1. 概要

ボシュコ・バラバン(Boško Balabanクロアチア語、1978年10月15日生まれ)は、クロアチアの元サッカー選手で、主にフォワードとして活躍しました。彼はクロアチア代表として35試合に出場し、10得点を記録しました。
バラバンのキャリアは、地元クラブのHNKリエカから始まり、NKディナモ・ザグレブでブレイクを果たしました。その後、イングランドのアストン・ヴィラへ移籍しましたが、そこでは期待に応えられず、「プレミアリーグ史上最悪の獲得選手の一人」と評される不遇な時期を過ごしました。しかし、ベルギーのクラブ・ブルッヘでは「スーパー・ボシュコ」と称されるほどの目覚ましい成功を収め、再び得点能力を発揮しました。
代表レベルでは、2002 FIFAワールドカップと2006 FIFAワールドカップの両大会に出場しましたが、いずれも出場機会には恵まれませんでした。キャリアを通して、彼は数々のクラブタイトルや個人タイトルを獲得しています。一方で、試合中にファシスト式敬礼を行ったことや、近年報じられた養育費未払いによる収監など、社会的な責任が問われる行動もありました。本記事では、彼の華やかなキャリアと、それに伴う社会的な側面にも焦点を当てて詳述します。
2. 生涯と初期キャリア
ボシュコ・バラバンは1978年10月15日にユーゴスラビア(現クロアチア)のリエカで生まれました。彼は地元のクラブであるHNKリエカでキャリアをスタートさせ、1995年から2000年までの間に公式戦97試合に出場し、21得点を挙げました。特に1999-2000シーズンではチーム内最多の15得点を記録し、その活躍が国内の強豪クラブ、NKディナモ・ザグレブの注目を集めました。
2000年にディナモ・ザグレブと契約すると、バラバンはリエカ時代と変わらず高い得点能力を発揮し、わずか25試合で14得点を挙げ、再びリーグの得点王となりました。この活躍により、翌2001-02シーズンの開幕からわずか2試合に出場した後、彼はイングランドのアストン・ヴィラへと移籍することになりました。移籍金は580.00 万 GBPと報じられ、週給は2.00 万 GBPという高額な5年契約を締結しました。
3. クラブキャリア
ボシュコ・バラバンのプロサッカー選手としてのキャリアは、クロアチア国内での輝かしいスタートから、イングランドでの困難、そしてベルギーでの復活、さらに晩年のアジアでの挑戦と、多様な経験を経て形成されました。
3.1. アストン・ヴィラ時代
2001年8月にアストン・ヴィラに移籍したバラバンは、イングランドでのキャリアを通じて大きな困難に直面しました。高額な移籍金と週給にもかかわらず、在籍2年半の間にリーグ戦出場はわずか8試合(うち先発出場は2試合)に留まり、無得点という不本意な結果に終わりました。
このため、バラバンはメディアやファンの間で「プレミアリーグ史上最悪の獲得選手の一人」として繰り返し挙げられるようになりました。例えば、2007年には『タイムズ』紙が選定するプレミアリーグでプレーした50人の最悪な選手の一人に選出されています。
しかし、バラバン自身はこのような評価に反論しています。2019年の『フォー・フォー・トゥー』誌のインタビューで、彼はアストン・ヴィラが自分にプレーする機会を「決して与えなかった」と主張し、「もしクラブが多額の資金を投じて選手を獲得し、その選手を実際にプレーさせないのなら、皮肉を言われるべきはそのクラブの方だろう」と述べ、自身の失敗の責任はクラブ側にあると訴えました。
3.2. ディナモ・ザグレブ復帰とクラブ・ブルッヘでの成功
アストン・ヴィラで出場機会に恵まれなかったバラバンは、2002-03シーズンに古巣のディナモ・ザグレブへ期限付き移籍で復帰しました。この復帰は彼にとって転機となり、24試合で15得点という好成績を収め、再び得点能力の高さを示しました。しかし、期限付き移籍期間満了後の2003年12月、アストン・ヴィラから契約解除を言い渡されました。
その後、バラバンは2004年1月にベルギーのクラブ・ブルッヘへ自由移籍で加入しました。クラブ・ブルッヘでのバラバンは、アストン・ヴィラ時代とは打って変わって輝かしい活躍を見せます。2004-05シーズンには24試合で25得点、2005-06シーズンには30試合で27得点という驚異的な記録を叩き出しました。特に1試合で4得点を挙げるなどの活躍により、クラブ・ブルッヘのファンからは「スーパー・ボシュコ」という愛称で親しまれるようになりました。バラバン自身も、クラブ・ブルッヘでの日々は「素晴らしい時間だった」と語っています。
しかし、2006-07シーズン終了後、クラブが同シーズンの得点王であったフランソワ・ステルシュルを獲得したため、バラバンは再び古巣のディナモ・ザグレブへ戻ることになりました。
ディナモ・ザグレブでの3度目の在籍期間中、バラバンは論争の的となる事件を引き起こしました。NKインテル・ザプレシッチとの試合で得点を決めた後、彼は観客席に向かってファシスト式敬礼を行いました。この行為は社会的な非難を浴び、バラバンは100 HRKの罰金を科されました。この出来事は、スポーツ選手が社会に与える影響と、歴史的・政治的なシンボルに対する認識の重要性を改めて浮き彫りにしました。
3.3. 晩年のキャリア
ディナモ・ザグレブでの3度目の在籍を終えた後、バラバンはキャリアの晩年をギリシャとマレーシアで過ごしました。
2009年6月、彼はギリシャのパニオニオスと3年契約を締結しました。2009-10シーズンのギリシャ・スーパーリーグでは8得点を挙げ、チームの得点源として貢献しました。
