1. 概要
オランダの伝説的なキックボクサー、アーネスト・ホースト(Ernesto Hoostアーネスト・ホースト英語、1965年7月11日 - )は、K-1の舞台で「ミスター・パーフェクト」の異名を持つ技術と知性を兼ね備えたインテリジェントファイターとして、その名を歴史に刻みました。彼はK-1ワールドグランプリで史上最多となる4度の優勝を達成し、K-1初期の黄金時代を支えた「K-1四天王」の一角として、ピーター・アーツ、アンディ・フグ、マイク・ベルナルドらと共にキックボクシング界を牽引しました。
ホーストは、その類まれな正確無比なコンビネーション、致命的なローキック、そして優れたカウンター能力と防御技術により、ヘビー級のパワーファイターがひしめくK-1において、戦術的な輝きを象徴する存在となりました。彼のキャリアは輝かしい功績に満ちていますが、一部の試合では判定を巡る論争も生じ、その評価は多角的に議論されるべき点も持ち合わせています。本項目では、彼の生涯、主な功績、格闘スタイル、そしてK-1の歴史に残した足跡を包括的に紹介し、その社会的影響や格闘界への貢献、関連する議論についても中道左派的な視点から考察します。
2. 来歴
アーネスト・ホーストは、キックボクシングの世界において輝かしいキャリアを築き上げ、K-1の歴史に深く名を刻みました。ここでは、彼の幼少期から引退後の活動までを年代順に追います。
2.1. 幼少期と教育
アーネスト・ホーストは1965年7月11日、スリナム系の両親の元、オランダの北ホラント州ヘームスケルクに生まれました。1970年にオランダに移住し、幼少期はアマチュアのサッカークラブ「HVVホランディア」でサッカー選手として活動していました。15歳までサッカーを続けた後、新しく開かれたソクドージムでキックボクシングのトレーニングを開始しました。
2.2. K-1以前の格闘キャリア
1983年12月11日、プロとしての初戦を経験し、ムエタイルールでウィム・シャレンバーグを2ラウンドKOで下し、勝利を飾りました。彼はCクラスデビューながら、最初の20戦全てをKOで飾り、瞬く間にAクラス選手へと昇格しました。1988年からは彼のキャリアは加速し、サバット、ムエタイ、キックボクシングなど様々な格闘技でヨーロッパおよび世界タイトルを獲得しました。彼は代替罰を受けた若者たちを指導するスポーツ教師の職を辞し、プロの格闘家としてのキャリアに専念しました。
主な初期タイトルとしては、1987年11月8日のMTBNオランダムエタイ王者、1988年5月7日のMTBNヨーロッパムエタイ王者、同年6月のISKAフルコンタクトヨーロッパ選手権優勝、同年9月のWKAキックボクシングヨーロッパ選手権優勝があります。1988年11月20日には、後にK-1四天王として名を連ねるピーター・アーツと初対戦し、5ラウンド判定勝利を収めました。
1989年8月27日、フランスのパリで開催された第1回世界サバット選手権大会のコンバ部門でフランシス・ドービンを3ラウンドKOで下し、初のムエタイ世界タイトルを獲得しました。同年10月にはムエタイ世界選手権大会でも優勝を果たしました。1990年1月にはWKAキックボクシング世界選手権大会で優勝しましたが、同年11月18日にはロブ・カーマンとの再戦で5ラウンドKO負けを喫しました。ホースト自身は、このKOは直前に急所を打たれたためだと主張しています。
1992年11月13日、フランスで行われたISKAフルコンタクト世界ライトヘビー級タイトルマッチでは、リック・ルーファスと対戦しました。ローキックが使えないルールに慣れず、ルーファスのフットワークについていけなかった結果、12ラウンド判定負けを喫しました。
2.3. K-1グランプリデビューと初期の挑戦 (1993年-1996年)
1993年4月30日、ホーストはK-1初のビッグイベント「K-1 GRAND PRIX '93」に出場し、ミドル級の体重ながらヘビー級の舞台に挑戦しました。1回戦でピーター・アーツに判定勝ち、準決勝でモーリス・スミスに左ハイキックで失神KO勝ちを収め、決勝に進出しました。しかし、決勝ではブランコ・シカティックに右ストレートでKO負けを喫し、準優勝に終わりました。この大会での活躍により、ホーストは瞬く間にK-1の強者としてその名を轟かせました。
同年12月19日、両国国技館で行われた「K-2 GRAND PRIX '93」に出場。1回戦でマンソン・ギブソンに延長ラウンド判定勝ち。準決勝でアダム・ワットに1ラウンドKO勝ち。決勝はチャンプア・ゲッソンリットに4ラウンドKO勝ちを収め、K-2グランプリの初代にして最後の王者となりました。
1994年5月8日、オランダのアムステルダムで行われた「K-2 PLUS TOURNAMENT」に出場し、決勝でボブ・シュライバーを1ラウンドKOで破り優勝しました。同年11月12日、ISKAフルコンタクト世界ライトヘビー級タイトルマッチでリック・ルーファスと再戦。9ラウンドにパンチでスタンディングダウンを奪い、11ラウンドには右ハイキックでKO勝ちを収め、前回の雪辱を果たしました。1994年12月10日には、ブランコ・シカティックと再戦するも、2ラウンドKO負けを喫しました。
1995年3月3日、「K-1 GRAND PRIX '95」に出場し、1回戦でフーベルト・ヌムリッヒにTKO勝ち。5月4日、準々決勝でジョニー・クレインにKO勝ちするも、準決勝で再びピーター・アーツに延長戦で判定負けを喫しました。同年7月16日には「K-1 LEGEND ~翔~」でアンディ・フグと初対戦し、判定勝ちを収めています。
1996年3月10日、「K-1 GRAND PRIX '96」に出場。1回戦でスチュアート・グリーンにKO勝ち。5月6日、準々決勝でミルコ・タイガー(現在のミルコ・クロコップ)にKO勝ちを収めるも、準決勝でアンディ・フグに判定で敗れ、リベンジを許す形となりました。同年10月18日には「K-1 STAR WARS '96」でジェロム・レ・バンナと初対戦し、2ラウンドKO負けを喫しました。
2.4. 全盛期と初のK-1ワールドグランプリ優勝 (1997年-2001年)
1997年、ホーストはキャリアの全盛期を迎え、待望のK-1ワールドグランプリ初優勝を飾りました。同年4月29日、「K-1 BRAVES '97」でマイク・ベルナルドと初対戦。ダウンを奪われながらも高速コンビネーションで逆転KO勝ちを収め、強さを見せつけました。
