1. 概要

スティーブン・ロペス(Steven Lópezスティーブン・ロペス英語、1978年11月9日 - )は、アメリカ合衆国のテコンドー選手、コーチである。2000年のシドニーオリンピックと2004年のアテネオリンピックで金メダルを獲得し、2008年の北京オリンピックでは銅メダルを獲得した。また、世界テコンドー選手権大会では2001年から2009年まで5大会連続で優勝し、これは世界選手権史上初の快挙である。オリンピックで2つの金メダル、世界選手権で5つの金メダル、ワールドカップで1つの金メダルを獲得しており、主要国際大会で合計8回優勝している。
ロペスはニカラグア移民の家庭に生まれ、家族全員がテコンドーの選手として活躍し、兄のジャン・ロペスはコーチとして彼らを支えた。特に2008年の北京オリンピックでは、彼と弟のマーク、妹のダイアナの3人兄妹が同じアメリカオリンピックチームに選出され、1904年以来となる歴史的な出来事となった。しかし、その輝かしいキャリアの裏では、2006年にドーピング疑惑が浮上し、短期間の出場停止処分を受けた。
さらに、2017年以降は複数の女性選手からの性的暴行およびセクハラの申し立てに直面し、スポーツ団体からの出場停止処分を受けた。スポーツ仲裁裁判所(CAS)は一部の処分を解除したが、彼のキャリアと公のイメージに大きな影響を与えている。この記事では、スティーブン・ロペスの生い立ち、選手としての功績、個人的な側面、そして彼を巡る疑惑とそれがキャリアに与えた影響について詳細に記述する。
2. 幼少期と背景
スティーブン・ロペスの幼少期とテコンドーとの出会い、そして彼の家族がテコンドー界で果たした役割について詳述する。
2.1. 出生と家族
スティーブン・ロペスは1978年11月9日にニューヨーク市で生まれた。彼の両親であるフリオとオンディナは、1973年にニカラグアからアメリカへ移住したニカラグア系アメリカ人である。彼の父親であるフリオは、ニカラグアでは1979年にサンディニスタ民族解放戦線によって追放されたアナスタシオ・ソモサ・デバイユ大統領のもとで働いていた。アメリカ移住後、フリオは家族を養うために様々な仕事に従事し、後に一家はテキサス州へ移り住んだ。彼の身長は0.2 m (6 in)、体重は84 kg (185 lb)である。
2.2. 教育とテコンドーとの出会い
ロペスは5歳の時に、自宅のガレージで父親と兄のジャンからテコンドーを学び始めた。彼は1997年にテキサス州シュガーランドのケンプナー高校を卒業した。高校では「最も成功しそう」な人物として選出され、ナショナル・オナー・ソサエティーのメンバーでもあった。
2.3. 家族のテコンドーキャリア
スティーブン・ロペスの兄弟であるジャン(コーチ)、マーク、ダイアナは全員がアメリカのテコンドーナショナルチームのメンバーである。特に、弟のマークと妹のダイアナも2008年の北京オリンピックにアメリカ代表として出場し、1904年のセントルイスオリンピック以来初めて、3人兄弟が同じオリンピックチームに名を連ねるという歴史的快挙を成し遂げた。また、スティーブン、マーク、ダイアナの3人は、2005年の世界テコンドー選手権大会で、兄のジャンがコーチとして指導する中、全員が世界選手権のタイトルを獲得し、スポーツ史に残る出来事となった。スティーブンとダイアナは、2012年のロンドンオリンピックにも出場権を獲得している。
3. 競技キャリアと功績
スティーブン・ロペスのテコンドー選手としての主な競技キャリアと、彼が達成した重要な功績について年代順に記述する。
3.1. オリンピック

ロペスは2000年シドニーオリンピック、2004年アテネオリンピック、2008年北京オリンピック、2012年ロンドンオリンピック、2016年リオデジャネイロオリンピックと、合計5回のオリンピックに出場した。
- 2000年シドニーオリンピック: 男子68 kg級で金メダルを獲得。
