1. 概要
髙橋 大輔(高橋 大輔、1986年3月16日生まれ)は、日本の元男子シングルおよびアイスダンスのフィギュアスケート選手であり、現在はアイスショープロデューサーとしても活動している。彼は、アジア男子フィギュアスケート選手として史上初めてオリンピックでメダル(銅メダル)を獲得し、また世界選手権でもアジア人男子として初の金メダルを獲得した、フィギュアスケート界のパイオニアである。
高橋のキャリアは、その卓越したスケーティング技術、豊かな表現力、そして困難を乗り越える粘り強さによって特徴づけられる。特に、2008年に前十字靭帯の断裂という選手生命を脅かす大怪我を負ったにもかかわらず、驚異的な回復力で復帰し、オリンピックメダルを獲得した物語は、多くの人々に感動とインスピレーションを与えた。彼の演技は、専門家や他の選手たちからも「ダンサーのよう」「氷上のアーティスト」と称賛され、音楽的感性と唯一無二の表現力が高く評価されている。
シングルの選手としては、2006年のトリノオリンピックで8位、2010年バンクーバーオリンピックで銅メダル、2014年ソチオリンピックで6位入賞を果たすなど、3大会連続でオリンピックに出場し入賞を達成した史上初の日本人フィギュアスケート選手である。また、世界選手権で1回、四大陸選手権で2回、グランプリファイナルで1回、そして全日本選手権で5回優勝するなど、主要な国際大会および国内大会で輝かしい成績を収めた。
2014年に一度競技から引退したが、2018年に32歳で競技復帰。その後、2019年には村元哉中をパートナーとしてアイスダンスに転向するという異例の挑戦を行い、2022年の四大陸選手権で銀メダルを獲得した。これは、異なる2つの種目で四大陸選手権のメダルを獲得した史上初の選手という快挙である。2023年に競技生活から最終的に引退した後も、プロデューサーとして革新的なアイスショーを制作するなど、フィギュアスケートの魅力を広めるための活動を続けている。彼のキャリアは、日本のフィギュアスケート界、特に男子シングルの発展に多大な影響を与え、後進の選手たちに多大なインスピレーションを与え続けている。
2. 幼少期と背景
髙橋大輔の幼少期の背景、フィギュアスケートを始めたきっかけ、そして選手生活初期の過程を説明します。
2.1. 幼少期と教育
髙橋大輔は1986年3月16日に岡山県倉敷市で4人兄弟の末っ子として生まれた。名前の「大輔」は嶋大輔にちなんで名付けられたという。幼少期は、内向的な性格を心配した両親によって少林寺拳法、野球、アイスホッケーなど様々なスポーツを経験させられたが、痛みや怖さを伴うものが苦手で長続きしなかった。体操には興味を示したが、岡山市内の体操教室に通うことが難しいため断念した。しかし、9歳の時、自宅のすぐ近くにスケートリンク(現在のヘルスピア倉敷)が建設されたことをきっかけに、母親と共に観覧に行った際にフィギュアスケートに魅了され、フィギュアスケートクラブに入会した。母親はアイスホッケーを希望していたが、彼は防具が嫌でフィギュアスケートを選んだという。
彼の家庭は決して裕福ではなかったが、家族一丸となって彼のスケートを支えた。また、地元の商店街の人々が「大輔ボトル」と呼ばれる有志の募金箱を設置し、カンパを募るなど、地域社会からも温かい支援を受けて育った。髙橋自身も、お年玉を全てスケート費用に充てるなど、幼い頃からスケートへの強い情熱を持っていた。
教育面では、関西大学文学部総合人文学科身体運動文化専修を卒業した。2008年4月には同大学院文学研究科総合人文学専攻身体文化専修博士前期課程に進学したが、修士論文の未提出のため2015年に中退している。彼はJOCシンボルアスリートにも選ばれ、JOCパートナー企業からの資金援助を受けていた。
2.2. ジュニア時代と初期の発展
髙橋は、全国有望新人発掘合宿(野辺山合宿)でその素質を見出された。1999年、倉敷市立連島中学校2年生の時に、長久保裕、佐野稔両コーチがいる宮城県仙台市のスケートリンク(現・アイスリンク仙台)で指導を受けるようになった。佐野コーチが仙台を離れることになった際に、プログラム作成を依頼されたのが長光歌子であり、これが彼と長光コーチの出会いとなった。
同年には、初の国際大会であるトリグラフトロフィーで優勝を飾った。その後、2001年には全国中学校体育大会で2連覇を達成し、全日本フィギュアスケートジュニア選手権でも優勝を果たすなど、国内のジュニア大会で頭角を現した。そして、2002年に世界ジュニア選手権で、日本人男子選手として初めて優勝を飾り、国際舞台での注目を集める存在となった。
3. シニア男子シングルキャリア
男子シングルスケート選手としての彼の主要な成績とキャリアの変化を時系列で詳細に説明します。
3.1. シニア初期とオリンピックデビュー (2002年-2006年)
2002-2003シーズンから本格的にシニアに参戦したが、当初は国際大会での成績が伸び悩んだ。この時期、髙橋と長光コーチは、1年間にわたりアメリカ、カナダ、ロシアを訪れ、著名なコーチたちの指導を仰いだが、すぐに顕著な成果には繋がらなかった。
2004-2005シーズンには、大学進学に伴う環境の変化や競技に対するプレッシャー、シーズン前半のアジア選手権で右足首の神経炎症を負ったことなどから、モチベーションが低下し、スケートをやめたいとさえ考える時期があった。しかし、全日本選手権で6位に沈んだことをきっかけに、気持ちが吹っ切れたという。年明けのユニバーシアードでは優勝を果たし、続く四大陸選手権では銅メダルを獲得した。
世界選手権では、共に出場した本田武史が予選で負傷し途中棄権したため、翌年の2006年トリノオリンピックの日本男子出場枠が髙橋の順位にかかるという大きなプレッシャーの中で演技に臨んだ。ショートプログラムでは7位と健闘したが、フリースケーティングでは冒頭の4回転ジャンプで転倒し、他のジャンプも失敗を連発した結果、総合15位に終わった。これにより、トリノオリンピックの日本男子出場枠は最小の1枠となってしまう。このシーズン終了後、髙橋はコーチ・振付師をニコライ・モロゾフに変更し、トレーナーのカルロス・アビラ・デ・ボルバと共に、フィジカル面とステップの強化に力を注ぎ始めた。
2005-2006シーズンには、スケートアメリカでISUグランプリシリーズ初優勝を果たし、本田武史に続く日本人男子2人目のグランプリシリーズ優勝者となった。続くNHK杯では3位に終わったものの、ショートプログラムではシングルの選手として世界で初めてステップで最高難度のレベル4を獲得した。初めて進出したグランプリファイナルでは銅メダルを獲得し、日本人男子として初の表彰台に立った。全日本選手権ではショートプログラム2位から逆転して初優勝を飾り、わずか1枠のトリノオリンピック男子シングル日本代表の座を掴み取った。トリノオリンピックでは、ショートプログラムで5位につけたものの、フリースケーティングで冒頭の4回転ジャンプの失敗やザヤックルール違反などにより得点が伸び悩み、総合8位入賞に留まった。
3.2. 国際舞台での台頭 (2006年-2008年)
