1. 人物
平岡拓晃は、その競技人生を通じて常に高い目標を掲げ、日本の柔道界に貢献した人物である。血液型はO型。
1.1. 生い立ちと柔道への道
平岡拓晃は1985年2月6日に広島県広島市で生まれた。6歳の時、柔道経験のある父親から柔道を教わり始めたことが、柔道家としての彼の原点となった。幼い頃から柔道に打ち込み、その才能を育んでいった。
1.2. 学歴
平岡は廿日市市立阿品台中学校、近畿大学附属広島高等学校・中学校福山校を経て、筑波大学へと進学した。大学では柔道選手としてだけでなく、学業にも励んだ。2016年に現役を引退した後、学校法人了徳寺学園を退職し、同年4月からは筑波大学大学院の博士課程に専念する道を選び、学術的な探求も行っている。
2. 選手としての経歴
平岡拓晃の柔道家としてのキャリアは、ジュニア時代から始まり、国内外の主要大会で数々の実績を残した。特にオリンピックや世界選手権でのメダル獲得は、その競技人生のハイライトとなった。
2.1. ジュニア時代の活躍
高校時代から平岡は柔道界で頭角を現した。近畿大学附属福山高校3年生であった2002年には、インターハイ男子60kg級で優勝を飾った。その後、筑波大学へ進学し、2003年にはベルギー国際柔道大会で優勝、学生体重別でも優勝を果たし、さらにアジアジュニア選手権でも優勝を遂げた。2004年には世界ジュニア選手権で3位、講道館杯日本体重別選手権で2位となるなど、ジュニア時代から将来を嘱望される活躍を見せた。
2.2. 主要国際大会での活躍
平岡はシニアに上がってからも国際舞台で活躍を続け、数々の大会でメダルを獲得した。
2.2.1. オリンピック
平岡は2度のオリンピックに出場した。
2.2.2. 世界柔道選手権大会
平岡は世界柔道選手権大会で3つのメダルを獲得している。
2009年のロッテルダム大会では決勝に進出し、銀メダルを獲得した。しかし、平岡は「1回戦負けでも2位でも同じ」と悔しさをあらわにした。
2010年の東京大会では銅メダルを獲得した。
2011年のパリ大会では再び決勝に進み、銀メダルを獲得した。
2.2.3. ワールドマスターズおよびグランドスラム
平岡はIJFワールドマスターズやグランドスラムシリーズなどの主要な国際大会でも活躍した。
ワールドマスターズでは、2010年水原大会で銀メダル、2012年アルマトイ大会で銅メダルを獲得した。
グランドスラムでは、2010年リオデジャネイロ大会で金メダルを獲得。また、2009年リオデジャネイロ大会と2009年東京大会で銀メダルを獲得した。2011年リオデジャネイロ大会と2011年東京大会では銅メダルを獲得している。
2.2.4. その他の国際大会
平岡は上記以外にも多くの国際大会に出場し、好成績を収めている。
2010年のアジア大会では、決勝でひざを負傷しながらも銀メダルを獲得した。当時の篠原信一監督からは「けがが多い。何かが足りない」と評された。
2008年アジア選手権では金メダルを獲得している。
IJFワールドグランプリでは、2011年デュッセルドルフ大会で金メダル、2010年デュッセルドルフ大会で銀メダル、2009年ハンブルク大会で銅メダルを獲得した。
その他の大会では、2003年のポーランドジュニア国際で優勝、2004年のチェコ国際で優勝、2005年のドイツオープン国際で優勝、2006年の東アジア選手権で優勝、2007年の嘉納杯東京国際大会で優勝するなど、幅広い国際経験を積んだ。
2.3. 国内大会での成績
平岡は日本国内の主要柔道大会でも輝かしい成績を収めた。
- 1999年 - 全国中学校柔道大会 2位
- 2001年 - 全日本ジュニア 3位
- 2002年 - インターハイ 優勝
- 2002年 - 全日本ジュニア 3位
- 2003年 - 学生体重別 優勝
- 2004年 - 全日本選抜体重別選手権 3位
- 2004年 - 講道館杯 2位
- 2005年 - 全日本選抜体重別選手権 3位
- 2006年 - 全日本選抜体重別選手権 2位
- 2006年 - 講道館杯 3位
- 2007年 - 全日本選抜体重別選手権 3位
- 2007年 - 嘉納杯 優勝
- 2008年 - 全日本選抜体重別選手権 優勝
- 2009年 - 全日本選抜体重別選手権 優勝
- 2009年 - グランドスラム・東京 2位
- 2010年 - 全日本選抜体重別選手権 優勝
- 2010年 - グランドスラム・東京 3位
- 2011年 - 全日本選抜体重別選手権 優勝
- 2011年 - 講道館杯 3位
- 2011年 - グランドスラム・東京 3位
- 2012年 - 全日本選抜体重別選手権 優勝
- 2015年 - 全日本実業柔道個人選手権 優勝(66kg級)
- 2015年 - 講道館杯 7位
2.4. 階級変更と引退
2013年からは階級を60kg級から66kg級に上げ、講道館杯に出場したが、初戦で敗退した。この結果にも平岡は納得していたとされる。2015年の講道館杯では7位に終わり、2016年リオデジャネイロオリンピックの代表争いに加わることはできなくなった。そして2016年3月には現役引退を表明し、長きにわたる選手生活に終止符を打った。
