1. 来歴
古舘伊知郎は、東京都北区で育ち、その個性的なキャリアはテレビ朝日アナウンサー時代に培われた。フリー転身後は、独自のスタイルを確立し、多方面で活躍する一方、社会的な影響力も持つ人物として注目を集めた。
1.1. 生い立ちと教育
古舘伊知郎は、1954年12月7日に、浜野繊維工業で管理職(後に社長)を務めた父・古舘順太郎と、母・安也子(旧姓 堀口)の間に誕生した。父方の祖父・古舘清治と母方の祖父・堀口辰蔵は、どちらも中国大陸の青島に移住して商売をしていた時期があり、互いに交流があったという。これは、第一次世界大戦勃発後、日本が青島を占領したことにより多くの日本人が移住し、成功を夢見て事業を始めた背景があったためである。青島が1922年に返還された後、多くの日本人が現地を離れた。古舘伊知郎の両親も、青島で誕生時に同じ助産婦に取り上げてもらった縁があり、後に安也子が日本で女学校に進学した際、その家庭教師として当時早稲田大学に通っていた順太郎が選ばれたことで、二人の縁はさらに深まった。順太郎は学徒動員で出征し死を覚悟する事態にも直面したが、無事復員し、古舘家のルーツである九州の佐賀へ戻った。その後、安也子が遠路はるばる東京から佐賀へ会いに行ったことで、二人は結婚に至った。
古舘は東京都北区で育った。彼が29歳の時、両親が板橋駅商店街近くにあった実家の土地を売却し、現在は寿司店(金寿司)がその土地を買い取りビルを建設、同じ場所で営業を続けている。古舘は「この寿司屋はほぼ実家の感覚」と語っている。
幼少期の古舘は、お喋りな母と姉に囲まれ、人前で話すことが苦手な無口な少年だった。小学校の朗読の時間には寝たふりをしていたという。また、健康優良児を目指して食べ続けた結果、「無口のデブ」になった。彼は優秀な実姉へのコンプレックスからプロレスに傾倒し、200名以上のプロレスラーを丸暗記した。しかし、彼の母が外国の俳優・女優の名前を全て暗記していたため、映画俳優とプロレスラーの記憶勝負が始まり、どちらかが言えなくなるまで続けるこの対決を通じて、彼は喋ることへの目覚めを果たしたと述べている。
最終学歴は、北区立滝野川第二小学校、千代田区立神田一橋中学校(現:千代田区立今川中学校)、立教高等学校(現:立教新座高等学校)、立教大学経済学部経済学科(経営学専攻)卒業である。
1.2. テレビ朝日時代
1977年、古舘伊知郎は全国朝日放送(テレビ朝日)にアナウンサーとして入社した。同年4月には日本教育テレビ(NET)からテレビ朝日へ改称しており、彼はテレビ朝日の一期生にあたる。当時、テレビ朝日はモスクワ五輪の独占放映権を獲得しており、その関係でアナウンサーを大量に採用したため、この年は男女合わせて10人近い異例の採用数となった。彼の同期には吉澤一彦、宮嶋泰子、渡辺宜嗣、中里雅子らがいる。
同年7月には、新日本プロレスの実況中継番組『ワールドプロレスリング』担当に配属され、越谷市体育館で行われた長州力対エル・ゴリアス戦で実況デビューを飾った。1980年からは『ワールドプロレスリング』で山本小鉄とコンビを組み、「おーーーーーっと!」「掟破りの逆サソリ」「名勝負数え唄」「人間山脈」「風車の理論」「エリート・雑草逆転劇」など、その独特な表現は「過激実況」と称され、アントニオ猪木の全盛期における新日本プロレスの黄金時代を支えた。彼の知名度は、当時大発行部数を誇った週刊少年マガジンで連載された小林よしのりの漫画『異能戦士』に「古館一郎」のキャラクターとして頻繁に登場したことで、プロレスファン以外にも広く知られるようになった。
フリー転身直後の1984年9月には、フジテレビの『オレたちひょうきん族』の「ひょうきんプロレス」コーナーに、覆面アナウンサー「宮田テル・アビブ」(宮田輝のパロディ)として出演したことがある。彼は「奮い立ち伊知郎」と名乗り覆面を被って登場したが、NGを出して「ひょうきん懺悔室」に送り込まれ、水を被って正体を明かした。
2. フリーアナウンサーとしての活動
テレビ朝日を退社しフリーアナウンサーに転身後、古舘伊知郎は自身の企画会社を設立し、スポーツ中継や様々な番組司会、さらには独自のソロパフォーマンスを通じて、その多才な才能を開花させた。
2.1. 古舘プロジェクト設立と独立
古舘伊知郎は、1984年6月にテレビ朝日を退社し、7人の仲間とともに自身の企画集団「古舘プロジェクト」を設立、フリーアナウンサーに転身した。彼自身は、フリー転身の理由を「自己評価と他者評価の違い」と述べている。テレビ朝日退社からしばらくした後、局アナ時代の先輩とすれ違った際に「お前、絶対に3ヶ月で潰れるからな」と厳しい言葉をかけられたという。しかし、古舘はその一言を自身の糧とし、悔しさをバネに必死に仕事を掴んでいったと語っている。
2.2. 過激実況とスポーツ中継
局アナ時代から10年以上にわたり担当した『ワールドプロレスリング』の実況からは1987年3月に勇退した。その後は、1989年から1994年までフジテレビのF1放送の実況を担当し、また競輪における特別競輪(現:GI)の決勝戦中継の実況なども務め、人気を博した。
2.3. 各種番組の司会・実況
古舘伊知郎は、テレビ番組の司会者としても多岐にわたる活躍を見せた。『夜のヒットスタジオDELUXE』を皮切りに、各放送局でレギュラー番組を担当し、NHKと民放キー局5社全てでレギュラー番組を持つという快挙も達成した。
1987年6月12日には、新高輪プリンスホテル(現グランドプリンスホテル新高輪)の飛天で行われた郷ひろみと二谷友里恵の結婚披露宴で総合司会を務めた。披露宴で二谷の手作りウエディングケーキが入刀される際、古舘は「新婦の手作りのウェディングケーキ。高さを競うより心を競いたい」とコメントし、会場の拍手喝采を浴びた。この披露宴はフジテレビが「おめでとう郷ひろみ・二谷友里恵結婚披露宴」と題して大々的に中継され、テレビ中継の視聴率は史上最高の47.6%、瞬間最大視聴率は58.5%を記録した。
また、1988年には映画『スウィートホーム』に、1991年にはNHK連続テレビ小説『君の名は』に出演するなど、俳優業にも挑戦した。テレビ朝日の報道番組『ニュースフロンティア』(『ニュースステーション』のオンエアが無い土曜日の23時から放送)ではキャスターも担当した。
1989年には、アントニオ猪木がスポーツ平和党から参議院選挙に立候補した際、「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」というキャッチコピーを用いて応援演説を行った。スポーツ実況の分野では、世界水泳の2001年福岡大会と2003年バルセロナ大会で2大会連続で特別実況を務め、世界陸上では1999年セビリア大会から2001年エドモントン大会にかけて女子マラソンの実況を担当した。
2.4. ソロパフォーマンス:「トーキングブルース」
古舘伊知郎は、1988年から、マイク一本で2時間以上にわたり一人で話し続けるという独自の単独トークショー形式の公演「トーキングブルース」を開始した。この公演は、彼の「しゃべり」の才能を存分に発揮する場となり、後の山里亮太、若林正恭、カンニング竹山といったお笑い芸人たちにも影響を与えた。
2.5. NHK紅白歌合戦司会
古舘伊知郎は、1994年から1996年まで、NHKの代表的な年末音楽番組である『NHK紅白歌合戦』の白組司会を担当した。これは史上初の民放アナウンサー出身の紅白司会者であり、彼自身も紅白の司会を目指していたと語っている。
1997年に中居正広への司会交代が発表された日、古舘が自殺したというフェイクニュースが各マスコミにばらまかれ、彼を困惑させたという。
3. 報道ステーション時代
古舘伊知郎のキャリアにおいて、2004年から約12年間にわたる『報道ステーション』メインキャスター時代は、重要な転換点であると同時に、彼の報道姿勢やその背景にあるとされる政治的圧力について、大きな論争を巻き起こした。
3.1. メインキャスター就任と役割
2004年4月5日、古舘伊知郎は『ニュースステーション』の後継番組である『報道ステーション』の初代メインキャスター(アンカーマン)に就任した。この就任に伴い、彼は他局のレギュラー番組やCM出演を相次いで降板し、以降、番組降板まで基本的に『報道ステーション』の仕事に専念した。週刊誌のインタビューにも『報道ステーション』開始後は応じなかったが、2014年には『AERA』(7月14日号)の取材に応じている。ただし、日本テレビの『おしゃれカンケイ』のみ2005年3月まで出演を継続した(この番組も、古舘が『報道ステーション』への専念を示唆したことで打ち切りとなった)。
2006年7月3日に日本テレビの『みのもんたの"さしのみ"』にゲスト出演し、2008年5月6日にテレビ朝日の『テスト・ザ・ネイション』を最後に、『報道ステーション』以外の司会およびバラエティ番組の司会は、同番組を降板するまで行わなかった。
古舘は『報道ステーション』のメインキャスター就任が決まった際、前任者の久米宏から「番組はなくなるって聞いていますから。存在しない番組に司会者が存在するわけないでしょ」と冷たい対応をされたと語っている。これに対し、古舘は「(久米を)冷たい男だなと思いましたけど」「それから久米さん嫌いになったんですけど」と述べつつ、「半分は大先輩だと思って尊敬している。半分は嫌いっていうところに落ち着くんだけど」と複雑な感情を吐露している。