同年9月7日、「K-1 GRAND PRIX '97」に出場し、1回戦でステファン・レコにKO勝ち。11月9日、準々決勝でジェロム・レ・バンナにKO勝ち、準決勝でフランシスコ・フィリォに判定勝ち、そして決勝戦では因縁のライバルアンディ・フグに判定勝ちを収め、遂にK-1グランプリの頂点に立ちました。
1998年9月27日、「K-1 GRAND PRIX '98」に出場し、1回戦でトスカ・ザ・キング・オブ・スティングにTKO勝ちを収めましたが、12月13日の準々決勝でサム・グレコと対戦。左目の上をカットし、2ラウンド終了時にセコンドのタオル投入によりTKO負けを喫しました。
1999年4月25日、「K-1 REVENGE '99」でフランシスコ・フィリオに右フック一撃で失神KO負けを喫するという衝撃的な敗戦を経験しました。しかし、ホーストはこの挫折から見事に立ち直ります。同年10月5日、「K-1 GRAND PRIX '99」に出場し、1回戦でジャビット・バイラミに判定勝ち。12月5日、準々決勝でアンディ・フグに判定勝ち、準決勝でジェロム・レ・バンナにKO勝ち、そして決勝戦でミルコ・クロコップにKO勝ちを収め、グランプリ2度目の優勝を果たし、8か月前の失神KO負けからの劇的な復活劇を見せつけました。
2000年7月30日、K-1 WORLD GP 2000 in NAGOYAの予選トーナメントに出場。決勝に勝ち上がったものの、ジェロム・レ・バンナとの対戦で2ラウンド開始直前にヒザの異常を訴え、試合続行を断念しTKO負けを喫しました。しかし、同年12月10日、「K-1 WORLD GP 2000」に出場し、1回戦でミルコ・クロコップに判定勝ち、準決勝でフランシスコ・フィリォに判定勝ち、決勝戦でレイ・セフォーに判定勝ちを収め、ワールドグランプリ3度目の優勝を果たしました。これにより、K-1最多優勝記録を更新し、ピーター・アーツやアンディ・フグと並ぶ存在となりました。
2001年6月16日、K-1 WORLD GP 2001 in MELBOURNEの予選トーナメントで優勝し、K-1 WORLD GP 2001の出場権を獲得しました。1回戦でセルゲイ・グール、準決勝でマーク・ハントに判定勝ち、決勝でマット・スケルトンに判定勝ちを収めています。同年12月8日、「K-1 WORLD GP 2001」に出場し、1回戦でステファン・レコに判定勝ちを収めましたが、左足の甲を負傷したため、準決勝を棄権せざるを得ませんでした。
2.5. 主要なライバル戦と4度目のK-1ワールドグランプリ優勝 (2002年)
2002年は、アーネスト・ホーストのキャリアにおいて、特にドラマチックで記憶に残る年となりました。同年8月28日、PRIDEとK-1の合同興行「Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立」にて、当時新世代の台頭を予感させるセーム・シュルトと初対戦し、5ラウンド引き分けに終わりました。
同年10月5日、「K-1 WORLD GP 2002」開幕戦の1回戦で、多くのファンが待ち望んでいたボブ・サップと対戦しました。ホーストはサップの強引な突進に対し、ローキックでダメージを与え、ダウン寸前まで追い詰めました。しかし、サップが振り回す豪快なパンチラッシュを浴び、2度倒され、1ラウンドのインターバル中に左眉のカットによりドクターストップ負けを喫するという、論争を呼ぶ結果となりました。この敗戦にもかかわらず、セーム・シュルトがPRIDE.23での負傷によりK-1ワールドグランプリ出場を辞退したため、ホーストは敗者復活という形で準々決勝に進出しました。
2002年12月7日、K-1 WORLD GP 2002決勝大会の準々決勝で、再び因縁のボブ・サップと対戦しました。1ラウンドにローキックとパンチの猛攻でサップからダウンを奪うなど、ホースト優位に見えました。しかし、2ラウンドにサップの強引な右フックでダウンを喫し、立ち上がって反撃を試みるも、パンチの連打を浴びてスタンディングダウンとなり、2ノックダウンでKO負けを喫しました。この試合でもまたしても論争が起こりましたが、勝利したサップは右拳中指骨骨折によりドクターストップで棄権したため、ホーストが再び敗者復活で準決勝に進むという前代未聞の事態となりました。
準決勝ではレイ・セフォーと対戦。セフォーは準々決勝で既にダメージを蓄積しており、ホーストのローキックをカットした際に足の状態を悪化させ、試合続行不能となりホーストがKO勝ちを収めました。決勝戦では、当時「人間兵器」とまで呼ばれ、その強さが際立っていたジェロム・レ・バンナと激突しました。多くの専門家やファンがレ・バンナの優勢を予想する中、ホーストは3ラウンドに渾身の右ミドルキックを放ち、レ・バンナの左腕の骨を粉砕するという劇的な展開でKO勝ちを収めました。この勝利により、ホーストは前人未到の4度目のK-1ワールドグランプリ優勝という偉業を達成し、「ミスター・パーフェクト」の異名を不動のものとしました。レ・バンナは重度の複合骨折を負い、1年以上にわたる長期離脱を余儀なくされました。
翌2003年1月19日、プロレス興行「ファンタジーファイトWRESTLE-1」に「アーネスト・"ビースト"」として出場し、因縁のボブ・サップとプロレスルールで再戦。STFや卍固め、パイプイス攻撃などを繰り出し、最後はスクールボーイ(横入りエビ固め)で3カウントを奪い勝利を収めました。
2.6. 後期キャリアと引退 (2003年-2006年)
2003年のK-1ワールドグランプリでは、持病のアトピー性皮膚炎が悪化したため欠場を余儀なくされました。これは、彼のキャリアにおいて健康問題が影響を与えた数少ない例の一つです。
2004年9月25日、「K-1 WORLD GP 2004」に出場し、1回戦でグラウベ・フェイトーザに判定勝ちを収めました。同年12月4日の準々決勝では、前年王者のレミー・ボンヤスキーと対戦しました。延長ラウンドまでもつれ込む接戦となり、ホーストは互角以上に戦ったにもかかわらず、不可解な判定により判定負けを喫しました。この試合の判定は、一部の格闘技雑誌でも「疑惑の判定」として取り上げられ、大会主催者のFEGとフジテレビには抗議の電話とメールが殺到し、K-1公式ホームページで判定の検証が行われるという前代未聞の事態に発展しました。これは、ホーストが直面したキャリアにおける大きな論争の一つとして記憶されています。
2005年9月23日、K-1 WORLD GP 2005開幕戦は、再び持病のアトピー性皮膚炎と膝の怪我で欠場しました。この大会中に、今後はワンマッチのみを行い、1日に数試合を戦う過酷なグランプリには出場しないと宣言し、2006年中に引退試合を行う予定であることを明らかにしました。
