後レジームであって、安倍首相が『戦後レジームからの脱却』をやるなら、『権力日本語』と『公日本語』が重なってるから応援したっていいが、実際は『戦後レジームの補強』じゃないか!戦後レジームは『公日本語』でもないし、『体制』そのものじゃないか」と批判している。
彼は改憲論者でありながらも、「憲法9条は100%信じてないが、集団的自衛権を行使容認する安保法案は100%憲法違反である」「立憲主義は守らねばならない」として、日米安全保障条約を強化する平和安全法制は「従米法案日本語」であるとの観点から反対の意を表している。平和安全法制の呼称について、「『戦争法案』はレッテル貼りだと言うが、お世辞にも『平和安全法案』なんて言えない」「同盟国の戦争の後方支援として、武器弾薬人員を供給する兵站の役目を担うのなら、完全に『戦争法案』である。野党は堂々と『戦争法案』という言葉を多用すべきである」と発言している。
憲法9条護憲に関して、彼は「本当に、日米安保も自衛隊もなくして、丸裸の状態になり、それでもやっていく覚悟があるのか。あるのならわしはそれに賛同しますよ?」「命が大事なら、ガンジー主義はできませんよ?」と発言し、その覚悟がないなら改憲すべきと主張した。
共謀罪については、衆議院法務委員会に民進党の推薦を受け、参考人として出席し、「共謀罪の非常に危険なところというのは、物言う市民が萎縮してしまって、民主主義が健全に成り立たなくなるんじゃないか」と法制化に懸念を示した。
彼は「山尾志桜里を首相にする会」の代表を務めた。山尾が不倫疑惑で民進党を離党した際には民進党を強く批判し、山尾の「離党会見」を高く評価した。
3.4. 社会問題と評論
小林よしのりは、しばしば「ネトウヨの生みの親」と指摘されるものの、小林はネトウヨを嫌悪しており、「ネトウヨは『戦争論日本語』の副作用である」「隣の国の悪口で自我を肥大させ尊大になっている日本人なんて美意識のカケラもない」と強く批判している。フジテレビ抗議デモについては、「ネトウヨ系のヤツは、強硬なことを言っておけば保守なんだ、愛国者なんだと思っている」「しかも、君たち年収2.00 億 JPY以下の下層でしょ?・・・それでいいわけ?」「自分の立場に対して満足してないって、そこをちゃんと怒れよって言いたくなるよね」などと非難した。また、2012年12月27日の朝日新聞朝刊で、自身の著作『おぼっちゃまくん日本語』を使った安倍総理大臣への辛辣な風刺イラストと共に、「安倍晋三首相と、いわゆる『ネット右翼』は共生関係にある」と指摘した。
SEALDsについては、当初「シールズとかいう若者に好感」とするエントリをブログに投稿し、メンバーの奥田愛基とも対談したものの、「オシャレなデモ?『民主主義とは何だ?』クソくらえだ!」と批判した。また、茂木健一郎との対談の中で「九条護持といった瞬間、日米安全保障条約賛成といったのと一緒になってしまうから、どうしても矛盾が生じてしまう。SEALDsの子たちには、そういうことをもっと勉強してほしいんだよ」と述べている。
日本人の爆買い中国人観光客を歓迎する姿勢については「外国人観光客が来るのが何でそんなにいいのだろう?観光客の爆買いなんか当てにして経済回そうなんて姑息すぎる」「最近はわしの街の近辺まで、中国人がウロウロしだして、げんなりする。誰もが排外主義だと思われたくなくて、ヒューマニストを気取り、爆買いが嬉しいなあと、商売人でもないくせに歓迎するふりをしているが、本気なのか?」「わしは外国人観光客を呼ぶのを国策にするのを止めてほしい。特に中国人は目障りだ」と批判している。
杉田水脈のLGBTに対する「生産性がない」発言については、子供を産まないと生産性がないなら「安倍首相も生産性がないことになる。杉田水脈は安倍首相に向かって『あんたは生産性がない』と直言すべきだ」と指摘。また、「杉田水脈は国民の税金で食っていく身でありながら、差別しか政治的目標のない非生産的な国会議員」と批判した。また、LGBTについては「同性愛は趣味の問題ではなく、先天的な脳の問題であり、本人の意識では、どうにもならない」「生物学的に全くやむを得ない、先天的な脳内の問題であり、それを差別したり、偏見を持ったり、その人たちが普通に抱く感情を、不道徳だと言うことはできない」「LGBTに対する差別や偏見はいけないということについては、保守もリベラルもない」としている。