3.2. 報道姿勢と評価
『報道ステーション』在職中、古舘伊知郎のもとには、毎日100件以上の電話やメールが寄せられ、その「95%以上が誹謗中傷」であったという。彼はそれら全てに目を通していることを明かし、「そりゃ傷つくよ、メッタ打ちされるからな」と言いつつも、「強烈な俺のファンじゃないか。ありがとうありがとうって無理矢理言い聞かせる」と発言していた。このことは、2014年の「古舘のトーキングブルース」や『報道ステーション』出演最終日においても語られている。彼はまた、新聞6紙(朝日・読売・毎日・産経・東京・日経)を購読・熟読していたとも話している。
『報道ステーション』担当時代は、毎日息苦しい思い(鬱憤が溜まったとも)をし、帰宅は深夜2、3時頃だったことも明かしている。特に、番組降板後に「あのキャスター黙らせろ」「すぐ謝罪しないと困る」など、民主党政権からの圧力が番組に直接かかっていたことを明かしている。
古舘は自身の報道姿勢について、「空気は一方向に流れがち。だから、誰かが水を差さなければならない」という、コメンテーターとして『報道ステーション』に出演していた中島岳志の言葉を引用した上で、「人間は少なからず偏っている。情熱を持って番組を作れば多少は番組は偏るんです」と、自身の信念を説明した。彼は、自身が新聞記者出身の筑紫哲也や岸井成格と比較して、「外交、政治、経済にくわしくもない、ど素人が、重い任を背負ってしまった」とも述べている。
3.3. 降板とその背景
2015年12月24日、古舘伊知郎は『報道ステーション』の降板を発表した。これは彼の61歳の誕生日から17日後のことであり、「現在のキャスターの出演契約を2016年春で満了とする」という合意と、「自ら新しい挑戦をしたい」とする古舘の意思が尊重された結果であるとされた。
12月24日には降板説明記者会見が開かれた(この会見はテレビカメラの入場を一切禁じた異例のものであった)。会見で古舘は「不自由な12年間だった。言っていいことと、いけないこと...大変な綱渡り状態でやってきた」と語った。また、「今日もずっとインターネット(の反応)を見ていたら、『古舘降板だってさ。やったぜ!』っていうのがありまして、一番印象に残りました(笑)。『ああ、そういう人はいっぱいいるんだなー』って...そういう人には『よかったですね』と言いたいですし、『育ててくれてありがとう』とも言いたいです」と記者団に向かって快活に答えた。
その後、古舘は2016年3月31日をもって『報道ステーション』のメインキャスター(アンカーマン)を降板した。最終日の放送では、番組終盤に約8分間にわたって視聴者に向けて挨拶した。彼は降板理由について「窮屈になってきました」と明かした上で、「自分なりのしゃべりや言葉で皆さんを楽しませたいというわがままな思いが強くなった」と告白した。そして、「巷でですね、何らかの圧力がかかってやめさせられるということでは一切ございません。それが真相です」と述べ、安倍政権や放送法遵守を求める視聴者の会などからの圧力を否定する主張を行った。しかし、その後朝日新聞の5月31日朝刊では「画面上、圧力があったかのようなニュアンスを醸し出す間合いを、僕がつくった感はある」と述べている。古舘は、自身の報道姿勢についての理念を説明した後、最後は「人の情けに掴まって、折れた情けの枝で死ぬ。『浪花節だよ人生は』の一節です。死んでまた再生します!みなさん、本当にありがとうございました!」と深々と頭を下げ、12年間のメインキャスター生活に終止符を打った。
古舘の『報道ステーション』降板は他局でも大きく取り上げられた。降板後も、彼は積極的にテレビ朝日への出演を続けている。自身の後任となった富川悠太に対しては、過去の仕事ぶりを褒め称え、視聴者にも「よろしくお願いします」と呼びかけ、「悩んだ時は相談してほしい」など、熱いエールを送った。一方で、富川がメインキャスターを務める『報道ステーション』については、「時折見ている」とし、毎日見ているわけではないことを述べ、その理由として「嫌な突っ込みじじいになっちゃうから」と語っている。なお、富川とは降板後も交流を続けている。
久米宏は、自身の『ニュースステーション』降板表明会見で後任の古舘について尋ねられた際、「いかにつらいか、大変さが手に取るように分かる。(最近は)見ていないけど、無意識のうちに避けているのかもしれない」と気遣うコメントをしていた。また、久米は「古舘君をはじめ、かなり人が勘違いしている。僕が『ニュースステーション』でかなりしゃべったというイメージを持っている方が多いんですが、ほとんどのニュースに関して、リード原稿は僕が読んでいたんです。僕が原稿を読んでいる時間が結構あったのを、フリートークだと思い込んで見ていた人がかなり多かった。このぐらいの時間、しゃべらないといけないんじゃないかと、後任者が思い込んだ可能性はあるんです。僕が本当にフリートークで話した時間は、短い時は2秒ぐらいですからね」とも述べている。
4. 報道ステーション降板後の活動
『報道ステーション』のメインキャスターを降板した後、古舘伊知郎は再びエンターテイメントの世界へ復帰し、新たな挑戦を続けている。また、教育機関での活動や、自身のYouTubeチャンネル開設など、多岐にわたる分野でその才能を発揮している。
4.1. エンターテイメントへの復帰
2016年6月1日、古舘伊知郎は恵比寿アクトスクエアで行われた公開トークイベント「微妙な果実~トーキングフルーツ」で活動を再開した。古舘によると、この「トーキングブルース」の復活を促したのは、テレビ朝日の早河洋会長であったという。
同年11月には、フジテレビで『フルタチさん』と深夜トークバラエティ番組『トーキングフルーツ』を担当することが決定した。しかし、同年7月時点では、10月からのレギュラー番組は一切決まっていないと発言していた。女性誌記者は、レギュラー番組が決まらなかった原因を「テレビ局にとって古舘が高い買い物だと思われてしまったから」と推測していた。古舘自身も、当初は簡単にレギュラー番組が決まると思っていた節があったという。
テレビドラマでは、2018年10月期放送のTBS日曜劇場『下町ロケット』にレギュラー出演し、NHK連続テレビ小説『君の名は』以来27年ぶりに俳優業に挑戦した。さらに、2020年度前期放送のNHK連続テレビ小説『エール』では、29年ぶりに出演を果たした。
4.2. 学術活動
2019年4月、古舘伊知郎は立教大学客員教授に就任し、学術分野にも活動の幅を広げている。
4.3. YouTubeチャンネルと新たな挑戦
2020年からはYouTuberとして活動を開始し、自身のYouTubeチャンネルを運営しており、2022年1月には登録者数10万人を突破し、その後も活動を続け、現在では26.7万人以上の登録者を擁する。
2022年1月25日、古舘は新型コロナウイルスに感染したことを発表し、同年2月1日に隔離期間を終えた。彼は2021年7月に行われた堀江貴文との対談で、新型コロナウイルスワクチン接種について「効果や副作用について『半信半疑』」と主張し、ワクチン接種反対派の立場をとっていた。しかし、その翌月にはワクチン接種を2回目まで完了しており、復帰時には「私は高齢者ですけど重症化を防いでる一部にワクチンが寄与しているな、とも痛感しました」とコメントし、自身の見解に変化があったことを示唆した。
5. 人物
古舘伊知郎は、その独自の表現力と多岐にわたる活動で知られているが、その背景には家族との関係や親しい友人との交流、そして個人的な趣味が深く影響している。
5.1. 家族
古舘伊知郎の母と姉はともに話術に長けており、幼少期の彼はその存在に圧倒され、人前で喋ることが苦手な無口な少年であった。小学校の朗読の時間には、緊張からか寝たふりをしていたほどだという。健康優良児を目指して食べ続けた結果、「無口のデブ」になったと自嘲している。いつになっても超えられない優秀な実姉へのコンプレックスから、彼はプロレスにのめり込み、200名以上のプロレスラーを丸暗記するようになった。しかし、彼にとっての次の壁は、外国の俳優・女優の名前を全て記憶していた母であった。こうして始まったのが、どちらかが言えなくなるまで続ける映画俳優対プロレスラーの記憶勝負であり、この対決が彼が喋ることへの目覚めであったと語っている。
1987年7月には、元日本航空の客室乗務員と結婚し、1男2女の父親となった。彼の長女は吉田明世の同級生であり、古舘は吉田とも幼少の頃から親交がある。長男の佑太郎は、バンド「The SALOVERS」のボーカリストを経て、現在は俳優として活動している。二人の娘の結婚式では、父親である古舘自身が司会を務めた。
1991年、彼の姉が癌で他界した。この時、それまで特に親交のなかった逸見政孝は、フリーアナウンサー同士で身内を癌で亡くしたという共通の経験を持つことから、古舘にお悔やみの手紙を送った。これをきっかけに二人の間に交流が始まり、逸見が癌で闘病中に日本テレビの『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』の司会を古舘が代行することになった。逸見は会見前に自身が癌であることを古舘に伝えていたが、告白を聞いた古舘は何も言えなかったという。古舘は逸見の見舞いにも訪れたと語っている。
