1. 概要
ヘンリー・アームストロング・ミラーは、1969年7月16日に日本の東京都立川市で生まれ、幼少期をアメリカ合衆国ミズーリ州セントルイスで過ごした、元大相撲力士であり総合格闘家、キックボクサーである。大相撲では「戦闘竜」の四股名で活躍し、アメリカ合衆国本土出身のアフリカ系アメリカ人として初めて日本の最高位である幕内に到達した。彼のキャリアは、相撲界での度重なる怪我と復帰、そしてその後の総合格闘技やキックボクシングへの転身という、異例かつ波乱に富んだものだった。
相撲界での独自性、そして格闘技の世界での挑戦は、彼が困難に直面しても決して諦めない、闘志と精神力の強さを示している。特に、アメリカ本土出身の黒人力士として日本の国技である相撲界で地位を築いた彼の足跡は、異文化交流と多様性の象徴としても評価されるべきである。本記事では、ヘンリー・アームストロング・ミラーの生涯とキャリアを、その粘り強い闘争心と人間的魅力を中心に考察する。
2. 生い立ちと相撲入門
2.1. 幼少期と教育
ヘンリー・アームストロング・ミラーは、1969年7月16日、日本の東京都立川市にある横田基地で生まれた。彼の父親は横田基地に所属するアフリカ系アメリカ人のコンピューター技術師であり、母親は日本人であった。彼のミドルネーム「アームストロング」は、彼が生まれた日と同時期にアポロ11号が地球を出発し、ニール・アームストロングが月面に着陸したことにちなんで、父親によって名付けられた。
ミラーは6歳まで横田基地内で日本に居住し、1975年に家族と共にアメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス郊外のファーガソンに移住した。幼少期からスポーツに親しみ、アメリカンフットボールやレスリングに熱中した。高校時代にはアメリカンフットボール選手としてのプロ入りを夢見ていたが、最終学年時に膝の怪我を負い、その夢を断念せざるを得なくなった。しかし、レスリングでは小学校から続けており、州大会に出場するほどの実力を持っていた。
2.2. 相撲界への入門
1987年に高校を卒業した後、ミラーは親戚からの誘いを受け、プロの大相撲の世界に挑戦するため再び日本へ渡った。彼は友綱部屋に入門し、そこで将来の大関魁皇と出会うことになる。
部屋に入門後、彼は「戦闘竜」という四股名を与えられた。この四股名は、「闘う龍」を意味するだけでなく、彼の出身地である「セントルイス」にちなんだ語呂合わせでもあった。1988年7月場所で初土俵を踏んだ際の体格は、身長174 cm、体重94 kgと、力士としては比較的小柄であった。
3. 相撲経歴
3.1. 昇進と停滞
ヘンリー・アームストロング・ミラーこと戦闘竜は、1988年9月場所で序ノ口の優勝を果たし、同期入門のアメリカ合衆国出身力士であるシンニシキを破って優勝を決めた。1991年には初めて幕下に昇進したが、度重なる怪我に見舞われ、この地位に定着するまでには1993年まで時間を要した。
1994年11月場所では、ついに関取の座を獲得し、十両に昇進した。これはアメリカ合衆国本土出身の力士として、またアフリカ系アメリカ人としても史上初の十両昇進であり、彼が東京都立川市出身と扱われた場合も史上初となる快挙であった。しかし、十両での在位はわずか2場所で終わり、再び幕下へと降格した。
この後、無給の幕下で4年以上も苦労を重ねる時期が続いた。1997年には四股名を「魁心山」と改名している。1999年5月場所では、7戦全勝で幕下優勝を果たし、その年の7月場所に十両へ返り咲いた。特に千秋楽で後の大関琴光喜(当時、琴斗宮)を破っての優勝は、彼のキャリアにおけるハイライトの一つとされている。
その後、四股名を再び「戦闘竜」に戻し、2000年3月場所では十両で13勝2敗という好成績を収めた。同年5月場所で8勝7敗と勝ち越し、ついに7月場所で念願の幕内昇進を果たした。初土俵から幕内昇進までにかかった期間は72場所であり、これは外国出身力士としては最もスローな記録であった。
3.2. 負傷と引退