2006-2007シーズン、髙橋は国際舞台での存在感を大きく高めた。NHK杯で優勝し、フリースケーティングでは約1年8ヶ月ぶりに4回転ジャンプの成功も果たした。2季連続で進出したグランプリファイナルでは、競技直前からの体調不良による腹痛や吐き気に耐えながらも最後まで滑り切り、日本人男子として過去最高となる2位を獲得した。全日本選手権では2位以下に大差をつけて2連覇を達成。2007年冬季ユニバーシアードでも2連覇を果たした。日本の東京で開催された世界選手権では、ショートプログラム3位、フリースケーティング1位という素晴らしい演技を見せ、日本男子史上最高位となる銀メダルを獲得した。この結果、織田信成が7位に入ったこともあり、翌2008年世界選手権の日本男子代表枠は最大の3枠が確保された。このシーズン後、ISUの世界ランキングで一時1位にランクされたが、ISUの採点基準の調整により2位に変動した。
2007-2008シーズンも好調を維持し、グランプリシリーズ初戦のスケートアメリカで優勝。2戦目のNHK杯では、日本人男子として五十嵐文男以来26年ぶりのNHK杯連覇を達成し、3季連続となるグランプリファイナル進出を出場ポイント1位通過で決めた。ファイナルではステファン・ランビエールにわずか0.26点及ばず2位となった。12月の全日本選手権ではフリースケーティングで4回転ジャンプを2度成功させ、再び2位以下に大差をつけて3連覇を達成した。続く四大陸選手権でもフリースケーティングで2度の4回転ジャンプを成功させ、フリースケーティングと総合得点でISU歴代最高記録を更新して初優勝を飾った。
優勝候補の筆頭として臨んだ世界選手権では、フリースケーティングでジャンプミスやザヤックルール違反により得点が伸びず、総合4位に終わった。2008年5月、コーチのニコライ・モロゾフが織田信成のコーチに就任したことを受け、髙橋はモロゾフとの契約を解除した。髙橋は、ライバルと同じコーチでは活動できないと判断したためと説明している。一方、モロゾフは髙橋のエージェントに対する不満を理由に挙げた。その後も髙橋は長光歌子コーチとジャンプコーチの本田武史の下で練習を続けた。
3.3. 怪我、復帰、そしてオリンピックメダル (2008年-2010年)
2008-2009シーズン、髙橋は選手生命を脅かす深刻な負傷に見舞われた。2008年10月末の練習中にトリプルアクセルで転倒し、右膝を負傷したため、出場を予定していたグランプリシリーズ中国杯を欠場した。その後の精密検査により、右膝の前十字靭帯と半月板を損傷していることが判明し、このシーズンの全大会への出場を断念して11月に手術を受けた。手術では右膝にボルトが挿入された。
約5ヶ月のリハビリを経て、2009年4月より氷上での練習を再開した。6月からはジャンプも跳び始め、リハビリで体の可動域が広がったため、跳び方を調整する必要があった。また、ジャンプ専門のコーチとして本田武史を迎え、ジャンプの指導を受け始めた。
2009-2010シーズン、髙橋は怪我からの復帰を果たし、10月のフィンランディア杯で優勝して国際競技会への復帰を飾った。スケートカナダでは2位となり、2季ぶりにグランプリファイナルにも出場した。ファイナルではショートプログラムで自己ベストとなる90.25点を記録して1位発進したが、フリースケーティングで5位となり、総合でも5位に終わった。しかし、全日本選手権では4度目の優勝を飾り、バンクーバーオリンピックの男子シングル日本代表に内定、2大会連続2回目の冬季オリンピック代表入りを果たした。

2010年バンクーバーオリンピックでは、ショートプログラムで90.25点という高得点をマークし、1位のエフゲニー・プルシェンコとわずか0.6点差の3位につけた。フリースケーティングでは冒頭の4回転トウループで転倒するなど細かなジャンプミスがあったものの、得意のステップと演技構成点では出場選手中最も高い評価を受けた。結果、フリースケーティングは5位だったが、総合得点では4位のステファン・ランビエールを0.51点差で上回り、総合3位で銅メダルを獲得した。これは、日本およびアジア人の男子シングルの選手としては史上初の冬季オリンピックのメダルという歴史的な快挙であった。
3.4. 世界タイトル獲得とオリンピック後の成功 (2010年-2014年)
バンクーバーオリンピックから約1ヶ月後、世界選手権では、ショートプログラム、フリースケーティングともに1位となり、完全優勝を果たした。これにより、髙橋は男子シングルにおいて日本・アジアで史上初の世界チャンピオンという栄誉を手にした。フリースケーティングの演技冒頭で挑んだ4回転フリップは回転不足で両足着氷に終わったが、世界初の試みであった。また、フリースケーティングではシングルの選手として初めて、全てのスピン・ステップで最高評価のレベル4を獲得した。

2010-2011シーズン、グランプリシリーズ初戦のNHK杯ではフリースケーティングで3シーズンぶりに4回転トウループを成功させ、優勝した。続くスケートアメリカでも優勝し、日本人男子として最多となるグランプリシリーズ6勝目を挙げた。グランプリファイナルでは、練習中に小塚崇彦と衝突し首がむち打ちのような状態となり、本番では4位に終わった。首の状態が悪化したまま臨んだ全日本選手権では3位に入った。四大陸選手権では3年ぶり2度目の優勝を達成した。当初東京で開催予定だった世界選手権は東日本大震災の影響で1ヶ月延期され、モスクワで代替開催された。フリースケーティング冒頭の4回転トウループが1回転に抜ける着氷失敗時、スケート靴のビスが外れるアクシデントに見舞われ、約2分間の中断後に演技を再開したが、3回転サルコウの転倒などが響き、総合5位に終わった。オリンピックでのメダル獲得や世界王者となったことで一時モチベーションが低下し、現役続行を迷っていたが、この5位という結果に気持ちが吹っ切れ、現役続行を決意した。シーズン終了後の5月には、右膝のボルト除去手術を受けた。リハビリを経たのち、8月にはフランスのリヨンに渡り、アイスダンスコーチのミュリエル・ザズーイの下でスケーティングの基礎を徹底的に見直し、柔軟性を高めるためにバレエのレッスンも受け始めた。

2011-2012シーズン、NHK杯では大会最多となる4度目の優勝を果たした。全日本選手権ではショートプログラムで7シーズンぶりに4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させ(ISU非公認)、2年ぶり5度目の優勝を果たした。グランプリファイナル、四大陸選手権、世界選手権では、いずれも世界王者パトリック・チャンに次ぐ2位となった。世界選手権では、フランスの観客から、チャンにミスがあったにもかかわらず彼ではなく髙橋が金メダルに値すると考えられ、結果発表時にブーイングが起こった。しかし髙橋自身はオフシーズン手術後であることを踏まえ、結果に満足していると述べた。シーズン最後の国別対抗戦ではチャンを抑えて1位となり、ショートプログラムでは歴代最高得点となる94.00点をマークした。これは、2010年世界選手権以来となるチャンに対する髙橋の勝利であった。2012年6月には、再びニコライ・モロゾフをコーチの一員として迎え入れた(長光歌子が引き続きメインコーチを務めた)。