2012年5月28日には、彼の母が死去した。姉と同じく癌によるものであった。母の入院先は姉と同じ病院を選んだ。姉の癌が発見される前、体調不良を訴えてある病院に通院していたが、何度通っても診断は「大丈夫」という言葉だけであったため、「おかしい」と感じて別の病院に切り替えたところ、癌が判明したという。古舘は発見が遅すぎたため、「最初からその病院だったら姉は死なずに済んだかもしれない」と後悔していたことから、同じ病院を選んだと述べている。
『報道ステーション』で多忙を極める中、彼は姉以上に献身的に母を看病したという。同日夜、『報道ステーション』開始の数時間前に母が息を引き取り、古舘は局内での番組打ち合わせ中に訃報を聞いた。姉の場合と同様、仕事で母の最期を看取ることはできなかった。しかし、母が亡くなってから数時間後に始まった『報道ステーション』の生放送では、彼は普段と変わらぬ様子で、淡々とニュースを伝えた。
5.2. 交友関係
古舘伊知郎は、THE ALFEEの高見沢俊彦と親友であり、『古舘伊知郎のトーキングブルース』のステージで使用する楽曲の提供を毎年高見沢が行っており、それらをまとめたCDアルバムも発売されている。
彼がプロレスファン以外の視聴者にも広く認知されるようになったのは、1985年にフジテレビ『夜のヒットスタジオ』の司会に抜擢されたことが大きなきっかけであった。当時の視聴者からは危惧の声が上がっていたが、当時の『夜のヒットスタジオ』の看板司会者であった芳村真理の強力な後押しもあり、不安の声は聞かれなくなり、司会者としての彼のキャリアを大きく飛躍させる契機となった。1988年に芳村が番組を勇退した後も、古舘は自身が独立早々の苦境時に最初に番組に起用してくれたという恩義から、『夜のヒットスタジオ』、そして芳村に対して強い敬意の念を抱いている(『SmaSTATION!!』に出演した際にこのことを述べている)。古舘夫妻の結婚式の仲人は芳村夫妻が務め、古舘は芳村とは現在も家族ぐるみの親交を続けている。
同級生で親友であった男性が、平井理央の叔父(父の弟)であった。
講談師の6代目 神田伯山(本名:古館克彦)は彼の遠縁にあたる。
5.3. 趣味・ファン歴
古舘伊知郎は、中学時代からの吉田拓郎の熱心なファンである。自身が司会を務めた日本テレビの番組『おしゃれカンケイ』の2000年6月18日放送回では、吉田拓郎本人と共演を果たしている。
5.4. 愛称
親友の高見沢俊彦や、テレビ朝日時代の同期である南美希子からは「いっちゃん」と呼ばれている。また、『夜のヒットスタジオ』で司会コンビを組んだ芳村真理(古舘夫妻の結婚式の媒酌人も務めた)や加賀まりこからは、番組出演時以外では「伊知郎さん(または伊知郎ちゃん)」と呼ばれている(番組共演時は主に「古舘さん」の呼称を使用)。
5.5. エピソード
1985年、『夜のヒットスタジオDELUXE』の司会のオファーを受けた際、古舘伊知郎はフジテレビに呼ばれて出向いた。その際、プロデューサーから「極秘な話」として台本を渡されたが、そこには「木曜夜9時 歌とバラエティーの新番組」というダミーの新番組の企画が書かれていた。所属事務所で検討した末にオファーを受けることになったが、その時点でフジテレビ側から初めて、実際には『夜のヒットスタジオDELUXE』の司会であったことを伝えられた。古舘は、もし断ったら(自分に代わって司会になった)後任者にも迷惑がかかるということを避けるため、念には念を入れて局側がダミーの番組を仕立てて交渉に当たったのではないかと話している。
1994年・1995年の紅白において、両組司会コンビを組んだ上沼恵美子とは、この共演が原因で確執が生じたとされている。1996年の紅白でも両組司会にこの2人を起用する方向で話が進んでいたが、上沼は古舘との確執を理由に司会を拒否したと伝えられている。
2016年8月8日、太田光(爆笑問題)の母親が他界し、同年8月14日に東京・青山葬儀所にて執り行われた葬儀・告別式に、古舘は親族側で列席した。一度も会ったことがない太田の母親の棺を持ったという。
6. 独特の実況スタイルと語録
古舘伊知郎は、自身の実況スタイルを「亜流」と称し、数々のキャッチコピーを編み出してきた。彼はあらかじめ考え抜いた言葉を幾つも用意し、本番に臨むことで知られる。特に地方会場からの実況の場合には、その土地にちなむ歴史、偉人、産業などを紹介し、それを登場するプロレスラーや技などにこじつけて実況する「古舘流」を披露した。例えば、CMに入る前には、「この番組は金太郎の足柄山で有名な南足柄市市立体育館より実況生中継でお送りしております」といった決まり文句が恒例となっていた。
彼は、新日本プロレスがメキシコ遠征した際、『ワールドプロレスリング』で何試合も連続して実況を担当した時に、高地であるメキシコ特有の暑さと息苦しさも相まってハイな状態となり、この時一度だけプロレス実況における「恍惚の極みに達した」と語っている。海外に行った時には現地の文化などを織り交ぜた実況を行い、メキシコでは「マヤ文明」に触れ、エル・カネックをアステカ帝国を混じえた「アステカのならず者」と称し、メキシコの試合会場「エル・トレオ、正式名称トレオ・デ・クワトロ・カミノス」など現地を紹介した。
プロレスやF1の実況では、レスラーやドライバーのキャッチコピーに『顔面』というフレーズを多用した(例として、F1ドライバーミハエル・シューマッハを「顔面三浦半島」、デーモン・ヒルを「顔面ジョージ・ハリスン」など)。一時期、特別競輪(現在のGI)決勝戦の実況を担当していた競輪でも、当時圧倒的な強さを誇った神山雄一郎に対して「捲り狼」、「太モモ四輪駆動」、「栃木(小山)のヘラクレス」などの異名を与えた。彼は自身を「しゃべる富士山大爆発」と称した。
6.1. ジャンル別主要語録
6.1.1. プロレス
古舘伊知郎が『ワールドプロレスリング』の実況で生み出した主要な語録は以下の通りである。
- レスラー
- アントニオ猪木 - 「燃える闘魂」「不滅の闘魂」「落日の闘魂」
- 坂口征二 - 「荒鷲」
- 藤波辰巳 - 「リアーチェのブロンズ像の様な肉体」「マッチョドラゴン」
- 長州力 - 「革命戦士」「その長髪から由井正雪を彷彿とさせる」「放浪の若志士」
- 木村健悟 - 「稲妻戦士」「貴公子」「新日ニューリーダーズ」
- 藤波辰巳・木村健悟 - 「新日ニューリーダーズ」
- キラー・カーン - 「戦うモンゴリアン」「アルバトロス殺法」
- マサ斎藤 - 「戦う鍾馗様」
- グラン浜田 - 「小さな巨人」「マリポーサ殺法」
- タイガーマスク - 「スーパーアイドル」
- 小林邦昭 - 「虎ハンター」「戦うクロコダイル・ダンディ」
- 藤原喜明 - 「問答無用の仕事師」「UWFのカダフィ大佐」「UWFの辻斬り喜明」「顔面ダルマ大師」「顔面リアス式海岸」「まむし男」
- 木戸修 - 「いぶし銀のポーカーフェイス、今日も髪型が決まっています」
- 星野勘太郎 - 「空飛ぶ弾丸」
- 山本小鉄 - 「鬼軍曹」「豆タンク」
- ザ・コブラ - 「謎のアストロノーツ」「毒蛇」
- ジョージ高野 - 「褐色の貴公子」「鋼鉄のスプリング・ボード」
- 高野拳磁 - 「人間バズーカ砲」
- 前田日明 - 「スパークリング・フラッシュ」「キックの千手観音」「黒髪のロベスピエール」「肉体のローマ式戦車」「UWFの危険な太もも」「UWFの若大将」
- 高田延彦 - 「青春のエスペランサ」「UWFのジェームズ・ディーン」「わがままな膝小僧」「地獄のタップダンサー」「殺戮微熱青年」
- 山崎一夫 - 「戦う青年将校」
- ラッシャー木村 - 「テトラポッドの美学」「崖っぷち部隊のドン」
- アニマル浜口 - 「斬り込み隊長」
- 寺西勇 - 「哀愁のオールバック」
- ラッシャー木村・アニマル浜口・寺西勇 - 「新国際軍団」「はぐれ国際軍団」
- 越中詩郎 - 「人間サンドバッグ」「戦う起き上がり小法師」「戦う七転び八起き」「戦う七転八倒」「紺屋の白袴」
- 武藤敬司 - 「スペース・ローンウルフ」
- 橋本真也 - 「闘う渡辺徹」
- 若松市政 - 「地獄の御茶ノ水博士」「悪のおせっかい」「悪の正太郎君」「悪の羊飼い」
- マシーン軍団 - 「増殖マシン軍団」「戦う金太郎飴軍団」
- ミスター・ポーゴ - 「悪のお化粧上手」
- ドン荒川 - 「前座の力道山」「ひょうきんプロレス」
- アンドレ・ザ・ジャイアント - 「大巨人」「人間山脈」「1人というにはあまりにも巨大すぎ、2人というには人口の辻褄が合わない!」「ひとり民族大移動」「太平洋をひとまたぎ」「現代のガリバー旅行記」「動く大陸」「戦うギネスブック」「2階からのヘッドバット」
- ハルク・ホーガン - 「超人」「現代に甦ったネプチューン」「美しき殺人兵器」
- ダイナマイト・キッド - 「爆弾小僧」「カミソリファイター」
- デイビーボーイ・スミス - 「筋肉の終着駅」
