1. 生涯とプロレスキャリア
ジョー・ドーリングは、ウィスコンシン州グリーンベイに生まれ、2004年にプロレスラーとしてのキャリアをスタートさせた。全日本プロレスでの活躍がキャリアの大部分を占めるが、WWEの育成部門やインパクト・レスリングなど、様々な団体でその実力を示した。
1.1. 幼少期とトレーニング
ジョー・ドーリングはアメリカ合衆国・ウィスコンシン州グリーンベイで生まれた。2004年にカナダのCan-AmレスリングスクールおよびTNAスクールでプロレスの訓練を受けた。
1.2. デビューと初期のキャリア
2004年12月19日、ジョー・ドーリングはボーダー・シティ・レスリング(BCW)でプロレスデビューを果たし、D-Ray 3000に敗れた。2005年12月12日にはTNAのPPV大会「TNA Turning Point 2005」のプレショーに出場し、6人タッグマッチで試合を行った。同年12月17日に収録された『TNA Impact!』ではライノに敗れている。2006年4月28日にはプエルトリコのプロモーションであるワールド・レスリング・カウンシル(WWC)に「ハンス・フォン・ドーリング(Hans von Doering英語)」のリングネームでデビューし、ファイア・ブレイズを破った。同年9月28日収録の『Impact!』では「ヴォーン・ドーリング(Vaughn Doring英語)」のリングネームで出場し、ブランドン・トーマセリと組んでチーム3Dに敗れたのがTNAでの最後の出場となった。
1.3. 全日本プロレス (AJPW) での活動
ジョー・ドーリングは、キャリアの主要な部分を全日本プロレスで過ごし、数々のタイトルを獲得し、団体の主要選手として活躍した。
1.3.1. 初期の在籍期間 (2007-2010)
2007年6月24日、ジョー・ドーリングは留学生としてフィル・アトラスと共に初来日し、全日本プロレスマットにデビューした。道場で若手選手や練習生と共同生活を送り、7月には武藤敬司からVOODOO-MURDERS(VM)退治のパートナーに抜擢された。留学期間を終えた9月シリーズからは外国人選手として参戦し、10月18日の代々木大会で諏訪魔から金星を挙げた。同年12月の「世界最強タッグ決定リーグ戦」では武藤とのタッグで初出場し、決勝で諏訪魔と小島聡のタッグを破り優勝を果たした。
2008年1月3日の後楽園ホール大会で、武藤と共に小島聡&TARU組から世界タッグ王座を奪取した。3月22日の新潟大会ではタッグ戦ながら太陽ケアからも勝利を収め、同年開催の「チャンピオン・カーニバル」にも初出場し、西村修や当時の三冠王者であった鈴木みのるから勝利を挙げた。5月11日、後楽園大会でVMのゾディアックと一騎討ちを行い、シットダウン・パワーボムで勝利。試合後、VMがドーリングの髪とゾディアックのマスクを賭けたリベンジマッチを要求し、これを受諾。5月25日の神戸大会でマスカラ・コントラ・カベジェラマッチで再戦し、再び勝利を収めた。
2008年9月13日、GURENTAIとのキャプテンフォールイリミネーションマッチに出場。武藤らの攻撃が誤爆し退場となった際に、本隊と不穏な空気が流れた。その後は特に異常な様子は見られなかったものの、最終戦でパートナーであった真田聖也にレボリューションボムを放ち、ヒールターンしてVMに加入した。VM加入後は、トレードマークの金髪にVMカラーの赤を混ぜたスタイルとなり、世界最強タッグではゾディアックとの「ブードゥータワーズ」で出場し、勝ち点8を獲得して優勝決定戦進出を目前としていたが、ゾディアックが急性腹膜炎で緊急手術となり棄権した。2010年1月、WWEとのディベロップメント契約が報じられ、全日本プロレスでの最後の試合では小島聡の持つ三冠ヘビー級王座に挑戦するも敗れた。