2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!で、当時K-1王者になったばかりのセーム・シュルトとの新旧王者対決を行いました。1ラウンドにシュルトの膝蹴りを受けダウンを奪われると、その際に左目尻をカットし出血。ドクターチェックの結果、傷口の深さと位置から試合続行不可能と判断され、無念のTKO負けを喫しました。
2006年5月13日、K-1 WORLD GP 2006 in AMSTERDAMにおいて、母国オランダでの引退試合を行う予定でしたが、対戦予定だったボブ・サップが契約問題のこじれから試合直前になってボイコットしたため、地元テレビの解説として来場していたピーター・アーツとの対戦に急遽変更となり、判定勝ちを収めました。
2006年7月30日、K-1 WORLD GP 2006札幌大会での発表で、同年9月に行われるグランプリ開幕戦を経て、12月2日のグランプリ決勝大会で優勝し、「ファイブ・タイムス・チャンピオン」になった上での現役引退を目指すことを宣言しました。彼は、このグランプリが最後の戦いとなることを表明し、優勝した場合は引退、同時にグランプリで誰かに敗れた時点で即引退すると語りました。「いつかは終わりが来るものなので、これが最後だから寂しいという気持ちはない。それよりも仲間達とこの場に居られることが満足だ。K-1はこの大会が終わっても先に進むが、自分は先には進めないかも知れないが、22年間ファイターとして闘ってこられたことは満足している」と語り、格闘家としての自身の満足感を表明しました。
2006年9月30日、K-1 WORLD GP 2006開幕戦に出場。1回戦で藤本祐介にKO勝ちを収め、準々決勝に駒を進めました。そして2006年12月2日、K-1 WORLD GP 2006決勝戦に出場。準々決勝でハリッド"ディ・ファウスト"と対戦し、延長ラウンド判定勝利。準決勝では、2005年末に敗れたセーム・シュルトと3度目の対戦となりました。3ラウンドを戦い抜いたものの、シュルトに有効な攻撃を与えることができず判定負けを喫しました。試合後には涙を流して挨拶し、大きな声援と拍手の中、リングを降りました。この試合をもってホーストは一旦現役を引退しました。
2.7. 引退後の活動と復帰
引退後、ホーストは後進育成に尽力しています。「チーム・ミスター・パーフェクト」という自身のジムを運営し、若手選手の指導を行っています。彼の指導を受けた選手には、ポール・スロウィンスキーやアントニ・ハードンクなどがおり、ヒョードル・エメリアーエンコともレッグストライクやレスリングのトレーニングを行っています。日本では名古屋に支部を持ち、指導を続けています。
2012年には、親日家であるホーストは東京マラソンに出場し、完走を果たしました。同年5月20日には、自身の名を冠したキックボクシングイベント「ホーストカップ2012~Departure~」のエグゼクティブプロデューサーを務めました。
2014年3月23日の「HoostCup LEGEND」で、約8年ぶりに現役復帰。トーマス・スタンレーから2度のダウンを奪い、判定勝ちを収めました。同年10月19日には、ピーター・アーツとWKO世界ヘビー級王座をかけて対戦し、判定勝ちで王座を獲得しました。これは二人の通算6度目の対戦でした。
3. 格闘スタイル
アーネスト・ホーストは、「ミスター・パーフェクト」の異名にふさわしい、独特で完璧な格闘技術と戦略を兼ね備えたファイターでした。彼は他のヘビー級選手のような圧倒的なフィジカルやパワーに頼ることなく、優れたスピード、正確性、そして戦術的な輝きによって成功を収めました。
彼の代名詞ともいえる特徴は、まるで機械のような技術的精度で複雑なコンビネーションを繰り出す能力です。特に彼の最も恐れられた武器は、コンビネーションの終わりに相手の足を破壊するために繰り出される「致命的なローキック」でした。彼はこのローキックを巧みに用いることで、レイ・セフォー、ミルコ・クロコップ、イゴール・ボブチャンチンといったトップ選手たちをKOに追い込みました。
ホーストはまた、強力なカウンターゲームと高い防御技術も持ち合わせていました。これにより、よりパワーのあるファイターが強引に打ち合いを挑んできた際にも、冷静に対応し生き残ることができました。ただし、この防御能力がボブ・サップのような規格外の体格を持つ相手に対しては、2度にわたる敗戦を喫するなど、有効に機能しなかったことも特筆されます。彼はヘビー級の舞台で、年齢を重ねるごとに体重を増やし、無理なくヘビー級の体格を作り上げたことで、依然としてテクニシャンとして強さを維持し、「年齢はただの数字に過ぎない」という言葉を体現しました。
4. 私生活と大衆的イメージ
アーネスト・ホーストは、リング上での「ミスター・パーフェクト」としてのイメージとは異なる、親しみやすい私生活の一面も持っています。
彼は現在、妻と子供たちと共にホーナの町に住んでいます。非常に流暢な日本語を話すことで知られており、公的なインタビューではオランダ語を用いることが多いものの、日本のバラエティ番組に出演する際にはしばしば日本語で会話する場面が見られました。
趣味はカラオケであり、日本のテレビ番組『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』に出演した際には、吉幾三の楽曲を披露したエピソードもあります。また、格闘界では「大変な恐妻家」としても知られています。
現役時代には、持病であるアトピー性皮膚炎の悪化により、度々体調を崩し、試合を欠場せざるを得ないこともありました。これは彼のキャリアに影響を与えた個人的な側面の一つです。
試合後の勝利時には「ホースト・ダンス」と呼ばれる独特のダンスを披露することでも有名でした。
5. 功績と評価
アーネスト・ホーストは、キックボクシング界に計り知れない影響を与え、その功績は高く評価されていますが、彼のキャリアにはいくつかの批判的な側面や論争も存在します。
5.1. 主な功績と影響
ホーストの最大の功績は、K-1ワールドグランプリにおいて史上最多となる4回優勝という比類なき記録を打ち立てたことです。K-1創成期からヘビー級のトップ戦線で活躍し、「インテリジェントファイター」の象徴として、K-1ヘビー級の舞台に技術と戦術の重要性を確立しました。彼の精密なコンビネーションとローキックは、多くのファイターに影響を与え、後の世代の育成にも貢献しています。