- 2004年アテネオリンピック: 男子80 kg級で金メダルを獲得。
- 2008年北京オリンピック: 男子80 kg級で銅メダルを獲得。
彼はオリンピックで2つの金メダルと1つの銅メダルを獲得し、テコンドー界におけるアメリカの主要選手としての地位を確立した。
3.2. 世界テコンドー選手権大会
ロペスは世界テコンドー選手権大会で輝かしい成績を収め、特にその連続優勝記録は特筆すべきものである。
- 2001年世界テコンドー選手権大会: 韓国の済州で開催された大会で、ライト級で金メダルを獲得。
- 2003年世界テコンドー選手権大会: ドイツのガルミッシュで開催された大会で、ウェルター級で金メダルを獲得。
- 2005年世界テコンドー選手権大会: スペインのマドリードで開催された大会で、ウェルター級で金メダルを獲得。
- 2007年世界テコンドー選手権大会: 中国の北京で開催された大会で、ウェルター級で金メダルを獲得。
- 2009年世界テコンドー選手権大会: デンマークのコペンハーゲンで開催された大会で、ウェルター級で金メダルを獲得。
彼は2001年から2009年まで、世界選手権で5大会連続金メダルという史上初の偉業を達成した。これは世界テコンドー選手権大会の歴史において、唯一かつ前例のない記録である。
3.3. その他の主要大会
ロペスはオリンピックと世界選手権以外にも、数多くの国際大会でメダルを獲得している。
- パンアメリカンゲームズ:
- 1999年ウィニペグ大会: 男子68 kg級で金メダル。
- 2003年サントドミンゴ大会: 男子80 kg級で金メダル。
- 2015年トロント大会: 男子80 kg級で銅メダル。
- ワールドカップテコンドー選手権大会:
- 1997年大会で金メダル。
- 1998年大会で銅メダル。
- 2002年大会で銅メダル。
- 世界テコンドーグランプリ:
- 2014年アスタナ大会で銀メダル。
- 2015年モスクワ大会で銅メダル。
- 世界ジュニアテコンドー選手権大会:
- 1996年バルセロナ大会でライト級で金メダル。
- パンアメリカンテコンドー選手権大会:
- 1994年エレディア大会で54 kg級で銀メダル。
- 1996年ハバナ大会で63 kg級で金メダル。
- 1998年リマ大会で63 kg級で金メダル。
これらの功績により、ロペスはハディ・サエイに次いで2番目に多くの主要国際大会タイトル(8タイトル)を獲得した選手と評価されている。
4. 私生活
スティーブン・ロペスの公に知られている私生活の側面、例えばメディア活動、論争、そして個人的な信条について記述する。
4.1. メディア出演と公衆イメージ
ロペスはテコンドー選手としての成功により、メディアにも度々登場している。彼はピープル誌の「最も美しい50人」に選ばれたことがある。また、2012年にはFox放送のデートリアリティ番組『ザ・チョイス』に出演し、公衆の前に姿を現した。
4.2. ドーピング疑惑
2006年1月、ロペスは禁止薬物であるレボメタンフェタミンの陽性反応を示した。彼は、この物質が市販の蒸気吸入器の使用によるものだと説明した。ロペスはこの結果を受けて3ヶ月の出場停止処分を受け入れ、アンチ・ドーピング教育プログラムに参加した。
4.3. 宗教的信念
ロペスはローマ・カトリックの信者であり、テキサス州シュガーランドにあるセント・テレサ・カトリック教会に通っている。彼は自身の信仰が人生において非常に重要な部分であると語っている。
5. 性的不正行為の申し立て
スティーブン・ロペスに対して提起された性的暴行およびセクハラの申し立てに関連する論争、調査、法的手続き、そしてその余波について、詳細に記述する。
5.1. 申し立てと初期調査