1.3.2. 復帰後の主要活動 (2010-2019)
2010年11月5日、チャーリー・ハースの欠場を受けて急遽全日本プロレス台湾大会に出場し、全日本プロレスに復帰。VMに再加入し、KENSOと組んで諏訪魔と浜亮太のタッグに敗れた。2011年2月6日、河野真幸とのタッグで曙と太陽ケアを破り、世界タッグ王座を獲得。しかし、同年6月3日に発生したスーパー・ヘイトへの暴行事件によりVMが解散となり、王座も返上された。その後、ドーリングはビッグ・ダディ・ブードゥーとタッグを組み、世界最強タッグにも出場した。
2012年5月、久々に来日。自身がヒールターンするきっかけとなった真田聖也とタッグを組み、5月20日に大森隆男と征矢学のGET WILDから世界タッグ王座を奪取した。しかし、6月17日のリマッチで王座を失い、試合後に真田とのコンビを解消した。9月にはベストパートナーを連れてくると宣言し、再びゾディアックとコンビを組んだ。しかし、10月21日の名古屋国際会議場大会で諏訪魔とシングルマッチで対決し、試合後に互いを認め合い、新チーム「ラスト・レボリューション」を結成(後にユニット化)。同年の世界最強タッグにも諏訪魔とのコンビで出場し、決勝でGET WILDに敗れ準優勝となった。
2013年、全日本プロレスの分裂騒動の際には、諏訪魔と同様に全日本プロレスへの継続参戦を表明した。ラスト・レボリューションはカズ・ハヤシ、近藤修司、中之上靖文が加入しユニット化したが、ハヤシと近藤が全日本プロレスを退団することを発表したため、ドーリングはラスト・レボリューションを継続できないとして6月30日をもって解散することを発表した。しかし、9月15日に三冠ヘビー級王者であった諏訪魔とのノンタイトルシングルマッチで勝利した後、ドーリングと諏訪魔は再びタッグを組み、「エボリューション」と改称した(後にユニット化)。10月22日、エボリューションは潮崎豪と秋山準のBurningを破り、自身4度目となる世界タッグ王座を獲得した。12月8日にはXceed(潮崎豪と宮原健斗)を破り、「2013世界最強タッグ決定リーグ戦」で優勝した。
2014年2月16日、佐藤光留がエボリューションに加入し、ユニットとしての活動を強化した。同年6月28日、ドーリングと諏訪魔はワイルド・バーニング(秋山準と大森隆男)に敗れ、世界タッグ王座を失った。7月27日、後楽園大会で諏訪魔を破り、自身初となる三冠ヘビー級王座を戴冠。これは日本人以外では史上6人目の快挙であった。8月30日には元王者である曙を相手に初防衛に成功した。2度目の防衛戦は10月18日にカナダオンタリオ州ウィンザーのBCWのイベントで行われ、ライノを破った。これは三冠ヘビー級王座が日本国外で防衛された初の事例となった。10月29日には「2014王道トーナメント」優勝者の潮崎豪を相手に3度目の防衛に成功した。しかし、2015年1月3日の潮崎との再戦で王座を失った。
2016年、「2016チャンピオン・カーニバル」への参戦が予定されていたが、2月25日に悪性脳腫瘍と診断されたため、大会出場を辞退した。3月4日に手術を受け、その後は放射線治療などの化学療法に専念した。11月27日には両国国技館大会に来場し、2017年1月の復帰を宣言した。2017年1月2日、後楽園大会で復帰戦を行い、佐藤光留、諏訪魔と組んでジェイク・リー、宮原健斗、野村直矢組を破った。後日、ドーリングは頭部(脳腫瘍)に関しては「100%完治」したと語り、レスリングを100%に戻すだけだと全戦参加を訴えた。2月シリーズからは全戦参戦し、4月の「2017チャンピオン・カーニバル」にも出場。Aブロックを4勝2敗で通過したが、優勝決定戦で石川修司に敗れ準優勝にとどまった。7月17日後楽園大会では、実質的な三冠ヘビー級王座次期挑戦者決定戦である宮原健斗との試合に敗れ、同日のメインイベントでリーダーの諏訪魔も王者・石川に敗れたことによりフラストレーションが爆発。「1人でやっていったほうが良い」とエボリューション脱退を意思表示し始め、最終戦の7月30日大阪府立体育会館大会で正式に脱退を表明した。