引退後も「チーム・ミスター・パーフェクト」を立ち上げ、ポール・スロウィンスキーなど後進の指導に力を入れていることは、格闘技界への継続的な貢献として高く評価されています。彼は単なる選手としてだけでなく、指導者としてもキックボクシングの発展に寄与しています。
5.2. 批判と論争
ホーストのキャリアにおいて、最も大きな論争となったのは、2002年のボブ・サップとの2連戦です。最初の対戦では、ホーストが左眉のカットによりドクターストップ負けを喫しましたが、その後サップの負傷によりホーストが準々決勝に進出するという異例の事態となりました。2度目の対戦でも、ホーストはKO負けを喫しながらも、サップの棄権により再び勝ち上がることになり、その「敗者復活」の経緯は一部で批判の対象となりました。
また、2004年のK-1 WORLD GP準々決勝でのレミー・ボンヤスキー戦における判定も大きな論争を呼びました。延長戦までもつれ込んだ接戦でしたが、ホーストが敗北した判定は「不可解な判定」とされ、ファンから多数の抗議が殺到し、大会主催者が公式に判定の検証を行うという異例の事態となりました。この試合は、ホーストが格闘技の公平性を巡る議論に巻き込まれた象徴的な出来事となりました。
これらの論争は、ホーストの選手としての輝かしい功績を曇らせるものではありませんが、K-1というプロモーションの運営や判定の透明性に関する問題提起として、彼のキャリアの一部を形成する要素として客観的に記述されるべきです。
6. 獲得タイトルと受賞
アーネスト・ホーストは、そのキャリアを通じて数々のタイトルを獲得し、キックボクシング界における伝説的な地位を確立しました。
- アマチュア
- ヨーロッパサバット選手権大会 コンバ部門 ミドル級 優勝 (1988年)
- 第1回世界サバット選手権大会 コンバ部門 優勝 (1989年)
- プロ
- MTBNオランダムエタイ王者 (1987年)
- MTBNヨーロッパムエタイ王者 (1988年)
- ISKAヨーロッパフルコンタクト王者 (1988年)
- ISKAヨーロッパムエタイ王者 (1988年)
- WKAヨーロッパキックボクシング王者 (1988年)
- WMTAムエタイ世界王者 (1989年、1990年、1992年)
- WKAキックボクシング世界王者 (1990年)
- ISKAフルコンタクト世界ライトヘビー級王者 (1994年)
- K-2 PLUS TOURNAMENT 優勝 (1994年)
- K-2 GRAND PRIX '93 優勝 (1993年)
- K-1 GRAND PRIX '93 準優勝 (1993年)
- K-1 GRAND PRIX '97 優勝 (1997年)
- K-1 GRAND PRIX '99 優勝 (1999年)
- K-1 WORLD GP 2000 in NAGOYA 準優勝 (2000年)
- K-1 WORLD GP 2000 優勝 (2000年)
- K-1 WORLD GP 2001 in MELBOURNE 優勝 (2001年)
- K-1 WORLD GP 2002 優勝 (2002年)
- WKO世界ヘビー級王者 (2014年)
- その他
- ブラックベルトマガジン 2004年 フルコンタクトファイターオブザイヤー
7. キックボクシング戦績
勝敗 | 対戦相手 | 大会名 | 開催年月日 | 場所 | 方法 | ラウンド | 時間 | 通算戦績 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
○ | ピーター・アーツ | WKO: Kumite Energy | 2014年10月19日 | 大阪、日本 | 判定 (3-0) | 3 | 2:00 | 99勝21敗1分 | WKO世界ヘビー級王座獲得 | |
○ | トーマス・スタンレー | Hoost Cup: Legend | 2014年3月23日 | 名古屋、日本 | 判定 (3-0) | 3 | 2:00 | 98勝21敗1分 | ||
× | セミー・シュルト | K-1 World Grand Prix 2006 準決勝 | 2006年12月2日 | 東京、日本 | 判定 (0-3) | 3 | 3:00 | 97勝21敗1分 | ||
○ | ハリッド"ディ・ファウスト" | K-1 World Grand Prix 2006 準々決勝 | 2006年12月2日 | 東京、日本 | 延長R 判定 (3-0) | 4 | 3:00 | 97勝20敗1分 | ||
○ | 藤本祐介 | K-1 World Grand Prix 2006 in Osaka opening round 1回戦 | 2006年9月30日 | 大阪、日本 | KO (右ローキック) | 3 | 2:09 | 96勝20敗1分 | K-1グランプリ '06 決勝進出 | |
○ | ピーター・アーツ | K-1 World Grand Prix 2006 in Amsterdam | 2006年5月13日 | アムステルダム、オランダ | 判定 (2-0) | 3 | 3:00 | 95勝20敗1分 | ||
× | セミー・シュルト | K-1 PREMIUM 2005 Dynamite | 2005年12月31日 | 東京、日本 | TKO (レフェリーストップ) | 2 | 0:41 | 94勝20敗1分 | ||
× | レミー・ボンヤスキー | K-1 World Grand Prix 2004 準々決勝 | 2004年12月4日 | 東京、日本 | 延長R 判定 (0-3) | 4 | 3:00 | 94勝19敗1分 | ||
○ | グラウベ・フェイトーザ | K-1 World Grand Prix 2004 final elimination 1回戦 | 2004年9月25日 | 東京、日本 | 判定 (3-0) | 3 | 3:00 | 94勝18敗1分 | K-1グランプリ '04 決勝進出 | |
○ | ジャビット・バイラミ | K-1 World Grand Prix 2004 in Saitama | 2004年3月27日 | 埼玉、日本 | 判定 (3-0) | 3 | 3:00 | 93勝18敗1分 | ||
○ | モンターニャ・シウバ | K-1 PREMIUM 2003 Dynamite | 2003年12月31日 | 東京、日本 | 判定 (3-0) | 3 | 3:00 | 92勝18敗1分 | ||
