1. 概要

平田 良介(ひらた りょうすけ、Ryōsuke Hirata英語、1988年3月23日 - )は、大阪府大阪市城東区出身の元プロ野球選手(外野手)であり、現在は中日ドラゴンズの二軍外野守備走塁コーチを務める。右投右打。彼のキャリアは、高校時代からプロ野球選手としての全盛期、そして怪我による困難な時期を経て引退、さらには指導者としての新たな道を切り開いた軌跡を示している。特に、2015年にはチーム主将を務め、2018年にはサイクル安打達成やゴールデングラブ賞を受賞するなど、攻守にわたる貢献で中日ドラゴンズの中心選手として活躍した。
2. キャリア
平田良介の野球キャリアは、プロ入り前のアマチュア時代から始まり、中日ドラゴンズでの17年間にわたるプロ選手としての活動、そして引退後のコーチとしての現在に至るまで多岐にわたる。
2.1. プロ入り前
プロ野球選手としてのキャリアを始める前の、幼少期、アマチュア野球活動、高校時代の活躍、そしてドラフトでの指名とプロ契約について詳述する。
2.1.1. 幼少期と少年野球
平田良介は、大阪府大阪市城東区で生まれ育った。小学1年生の時に「関目ジュニアスター」で野球を始め、中学時代はボーイズリーグの「大阪北」および「大阪都島」に所属していた。彼の幼馴染である萬谷康平とは、家が道を挟んで2軒隣であり、小学1年生から中学1年生まで同じ少年野球チームでプレーを共にした。
2.1.2. 高校時代
大阪桐蔭高校に進学した平田は、1年生の夏から6番打者としてレギュラーの座を獲得し、秋からは4番打者を任されるなど、早くからその才能を発揮した。当時、彼の名前はすでに大阪一円で広く知れ渡っており、肉体的にも入学時には完成していたため、1年生でありながら唯一、入学直後から上級生に交じっての練習参加が許されたという逸話がある。高校の同期には辻内崇伸、後輩には中田翔や岡田雅利がいた。高校通算では70本の本塁打を記録し、その打撃力は高校野球界でも群を抜いていた。
2年生時には第76回選抜高等学校野球大会に出場し、1回戦の二松学舎大付戦で本塁打を放った。3年生で出場した第87回全国高等学校野球選手権大会では、準々決勝の東北戦で、PL学園の清原和博以来となる1試合3本塁打の記録を達成した。しかし、続く準決勝では、当時2年生の田中将大を擁する駒大苫小牧と対戦し、田中から4打数無安打に抑えられ、チームも延長戦の末に敗退した。甲子園通算本塁打数は5本で、これは歴代4位の記録である。
高校3年生の9月には、アジアAAA選手権の韓国戦で右肩を亜脱臼する重傷を負い、手術が予定されていた。しかし、予想以上に右肩の状態が良化したため、最終的に手術は回避された。
2.1.3. ドラフトとプロ入り
2005年、平田は高校生ドラフトで中日ドラゴンズから1巡目指名を受けた。11月12日には契約金1.00 億 JPY、年俸840.00 万 JPYで仮契約を締結した。彼の希望により、背番号は8に決定し、プロ野球選手としての第一歩を踏み出した。
2.2. プロ選手時代
中日ドラゴンズで過ごした16年間のプロ野球選手としてのキャリアを年代順に詳細に記述する。
2.2.1. 中日ドラゴンズ(2006年 - 2010年)
2006年1月9日に中日ドラゴンズ選手寮に入所した平田は、8月26日に初めて一軍に昇格。同日の横浜ベイスターズ戦(ナゴヤドーム)の9回裏に英智の代打としてプロ初出場を果たしたが、結果は初球を打ち三塁ゴロに終わった。8月29日の阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)では中田賢一の代打で出場したが、井川慶から空振り三振を喫した。
2007年10月4日の広島東洋カープ戦(ナゴヤドーム)で「7番・中堅手」としてプロ初のスタメン出場を果たし、延長11回裏一死満塁の場面で死球を受け、プロ初打点を記録した。10月6日の東京ヤクルトスワローズ戦ではプロ初安打を放ち、翌7日の横浜戦では初の猛打賞を達成した。シーズン終盤の活躍と堅実な守備が評価され、故障した英智の代役としてクライマックスシリーズでは全試合に先発出場。日本シリーズでもホームゲームで先発起用され、第3戦では安打を放ち、第5戦では北海道日本ハムファイターズの先発ダルビッシュ有から犠飛を放ち、この試合唯一の打点を挙げた。この1-0での勝利により中日は日本一を決め、平田の打点は日本一を決める決勝点となった。これは球団として1954年の日本一時の井上登以来、高卒2年目の野手が日本一を決める決勝点を挙げた快挙となった。この活躍が認められ、ハワイへの優勝旅行にも参加予定だったが、出発前日の練習中に足を捻挫し、急遽参加を取りやめた。
