1. 個人履歴
永井良和は1952年に埼玉県で生まれ、高校時代からその才能を開花させた。
1.1. 出身地と生い立ち
永井良和は1952年4月16日に埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)で生まれた。浦和南高校時代から「快速フォワード」としてその名を知らしめ、当時の人気漫画・アニメーション『赤き血のイレブン』の主人公である玉井真吾のモデルにもなった。身長は169 cm、体重は60 kgであった。
1.2. 家族
息子の永井俊太も元サッカー選手として知られている。
2. 主な活動と業績
永井良和は選手として日本のトップリーグで活躍し、引退後は指導者として多くのチームを率いた。
2.1. 選手キャリア
永井の選手キャリアは、古河電気工業サッカー部での長きにわたる活躍と、日本代表での国際舞台での経験に特徴づけられる。
2.1.1. クラブキャリア
浦和南高校卒業後の1971年、永井は日本サッカーリーグの古河電気工業(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)に入部した。古河電気工業では、1976年と1985-86シーズンに日本サッカーリーグの優勝に貢献した。また、天皇杯では1976年に、JSLカップでは1977年、1982年、1986年に優勝を経験している。
永井は1988年に現役を引退するまで、リーグ戦で通算272試合に出場し、63得点を記録した。この272試合出場は、当時の日本サッカーリーグ1部における最多出場記録であった。1976年には日本年間最優秀選手賞を受賞し、JSLベストイレブンには5回選出された。
2.1.2. 代表キャリア
1971年8月13日、永井は19歳で日本代表にデビューし、アイスランドと対戦した。同年にはミュンヘンオリンピック予選にも出場した。1972年には日本代表での出場はなかったものの、1973年には1974 FIFAワールドカップ予選のメンバーに選ばれた。
その後も、1974年、1978年のアジア競技大会に出場した。1980年には1980年モスクワオリンピック予選のメンバーに選ばれたが、日本は本大会出場を逃し、この予選が永井にとって最後の日本代表戦となった。1980年までに、永井は日本代表として通算69試合に出場し、9得点を挙げた。
2.2. 指導者キャリア
現役引退後、永井は指導者の道に進み、プロクラブから年代別代表、ユース育成まで幅広い分野で貢献した。
2.2.1. プロクラブ指導
1988年に現役を引退した後、永井は古河電気工業(後にジェフユナイテッド市原に改称)のコーチに就任した。1992年にはプロ化されたばかりのジェフユナイテッド市原の監督を務め、1993年まで指揮を執った。
1996年にはジャパンフットボールリーグ(旧JFL)の福島FCの監督を1シーズン務めた。1998年には同じく旧JFLのアルビレックス新潟の監督に就任し、1999年にクラブがJ2リーグに昇格した後も2000年まで指揮を執った。
2001年にはJ2に昇格したばかりの横浜FCの監督に就任したが、同年9月に退任した。2005年6月から12月には浦和レッドダイヤモンズのハートフルクラブコーチを務めた。
2006年からは地元である浦和レッズ・レディース(なでしこリーグ)の監督に就任。地元での指導ということもあり、大きな期待が寄せられた。チームを上位に維持し、フロントからは続投要請があったものの、2007年シーズンをもって監督を退任した。
2.2.2. 年齢別代表チーム指導
永井は日本代表の育成にも携わり、1988年から1989年まで日本ユース代表のコーチを務めた。その後、1989年から1991年まで日本U-20代表の監督を務め、若手選手の育成に尽力した。
2.2.3. ユース育成とその他の活動
2008年4月1日より、フクダ電子アリーナ内のサッカースクール「永井良和サッカースクール」のスクールマスターに就任し、自身も指導に日々携わっている。
2009年4月からは、アブレイズ千葉SCジュニアユースチームのクラブチーム登録に伴い、U-13チームの監督も兼任した。2010年4月からはU-12、U-13、U-14のカテゴリーを指導し、2010年度のU-14チームは千葉県で強豪チームに成長した。2009年度の千葉海浜リーグでは11勝2敗2分という成績を収め、5月に行われた千葉県U-13チャンピオンズリーグへの出場も果たし、育成面での評価を高めた。チームスタイルは堅実でありながら、リーグトップクラスの得点力(52得点)を誇り、個人成績部門でも得点王を輩出した。
2010年4月に行われた千葉県クラブユース選手権では、1学年上のU-15チームを相手にブロック予選を勝ち抜き、決勝トーナメントに進出したが敗退した。選手全員が中学2年生という中で、年上の中学3年生相手に善戦した。