- キングコング・バンディ - 「マシュマロマン」「戦うひよ子のお菓子」「戦う白ナガスクジラ」
- ブルーザー・ブロディ - 「元新聞記者という経歴と独自のプロレス哲学を持つことから「インテリジェンス・モンスター」」「マンハッタン・ターザン」
- ディック・マードック - 「狂犬」「テキサススーパーロデオマシーン」「ビッグ・テキサン」「牛殺しテクニック」「バイオレンス・カウボーイ」
- ブラック・タイガー - 「暗闇の虎」「漆黒の虎」
- ローラン・ボック - 「地獄の墓掘り人」
- エル・カネック - 「アステカのならず者」
- クラッシャー・バンバン・ビガロ - 「刺青獣」「ビア樽モンスター」
- マスクド・スーパースター - 「流星仮面」「顔面プラネタリウム」「マットという小宇宙空間に実在したブラックホール」「一人ジャコビニ流星群」「匿名希望のマスクマン」
- コンガ・ザ・バーバリアン - 「筋肉の東京モード学園」
- アドリアン・アドニス - 「暴走狼」「戦うビッグ・アップル」「ニューヨークの一級品」
- ジミー・スヌーカ - 「筋肉のモビルスーツ」
- ケリー・フォン・エリック - 「鉄の爪」「手のひらエイリアン」
- キューバン・アサシン - 「キューバの暗殺者」
- ストロング・マシーン2号 - 「殺戮メカ・スクランブル発進、コンコルド逆噴射」
- マッド・マックス - 「肉体天変地異」
- 技名
- アントニオ猪木 - 「延髄斬り」
- 藤波辰爾 - 「ドラゴン・ロケット」「ドラゴン・スープレックス・ホールド」「ドラゴンスクリュー」「ドラゴン・スリーパー」「ドラゴン・バックブリーカー」
- タイガーマスク - 「タイガー・スープレックス・ホールド」「スペース・フライング・タイガードロップ」「ラウンディング・ボディプレス」「ローリング・ソバット」
- 木村健悟 - 「雪崩式ブレーンバスター」「稲妻レッグラリアート」「トライアングル・スコーピオン=足あやとり殺法」
- グラン浜田 - 「マリポーサ殺法」「トペ・スイシーダ」
- キラー・カーン - 「アルバトロス殺法」「モンゴリアン・チョップ」
- 長州力 - 「リキ・ラリアット」
- マサ斎藤 - 「捻りを加えたバックドロップ」
- 木戸修 - 「キド・クラッチ」
- 前田日明 - 「7色スープレックス」
- 小林邦昭 - 「フィッシャーマンズ・スープレックス」
- 武藤敬司 - 「スペース・ローリング・エルボー」
- スーパー・ストロング・マシン - 「魔神風車固め」
- スタン・ハンセン - 「ウエスタン・ラリアット」
- アンドレ・ザ・ジャイアント - 「2階からのヘッドバット」「18文エキゾセミサイル」
- ディック・マードック - 「子牛の焼印押し」
- マスクド・スーパースター - 「フライング・スリーパー」
- ブルーザー・ブロディ - 「キングコング・ニードロップ」
- 2人がかりの攻撃 - 「地獄のツープラトン」「地獄のランデブー」「太鼓の乱れ打ち」
- その他
- 「戦いのワンダーランド」
- 「闘いのカタルシス」
- 「衝撃の6.2蔵前」(1983年6月2日蔵前国技館でアントニオ猪木がハルク・ホーガンのアックスボンバーで失神KO負けして救急車で運ばれた)
- 「デ・ファジオ・メモリアル」(WWFジュニアヘビー級王座を初代王者ジョー・デ・ファジオにあやかり)
6.1.2. 総合格闘技
古舘伊知郎が総合格闘技の実況で生み出した主要な語録は以下の通りである。
- 吉田秀彦 - 「青畳の柔道戦士」「玉砕の金メダリスト」「内股ハリケーン」「立ち技コレクション」「寝技の福袋」
- ボブ・サップ - 「青梅のような脳天」「地球規模のタイマン勝負」「ひとり定員オーバー!」「無類の強さはIQの高いゴリラ!無類の可愛さ愛嬌は陸上のタマちゃんか!」「銀行のATMまで破壊するショベルカー」「この肉体は輸入禁止だ!戦うワシントン条約違反だ!」「筋肉の二世帯住宅」
- ジェロム・レ・バンナ - 「筋肉のワインセラー」
- アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ - 「リオの絞め殺し屋」「皆殺しのサンバ」「リオの関節カーニバル」「魔性の格闘アメーバ」
- 安田忠夫 - 「闘う人間ドキュメンタリー」
- ミルコ・クロコップ - 「格闘処刑人」「蹴りの24時間営業」「クロアチアの首都ザグレブに身重の新妻を残しての闘いだ!まさに闘う出稼ぎ!蹴りの単身赴任」「素足の辻斬りマフィア!」「クロアチアのかまいたち」「ハイキック原理主義者」「蹴りの一輪挿し」
- ドン・フライ - 「暴走するマシンガン、全身がマシンガン」「修羅場の渡世人」「戦うロードムービー」
- シリル・アビディ - 「父なる喧嘩、母なる乱闘」
- ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ - 「まさに二階からノルキヤ!」
- 佐竹雅昭 - 「オタクと空手の人間交差点」
- 藤田和之 - 「闘魂一番搾り」「日本のボス猿」
- 高山善廣 - 「金髪のナマハゲ」
- 桜庭和志 - 「戦いのシックスセンス」「容赦なきベイビーフェイス」
6.1.3. F1
古舘伊知郎がF1中継で生み出した主要な語録は以下の通りである。
- ドライバー
- アイルトン・セナ - 「音速の貴公子」「白昼の流れ星」「風の中の貴公子」「ポールポジションの狩人」「生まれついてのポール・シッター」「コクピット内の千手観音」「音速の失恋レストラン」「セナはセナの持ち腐れ状態」「パワード・バイ・ホンダ、スピリット・バイ・セナ」「F1アマデウス」
- アラン・プロスト - 「プロフェッサー」「ステアリングを握ったアインスタイン」「勝ちゃあいいんだ走法」「微笑み黒魔術」「F1詰め将棋」「カルタ取り名人」「F1勝利の方程式」「偏差値走法」「起承転結走法」「チャート式F1」「タイヤに優しく、風と仲良し」「チェックメイト理論」「腕前はフランス四星レストラン」「クルマに優しいヌーベル・キュイジーヌ走法」「つかず離れず走法」「プロストのシフトレバーはアイスピックでできてますから」「F1時事放談」「毒舌フルオートマ」「リスクマネジメントの帝王」「心にブレーキを持つ男」「サーキットのナポレオン」「人間ブラックボックス」「生身の半導体」
- アイルトン・セナ vs アラン・プロスト - 「セナプロ対決」
- ナイジェル・マンセル - 「荒法師」「暴れん坊将軍」「オレを誰だと思ってるんだ走法」「人間ドーベルマン」「イギリスの愛すべき息子」「パッシングの帝王」「チェッカーの狩人」「マンセル風と共にぶっちぎりで去りぬ」「雄叫びヒットマン」「UFOに乗った原始人」「走るアドレナリン」「命知らずの切り込み隊長」「逆噴射男」「ライオン」「ライオン丸」「ライオン・ハート」「ライオン・リターン」「インディの鬱憤晴らし」「帰ってきたブルータス」「アメリカからの逆移民」「戦慄のライオンキング」「懐かしの一人ウッドストック」「デジタル世代に唯一のアナログドライバー」「ドッグファイトの帝王」「無冠の帝王」(1992年シーズンまで)「サーキットのターミネーター2」
- ゲルハルト・ベルガー - 「地獄からの帰還兵」「第二のニキ・ラウダ」「私生活のワールドチャンピオン」「女好きのチロリアン」「スピードと快楽のシンドバット」「F1界のエロティカ・セブン」「勝利のナンパ師」「運転手はセナ、車掌はベルガー」「横断歩道は気をつけて渡ってもらいたい」「セナがバラならば、ベルガーはその脇役のかすみ草」「陽気な浮浪雲」
- アンドレア・デ・チェザリス - 「サーキットの通り魔」「犬も歩けばチェザリスにあたる」「走る解体屋」「スピードのセクハラ男」「人間スクラップ工場」「クラッシュキング」「ローマの野良犬」「無法者」「乱暴者」「ファンキーモンキーチェザリス」「サーキットの問題児」「サーキットの瞬間湯沸かし器」
- ネルソン・ピケ - 「スピードと女の漂流者」「自由人」「華麗なる住所不定男」「世界一のホームレス」「走る必殺仕事人」「やる気の旧人類」「36歳の少年」(1989年シーズンのみ)「サーキットのミック・ジャガー」
- ネルソン・ピケ&ロベルト・モレノ - 「F1ランバダ・ブラザーズ」
- リカルド・パトレーゼ - 「史上最強のセカンドドライバー」「錆びない鉄人」「サーキットの皆勤賞男」「ミスター・セカンドドライバー」「二百戦練磨」「史上最強の脇役」「F1勤労感謝の日」「走る局アナ」「F1界の村田兆治」「F1界の縄文式土器」「偉大なる平凡」「F1マカロニウェスタン」「ウィリアムズ家のマスオさん」「グランプリの生き証人」
- ミハエル・シューマッハ - 「ドイツ自動車王国の申し子」「背後霊はメルセデスベンツ」「ターミネーター」「F1ティラノサウルス。凶暴なまでの走り」「一人恐竜戦隊」「一人電撃部隊」「一人忍者戦隊カクレンジャー」「人間ユンケル、走るリポビタンD」「F1ドラゴン」「史上最強の若僧」「機動戦士シューマッハ」「ワイルドセブン」「出る杭は打たれ強い」「顔面ケルン大聖堂」「顔面大倉山シャンツェ」「顔面ロマンチック街道」「顔面ザウス」「顔面アウトバーン」「顔面三浦半島」「顔面ムーンウォーク」「音速のブレードランナー」「スピードの無礼講」