2008年の春季キャンプは足の捻挫のため二軍スタートだったが、第4クールで一軍に合流。森野将彦の故障離脱もあり、オープン戦ではほとんどの試合にセンターで先発出場し、開幕スタメン入りも確実視されたが、森野の回復と自身のオープン戦の成績から、開幕一軍入りは叶わなかった。5月16日、森野の怪我による離脱で今シーズン初の一軍昇格を果たし、その日の対横浜戦に先発起用されたが、目立った活躍はなく5月26日に二軍に降格した。6月11日に再昇格し、9月7日の横浜戦(ナゴヤドーム)の9回裏一死の場面で代打として登場、横山道哉から一軍でのプロ初本塁打を放った。これが同時にサヨナラの殊勲打となり、プロ初本塁打が代打サヨナラ本塁打となるのは史上7人目の快挙であった。その後もシーズン終了まで一軍に定着し、主に代打として起用された。シーズン終了後の秋季キャンプで故障離脱し、翌年の春季キャンプも二軍スタートとなる。
2009年は春季キャンプを二軍で過ごしたが、3月17日の阪神との練習試合で一軍に合流し、プロ4年目にして初の開幕一軍入りを果たした。藤井淳志、小池正晃、新人の野本圭らと外野のポジションを争ったが、シーズンが始まると代打でも結果を残せず、4月15日に二軍に降格した。8月に一度登録されるも、勝負どころでの併殺打や三振を繰り返し、9月に再び抹消された。最終的には前年の59試合出場を下回る42試合に留まったが、打率.271、2本塁打、9打点を記録した。
2010年は、新人の大島洋平や2年目の野本らとの競争に敗れ、大半を二軍で過ごした。日本シリーズでも活躍できずにシーズンを終えた。オフには、背番号8を大島が着用することになったため、退団した西川明の空き番号だった40に変更した。
2.2.2. 台頭期(2011年 - 2014年)
2011年は開幕こそ二軍スタートだったものの、5月5日に一軍昇格。5月18日の千葉ロッテマリーンズ戦で同点本塁打を放ち、5月22日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では自身初の1試合4安打を記録した。6月4日の対埼玉西武ライオンズ戦では9回裏に同点打を放ち、延長11回裏には野上亮磨から2008年以来となる自身2本目のサヨナラ本塁打を放った。さらに、翌6月5日の対ロッテ戦では、9回裏に薮田安彦から2日連続となるサヨナラ本塁打を放った。個人による2試合連続サヨナラ本塁打は、2002年の松井稼頭央(西武)以来史上8人目、セ・リーグでは1988年のダグ・デシンセイ(ヤクルト)以来23年ぶり、中日では史上初の快挙であった。これらの活躍により、6月の月間MVPを初受賞。チームの野手としては2009年6月の和田一浩以来2年ぶりの受賞となった。リーグ優勝が決定した翌日の10月19日に行われた対ヤクルト戦では、プロ入り後初めて4番打者を務めた。シーズン中盤以降は調子を落とし、1か月以上本塁打が出ない時期もあり、先発を外れる試合も増えたが、最終的には113試合に出場し、打率.255、11本塁打、38打点の成績を残した。守備でもリーグ3位となる8補殺を記録するなど、チームのリーグ連覇に大きく貢献した。
2012年は初の開幕スタメンに名を連ね、3月30日の開幕戦ではチーム第1号となる本塁打を記録した。主に7番を打っていたが、その後森野将彦の故障により3番を打つこともあった。しかし5月にはぎっくり腰を患い、二軍落ちを経験した。最終的には本塁打数は前年と同じ11本だったものの、安定感を欠き打率.216と低迷し、出場試合数も前年より減少した。オフには年俸が100.00 万 JPY減の推定2900.00 万 JPYで翌年の契約を結んだ。