2012-2013シーズン、2012年ジャパンオープンでは、負傷後初めてフリースケーティングで2本の4回転ジャンプを成功させ、男子シングルで1位となり、日本チームも優勝した。10月にアメリカでのトレーニングから帰国後、新しいスケート靴に替えたが、予想以上に履き心地が悪くブレードの調整に苦労し、練習スケジュールに影響が出たと語った。グランプリシリーズ中国杯では2位、続くNHK杯でも2位となり、自身7度目のグランプリファイナル進出を決めた。2012年グランプリファイナルはソチで開催され、ショートプログラムで1位、フリースケーティングで3位となり、自身初のグランプリファイナル金メダルを獲得した。これは日本人男子選手として初のグランプリファイナル優勝という快挙であった。
全日本選手権では、ショートプログラムで羽生結弦に9点差の2位発進となったが、フリースケーティングでは1位となり、総合2位となった。この結果、四大陸選手権と世界選手権の日本代表に選出された。四大陸選手権を前に、ショートプログラムを『月光』に変更すると発表したが、約1ヶ月での準備となり、音楽を体に「感じる」ことに苦労したと語った。その四大陸選手権では7位に終わった。世界選手権でも6位となり表彰台を逃したが、羽生結弦の4位という成績と合わせて、翌2014年2月開催のソチオリンピック男子シングルの出場枠を2大会連続で最大の3枠確保した。国別対抗戦では1位となり、チームの銅メダル獲得に貢献した。

2013-2014シーズン、グランプリシリーズスケートアメリカでは4位に終わったが、続くNHK杯ではショートプログラムで自己ベストを更新し、フリースケーティングも1位で優勝した。これによりグランプリファイナルへの進出を決めたが、11月26日に氷上トレーニング中に右脛骨骨挫傷と診断され、グランプリファイナルの欠場を発表した。
怪我を押して臨んだ全日本選手権では、ショートプログラム、フリースケーティングともに4回転ジャンプに挑戦したが失敗した。フリースケーティングでは4回転ジャンプの転倒後に右指を切り、流血しながらもプログラムを最後まで演じきったものの、最終順位は5位に終わった。演技直後のインタビューでは「自分の中ではオリンピックはないんだろうなと思っている」と涙ながらに語った。しかし、過去の実績やシーズン成績が考慮され、最後の3枠目で2014年ソチオリンピック代表に選出された。フィギュアスケートの日本選手で3大会連続でのオリンピック代表選出は、髙橋が初めてである。
2014年2月5日、オリンピック本番のショートプログラムで使用する予定だった曲『ヴァイオリンのためのソナチネ』について、作曲者とされていた佐村河内守が実際には別人の新垣隆によるものだと公表(ゴーストライター問題を参照)された。この曲は、義手でヴァイオリンを弾く女性に贈られた曲であり、髙橋はこの曲への愛着を失わず、曲を変更しないことを表明し、国際スケート連盟には作曲者を「不明(Unknown)」と手続きした。新垣も髙橋がこの曲を使用することを「とても楽しみ」とコメントした。髙橋自身も「正直ビックリしました。このタイミングでって。勘弁してよっていうのはありました」と笑いつつ、使用変更がないことを明らかにした。
ソチオリンピックでは団体戦には出場せず、個人戦のみに出場した。ショートプログラムでは4位発進だったが、フリースケーティングではジャンプミスが響き、総合6位入賞に留まり、2大会連続のオリンピックメダル獲得はならなかった。しかし、フィギュアスケート日本代表選手としては、冬季オリンピック3大会連続入賞(8位・3位・6位)を達成した史上初の選手となった。帰国後、メディカルチェックにより「右脛骨関節軟骨損傷及び慢性膝関節炎により、5~6週間の安静加療が必要」と診断された。2014年3月4日、さいたま市で開催される世界選手権の欠場を表明した(補欠の小塚崇彦が繰り上げ出場し6位)。今後の去就については「まだはっきりと決めていない。ゆっくり時間を持った時に考えていきたい」と語っていたが、同年4月21日に2014-2015シーズンの全試合出場を見送り、1年間競技生活の休養を発表した。
3.5. 最初の引退と競技復帰 (2014年-2019年)
2014年10月14日、岡山県内で現役引退を正式に表明した。引退後、2015年4月から12月にかけては語学とダンスの勉強のためニューヨークに滞在した。滞在中、彼は地元の大学で英語のクラスをとり、ブロードウェイダンスセンターで様々なダンススタイルを学んだ。
帰国後は、従来のアイスショー「The Ice」、「Friends on Ice」、「Stars on Ice」などに加え、スイスでの「Art on Ice」やカザフスタンでの「Denis Ten and Friends」など海外のアイスショーにも多数出演した。さらに、ダンサーとしてシェリル・バークの舞台作品「LOVE ON THE FLOOR」に出演し、歌舞伎との異ジャンル融合アイスショー「氷艶 hyoen」ではメインキャストを務めるなど、様々な舞台で活躍した。
また、競技引退後の公的生活では、フジテレビのニュース番組「NEWS ZERO」の「Spotlight」コーナーでキャスターを務め、映画監督の山崎貴、俳優の松本幸四郎(当時の市川染五郎)、写真家の蜷川実花など、様々な分野のプロフェッショナルやアーティストにインタビューを行った。オリンピックキャスターとしても活動し、柔道家の野村忠宏と共に2016年リオオリンピックと2018年平昌オリンピックで生中継リポーターを務めた。その他、多数のトーク番組やバラエティ番組にもゲスト出演した。
2016年には、プロジェクションマッピングとフィギュアスケートの融合を試すテストランに参加し、Mr.Childrenの「GIFT」に合わせて演技を披露した。この技術は、2017年の「氷艶 hyoen2017-破沙羅-」で初めて日本のアイスショーに導入され、歌舞伎と宝塚歌劇団、フィギュアスケートを組み合わせた新しいクロスジャンルショーの形式が確立された。また、2018年には、自身のスポンサーである不動産会社スカイコート社の「D-color」プロジェクトで、「トータルコーディネーター」として東京都浅草の13階建てマンションの内外装デザインを手がけるなど、多岐にわたる活動を展開した。
2018年7月1日、所属事務所を通じて現役復帰を発表した。髙橋自身は、2014年の引退時に不完全燃焼感や後悔が残っていたこと、また2017年の全日本選手権でレポーターを務めた際に競技の雰囲気触れ、再び滑りたいという気持ちが強くなったことを復帰の理由として挙げた。この復帰は、当時の日本人男子スケーターとしては過去最年長となる32歳での決断であり、大きな話題となった。彼はこのシーズン、「全日本選手権の最終グループに入ること」を目標に掲げ、近畿選手権で3位、西日本選手権で優勝と順調な成績を収めた。全日本選手権では、目標通り最終グループに入り、2位を獲得した。日本スケート連盟から世界選手権の代表入りを打診されたが、「若い選手が経験する必要性の方が大きい」として出場を辞退した。