その後も千葉県ユースや高円宮杯ブロック予選で中学3年生を相手に代表決定戦に進出するなど、着実に力をつけている。千葉海浜リーグでも上位を維持し、チャンピオンズリーグに3大会連続で出場した。また、個人成績部門では3年連続で得点王、2011年度にはアシスト王も輩出した。2012年8月にはU-15チームが県リーグ2部で1位となり、参入2年目での1部昇格を決めた。
奥寺康彦(元横浜FCゼネラルマネージャー)とは選手時代から指導者としても相性が良く、2008年にフクダ電子アリーナで開催された「赤き血のイレブンカップ」では、旧日本代表チームの一員として永井と奥寺のツートップが実現した。
3. 受賞歴と栄誉
永井良和は選手および指導者として、以下の個人栄誉と業績を獲得している。
- 日本年間最優秀選手賞:1976年
- JSLベストイレブン:5回
- 日本サッカー殿堂入り:2012年
4. 統計
永井良和の選手および指導者としての詳細な記録を以下に示す。
4.1. 選手統計
永井のクラブキャリアにおけるリーグ戦、JSLカップ、天皇杯の出場記録と得点記録を以下に示す。
日本 | リーグ戦 | JSLカップ | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | 所属クラブ | 背番号 | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1971 | 古河 | 12 | JSL | 10 | 2 | - | 1 | 0 | 11 | 2 | |
1972 | JSL1部 | 10 | 0 | - | 2 | 0 | 12 | 0 | |||
1973 | 11 | 18 | 2 | - | 1 | 0 | 19 | 2 | |||
1974 | 18 | 5 | - | 1 | 0 | 19 | 5 | ||||
1975 | 18 | 7 | - | 1 | 0 | 19 | 7 | ||||
1976 | 18 | 5 | 1 | 1 | 3 | 3 | 22 | 9 | |||
1977 | 18 | 14 | 5 | 5 | 4 | 1 | 27 | 20 | |||
1978 | 18 | 1 | - | 4 | 0 | 22 | 1 | ||||
1979 | 18 | 6 | 3 | 1 | 2 | 0 | 23 | 7 | |||
1980 | 17 | 3 | 2 | 1 | 2 | 0 | 21 | 4 | |||
1981 | 15 | 6 | 3 | 1 | 2 | 1 | 20 | 8 | |||
1982 | 10 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | 13 | 2 | |||
1983 | 12 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 14 | 1 | |||
1984 | 14 | 5 | 0 | 0 | 4 | 1 | 18 | 6 | |||
1985-86 | 22 | 3 | 4 | 1 | 0 | 0 | 26 | 4 | |||
1986-87 | 14 | 0 | 0 | 0 | ※ | 14 | 0 | ||||
1987-88 | 22 | 2 | 2 | 1 | 3 | 0 | 27 | 3 | |||
総通算 | 272 | 63 | 21 | 10 | 31 | 6 | 324 | 79 |
※1986年度の天皇杯は、古河電工がアジアクラブ選手権1986-87出場のため辞退。
4.2. 国家代表チーム統計
永井の日本代表としての年ごとの出場記録と得点記録を以下に示す。
日本代表 | ||
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1971 | 4 | 1 |
1972 | 0 | 0 |
1973 | 5 | 0 |
1974 | 4 | 1 |
1975 | 11 | 1 |
1976 | 17 | 2 |
1977 | 5 | 0 |
1978 | 12 | 1 |
1979 | 9 | 3 |
1980 | 2 | 0 |
合計 | 69 | 9 |
永井の国際Aマッチ出場試合と得点詳細を以下に示す。
No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | 1971年08月13日 | レイキャビク | アイスランド | ○2-0 | 岡野俊一郎 | 国際親善試合 | |
2. | 1971年09月27日 | ソウル | フィリピン | ○8-1 | オリンピック予選 | ||