- 中嶋悟 - 「納豆走法」「粘り納豆走法」「F1遣唐使」「スポンサーは剃刀走りっぷりは日本刀の切れ味」「サーキット界のジョン万次郎」「走る早川雪洲」
- 鈴木亜久里 - 「ネオジャパネスク」「サーキットのアーバンカウボーイ」「F1日本大使館、走るJISマーク」「F1エキゾチック・ジャパン」「日本のスピード・ボーイ」「走る有言実行男」「不屈のポジティブシンキング」「走るメンズ・ノンノ」
- 片山右京 - 「張り子の虎走法」「F1一寸法師」「しゃかりき右京」「赤べこ走法」「体当たり走法」「ゼロ戦走法」「サーキットの伊能忠敬」「日大三高が生んだヒーロー」「F1アトム」
- 鈴木利男 - 「究極のソース顔」「ソース顔の38歳」「顔面グループサウンズ」「プロストと同い年の新人」「世界に伸びるF1埼京線」
- 野田英樹 - 「F1受験生」
- 井上隆智穂 - 「F1駅前留学」
- デイモン・ヒル - 「才能の遺産相続人」「親はなくとも子は走る」「守護霊走法」「上底の栄光」「顔面ジョージ・ハリスン」「F1界の中井貴一」
- マイケル・アンドレッティ - 「顔面ビッグマック」「顔面オーバルコース」「走るマクドナルド」「一人インディ」「F1若葉マーク」
- ジャンニ・モルビデリ - 「F1界の伊達男」「イタリアのトビウオ」「イタリアのバイク少年、あこがれのブランドはモルビデリ」
- ルネ・アルヌー - 「妖怪通せんぼジジイ」「F1界の意地悪じいさん」「走るシケイン」
- ミケーレ・アルボレート - 「走るロマンスグレー」「F1現役博物館」「F1若年寄」「目を閉じれば瞼の跳ね馬」「F1お遍路さん」「去年の周回数の帝王」
- ティエリー・ブーツェン - 「振り向けばブーツェン」「忘れたころのブーツェン」「F1パイロットの生徒会長」「優しき大木」「コンクリート走法」
- ティエリー・ブーツェン&リカルド・パトレーゼ - 「F1界のWink」
- ジャン・アレジ - 「サテライトクルージング走法」「道は星に聞け」「フェラーリをロデオする男」「紅のミケランジェロ」「F1ストレス王(フェラーリでのストレスから)」「アビニヨンのハマコー」「一人ダイ・ハード」「ラテン快楽走法」「ベータ・エンドルフィン走法」「怒りのタバスコ走法」「シャンゼリゼの白馬童子」「コンパの一気飲み走法」「F1ボルサリーノ」
- ミカ・ハッキネン - 「走る一人ウィーン少年合唱団」「サンタクロースの国からやって来たF1優等生」「空飛ぶフィンランド人」「北欧の貴公子」「顔面白夜」「男セーラームーン」「元祖ミカ」「白夜のスピード忍者」「ラップランドの狼」「ツーペダルのゴーカート走法」「北欧のサーキット詩人」
- ジョニー・ハーバート - 「サーキットの大道芸人」「F1ひょうきん男」「栄光のたらい回し」「不死身のスーパールーキー」「ハイテクロビンフッド」「試練を陽気に笑って乗り越える男」「責め際のムードメーカー」「不敵な新人」「炎のランナー」
- ミカ・ハッキネン&ジョニー・ハーバート - 「F1ライト兄弟」
- マーティン・ブランドル - 「パドックに敵なし」「F1ダークマン」「F1公務員」「F3時代はセナの影法師」「走る万年副操縦士」「走る新橋のサラリーマン」「ジャガーの秘密兵器」「いぶし銀」
- マーク・ブランデル - 「顔面バッキンガム宮殿」「走るビッグベン」「イギリスのセントバーナード」「サーキットの武道派」「人間コンボイ」「ロンドンの野獣」「顔面ヘルメット」
- マーティン・ブランドル&マーク・ブランデル - 「F1界の峰竜太と竜雷太」「F1界の柏原芳恵と榊原郁恵」「マーティン・ブランドルとマーク・ブランデル。実況アナウンサーをバカにしてるのか」
- エディ・アーバイン - 「走るイエローカード」「一人IRA」「F1テロリスト(無差別テロリスト)」「情緒不安定男」「F3000魂も怖いものがあります!!」「スピードの逆輸入」「イギリスの駐日大使」「F1界のチーマー」「走るウォンテッド」
- デレック・ワーウィック - 「F1界の二谷英明」「走る英国屋」「年代物のプレミアム走法」「骨太イギリス人」「サーキットのシャーロック・ホームズ」「F1界のローレンス・オリヴィエ」「F1おきあがりこぼし」
- アレッサンドロ・ザナルディ - 「ザナルディ。この男は要注意人物」「走る二重人格」「イタリアの火薬庫」「ロータスのデンジャラス系」「横浜中華街のようだ」「ひしめく暴れ屋」
- クリスチャン・フィッティパルディ - 「F1貴花田」「顔面トム・クルーズ」「顔面フェロモン」「F1華麗なる一族」「走るダイヤモンド」「ヘルメットの王子様」
- J.J.レート - 「北欧の暴走族」「走るプレッピー野郎」「かっとびレート」「ドライブデート走法」「前歯がビーバー」「F1ファイヤーストリート」
- アレックス・カフィ - 「F1界の加勢大周」「走るミラノ・コレクション」
- ステファノ・モデナ - 「シャイなイタリアン」「根暗なイタリアン」「ラテンのスピードおたく」「サーキットの性格俳優」
- ピエルルイジ・マルティニ - 「ミスター・ミナルディ」「プチ・プロスト」「地中海のファイター」「F1界のマイケル・J・フォックス」
- アレッサンドロ・ナニーニ - 「顔面エスプレッソ」「イタリアの彦星」「F1界のフラメンコダンサー」「極彩色の伊達男」
- イヴァン・カペリ - 「スピードはイタカジ、スピリットは天才肌」「レイトンの天才トムソーヤ」「イタリアのダスティン・ホフマン」
- マウリシオ・グージェルミン - 「不死身のマッチョマン」「F1界のトライアスリート」「ブラジルの健康優良児」
- オリビエ・グルイヤール - 「周回遅れの天才ブロッカー」「ミラーを見ない男」「妖怪油すまし」「シャンゼリゼのストリートキング」「顔面スフィンクス」
- ファブリツィオ・バルバッツァ - 「F1北京原人」「素顔の獅子舞」「顔面モザイク男」「顔面サファリパーク」
- ガブリエル・タルキーニ - 「F1お祭り男」「スパイダーマンが好きで、ヘルメットのカラーリングにしてしまうあたりがいかにもF1ドライバーらしいところ」「F1界の松山千春」
- ヤニック・ダルマス - 「スピードのレトロ状態」「走るあの人は今シリーズ」
- フィリップ・アリオー - 「F1界の鹿賀丈史」「フランス政府御用達ドライバー」
- エディ・チーバー - 「気まぐれカウボーイ」
- ジョナサン・パーマー - 「フライング・ドクター」
- ニコラ・ラリーニ - 「顔はコアラ、心はタイガー、サーキットのムク犬」「イタリアンボーイズ」
- ベルトラン・ガショー - 「負けず嫌いのおぼっちゃまくん」「わがままコスモポリタン」「ECヨーロッパ共同体の御曹司」
- カール・ヴェンドリンガー - 「ホームストレート眉毛」「眉毛の一筆書き」「人間メルセデス」「ドライバーの登録商標」「ザウバーの人間ロケット」
- エリック・コマス - 「縁の下の走り屋」「F1ツール・ド・フランス」
- ルーベンス・バリチェロ - 「サーキットの末っ子」「フライング・キッズ」「ブラジル国家一押しの輸出品」「F1天然素材」
- デビッド・ブラバム - 「F1界の長嶋一茂」「スピードの二世帯住宅」「ゴールドコーストのお坊ちゃま」「あすなろ戦士」
- エリック・ベルナール - 「髪型は西洋のパンチパーマ」「ポン・ヌフの走り屋」
- ペドロ・ラミー - 「音速のフランシスコ・ザビエル」「リスボン特急」「一人南蛮貿易」「言ったそばからラミー!」
- ハインツ=ハラルド・フレンツェン - 「森脇学校の卒業生」「仇討ち走法」「勝手知ったる鈴鹿の庭」
- ヨス・フェルスタッペン - 「顔面ハウステンボス」「ベネトンの駆逐艦」
- ジャン=マルク・グーノン - 「一人サルティンバンコ」
- オリビエ・パニス - 「F1堅実主義」「完走率No.1」
- フランク・ラゴルス - 「謎のフランス人」
- ミカ・サロ - 「もう一人のミカ」
- ポール・ベルモンド - 「勝手にしやがれ走法」「銀幕の御曹司」
- ジョバンナ・アマティ - 「F1小町」「動くシケイン」「セナよりも、マンセルよりも注目のニューカマー」
- 関係者
- ロン・デニス - 「F1界のドリー・ファンク・ジュニア」「F1界のフィル・コリンズ」
- フランク・ウィリアムズ - 「車椅子の闘将」「F1界の星一徹」
- フラビオ・ブリアトーレ - 「サーキットのニューゴッドファーザー」「フラビオマルチ商法」「F1界の城南電機の宮路社長」「スピードのマフィア」
- フラビオ・ブリアトーレ&トム・ウォーキンショー - 「F1界のポパイとブルート」
- チェーザレ・フィオリオ - 「マラネロの仕事人」「跳ね馬の調教師」「イタリア・サルディニアのカダフィ大佐」「パフォーマンス将軍」
- ジョン・バーナード - 「ハイテク・ミケランジェロ」「F1界の丹下健三」
- ジャン・トッド - 「戦うテディベア」
- ギ・リジェ - 「政治力大魔王」「フランスの顰蹙大統領」
- ケン・ティレル - 「顔面厳窟王」「熟年ガリバー」「サーキットの足長おじさん」「顔面ジンベエザメ」「ティレルの校長先生」
