1. 生涯
1.1. 出生と生い立ち
森上亜希子は1980年1月12日に大阪市で生まれた。身長は167 cm、体重は56 kgである。
1.2. ジュニア時代とプロ転向
7歳でテニスを始め、青山裕司に師事した。ジュニア時代には、1997年ウィンブルドンのジュニア女子シングルス部門で準決勝に進出する活躍を見せた。その後、18歳の誕生日である1998年1月12日にプロ転向を果たした。
2. プロテニスキャリア
2.1. シングルスキャリア
森上はプロキャリアを通じて、WTAツアーのシングルスで1度の優勝と2度の準優勝を記録した。
2005年7月、アメリカのシンシナティ大会でキャリア初のシングルス決勝に進出したが、パティ・シュナイダー(スイス)に4-6, 0-6で敗れ準優勝となった。2年後の2007年5月、チェコのプラハ・オープンに第6シードとして出場し、決勝で第1シードのマリオン・バルトリ(フランス)を6-1, 6-3のストレートで破り、27歳にして念願のツアー初優勝を飾った。しかし、同年7月のシンシナティ大会では再び決勝に進出したものの、アンナ・チャクベタゼ(ロシア)に1-6, 3-6で敗れ、2度目の準優勝となった。
グランドスラムでは、2006年全仏オープンの1回戦で当時世界ランキング3位のナディア・ペトロワ(ロシア)を6-2, 6-2のストレートで破る金星を挙げた。シングルス通算成績は286勝243敗である。
2.2. ダブルスキャリア
ダブルスでは、WTAツアーで1度の優勝と1度の準優勝を記録した。
2003年2月、アメリカのメンフィス大会で小畑沙織とペアを組み、決勝でアリーナ・ジドコワ(ロシア)とブリアン・スチュワート(オーストラリア)組を6-1, 6-1で破り、ツアー初優勝を飾った。2007年2月には、再びメンフィス大会の決勝に進出したが、ヤルミラ・ガイドソバ(スロバキア)と組んでニコル・プラット(オーストラリア)とブリアン・スチュワート組に5-7, 6-4, [5-10]で敗れ、準優勝となった。ダブルス通算成績は60勝95敗である。
2.3. ITFサーキットでの成績
森上はITFサーキットにおいて、シングルスで7勝、ダブルスで3勝を挙げている。
結果 | No. | 日付 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
---|---|---|---|---|---|---|
準優勝 | 1. | 1996年10月13日 | ITF Kugayama, 日本 | ハード | 浅越しのぶあさごえ しのぶ日本語 | 1-6, 6-3, 1-6 |
準優勝 | 2. | 1999年8月30日 | ITF Kuroshio, 日本 | ハード | Kerry-Anne Guseケリー=アン・グース英語 | 4-6, 3-6 |
優勝 | 1. | 2000年3月12日 | ITF Warrnambool, オーストラリア | グラス | Mireille Dittmannミレイユ・ディットマン英語 | 6-4, 5-7, 6-1 |
優勝 | 2. | 2000年3月26日 | ITF Wodonga, オーストラリア | グラス | Mareze Joubertマレーゼ・ジョーバート英語 | 6-1, 6-1 |
優勝 | 3. | 2001年10月14日 | ITF Saga, 日本 | グラス | 宮城ナナみやぎ なな日本語 | 6-4, 7-5 |
優勝 | 4. | 2001年10月28日 | ITF Home Hill, オーストラリア | ハード | Mireille Dittmannミレイユ・ディットマン英語 | 0-6, 6-4, 6-1 |
優勝 | 5. | 2003年4月27日 | Dothan Pro Classic, アメリカ | クレー | Milagros Sequeraミラグロス・セケラスペイン語 | 6-3, 6-4 |
優勝 | 6. | 2004年6月6日 | Surbiton Trophy, イギリス | グラス | Anna Chakvetadzeアンナ・チャクベタゼロシア語 | 6-4, 1-6, 6-1 |
準優勝 | 3. | 2005年2月22日 | ITF Saint Paul, アメリカ | ハード (室内) | Laura Granvilleローラ・グランビル英語 | 2-6, 7-6, 2-6 |
準優勝 | 4. | 2007年2月7日 | Las Vegas Open, アメリカ | ハード | Caroline Wozniackiキャロライン・ウォズニアッキデンマーク語 | 3-6, 2-6 |
優勝 | 7. | 2007年11月4日 | ITF Taoyuan, 台湾 | ハード | Yanina Wickmayerヤニナ・ウィックマイヤーオランダ語 | 6-4, 7-6(5) |