戦闘竜は、2000年7月場所の幕内デビュー戦で8勝7敗と勝ち越したが、同年9月場所では5勝10敗と負け越し、すぐに十両に降格した。さらに、同年11月場所を休場し、2001年1月場所も欠場することになった。その後も十両で粘り強く戦い、2002年1月場所には一度だけ幕内に復帰したものの、同年3月場所と5月場所を欠場するほどの重傷を負い、番付は再び幕下まで大きく落ち込んだ。
しかし、彼は決して諦めることなく、2003年9月場所には再び十両に返り咲いた。この時、彼は34歳1ヶ月であり、これは第二次世界大戦後において十両に復帰した力士としては5番目に高齢の記録であった。だが、この復帰も長くは続かず、同年11月場所中に再び怪我に見舞われ、同場所で武蔵丸と同時に現役引退を表明した。現役を通じて度重なる怪我に苦しめられたにもかかわらず、その度に不屈の闘志で土俵に立ち続けた彼の姿勢は、多くの相撲ファンから称賛と尊敬を集めた。関取として過ごした期間は合計20場所であり、これはアメリカ合衆国本土出身の力士としては群を抜いて最も成功したキャリアであった。
3.3. 相撲スタイルと四股名
戦闘竜の相撲スタイルは、アメリカンフットボールやレスリングで培った爆発的な力を活かした、強烈な突きや押しを主体とするものであった。得意な決まり手は押し出し、叩き込み、引き落としが多かった。しかし、相手の引き技や変化についていけない場面も目立ち、これが幕内に定着できなかった一因ともなっている。
彼の力士時代の四股名には以下の変遷がある。
- 戦闘竜 広光(せんとりゅう ひろみつ):1988年7月場所 - 1997年5月場所
- 魁心山 扁利(かいしんざん へんり):1997年7月場所 - 1999年5月場所
- 戦闘竜 扁利(せんとりゅう へんり):1999年7月場所 - 2003年11月場所
日本以外の地域での活動では、本名の「ヘンリー・ミラー」をリングネームとして使用することもあった。
3.4. 主なエピソード
戦闘竜の相撲力士時代には、その人間性や闘志を示す多くのエピソードが残されている。
- アメリカ合衆国出身の非日系力士で関取に昇進した者は数多くいるが、ハワイ州以外の出身者では戦闘竜が唯一の存在である(彼の本籍地はミズーリ州とされている)。
- 戦闘竜と英語で日常会話が出来るようにと元幕下・小倉錦(現在はタレント、イベントプロデューサーの殿畑大作)が師匠の友綱(元関脇・魁輝)に「学費を出していただけるなら僕が勉強します」と申し出て英会話教室に通って英会話が出来るように努力したが、結局1年後には戦闘竜が日本語を覚えてしまったので小倉錦の英語学習は打ち切りとなった。
- 彼が新十両に昇進した場所では、友綱部屋の後援会から、人気漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の主人公である両津勘吉が描かれた化粧廻しが贈られた。当時、漫画キャラクターをデザインした化粧廻しはまだ珍しく、後の化粧廻しのカジュアル化の先駆けともいえる出来事であった。ちなみに、同漫画の単行本第76巻では、両津が乗るパワーボートの名前が「戦闘竜」となっている。
- 相撲の立ち合いで頭から当たる取り口を続けたためか、20代後半から髪が薄くなり始め、30代になると髷を結うことが困難になった。彼が十両復帰を目指していた1997年から1999年頃には、同部屋の兄弟子である魁皇から、「早く十両に戻ってこないと、大銀杏が結えなくなっちゃうよ」と冗談交じりの激励を受けていたという。
- 1964年3月場所に高見山が入門して以降、アメリカ合衆国出身力士が途切れることはなかったが、戦闘竜が引退した2003年11月場所の番付には、他に武蔵丸しかおらず、武蔵丸もこの場所中に引退したため、戦闘竜の引退をもって一時的にアメリカ合衆国出身力士が大相撲から姿を消した。
- 同じ友綱部屋の魁皇とは大の仲良しで、親友と呼べる存在であった。1995年から1998年にかけて膝や肩の怪我に相次いで見舞われ、番付を大きく落とし、引退して帰国しようかとまで悩んだ時期があったが、その際に魁皇が物凄い剣幕で彼を引き留め、真剣に説得したことで彼は奮起し、再び幕内に昇進することができた。2000年5月場所で魁皇が幕内最高優勝を初優勝した際には、言葉を交わすことなく強く握手し、抱き合って共に涙を流したという。
