1. 概要
タチャタワン・シーパン(ธชตวัน ศรีปานタイ語、1971年12月13日生まれ)は、タイ出身の元プロサッカー選手であり、現在はサッカー監督として活躍している。選手としては、創造的なパスと正確なセットプレー能力でタイ屈指のミッドフィールダーとして知られ、「タイサッカー界の紳士」と称された。2001年にはタイのサッカー情報サイト「Cheerthai.com」によって年間最優秀選手に選出されている。タイ代表として長期間活躍し、東南アジア競技大会で4つの金メダル、AFFチャンピオンシップで3つのタイトルを獲得した。
監督としては、選手兼任監督としてBECテロ・ササナFCを率いた後、故郷のサラブリーFCをタイ・ディビジョン2からタイ・プレミアリーグへ昇格させた。その後、ポリス・ユナイテッドFCをタイ・ディビジョン1優勝に導き、ムアントン・ユナイテッドFCではタイ・リーグ1やタイ・リーグカップの二冠を達成するなど、数々の成功を収めた。特にムアントン・ユナイテッドを率いた2017年のAFCチャンピオンズリーグでは、印象的な成績を残し、2017年のタイ・リーグ1最優秀監督賞を受賞した。現在はバンコク・ユナイテッドFCのヘッドコーチを務め、2024年にはクラブ史上初のタイFAカップ優勝を達成している。彼はタイサッカー界において、選手と監督の両方で多大な影響を与え、その功績は高く評価されている。
2. 生涯と個人的背景
タチャタワン・シーパンの個人的な背景情報について詳述する。
2.1. 生誕と幼少期
タチャタワン・シーパンは、1971年12月13日にタイ王国サラブリー県ムアンサラブリー郡フワイボン地区で、ソムキットとソムシー・シーパン夫妻の4人兄弟の3番目の子として生まれた。彼の本名は「ヤー」だが、友人たちからは「ベン」と呼ばれており、この愛称で広く知られるようになった。
2.2. 教育
タチャタワンは、幼稚園から小学校6年生までセーンウィッタヤー学校で初等教育を受けた。その後、ケンコーイ学校で中学校に進学し、サラブリー工業大学に進んだ。最終的にはラチャマンカラ工科大学スワンナプーム校ノンタブリー技術キャンパスで学士号を取得して卒業した。
2.3. 私生活
タチャタワンは、タイ国際航空の客室乗務員であったワリットタヤー・エマーシリ(「ナムフォン」の愛称で知られる)と結婚した。結婚披露宴は2008年12月12日、タイ王国海軍本部内のチャオプラヤホールで開催された。
3. 選手としてのキャリア
タチャタワン・シーパンの選手時代のキャリアについて説明する。
3.1. クラブキャリア
タチャタワンは、プロサッカー選手としてのキャリアをラーチャウィティーFCでスタートした。その後、バンコク・バンク・オブ・コマースFCでその才能を開花させ、タイ代表に選出されるまでに成長した。
バンコク・バンク・オブ・コマースFCが解散した後、彼はシンガポールのSリーグに所属するセンバワン・レンジャーズFCに移籍し、6年間プレーした。センバワン・レンジャーズでは「センバワン・レンジャーズの王」としてファンから絶大な人気を誇ったが、チームの潜在能力が十分でなかったため、リーグ優勝を果たすことはできなかった。
その後、タチャタワンはベトナムのホアンアイン・ザライFCに3シーズン在籍し、チームをVリーグ優勝に導いた。この期間には、ASEAN最高のミッドフィールダーの一人として高く評価された。
2003年には、タイのサッカーファン投票サイト「Cheerthai.com」によって「年間最優秀サッカー選手」に選ばれ、「チェルタイ・アワード」を受賞した。
ホアンアイン・ザライFCとの契約満了後、タチャタワンはタイに帰国し、2007年と2008年のタイ・プレミアリーグシーズンにBECテロ・ササナFCでプレーした。彼はチームのキャプテンを務め、両シーズンともにチームをリーグ3位に導いた。
彼の選手としての主なクラブは以下の通り。
| 期間 | クラブ | 出場 | 得点 |
|---|---|---|---|
| 1993-1994 | ラーチャウィティーFC | 15 | 1 |
| 1995-1997 | バンコク・バンク・オブ・コマースFC | 51 | 11 |
| 1998-2003 | センバワン・レンジャーズFC | 180 | 29 |
| 2004-2006 | ホアンアイン・ザライFC | 49 | 13 |