2013年は開幕一軍を勝ち取ったものの、松井佑介にスタメンを奪われ、33打席で1本もヒットを打てずに登録抹消された。5月10日に一軍昇格を果たした後も暫くは結果が出なかったが、6月23日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)では、2回に先制のソロ本塁打(シーズン初本塁打)、7回にはダメ押しとなる3点本塁打を放ち、チームにとって3年ぶりとなる1試合4本塁打のうちの2本を自ら放って勝利に貢献した。その後は右翼レギュラーに定着し、最終的に規定打席には届かなかったものの、打率.289、15本塁打、55打点と、いずれも自己最高の成績を記録した。オフの11月には台湾で行われた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された。また、背番号の変更が発表され、退団した井端弘和の空き番号であった6を背負うことになった。
2014年はオープン戦から「4番・右翼手」として固定され、シーズンを迎えた。序盤は好調を維持したものの長くは続かず、交流戦からは6番に打順を下げた。6月27日の対阪神戦(阪神甲子園球場)で邪飛を追った際に左足首を捻挫し、約1か月間戦列を離れた。しかし、プロ9年目にして初めて規定打席に到達した。
2.2.3. 全盛期と日本代表(2015年 - 2018年)
2015年7月16日、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出されたことが発表された。9月10日には、日本代表候補選手に選出され、10月9日には最終ロースター28名に選出された。11月26日、球団納会で谷繁元信監督より翌年の主将に任命され、中日ドラゴンズでは1994年の仁村徹以来のキャプテン就任となった。この年、自身初のベストナイン(外野手部門)に選出された。
2016年開幕前の2月15日には「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表26名に選出された。6月18日の日本ハム戦(ナゴヤドーム)で10号本塁打を放ち、6年連続2桁本塁打を記録した。9月14日には右肩痛のため一軍登録を抹消された。シーズン途中にFA権を取得したが、11月5日にFA権を行使せず、中日への残留を表明した。
2017年1月24日には、2017 ワールド・ベースボール・クラシックの日本代表に招集され、大会では2試合に出場した。レギュラーシーズンでは右膝の故障に悩まされ、66試合の出場に留まった。
2018年は序盤こそ不調だったものの、5月には月間打率.431を記録するなど、安定して好調を維持し、一時は打率トップに立つなど、同僚のダヤン・ビシエドらと首位打者争いを演じた。その打率の高さを買われて1番打者として出場することも多く、「1番・右翼手」として出場した8月16日の対横浜DeNAベイスターズ戦では、第1打席で先頭打者本塁打を放つと、その後の打席でも二塁打2本、三塁打、単打を記録し、史上68人目のサイクル安打を達成した。最終的には自己最高の打率.329を記録し、また自身初のゴールデングラブ賞(外野手部門)を受賞した。
2.2.4. 怪我と不振(2019年 - 2021年)
2019年も序盤からほぼ1番打者で起用されたが、5月17日に左足の違和感で途中交代し、その後の検査で左下腿の肉離れと診断された。7月20日の対DeNA戦(横浜スタジアム)では、石田健大から本塁打を放ち、プロ通算100号本塁打を記録した。しかし、8月14日の対阪神戦で右手首に死球を受け途中交代。その後も一軍に帯同したが、治療に専念するため8月21日に一軍登録を抹消された。9月10日に一軍復帰し、残りのシーズンを一軍で過ごしたが、最終的には95試合の出場に終わった。
2020年は開幕一軍スタートとなったが、6月24日には18打数1安打と不振で先発を外れるなど、打率.164と不振が続いた。また、右肘痛を発症したこともあり、7月20日に一軍登録を抹消された。その後8月23日に再び一軍登録されると、同日のDeNA戦(ナゴヤドーム)で追加点となる2点適時二塁打を放った。9月9日の巨人戦(ナゴヤドーム)で通算1000安打を達成した。9月21日のヤクルト戦(ナゴヤドーム)では1年ぶりとなる1試合4安打を記録したが、9月26日、下肢のコンディション不良で一軍登録を抹消。10月29日に再び一軍登録されたが、この年は2度の登録抹消もあり、55試合出場でシーズンを終えた。
2021年は開幕一軍入りしたが、21試合で打率.155、0本塁打、4打点と打撃不振により、4月28日に登録抹消された。以降は二軍で調整していたが、7月4日には体調を崩し喘息と「異型狭心症」と診断された。そのため一軍定着後最少の21試合出場に留まった。5年契約の5年目が終了し、1.50 億 JPY減となる推定年俸3000.00 万 JPYで契約を更改した。