2019-2020シーズンは、ショートプログラムをフォール・アウト・ボーイの「The Phoenix」、フリースケーティングは前年度と同じジョン・グラント作曲の「Pale Green Ghosts」を引き続き使用すると発表した。2019年9月、髙橋は2019年12月の全日本選手権を最後に男子シングル選手としての競技キャリアを終え、アイスダンスに種目を転向し、村元哉中を新たなパートナーとして2020年1月からアメリカを拠点に移すことを公式サイトで発表した。この異例の転向は、日本のメディアやフィギュアスケートファンから大きな注目を集めた。彼は、男子シングル競技での最後の大会となった2019-2020年全日本選手権では12位で終えた。
4. アイスダンスキャリア
アイスダンスへ転向した経緯と、その後のキャリア、主要な成績について扱います。
4.1. アイスダンスへの転向 (2019年-2020年)
2019年9月、髙橋大輔は男子シングル選手としての競技キャリアを終え、アイスダンスに種目を転向し、村元哉中をパートナーとして新たな挑戦を開始すると発表した。2020年1月からは、オリンピック金メダリストであるテッサ・ヴァーチュ/スコット・モイア組やメリル・デイヴィス/チャーリー・ホワイト組を指導したマリナ・ズエワコーチの下、アメリカ合衆国フロリダ州を拠点にトレーニングを開始した。髙橋のスター選手としての地位から、このアイスダンスへの転向は、日本国内のメディアやフィギュアスケートファンの間で大きな関心事となった。
2020-2021シーズン、村元・髙橋組は初めてアイスダンス競技に出場した。COVID-19パンデミックの影響により、グランプリシリーズは主に地理的要因に基づいて割り当てられたため、彼らはフロリダから日本に移動して、2020年NHK杯でデビュー戦を迎えた。この大会には日本の3組しか出場しなかったが、彼らはリズムダンスで2位につけた。しかし、フリースケーティングでは髙橋が2本目のツイズルで転倒し、いくつかのリフトでレベルを取りこぼした結果、フリースケーティングでは3位となり、総合でも銅メダルに終わった。髙橋は、ミスが練習中にも珍しいものであったと述べつつも、それが競技の一部であると語った。村元は、次の大会ではもっと良い演技ができると感じていると述べた。
全日本選手権でアイスダンス部門に初出場した村元・髙橋組は、リズムダンスで2位につけ、優勝した小松原美里/ティム・コレト組に4点弱の差で続いた。フリースケーティングでは、髙橋がリフトで転倒するなど複数のミスを犯したが、他のチームもミスがあったため、最終的には総合で銀メダルを獲得した。彼らは世界選手権の補欠選手として指名されたが、2月に村元の膝の負傷により補欠出場を辞退せざるを得なくなり、代わりに銅メダリストの深瀬理香子/張智成組が派遣された。
4.2. 主要なアイスダンスの成果と最終引退 (2020年-2023年)
2021-2022シーズン、村元・髙橋組は再びNHK杯でシーズンをスタートさせた。ショートプログラム、フリースケーティングともに6位となり、総合6位で国内のライバルである小松原/コレト組を7.30点上回った。両選手とも結果に満足感を示したが、髙橋は「トップチームとの間にはまだ大きな差があり、それを埋めたい」と語った。その後、彼らは2021年チャレンジャーシリーズワルシャワ杯で銀メダルを獲得した。
2021-2022年全日本選手権は、2022年北京オリンピックの最終選考会であり、村元・髙橋組と小松原/コレト組が再び対決した。リズムダンスでは村元と髙橋の両選手が転倒し、このセグメントで2位となり、ライバルに5点差をつけられた。フリースケーティングでは1位となったものの、総合で2年連続の銀メダルに終わり、オリンピック日本代表の補欠として指名された。しかし、彼らは代わりにこのシーズン後半の世界選手権と四大陸選手権に出場することになった。
四大陸選手権では、髙橋のミスがあったにもかかわらず、両セグメントで2位となり、銀メダルを獲得した。これにより、髙橋は異なる2つの種目で四大陸選手権のメダルを獲得した史上初の選手となり、「喜びを言葉にするのが難しい」と語りながらも、自身のミスに苛立ちを感じていたと述べた。彼らはシーズンをフランスモンペリエで開催された2022年世界選手権で締めくくった。この大会では、国際スケート連盟がロシアのウクライナ侵攻を受けて全てのロシア人選手を禁止したため、ロシアのアイスダンスチームは不在だった。フリースケーティングに進出した村元・髙橋組は、総合16位となった。
2022年5月末、村元・髙橋組は2022-2023シーズンも競技を継続することを表明した。シーズン開幕戦のスケートアメリカでは6位に終わったが、続く2022年チャレンジャーシリーズデニステンメモリアルチャレンジでは、チームとして初の金メダルを獲得し、リズムダンスでは自己最高得点を更新した。その後、NHK杯では6位に終わった。
2022-2023年全日本選手権では、村元・髙橋組が初めて日本チャンピオンとなり、その後、2023年世界選手権と2023年四大陸選手権への出場が決まった。四大陸選手権では、リズムダンスで村元が転倒し、フリースケーティングでも髙橋が2度転倒するなど苦戦し、国内のライバルである小松原/コレト組に次ぐ9位に終わった。しかし、ホームである埼玉で開催された2023年世界選手権では、11位という素晴らしい成績を収め、2018年の村元/リード組と並び、日本人アイスダンスチームとして世界選手権での最高順位タイを記録した。また、フリースケーティングでは自己最高得点を達成した。髙橋は試合後、「今日の演技は、この1年続ける意味を本当に与えてくれた。この1年で多くの成長と経験を積んだ」と語った。
村元・髙橋組は、2023年世界国別対抗戦に日本チームのアイスダンス代表として出場し、リズムダンスで4位、フリースケーティングで5位となり、フリースケーティングと総合得点で自己最高を更新した。日本チームは団体で銅メダルを獲得した。村元は、もう1年続けるかどうかは未定であり、ツアー中に話し合うと述べた。そして2023年5月、両選手は共同で競技生活からの引退を発表した。髙橋は、長年の膝の負傷にこれ以上負担をかけることができず、これ以上の競技能力の向上は見込めないと判断したためと説明した。村元も彼と共に引退し、共にプロのアイスショーキャリアを追求することを決めた。
5. スケーティングスタイルと技術
髙橋大輔選手は、その高いスケーティング技術を基盤とした世界トップクラスのステップと、柔軟で切れのある情感豊かな表現力で知られている。海外の解説者からは「ダンサーのよう」と称賛され、ヒップホップからマンボ、ブルースまで、多様な音楽を巧みに表現できる音楽的感性も持ち味としていた。ニコライ・モロゾフは髙橋について「頭ではなく、ハートで滑っている」「彼こそが、氷上のアーティスト」と評し、その独特の芸術性を高く評価した。