2017年8月27日の両国大会では、諏訪魔と新日本プロレスの小島聡の一騎討ちの試合前に乱入し、諏訪魔を痛めつけた。10月21日横浜文化体育館大会では諏訪魔の持つ三冠王座に挑戦し、タイトルを再び奪取した。同年の世界最強タッグではケアとのコンビで3年ぶりに出場したが、決勝戦には残れなかった。2018年3月25日、さいたまスーパーアリーナ(コミュニティアリーナ)大会での宮原との防衛戦に敗れ失冠。9月24日大阪府立体育会館大会、ボディガーとのタッグでユニット「Sweeper」のディラン・ジェイムス&ジェイク・リーの試合中、ディランがジェイクを裏切りドーリングと結託。Sweeperを脱退し、タッグチーム「ザ・ボンバー」を結成した。シングル戦線では結果を残せなかったが、ザ・ボンバーでその年の「世界最強タッグ決定リーグ戦」で優勝した。2020年から2022年4月までは新型コロナウイルス感染症の影響で来日せず、2022年5月31日の「ジャンボ鶴田23回忌追善興行」で3年ぶりに来日した。
1.4. WWE (フロリダ・チャンピオンシップ・レスリング) での活動
2010年1月、ジョー・ドーリングはWWEとディベロップメント契約を結び、同年2月25日にWWEの育成部門であるフロリダ・チャンピオンシップ・レスリング(FCW)で本名でデビューし、ジョニー・プライムに敗れた。3月18日には「ドレイク・ブリュワー」のリングネームでプライムにリマッチで勝利した。しかし、体格や力が上のレスラーが多い中で出番が少なく、同年9月に契約を解除された。
1.5. インパクト・レスリング / TNA での活動
2005年と2006年にTNAに限定的に出場した後、2018年3月16日には「One Night Only: March Breakdown」で12年ぶりにインパクト・レスリングに復帰し、ムースに勝利した。
2020年11月14日、PPV大会「Turning Point」でエリック・ヤングの助太刀としてコーディ・ディーナーとライノを襲撃し、インパクト・レスリングにサプライズ復帰した。この際、過去のTNAでの経歴には言及されなかった。11月17日放送の『Impact!』では、スーサイドを圧倒し、公式なリングデビューを果たした。その後、ドーリングとヤングはザ・ディーナーズとの短い抗争を開始し、「彼らは病気を浄化する必要がある」と主張した。同年12月12日の「Final Resolution」では、ドーリングとヤングはコーディ・ディーナーを説得し、彼のパートナーを裏切らせて彼らと合流させた。これにより、ドーリング、ディーナー、ヤングのトリオが結成され、後に「Violent By Design」(VBD)と名付けられた。2021年1月16日、ドーリングは「Hard to Kill」でVBDのメンバーと共にライノ、トミー・ドリーマー、カズン・ジェイクを破り、インパクトPPVデビューを果たした。
2021年5月17日にはライノと組み、インパクト・タッグ王座を戴冠。翌2022年3月5日にもエリック・ヤングとのタッグで同王座を戴冠した。2022年7月1日、「Against All Odds」でジョシュ・アレクサンダーの持つインパクト世界王座に挑戦したが、タイトル獲得には至らず、インパクト・レスリングでの無敗記録も途絶えた。2022年9月に全日本プロレス参戦のため来日予定だったが、体調不良による精密検査で脳腫瘍の再発が疑われたため、来日中止と活動休止が発表された。
1.6. その他の団体での活動