- 後藤治 - 「ホンダの戦う係長」
- ケケ・ロズベルグ - 「サーキットのリエママ」
- チーム・エンジン
- ウィリアムズ・ルノー - 「走るドーバー海峡」「F1軍事大国」「最強のアングロ・ラテン同盟」
- マクラーレン・ホンダ - 「マクラーレン退屈シンドローム」「潤沢な資金と無駄のない管理体制、まさにF1界の西武球団」
- スクーデリア・フェラーリ - 「情熱のラテン民族同盟」「人間万事塞翁が跳ね馬」「F1界のピサの斜塔」
- ベネトン - 「極彩色のスタイリスト」「走る熱帯魚」「F1野党第一党」
- チーム・ロータス - 「彷徨える名門」「ラクダを失った砂漠の旅人」「ポポンS走法」「スピードの再生事業団」「ミュージックフェア走法」「イギリスの没落貴族」
- ティレル・ヤマハ - 「走る英和辞典」
- リジェ - 「フランスの無駄遣いチーム」
- ラルース - 「フランスの少数民族」「ニッポン資本のフランス料理店」
- ジョーダン・グランプリ - 「走る葉緑素」「音速の光合成」「F1界のエコノミー・クラス」「走るグッドデザイン賞」
- ザウバー - 「大ドイツ鉄の軍団」「鉄仮面の新人」「追い詰められて壇ノ浦」「メルセデスベンツの偵察衛星」
- ホンダ - 「青山一丁目の伝説」
- 無限ホンダ - 「ホンダエンジンの残り香」
- マーチ(レイトンハウス) - 「スピードの青色申告」「走るワンレン・ボディコン」
- フットワーク(アロウズ) - 「F1日本大使館」
- コローニ - 「水平対向エンジンで対抗する、スバルコローニ!」
- ミナルディ - 「イタリアンクール・ランニング」「イタリアの助け合い運動」
- ミナルディ・フェラーリ - 「フェラルディ」
- ダラーラ(スクーデリア・イタリア) - 「ムラっ気の飛ばし屋軍団」「跳ね馬の金看板を背負ったからには、周回遅れは許されない!!」
- ローラ・フェラーリ(スクーデリア・イタリア) - 「F1ウナギイヌ」
- シムテック - 「未確認走行物体」「F1インディーズレーベル」
- フェラーリV12エンジン - 「ハイテク・カンツォーネ」
- ホンダV10エンジン - 「ホンダV10シンフォニー」
- マクラーレンのピットクルー - 「マクラーレン・イリュージョン」
- フェラーリのピットクルー - 「フェラーリ・マジック」「マラネロの仕事人達」
- ベネトンのピットクルー - 「ウルトラマンのような、ダダのような」
- その他
- 今宮純 - 「F1界のおりも政夫」
- 森脇基恭 - 「F1界の若大将」
- 川井一仁 - 「F1界の梨元勝」「究極のF1オタッキー」
- 馬場鉄志 - 「セナ殺しの馬場」
- ピットクルー - 「オイルまみれのギャルソン」「サーキットの岸壁の母」「魚河岸」「朝市の賑わい」
- ポールポジション - 「指定席」
- トップ独走状態の車 - 「一人旅」
- 雨天レース - 「ウォータースクリーンバトル」
- スペシャルガソリン - 「エルフの吟仕込」「シェルの一番搾り」
- アクティブサスペンション - 「音速のかに道楽」
- 二階層式リアウィング - 「メゾネット・ウィング」「段違い平行棒」
- オンボードカメラ - 「スピードの胃カメラ状態」
- 給油補給 - 「太い点滴状態」
- グッドイヤー vs ピレリ - 「アメリカンコーヒーとイタリアンエスプレッソの戦い」
- 白煙 - 「白いため息」
- モンテカルロ市街地コース - 「トンネルを抜けるとシケインだった」
- エストリル・サーキット - 「日光いろは坂」
- 鈴鹿サーキット - 「音速の一本道」「胸突き八丁130R!」「感動とストレスの曲がり角」「ステアリングとアクセルのジャムセッション」「高速の回り舞台」「度胸試しの放物線」
- ポルトガルGPとスペインGPの2レース - 「イベリア半島決戦」
6.1.4. 筋肉番付・SASUKE
古舘伊知郎が『筋肉番付』および『SASUKE』の実況で生み出した主要な語録は以下の通りである。
- SASUKE(出場者)
- 山田勝己 - 「浪速のターミネーター」「浪速のブラックタイガー」「人生SASUKE」「仕事は失業中筋肉は24時間営業」「肉体の有機農法」
- 秋山和彦 - 「毛ガニはヤドカリ科であります」「ひとりカニ道楽」「筋肉と対話する頑固職人」
- 山本進悟 - 「油まみれの出世物語」「汗まみれの出世街道」「板橋中台インターの不死鳥伝説」「城北地域のカリスマ」
- 竹田敏浩 - 「おらが村の英雄伝説」
- 長野誠 - 「浪速の牛若丸」「甲板の軽業師」「潮風のアスリート」「人間のこの肉体が金比羅丸だ!」
- 大森晃 - 「浅井企画の運動中枢」
- 池谷直樹、畠田好章 - 「逆三角形の貴公子」
- 照英 - 「筋肉の東京コレクション」
- ニコラス・ペタス - 「青い目の極真魂」
- 岡田英二 - 「筋肉のリトル道場」
- 井上清美 - 「御前崎のジェリー・ロペス」
- 吉崎浩亮 - 「緑山オペラ座の怪人」
- 三浦英一 - 「板の上の軽業師」「地下足袋アスリート」
- 遊佐雅美 - 「渚のワンダーウーマン」
- 賀出雅崇 - 「うつ伏せの達人」
- 吉永克己 - 「SASUKE先生の肉体通信簿」
- SASUKE(エリア)
- ローリング丸太 - 「筋肉の抱き枕」
- 揺れる橋 - 「アスリート嫌いの丘」「人間嫌いの橋」「揺れる小悪魔」
- そり立つ壁 -「人間ねずみ返し」
- ナロー - 「垂直の匍匐前進」
- 動く壁 - 「肉体の折れ線グラフ」
- スパイダーウォーク - 「人間折れ線グラフ」
- 五連ハンマー - 「ガリバーの日曜大工」「運命の連鎖反応」「肉体のだるま落とし」
- 逆走コンベア - 「肉体の回転寿司」「マッチョな赤ん坊状態」
- ウォールリフティング - 「力ずくの開けゴマ」「筋肉の序破急」「働き者の商店街」「鋼鉄の躙口」「マッスルアーケード」「大蛇の腹の中からの大脱出」
- プロペラ雲梯 - 「回るダイハード」
- アームバイク - 「生身の箱根登山鉄道」「剛腕ねこじゃらし」
- クリフハンガー - 「命懸けの握力測定」
- パイプスライダー - 「栄光の舞台への片道切符」「腕力の墓場」「腕力のブラックホール」
6.1.5. 世界水泳
古舘伊知郎が世界水泳の実況で生み出した主要な語録は以下の通りである。
- 北島康介 - 「西日暮里の河童伝説」「都電荒川線」「又、世界が微笑んだ!」「時計は悪魔が作ったと言われます」
- イアン・ソープ - 「一人無敵艦隊」「人間魚雷」「水中四輪駆動」「沈まないタイタニック」
- イアン・ソープ vs ピーター・ファン・デン・ホーヘンバンド - 「世界中の水をトニックウォーターに変えて行くのでしょうか?」
- マイケル・フェルプス - 「地上最強の初心者」
7. 出演・作品
古舘伊知郎は、アナウンサー、司会者としてだけでなく、俳優、声優、歌手、作家など、多岐にわたる分野で数多くの作品に関わってきた。
7.1. テレビ番組
7.1.1. 司会・実況
- 『ワールドプロレスリング』(1977年 - 1987年、テレビ朝日系)
- 『競馬中継』(テレビ朝日)
- 『おはようテレビ朝日』(1981年4月 - 1982年3月、テレビ朝日)
- 『アフタヌーンショー』(テレビ朝日) - 事件レポーター
- 『夢のビッグスタジオ』(1982年、テレビ朝日)
- 『爆笑!!ドットスタジオ』(1982年10月 - 1983年6月、テレビ朝日)
- 『輝け!第13回日本歌謡大賞』(1982年11月17日、テレビ朝日) - 審査会場リポーター
- 『ぶったま!ピープー』(1983年、テレビ朝日) - くりそつオナゴプロレス実況
- 『スポーツUSA』(1984年 - 1987年、テレビ朝日)
- 『スポーツ宝島』(1984年4月 - 1984年6月、テレビ朝日)
- 『森田一義アワー 笑っていいとも!』(1984年10月 - 1987年9月、フジテレビ系) ※木曜日担当「撃突!たべるマッチ」コーナー
- 『笑っていいとも!増刊号』(フジテレビ系)
- 『アッコ・古舘のゆうYOUサンデー!』(1984年10月 - 1985年3月、TBS)
- 『アッコ 古舘のあっ!言っちゃった!』(1985年4月 - 9月、TBS)
- 『アッコにおまかせ!』(TBS系) ※番組開始当初
- 『夜のヒットスタジオDELUXE → 夜のヒットスタジオSUPER』(1985年10月 - 1990年10月3日、フジテレビ)- 司会
- 『どっちDOTCH!』(1986年2月 - 6月、よみうりテレビ・日本テレビ)
- 『オシャレ30・30』(1987年1月 - 1994年6月、日本テレビ)
- 『おめでとう郷ひろみ・二谷友里恵結婚披露宴』(1987年6月12日、フジテレビ) - 披露宴総合司会
- 『FNS歌謡祭』(1987年 - 1989年、フジテレビ)
- 『クイズこれはウマい!』(1988年4月 - 1989年3月、TBS)
- 『地球発19時』(1988年4月 - 1991年9月、毎日放送) ※不定期出演
- 『とれんでぃ9』(1988年10月 - 12月、テレビ朝日)
- 『JOCX-TV2・AUTO倶楽部』(1988年、フジテレビ)