- 2001年7月場所では、立ち合いで何度も変化してくる玉力道に対し、一発で相手をノックアウトして勝利した取り組みがある。これは2000年11月場所での怪我による休場の恨みを晴らした試合として記憶されている。
- 私生活では、2000年9月に結婚している。
- 一時期、一部メディアで大麻疑惑が報じられたことがあった。しかし、当時の師匠である10代友綱(元関脇魁輝)は、世話人の王湖や弟子である魁皇を集め、「もし戦闘竜がクロだったら、オレは協会を辞めるから。後は頼んだぞ」と、自身の立場を賭けて弟子の潔白と信頼を示したというエピソードが残っている。
4. 総合格闘技・キックボクシング経歴
4.1. 格闘技転向と活動開始
大相撲を引退した戦闘竜は、2004年にプロの格闘家へと転身した。2004年2月15日、PRIDEのリングに上がり、PRIDE 武士道 -其の弐-の会場で正式にPRIDE参戦を表明した。これは、1年前に曙が大相撲から格闘技へ転身した例を見ていた千代大海が、彼をPRIDEに推薦したことによるものだった。
2004年4月25日、PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦のヘビー級グランプリ1回戦で、ジャイアント・シルバを相手に総合格闘技デビュー戦を行ったが、チキンウィングアームロックで一本負けを喫した。しかし、同年10月14日のPRIDE 武士道 -其の伍-では、マル・"ザ・ツイン・タイガー"との対戦でKO勝ちを収め、格闘技転向後初の勝利を飾った。試合前には「曙よりも先に勝つ」と公言しており、それを実現した後にリング上で「相撲は強いんだよ!」と力強くアピールし、相撲界出身の格闘家としての誇りを示した。
2004年12月31日、PRIDE 男祭り 2004では、元柔道シドニーオリンピック金メダリストの瀧本誠と対戦したが、判定で敗れた。
4.2. 主な試合と実績
総合格闘家としての戦闘竜の戦績は、23戦6勝16敗1ノーコンテスト(6勝のうち5勝がKO、1勝が一本勝ち、16敗のうち13敗がKO、2敗が一本負け、1敗が判定負け)である。キックボクシングの戦績は、5戦1勝4敗(1勝がKO、4敗がKO負け)であった。
特筆すべき試合には以下のものがある。
- 2007年3月23日、HEAT初参戦となるHEAT 3でキム・ジフンにTKO勝ちを収めた。
- 2007年8月5日、K-1初参戦を果たし、K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONGのASIA GPに出場。1回戦で金泰泳と対戦したが、右ハイキックでKO負けを喫した。
- 2008年12月14日、HEAT総合ルールヘビー級トーナメントに参戦し、1回戦で濱田順平をKOで下した。
- 2009年3月28日、HEAT9のトーナメント準決勝で野地竜太と対戦し、KO勝利を収めた。
- 2009年7月18日、HEAT10のトーナメント決勝でクリスチアーノ上西と対戦するも、ローブローを受けて試合続行不可能となり、ノーコンテストとなった。同年9月26日、HEAT11で上西と再戦したが、3ラウンド終了後の延長ラウンドでTKO負けを喫し、HEATヘビー級王座獲得はならなかった。
- 2009年11月27日、韓国で開催されたThe Khan 2において、キム・ミンスにKO勝利を収めた。
- 2010年3月7日、SRCに初参戦し、SRC12で中尾"KISS"芳広と対戦したが、パウンドによるTKO負けとなった。
- 2010年12月25日には、キックボクシングイベント「Survivor ~Round.6~」で、元関脇若翔洋(馬場口洋一)と対戦し、1ラウンドTKO勝利を収めた。これは、かつて1994年11月の相撲の取組で若翔洋との対戦中に負傷し、その責任を若翔洋に感じていたミラーにとって、長年の因縁に決着をつける試合となった。元関取同士によるK-1マッチは史上初であった。
4.3. 格闘技選手生活の終焉
ヘンリー・アームストロング・ミラーは、2013年8月25日にDEEP 63 IMPACTで行われた中村和裕との試合を最後に、プロ格闘家としてのキャリアを終えた。この引退試合では、パンチの連打を受けてKO負けを喫した。
