1. 初期生い立ちとキャリアの始まり
エルヴィル・ボリッチは1971年10月10日、旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国のボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国、ゼニツァに生まれた。彼は地元のサッカークラブであるNKチェリク・ゼニツァでプロキャリアをスタートさせた。
1.1. 初期クラブキャリア(ユーゴスラビア時代)
ボリッチは1988年から1991年までNKチェリク・ゼニツァに所属し、リーグ戦で48試合に出場し5得点を挙げた。彼は後に独立したボスニア・ヘルツェゴビナ代表となるセナド・ブルキッチ、ミルサド・ヒビッチ、ネルミン・シャビッチらとともに、当時のクラブを代表する選手の一人だった。
1991年12月、ボリッチはレッドスター・ベオグラードの経営陣であるヴラディミル・ツヴェトコヴィッチとドラガン・ジャイッチにその才能を認められ、同クラブに移籍した。当時のレッドスターは、UEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)のディフェンディングチャンピオンであり、ユーゴスラビアの強豪クラブであった。彼は唯一のシーズンでリーグ戦11試合に出場し、2得点を記録した。2024年5月には、クラブの輝かしい時代にレッドスターにもっと大きな足跡を残せなかったことを非常に残念に思うと述べている。
1.2. ボスニア紛争による移籍
1992年6月、ボリッチがフランスで開催されたユーゴスラビア代表のトレーニングキャンプに参加中、家族からボスニア情勢の悪化と軍事衝突の開始という悲報が届いた。この事態を受け、21歳だったボリッチはクラブの幹部にベオグラードに戻らないことを伝え、代理人と会うためにトルコへと出発した。レッドスターはこの彼の意思を尊重し、彼はその後ガラタサライSKと契約した。
2. クラブキャリア

ボリッチは選手キャリアのほとんどをトルコで過ごし、その後スペインのクラブでも活躍した。
2.1. トルコリーグでの活動(第一次)
ボリッチは1992年の夏にトルコへ移籍し、その後8年間にわたりトルコ・シュペルリガでプレーした。最初の所属クラブはガラタサライSKで、1992-93シーズンにはスュペル・リグとトルコカップの両方で優勝を経験した。
ガラタサライを退団後、1993年から1995年まではガズィアンテプスポルでプレーし、73試合に出場して43得点という高い得点能力を発揮した。
1995年にはフェネルバフチェSKに移籍し、ここでもキャリアの重要な時期を過ごした。フェネルバフチェでは1995-96シーズンにスュペル・リグで優勝を果たした。また、トルコカップでも決勝に進出している。
フェネルバフチェに在籍中の1996年10月30日、ボリッチは1996-97シーズンのUEFAチャンピオンズリーググループステージで歴史的なゴールを決めた。オールド・トラッフォードで行われたマンチェスター・ユナイテッド戦で試合唯一のゴールを挙げ、マンチェスター・ユナイテッドがヨーロッパの大会で40年間保持していたホーム無敗記録を破ることに貢献した。このシーズンには、SKラピート・ウィーンとのアウェイゲームでも1-1の引き分けとなるゴールを決めている。
2.2. スペインリーグでの活動
2000年代に入ると、ボリッチはスペインへ活躍の場を移し、ラージョ・バジェカーノで3シーズンにわたりラ・リーガでプレーした。この時期、彼は同じボスニア出身のバリッチ、そしてボロという、名前が似た選手たちとともに前線を形成することがあった。
最初のシーズンでは、リーグ戦32試合で8得点を挙げた。さらに、このシーズンにはUEFAカップ(現UEFAヨーロッパリーグ)で7得点を記録し、クラブの準々決勝進出に大きく貢献した。これらの得点のうち4得点は、アマチュアクラブのコンステラシオ・エスポルティーバに対するアウェイでの10-0の勝利で記録された。
2.3. トルコ復帰と引退