2017年6月8日、USAトゥデイはロペスが複数の女性選手に対して性的暴行や薬物を使用させたと非難されていると報じた。これらの申し立ては、ロペスとその兄ジャン・ロペスによる組織的で繰り返しの性的虐待行為のパターンを示唆していた。犠牲者の証言によれば、スティーブン・ロペスは複数の国際大会で未成年を含む若い選手たちと性的関係を持ったとされている。具体的には、被害者の一人であるアンバー・ミーズ・ランダルは、ロペスから17歳の頃から嫌がらせを受け、暴行されたと主張した。また、2008年には友人のパーティーで意識不明の状態でレイプされたとも訴えている。これらの申し立てを受けて、USAテコンドーはスティーブンとジャンに対し、国際テコンドー大会への出場を実質的に禁じる仮の出場停止処分を下した。最終的に6人の女性がロペスから性的暴行を受けたと訴え出た。
5.2. 処分と法的手続き
これらの申し立てに基づき、スポーツ団体はスティーブン・ロペスに対し処分を下した。
2018年4月、兄のジャン・ロペスが世界テコンドー連盟(WTF)から永久的な出場停止処分を受けた。同年9月には、スティーブン自身も世界テコンドー連盟から出場停止処分を受けた。セーフスポーツ(アメリカのスポーツにおける性的虐待防止機関)が下したスティーブン・ロペスへの永久出場停止処分は、2018年12月に仲裁人によって解除された。しかし、世界テコンドー連盟からの出場停止処分は有効なままであったため、彼は2020年東京オリンピックへの出場が不可能となった。
2022年12月、スポーツ仲裁裁判所(CAS)はスティーブン・ロペスとジャン・ロペスに対する性的虐待を理由とした永久出場停止処分を解除する決定を下した。CASは、世界テコンドー連盟が処分を課す際に根拠とした2011年の倫理規定が、兄弟が告発されたとされる事件が2011年以前に発生したものであるため、適用されるべきではないと判断した。
5.3. 余波とキャリアへの影響
性的不正行為の申し立ては、スティーブン・ロペスの選手キャリア、コーチ活動、そして公衆のイメージに長期的な影響を与えた。特に、世界テコンドー連盟からの出場停止処分は、2020年東京オリンピックへの出場を阻む決定的な要因となった。CASの決定により一部の処分は解除されたものの、この論争は彼のスポーツ界における評価と社会的な評判に深刻な影を落とし続けている。
6. レガシーと評価
スティーブン・ロペスの生涯と業績に対する歴史的、社会的評価を総合的に提示し、彼の競技における肯定的な貢献と、性的不正行為の申し立てによる批判的な視点を併せて扱う。
6.1. 競技への貢献
スティーブン・ロペスは、テコンドー競技において卓越した技術と競技スタイルで知られている。オリンピックで2つの金メダル、世界選手権で5大会連続金メダルという前人未踏の記録を打ち立て、テコンドーの歴史にその名を刻んだ。彼の圧倒的な強さと、常に勝利を追求する姿勢は、多くの後進選手に影響を与え、テコンドーという競技の発展に貢献したと評価されている。彼はテコンドー史上最も多くのタイトルを獲得した選手の一人であり、その功績は競技面において非常に大きい。
6.2. 公衆の認識と批判
スティーブン・ロペスは、その輝かしい競技実績から、かつてはアメリカのスポーツ界を代表するヒーローとして、メディアや大衆から高い評価を受けていた。しかし、2017年以降に明るみに出た複数の女性選手からの性的不正行為の申し立ては、彼の公衆イメージを大きく変化させた。これらの深刻な疑惑とそれに伴うスポーツ団体からの処分は、彼の競技キャリアだけでなく、社会的な信頼をも失墜させる結果となった。
現在、彼のレガシーは、テコンドー選手としての比類なき功績と、性的不正行為を巡る論争という二つの側面から評価されている。被害を訴える人々の声は、スポーツ界における権力濫用や人権問題に対する認識を高めるきっかけとなり、ロペスのケースは、アスリートが社会規範と倫理的責任をいかに果たすべきかという重要な問いを提起している。公衆やメディアは、彼のスポーツにおける貢献を認めつつも、性的不正行為に関する批判的な視点を持ち続けている。