彼は戦時中に国民学校に通っており、軍国主義教育を受けた世代を「少国民 世代日本語」と呼んでいる。
霊、超能力、UFOなどのオカルトについては、いわゆる「自分の目で見たものしか信じられない」否定派。存在を信用しないと言うより「科学を使って理論的に(存在しない事を)解明しろ」とする主張である。特にオカルト研究家として有名になった、つのだじろうについては「本業の漫画がさっぱり売れなくなったもんだから、今やってるオカルトはほとんどギャグにしかならない」と強く攻撃、オカルトを皮肉った『うしろの中岡くん日本語』(つのだじろうの『うしろの百太郎日本語』と、心霊写真鑑定家の中岡俊哉のもじり)なる読切漫画を発表した。以前は大槻義彦のファンと称していたが、その後は「大槻教授も回答を出していないのが欠点だ」と語った。しかし小林自身は前述の密教寺に泊まった際霊らしき体験をしてたとして『ゴーマニズム宣言日本語』で完全に割り切れていないオチをつけている。彼は陰謀論を嫌悪しており、正確な情報を取り入れるために本を読んで勉強するのを欠かさないという。
『ゴー宣・暫1日本語』第三幕・第二場「ブックオフは文化破壊だ!」では、ブックオフは新しく見える「古本」を余りに早い時期に並べ、新刊本の販売量=製作者への報酬を減らすとして「漫画家は原稿料だけでは確実に赤字!単行本が売れて初めて給料を払い、経費を払い、収益がやっと出る!」(143頁)と、日本の漫画産業を成り立たせたシステムを破壊すると批判し、「モノには「適正価格」というものがある!」(146頁)と主張した。同時に再販制度および委託制度を擁護をしている。
中沢新一と福岡で一緒に講演をした際、中沢が坂本弁護士一家殺害事件に関し「創価学会をはじめとする宗教団体に調査した結果、どこの宗教もオウムの仕業じゃないといった。別の組織によって八丈島へ連れて行かれ、埋められた」と聴衆に向かって発言したが、講演後に新聞記者にそのことについて聞かれて「嘘に決まってるじゃない」と一言。「自分の立場を有利に進めていくためには、どんなことでも言ってしまうわけよ。あの人は学会の植木等だよ、あのくらい調子よけりゃ、許せる部分もあるけどね」と発言している。
選択的夫婦別姓制度導入に関連して、少子化対策の面から「事実婚こそ日本の伝統」と肯定的である。一方で「最高裁が『夫婦同姓』は合憲とした。「わしは別にこの憲法判断に異議はない。結婚前の『氏』が便利なら通称を用いればいいだけだ」とも語っている。
日本国内のコロナの流行を第一の権力と化したマスメディアが不安を煽ったことによるインフォデミックとしている。また、コロナ禍での緊急事態宣言の発令を憲法違反としている。自身は2回コロナにかかったものの、薬を飲むことなく自己免疫で治したという。ただし薬による治療を完全に否定しているわけではなく、コロナの治療に葛根湯日本語を用いることは否定していない。
4. 私生活と趣味
小林よしのりは、漫画家としての活動の傍ら、多様な趣味や独特の生活習慣を持つ。
4.1. 関心事と趣味
小林はかつて無類のAKB48ファンであったが、2016年5月1日に「わしはもうヲタではない」とするエントリを投稿し、"ヲタ卒"を宣言した。かつての主な推しメンとして、大島優子、市川美織、渡辺麻友、NMB48の渡辺美優紀、HKT48の村重杏奈を挙げる一方、小林はHKT48の指原莉乃のアンチであると公言しており、今後はNMB48を応援していくことを自身のブログで宣言した。かつて『ゴーマニズム宣言日本語』内で秋元康を批判したこともあったが、現在は考えを改めている。峯岸みなみの丸刈り謝罪が世界各国で冷ややかに報道される中、「退屈な『良識派』どもの、クソつまらんバッシングなど、全部わしが引き受けてやる」と述べ、自分が全てを引き受けると宣言している。テレビ番組で「大島優子とやりたい」と発言したが、小林は翌日のブログでこれを否定した。これに対して大島は大喜びし、後に日本武道館で会った際に大島は小林に、「私はあの発言、嬉しかったですよ」と対応した。