| 2007-2009 | BECテロ・ササナFC | 60 | 6 |
上記クラブでの合計出場数は355試合、総得点数は60点であった。
3.2. 代表チームキャリア
タチャタワンは、タイ代表として1992年から2009年まで長きにわたり活躍した。彼の代表デビューは、1993年2月に日本の神戸で開催された1994年プレワールドカップ予選のバングラデシュ戦であった。
彼はタワッチャイ・サッチャクンやウィラット・チャンパーニット率いる「ドリームチーム」の一員としてタイサッカー界で名を馳せ、以下のような重要な成果を挙げた。
- 1994年キングスカップ優勝(Bチームとして)
- 1994年インドネシア独立記念杯優勝
- 東南アジア競技大会での4度の金メダル獲得(1993年シンガポール大会、1995年チェンマイ大会、1997年インドネシア大会、1999年ブルネイ大会)
- タイガーカップでの3度の優勝
- 1998年バンコク開催のアジア競技大会で4位入賞
代表活動の後期にはキャプテンを務め、2007年5月16日の中国戦(タイが1-0で勝利)で初めてキャプテンの腕章を巻いた。この役割は代表引退まで続いた。
2008年、タイ代表が2010 FIFAワールドカップ予選で敗退した後、タチャタワンは代表からの引退を発表した。予選のオマーン戦(1-2で敗戦)では、彼がタイの先制点を挙げた。
引退後、2008年8月にタイサッカー協会によってピーター・リード監督のもとタイ代表のアシスタントコーチに任命された。しかし、クラブチーム(BECテロ・ササナ)での選手活動との兼ね合いが一部の選手に不評だったため、同年11月にはアシスタントコーチの職を辞任した。アシスタントコーチとしての在任期間中、代表チームはT&Tカップでの北朝鮮戦勝利と、サウジアラビア戦での敗戦を記録した。
2009年3月28日には、タイ代表との引退試合としてニュージーランドとの親善試合が行われ、タイが3-1で勝利した。この試合でタチャタワンは2点目を挙げ、31分にダッサコーン・トンラオと交代し、公式に代表から引退した。ハーフタイム中には、自身の両親を含む恩人たちに花束を贈呈した。
タチャタワンのタイ代表での出場数は145試合、総得点数は23点であった。FIFAが公式に認めているのは110試合出場であり、A代表での得点数は19点である。
3.3. プレースタイルと特徴
タチャタワン・シーパンは、選手時代にはセントラルミッドフィールダーまたは攻撃的ミッドフィールダーとしてプレーし、タイで最も偉大なミッドフィールダーの一人として広く認識されていた。彼のプレースタイルは、創造的なパス供給と正確なセットプレーの能力を特徴としていた。
特に印象的なゴールとしては、2001年のマンチェスター・ユナイテッドとの親善試合や、2007年にバンコクで行われたオランダとの親善試合(タイは1-3で敗れた)での30 ydからのフリーキックが挙げられる。
彼の個人的な性格は、非常に冷静沈着であり、チームメイトや対戦相手に対して怒りを見せたり、不満を爆発させたりすることはほとんどなかった。スポーツマンシップを重んじ、試合の勝敗にかかわらず、常に相手選手と握手を交わす姿勢を見せた。また、ピッチ外ではファンに対して非常に友好的で、笑顔を絶やさず、写真撮影にも快く応じたため、「タイサッカー界の紳士」(สุภาพบุรุษลูกหนังของเมืองไทยタイ語)という愛称で親しまれた。
4. 監督としてのキャリア
タチャタワン・シーパンの監督としてのキャリアについて詳述する。
4.1. 初期
タチャタワンは、2009年5月にクリストフ・ラルーイユ監督が退任したBECテロ・ササナFCで、選手兼任監督として監督キャリアをスタートさせた。彼はチームをリーグ4位に導き、2009年タイFAカップの決勝に進出したが、タイ・ポートFCに1-1で引き分けた後、PK戦で敗れ、優勝を逃した。
2010年12月、タチャタワンは自身の故郷のクラブであるサラブリーFCに加入した。当時、サラブリーはタイサッカーリーグの3部にあたるリージョナルリーグ・ディビジョン2に所属していた。彼は就任1年目でチームをタイ・ディビジョン1リーグ(2部)に昇格させた。この昇格は、2010年リージョナルリーグ・ディビジョン2の昇格プレーオフでラングシット大学FCに2-0で勝利し、グループAで3位に入ったことによる。サラブリーはその後4年間タイ2部リーグに留まったが、2014年シーズンに2位でフィニッシュし、クラブ史上初のタイ・プレミアリーグへの昇格を果たした。