その後、2012年1月29日にはマレーシアのセランゴールFAと契約を結び、新たな挑戦を始めました。同年2月14日のリーグ首位ケランタンFA戦でデビューを飾り、決勝点を挙げてチームを2対1の勝利に導きました。セランゴールFAでは20試合に出場して12得点を記録し、チームのAFCカップ2013出場権獲得に貢献しました。しかし、双方の合意により、彼は契約を延長することなくチームを退団しました。
4. 代表キャリア
ボシュコ・バラバンは2000年から2007年までの間にクロアチア代表として35試合に出場し、10得点を挙げました。彼の代表キャリアは、順調な滑り出しを見せたものの、主要な国際大会での出場機会には恵まれない時期もありました。
4.1. 初期代表活動
バラバンのクロアチアA代表デビューは、クロアチアU-21代表で1年以上にわたりレギュラーとして活躍した後、2000年8月16日にスロバキア代表との親善試合で訪れました。この試合は1対1の引き分けに終わりましたが、彼はクロアチア唯一の得点を挙げ、デビュー戦を成功で飾りました。
彼は2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選でその真価を発揮しました。全8試合に出場し、5得点を記録。特に2001年3月24日のラトビア代表戦ではハットトリックを達成し、4対1の勝利に貢献しました。この活躍により、バラバンは2002 FIFAワールドカップ本大会のクロアチア代表メンバーに選出されましたが、残念ながらグループステージの全3試合でベンチにとどまり、出場機会はありませんでした。
その後、2003年2月から2004年8月までの間は代表から遠ざかり、UEFA EURO 2004の予選および本大会のメンバーには選ばれませんでした。
4.2. 後期代表活動と関連する出来事
バラバンは2006 FIFAワールドカップ予選を通じて代表に復帰し、2004年10月9日のブルガリア代表戦で再びピッチに立ちました。その後も予選で4試合に出場し、2005年9月3日のアイスランド代表戦では2得点を挙げるなど、重要な役割を果たしました。しかし、2006 FIFAワールドカップ本大会においても、彼は前回大会と同様にグループステージの全3試合でベンチからチームを見守ることになりました。
2006年9月初旬、クロアチア代表のスラベン・ビリッチ監督は、バラバンを含むイヴィツァ・オリッチ、ダリヨ・スルナの3選手を、ザグレブのディスコで深夜までパーティーをしていたことを理由に、UEFA EURO 2008予選のロシア代表戦に向けた代表メンバーから除外しました。この事件はメディアでも大きく報じられ、選手たちの規律違反に対する厳しい措置が示されました。
しかし、バラバンは処分を受けた3選手の中で唯一、その1ヶ月後に行われたアンドラ代表との次なる予選試合(7対0でクロアチア勝利)で代表に復帰しました。この試合で彼は後半途中から出場し、ピッチに入ってからわずか20秒で得点を記録。これはクロアチア代表史上最短時間での得点となり、代表史上最大差勝利タイ記録に貢献しました。この一連の出来事は、彼の規律に関する課題と、それでもなおチームに貢献できる才能を持つことを示しました。
5. 個人生活
ボシュコ・バラバンは既婚者であり、公にはその私生活の一部が報じられています。しかし、近年彼の個人生活に関して、社会的な責任が問われる事件が報じられました。
2023年11月、バラバンは養育費の未払いにより1年間の収監を命じられました。これは、彼の元妻であるミス・クロアチアのイヴァ・ラディッチに対する養育費の支払いを怠ったためとされています。この事件は、元プロサッカー選手としての彼の名声とは裏腹に、個人の責任と法遵守の重要性を浮き彫りにするものでした。
6. 獲得タイトルと栄誉
ボシュコ・バラバンは、そのキャリアを通じてクラブおよび個人レベルで多くのタイトルと栄誉を獲得しました。
6.1. クラブタイトル
- NKディナモ・ザグレブ**
- クロアチア・ファーストリーグ:2002-03、2007-08
- クロアチア・カップ:2000-01、2007-08、2008-09
- クロアチア・スーパーカップ:2002
- クラブ・ブルッヘ**
- ベルギー・ファーストディビジョン:2004-05
- ベルギーカップ:2003-04、2006-07
- ベルギー・スーパーカップ:2005
6.2. 個人タイトル
- スポーツケ・ノボスティ紙選定プルヴァHNL年間最優秀選手賞:2001
- クロアチア代表史上最短時間得点記録
- マレーシア・スーパーリーグ得点王:2012
7. キャリア統計
7.1. クラブ統計
クラブ | シーズン | リーグ | 国内カップ | リーグカップ | 国際大会 | 合計 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
HNKリエカ | 1995-96シーズン | プルヴァHNL | 3 | 0 | 0 | 0 | - | - | 3 | 0 | ||
1996-97シーズン | プルヴァHNL | 19 | 1 | 1 | 0 | - | - | 20 | 1 | |||
1997-98シーズン | プルヴァHNL | 26 | 1 | 2 | 0 | - | - | 28 | 1 | |||
1998-99シーズン | プルヴァHNL | 23 | 4 | 2 | 0 | - | - | 25 | 4 | |||
1999-2000シーズン | プルヴァHNL | 29 | 16 | 3 | 1 | - | 2 | 0 | 34 | 17 | ||