2.2.5. 最終シーズンと引退(2022年)
2022年も開幕一軍を迎え、代打や代走での起用が続いたが、5月10日に新型コロナウィルスの陽性判定を受け登録抹消となった。7月12日に一軍に復帰すると、7月16日の阪神戦(阪神甲子園球場)で2年ぶりに本塁打を放った。その後9月19日に再び登録抹消されたが、シーズン終盤には翌年の戦力構想外となっていることが明らかになった。10月4日に戦力外通告を受け、NPBでの現役続行を希望し、引退ではなく自由契約を選択した。独立リーグや社会人野球からのオファーはあったものの、NPB球団からのオファーはなく、12月28日に現役引退を発表した。
2.3. 引退後
プロ野球選手引退後の活動と新たな役割について説明する。
2.3.1. アマチュア野球への転向
中日退団後の翌2023年1月29日、YouTubeチャンネル「エースファクトリーエンタメチャンネル」に出演し、複数の独立リーグ球団や社会人野球からのオファーがあったものの、大阪を拠点に活動するエースファクトリーベースボールクラブに入団し、軟式野球に転向することを表明した。このチームへの入団は、平田の幼馴染である萬谷康平からの誘いによるもので、共にプレーを続けることになった。同年2月3日には学生野球資格を回復したことが公表された。3月18日にはバンテリンドーム ナゴヤで行われた楽天とのオープン戦後に引退セレモニーが開催された。また、TBSチャンネルの野球解説者としても並行して活動した。
2.3.2. 中日ドラゴンズコーチ復帰
2025年より、古巣である中日ドラゴンズに二軍外野守備走塁コーチとして復帰することが発表された。背番号は79に決定した。
3. プレースタイルと評価
平田良介は、高校通算70本塁打を記録する強打者として知られ、その勝負強さを感じる打撃でレギュラーの座を掴んだ実力者である。また、50 m5秒7の俊足と遠投110 mの強肩を併せ持つ高い身体能力も持ち合わせていた。
2011年の春季キャンプでは、当時監督の落合博満と打撃コーチの石嶺和彦の指導により打法を改造し、さらなる成長を遂げた。目深にヘルメットを被るのがトレードマークであり、2011年以降はオレンジ色のバットを使用していた。
落合博満は、ドラフト当時から平田を高く評価しており、「この年のドラフトで俺が認めたのは平田だけ。そういう選手がいない年だってある。あれだけ振れる選手はそうはいない。鍛えれば俺以上の打者になる」と語っていた。さらに、守備についても「ドラゴンズの外野守備でいちばんうまい」と賛辞を送り、その攻守両面での才能を認めていた。
4. 人物
平田良介は、公に知られている個人的な側面として、多様な趣味や人間関係を持っている。
彼は大の漫画好きであり、少年漫画だけでなく少女漫画も読む。大阪市の実家には約900冊ものコレクションがあったほどで、その中から『ドカベン』『涼風』をはじめとする約200冊の愛読書を厳選して寮に持参した。
また、かなりのゲーマーでもあり、特に『みんなのGOLF』『ウイニングイレブン』『実況パワフルプロ野球』シリーズを熱心にプレイしている。『ウイニングイレブン』ではインターネット対戦で全国151位、『実況パワフルプロ野球』では同じく30位台まで上昇したことがあるという(いずれも本人の自己申告による)。『ウイニングイレブン』では「弱いチームで勝つ方がポイントがたまりやすい」という理由から、主にFCコペンハーゲンでプレイしており、フォーメーションは守備重視の「6-3-1」をよく使用していた。
2010年5月に婚姻届を提出し、同年12月には長男が誕生している。2013年には長女も誕生した。夫人の影響でももいろクローバーZのファンになり、2013年からは打席時の登場曲にも使用している。
自宅が大阪ドームから近かったこともあり、子どもの頃は近鉄バファローズのファンであった。当時好きだった選手として中村紀洋の名前を挙げており、中村が中日に在籍していた際には、ファン目線で「ノリ」と呼びそうになったと語っている。
