1. 選手経歴
ミョー・フライン・ウィンは、ミャンマーサッカー界の重要な選手の一人として、そのキャリアを通じて数々の功績を残した。
1.1. 幼少期とデビュー
ミョー・フライン・ウィンは1973年5月24日に生まれた。彼の選手としての初期の経歴やプロデビューに関する具体的な情報は少ないが、その後の活躍から、若くしてその才能を発揮したことが窺える。
1.2. プレースタイルと特徴
彼は非常に多作なゴールスコアラーとして知られていた。プレースタイルはどちらかといえば個人主義的なアタッカーであったが、視野の広さ、パス、クロスの能力により、チームメイトへのアシストもこなすことができた。非常に強力で速く、技術に優れた選手であり、冷静にシュートを決めるフィニッシャーでもあった。その一方で、時にエゴイスティックな一面も見せたものの、仲間へのパスが忘れられないほど印象的だったとも評されている。
1.3. クラブ経歴
ミョー・フライン・ウィンは、選手として主にファイナンス・アンド・レベニューFCに所属し、同クラブの黄金期を支えた。彼はクラブで合計9回ものミャンマー・プレミアリーグ優勝に貢献した。その優勝年度は1996年、1997年、1999年、2000年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年である。この期間は彼のキャリアにおいて最も輝かしい時期の一つであり、クラブの支配的な地位確立に大きく貢献した。
1.4. 代表経歴
ミョー・フライン・ウィンはミャンマー代表として長期間活躍し、国際舞台でも多くの得点を記録した。彼の代表初キャップは1989年8月22日のタイ戦(0-3)で、当時16歳91日という若さであった。最後のキャップは2005年1月15日のマレーシア戦(1-2)で、31歳236日まで代表としてプレーした。
1.4.1. 年別代表出場および得点記録
年 | 出場 | 得点 |
---|---|---|
1989 | 1 | 0 |
1990 | 2 | 0 |
1991 | 2 | 0 |
1992 | 1 | 0 |
1993 | 10 | 8 |
1994 | 3 | 0 |
1995 | 9 | 2 |
1996 | 10 | 7 |
1997 | 5 | 5 |
1998 | 5 | 6 |
1999 | 4 | 3 |
2000 | 10 | 4 |
2004 | 5 | 1 |
2005 | 2 | 0 |
合計 | 69 | 36 |
大会 | 出場 | 得点 |
---|---|---|
SEAゲームズ | 20 | 15 |
親善試合 | 7 | 3 |
タイガーカップ | 19 | 9 |
AFCアジアカップ予選 | 9 | 8 |
アジア大会 | 3 | 0 |
その他トーナメント | 5 | 1 |
合計 | 63 | 36 |
1.4.2. 代表での得点一覧
ミャンマーの得点を先に記載。スコア欄はミャンマーの各ゴール後のスコアを示す。
No. | 日付 | 会場 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1993年4月18日 | トゥウンナ・スタジアム, ヤンゴン, ミャンマー | マカオ | 7-1 | 7-1 | 親善試合 |
2 | 1993年4月20日 | トゥウンナ・スタジアム, ヤンゴン, ミャンマー | マカオ | 3-2 | 3-2 | 親善試合 |
3 | 1993年6月9日 | ナショナルスタジアム, シンガポール | ラオス | 3-0 | 7-1 | 1993年東南アジア競技大会 |
4 | 5-0 | |||||
5 | 7-0 | |||||
6 | 1993年6月13日 | ナショナルスタジアム, シンガポール | マレーシア | 1-0 | 2-1 | 1993年東南アジア競技大会 |
7 | 1993年6月15日 | ナショナルスタジアム, シンガポール | ブルネイ | 4-0 | 6-0 | 1993年東南アジア競技大会 |
8 | 6-0 | |||||
9 | 1995年10月26日 | トゥウンナ・スタジアム, ヤンゴン, ミャンマー | バングラデシュ | 4-0 | 4-0 | ミャンマーカップ1995 |
10 | 1995年12月14日 | 700thアニバーサリー・スタジアム, チェンマイ, タイ | ベトナム | 1-1 | 1-2 | 1995年東南アジア競技大会 |
11 | 1996年7月1日 | ラジャマンガラ・スタジアム, バンコク, タイ | モルディブ | 2-0 | 3-1 | 1996 AFCアジアカップ予選 |
12 | 1996年7月4日 | シンガポール・ナショナルスタジアム, シンガポール | シンガポール | 1-2 | 2-2 | 1996 AFCアジアカップ予選 |
13 | 1996年7月9日 | シンガポール・ナショナルスタジアム, シンガポール | モルディブ | 1-0 | 4-1 | 1996 AFCアジアカップ予選 |
14 | 3-1 | 1996 AFCアジアカップ予選 | ||||
15 | 4-1 | 1996 AFCアジアカップ予選 | ||||
16 | 1996年9月5日 | ジュロン・スタジアム, ジュロン, シンガポール | カンボジア | 4-0 | 5-0 | 1996 AFFチャンピオンシップ |
17 | 1996年9月11日 | ジュロン・スタジアム, ジュロン, シンガポール | ラオス | 4-2 | 4-2 | 1996 AFFチャンピオンシップ |
18 | 1997年10月7日 | レバックブルス・スタジアム, ジャカルタ, インドネシア | シンガポール | 2-2 | 2-2 | 1997年東南アジア競技大会 |