プロレス観戦は彼の有名な趣味であり、締切前に仕事を急いで仕上げ、観戦に行く時間をわざわざ作るほどである。彼は「暴力への憧れがあるのかも知れない」と語っており、これまでの小林の作品やギャグにもプロレスや格闘技をモチーフにしたものが多い。国内プロレスではアントニオ猪木派で、選挙で猪木に投票したり、その後の猪木の体たらくを見て逆に投票しなかったこともある。また『いろはにほう作日本語』のおまけのページでは、「現在長州力にお熱をあげててリングサイドで作戦を授けるのが夢」という発言もあり、『茶魔日本語』の作中では長州をもじった「酋長力」なるプロレスラーが登場している。他に障害者プロレスを世に広めたのも『ゴーマニズム宣言日本語』の功績の一つで、障害者プロレスで挨拶をしたこともある。
赤ん坊の頃から歌謡曲を聴いて育ち、現在に至るまでほとんどの流行曲を把握、「ヒットするかの許可をわしが審査している」と語るほどの歌謡曲通である。取材に来たマスコミが「よしりん企画の入社試験には、カラオケがあるんですか?」と、スタッフに聞いたほどのカラオケ上手で、専用のマイクを持っている者もいる。古くはピンク・レディー、沢田研二、庄野真代、柏原芳恵などを『東大一直線日本語』に登場させていた。特に演歌が好きで、中でも藤あや子(男なら冠二郎)の大ファン。『ゴーマニズム宣言日本語』にも藤を登場させた回が二度も存在し、藤との面会も実現している。
漫画家にならなければ映画監督になっていたと語っており、『スター・ウォーズ』『未知との遭遇』が公開された時は早くに鑑賞した。当時の作品にはパロディ的表現が多数ある。彼は以下の自主映画を制作している。
- 『生命いつまでも』(1980年)
- 『中洲界隈天罰研究会』(1981年)
また、没になった漫画のアイデアが脚本になった映画『逆噴射家族日本語』(1984年)がある。
4.2. 健康と生活習慣
幼少期に患った喘息は「大学時代に若干再発したものの、いつの間にか治っており、漫画家デビューしたら他人より強靭になってしまった」とのことであるが、2006年1月に死去した郵便職員の父親が、その数年前から再び喘息を患うようになっていたのを見て「年を取ったら再発するかも」とも語っている。2021年現在、喘息が再発していることが確認されている。
ペンなど細長い物を持つ場合、通常は人差し指と中指の間で挟むが、小林は人差し指と親指の間で挟む。このため人差し指と親指の間にペンだこが6つもあり「日本一多くのペンだこを持つ漫画家」と自称する。風変わりなペンだこは、自らをモデルにした漫画家・小林やしゃのりが主人公の『夜叉』にも登場したことがある。
生活サイクルは「2日間起きて6時間寝る」と『おぼっちゃまくん日本語』時代のアシスタントが語り、本人も長らく夜型生活であると語っていたが、白内障の視力回復手術を行った後は朝型生活に変わったと語る。2005年秋に白内障のため視力が著しく悪化した事により手術を行い、『新・ゴーマニズム宣言日本語』を休載した。旧『ゴーマニズム宣言日本語』時代、『噂の真相』の記事が引き金となって、当時の秘書である末永直海が退職したショックで原稿を落として以来の休載となった。視力は回復したものの、「眼圧が強すぎる」との理由で翌週も休載している。
歴代秘書曰く、「潔癖症レベルの清潔好き」である。自宅以外のトイレには行きたくないがために、外での水分摂取を極度に避けていた時期もあった(現在は医師に水分の不足を指摘され、積極的に摂っている)。また、バスタオルが敷かれた椅子(通称「タオルイス」)を愛用している。
5. 評価と影響
小林よしのりは、その作品と発言を通じて、日本の社会、文化、政治に多大な影響を与え、同時に多くの批評と論争を巻き起こしてきた。
5.1. 批評的評価