- 『フジテレビF1中継』(1989年 - 1994年、フジテレビ)
- 『F1ポールポジション』(1989年 - 1994年、フジテレビ)
- 『クイズ!世にも不思議な逆回転』(1989年5月 - 1990年3月、フジテレビ)
- 『TV PLUS PRESS』(1990年4月 - 1991年3月、フジテレビ)
- 『ニュースフロンティア』(1991年4月 - 1992年3月、テレビ朝日)
- 『ゲーム数字でQ』(1991年4月 - 1993年3月、NHK総合)
- 『どうにも語タク族』(1991年10月 - 1992年3月、TBS)
- 『Goodジャパニーズ』(1992年4月 - 9月、TBS)
- 『MJ -MUSIC JOURNAL-』(1992年10月 - 1994年3月、フジテレビ) - 司会
- 『プロ野球ニュース』(フジテレビ系) 1993年 F1担当、月曜日
- 『クイズ日本人の質問 → 新・クイズ日本人の質問』(1993年4月 - 2003年3月、NHK総合)
- 『NHK紅白歌合戦』(NHK総合・ラジオ第1) - 白組司会
- 第45回(1994年12月31日)
- 第46回(1995年12月31日)
- 第47回(1996年12月31日)
- 『クイズ悪魔のささやき』(1994年5月 - 1996年5月、TBS)
- 『オールスター感謝祭』(1994年春 - 1995年春、TBS) ※94秋では30.00 万 JPY、95春では100.00 万 JPY獲得。
- 『おしゃれカンケイ』(1994年7月 - 2005年3月、日本テレビ)
- 『クイズ赤恥青恥』(1995年 - 2003年、テレビ東京)
- 『筋肉番付→体育王国』(1995年 - 2003年、TBS)
- 『ニュースの女王決定戦』(1995年、日本テレビ)
- 『制作費100億使い切り特番! 世界最高 超豪華ゲーム!100万$の選択! THE BET』(1995年・1996年、日本テレビ)
- 『輝く日本の星!』(1996年5月 - 1997年3月、TBS)
- 『しあわせ家族計画』(1997年4月 - 2000年9月、TBS)
- 『オフレコ!』(TBS)2000年10月 - 2002年9月
- 『特別競輪決勝戦中継』(1998年 - 1999年、テレビ東京)
- 『世界水泳2001福岡&2003バルセロナ 特別実況』(テレビ朝日)
- 『国民クイズ常識の時間 → クイズ!常識の時間!! → ジョーシキの時間2』(2002年10月 - 2004年3月、日本テレビ)
- 『最大公約ショー』(毎日放送・TBS)
- 『スーパークイズスペシャル』(1997年春・1998年春・1998年秋、日本テレビ)
- 『SASUKE』(TBS) - 実況
- 『最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦』(TBS)
- 『生命38億年スペシャル・人間とは何だ!?』(1997年、1999年、2001年、2003年TBS) ※2年に1回
- 『第4学区』(フジテレビ)
- 『親知らずバラエティー 天使の仮面!!』(朝日放送・テレビ朝日)
- 『そんなに私が悪いのか!?』(テレビ朝日)
- 『サタッぱち 古舘の日本上陸』(テレビ朝日)
- 『サタッぱち 古舘の買物ブギ!!』(テレビ朝日)
- 『古舘伊知郎流シネマの見方~サイダーハウス・ルール~』(2000年7月1日、テレビ東京)
- 『スイスペ!「古舘伊知郎 The Interview」』(2003年5月7日、テレビ朝日)
- 『和田アキ子歌手35周年オールスター祝賀会!』(2003年10月25日、TBS)
- 『F1ドライバー・アイルトン・セナ緊急追悼特番』(フジテレビ)- 司会
- 『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』(日本テレビ) ※逸見政孝の代理司会
- 『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日) ※バイク事故で休養していたビートたけしの代理司会
- 『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』(フジテレビ)
- 『初詣!爆笑ヒットパレード』(フジテレビ系)
- 『テスト・ザ・ネイション』(2003年 - 2008年、テレビ朝日) ※2006年を除き年1回放送
- 『報道ステーション』(2004年4月5日 - 2016年3月31日、テレビ朝日系)
- 『選挙ステーション』(テレビ朝日、衆議院選挙もしくは参議院選挙実施時に放送)
- 『テレビ朝日開局50周年記念 特別番組 ~地球危機2008~』(2008年、テレビ朝日)
- 『氷室京介 WOWOW SPECIAL~DOCUMENT OF LAST GIGS~』(2016年6月26日、WOWOW) - ナレーション
- 『人名探究バラエティー古舘伊知郎の日本人のおなまえっ!』(2016年8月25日、NHK総合) - 司会
- 『人名探究バラエティー 日本人のおなまえっ! → ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!』(2017年4月6日 - 2022年3月17日、NHK総合) - 司会
- 『フルタチさん』(2016年11月6日 - 2017年9月17日、フジテレビ) - MC
- 『トーキングフルーツ』(2016年11月9日 - 2018年3月21日、フジテレビ) - MC
- 『古舘がニュースでは聞けなかった10大質問!!だから直接聞いてみた』(2016年11月9日、TBS) - 司会
- 『古舘トーキングヒストリー~忠臣蔵、吉良邸討ち入り完全実況~』(2016年12月10日、テレビ朝日) - MC・実況
- 『古舘トーキングヒストリー~戦国最大のミステリー 本能寺の変、完全実況~』(2018年1月6日、テレビ朝日) - MC・実況
- 『古舘トーキングヒストリー~幕末最大の謎 坂本龍馬暗殺、完全実況~』(テレビ朝日、2019年1月5日) - MC・実況
- 『華麗なる雑談~古舘とジュニアと◯◯~』(2016年12月24日、テレビ東京) - MC
- 『古舘伊知郎ショー』(2017年3月18日・12月23日、テレビ朝日) - MC
- 『阿修羅 1300年の新事実』(2017年3月23日、NHK総合)
- 『おしゃべりオジサンと怒れる女 → おしゃべりオジサンとヤバい女』(2017年4月15日 - 2018年9月29日、テレビ東京) - MC
- 『おしゃべりオジサンと怒れる日本人』(2018年10月2日、BSテレビ東京)
- 『おしゃべりオジサン ヤバイ・オブ・ザ・イヤー2019』(2019年1月3日、テレビ東京)
- 『モノシリーのとっておき~すんごい人がやってくる!~』(2017年11月3日 - 2018年9月14日、フジテレビ) - MC
- 『大谷翔平 超解剖!スペシャル』(2018年3月30日、NHK総合) - MC
- 『ゴゴスマ -GO GO!Smile!-』(2019年4月3日 - 、CBCテレビ) - タレント・コメンテーター(毎週水曜日)
- 『祈り~神と仏と~』(2020年4月27日 - 2021年1月23日、三重テレビ) - ナレーション
- 『INVITATION』(2021年1月31日 - 2022年12月17日、WOWOW) - ナビゲーター
- 『明治のイノベーター 大隈重信』(2021年10月15日、サガテレビ) - MC
- 『ニュー試 あなたの脳をスキルアップ!』(2022年1月15日 - 、NHK Eテレ) - MC
- 『古舘伊知郎 闘いのワンダーランド』(2022年3月 - 、スポーツライブ+) - MC
- 『ゲーム実況バトル!DRAMATIC-MIC!!』(2022年6月12日、テレビ東京) - 審査員・実況
7.1.2. テレビドラマ
- 『暴れん坊将軍II』第22話「十手を下さい お奉行様!」(1983年、テレビ朝日) - 与力 役
- 『意地悪ばあさん GO!GO!!ハワイの巻』(1984年10月、フジテレビ系、月曜ドラマランド)
- 『月曜ドラマランド「ヨイショ君」』(1985年5月、フジテレビ系) - 主演
- 『制作2部青春ドラマ班』(1987年、テレビ朝日)
- 『ドラマ23「殺したい女」』(1988年3月、TBS系)
- 『ゴリラ・警視庁捜査第8班』第1話「ポリス・アドベンチャー」(1989年、テレビ朝日) - 番組解説
- 連続テレビ小説(NHK総合)
- 『君の名は』(1991年4月 - 1992年3月) - 本間定彦 役
- 『エール』第22、25回(2020年4月28日、5月1日) - 鶴亀寅吉 役
- 『豆腐プロレス』(2017年1月22日 - 7月2日、テレビ朝日) - 古舘伊知郎(本人役)
- 『下町ロケット』(2018年10月14日 - 12月23日、TBS系) - 重田登志行 役
7.2. ラジオ番組
- 『古舘 ヒコロヒーの時代は言葉で作られる』(2022年8月19日・12月29日、NHKラジオ第1)