2009年の自主トレーニングでは、同じ大阪桐蔭高校出身の千葉ロッテマリーンズ(当時)の西岡剛、北海道日本ハムファイターズの中田翔とトリオ「好奇心」を結成した。自主トレーニングの数日前に西岡がクイズ!ヘキサゴンIIで「おバカキャラ」と位置づけされたことを踏まえ、「西岡さんはおバカキャラというか天然なんで...。羞恥心じゃなく好奇心でいきますよ」という発言から結成に至ったという(ちなみに3人の共通点はいずれも高校時代4番を担い、高卒でプロに入り、さらにドラフト1位指名で入団している)。
ヒーローインタビューで度々名言を残している。2011年の2戦連続サヨナラ本塁打の時には、6月4日には「明日はデーゲームですので、お酒は控えるようにして下さい」と、5日には「明日はナイターです。お酒をたんまり飲める、時間があります。しっかり飲んで、明日の6時プレイボールまでにお酒を抜いて応援して下さい」と、2日連続で「酒ネタ」を披露した。この「酒ネタ」は、その後のヒーローインタビューで、中日の他の選手(佐伯貴弘、小田幸平、小池正晃)にも使われた。
2014年からは、前述の通り、落合博満が選手時代に付けていた背番号6を付けることになったが、会見ではそのことに触れられると「知らなかった」と発言。その上で「好きな番号だったので選んだ。自分なりの6番にしたい」と抱負を語った。また、東海ラジオのスポーツ番組出演時には、当時GMの落合とのやり取りについても明かし、当初は背番号9を提示されるも、前年まで同じ外野手の野本圭が背負っていたことを理由に固辞したと語った。次いで希望の番号を問われて6と答え、落合から「誰が着けてたか知ってるか?」と質問されたと語っている。
2015年からは、この年に加入した亀澤恭平や遠藤一星とともに、ムードメーカーとしてチームを盛り上げた。元々は平田が「ファンの方に喜んでもらえるように」と亀澤に呼びかけ、得点が入った際に中継カメラに向かってパフォーマンスを披露するようになり、後に遠藤も加わるようになった。
2015年8月1日の巨人戦にて、東京ドーム左翼席上にあるキリンビール「一番搾り」看板に直撃する特大本塁打を放ち、キリンビールマーケティング株式会社より賞金100.00 万 JPYと「キリン一番搾り」1年分を贈呈された。
2018年オフには、新車では車両価格だけで3970.00 万 JPYすると言われる「ロールスロイス・ゴースト・ブラックバッジ」を新古で購入した。本人によると、子供の頃に新庄剛志のフェラーリを見たことがきっかけで、「プロ野球選手になったら絶対高級車に乗ったると思ったんです」とのこと。テレビ番組では5000.00 万 JPYとも報道され、大きな話題となった。プロ野球選手を引退後、2023年5月28日にTBSで放送された『THEプラチナリスト~スターが生まれた伝説の名簿~』で、「見栄を張る必要がない」という理由でロールスロイスを売却したことを公表している。
2020年12月20日にニコニコ生放送で放送された企画「プロ野球×将棋特番」に出演。プロ野球界の将棋好き4選手(丸佳浩・安田尚憲・齋藤友貴哉)で争われたプロ野球最強将棋王決定戦で優勝し、「球王」の称号を与えられた。
2021年12月12日にニコニコ生放送で放送された「プロ野球×将棋特番2021」にも出演し、前回大会の実績と将棋文化普及の功績により渡辺明名人から日本将棋連盟の初段免状が授与された。前年より参加人数の増えた「第2回プロ野球最強将棋王決定戦」でも決勝まで勝ち進み、楽天の西口直人との対局を勝利して連覇を達成し、「球王」の称号を防衛した。
5. 受賞歴と栄誉
平田良介選手は、そのプロキャリアを通じて、NPBおよびその他の団体から以下の個人表彰と栄誉を受けた。
- ベストナイン:1回(外野手部門:2015年)
- ゴールデングラブ賞:1回(外野手部門:2018年)
- 月間MVP:1回(打者部門:2011年6月)
- 月間サヨナラ賞:1回(2015年3・4月)
- ドラゴンズクラウン賞
- 優秀選手賞:2回(2015年、2018年)
- 特別賞:1回(2011年)
- NPBオールスター:2回(2015年、2018年)
- WBSCプレミア12:銅メダル(2015年)
- ワールド・ベースボール・クラシック:銅メダル(2017年)
6. 記録とマイルストーン
平田良介のプロキャリア中に達成した主要な統計記録と個人的な節目となる記録は以下の通りである。
6.1. キャリアの節目となる記録
- 初出場:2006年8月26日、対横浜ベイスターズ12回戦(ナゴヤドーム)、9回裏に英智の代打で出場
- 初打席:同上、9回裏に木塚敦志から三ゴロ
