1. 生い立ちと教育
ポール・グリーングラスは1955年8月13日にイングランドのサリー州チーム(現在のサットン・ロンドン特別区)で生まれた。彼の母ジョイス・グリーングラスは教師であり、父フィリップ・グリーングラスは水先案内人および商船の船員であった。兄のマーク・グリーングラスは歴史家として知られている。
彼はウェストコート小学校、グレイブセンッド・グラマー・スクール、セブンオークス・スクールで教育を受けた後、ケンブリッジ大学のクイーンズ・カレッジに進学し、ロジャー・ミッチェルと共に英文学を学んだ。ケンブリッジ大学を卒業後、グラナダ・テレビジョン・スクールで映像制作を学んだ。
2. ジャーナリズムにおけるキャリア
グリーングラスは1980年代にITVの時事問題番組『World in Actionワールド・イン・アクション英語』で監督としてキャリアをスタートさせ、約10年間にわたり同番組を担当した。
この時期、彼はイギリスの情報機関であるMI5の元次長ピーター・ライトと共同で、MI5の内部事情を暴露した著書『Spycatcherスパイキャッチャー英語』(1987年)を執筆した。この本は機密情報を含んでいたため、イギリス政府は出版禁止を試みたが、これは失敗に終わった。この著書はベストセラーとなり、グリーングラスは調査専門のジャーナリストとしての地位を確立した。
3. 監督としてのキャリア
ポール・グリーングラスの監督としてのキャリアは、社会問題に深く切り込んだドキュメンタリータッチの作品から、国際的なアクション・スリラー、そして実話に基づく衝撃的な事件映画まで、多岐にわたる。彼は自身の映画的スタイルを確立し、世界中の観客に強い影響を与え続けている。

3.1. 社会問題と実話に基づく作品
グリーングラスは、フィクションではないテレビ映画の監督としてドラマの分野に進出した。
- 『The One That Got Awayザ・ワン・ザット・ガット・アウェイ英語』(1996年)は、湾岸戦争中のイギリス陸軍特殊空挺部隊(SAS)の経験を描いたクリス・ライアンの著書に基づいている。
- 『The Fixザ・フィックス英語』(1997年)は、1964年のイギリスの競馬八百長事件を題材にしている。
- 映画監督デビュー作となった『ヴァージン・フライト』(1998年)では、ケネス・ブラナーとヘレナ・ボナム=カーターが主演し、運動ニューロン疾患を持つ女性のセクシュアリティという困難な問題を扱った。
- 『The Murder of Stephen Lawrenceスティーヴン・ローレンス暗殺事件英語』(1999年)は、ロンドン警視庁による適切な捜査が行われなかった黒人のイギリス人青年スティーヴン・ローレンスの殺害事件を描き、警察における組織的差別の告発につながった。
- 『ブラディ・サンデー』(2002年)は、ザ・トラブルズ中の1972年血の日曜日事件をほとんどドキュメンタリーのようなスタイルで描写した。この作品は、2002年の第52回ベルリン国際映画祭で宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』と並んで金熊賞を共同受賞したほか、エキュメニカル審査員賞と国際カトリック映画事務局賞も受賞した。この映画はドン・マランの著書『Eyewitness Bloody Sunday目撃者 ブラディ・サンデー英語』に触発されており、マラン自身も共同プロデューサーとして映画に出演している。
- 『オマー事件』(2004年)は、ガイ・ヒバートと共同で脚本を執筆したテレビ映画で、1998年のオマー爆破事件に基づいている。この作品は批評家から高い評価を受け、英国アカデミーテレビジョン賞最優秀単発ドラマ賞を受賞した。グリーングラスは脚本家およびプロデューサーとしてクレジットされたが、監督はピート・トラヴィスが務めた。これは、彼が『ボーン・スプレマシー』の製作に携わっていたためである。『オマー事件』は、『ブラディ・サンデー』に続き、アイルランドにおけるテロリズムと大量殺害を扱った彼の2作目の作品となった。
3.2. アクション・スリラーとフランチャイズ作品