しかし、2015年タイ・プレミアリーグシーズンでは、サラブリーは最初の6試合でわずか1ポイントしか獲得できず、タチャタワンは2015年4月8日に監督を辞任した。
2015年5月11日、アッタポン・ブスパコム監督が敗血症で死去してから約1ヶ月後、ディビジョン1のポリス・ユナイテッドFCがタチャタワン・シーパンの監督就任を発表した。彼はシーズン残りの期間、チームを率い、2015年タイ・ディビジョン1リーグで優勝し、タイ・プレミアリーグへの昇格を決定した。しかし、クラブの財政危機により、タチャタワンは後にポリス・ユナイテッドを離れることになった。

4.2. ムアントン・ユナイテッド
2016年1月21日、ムアントン・ユナイテッドFCはタチャタワン・シーパンをヘッドコーチに任命した。これは、過去6年間で初のタイ人ヘッドコーチの就任であった。彼の監督としての公式デビューは、2016年2月2日のAFCチャンピオンズリーグ予選2回戦のマレーシアのジョホール・ダルル・タクジムFC戦であった。ムアントンは0-0で延長戦の末、PK戦で勝利した。しかし、次のラウンドで中国の上海SIPGに0-3で敗れ、AFCチャンピオンズリーグからは敗退した。
それでも、タチャタワンはムアントンでの最初のシーズンで2冠を達成し、2016年のタイ・リーグと2016年のタイ・リーグカップで優勝した。
2017年1月22日、タチャタワン率いるムアントン・ユナイテッドはスコータイFCを5-0で破り、2017年タイランド・チャンピオンズカップのトロフィーを掲げた。その後、2017トヨタプレミアカップでは日本のサンフレッチェ広島に1-3で敗れた。
2017年AFCチャンピオンズリーグのグループステージでは、タチャタワンはムアントン・ユナイテッドを率いて目覚ましい活躍を見せた。初戦のブリスベン・ロアーFC戦で引き分け、続く2試合目ではスパチャラサイ・スタジアムで日本のJ1リーグ王者鹿島アントラーズに対し、クラブ史上初となる同大会での勝利を収めた。さらに蔚山現代のホームで勝ち点1を獲得し、SCGスタジアムでの再戦では勝利を収めた。6試合を終え、ムアントンはグループ2位の11ポイントでノックアウトステージに進出した。この2017年AFCチャンピオンズリーグでの好成績が評価され、タチャタワンは2017年タイ・リーグ1最優秀監督賞を受賞した。
2018年3月11日、PTプラチュワップFCにアウェイで1-6という衝撃的な大敗を喫した後、彼はすぐにムアントン・ユナイテッドの監督を辞任した。当初クラブは承認しなかったものの、後に双方の合意により辞任が成立した。
4.3. その後の監督歴
ムアントン・ユナイテッドを辞任した後、タチャタワンはポリス・テロFC(2018年6月29日 - 2018年9月14日)とスパンブリーFC(2018年11月12日 - 2019年6月2日)の監督を務めた。
2020年11月5日からはバンコク・ユナイテッドFCの監督に就任し、2022年3月11日まで指揮を執った。その後、2022年12月28日に再びバンコク・ユナイテッドのヘッドコーチとして復帰し、現在に至る。
2024年6月15日、彼は2023-24シーズンのタイFAカップ決勝でドラゴン・パトゥムワン・カンチャナブリーFCに対し、PK戦の末4-1で勝利し、バンコク・ユナイテッドのクラブ史上初となるFAカップ優勝に導いた。
5. キャリア統計
彼の選手および監督としてのキャリアにおける数値データと記録をまとめる。
5.1. 代表戦での得点記録
タチャタワン・シーパンがタイ代表として公式試合で記録した得点のリストを以下に示す。FIFAが認めるA代表での得点のみを記載する。
| No. | 日付 | 会場 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 大会 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1995年12月10日 | チェンマイ、タイ | ベトナム | 3-1 | 勝利 | 1995年東南アジア競技大会 |
| 2 | 1995年12月16日 | チェンマイ、タイ | ベトナム | 4-0 | 勝利 | 1995年東南アジア競技大会 |