3. | 1971年09月29日 | ソウル | チャイニーズタイペイ | ○5-1 | オリンピック予選 | ||
4. | 1971年10月02日 | ソウル | 韓国 | ●1-2 | オリンピック予選 | ||
5. | 1973年05月16日 | ソウル | イスラエル | ●1-2 | 長沼健 | ワールドカップ予選 | |
6. | 1973年05月20日 | ソウル | 南ベトナム | ○4-0 | ワールドカップ予選 | ||
7. | 1973年05月22日 | ソウル | 香港 | ●0-1 | ワールドカップ予選 | ||
8. | 1973年05月26日 | ソウル | イスラエル | ●0-1(延長) | ワールドカップ予選 | ||
9. | 1973年06月23日 | ソウル | 韓国 | ●0-2 | 日韓定期戦 | ||
10. | 1974年02月20日 | 香港 | 香港 | △0-0 | 国際親善試合 | ||
11. | 1974年07月23日 | コンスタンツァ | ルーマニア | ●1-4 | 国際親善試合 | ||
12. | 1974年09月03日 | テヘラン | フィリピン | ○4-0 | アジア大会 | ||
13. | 1974年09月05日 | テヘラン | マレーシア | △1-1 | アジア大会 | ||
14. | 1975年06月14日 | 香港 | 香港 | △0-0(PK3-4) | アジアカップ予選 | ||
15. | 1975年06月17日 | 香港 | 北朝鮮 | ●0-1 | アジアカップ予選 | ||
16. | 1975年06月21日 | 香港 | シンガポール | ○2-1 | アジアカップ予選 | ||
17. | 1975年06月23日 | 香港 | 中国 | ●1-2 | アジアカップ予選 | ||
18. | 1975年06月26日 | 香港 | 香港 | ○1-0 | アジアカップ予選 | ||
19. | 1975年07月30日 | クアラルンプール | 香港 | ●0-2 | ムルデカ大会 | ||
20. | 1975年08月02日 | クアラルンプール | マレーシア | ●0-2 | ムルデカ大会 | ||
21. | 1975年08月04日 | クアラルンプール | バングラデシュ | ○3-0 | ムルデカ大会 | ||
22. | 1975年08月07日 | クアラルンプール | インドネシア | ○4-1 | ムルデカ大会 | ||
23. | 1975年08月09日 | クアラルンプール | 韓国 | ●1-3 | ムルデカ大会 | ||
24. | 1975年09月08日 | ソウル | 韓国 | ●0-3 | 日韓定期戦 | ||
25. | 1976年01月25日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ブルガリア | ●1-3 | 朝日国際サッカー大会 | |
26. | 1976年01月28日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | ブルガリア | △1-1 | 朝日国際サッカー大会 | |
27. | 1976年02月01日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ブルガリア | ●0-3 | 朝日国際サッカー大会 | |
28. | 1976年03月14日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | フィリピン | ○3-0 | オリンピック予選 | |
29. | 1976年03月17日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | フィリピン | ○3-0 | オリンピック予選 | |
30. | 1976年03月21日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | ●0-2 | オリンピック予選 | |
31. | 1976年03月27日 | ソウル | 韓国 | △2-2 | オリンピック予選 | ||
32. | 1976年03月31日 | ソウル | イスラエル | ●0-3 | オリンピック予選 | ||
33. | 1976年04月11日 | テルアビブ | イスラエル | ●1-4 | オリンピック予選 | ||
34. | 1976年08月08日 | クアラルンプール | インド | ○5-1 | 二宮寛 | ムルデカ大会 | |