グリーングラスは『ブラディ・サンデー』での評価を受け、2004年の『ボーン・スプレマシー』の監督に起用された。これは2002年の映画『ボーン・アイデンティティー』の続編であり、前作の監督であったダグ・リーマンがプロジェクトを離れた後のことだった。この映画ではマット・デイモンが、記憶を失いながらも自身がかつてCIAのトップ暗殺者であったことを悟り、元雇用主から追われるジェイソン・ボーンを演じた。この作品は予想を上回る興行的・批評的成功を収め、グリーングラスの評価と、より個人的な小規模映画を製作する能力を確固たるものにした。
その後、彼は『ボーン』シリーズに再び参加し、『ボーン・アルティメイタム』(2007年)を監督。この作品は、前2作を上回る大成功を収めた。
『グリーン・ゾーン』(2010年)では、再びマット・デイモンを主演に迎え、戦後のイラクで大量破壊兵器を捜索する米軍チームの失敗を描いた。この映画はスペインとモロッコで撮影され、2010年に公開された。当初はラジブ・チャンドラセカランのノンフィクションベストセラー『Imperial Life in the Emerald Cityエメラルド・シティの帝国生活英語』に基づくと発表されたが、最終的には同書に緩やかに触発された大幅に脚色されたアクションスリラーとなった。
2014年9月には、彼がマット・デイモンを再び主演に迎えて5作目の『ボーン』映画『ジェイソン・ボーン』を監督することが発表され、2016年7月29日に公開された。
3.3. テロリズムと実話に基づく事件映画
グリーングラスは、2001年9月11日同時多発テロ事件でハイジャックされたユナイテッド航空93便の機内を描いた『ユナイテッド93』(2006年)を監督した。この映画は、特にグリーングラスの準ドキュメンタリー的なスタイルが高く評価された。彼は批評家団体から数々の監督賞やノミネート(放送映画批評家協会賞を含む)を受け、第60回英国アカデミー賞では英国アカデミー賞 監督賞を受賞し、第79回アカデミー賞ではアカデミー監督賞にノミネートされた。また、この映画の脚本も担当し、全米脚本家組合賞を受賞、英国アカデミー賞最優秀オリジナル脚本賞にもノミネートされた。
2009年のマースク・アラバマ号乗っ取り事件を題材にした映画『キャプテン・フィリップス』(2013年)は、リチャード・フィリップス船長の著書『A Captain's Dutyア・キャプテンズ・デューティー英語』に基づいている。トム・ハンクス、バーカッド・アブディ、ファイサル・アーメドが出演し、2012年にアメリカ合衆国マサチューセッツ州とバージニア州、そしてマルタで撮影され、2013年に公開された。
2017年には、アンネシュ・ベーリング・ブレイヴィークによる2011年ノルウェー連続テロ事件とその余波を追ったドキュメンタリードラマ映画『7月22日』の撮影をノルウェーで開始した。この映画は2018年10月10日にNetflixおよび一部の劇場で公開された。
3.4. 近年の作品と今後のプロジェクト
2019年2月、グリーングラスはポーレット・ジャイルズの小説『この茫漠たる荒野で』の映画化作品をフォックス・サーチライト・ピクチャーズで監督することに契約し、トム・ハンクスと再タッグを組んだ。この映画は最終的に2020年12月25日にユニバーサル・ピクチャーズによって米国で公開され、2021年にはNetflixによって国際的に配信された。
2022年5月には、彼がベネディクト・カンバーバッチ主演の中世アクション映画『The Hoodザ・フード英語』の脚本と監督を務めることが発表された。この作品は1381年のイングランド農民反乱の物語に基づいている。同年9月15日には、グリーングラスのファンであるスティーヴン・キングが彼に映画化権を売却したことを受け、キングの小説『Fairy Tale (novel)フェアリーテイル英語』の映画化作品の脚本と監督を務めることが発表された。グリーングラスはグレゴリー・グッドマンと共にプロデューサーも務める。