2007年3月20日、ジャガロ・チャンピオンシップ・レスリングにデビューし、コンラッド・ケネディ3世と組んでネクロ・ブッチャーとザック・ゴーウェンに敗れた。2013年11月8日にはドバイ・レスリング・エンターテイメントにデビューし、ベナム・アリに敗れた。2014年1月17日にはヨーロピアン・レスリング・アソシエーションにデビューし、ドラゴン・オキッチを破った。2014年5月9日、BCWに復帰し、ジョン・ボーレンと組んで棚橋弘至と渡辺高章を破った。
2. 私生活と健康問題
2016年2月25日、ジョー・ドーリングは脳腫瘍と診断された。3月4日に腫瘍を摘出する手術を受け、その後は放射線治療などの化学療法に専念した。同年11月27日には両国国技館大会に来場し、2017年1月の復帰を宣言した。復帰後、ドーリングは頭部(脳腫瘍)に関しては「100%完治」したと語った。しかし、2022年8月30日、ドーリングは病気が再発したことを発表し、再び手術を受けるため活動を休止した。

3. 主要な功績と受賞歴
ジョー・ドーリングは、そのキャリアを通じて数々のタイトルと栄誉を獲得している。
- 全日本プロレス
- 三冠ヘビー級王座:2回(第50代、第59代)
- 世界タッグ王座:4回(パートナーは武藤敬司、KONO、真田聖也、諏訪魔)
- 世界最強タッグ決定リーグ戦:2007年、2013年、2018年 優勝(パートナーは武藤敬司、諏訪魔、ディラン・ジェイムス)
- ヨーロピアン・レスリング・アソシエーション
- EWA世界ヘビー級王座:1回
- インパクト・レスリング / TNA
- インパクト・ワールド・タッグ王座:2回(フリーバード・ルールを適用。パートナーはエリック・ヤング、ライノ、コーディ・ディーナー)
- パワー・オブ・レスリング
- キャッチ・ワールドカップ:2019年
- プロレスリング・イラストレーテッド
- PWI 500:2014年、2018年にシングルレスラー部門で64位にランクイン
賭け 勝者 敗者 場所 日付 備考 マスク ジョー・ドーリング ゾディアック 神戸, 兵庫県, 日本 2008年5月25日 ヘア vs マスクマッチ
4. レスリングスタイルと得意技
ジョー・ドーリングは、その巨体とパワーを活かしたパワフルなファイトスタイルが特徴である。
4.1. フィニッシュ・ホールド
- シットダウン・パワーボム
- レボリューションボム(スパイラルボム)
4.2. 投げ技
- スープレックス
- スーパープレックス
- バックドロップ
- ジャーマンスープレックス
- スカイハイボム(旋回式スパイン・バスター)
- 高角度スパイン・バスター
- デスバレーボム
4.3. 打撃技
- エルボー
- エルボー・スタンプ
- バックエルボー
- バックハンド・チョップ
- チョップ・スマッシュ
- クローズライン
- ドロップキック
- ショルダー・タックル
- スピアー
4.4. 飛び技
- トペ・スイシーダ
- フライング・クロス・ボディ
5. 評価と影響力
ジョー・ドーリングは、全日本プロレスにおいてその実力を高く評価され、団体の主要な戦力として不可欠な存在となった。プロレス評論家でGAORAの全日本プロレス中継で解説を務める小佐野景浩は、留学生時代のドーリングについて「2007年の暮れぐらいにはすごい戦力になっているかも」と予言し、その言葉通り、ドーリングは短期間で主要タイトルを獲得し、全日本正規軍に欠かせない選手となった。
特に、2016年に悪性脳腫瘍と診断されながらも、手術と治療を経てリングに復帰した彼の姿は、多くのファンやプロレスラーに深い感動と勇気を与えた。彼は「100%完治」したと公言し、再びトップ戦線で活躍する姿を見せることで、病と闘う人々にとっての希望の象徴となった。彼の不屈の精神と、リング上でのパワフルなパフォーマンスは、プロレス界に大きな影響を与え続けている。