結果 | No. | 日付 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
---|---|---|---|---|---|---|---|
優勝 | 1. | 2001年6月11日 | ITF Tallinn, エストニア | クレー | 佐伯美穂さえき みほ日本語 | Natalia Egorovaナタリア・エゴロワロシア語とEkaterina Sysoevaエカテリーナ・シソエワロシア語 | 6-2, 7-6(7) |
優勝 | 2. | 2002年5月26日 | ITF Tallinn, エストニア | クレー | 小畑沙織おばた さおり日本語 | Teryn Ashleyテリン・アシュリー英語とKristen Schlukebirクリステン・シュルークビル英語 | 7-5, 7-6(2) |
優勝 | 3. | 2006年6月9日 | ITF Prostějov, チェコ | クレー | Jarmila Wolfeヤルミラ・ウォルフ英語 | Līga Dekmeijereリーガ・デクメイエレラトビア語とAlicja Rosolskaアリツィア・ロソルスカポーランド語 | 6-3, 7-6(3) |
2.4. グランドスラムでの成績
森上は2003年全豪オープンで4大大会に初出場を果たした。シングルスでは全仏オープンで3回戦(2005年)、ウィンブルドンで3回戦(2003年、2007年)に進出したのが最高成績である。全豪オープンでは2回戦(2003年、2004年、2007年、2008年)、全米オープンでは2回戦(2004年)に進出している。
ダブルスでは、全仏オープンで3回戦(2007年)、全米オープンで3回戦(2006年、2007年)に進出したのが最高成績である。ウィンブルドンでは2回戦(2005年、2007年)、全豪オープンでは1回戦(2004年、2007年、2008年)であった。
大会 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 通算成績 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全豪オープン | QL | 2R | 2R | 1R | 1R | 2R | 2R | A | 4-6 |
全仏オープン | QL | 1R | 1R | 3R | 2R | 1R | 1R | A | 3-6 |
ウィンブルドン | QL | 3R | 1R | 1R | 2R | 3R | A | 1R | 5-6 |
全米オープン | QL | 1R | 2R | 1R | 1R | 1R | A | A | 1-5 |
2.4.1. オリンピック出場
森上は2004年アテネオリンピックのテニス競技に日本代表としてシングルスおよびダブルスの両部門で出場した。しかし、2008年北京オリンピックは膝の故障が悪化したため出場できなかった。
2.4.2. フェドカップ出場
国別対抗戦であるフェドカップ(現ビリー・ジーン・キング・カップ)には日本代表として出場し、通算18勝5敗の成績を記録している。
2.4.3. アジア大会でのメダル
森上はアジア競技大会にも出場し、複数のメダルを獲得している。
- 2006年ドーハアジア競技大会: 混合ダブルスで銀メダルを獲得。
- 2002年釜山アジア競技大会: 女子ダブルスで銅メダルを獲得。
- 2006年ドーハアジア競技大会: 女子団体で銅メダルを獲得。
3. プレースタイルと技術
森上亜希子は右利きであり、バックハンド・ストロークは両手打ちを用いるプレースタイルを特徴としている。

4. ランキングと賞金
森上は選手キャリア中に、シングルスで自己最高ランキング41位(2005年8月15日付)、ダブルスで自己最高ランキング59位(2007年7月30日付)を達成した。生涯獲得賞金は117.72 万 USDである。
5. 引退後の活動
プロ選手引退後、森上は多岐にわたる活動を行っている。
5.1. メディア出演と公的活動
現役引退後は、テニス関連の中継解説者として活動するほか、イベントや講演会などにも参加している。2010年にはNHKの番組「街道てくてく旅」に出演し、熊野街道(大阪・八軒家浜から和歌山・熊野本宮大社まで、および和歌山・田辺市から三重・伊勢神宮まで)を踏破した。同年12月15日には、NHK総合の「スタジオパークからこんにちは」にゲスト出演した。
5.2. 私生活
2011年4月24日にアチハ社長の阿知波孝明と結婚したことを自身の公式ブログで発表した。2011年11月10日に長男を、2014年7月1日に長女を出産している。
6. 評価と功績
森上亜希子は、そのプロキャリアにおいてWTAツアーでの優勝やグランドスラムでの活躍を通じて、日本女子テニス界に貢献した。特に、世界トップ選手を破る金星を挙げるなど、印象的なプレーでファンを魅了した。