○ | シリル・アビディ | K-1 World Grand Prix 2003 in Fukuoka | 2003年7月13日 | 福岡、日本 | 判定 (3-0) | 2 | 3:00 | 91勝18敗1分 | ||
○ | マーティン・ホルム | K-1 World Grand Prix 2003 in Paris | 2003年6月14日 | パリ、フランス | 判定 (3-0) | 5 | 3:00 | 90勝18敗1分 | ||
○ | ジェファーソン"タンク"シウバ | K-1 World Grand Prix 2003 in Saitama | 2003年3月30日 | 埼玉、日本 | KO (パンチ) | 1 | 2:55 | 89勝18敗1分 | ||
○ | ジェロム・レ・バンナ | K-1 World Grand Prix 2002 決勝 | 2002年12月7日 | 東京、日本 | KO (右ミドルキック) | 3 | 1:26 | 88勝18敗1分 | K-1ワールドグランプリ2002タイトル獲得 | |
○ | レイ・セフォー | K-1 World Grand Prix 2002 準決勝 | 2002年12月7日 | 東京、日本 | TKO (脛負傷) | 1 | 1:49 | 87勝18敗1分 | ||
× | ボブ・サップ | K-1 World Grand Prix 2002 準々決勝 | 2002年12月7日 | 東京、日本 | TKO (レフェリーストップ) | 2 | 2:53 | 86勝18敗1分 | ボブ・サップの負傷により準決勝進出 | |
× | ボブ・サップ | K-1 World Grand Prix 2002 final elimination 1回戦 | 2002年10月5日 | 埼玉、日本 | TKO (ドクターストップ) | 1 | 3:00 | 86勝17敗1分 | セーム・シュルトの負傷による代替としてK-1グランプリ '02 決勝進出 | |
△ | セミー・シュルト | Pride Shockwave | 2002年8月28日 | 東京、日本 | 引き分け | 5 | 3:00 | 86勝16敗1分 | ||
○ | ヤン"ザ・ジャイアント"ノルキヤ | K-1 World Grand Prix 2002 in Las Vegas | 2002年8月17日 | ラスベガス、ネバダ州 | KO (キック) | 3 | 1:29 | 86勝16敗 | ||
○ | ステファン・レコ | K-1 World Grand Prix 2002 in Paris | 2002年5月25日 | パリ、フランス | KO (パンチ) | 1 | 1:48 | 85勝16敗 | ||
○ | 中迫剛 | K-1 Burning 2002 | 2002年4月21日 | 広島、日本 | KO | 1 | 1:46 | 84勝16敗 | ||
○ | ステファン・レコ | K-1 World Grand Prix 2001 準々決勝 | 2001年12月8日 | 東京、日本 | 判定 (3-0) | 3 | 3:00 | 83勝16敗 | 負傷によりトーナメント棄権 | |
○ | マット・スケルトン | K-1 World Grand Prix 2001 in Melbourne 決勝 | 2001年6月16日 | メルボルン、オーストラリア | 判定 (2-0) | 3 | 3:00 | 82勝16敗 | K-1ワールドグランプリ2001 in メルボルン タイトル獲得 | |
○ | マーク・ハント | K-1 World Grand Prix 2001 in Melbourne 準決勝 | 2001年6月16日 | メルボルン、オーストラリア | 判定 (3-0) | 3 | 3:00 | 81勝16敗 | ||
○ | セルゲイ・グール | K-1 World Grand Prix 2001 in Melbourne 1回戦 | 2001年6月16日 | メルボルン、オーストラリア | TKO (レフェリーストップ) | 1 | 2:03 | 80勝16敗 | ||
○ | 武蔵 | K-1 Burning 2001 | 2001年4月15日 | 熊本、日本 | 判定 (2-0) | 5 | 3:00 | 79勝16敗 | ||
○ | ジャビット・バイラミ | 2H2H - Simply The Best | 2001年3月18日 | アムステルダム、オランダ | 判定 | 5 | 3:00 | 78勝16敗 | ||
○ | レイ・セフォー | K-1 World Grand Prix 2000 決勝 | 2000年12月10日 | 東京、日本 | 判定 (3-0) | 3 | 3:00 | 77勝16敗 | K-1ワールドグランプリ2000タイトル獲得 | |
○ | フランシスコ・フィリォ | K-1 World Grand Prix 2000 準決勝 | 2000年12月10日 | 東京、日本 | 判定 (3-0) | 3 | 3:00 | 76勝16敗 | ||
○ | ミルコ・クロコップ | K-1 World Grand Prix 2000 準々決勝 | 2000年12月10日 | 東京、日本 | 延長R 判定 (3-0) | 4 | 3:00 | 75勝16敗 | ||
× | ジェロム・レ・バンナ | K-1 World Grand Prix 2000 in Nagoya 決勝 | 2000年7月30日 | 名古屋、日本 | TKO (タオル投入) | 1 | 3:00 | 74勝16敗 | K-1ワールドグランプリ2000 in 名古屋 タイトルマッチ | |
○ | ロイド・ヴァン・ダム | K-1 World Grand Prix 2000 in Nagoya 準決勝 | 2000年7月30日 | 名古屋、日本 | 判定 (2-0) | 3 | 3:00 | 74勝15敗 | ||
○ | パリス・バシリコス | K-1 World Grand Prix 2000 in Nagoya 1回戦 | 2000年7月30日 | 名古屋、日本 | KO (右ストレート) | 3 | 2:20 | 73勝15敗 | ||
○ | ラニ・ベルバーチ | K-1 Survival 2000 | 2000年5月28日 | 札幌、日本 | TKO (タオル投入) | 3 | 3:00 | 72勝15敗 | ||