荒川静香は髙橋について、「感性の高さで群を抜いており、どんなプログラムでも自分の世界で表現できる」「一緒に滑っていて、自分が哀しくなってくるほど才能がある」と評するなど、その才能を絶賛している。
ジャンプにおいては、シニアに上がった頃から4回転ジャンプにも意欲的に取り組み、特にトリプルアクセル、3回転フリップ、3回転ルッツを得意としていた。バンクーバーオリンピックのフリースケーティング以降、フリップやルッツでエッジエラー判定を受けることがあったが、2011-2012シーズンには矯正に成功している。また、2005年頃から4回転トウループなどの4回転ジャンプにも意欲的に取り組んだ。2011年のNHK杯公式練習では、前人未到の4回転フリップを試みたが、試合での認定には至らなかった。2010年バンクーバーオリンピックでは、共に4回転ジャンプに挑んだエフゲニー・プルシェンコから「You are my hero.」と讃えられ、固い握手を交わしたエピソードもある。
6. 競技引退後の活動と公的生活
競技選手としての生活を終えた髙橋大輔は、多様な分野で活動を続けている。
6.1. アイスショーの制作と出演
最初の競技引退後、髙橋は「氷艶 hyoen」、「Art on Ice」、「Ice Legends」、「Denis Ten and Friends」、「The Ice」、「Friends on Ice」、「Stars on Ice」など、国内外の数々のアイスショーに出演した。
2023年1月には、自身がプロデュース・ディレクターを務めるアイスショー「アイス・エクスプロージョン 2023」でプロデューサーデビューを果たした。また、2024年2月には、自身のアイスショー「滑走屋」の第1回公演をプロデュースし、2025年3月には第2回公演も予定されている。
彼はまた、日本のアイスショー市場に革新をもたらした「氷艶 hyoen」シリーズのヘッドライナーを務めた。2017年の「氷艶 hyoen2017-破沙羅-」では、歌舞伎俳優の市川染五郎(現 松本幸四郎)や元シングル選手でオリンピックチャンピオンの荒川静香と共に主要キャストを務め、プロジェクションマッピングを日本のアイスショーに初めて導入した。その後も「氷艶 hyoen2019ー月光かりの如くー」、2024年の「氷艶2024 -十字星のキセキ-」、2025年7月の「氷艶 hyoen 2025 -鏡紋の夜叉-」にも出演し、主役を務めている。
その他、神戸チャリティショー(2011-2015)、Christmas on Ice(2014-2018)、Ice Explosion(2020)、LUXE(2021)ではヘッドライナーや座長を務めた。ダンサーとしては、シェリル・バークの舞台作品「LOVE ON THE FLOOR」(2016年、2017年)に出演し、東急シアターオーブで公演を行った。
アイスダンス転向後、そして最終的に競技生活を引退した2023年5月以降も、彼は村元哉中と共に、またはソロで「氷艶 -十字星のキセキ-」、「Prince Ice World」、「Friends on Ice」、「The Ice」、「Bloom on Ice」などのアイスショーに出演している。2024年には、村元哉中と共に「Prince Ice World - Broadway Rocks!」ツアーの横浜公演と鹿児島公演で「Symmetry」というプログラムを共同振付し披露した。また、「Friends on Ice 2024」では自身のソロプログラム「Wake up, you're dreaming」の振付も担当した。
6.2. メディアとその他の公的活動
2007年の世界選手権での銀メダル獲得後、髙橋は日本のメディアに多数出演し、様々なアイスショーで演技を披露した。2008年には、フランスのチームショー「Stars sur glace」や韓国の「Festa on Ice」にも招待され、海外での知名度も高めた。
2007年7月、彼はJOCの「JOCシンボルアスリート」の一人に選ばれ、JOCパートナー企業からの肖像権使用料によって活動資金を得るプログラムの支援を受けた。2010年の世界選手権優勝後は、多数のテレビ番組にゲスト出演し、農薬の安全使用キャンペーンや日本郵便の広告塔としても活躍した。
2016年4月から2018年3月まで、日本テレビのニュース番組「NEWS ZERO」で月に一度のキャスターを務め、「Spotlight」というコーナーで様々な分野の専門家やアーティストにインタビューを行った。また、元柔道三冠王の野村忠宏と共に、フジテレビのオリンピックキャスターとして2016年リオオリンピックと2018年平昌オリンピックで生中継リポーターを務めた。2017年11月から2018年3月まではNHK BS1の番組「ぼくらはマンガで強くなった~SPORTS×MANGA~」で司会を務め、2024年4月からはフジテレビのバラエティ番組「ぽかぽか」の木曜レギュラーとして出演している。
スポンサー関連の活動として、2018年には不動産会社スカイコート社の「D-color」プロジェクトで、東京都浅草の13階建てマンションの内外装デザインを「トータルコーディネーター」として手がけた。2024年4月には、スカイコート社の55周年記念事業として、ワンルームマンションの内装デザインを手がける「D-color」プロジェクトの第3弾を完成させた。
2024年7月から8月にかけて、髙橋は岡山県倉敷市を舞台に撮影された映画『蔵のある街』(平松恵美子監督・脚本)で俳優デビューを果たした。この映画では、高校生の主人公たちの相談相手となる地元の美術館の学芸員役を演じている。映画は2025年夏に全国公開される予定である。
2024年10月には、荒川静香、村元哉中、無良崇人、友野一希、田中刑事、青木祐奈、大島光翔、岸名祐弥、上園梨乃らと共に、会員制公式ファンコミュニティ「F-Ske」をプラットフォーム「FANICON」上で立ち上げた。
7. 私生活
髙橋大輔は関西大学に在籍し、卒業後も同大学院に進学した。彼は3人の兄を持つ4人兄弟の末っ子である。
最初の競技引退後、髙橋はアメリカ合衆国ニューヨーク州ロングアイランドに移り住み、現地の大学で英語を学んだ。この期間中、彼はブロードウェイダンスセンターで様々なダンススタイルも習得した。
2023年1月には、自身の名前の漢字表記を「髙橋 大輔」から「高橋 大輔」へ変更することを発表した。これは「はしご高」ではなく、一般的な「高」を用いることを意味する。2023年には、居住地を大阪から東京へ移したことを明かしている。
8. 受賞歴と表彰
髙橋大輔がキャリア全体を通じて受けた主要な表彰、賞、および栄誉を以下にリストアップする。
- 2001年
- 日本オリンピック委員会・JOCスポーツ賞 新人賞
- 2003年
- 文部科学省・国際競技大会優秀者表彰
- 2005年
- 文部科学省・国際競技大会優秀者表彰
- 2006年
- 倉敷市スポーツ栄誉賞
- 2007年
- 文部科学省・国際競技大会優秀者表彰
- 日本オリンピック委員会・JOCスポーツ賞 特別功労賞
- 上月スポーツ賞
- 2010年
- 岡山県県民栄誉賞