5. 私生活と引退後
5.1. 家族関係と結婚
ヘンリー・アームストロング・ミラーは、大相撲力士時代の2000年9月に結婚している。幼少期はミズーリ州セントルイスと東京都の横田基地を拠点としていた。
5.2. 引退後の活動
総合格闘家としての現役生活を終えた後、戦闘竜は一度、元妻の実家が経営するタイの工場で働いていた。しかし、2018年にこの職を退いた。
現在は再婚しており、タイに本社を置く食品製造会社の日本営業部に勤務している。彼がこの職務で大きな成果を上げていることが知られている。
6. 評価と遺産
6.1. スポーツ界における独自の位置づけ
ヘンリー・アームストロング・ミラーは、アメリカ合衆国本土出身のアフリカ系アメリカ人として、日本の国技である大相撲の世界で幕内まで到達した唯一無二の存在である。彼の足跡は、異文化の中での挑戦と適応、そして多様性の価値を示すものとして、日本のスポーツ史において特筆すべき意義を持つ。彼は、ハワイ州以外の地域から来た外国人力士の先駆けとして、その後の力士たちにも道を開いた。度重なる怪我を乗り越え、何度も番付を落としながらも関取の地位に返り咲いた不屈の精神は、彼のキャリアを単なる相撲力士のそれ以上のものとしている。
6.2. 闘志と人間性への評価
戦闘竜は、その粘り強い闘争心と困難に立ち向かう精神力で多くのファンを魅了した。特に、相撲力士時代に経験した数々の怪我にもかかわらず、その度に土俵への復帰を果たした姿は、並々ならぬ精神力の持ち主であったことを物語っている。
また、彼の人間性も高く評価されている。同部屋の魁皇との深い友情は、彼がどれほど仲間を大切にし、また仲間からも深く信頼されていたかを示す象徴的なエピソードである。魁皇が彼の引退を思いとどまらせたことや、魁皇の初優勝時に共に涙した場面は、プロスポーツの世界における人間的な絆の重要性を教えてくれる。さらに、一時期報じられた大麻疑惑に対して、師匠が自らの進退を賭けて彼の潔白を信じたというエピソードも、彼の誠実な人柄と師弟の信頼関係の深さを表している。相撲界で培ったその闘志と人間性は、総合格闘技やキックボクシングへの転身後も彼を支え、新たなフィールドでの挑戦を可能にした。
7. 詳細試合記録
7.1. 相撲経歴記録
項目 | 記録 |
---|---|
通算成績 | 351勝253敗77休(勝率.581) |
幕内成績 | 19勝26敗(勝率.422) |
現役在位 | 93場所 |
幕内在位 | 3場所 |
各段優勝 | 幕下優勝1回(1999年5月場所) 序ノ口優勝1回(1988年9月場所) |
場所 | 番付 | 成績 | 備考 |
---|---|---|---|
1988年 | |||
5月場所 | 前相撲 | - | 初土俵 |
7月場所 | 番付外 | - | |
9月場所 | 東序ノ口51 | 6勝1敗 | 優勝 |
11月場所 | 西序二段119 | 4勝3敗 | |
1989年 | |||
1月場所 | 西序二段89 | 4勝3敗 | |
3月場所 | 西序二段59 | 5勝2敗 | |
5月場所 | 東序二段22 | 2勝5敗 | |
7月場所 | 東序二段56 | 全休 | 怪我により休場 |
9月場所 | 西序二段126 | 6勝1敗 | |
11月場所 | 東序二段52 | 3勝1敗3休 | |
1990年 | |||
1月場所 | 西序二段72 | 5勝2敗 | |
3月場所 | 東序二段25 | 6勝1敗 | |
5月場所 | 西三段目66 | 6勝1敗 | |
7月場所 | 東三段目18 | 全休 | 怪我により休場 |
9月場所 | 東三段目78 | 5勝2敗 | |
11月場所 | 東三段目44 | 6勝1敗 | |
1991年 | |||
1月場所 | 東幕下60 | 1勝2敗4休 | |
3月場所 | 西三段目35 | 全休 | 怪我により休場 |
5月場所 | 西三段目35 | 6勝1敗 | |
7月場所 | 東幕下55 | 3勝3敗1休 | |
9月場所 | 東三段目6 | 全休 | 怪我により休場 |
11月場所 | 東三段目6 | 2勝5敗 | |
1992年 | |||