35. | 1976年08月10日 | クアラルンプール | インドネシア | ○6-0 | ムルデカ大会 | ||
36. | 1976年08月13日 | クアラルンプール | ビルマ | △2-2 | ムルデカ大会 | ||
37. | 1976年08月16日 | クアラルンプール | タイ | △2-2 | ムルデカ大会 | ||
38. | 1976年08月18日 | クアラルンプール | 韓国 | △0-0 | ムルデカ大会 | ||
39. | 1976年08月20日 | クアラルンプール | マレーシア | △2-2 | ムルデカ大会 | ||
40. | 1976年08月22日 | クアラルンプール | マレーシア | ●0-2 | ムルデカ大会 | ||
41. | 1976年12月04日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | ●1-2 | 日韓定期戦 | |
42. | 1977年03月06日 | テルアビブ | イスラエル | ●0-2 | ワールドカップ予選 | ||
43. | 1977年03月10日 | テルアビブ | イスラエル | ●0-2 | ワールドカップ予選 | ||
44. | 1977年03月26日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | △0-0 | ワールドカップ予選 | |
45. | 1977年04月03日 | ソウル | 韓国 | ●0-1 | ワールドカップ予選 | ||
46. | 1977年06月15日 | ソウル | 韓国 | ●1-2 | 日韓定期戦 | ||
47. | 1978年05月23日 | 愛知県 | 名古屋市瑞穂公園ラグビー場 | タイ | ○3-1 | ジャパンカップ | |
48. | 1978年07月13日 | クアラルンプール | イラク | △0-0 | ムルデカ大会 | ||
49. | 1978年07月15日 | クアラルンプール | インドネシア | ●1-2 | ムルデカ大会 | ||
50. | 1978年07月17日 | クアラルンプール | シリア | ○3-2 | ムルデカ大会 | ||
51. | 1978年07月19日 | クアラルンプール | 韓国 | ●0-4 | ムルデカ大会 | ||
52. | 1978年07月21日 | クアラルンプール | マレーシア | ●1-4 | ムルデカ大会 | ||
53. | 1978年07月23日 | クアラルンプール | シンガポール | ●1-2 | ムルデカ大会 | ||
54. | 1978年07月26日 | クアラルンプール | タイ | ○4-0 | ムルデカ大会 | ||
55. | 1978年11月26日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | ソビエト連邦 | ●0-3 | 国際親善試合 | |
56. | 1978年12月11日 | バンコク | クウェート | ●0-2 | アジア大会 | ||
57. | 1978年12月13日 | バンコク | バーレーン | ○4-0 | アジア大会 | ||
58. | 1978年12月15日 | バンコク | 韓国 | ●1-3 | アジア大会 | ||
59. | 1979年03月04日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | ○2-1 | 下村幸男 | 日韓定期戦 |
60. | 1979年05月31日 | 東京都 | 国立西が丘サッカー場 | インドネシア | ○4-0 | ジャパンカップ | |
61. | 1979年06月16日 | ソウル | 韓国 | ●1-4 | 日韓定期戦 | ||
62. | 1979年06月27日 | クアラルンプール | マレーシア | △1-1 | ムルデカ大会 | ||
63. | 1979年06月29日 | クアラルンプール | タイ | ○2-1 | ムルデカ大会 | ||
64. | 1979年07月01日 | クアラルンプール | ビルマ | ○1-0 | ムルデカ大会 | ||
65. | 1979年07月11日 | クアラルンプール | インドネシア | △0-0 | ムルデカ大会 | ||
66. | 1979年07月13日 | クアラルンプール | シンガポール | ○3-1 | ムルデカ大会 | ||
67. | 1979年08月23日 | 平壌 | 北朝鮮 | △0-0 | 国際親善試合 | ||
68. | 1980年03月22日 | クアラルンプール | 韓国 | ●1-3 | オリンピック予選 | ||