○ | サム・グレコ | K-1 The Millennium | 2000年4月23日 | 大阪、日本 | TKO (タオル投入) | 3 | 3:00 | 71勝15敗 | ||
○ | ミルコ・クロコップ | K-1 World Grand Prix 1999 決勝 | 1999年12月5日 | 東京、日本 | KO (左ボディフック) | 3 | 1:09 | 70勝15敗 | K-1ワールドグランプリ1999タイトル獲得 | |
○ | ジェロム・レ・バンナ | K-1 World Grand Prix 1999 準決勝 | 1999年12月5日 | 東京、日本 | KO (右フック) | 2 | 0:26 | 69勝15敗 | ||
○ | アンディ・フグ | K-1 World Grand Prix 1999 準々決勝 | 1999年12月5日 | 東京、日本 | 判定 (3-0) | 3 | 3:00 | 68勝15敗 | ||
○ | ジャビット・バイラミ | K-1 World Grand Prix '99 opening round 1回戦 | 1999年10月5日 | 大阪、日本 | 判定 (3-0) | 5 | 3:00 | 67勝15敗 | K-1グランプリ '99 決勝進出 | |
○ | イゴール・ボブチャンチン | K-1 Dream '99 | 1999年7月18日 | 名古屋、日本 | TKO (ローキック/3ノックダウン) | 3 | 0:51 | 66勝15敗 | ||
× | フランシスコ・フィリォ | K-1 Revenge '99 | 1999年4月25日 | 横浜、日本 | KO (右フック) | 1 | 1:37 | 65勝15敗 | ||
× | サム・グレコ | K-1 Grand Prix '98 Final Round 準々決勝 | 1998年12月13日 | 東京、日本 | TKO (タオル投入) | 2 | 3:00 | 65勝14敗 | ||
○ | トスカ・ザ・キング・オブ・スティング | K-1 World Grand Prix '98 opening round 1回戦 | 1998年9月27日 | 大阪、日本 | TKO (タオル投入) | 4 | 3:00 | 65勝13敗 | K-1グランプリ '98 決勝進出 | |
○ | モーリス・スミス | K-1 USA Grand Prix '98 | 1998年8月7日 | ラスベガス、ネバダ州 | 判定 (3-0) | 5 | 3:00 | 64勝13敗 | ||
○ | 武蔵 | K-1 Dream '98 | 1998年7月18日 | 名古屋、日本 | TKO (右アッパー) | 3 | 2:52 | 63勝13敗 | ||
○ | ジャン・リビエール | K-1 Braves '98 | 1998年5月24日 | 福岡、日本 | KO (右ハイキック) | 1 | 1:17 | 62勝13敗 | ||
× | ピーター・アーツ | K-1 Kings '98 | 1998年4月9日 | 横浜、日本 | 判定 (0-2) | 5 | 3:00 | 61勝13敗 | ||
○ | アンディ・フグ | K-1 World Grand Prix 1997 決勝 | 1997年11月9日 | 東京、日本 | 判定 (2-0) | 3 | 3:00 | 61勝12敗 | K-1ワールドグランプリ1997タイトル獲得 | |
○ | フランシスコ・フィリォ | K-1 World Grand Prix 1997 準決勝 | 1997年11月9日 | 東京、日本 | 判定 (2-0) | 3 | 3:00 | 60勝12敗 | ||
○ | ジェロム・レ・バンナ | K-1 World Grand Prix 1997 準々決勝 | 1997年11月9日 | 東京、日本 | KO (右フック) | 1 | 1:15 | 59勝12敗 | ||
○ | ステファン・レコ | K-1 Grand Prix '97 1st round 1回戦 | 1997年9月7日 | 大阪、日本 | KO (右ストレート) | 2 | 0:34 | 58勝12敗 | K-1グランプリ '97 決勝進出 | |
○ | ショーン・ジョンソン | K-1 Fight Night '97 | 1997年6月7日 | チューリッヒ、スイス | KO (ボディーブロー) | 1 | 1:12 | 57勝12敗 | ||
○ | マイク・ベルナルド | K-1 Braves '97 | 1997年4月29日 | 福岡、日本 | TKO (レフェリーストップ) | 4 | 1:03 | 56勝12敗 | ||
○ | バンダー・マーブ | K-1 Kings '97 | 1997年3月16日 | 横浜、日本 | KO (キック) | 3 | 1:49 | 55勝12敗 | ||
○ | レイ・セフォー | K-1 Hercules '96 | 1996年12月8日 | 名古屋、日本 | KO (ローキック) | 4 | 0:25 | 54勝12敗 | ||
× | ジェロム・レ・バンナ | K-1 Star Wars '96 | 1996年10月18日 | 横浜、日本 | KO (右フック) | 2 | 2:57 | 53勝12敗 | ||
○ | カール・ベルナルド | K-1 Revenge '96 | 1996年9月1日 | 大阪、日本 | KO | 2 | 0:20 | 53勝11敗 | ||
× | アンディ・フグ | K-1 World Grand Prix 1996 準決勝 | 1996年5月6日 | 横浜、日本 | 延長2R 判定 (1-2) | 5 | 3:00 | 52勝11敗 | ||
○ | ミルコ・タイガー | K-1 World Grand Prix 1996 準々決勝 | 1996年5月6日 | 横浜、日本 | KO (右ローキック) | 3 | 1:27 | 52勝10敗 | ||
○ | スチュアート・グリーン | K-1 Grand Prix '96 Opening Battle 1回戦 | 1996年3月10日 | 横浜、日本 | KO (キック) | 2 | 0:09 | 51勝10敗 | K-1ワールドグランプリ1996 決勝進出 | |
○ | モーリス・トラビス | K-1 Hercules | 1995年12月9日 | 名古屋、日本 | TKO (タオル投入) | 1 | 2:13 | 50勝10敗 | ||