- 岡山県スポーツ特別顕彰
- 倉敷市市民栄誉賞
- 2014年
- 岡山県スポーツ特別顕彰
- 倉敷市市長特別賞
- 倉敷市スポーツ特別功労章
- 2015年
- 第49回テレビ朝日ビッグスポーツ賞 フィギュアプロジェクト賞
- 第26回日本ジュエリーベストドレッサー賞 特別賞
- 2024年
- SUITS OF THE YEAR 2024 スポーツ部門
9. 遺産と影響
髙橋大輔は、日本のフィギュアスケート界、特に男子シングル分野に計り知れない影響と功績を残した。彼は、アジア男子フィギュアスケート選手として初めてオリンピックメダルと世界選手権タイトルを獲得したことで、その後の世代にとっての道を切り開き、不可能を可能にするという手本を示した。
彼の類稀なる才能と努力は、多くの後輩選手たちに深いインスピレーションを与えた。例えば、パトリック・チャン、町田樹、アダム・リッポン、トマシュ・ベルネルといった同世代の選手たちだけでなく、宇野昌磨、デニス・テン、車俊煥、ジェイソン・ブラウン、ミーシャ・ジー、友野一希など、若い世代のスケーターたちからも目標や憧れの存在として頻繁に名前が挙げられている。
髙橋の芸術的なスケーティングスタイル、豊かな表現力、そして困難を乗り越える粘り強さは、日本のフィギュアスケート、ひいてはアジアのフィギュアスケートの発展に大きく貢献した。彼の存在は、技術的な限界を押し広げるだけでなく、フィギュアスケートが持つ芸術性と感情表現の可能性を追求することの重要性を示し、このスポーツの魅力をより広い層に伝えた。また、競技引退後もアイスショーのプロデュースやメディア活動を通じて、フィギュアスケートの普及と発展に尽力し続けている。
10. 使用プログラム曲
髙橋大輔が競技で使用したプログラムの曲目と振付師について、年代別に詳細を記述します。
10.1. アイスダンスプログラム
アイスダンス競技で使用されたリズムダンス、フリーダンス、エキシビションの各プログラム曲とその振付師について詳述します。
シーズン | RD | FD | EX |
---|---|---|---|
2022-2023 |
振付:マリナ・ズエワ、イリヤ・トカチェンコ、矢内康洋、Maxim Kozhevnikov、Sarry、Randi Strong |
振付:マリナ・ズエワ、イリヤ・トカチェンコ、小㞍健太 |
振付:マッシモ・スカリ |
2021-2022 |
振付:マリナ・ズエワ、イリヤ・トカチェンコ、矢内康洋 |
振付:マリナ・ズエワ、マッシモ・スカリ |
振付:宮本賢二 |
2020-2021 |
振付:マリナ・ズエワ、イリヤ・トカチェンコ、Maxim Kozhevnikov |
振付:マリナ・ズエワ、マッシモ・スカリ |
10.2. 男子シングルプログラム
男子シングル競技で使用されたショートプログラム、フリースケーティング、エキシビションの各プログラム曲とその振付師について詳述します。

シーズン | ショートプログラム | フリースケーティング | エキシビション | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2019-2020 |
振付:シェリル・ムラカミ、ユウコ・カイ、ミーシャ・ジー |
振付:ブノワ・リショー | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2018-2019 |
振付:デヴィッド・ウィルソン |
振付:宮本賢二 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2013-2014 |
振付:宮本賢二 |
|
振付:宮本賢二
振付:シェイ=リーン・ボーン
振付:宮本賢二
振付:宮本賢二 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2012-2013 |
振付:ニコライ・モロゾフ
振付:阿部奈々美 |
振付:シェイ=リーン・ボーン |
振付:宮本賢二
振付:宮本賢二 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2011-2012 |
振付:デヴィッド・ウィルソン |
振付:パスカーレ・カメレンゴ |
振付:宮本賢二 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2010-2011 |
振付:シェイ=リーン・ボーン |
振付:パスカーレ・カメレンゴ |
振付:ステファン・ランビエール | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2009-2010 |
振付:宮本賢二 |
振付:パスカーレ・カメレンゴ |
振付:宮本賢二 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2008-2009 |
振付:パスカーレ・カメレンゴ
振付:パスカーレ・カメレンゴ | Did not compete this season | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2007-2008 |
振付:ニコライ・モロゾフ |
振付:ニコライ・モロゾフ |
振付:宮本賢二 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2006-2007 |
振付:ニコライ・モロゾフ |
振付:ニコライ・モロゾフ |
振付:ニコライ・モロゾフ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2005-2006 |
振付:ニコライ・モロゾフ |
振付:ニコライ・モロゾフ |
振付:髙橋大輔 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2004-2005 |
振付:タチアナ・タラソワ
>
| | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2003-2004 |
振付:タチアナ・タラソワ |
振付:タチアナ・タラソワ |
振付:タチアナ・タラソワ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002-2003 |
>
|
|- | 2001-2002 |
>
|
|} |
2022-2023シーズン | ||||
---|---|---|---|---|
日付 | 大会 | RD | FD | 合計 |
2023年4月13日-16日 | 2023年世界国別対抗戦 | 4 | 5 | 団体3位 |
2023年3月20日-26日 | 2023年世界選手権 | 11 | 10 | 11 |
2023年2月7日-12日 | 2023年四大陸選手権 | 7 | 9 | 9 |
2022年12月21日-25日 | 2022-23年全日本選手権 | 1 77.70 | 1 108.91 | 1 186.61 |