2023年11月には、T・J・ニューマンの小説『Drowning: The Rescue of Flight 1421ドロウニング:フライト1421の救出英語』の映画化作品をワーナー・ブラザース・ピクチャーズのために脚本・監督することが発表された。2024年1月には、ブラッド・イングルスビーが脚本を執筆し、リジー・ジョンソンの2021年のノンフィクション書籍『Paradise: One Town's Struggle to Survive an American Wildfireパラダイス:ある町の山火事からのサバイバル英語』(2018年のカリフォルニア山火事に関するもの)に基づいたスリラー映画『The Lost Busザ・ロスト・バス英語』をApple Studiosのために監督することが発表された。このプロジェクトにはマシュー・マコノヒーとアメリカ・フェレーラが出演する予定である。
4. 演出スタイルと特徴
ポール・グリーングラス監督の映画的スタイルは、その強いリアリズムと観客を物語に引き込む能力で高く評価されている。彼の作品に共通する最も顕著な特徴は、手持ちカメラ技法の多用である。この技法は、映像に揺れや不安定さをもたらし、あたかも観客がその場に立ち会っているかのような臨場感とドキュメンタリー的な感触を与える。特にアクションシーンや緊迫した場面では、この手法が効果的に使われ、観客の没入感を高めている。
また、彼の作品は非常に速い編集を特徴としている。特にアクション・スリラー作品では、短いカットが連続することで、目まぐるしい展開と緊張感を創出する。この高速なカット割りは、物語のペースを加速させ、観客に息つく暇を与えない。
これらの技法は、彼の作品がしばしば実話や社会問題を題材にしていることと相まって、単なる娯楽映画にとどまらない、現実世界への深い洞察と批評性を帯びたものとなっている。例えば、『ユナイテッド93』では、この準ドキュメンタリー的なアプローチが、9/11テロ事件の悲劇を極めて生々しく、かつ敬意をもって描くことに貢献した。
5. 専門的な活動と受賞歴
ポール・グリーングラスは、映画監督としての活動にとどまらず、イギリス映画界への専門的な貢献も多岐にわたり、その功績は数々の権威ある賞や栄誉によって称えられている。
5.1. 専門的な貢献
2007年、グリーングラスはイギリスの映画監督のための専門団体「Directors UK」を共同設立した。彼は2014年7月までその初代会長を務め、イギリス映画界における監督たちの権利と地位の向上に尽力した。
2007年には、Entertainment Weekly誌の「ハリウッドで最も賢い50人」で28位にランクインした。2008年には、『デイリー・テレグラフ』紙によって、イギリスの文化において最も影響力のある人物の一人に選ばれた。
2017年には、英国映画協会から英国映画協会フェローシップを授与され、その長年の功績が称えられた。
5.2. 主要な受賞歴と栄誉
- ベルリン国際映画祭**:
- 2002年: 『ブラディ・サンデー』で金熊賞、エキュメニカル審査員賞を受賞。
- 1989年: 『Resurrectedリザレクテッド英語』で国際カトリック映画事務局賞を受賞。
- 英国アカデミー賞**:
- 2006年: 『ユナイテッド93』で英国アカデミー賞 監督賞を受賞。
- 2007年: 『ボーン・アルティメイタム』で監督賞にノミネート。
- 2013年: 『キャプテン・フィリップス』で監督賞にノミネート。
- 2004年: 『オマー事件』で英国アカデミーテレビジョン賞最優秀単発ドラマ賞を受賞(脚本・製作として)。
- 『ユナイテッド93』で最優秀英国映画賞にノミネート。
- アカデミー賞**:
- 2006年: 『ユナイテッド93』でアカデミー監督賞にノミネート。
- 全米映画批評家協会賞**:
- 2006年: 『ユナイテッド93』で全米映画批評家協会賞 監督賞を受賞。
- ロサンゼルス映画批評家協会賞**:
- 2006年: 『ユナイテッド93』でロサンゼルス映画批評家協会賞 監督賞を受賞。
- その他のノミネートと受賞**:
- 『ユナイテッド93』で放送映画批評家協会賞監督賞にノミネート、全米脚本家組合賞を受賞。
- 『キャプテン・フィリップス』で全米監督協会賞長編映画監督賞、AACTA国際賞監督賞、放送映画批評家協会賞監督賞、ゴールデングローブ賞 監督賞にノミネート。