○ | マイケル・トンプソン | K-1 Revenge II | 1995年9月3日 | 横浜、日本 | TKO (3ノックダウン) | 2 | 2:45 | 49勝10敗 | ||
○ | アンディ・フグ | K-3 Grand Prix '95 | 1995年7月16日 | 日本 | 判定 (2-0) | 3 | 3:00 | 48勝10敗 | ||
× | ピーター・アーツ | K-1 Grand Prix '95 準決勝 | 1995年5月4日 | 東京、日本 | 延長R 判定 (0-3) | 4 | 3:00 | 47勝10敗 | ||
○ | ジョニー・クレイン | K-1 Grand Prix '95 準々決勝 | 1995年5月4日 | 東京、日本 | KO (右ストレート) | 2 | 0:45 | 47勝9敗 | ||
○ | フーベルト・ヌムリッヒ | K-1 Grand Prix '95 Opening Battle 1回戦 | 1995年3月3日 | 東京、日本 | TKO (タオル投入) | 4 | 2:25 | 46勝9敗 | K-1ワールドグランプリ1995 決勝進出 | |
× | ブランコ・シカティック | K-1 Legend | 1994年12月10日 | 名古屋、日本 | KO (右ストレート) | 2 | 1:18 | 45勝9敗 | ||
○ | リック・ルーファス | Thriller in Marseille (ISKAフルコンタクト世界ライトヘビー級タイトルマッチ) | 1994年11月12日 | マルセイユ、フランス | KO (右ハイキック) | 11 | 1:02 | 45勝8敗 | リック・ルーファスのISKAフルコンタクト世界ライトヘビー級王座獲得 | |
○ | マーク・ラッセル | K-1 Revenge | 1994年9月18日 | 横浜、日本 | TKO (3ノックダウン) | 2 | 2:42 | 44勝8敗 | ||
○ | ダビドフ | N/A | 1994年6月25日 | フランス | N/A | N/A | N/A | 43勝8敗 | ||
○ | ボブ・シュライバー | K-2 Plus Tournament 1994 決勝 | 1994年5月8日 | アムステルダム、オランダ | KO | 1 | 3:00 | 42勝8敗 | K-2 Plus Tournament 1994 タイトル獲得 | |
○ | マーク・ラッセル | K-2 Plus Tournament 1994 準決勝 | 1994年5月8日 | アムステルダム、オランダ | TKO (3ノックダウン) | 2 | 2:05 | 41勝8敗 | ||
○ | トニー・ルシアーノ | K-2 Plus Tournament 1994 準々決勝 | 1994年5月8日 | アムステルダム、オランダ | 判定 | 3 | 3:00 | 40勝8敗 | ||
○ | 佐竹雅昭 | K-1 Challenge | 1994年3月4日 | 東京、日本 | KO (左ハイキック) | 2 | 2:45 | 39勝8敗 | ||
○ | チャンプア・ゲッソンリット | K-2 Grand Prix '93 決勝 | 1993年12月19日 | 東京、日本 | KO (右ハイキック) | 4 | 0:40 | 38勝8敗 | K-2ワールドグランプリ1993タイトル獲得 | |
○ | アダム・ワット | K-2 Grand Prix '993 準決勝 | 1993年12月19日 | 東京、日本 | TKO (2ノックダウン) | 1 | 2:13 | 37勝8敗 | ||
○ | マンソン・ギブソン | K-2 Grand Prix '93 準々決勝 | 1993年12月19日 | 東京、日本 | 延長R 判定 (2-0) | 4 | 3:00 | 36勝8敗 | ||
○ | タシス・ペトリディス | K-1 Illusion | 1993年9月4日 | 東京、日本 | TKO (3ノックダウン) | 3 | 0:45 | 35勝8敗 | WMTA & WKA世界ライトヘビー級タイトル獲得 | |
× | ブランコ・シカティック | K-1 Grand Prix '93 決勝 | 1993年4月30日 | 東京、日本 | KO (右ストレート) | 1 | 2:49 | 34勝8敗 | K-1グランプリ '93 タイトルマッチ | |
○ | モーリス・スミス | K-1 Grand Prix '93 準決勝 | 1993年4月30日 | 東京、日本 | KO (左ハイキック) | 3 | 1:18 | 34勝7敗 | ||
○ | ピーター・アーツ | K-1 Grand Prix '93 準々決勝 | 1993年4月30日 | 東京、日本 | 判定 (2-0) | 3 | 3:00 | 33勝7敗 | ||
○ | Troy Hughes | N/A | 1993年2月14日 | N/A | N/A | N/A | N/A | 32勝7敗 | ||
○ | Sanmark | N/A | 1992年 | N/A | KO | N/A | N/A | 31勝7敗 | ||
× | リック・ルーファス | N/A (ISKAフルコンタクト世界ライトヘビー級タイトルマッチ) | 1992年11月13日 | ニューヨーク、ニューヨーク州 | 判定 (0-3) | 12 | 2:00 | 30勝7敗 | リック・ルーファスのISKAフルコンタクト世界ライトヘビー級王座防衛戦 | |
○ | Theppitak Sangmoragot | Holland vs Thailand: The Revenge | 1992年10月25日 | アムステルダム、オランダ | KO (左パンチ) | 2 | 2:14 | 30勝6敗 | WMTAムエタイ世界タイトル (79.8kg) 防衛 | |
○ | Joe Caktas | N/A | 1992年4月26日 | N/A | N/A | N/A | N/A | 29勝6敗 | ||
○ | Leo de Snoo | Hot Night in Amsterdam | 1991年10月20日 | アムステルダム、オランダ | 判定 | 5 | 3:00 | 28勝6敗 | ||
○ | Jan Wessels | Kickboxing "Holland vs Canada" | 1991年4月21日 | アムステルダム、オランダ | 判定 (3-0) | 5 | 3:00 | 27勝6敗 | ||