2022年11月18日-20日 | 2022年NHK杯 | 5 | 7 | 6 |
2022年10月26日-29日 | 2022年デニステンメモリアルチャレンジ | 1 | 1 | 1 |
2022年10月21日-23日 | 2022年スケートアメリカ | 5 | 6 | 6 |
2021-2022シーズン | ||||
日付 | 大会 | RD | FD | 合計 |
2022年3月21日-27日 | 2022年世界選手権 | 16 | 15 | 16 |
2022年1月18日-23日 | 2022年四大陸選手権 | 2 | 2 | 2 |
2021年12月22日-26日 | 2021-22年全日本選手権 | 2 | 1 | 2 |
2021年11月17日-20日 | 2021年チャレンジャーシリーズワルシャワ杯 | 2 75.87 | 2 114.29 | 2 190.16 |
2021年11月12日-14日 | 2021年NHK杯 | 6 70.74 | 6 108.76 | 6 179.50 |
2020-2021シーズン | ||||
日付 | 大会 | RD | FD | 合計 |
2020年12月24日-27日 | 2020-21年全日本選手権 | 2 67.83 | 3 84.03 | 2 151.86 |
2020年11月27日-29日 | 2020年NHK杯 | 2 64.15 | 3 93.10 | 3 157.25 |
11.2. 男子シングル競技成績
男子シングル競技における国際大会および国内大会での詳細な競技成績を年度別に記録します。
個人の最高得点記録は以下の通り。
- 合計点: 276.72 (2012年世界国別対抗戦)
- ショートプログラム: 95.55 (2013年NHK杯)
- フリースケーティング: 182.72 (2012年世界国別対抗戦)
2019-2020シーズン | ||||
---|---|---|---|---|
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
2019年12月18日-22日 | 2019-20年全日本選手権 | 14 65.95 | 10 138.36 | 12 204.31 |
2018-2019シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
2018年12月20日-24日 | 2018-19年全日本選手権 | 2 88.52 | 4 151.10 | 2 239.62 |
2013-2014シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
2014年2月13日-14日 | 2014年冬季オリンピック | 4 86.40 | 6 164.27 | 6 250.67 |
2013年12月21日-24日 | 2013-14年全日本選手権 | 4 82.57 | 5 170.24 | 5 252.81 |
2013年11月8日-10日 | 2013年NHK杯 | 1 95.55 | 1 172.76 | 1 268.31 |
2013年10月18日-20日 | 2013年スケートアメリカ | 5 77.09 | 4 159.12 | 4 236.21 |
2013年10月5日 | 2013年ジャパンオープン | - | 4 149.12 | 団体1位 |
2012-2013シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
2013年4月11日-14日 | 2013年世界国別対抗戦 | 2 80.87 | 1 168.65 | 団体3位 249.52 |
2013年3月10日-17日 | 2013年世界選手権 | 4 84.67 | 8 154.36 | 6 239.03 |
2013年2月6日-11日 | 2013年四大陸選手権 | 4 82.62 | 8 140.15 | 7 222.77 |
2012年12月20日-24日 | 2012-13年全日本選手権 | 2 88.04 | 1 192.36 | 2 280.40 |
2012年12月6日-9日 | 2012-13年グランプリファイナル | 1 92.29 | 3 177.11 | 1 269.40 |
2012年11月23日-25日 | 2012年NHK杯 | 2 87.47 | 2 164.04 | 2 251.51 |
2012年11月2日-4日 | 2012年中国杯 | 1 84.79 | 2 146.96 | 2 231.75 |
2012年10月6日 | 2012年ジャパンオープン | - | 1 172.06 | 団体1位 |
2011-2012シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
2012年4月18日-22日 | 2012年世界国別対抗戦 | 1 94.00 | 1 182.72 | 団体1位 276.72 |
2012年3月26日-4月1日 | 2012年世界選手権 | 3 85.72 | 3 173.94 | 2 259.66 |
2012年2月7日-12日 | 2012年四大陸選手権 | 3 82.59 | 2 161.74 | 2 244.33 |
2011年12月22日-26日 | 2011-12年全日本選手権 | 1 96.05 | 3 158.55 | 1 254.60 |
2011年12月8日-11日 | 2011-12年グランプリファイナル | 5 76.49 | 2 172.63 | 2 249.12 |
2011年11月11日-13日 | 2011年NHK杯 | 1 90.43 | 1 169.32 | 1 259.75 |
2011年10月27日-30日 | 2011年スケートカナダ | 2 84.66 | 3 153.21 | 3 237.87 |
2011年10月1日 | 2011年ジャパンオープン | - | 6 130.79 | 団体3位 |
2010-2011シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
2011年4月24日-5月1日 | 2011年世界選手権 | 3 80.25 | 6 152.72 | 5 232.97 |
2011年2月15日-20日 | 2011年四大陸選手権 | 1 83.49 | 1 160.51 | 1 244.00 |
2010年12月24日-27日 | 2010-11年全日本選手権 | 4 74.78 | 2 162.01 | 3 236.79 |
2010年12月9日-12日 | 2010-11年グランプリファイナル | 3 82.57 | 6 137.20 | 4 219.77 |
2010年11月11日-14日 | 2010年スケートアメリカ | 2 78.12 | 1 148.95 | 1 227.07 |
2010年10月21日-24日 | 2010年NHK杯 | 1 78.04 | 1 156.75 | 1 234.79 |