19 | 1997年東南アジア競技大会 | |||||
20 | 1997年10月9日 | レバックブルス・スタジアム, ジャカルタ, インドネシア | ブルネイ | 6-1 | 6-1 | 1997年東南アジア競技大会 |
21 | 1997年東南アジア競技大会 | |||||
22 | 1997年東南アジア競技大会 | |||||
23 | 1998年3月13日 | トゥウンナ・スタジアム, ヤンゴン, ミャンマー | ブルネイ | 4-1 | 4-1 | 1998 AFFチャンピオンシップ予選 |
24 | 1998年3月18日 | トゥウンナ・スタジアム, ヤンゴン, ミャンマー | ラオス | 3-0 | 3-0 | 1998 AFFチャンピオンシップ予選 |
25 | 1998年8月29日 | トンニャット・スタジアム, ホーチミン, ベトナム | インドネシア | 1-0 | 2-6 | 1998 AFFチャンピオンシップ |
26 | 2-6 | 1998 AFFチャンピオンシップ | ||||
27 | 1998年8月31日 | フィリピン | 2-1 | 5-2 | 1998 AFFチャンピオンシップ | |
28 | 5-2 | 1998 AFFチャンピオンシップ | ||||
29 | 1999年8月1日 | ベラカススポーツ複合施設, バンダルスリブガワン, ブルネイ | 1-1 | 4-1 | 1999年東南アジア競技大会 | |
30 | 2-1 | 1999年東南アジア競技大会 | ||||
31 | 4-1 | 1999年東南アジア競技大会 | ||||
32 | 2000年4月5日 | 東大門運動場, ソウル, 韓国 | モンゴル | 2-0 | 2-0 | 2000 AFCアジアカップ予選 |
33 | 2000年4月7日 | ラオス | 1-0 | 4-0 | 2000 AFCアジアカップ予選 | |
34 | 4-0 | 2000 AFCアジアカップ予選 | ||||
35 | 2000年8月9日 | ペラ・スタジアム, イポー, マレーシア | マレーシア | 2-1 | 2-1 | 親善試合 |
36 | 2004年12月16日 | ブキッ・ジャリル国立競技場, クアラルンプール, マレーシア | 東ティモール | 3-1 | 3-1 | 2004 AFFチャンピオンシップ |
2. 監督経歴
選手として輝かしいキャリアを築いた後、ミョー・フライン・ウィンは指導者の道に進み、複数のクラブや代表チームでその手腕を発揮している。
2.1. ネピドーFC
2013年1月、ミョー・フライン・ウィンはネピドーFCの監督に就任した。彼は2013年ミャンマーナショナルリーグでチームを2位に導き、その結果、2014 AFCカップ出場権を獲得した。AFCカップではキッチーに次ぐグループ2位となり、ラウンド16に進出したが、ベトナムのハノイFCに0-5で敗れた。また、2014 MFFカップでは決勝まで進出したものの、エーヤワディー・ユナイテッドFCに0-2で敗れて準優勝に終わった。彼は2016シーズン終了後にクラブを離れた。
2.2. エーヤワディー・ユナイテッドFC
2019年2月、ミョーはエーヤワディー・ユナイテッドFCのヘッドコーチに就任した。彼の指揮下、チームは2019年シーズンで2位という好成績を収めた。
2.3. シャン・ユナイテッドFC
2024年1月30日、ミャンマー王者のシャン・ユナイテッドFCはミョーを新たなヘッドコーチとして招いた。彼は2024-25 ASEANクラブチャンピオンシップの予選プレーオフでブルネイのカスカFCを合計スコア4-2で破り、本戦出場に貢献した。
2.4. ミャンマー代表
ミャンマー代表はミヒャエル・フェヒテンバイナー監督の解任後、2024年9月9日にミョー・フライン・ウィンを新たなヘッドコーチに任命した。これは2019年以来、ミャンマー出身者が代表チームを率いる初の事例となる。彼は現在、U-22ミャンマー代表も兼任して指導している。
3. 栄誉
ミョー・フライン・ウィンは選手として、個人およびチームの両方で数々の栄誉を獲得している。
3.1. 選手部門
- クラブ:ファイナンス・アンド・レベニューFC
- ミャンマー・プレミアリーグ優勝(9回):1996、1997、1999、2000、2002、2003、2004、2005、2006
- 個人
- AFFチャンピオンシップゴールデンブーツ(1998年)
4. 影響と評価
ミョー・フライン・ウィンは、ミャンマーサッカーの歴史において、選手としても監督としても顕著な足跡を残した人物である。選手時代にはファイナンス・アンド・レベニューFCで9度のリーグ優勝に貢献し、AFFチャンピオンシップでは得点王に輝くなど、その得点能力とリーダーシップでチームを牽引した。彼のプレースタイルは時に個人技に頼るものと評されたが、その卓越した視野とパス能力はチームプレーにも貢献し、攻守両面で大きな影響力を持っていた。
監督としては、ネピドーFCやエーヤワディー・ユナイテッドFCでリーグ上位の成績を収め、AFCカップや国内カップ戦でチームを決勝に導くなど、指導者としての手腕も高く評価されている。特にシャン・ユナイテッドFCをASEANクラブチャンピオンシップ出場に導いた最近の功績は、彼の戦術的な深さとチームをまとめ上げる能力を示している。
2024年にはミャンマーサッカー代表のヘッドコーチに就任し、2019年以来となるミャンマー出身の監督として、国民の期待を一身に背負っている。彼のキャリア全体は、ミャンマーサッカーの発展における重要な要素であり、選手育成、戦術革新、そして国際舞台での競争力向上に大きく貢献していると評価される。彼は、ミャンマーサッカー界の象徴的な存在として、今後の世代にも影響を与え続けるだろう。