小林は元々『サザエさん』のような誰でも親しめるファミリー向けの漫画を目指していたが、結果として賛否両論が激しい漫画家となった。彼は漫画そのものに対する侮辱や、漫画家であることをもって批判することに対しては、激しく怒る。前述の小学館漫画賞授賞式での一件や、後述する西部邁との一件もそこから勃発した。当初は『ゴーマニズム宣言日本語』の作中で「権威主義に負けるな」と漫画を低く見ることを批判していたが、その後に西部の発言に一定の理解を示し、漫画はあくまでもサブカルチャーと考え、サブカルチャーに過ぎない漫画が日本で各世代から幅広く支持され、また日本の文化の担い手的立場を求められていることを批判し、その原因がメインカルチャーである文学などが堕落していることにあるとして、「自分のような漫画家に、知識人が負けてはならないのだ」と主張している。
これを『新・ゴーマニズム宣言日本語』1巻で主張するに先立ち、1995年7月放送の討論番組「朝まで生テレビ!」にて、小林は西部と同席し、西部の主張に同意する形で、「朝生で、西部さんが電車の中で漫画を読んではいけないと言ったが、昔なら凄く怒っていたが、今は駄目だと思うようになった」と主張した。番組では宮台真司や大島渚らから反論を受け、大島からは「メイン、サブと、カルチャーの高さを分ける事に意味はないよ」という趣旨の批判を受け、観覧からも、西部を批判していた頃の『ゴーマニズム宣言日本語』を礼賛しながら、同様の意味の批判を受けた。
5.2. 批判と論争
小林よしのりは、その歴史観や政治的発言、表現手法を巡って、数多くの批判と論争に晒されてきた。彼は南京事件と従軍慰安婦制度の両方を否定しており、特に『戦争論日本語』は、と学会によって「トンデモ本」として認定されている。また、ルーミー・サカモトからはナショナリズムと歴史観について批判されている。
1993年には、オウム真理教を風刺し始めたことで、同教団の暗殺リストに載り、暗殺未遂事件の標的となった。また、1996年には「新しい歴史教科書をつくる会」の結成呼びかけ人となり、従軍慰安婦に関する記述の教科書からの削除を主張した。
彼はしばしば「ネトウヨの生みの親」と指摘されるが、自身はネトウヨを嫌悪しており、「『戦争論日本語』の副作用」であると批判している。また、『新ゴーマニズム宣言スペシャル・沖縄論日本語』については、目取真俊から盗作問題を指摘されている。
テレビ番組での大島優子に関する発言は、小林自身が否定したものの、論争を呼んだ。彼は共謀罪について、民主主義を健全に成り立たなくする可能性があるとして懸念を表明している。
日本国内のコロナの流行をマスメディアが不安を煽ったことによるインフォデミックとし、コロナ禍での緊急事態宣言の発令を憲法違反としている点も、批判の対象となっている。
5.3. 社会・文化への影響
小林よしのりの作品と発言は、日本の社会論壇、大衆文化、政治情勢に多大な影響を与えてきた。特に『ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論日本語』は累計1.5 M部以上のベストセラーとなり、彼を日本で広く有名にした。
彼の初期のヒット作である『おぼっちゃまくん日本語』は、小学館漫画賞を受賞し、アニメ化されるなど、大衆文化に大きな足跡を残した。しかし、彼の真の影響は、ギャグ漫画から政治・時事・社会評論へと活動の軸を転換したことにある。1992年の『ゴーマニズム宣言日本語』の連載開始は、日本の非政治的な社会に議論を巻き起こすことを意図しており、実際に彼の論争的な歴史観(南京事件や従軍慰安婦問題の否定)や政治的立場(反米主義、安倍政権批判など)は、幅広い層で激しい議論を巻き起こした。
彼は「新しい歴史教科書をつくる会」の結成呼びかけ人として、歴史教科書問題に深く関与し、その後の歴史認識を巡る論争に大きな影響を与えた。また、彼自身はネトウヨを強く批判しているものの、彼の作品が一部のネトウヨの思想形成に影響を与えたという指摘もある。
小林よしのりの言説は、日本の言論空間において、保守主義的、ナショナリズム的視点からの議論を活性化させ、特に若年層に政治的関心を持たせる一因となった。彼の作品は、漫画というメディアを通じて、複雑な政治・社会問題を大衆に提示し、議論を促すという点で、独自の文化的役割を果たしている。