合計 | 100 | 22 | 8 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 110 | 23 | ||
ディナモ・ザグレブ | 2000-01シーズン | プルヴァHNL | 25 | 14 | 3 | 5 | - | 4 | 0 | 32 | 19 | |
2001-02シーズン | プルヴァHNL | 2 | 1 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 2 | 1 | ||
合計 | 27 | 15 | 3 | 5 | 0 | 0 | 4 | 0 | 34 | 20 | ||
アストン・ヴィラ | 2001-02シーズン | プレミアリーグ | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 8 | 0 | |
ディナモ・ザグレブ | 2002-03シーズン | プルヴァHNL | 24 | 15 | 2 | 3 | 0 | 0 | 4 | 0 | 30 | 18 |
クラブ・ブルッヘ | 2003-04シーズン | ベルギー・ファーストディビジョン | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2004-05シーズン | ベルギー・ファーストディビジョン | 22 | 9 | 3 | 0 | 1 | 0 | 8 | 4 | 34 | 13 | |
2005-06シーズン | ベルギー・ファーストディビジョン | 30 | 13 | 1 | 0 | 1 | 1 | 8 | 3 | 40 | 17 | |
2006-07シーズン | ベルギー・ファーストディビジョン | 29 | 16 | 6 | 4 | - | 5 | 3 | 40 | 23 | ||
合計 | 83 | 40 | 10 | 4 | 2 | 1 | 21 | 10 | 116 | 55 | ||
ディナモ・ザグレブ | 2007-08シーズン | プルヴァHNL | 18 | 11 | 4 | 2 | - | 6 | 1 | 28 | 14 | |
2008-09シーズン | プルヴァHNL | 13 | 6 | 3 | 4 | - | 9 | 2 | 25 | 12 | ||
合計 | 31 | 17 | 7 | 6 | 0 | 0 | 15 | 3 | 53 | 26 | ||
パニオニオス | 2009-10シーズン | ギリシャ・スーパーリーグ | 24 | 8 | 3 | 1 | - | - | 27 | 9 | ||
2010-11シーズン | ギリシャ・スーパーリーグ | 26 | 4 | 1 | 0 | - | - | 27 | 4 | |||
合計 | 50 | 12 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 54 | 13 | ||
セランゴールFA | 2012シーズン | マレーシア・スーパーリーグ | 20 | 12 | 2 | 1 | 8 | 4 | - | 27 | 9 | |
キャリア合計 | 343 | 133 | 35 | 21 | 10 | 5 | 46 | 13 | 434 | 172 |
7.2. 代表統計
7.2.1. 代表戦出場記録
クロアチア | ||
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2000 | 3 | 1 |
2001 | 9 | 5 |
2002 | 2 | 0 |
2003 | 1 | 0 |
2004 | 3 | 0 |
2005 | 6 | 2 |
2006 | 6 | 2 |
2007 | 5 | 0 |
合計 | 35 | 10 |
7.2.2. 代表戦得点記録
# | 日付 | 会場 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2000年8月16日 | テヘルネ・ポレ, ブラチスラヴァ, スロバキア | スロバキア | 0-1 | 1-1 | 親善試合 |
2 | 2001年3月24日 | グラドスキー・ヴルト, オシエク, クロアチア | ラトビア | 1-0 | 4-1 | 2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
3 | 2-0 | |||||
4 | 3-0 | |||||
5 | 2001年6月2日 | スタディオン・ヴァラジュディン, ヴァラジュディン, クロアチア | サンマリノ | 2-0 | 4-0 | |
6 | 2001年6月6日 | スコント・スタディオン, リガ, ラトビア | ラトビア | 0-1 | 0-1 | |
7 | 2005年9月3日 | ラウガルダルスヴェルル, レイキャヴィーク, アイスランド | アイスランド | 1-1 | 1-3 | 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
8 | 1-2 | |||||
9 | 2006年5月23日 | エルンスト・ハッペル・シュターディオン, ウィーン, オーストリア | オーストリア | 1-4 | 1-4 | 親善試合 |
10 | 2006年10月7日 | マクシミール・スタジアム, ザグレブ, クロアチア | アンドラ | 6-0 | 7-0 | UEFA EURO 2008予選 |