1月場所 | 西三段目34 | 2勝5敗 | |
3月場所 | 西三段目61 | 5勝2敗 | |
5月場所 | 西三段目30 | 4勝3敗 | |
7月場所 | 西三段目18 | 3勝4敗 | |
9月場所 | 東三段目33 | 3勝4敗 | |
11月場所 | 東三段目51 | 6勝1敗 | |
1993年 | |||
1月場所 | 東三段目5 | 6勝1敗 | |
3月場所 | 西幕下34 | 4勝3敗 | |
5月場所 | 西幕下23 | 4勝3敗 | |
7月場所 | 西幕下16 | 4勝3敗 | |
9月場所 | 東幕下12 | 全休 | 怪我により休場 |
11月場所 | 東幕下12 | 5勝2敗 | |
1994年 | |||
1月場所 | 西幕下7 | 2勝5敗 | |
3月場所 | 東幕下22 | 6勝1敗 | |
5月場所 | 東幕下9 | 5勝2敗 | |
7月場所 | 西幕下4 | 5勝2敗 | |
9月場所 | 東幕下2 | 6勝1敗 | |
11月場所 | 東十両12 | 9勝6敗 | 新十両 |
1995年 | |||
1月場所 | 東十両9 | 6勝9敗 | |
3月場所 | 東幕下1 | 3勝4敗 | |
5月場所 | 西幕下5 | 4勝3敗 | |
7月場所 | 東幕下3 | 4勝3敗 | |
9月場所 | 西幕下2 | 0勝2敗5休 | 怪我により休場 |
11月場所 | 東幕下37 | 全休 | 怪我により休場 |
1996年 | |||
1月場所 | 東幕下37 | 5勝2敗 | |
3月場所 | 東幕下21 | 2勝5敗 | |
5月場所 | 西幕下40 | 4勝3敗 | |
7月場所 | 東幕下31 | 6勝1敗 | |
9月場所 | 東幕下13 | 5勝2敗 | |
11月場所 | 東幕下5 | 3勝4敗 | |
1997年 | |||
1月場所 | 東幕下8 | 6勝1敗 | |
3月場所 | 東幕下2 | 2勝5敗 | |
5月場所 | 東幕下14 | 2勝5敗 | |
7月場所 | 西幕下29 | 6勝1敗 | この場所より「魁心山」に改名 |
9月場所 | 西幕下12 | 4勝3敗 | |
11月場所 | 東幕下10 | 6勝1敗 | |
1998年 | |||
1月場所 | 東幕下2 | 2勝5敗 | |
3月場所 | 西幕下13 | 1勝6敗 | |
5月場所 | 西幕下36 | 6勝1敗 | |
7月場所 | 東幕下16 | 4勝3敗 | |
9月場所 | 西幕下12 | 4勝3敗 | |
11月場所 | 東幕下8 | 3勝4敗 | |
1999年 | |||
1月場所 | 東幕下14 | 4勝3敗 | |
3月場所 | 西幕下11 | 4勝3敗 | |
5月場所 | 東幕下9 | 7勝0敗 | 優勝 |
7月場所 | 西十両11 | 8勝7敗 | この場所より「戦闘竜」に再改名 |
9月場所 | 西十両10 | 6勝9敗 | |
11月場所 | 西十両13 | 9勝6敗 | |
2000年 | |||
1月場所 | 西十両9 | 7勝8敗 | |
3月場所 | 東十両11 | 13勝2敗 | |
5月場所 | 東十両2 | 8勝7敗 | |
7月場所 | 東前頭13 | 8勝7敗 | 新入幕 |
9月場所 | 西前頭12 | 5勝10敗 | |
11月場所 | 東十両1 | 3勝5敗7休 | 怪我により途中休場 |
2001年 | |||
1月場所 | 西十両9 | 全休 | 怪我により休場 |
3月場所 | 西十両9 | 9勝6敗 | |
5月場所 | 西十両4 | 7勝8敗 | |
7月場所 | 東十両6 | 9勝6敗 | |
9月場所 | 西十両2 | 7勝8敗 | |
11月場所 | 西十両3 | 8勝7敗 | |
2002年 | |||
1月場所 | 東前頭15 | 6勝9敗 | 再入幕 |
3月場所 | 東十両3 | 全休 | 怪我により休場 |
5月場所 | 東幕下1 | 全休 | 怪我により休場 |
7月場所 | 東幕下41 | 5勝2敗 | |
9月場所 | 東幕下26 | 2勝5敗 | |
11月場所 | 西幕下44 | 6勝1敗 | |
2003年 | |||