- 栄誉**:
- 2013年: エンパイア賞インスピレーション賞を受賞。
- 2022年: 芸術への貢献が認められ、大英帝国勲章コマンダー(CBE)を受章。
6. プライベート
ポール・グリーングラスは、自身は神を信じていないと述べているが、「精神性のあり方には大きな敬意を払っている」と語っている。
彼はタレントエージェントのジョアンナ・ケイと結婚しており、彼女との間に3人の子供がいる。また、以前の結婚でも2人の子供をもうけている。
彼はクリスタル・パレスFCの熱心なサポーターとしても知られている。
7. フィルモグラフィ
7.1. 映画
年 | 題名 | 監督 | 脚本 | 製作 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1989 | Resurrectedリザレクテッド英語 | 〇 | - | - | |
1998 | 『ヴァージン・フライト』 | 〇 | - | - | |
2002 | 『ブラディ・サンデー』 | 〇 | 〇 | - | |
2004 | 『ボーン・スプレマシー』 | 〇 | - | - | |
2006 | 『ユナイテッド93』 | 〇 | 〇 | 〇 | |
2007 | 『ボーン・アルティメイタム』 | 〇 | - | - | |
2010 | 『グリーン・ゾーン』 | 〇 | - | 〇 | |
2013 | 『キャプテン・フィリップス』 | 〇 | - | - | |
2016 | 『ジェイソン・ボーン』 | 〇 | 〇 | 〇 | |
2018 | 『7月22日』 | 〇 | 〇 | 〇 | Netflix映画 |
2020 | 『この茫漠たる荒野で』 | 〇 | 〇 | - | |
2025 | 『The Lost Busザ・ロスト・バス英語』 | 〇 | - | - | 製作中 |
7.2. テレビ作品
年 | 題名 | 監督 | 脚本 | 製作 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1984-1987 | 『World in Actionワールド・イン・アクション英語』 | 〇 | - | 〇 | ドキュメンタリーシリーズ。2エピソードで監督、10エピソードでプロデューサー。 |
1992 | 『Cutting Edgeカッティング・エッジ英語』 | 〇 | - | - | ドキュメンタリーシリーズ。「Coppersコッパーズ英語」エピソード |
1993 | 『Crime Story (British TV series)クライム・ストーリー英語』 | 〇 | - | - | 「When the Lies Run Out: The Ian Spiro Story嘘が尽きる時:イアン・スパイロの物語英語」エピソード |
1994 | 『極悪非道』 | 〇 | 〇 | - | テレビ映画 |
1995 | 『Kavanagh QCカヴァナーQC英語』 | 〇 | - | - | 「The Sweetest Thing最も甘いもの英語」エピソード |
1995 | 『The Late Show (British TV programme)ザ・レイト・ショー英語』 | 〇 | - | - | ドキュメンタリーシリーズ。「Sophie's Worldソフィーの世界英語」エピソード |
1996 | 『The One That Got Away (1996 film)ガルフ・フォー/スカッドミサイル爆破指令英語』 | 〇 | 〇 | - | テレビ映画 |
1997 | 『The Fix (TV film)ザ・フィックス英語』 | 〇 | 〇 | - | テレビ映画 |
1999 | 『The Murder of Stephen Lawrenceスティーヴン・ローレンス暗殺事件英語』 | 〇 | 〇 | - | テレビ映画 |
2004 | 『オマー事件』 | - | 〇 | 〇 | テレビ映画 |
2017 | 『Five Came Back (TV series)ファイブ・ケイム・バック英語』 | - | - | - | ドキュメンタリーシリーズ。本人として出演。 |