1. Overview
田代有三は、福岡県福岡市出身の元プロサッカー選手で、フォワードとして活躍しました。彼は福岡大学附属大濠高等学校と福岡大学でプレーし、大学時代にはユニバーシアードで日本代表として優勝を経験しました。プロキャリアでは、鹿島アントラーズ、モンテディオ山形、ヴィッセル神戸、セレッソ大阪など、複数のJリーグクラブでプレーし、2008年には日本代表として国際試合にも出場しました。その後、オーストラリアのウロンゴン・ウルブスFCでもプレーし、2018年に現役を引退しました。
2. 生涯と教育
2.1. 幼少期と学生時代
田代有三は1982年7月22日に福岡県福岡市で生まれました。彼は福岡大学附属大濠高等学校でサッカーを始め、その後福岡大学に進学しました。大学時代には、フォワードとして高い評価を受け、「大学No.1FW」と称されました。また、韓国大邱で開催された第22回ユニバーシアードのサッカー競技では、日本代表の一員として出場し、チームの優勝に貢献しました。
2.2. 特別指定選手としての活動
大学在学中の2003年と2004年には、JリーグとJFAによって特別指定選手に選出されました。この制度により、彼は大学のクラブでプレーする資格を維持しながら、プロのクラブに登録することが可能となりました。2003年には大分トリニータに、2004年にはサガン鳥栖にそれぞれ特別指定選手として登録されました。大分では1試合、鳥栖では10試合に出場し、プロとしてのキャリアの基礎を築きました。
3. 選手経歴
3.1. クラブキャリア
2005年に大学を卒業した後、田代有三は鹿島アントラーズに加入しました。2006年シーズンからは出場機会を増やし、チームの主力選手の一人となりました。しかし、2008年のJ1第5節ジェフユナイテッド市原・千葉戦以降、25試合連続でゴールがなく、フォワードの興梠慎三とのポジション争いにより、控えに回ることが多くなりました。田代をターゲットマンとする戦術も、チームのオプションの一つとなりました。2009年には、新加入のフォワード大迫勇也の台頭もあり、出場時間が大幅に減少しました。
2010年1月6日、出場機会を求めて、ミッドフィールダーの増田誓志と共にモンテディオ山形へ期限付き移籍しました。山形ではレギュラーとして活躍し、リーグ戦で自身最多となる10得点を記録しました。
2011年に鹿島アントラーズに復帰しました。シーズン途中からは、同じく復帰した増田と共にレギュラーに定着しました。新外国人フォワードのカルロンの不振もあり、空中戦に強い田代をフォワードの軸とする戦術が採用されました。このシーズン、彼はリーグ戦で12得点を挙げ、2年連続で自己最多得点を更新しましたが、シーズン終了後に鹿島を退団することが決定しました。
2012年、ヴィッセル神戸へ完全移籍しました。当初はターゲットマンとしての活躍が期待されましたが、足首の故障により1ヶ月以上出遅れました。J1第7節の柏レイソル戦で移籍後初出場を果たし、初得点も記録しました。その後も故障による離脱を繰り返しましたが、出場した試合では高い決定力と優れたキープ力を見せました。2013年は、神戸のJ2降格に伴い、プロ入り後初めてJ2でのプレーとなりました。シーズン序盤の13試合で6得点と好調なスタートを切りましたが、その後は第14節から第42節までの間でわずか2得点にとどまり、シーズン終盤にはスタメン落ちが増えるなど、不完全燃焼のシーズンとなりました。2014年シーズンは、マルキーニョスやペドロ・ジュニオールといった新外国人選手の加入により、出場機会がさらに減少しました。2015年1月19日、本人の申し出により、ヴィッセル神戸との契約満了が発表されました。当初は海外移籍を理由に退団しましたが、2015年3月にセレッソ大阪へ移籍しました。2016年シーズン限りで契約満了によりセレッソ大阪を退団しました。
2017年3月、オーストラリアのナショナル・プレミアリーグスNSW(オーストラリア2部相当)に所属するウロンゴン・ウルブスFCへ移籍しました。
3.2. 代表キャリア
田代有三は2008年に日本代表に初招集されました。これは、巻誠一郎などの負傷により、東アジア選手権2008(中国重慶開催)の追加メンバーとしての招集でした。2008年2月17日の朝鮮民主主義人民共和国戦で代表デビューを果たしました。2月20日の中国代表戦では、前半17分に駒野友一のクロスボールに反応し、相手選手を引きつける役割を果たすことで、山瀬功治の決勝ゴールをアシストしました。また、後半43分には自身もゴールネットを揺らしましたが、これはオフサイドと判定され、代表初得点とはなりませんでした。