2003年、ボリッチは再びトルコへ戻り、7月下旬にイスタンブールスポルに加入した。イスタンブールスポルでは2003-04シーズンに28試合に出場し11得点を挙げた。同シーズンの終わりにはゲンチレルビルリイSKへ移籍し、16試合で2得点を記録した。その後はマラティヤスポル(2005年、11試合1得点)と再びイスタンブールスポル(2005-06シーズン、17試合7得点)でプレーし、トルコでの2度目の滞在を終えた。
2006-07シーズンはクロアチアのHNKリエカでキャリアをスタートさせたが、2006年9月に退団。その後すぐに35歳で現役を引退した。
年 | クラブ | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
1988-1991 | チェリク | 48 | 5 |
1991-1992 | レッドスター | 11 | 2 |
1992 | ガラタサライ | 8 | 2 |
1993-1995 | ガズィアンテプスポル | 73 | 43 |
1995-2000 | フェネルバフチェ | 145 | 64 |
2000-2003 | ラーヨ・バジェカーノ | 98 | 22 |
2003-2004 | イスタンブールスポル | 28 | 11 |
2004 | ゲンチレルビルリイ | 16 | 2 |
2005 | マラティヤスポル | 11 | 1 |
2005-2006 | イスタンブールスポル | 17 | 7 |
2006 | HNKリエカ | 6 | 4 |
3. 代表キャリア

エルヴィル・ボリッチは、ボスニア・ヘルツェゴビナ代表として51試合に出場し、22得点を記録した。代表デビューは1996年のギリシャ戦である。引退当時、彼はエディン・ジェコとズヴェズダン・ミシモヴィッチに次ぐ、同国代表歴代3位の国際試合得点数を誇っていた。
2004年9月8日には、2006 FIFAワールドカップ予選のスペイン戦で同点ゴールを挙げ、1-1の引き分けに貢献した。彼の代表での最後の試合は、2006年9月に行われたUEFA EURO 2008予選のハンガリー戦であった。
4. 指導者キャリア
選手引退後、ボリッチは短期間ながらボスニア・ヘルツェゴビナ代表のアシスタントコーチを務めた。彼はメホ・コドロ監督のコーチングスタッフの一員として、2008年1月5日から同年5月17日までその任に就いた。
5. 獲得タイトル
ガラタサライ
- スュペル・リグ: 1992-93
- トルコカップ: 1992-93
フェネルバフチェ
- スュペル・リグ: 1995-96
6. キャリア統計
ゴール | 日付 | 会場 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 1996年11月6日 | アシム・フェルハトヴィッチ・ハセ, サラエヴォ, ボスニア・ヘルツェゴビナ | イタリア | 2-1 | 2-1 | 親善試合 |
2. | 1996年11月10日 | ベジグラード, リュブリャナ, スロベニア | スロベニア | 1-0 | 2-1 | 1998 FIFAワールドカップ予選 |
3. | 1997年5月11日 | エル・メンザ, チュニス, チュニジア | チュニジア | 1-2 | 1-2 | 親善試合 |
4. | 1997年8月20日 | アシム・フェルハトヴィッチ・ハセ, サラエヴォ, ボスニア・ヘルツェゴビナ | デンマーク | 2-0 | 3-0 | 1998 FIFAワールドカップ予選 |
5. | 1997年8月20日 | アシム・フェルハトヴィッチ・ハセ, サラエヴォ, ボスニア・ヘルツェゴビナ | デンマーク | 3-0 | 3-0 | 1998 FIFAワールドカップ予選 |
6. | 1997年9月10日 | アシム・フェルハトヴィッチ・ハセ, サラエヴォ, ボスニア・ヘルツェゴビナ | スロベニア | 1-0 | 1-0 | 1998 FIFAワールドカップ予選 |