1月場所 | 西幕下18 | 5勝2敗 | |
3月場所 | 東幕下9 | 4勝3敗 | |
5月場所 | 西幕下6 | 4勝3敗 | |
7月場所 | 西幕下3 | 5勝2敗 | |
9月場所 | 西十両11 | 4勝11敗 | 再十両 |
11月場所 | 西幕下5 | 2勝5敗 | 現役引退 |
7.2. 幕内対戦成績
力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
蒼樹山 | 1 | 0 | 朝乃若 | 0 | 2 | 安美錦 | 1 | 2 | 皇司 | 0 | 2 |
大碇 | 0 | 1 | 小城錦 | 1 | 1 | 海鵬 | 1 | 1 | 旭鷲山 | 0 | 1 |
旭天鵬 | 1 | 0 | 金開山 | 2 | 0 | 光法 | 1 | 0 | 琴ノ若 | 0 | 1 |
琴龍 | 1 | 0 | 敷島 | 1 | 0 | 十文字 | 0 | 1 | 大至 | 1 | 0 |
高見盛 | 0 | 1 | 玉春日 | 0 | 1 | 千代天山 | 0 | 1 | 闘牙 | 0 | 1 |
時津海 | 3 | 0 | 栃栄 | 1 | 1 | 濱錦 | 1 | 0 | 濱ノ嶋 | 0 | 2 |
肥後ノ海 | 0 | 1 | 武雄山 | 0 | 1 | 湊富士 | 0 | 2 |
7.3. 総合格闘技経歴記録
結果 | 戦績 | 対戦相手 | 試合形式 | 大会名 | 開催年月日 | ラウンド | 時間 | 開催地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
敗 | 6勝16敗1NC | 中村和裕 | KO(スタンドパンチ連打) | DEEP 63 IMPACT | 2013年8月25日 | 1 | 4:42 | 日本東京都 | オープンウェイト戦 |
敗 | 6勝15敗1NC | ソア・パラレイ | TKO(パンチ連打) | K-Oz Entertainment: Bragging Rights | 2012年9月3日 | 1 | 1:26 | オーストラリアパース | |
敗 | 6勝14敗1NC | 井上俊介 | TKO(スタンドパンチ連打) | HEAT 20 | 2011年12月17日 | 1 | 1:43 | 日本 東京都 | |
敗 | 6勝13敗1NC | マイルズ・タイナネス | TKO(パウンド) | HEAT 19 | 2011年9月25日 | 1 | 3:29 | 日本 名古屋市 | |
敗 | 6勝12敗1NC | ℃-BOY | チョークスリーパー | GLADIATOR 23 | 2011年9月3日 | 1 | 1:40 | 日本 広島市 | |
敗 | 6勝11敗1NC | 金泰泳 | TKO(タオル投入) | HEAT 16 | 2010年11月6日 | 1 | 4:01 | 日本 大阪市 | |
敗 | 6勝10敗1NC | 中尾"KISS"芳広 | TKO(パウンド) | SRC12 | 2010年3月7日 | 2 | 3:27 | 日本 東京都 | |
勝 | 6勝9敗1NC | キム・ミンス | KO(膝蹴り) | The Khan 2 | 2009年11月27日 | 1 | 1:12 | 韓国ソウル | |
敗 | 5勝9敗1NC | イ・チャンソプ | TKO(右フック) | HEAT 12 | 2009年11月1日 | 1 | 0:52 | 日本 名古屋市 | |
敗 | 5勝8敗1NC | クリスチアーノ上西 | TKO(パウンド) | HEAT 11 【総合ルール ヘビー級トーナメント 決勝】 | 2009年9月26日 | 3 | 3:36 | 日本 東京都 | オープンウェイト戦 |
無効試合 | 5勝7敗1NC | クリスチアーノ上西 | ノーコンテスト(ローブロー) | HEAT 10 【総合ルール ヘビー級トーナメント 決勝】 | 2009年7月18日 | 1 | 0:54 | 日本 東京都 | |
勝 | 5勝7敗 | 野地竜太 | KO(右フック→パウンド) | HEAT 9 【総合ルール ヘビー級トーナメント 準決勝】 | 2009年3月28日 | 1 | 1:14 | 日本 名古屋市 | |