69. | 1980年03月30日 | クアラルンプール | マレーシア | △1-1 | オリンピック予選 |
永井の国際Aマッチにおける得点詳細を以下に示す。
# | 年月日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1971年10月2日 | 大韓民国、ソウル | 韓国 | 1-2 | 敗戦 | ミュンヘン五輪予選 |
2 | 1974年7月23日 | ルーマニア、コンスタンツァ | ルーマニア | 1-4 | 敗戦 | 親善試合 |
3 | 1975年6月21日 | 香港 | シンガポール | 2-1 | 勝利 | アジアカップ予選 |
4 | 1976年8月8日 | マレーシア、クアラルンプール | インド | 5-1 | 勝利 | ムルデカ大会 |
5 | 1976年12月4日 | 日本、東京 | 韓国 | 1-2 | 敗戦 | 日韓定期戦 |
6 | 1978年5月23日 | 日本、名古屋市 | タイ | 3-0 | 勝利 | ジャパンカップ |
7 | 1979年5月31日 | 日本、東京 | インドネシア | 4-0 | 勝利 | ジャパンカップ |
8 | 1979年6月16日 | 大韓民国、ソウル | 韓国 | 1-4 | 敗戦 | 日韓定期戦 |
9 | 1979年7月13日 | マレーシア、クアラルンプール | シンガポール | 3-1 | 勝利 | ムルデカ大会 |
4.3. 指導者統計
永井が監督として指揮を執った各チームのリーグ戦およびカップ戦の成績を以下に示す。
年度 | カテゴリー | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 試合 | 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | ナビスコ杯/なでしこ杯 | 天皇杯/皇后杯 | |||
1992 | J | 市原 | - | 6位 | 準々決勝 | |||||
1993 | 8位 | 36 | - | 14 | - | 22 | 予選リーグ | 準々決勝 | ||
1996 | 旧JFL | 福島FC | 14位 | 30 | 22 | 7 | - | 23 | - | 2回戦 |
1998 | 旧JFL | 新潟 | 11位 | 30 | 34 | 12 | - | 18 | - | 3回戦 |
1999 | J2 | 4位 | 36 | 58 | 20 | 2 | 14 | 1回戦 | 3回戦 | |
2000 | 7位 | 40 | 46 | 15 | 5 | 20 | 1回戦 | 3回戦 | ||
2001 | J2 | 横浜FC | - | 31 | - | 11 | 1 | 19 | 2回戦 | - |
2006 | なでしこ1部・上位 | 浦和レッズレディース | 準優勝 | 17 | 38 | 12 | 2 | 3 | - | 準決勝 |
2007 | なでしこ1部 | 3位 | 21 | 48 | 15 | 3 | 3 | 準優勝 | 準決勝 |
- 2001年はシーズン途中で退任。
4.4. その他
- JSL選抜チーム(1974年、1984年、1986年)に選出され、3試合に出場した。
5. 影響力
永井良和は、選手としての輝かしいキャリアと、その後の指導者としての多岐にわたる活動を通じて、日本のサッカー界に多大な影響を与えた。
特に、永井が高校時代に漫画『赤き血のイレブン』の主人公のモデルとなったことは、当時の若者たちにサッカーへの夢と情熱を抱かせる上で大きな役割を果たした。彼の「快速フォワード」としてのプレースタイルは、多くのサッカー少年たちの憧れの的となった。
指導者としては、ジェフユナイテッド市原やアルビレックス新潟といったプロクラブの監督を務め、チームの基盤作りに貢献した。また、浦和レッドダイヤモンズ・レディースの監督として女子サッカーの発展にも尽力し、地元浦和での指導は地域サッカーへの深いコミットメントを示した。
永井の最も顕著な影響力の一つは、ユース育成分野での活動にある。自身の名を冠したサッカースクールやアブレイズ千葉SCジュニアユースでの指導は、若手選手の技術向上だけでなく、人間形成にも重きを置く彼の哲学を反映している。彼が率いたユースチームが短期間で目覚ましい成長を遂げ、上位リーグへの昇格や得点王の輩出といった実績を残したことは、その指導手腕の確かさを証明している。永井の育成哲学は、堅実な守備と高い得点力を両立させるバランスの取れたチーム作りを特徴とし、未来の日本サッカーを担う選手たちの育成に貢献し続けている。
日本サッカー殿堂入りは、永井が日本のサッカー史において果たした功績と、その影響力が永続的なものであることを象徴している。