7. | 1999年6月5日 | アシム・フェルハトヴィッチ・ハセ, サラエヴォ, ボスニア・ヘルツェゴビナ | リトアニア | 2-0 | 2-0 | UEFA EURO 2000予選 |
8. | 1999年6月9日 | スヴァヤスカルズ, トフティル, フェロー諸島 | フェロー諸島 | 1-0 | 2-2 | UEFA EURO 2000予選 |
9. | 1999年6月9日 | スヴァヤスカルズ, トフティル, フェロー諸島 | フェロー諸島 | 2-2 | 2-2 | UEFA EURO 2000予選 |
10. | 1999年9月4日 | アシム・フェルハトヴィッチ・ハセ, サラエヴォ, ボスニア・ヘルツェゴビナ | スコットランド | 1-1 | 1-2 | UEFA EURO 2000予選 |
11. | 2000年8月16日 | アシム・フェルハトヴィッチ・ハセ, サラエヴォ, ボスニア・ヘルツェゴビナ | トルコ | 1-0 | 2-0 | 親善試合 |
12. | 2002年3月27日 | グラバヴィツァ, サラエヴォ, ボスニア・ヘルツェゴビナ | マケドニア | 1-0 | 4-4 | 親善試合 |
13. | 2002年3月27日 | グラバヴィツァ, サラエヴォ, ボスニア・ヘルツェゴビナ | マケドニア | 4-2 | 4-4 | 親善試合 |
14. | 2003年3月29日 | ビリノ・ポリェ, ゼニツァ, ボスニア・ヘルツェゴビナ | ルクセンブルク | 1-0 | 2-0 | UEFA EURO 2004予選 |
15. | 2003年10月11日 | アシム・フェルハトヴィッチ・ハセ, サラエヴォ, ボスニア・ヘルツェゴビナ | デンマーク | 1-1 | 1-1 | UEFA EURO 2004予選 |
16. | 2004年3月31日 | ?, ルクセンブルク, ルクセンブルク | ルクセンブルク | 2-0 | 2-1 | 親善試合 |
17. | 2004年9月8日 | ビリノ・ポリェ, ゼニツァ, ボスニア・ヘルツェゴビナ | スペイン | 1-1 | 1-1 | 2006 FIFAワールドカップ予選 |
18. | 2005年2月2日 | ?, テヘラン, イラン | イラン | 1-0 | 1-2 | 親善試合 |
19. | 2005年3月30日 | アシム・フェルハトヴィッチ・ハセ, サラエヴォ, ボスニア・ヘルツェゴビナ | リトアニア | 1-0 | 1-1 | 2006 FIFAワールドカップ予選 |
20. | 2005年10月8日 | ビリノ・ポリェ, ゼニツァ, ボスニア・ヘルツェゴビナ | サンマリノ | 1-0 | 3-0 | 2006 FIFAワールドカップ予選 |
21. | 2005年10月8日 | ビリノ・ポリェ, ゼニツァ, ボスニア・ヘルツェゴビナ | サンマリノ | 2-0 | 3-0 | 2006 FIFAワールドカップ予選 |
22. | 2005年10月8日 | ビリノ・ポリェ, ゼニツァ, ボスニア・ヘルツェゴビナ | サンマリノ | 3-0 | 3-0 | 2006 FIFAワールドカップ予選 |
7. 評価と遺産
エルヴィル・ボリッチは、ボスニア・ヘルツェゴビナサッカー史において重要な足跡を残した選手の一人である。特にボスニア・ヘルツェゴビナ代表では、初期の重要な得点源としてチームを牽引し、長きにわたり攻撃の要として活躍した。彼の国際試合における22得点は、引退当時、同国歴代で上位に位置する記録であった。
クラブキャリアでは、トルコとスペインの主要リーグで得点を量産し、特にフェネルバフチェSK時代には、UEFAチャンピオンズリーグでマンチェスター・ユナイテッドのホーム無敗記録を打ち破る決勝ゴールを挙げるなど、印象的なパフォーマンスを披露した。彼のキャリア全般は、国際的な舞台での得点力と、困難な状況下でもプロフェッショナルとして活躍し続けたその姿勢が評価されている。
彼の引退後の短期間のアシスタントコーチとしての活動も、ボスニア・ヘルツェゴビナサッカーへの貢献の一環と見なされている。