- 初先発出場:2007年10月4日、対広島東洋カープ24回戦(ナゴヤドーム)、「7番・中堅手」で先発出場
- 初打点:同上、11回裏に林昌樹から押し出し死球
- 初安打:2007年10月6日、対東京ヤクルトスワローズ24回戦(明治神宮野球場)、1回表に松井光介から右前2点適時打
- 初本塁打:2008年9月7日、対横浜ベイスターズ17回戦(ナゴヤドーム)、9回裏に浅尾拓也の代打で出場、横山道哉から右中間越サヨナラソロ ※プロ初本塁打が代打サヨナラは史上7人目
- 初盗塁:2011年8月18日、対読売ジャイアンツ12回戦(ナゴヤドーム)、7回裏に二盗(投手:ジョナサン・アルバラデホ、捕手:阿部慎之助)
- 1000試合出場:2018年9月24日、対東京ヤクルトスワローズ24回戦(ナゴヤドーム)、「1番・右翼手」で先発出場 ※史上495人目
- 100本塁打:2019年7月20日、対横浜DeNAベイスターズ12回戦(横浜スタジアム)、4回表に石田健大から左越ソロ ※史上294人目
- 1000安打:2020年9月9日、対読売ジャイアンツ17回戦(ナゴヤドーム)、3回裏に田口麗斗から左中間越二塁打 ※史上307人目
6.2. その他の特筆すべき記録
- 2試合連続サヨナラ本塁打 ※史上8人目(セ・リーグ史上6人目・プロ野球タイ記録、2002年松井稼頭央(西武)以来)
- 2011年6月4日、対埼玉西武ライオンズ4回戦(ナゴヤドーム)、11回裏に野上亮磨から中越ソロ
- 2011年6月5日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(ナゴヤドーム)、9回裏に薮田安彦から右越ソロ
- オールスターゲーム出場:2回(2015年、2018年)
- サイクル安打:2018年8月16日、対横浜DeNAベイスターズ20回戦(ナゴヤドーム) ※史上68人目
7. 日本代表キャリア
平田良介は、国際大会において野球日本代表選手として複数回選出され、活躍した。
2005年には第6回AAAアジア野球選手権大会日本代表に選出されたが、韓国戦で右肩を亜脱臼する怪我を負った。
プロ入り後には、2015 WBSCプレミア12 日本代表として選出され、チームの銅メダル獲得に貢献した。
さらに、2017 ワールド・ベースボール・クラシックの日本代表にも招集され、2試合に出場した。
8. 詳細な成績
彼のプロ選手キャリア中に記録された全ての統計データを各表形式で掲載する。
8.1. 年度別打撃成績
年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006 | 中日 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
2007 | 3 | 13 | 12 | 1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | .333 | .385 | .333 | .718 | |
2008 | 59 | 111 | 97 | 9 | 26 | 3 | 0 | 1 | 32 | 9 | 0 | 1 | 5 | 2 | 6 | 0 | 1 | 25 | 4 | .268 | .311 | .330 | .641 | |
2009 | 42 | 95 | 85 | 13 | 23 | 7 | 3 | 2 | 42 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 8 | 0 | 1 | 19 | 2 | .271 | .337 | .494 | .831 | |
2010 | 6 | 12 | 12 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .083 | .083 | .083 | .167 | |
2011 | 113 | 376 | 330 | 39 | 84 | 15 | 6 | 11 | 144 | 38 | 1 | 2 | 7 | 0 | 38 | 0 | 1 | 72 | 10 | .255 | .333 | .436 | .769 | |
2012 | 91 | 301 | 269 | 28 | 58 | 4 | 1 | 11 | 97 | 32 | 1 | 0 | 1 | 2 | 28 | 1 | 1 | 59 | 9 | .216 | .290 | .361 | .651 | |