4. 成績
4.1. クラブ別成績
クラブ成績 | リーグ | カップ | リーグカップ | 大陸選手権 | 合計 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | アジア | 合計 | |||||||
2003 | 大分 | J1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 1 | 0 | |
2004 | 鳥栖 | J2 | 10 | 1 | 0 | 0 | - | - | 10 | 1 | ||
2005 | 鹿島 | J1 | 5 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | - | 9 | 1 | |
2006 | 20 | 7 | 4 | 2 | 8 | 2 | - | 32 | 11 | |||
2007 | 24 | 6 | 5 | 2 | 5 | 4 | - | 34 | 12 | |||
2008 | 27 | 3 | 2 | 0 | 1 | 0 | 8 | 5 | 38 | 8 | ||
2009 | 16 | 2 | 2 | 1 | 2 | 0 | 3 | 0 | 23 | 3 | ||
2010 | 山形 | 29 | 10 | 0 | 0 | 6 | 3 | - | - | 35 | 13 | |
2011 | 鹿島 | 22 | 12 | 1 | 1 | 3 | 1 | 3 | 1 | 29 | 15 | |
2012 | 神戸 | 18 | 6 | 1 | 0 | 1 | 0 | - | - | 20 | 6 | |
2013 | J2 | 35 | 8 | 1 | 0 | - | - | - | - | 36 | 8 | |
2014 | J1 | 13 | 1 | - | - | 7 | 0 | - | 20 | 1 | ||
2015 | C大阪 | J2 | 22 | 6 | 0 | 0 | - | - | 22 | 6 | ||
2016 | 6 | 2 | - | 0 | 0 | - | 6 | 2 | ||||
2016 | C大23 | J3 | 1 | 0 | - | - | - | 1 | 0 | |||
日本合計 | 249 | 66 | 16 | 6 | 35 | 10 | 14 | 6 | 336 | 87 | ||
オーストラリア | リーグ | カップ | リーグカップ | 大陸選手権 | 合計 | |||||||
2017 | ウロンゴン・ウルブス | NPL NSW | 21 | 10 | - | - | - | - | - | - | 21 | 10 |
2018 | 20 | 4 | - | - | - | - | - | - | 20 | 4 | ||
オーストラリア合計 | 41 | 14 | - | - | - | - | - | - | 41 | 14 | ||
キャリア合計 | 290 | 80 | 16 | 6 | 35 | 10 | 14 | 6 | 377 | 101 |
その他の公式戦:
- 2009年 スーパーカップ 1試合0得点
- 2015年 J1昇格プレーオフ 2試合0得点
- 2016年 J1昇格プレーオフ 1試合0得点
4.2. 代表チーム成績
日本代表 | ||
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2008 | 3 | 0 |
合計 | 3 | 0 |
5. 受賞歴
5.1. チーム受賞
- J1リーグ: 2007年、2008年、2009年(いずれも鹿島アントラーズ)
- 天皇杯: 2007年(鹿島アントラーズ)
- FUJI XEROX SUPER CUP: 2009年(鹿島アントラーズ)
6. 引退
田代有三は2018年10月20日、自身のInstagramアカウントを通じて現役からの引退を発表しました。彼は自身のサッカー人生を「最高なサッカー人生でした」と振り返りました。