| 3 | 1995年12月16日 | チェンマイ、タイ | ベトナム | 4-0 | 勝利 | 1995年東南アジア競技大会 |
| 4 | 1997年10月7日 | ジャカルタ、インドネシア | ブルネイ | 7-0 | 勝利 | 1997年東南アジア競技大会 |
| 5 | 1997年10月7日 | ジャカルタ、インドネシア | ブルネイ | 7-0 | 勝利 | 1997年東南アジア競技大会 |
| 6 | 1997年10月12日 | ジャカルタ、インドネシア | カンボジア | 4-0 | 勝利 | 1997年東南アジア競技大会 |
| 7 | 1998年12月2日 | バンコク、タイ | 香港 | 5-0 | 勝利 | 1998年アジア競技大会 |
| 8 | 1999年8月1日 | バンダルスリブガワン、ブルネイ | ラオス | 1-0 | 勝利 | 1999年東南アジア競技大会 |
| 9 | 1999年8月8日 | バンダルスリブガワン、ブルネイ | ミャンマー | 7-0 | 勝利 | 1999年東南アジア競技大会 |
| 10 | 1999年8月12日 | バンダルスリブガワン、ブルネイ | シンガポール | 2-0 | 勝利 | 1999年東南アジア競技大会 |
| 11 | 2000年11月16日 | バンコク、タイ | マレーシア | 2-0 | 勝利 | 2000年タイガーカップ |
| 12 | 2001年2月10日 | バンコク、タイ | スウェーデン | 1-4 | 敗戦 | 2001年キングスカップ |
| 13 | 2001年2月12日 | バンコク、タイ | カタール | 1-3 | 敗戦 | 2001年キングスカップ |
| 14 | 2001年2月14日 | バンコク、タイ | 中国 | 1-5 | 敗戦 | 2001年キングスカップ |
| 15 | 2001年5月30日 | バンコク、タイ | レバノン | 2-2 | 引き分け | 2002 FIFAワールドカップ・アジア予選 |
| 16 | 2007年6月6日 | バンコク、タイ | オランダ | 1-3 | 敗戦 | 親善国際試合 |
| 17 | 2007年7月2日 | バンコク、タイ | カタール | 2-0 | 勝利 | 親善国際試合 |
| 18 | 2008年6月22日 | マスカット、オマーン | オマーン | 1-2 | 敗戦 | 2010 FIFAワールドカップ・アジア予選 |
| 19 | 2009年3月28日 | バンコク、タイ | ニュージーランド | 3-1 | 勝利 | 親善国際試合 |
5.2. 監督成績
タチャタワン・シーパンが各チームで指揮を執った期間における監督成績を以下に示す。
| チーム | 国 | 就任 | 退任 | 試合数 | 勝利 | 引き分け | 敗戦 | 得点 | 失点 | 得失点差 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| BECテロ・ササナ | タイ | 2009年6月25日 | 2010年7月15日 | 35 | 16 | 8 | 11 | 65 | 48 | +17 | 45.71% |
| サラブリー | タイ | 2010年12月1日 | 2015年4月8日 | 158 | 60 | 50 | 48 | 222 | 191 | +31 | 37.97% |
| ポリス・ユナイテッド | タイ | 2015年5月11日 | 2015年12月31日 | 34 | 20 | 7 | 7 | 78 | 28 | +50 | 58.82% |
| ムアントン・ユナイテッド | タイ | 2016年1月21日 | 2018年3月12日 | 107 | 75 | 12 | 20 | 233 | 107 | +126 | 70.09% |
| ポリス・テロ | タイ | 2018年6月29日 | 2018年9月14日 | 12 | 3 | 2 | 7 | 17 | 27 | -10 | 25.00% |
| スパンブリー | タイ | 2018年11月12日 | 2019年6月2日 | 15 | 3 | 5 | 7 | 14 | 22 | -8 | 20.00% |
| バンコク・ユナイテッド | タイ | 2020年11月5日 | 2022年3月11日 | 50 | 27 | 12 | 11 | 97 | 46 | +51 | 54.00% |