3. 私生活
平岡は選手としての多忙な日々を送る中で、私生活においても新たな節目を迎えている。2011年3月4日、スポーツライターで元女優の宮崎真汐と結婚したと報じられ、宮崎は自身のブログで同年1月1日に結婚したことを正式に報告した。同年6月2日には、第一子となる長女が誕生し、父親としての喜びも経験している。
4. 引退後の活動
現役引退後、平岡は所属していた学校法人了徳寺学園を退職した。2016年4月からは、これまで在籍していた筑波大学の大学院で博士課程に専念する道を選び、柔道競技の現場から一度離れ、学術研究に力を入れている。
5. 総合成績と評価
平岡拓晃は、その競技人生において数々の国際大会でメダルを獲得し、日本の柔道界に大きな足跡を残した。
5.1. キャリア通算戦績
平岡拓晃のキャリア通算戦績は以下の通りである。
- 1999年 全国中学校柔道大会 2位
- 2001年 全日本ジュニア柔道体重別選手権大会 3位
- 2002年 ドイツジュニア国際 優勝
- 2002年 全国高等学校総合体育大会柔道競技大会 優勝
- 2002年 全日本ジュニア柔道体重別選手権大会 3位
- 2003年 ベルギー国際柔道大会 優勝
- 2003年 ポーランドジュニア国際 優勝
- 2003年 全日本学生柔道体重別選手権大会 優勝
- 2003年 アジアジュニア・ユース柔道選手権大会 優勝
- 2004年 ワールドカップ・プラハ 優勝
- 2004年 全日本選抜柔道体重別選手権大会 3位
- 2004年 世界ジュニア柔道選手権大会 3位
- 2004年 講道館杯全日本柔道体重別選手権大会 2位
- 2005年 全日本選抜柔道体重別選手権大会 3位
- 2005年 ドイツオープン国際 優勝
- 2006年 ワールドカップ・トビリシ 2位
- 2006年 グランドスラム・パリ 2位
- 2006年 全日本選抜柔道体重別選手権大会 2位
- 2006年 東アジア柔道選手権大会 優勝
- 2006年 講道館杯全日本柔道体重別選手権大会 3位
- 2007年 グルジア国際 優勝
- 2007年 全日本選抜柔道体重別選手権大会 3位
- 2007年 世界柔道団体選手権大会 優勝
- 2007年 グランドスラム・東京 優勝
- 2008年 フランス国際 優勝
- 2008年 ワールドカップ・ウィーン 3位
- 2008年 全日本選抜柔道体重別選手権大会 優勝
- 2008年 アジア柔道選手権大会 優勝
- 2009年 グランプリ・ハンブルク 3位
- 2009年 全日本選抜柔道体重別選手権大会 優勝
- 2009年 グランドスラム・リオデジャネイロ2010 2位
- 2009年 世界柔道選手権大会 2位
- 2009年 グランドスラム・東京2009 2位
- 2010年 ワールドマスターズ2010 2位
- 2010年 グランプリ・デュッセルドルフ 2位
- 2010年 全日本選抜柔道体重別選手権大会 優勝
- 2010年 グランドスラム・リオデジャネイロ2010 優勝
- 2010年 世界柔道選手権大会 3位
- 2010年 アジア競技大会 2位
- 2011年 グランプリ・デュッセルドルフ 優勝
- 2011年 全日本選抜柔道体重別選手権大会 優勝
- 2011年 グランドスラム・リオデジャネイロ2011 3位
- 2011年 世界柔道選手権大会 2位
- 2011年 講道館杯全日本柔道体重別選手権大会 3位
- 2011年 グランドスラム・東京2011 3位
- 2012年 ワールドマスターズ2012 3位
- 2012年 全日本選抜柔道体重別選手権大会 優勝
- 2012年 ロンドンオリンピック 2位
- 2015年 全日本実業柔道個人選手権大会 優勝(66kg級)
- 2015年 講道館杯全日本柔道体重別選手権大会 7位
5.2. 有力選手との対戦記録
平岡は国際舞台で多くの有力選手と熾烈な戦いを繰り広げてきた。主なライバル選手との対戦成績は以下の通りである。
5.3. 評価
平岡拓晃は、背負投や内股を得意技とする技術力の高い柔道家として評価されている。特にその速攻や粘り強い試合運びは、多くのファンを魅了した。
一方で、2008年北京オリンピックでの早期敗退時には、試合内容について「気迫が感じられない」「何もしなかった」と厳しい評価を受けることもあった。また、2010年アジア競技大会での膝の負傷など、怪我が多いことを監督から指摘されることもあったが、それでも彼は何度も国際舞台で結果を残し、粘り強く戦い続けた。
世界選手権で2度の銀メダルを獲得した際には、「1回戦負けでも2位でも同じ」と語るなど、常に頂点を目指す高い向上心と悔しさを持ち合わせていた。2012年ロンドンオリンピックでは、北京での雪辱を果たし銀メダルを獲得したことで、その精神的な強さも証明された。国内大会では全日本選抜柔道体重別選手権で5連覇を達成するなど、その実力は群を抜いていた。引退後は筑波大学大学院で学術的な道を歩むことを決断し、柔道界への新たな貢献の形を模索している。彼の競技者としての姿勢や、引退後の新たな挑戦は、後進の柔道家や若手スポーツ選手にとって、大きな影響を与えるものとされている。