○ | Luc Verheye | Holland vs Thailand VI | 1991年2月17日 | オランダ | 判定 (3-0) | 5 | 3:00 | 26勝6敗 | ||
× | ロブ・カーマン | The Battle of the Year | 1990年11月18日 | アムステルダム、オランダ | KO (左フック) | 5 | N/A | 25勝6敗 | ||
○ | Seyoke | Holland vs Thailand V | 1990年10月14日 | アムステルダム、オランダ | KO | 1 | N/A | 25勝5敗 | WMTAムエタイ世界タイトル (79.8kg) 獲得 | |
○ | Ernest Simmons | N/A | 1990年1月28日 | アムステルダム、オランダ | KO | 3 | N/A | 24勝5敗 | WKAキックボクシング世界タイトル獲得 | |
○ | ブランコ・シカティック | N/A | 1989年10月8日 | アムステルダム、オランダ | 反則 | 4 | N/A | 23勝5敗 | WMTAムエタイ世界タイトル獲得 | |
○ | Francis Dauvin | N/A | 1989年8月27日 | パリ、フランス | KO | 2 | N/A | 22勝5敗 | サバット世界タイトル獲得 | |
○ | Pascal Ducros | N/A | 1989年5月19日 | N/A | N/A | N/A | N/A | 21勝5敗 | ||
× | ジャン・イヴ・テリオー | N/A | 1989年4月21日 | ジュネーブ、スイス | 判定 (1-2) | 12 | 2:00 | 20勝5敗 | ||
○ | カークウッド・ウォーカー | N/A | 1989年2月19日 | アムステルダム、オランダ | 判定 | 5 | 3:00 | 20勝4敗 | ||
○ | ピーター・アーツ | N/A | 1988年11月20日 | オランダ | 判定 (3-0) | 5 | 3:00 | 19勝4敗 | ||
○ | Benoit Brilliant | N/A | 1988年9月25日 | ストラスブール、フランス | KO | 6 | N/A | 18勝4敗 | WKAヨーロッパキックボクシングタイトル獲得 | |
○ | Sylvain Postel | Champions in Action | 1988年6月11日 | アムステルダム、オランダ | KO | 5 | N/A | 17勝4敗 | ||
○ | Regis Lessaint | N/A | 1988年6月3日 | ル・アーヴル、フランス | KO | 3 | N/A | 16勝4敗 | ISKAヨーロッパフルコンタクトタイトル獲得 | |
○ | フランソワ・コレマンズ | Superfights II | 1988年5月7日 | アーネム、オランダ | 判定 | 5 | 3:00 | 15勝4敗 | ISKAヨーロッパムエタイタイトル獲得 | |
○ | アンドレ・マナート | Superfights I | 1988年2月27日 | アムステルダム、オランダ | KO | 3 | N/A | 14勝4敗 | ||
○ | Latricin | N/A | 1987年12月5日 | N/A | N/A | N/A | N/A | 13勝4敗 | ||
○ | ケネス・プラック | N/A (MTBNオランダムエタイ王者決定戦) | 1987年11月8日 | アムステルダム、オランダ | 判定 | 5 | 3:00 | 12勝4敗 | MTBNオランダムエタイタイトル獲得 | |
× | Ronnie Wagenmaker | N/A | 1987年9月10日 | N/A | KO | N/A | N/A | 11勝4敗 | ||
○ | Pascal Ducros | Kick-Thaiboxing Gala in Amsterdam | 1987年5月31日 | アムステルダム、オランダ | 判定 | 5 | 3:00 | 11勝3敗 | ||
× | ロブ・カーマン | WKA Kickboxing | 1987年2月1日 | アムステルダム、オランダ | 判定 (0-3) | 5 | 3:00 | 10勝3敗 | ||
× | ジャン・イヴ・テリオー | N/A | 1986年12月14日 | モントリオール、カナダ | 判定 (0-3) | 12 | 2:00 | 10勝2敗 | ||
× | Ernest Simmons | N/A | 1986年6月12日 | フロリダ州、アメリカ | N/A | N/A | N/A | 10勝1敗 | ||
○ | Leo de Snoo | N/A | 1986年3月2日 | オランダ | N/A | N/A | N/A | 10勝0敗 | ||
○ | Roy Martina | N/A | 1986年1月18日 | N/A | KO | N/A | N/A | 9勝0敗 | ||
○ | アンドレ・マナート | N/A | 1985年10月20日 | アムステルダム、オランダ | 判定 | 5 | 3:00 | 8勝0敗 | ||
○ | Rob Floris | N/A | 1985年6月23日 | N/A | KO | N/A | N/A | 7勝0敗 | ||
○ | Gerardy | N/A | 1985年5月31日 | N/A | KO | N/A | N/A | 6勝0敗 | ||
○ | Leo de Snoo | N/A | 1985年3月10日 | オランダ | N/A | N/A | N/A | 5勝0敗 | ||
○ | Drielle | N/A | 1984年11月18日 | N/A | KO | N/A | N/A | 4勝0敗 | ||
○ | Ricardo Darsan | N/A | 1984年10月20日 | N/A | KO | N/A | N/A | 3勝0敗 | ||
○ | Rijntjes | N/A | 1984年3月25日 | オランダ | KO | N/A | N/A | 2勝0敗 | ||
○ | Wim Scharrenberg | N/A | 1983年12月11日 | オランダ | KO | 2 | N/A | 1勝0敗 |
8. 外部リンク
- [http://www.ernestohoost.nl/ アーネスト・ホースト公式サイト]