2010年10月2日 | 2010年ジャパンオープン | - | 2 159.19 | 団体1位 |
2009-2010シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
2010年3月22日-28日 | 2010年世界選手権 | 1 89.30 | 1 168.40 | 1 257.70 |
2010年2月14日-27日 | 2010年冬季オリンピック | 3 90.25 | 5 156.98 | 3 247.23 |
2009年12月25日-27日 | 2009-10年全日本選手権 | 1 92.85 | 1 168.28 | 1 261.13 |
2009年12月3日-6日 | 2009-10年グランプリファイナル | 1 89.95 | 5 134.65 | 5 224.60 |
2009年11月19日-22日 | 2009年スケートカナダ | 2 76.30 | 1 155.01 | 2 231.31 |
2009年11月5日-8日 | 2009年NHK杯 | 4 78.18 | 4 136.11 | 4 214.29 |
2009年10月8日-11日 | 2009年フィンランディア杯 | 1 83.23 | 2 141.02 | 1 224.25 |
2007-2008シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
2008年4月20日 | 2008年ジャパンオープン | - | 4 127.23 | 団体1位 |
2008年3月17日-23日 | 2008年世界選手権 | 3 80.40 | 6 139.71 | 4 220.11 |
2008年2月13日-17日 | 2008年四大陸選手権 | 1 88.57 | 1 175.84 | 1 264.41 |
2007年12月26日-28日 | 2007-08年全日本選手権 | 1 85.43 | 1 169.15 | 1 254.58 |
2007年12月13日-16日 | 2007-08年グランプリファイナル | 1 84.20 | 2 154.74 | 2 238.94 |
2007年11月29日-12月2日 | 2007年NHK杯 | 2 77.89 | 1 156.33 | 1 234.22 |
2007年10月25日-28日 | 2007年スケートアメリカ | 1 80.04 | 2 148.93 | 1 228.97 |
2006-2007シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
2007年3月19日-25日 | 2007年世界選手権 | 3 74.51 | 1 163.44 | 2 237.95 |
2007年1月17日-27日 | 2007年冬季ユニバーシアード | 1 79.03 | 1 161.58 | 1 240.61 |
2006年12月27日-29日 | 2006-07年全日本選手権 | 1 85.55 | 1 170.53 | 1 256.08 |
2006年12月14日-17日 | 2006-07年グランプリファイナル | 2 79.99 | 3 144.84 | 2 224.83 |
2006年11月30日-12月3日 | 2006年NHK杯 | 1 84.44 | 1 163.49 | 1 247.93 |
2006年11月2日-5日 | 2006年スケートカナダ | 1 78.80 | 2 129.41 | 2 208.21 |
2005-2006シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
2006年5月14日 | 2006年ジャパンオープン | - | 2 141.10 | 団体1位 |
2006年2月11日-24日 | 2006年冬季オリンピック | 5 73.77 | 9 131.12 | 8 204.89 |
2005年12月23日-25日 | 2005-06年全日本選手権 | 2 74.52 | 1 148.60 | 1 223.12 |
2005年12月16日-18日 | 2005-06年グランプリファイナル | 3 74.60 | 3 137.92 | 3 212.52 |
2005年12月1日-4日 | 2005年NHK杯 | 1 77.70 | 3 127.60 | 3 205.30 |
2005年10月20日-23日 | 2005年スケートアメリカ | 1 69.10 | 1 149.44 | 1 218.54 |
2005年10月1日 | Japan International Challenge | - | 2 133.57 | - |
2004-2005シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
2005年3月14日-20日 | 2005年世界選手権 | 7 72.18 | 18 108.04 | 15 180.22 |
2005年2月14日-20日 | 2005年四大陸選手権 | 3 68.46 | 2 123.83 | 3 192.29 |
2005年1月12日-22日 | 2005年冬季ユニバーシアード | 2 | 1 | 1 |
2004年12月24日-26日 | 2004-05年全日本選手権 | 5 59.83 | 5 113.84 | 6 173.67 |
2004年11月19日-21日 | 2004年エリック・ボンパール杯 | 3 64.16 | 11 71.54 | 11 135.70 |
2003-2004シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
2004年3月22日-28日 | 2004年世界選手権 | 11 | 11 | 11 |
2004年1月19日-25日 | 2004年四大陸選手権 | 9 | 4 | 6 |
2003年12月25日-26日 | 2003-04年全日本選手権 | 4 | 3 | 3 |
2003年11月13日-16日 | 2003年ラリック杯 | 2 71.31 | 5 123.31 | 5 194.62 |
2003年10月30日-11月2日 | 2003年スケートカナダ | 5 61.81 | 7 116.99 | 7 178.80 |
2002-2003シーズン | ||||
日付 | 大会 | SP | FS | 合計 |
2003年2月10日-16日 | 2003年四大陸選手権 | 10 | 13 | 13 |
2003年2月2日-4日 | 2003年アジア冬季競技大会 | 6 | 6 | 6 |
2002年12月19日-22日 | 2002-03年全日本選手権 | 2 | 4 | 4 |
2002年11月28日-12月1日 | 2002年NHK杯 | 10 | 7 | 8 |
2002年11月8日-10日 | 2002年ボフロスト杯 | 10 | 11 | 11 |