| バンコク・ユナイテッド | タイ | 2022年12月28日 | 現職 | 103 | 64 | 23 | 16 | 201 | 96 | +105 | 62.14% |
| キャリア合計 | 514 | 268 | 119 | 127 | 927 | 565 | +362 | 52.14% | |||
6. 功績と受賞歴
選手および監督として獲得した主要な功績と個人賞をまとめる。
6.1. 選手として
- タイ王国代表
- 東南アジア競技大会優勝(4回):1993年、1995年、1997年、1999年
- AFFチャンピオンシップ優勝(3回):1996年、2000年、2002年
- キングスカップ優勝(3回):1994年、2000年、2006年
- インドネシア独立記念杯優勝:1994年
- アジア競技大会4位(2回):1998年、2002年
- ホアンアイン・ザライ
- Vリーグ1優勝:2004年
- ベトナム・スーパーカップ優勝:2004年
6.2. 監督として
- BECテロ・ササナ
- タイFAカップ準優勝:2009年
- サラブリー
- リージョナルリーグ東部地域優勝:2010年
- タイ・ディビジョン1リーグ準優勝(昇格):2014年
- ポリス・ユナイテッド
- タイ・ディビジョン1リーグ優勝:2015年
- ムアントン・ユナイテッド
- タイ・リーグ1優勝:2016年
- タイ・リーグカップ優勝(2回):2016年、2017年
- タイランド・チャンピオンズカップ優勝:2017年
- メコンクラブチャンピオンシップ優勝:2017年
- トヨタプレミアカップ準優勝:2017年
- バンコク・ユナイテッド
- タイFAカップ優勝:2023-24シーズン
- タイランド・チャンピオンズカップ優勝:2023年
- タイ・リーグ1準優勝:2022-23シーズン
- タイFAカップ準優勝:2022-23シーズン
6.3. 個人タイトル
- 教育省スポーツ功労者表彰盾(東南アジア競技大会1993年)
- AFC月間最優秀選手:1995年12月、1999年8月
- M-Sportホット投票 最優秀ミッドフィールダー:1999年
- ディレクグナポーン勲章5等ベンジャマディレクグナポーン章受章:2000年12月5日
- CheerThaiアワード 年間最優秀サッカー選手:2003年
- アッサワパフー賞:2006年
- アリーナ・メン・オブ・ザ・イヤー スポーツマンシップ部門:2007年
- サイアムスポーツ・アワード 優秀アスリート:2008年
- タイ・リーグ2月間最優秀監督:2012年8月、2013年7月、2014年7月
- タイ・リーグ2年間最優秀監督:2014年
- タイ代表100周年功労盾:2014年11月15日
- フットボール・サイアム・ゴールデンボール 最優秀監督:2016年
- タイサッカー協会 最優秀男性監督:2017年
- タイ・リーグ1年間最優秀監督:2016年、2023-24シーズン
- タイ・リーグ1月間最優秀監督:2016年5月、2021年11月、2023年8月、2024年10月
7. 遺産と影響
タチャタワン・シーパンは、選手としてそして監督として、タイサッカー界に計り知れない影響を与え、その歴史に名を刻んだ。選手時代は、その卓越したスキルと「タイサッカー界の紳士」と称されるスポーツマンシップで、多くのファンに愛された。彼はタイ代表の「ドリームチーム」の一員として、数々の国際大会で優勝に貢献し、タイサッカーの黄金時代を築いた。
監督に転身してからも、そのリーダーシップと戦術眼で、複数のクラブチームを成功に導いた。特にサラブリーFCを3部リーグからトップリーグに昇格させた手腕や、ムアントン・ユナイテッドFCで初のタイ人監督として国内二冠を達成し、AFCチャンピオンズリーグで目覚ましい成績を収めたことは、彼の指導者としての能力を明確に示した。また、バンコク・ユナイテッドFCをクラブ史上初のタイFAカップ優勝に導くなど、新たな歴史を築き続けている。
彼のキャリアを通じて示された献身、プロ意識、そしてピッチ内外での模範的な態度は、後進のタイ人選手や指導者にとって大きな手本となっている。タチャタワン・シーパンは、タイサッカーの発展における重要な人物として、その功績は今後も語り継がれるだろう。