2013 | 118 | 414 | 367 | 54 | 106 | 22 | 3 | 15 | 179 | 55 | 1 | 2 | 1 | 1 | 41 | 1 | 4 | 54 | 13 | .289 | .366 | .488 | .853 | |
2014 | 119 | 488 | 429 | 55 | 119 | 17 | 1 | 11 | 171 | 65 | 7 | 2 | 0 | 4 | 54 | 0 | 1 | 65 | 13 | .277 | .357 | .399 | .755 | |
2015 | 130 | 559 | 491 | 76 | 139 | 27 | 3 | 13 | 211 | 53 | 11 | 7 | 1 | 0 | 64 | 1 | 3 | 86 | 5 | .283 | .369 | .430 | .799 | |
2016 | 118 | 494 | 416 | 61 | 103 | 24 | 1 | 14 | 171 | 73 | 4 | 2 | 0 | 4 | 72 | 1 | 2 | 89 | 5 | .248 | .358 | .411 | .769 | |
2017 | 66 | 270 | 238 | 26 | 58 | 14 | 2 | 6 | 94 | 29 | 4 | 0 | 0 | 2 | 29 | 0 | 1 | 60 | 4 | .244 | .326 | .395 | .721 | |
2018 | 138 | 568 | 493 | 83 | 162 | 26 | 5 | 9 | 225 | 55 | 8 | 7 | 2 | 3 | 67 | 4 | 3 | 69 | 7 | .329 | .410 | .456 | .866 | |
2019 | 95 | 407 | 360 | 52 | 100 | 21 | 4 | 8 | 153 | 32 | 3 | 6 | 1 | 4 | 38 | 2 | 4 | 53 | 8 | .278 | .350 | .425 | .775 | |
2020 | 55 | 193 | 166 | 26 | 39 | 7 | 0 | 3 | 55 | 17 | 0 | 1 | 0 | 1 | 24 | 2 | 2 | 33 | 4 | .235 | .337 | .331 | .668 | |
2021 | 21 | 62 | 58 | 3 | 9 | 2 | 2 | 0 | 15 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 13 | 1 | .155 | .210 | .259 | .468 | |
2022 | 51 | 83 | 75 | 8 | 15 | 3 | 0 | 1 | 21 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | 1 | 20 | 2 | .200 | .277 | .280 | .557 | |
NPB:17年 | 1227 | 4448 | 3900 | 534 | 1046 | 192 | 31 | 105 | 1615 | 484 | 41 | 31 | 18 | 24 | 479 | 12 | 27 | 726 | 87 | .268 | .350 | .414 | .764 |
8.2. WBSCプレミア12での打撃成績
年 度 | 代 表 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2015 | 日本 | 8 | 30 | 26 | 4 | 11 | 3 | 1 | 0 | 16 | 6 | 1 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 2 | 0 | .423 | .500 | .615 |
8.3. WBCでの打撃成績
年 度 | 代 表 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2017 | 日本 | 2 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .250 | .000 | .250 |