- 『闘魂フォーエバー アントニオ猪木さんをしのんで』(2022年10月23日、NHKラジオ第1) - MC
- 『古舘伊知郎の赤坂野郎90分』(TBSラジオ)
- 『安住紳一郎の日曜天国』(2019年10月20日、TBSラジオ) - パーソナリティー・安住紳一郎夏季休暇時の代理
- 『古舘伊知郎 フル・タッチ歌謡曲』(ニッポン放送)
- 『不二家歌謡ベストテン』(ニッポン放送)
- 『銀座音楽祭』(1985年、ニッポン放送) - 司会
- 『古舘伊知郎のパワフルタッチのまるごと遊ビジョン』(ニッポン放送)
- 『古舘伊知郎の独占!オールニッポンヒット歌謡』(ニッポン放送)
- 『フルフルサタデー 古舘伊知郎のどきどきモンスター』(ニッポン放送)
- 『古舘伊知郎のオールナイトニッポンGOLD』(2016年10月21日 - 2022年3月4日、ニッポン放送) - パーソナリティー
- 『うしみつドキドキ! 古舘伊知郎×本田剛文のおしゃべり道場』(2021年4月6日 - 、CBCラジオ)
7.3. ウェブテレビ
- 『キャリアドラフト』(2023年10月6日 - ) - MC
- 『For JAPAN』(2024年4月5日 - )- MC、BS11から移籍
7.4. 舞台
- 『トーキングブルース』(1988年 - 2003年、2014年)
- 『トーキングフルーツ』(2016年)
7.5. 映画
- 『ウルトラマンZOFFY ウルトラの戦士VS大怪獣軍団』(1984年、松竹) - ウルトラマンと怪獣の名勝負を実況
- 『スウィートホーム』(1988年、東宝、監督/脚本:黒沢清) - テレビ取材班のカメラマン・田口亮 役 ※山城新伍、伊丹十三、宮本信子らと共演
7.6. 吹き替え・アニメ
- 『アリータ: バトル・エンジェル』(2019年) - 実況アナウンサー役
- 『ウォナビーズ』(1986年) - 実況アナウンサー 役
7.7. ゲーム
- 『筋肉番付vol.1~俺が最強の男だ!~』(PlayStation)
- 『筋肉番付vol.2~新たなる限界への挑戦!~』(PlayStation)
- 『筋肉番付~ROAD TO SASUKE~』(PlayStation)
- 『筋肉番付vol.3~最強のチャレンジャー誕生!~』(PlayStation)
- 『筋肉番付 マッスルウォーズ21』(PlayStation 2)
7.8. CM
- いすゞ自動車「フォワード(エアサスペンション装備車)」(1984年)
- 角川書店「ザテレビジョン」(1984年)
- 三楽「ホワイトパック」(1984年)
- キッコーマン「つゆ処」(1985年)
- NTT「キャプテンシステム」(1985年 - 1986年)
- ハウス食品「ハウスのグラタン」(1985年)、「細打名人」(1994年 - 1995年、高橋英樹と共演)
- 大正製薬「サモン内服液」(1987年)
- 味の素「味の素ギフト」(1988年、加山雄三と共演)。また、このCMには「ほんだし 鰹まる」も登場し、古舘は「旨みのユネスコ村」と実況している。
- メガネスーパー(1987年 - 1995年)
- ワーナー・ランバート「ホールズ」(1989年)
- キリンビバレッジ「JIVE」(1989年)
- 興和「キャベ2」(1989年)
- NEC「EWS4800」(1992年)
- 東レ「トレビーノ」(1993年 - 2000年)
- ホンダプリモ店・F1キャンペーン(1994年 - 1996年頃)
- JT「フロンティア・ピュア」(1997年)
- 日本自転車振興会「競輪」(1998年)
- 三共(現:第一三共ヘルスケア)「新三共胃腸薬」(2000年 - 2002年)
- トヨタファイナンス「ティーエスキュービックカード」(2001年 - 2003年)
- ドワンゴ「イロメロミックス 古舘伊知郎 着と~く」(2003年 - 2004年)
- ソフトバンク 白戸家シリーズ(2016年)
- 「友達来る(玄関)」篇、「友達来る(リビング)」篇 - 上戸彩・樋口可南子と共演
- 「スポナビ強化篇(B.LEAGUE)」篇「ピンボール」篇、「ゴジラ実況中継」篇
- ソニー・インタラクティブエンタテインメント「グランツーリスモSPORT」(2017年)
- 明治「PA-3」(2019年)
- ENEOS「ENEOS サービスステーションアプリ 給油実況編」(2022年)
7.9. 書籍
- 『過激でどーもすいません』(全国朝日放送、1984年3月)
- 『おぉーっと!掟破りの言いたい呆題』(全国朝日放送、1984年9月)
- 『晴れた日には、会社をやめたい』(扶桑社、1986年7月)
- 『くちびるにガムテープ』(日本文芸社、1989年10月)
- 『喋らなければ負けだよ』(青春出版社、1990年5月)
- 『えみちゃんの自転車 -最愛の姉をガンが奪って』(集英社、1991年9月)
- 『新説 F1講座』(勁文社、1991年10月)
- 『母なる映画・父なるビデオ』(講談社、1997年10月)
- 『第4学区』(集英社インターナショナル、2000年9月)
- 『そして世界は狂いはじめた』(新潮社、2001年12月)
- 『記憶がウソをつく!』(扶桑社、2002年10月)
- 『日本語 息・活・粋 -7時間ぶっとおしトーク・ライブ!』(小学館、2003年2月) 齋藤孝との共著。
- 『ハシモトシノブ人~言語思考回路の車線変更』(ワニブックス、2004年3月)
- 『言葉は凝縮するほど、強くなる-短く話せる人になる! 凝縮ワード』(ワニブックス、2019年7月)
- 『MC論 - 昭和レジェンドから令和新世代まで「仕切り屋」の本壊』(ワニブックス、2021年8月)
- 『伝えるための準備学』(順文社、2024年7月)
- 『人生後半、そろそろ仏教にふれよう』(PHP研究所、2024年7月)
7.10. 音楽作品
- 「燃えろ!吼えろ!タイガーマスク」(1982年8月、RCA) - 初代タイガーマスク入場テーマ曲
- アルバム『大過激』(1984年11月1日、CBSソニー) - 「昭和の恋の物語」「おーっと!俺を呼んでるぜ」では歌唱(両曲ともサンプラザ中野作詞、「おーっと!俺を呼んでるぜ」では大友康平・鈴木雅之と共演)。シングルカットされたのはネタの「史上最大の女子大生ナンパ大作戦」。
- 「男と女のはしご酒」(1987年11月21日、CBSソニー) - 伍代夏子とデュエット
- 「おまえがいれば」(1994年11月21日、日本コロムビア) - ハウス食品「細打名人」CFイメージソング。作詞は秋元康。
- 「魔笛-まほうのふえ」(1998年12月9日、東芝EMI) - 朗読を担当。台本は如月小春。
7.11. 漫画原作
光文社の漫画雑誌ジャストコミックで、以下の連載の原作を手がけた。
- 『おーっとフル・タッチ』(1984年、作画・小林よしのり) - 古舘の自伝・兼・プロレスラー列伝的なエッセイ漫画。
- 『スープレックス山田くん』(1985年、作画・国友やすゆき) - 当時新日の若手だったあるレスラーを主人公とした漫画。架空の女性記者との恋愛が描かれるなど、フィクション色が強い。
8. 評価と影響
古舘伊知郎は、その独自の言動とキャリアを通じて、世間から様々な評価と批判的な見解を受けてきた。また、彼の活動は後進のエンターテイメント業界の人物にも大きな影響を与えている。
8.1. 世論と批判的見解
古舘伊知郎が『報道ステーション』を担当していた時期の年収は、同番組以外からの収入を含めるとおよそ5.00 億 JPY程度とされている。彼自身は、12年間でのギャラ総額について「世田谷、一等地、50軒分位」に相当すると述べている。
長きにわたる実況人生の中で、彼は全日本古武道選手権とTBS『筋肉番付』のアスリートが1時間空気椅子をし続ける耐久競技である「GHOST CHAIR」を「2大地獄」と語っている。
2004年4月に『報道ステーション』のメインキャスターとして就任した際、彼は就任の3年ほど前からテレビ朝日の早河洋会長に対し、「『ニュースステーション』の後を古舘でお願いしたい」という打診を受けていた。スポーツ実況やバラエティ番組、「トーキングブルース」といった娯楽番組での活動を望んでいた彼は、当初その打診を長く断っていたが、早河から「自由にあなたの絵を描いて」と言われたため、最終的に引き受けた。しかし、降板する2年ほど前に早河に「辞めさせてほしい」と申し出たが、契約があと2年残っていることを理由に「もうちょっと頑張ってよ」と言われ、踏みとどまった経緯がある。
『報道ステーション』メインキャスター担当時、彼は3年間自身のこだわりから「こんばんは」の挨拶をしなかった時期があった。この件に関して、視聴者から苦情が寄せられていたが、彼は止めなかったという。しかし、プロデューサーから「いい加減にしてくれ」「もう無駄なこだわりは止めてくれませんか」と厳重注意を受け、それ以降は態度を改めて挨拶をするようになったと話している。
8.2. 他のタレントへの影響
古舘伊知郎が独自に展開したソロパフォーマンス「トーキングブルース」は、山里亮太、若林正恭、カンニング竹山といったお笑い芸人たちにも大きな影響を与えている。