勝 | 4勝7敗 | 濱田順平 | KO(パウンド) | HEAT 8 【総合ルール ヘビー級トーナメント 1回戦】 | 2008年12月14日 | 1 | 0:52 | 日本 東京都 | |
敗 | 3勝7敗 | クリスチアーノ上西 | KO(左ハイキック) | DEEP 29 IMPACT | 2007年4月13日 | 1 | 4:00 | 日本 東京都 | |
勝 | 3勝6敗 | キム・ジフン | TKO(右フック) | HEAT 3rd. in ZEPP NAGOYA | 2007年3月23日 | 1 | 4:58 | 日本 名古屋市 | |
敗 | 2勝6敗 | ムスタファ・アルターク | TKO(打撃) | Cage Rage 18: Battleground | 2006年9月30日 | 1 | 0:56 | イングランドロンドン | |
勝 | 2勝5敗 | 小椋誠志 | チョークスリーパー | パンクラス PANCRASE 2006 BLOW TOUR | 2006年8月27日 | 1 | 1:37 | 日本 横浜市 | |
敗 | 1勝5敗 | ロバート・ベリー | TKO(パウンド) | Cage Rage 17: Ultimate Challenge | 2006年7月1日 | 1 | 1:06 | イングランド ロンドン | |
敗 | 1勝4敗 | ズール | TKO(グラウンドの膝蹴り) | PRIDE.30 STARTING OVER | 2005年10月23日 | 1 | 1:31 | 日本 さいたま市 | スーパーヘビー級戦 |
敗 | 1勝3敗 | ジェームス・トンプソン | KO(右アッパー) | PRIDE 武士道 -其の八- | 2005年7月17日 | 1 | 1:21 | 日本 名古屋市 | |
敗 | 1勝2敗 | 瀧本誠 | 判定0-3 | PRIDE 男祭り 2004 -SADAME- | 2004年12月31日 | 3 | 5:00 | 日本 さいたま市 | |
勝 | 1勝1敗 | マル・"ザ・ツイン・タイガー" | KO(右フック→パウンド) | PRIDE 武士道 -其の伍- | 2004年10月14日 | 1 | 0:21 | 日本 大阪市 | |
敗 | 0勝1敗 | ジャイアント・シルバ | チキンウィングアームロック | PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦 【ヘビー級グランプリ 1回戦】 | 2004年4月25日 | 1 | 4:04 | 日本 さいたま市 |
7.4. キックボクシング経歴記録
結果 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 | ラウンド | 時間 | 開催地 | 備考 |
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敗 | 楠ジャイロ | 1R 1:45 TKO(レフェリーストップ) | HEAT 26 | 2013年3月31日 | 1 | 1:45 | 日本 名古屋市 | |
勝 | 池野榮司 | 1R 0:13 KO | GLADIATOR 25 | 2011年10月30日 | 1 | 0:13 | 日本 岡山県 | |
勝 | 若翔洋 | 1R 1:06 TKO(レフェリーストップ) | Survivor ~Round.6~ | 2010年12月25日 | 1 | 1:06 | 日本 東京都 | 元関取同士のK-1戦 |
敗 | 高萩ツトム | 2R 1:09 TKO(タオル投入) | Big bang 2 ~ビッグバン 統一への道 其の弐~ | 2010年7月31日 | 2 | 1:09 | 日本 | |
敗 | 金泰泳 | 1R 1:43 KO(右ハイキック) | K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONG 【ASIA GP 1回戦】 | 2007年8月5日 | 1 | 1:43 | 香港 |