8.4. 年度別守備成績
年 度 | 球 団 | 試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2007 | 中日 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
2008 | 35 | 39 | 1 | 1 | 0 | .976 | |
2009 | 28 | 41 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2010 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2011 | 109 | 181 | 8 | 0 | 1 | 1.000 | |
2012 | 87 | 175 | 4 | 0 | 0 | .982 | |
2013 | 108 | 209 | 5 | 2 | 1 | .991 | |
2014 | 115 | 268 | 9 | 1 | 1 | .996 | |
2015 | 128 | 234 | 6 | 1 | 1 | .996 | |
2016 | 115 | 195 | 6 | 2 | 1 | .990 | |
2017 | 66 | 120 | 3 | 0 | 1 | 1.000 | |
2018 | 134 | 217 | 9 | 1 | 3 | .996 | |
2019 | 94 | 147 | 5 | 2 | 2 | .987 | |
2020 | 51 | 74 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
2021 | 20 | 31 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2022 | 29 | 26 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
通算 | 1125 | 1963 | 58 | 10 | 11 | .995 |
9. 著書
平田良介は、以下の書籍を執筆または出版している。
- 『平田良介メッセージBOOK:自然体主義』(廣済堂出版、2016年6月、ISBN 9784331520277)
10. メディア出演
平田良介は、以下のウェブテレビ番組や舞台公演など、様々なメディアに出演している。
10.1. ウェブテレビ
- プロ野球×将棋特番・プロ野球最強将棋王決定戦(2020年12月20日、ニコニコ生放送)※YouTubeでは2021年2月に2回に分けて配信
10.2. 舞台
- 青空メロディーズ~2nd melody~(2024年7月27日、新宿村LIVE)
11. 背番号
平田良介がプロ選手およびコーチキャリア中に着用した背番号と、その使用期間は以下の通りである。
- 8(2006年 - 2010年、2017 WBC)
- 40(2011年 - 2013年)
- 6(2014年 - 2022年)
- 79(2025年 - )
12. 登場曲
平田良介が選手時代に打席に入る際に使用した登場曲は以下の通りである。
- 「Dear Mama feat. 小田和正」LGYankees(2010年)
- 「ココロのちず」BOYSTYLE(奇数打席)
- 「FAITH」Ruppina(偶数打席)(2011年 - 2012年途中)
- 「Alright!!」Superfly(2012年途中)
- 「PUSH」ももいろクローバーZ(2013年)
- 「夢よ!叶え! ~raise voice~」オクダシンイチ(2014年)
- 「君さえいれば」DEEN(2015年)
- 「Fight against yourself」ROOKiEZ is PUNK'D(2016年-2017年、2022年途中 - )
- 同バンドのボーカル&ギターであり中日ファンであるSHiNNOSUKEが、平田のために書き下ろした曲である。
- 「This is Me(映画『グレイテスト・ショーマン』より)」キアラ・セトル&ザ・グレイテスト・ショーマン・アンサンブル(2018年)
- 「WE WILL ROCK YOU」QUEEN(2019年 - 2020年)
- 「お願いマッスル」ファイルーズあい・石川界人(2021年 - )