1. 生い立ちと柔道との出会い
リショド・ソビロフの柔道キャリアは、彼の故郷であるウズベキスタンで始まった。
1.1. 生い立ち
ソビロフは1986年9月11日にウズベキスタンのブハラで生まれた。彼の身長は164 cmである。
1.2. 柔道への入門と初期の活動
ソビロフは14歳の時にタシュケントで柔道を始めた。国際大会での最初の顕著な成績は、2005年に台湾の台北で開催されたアジアジュニア柔道選手権大会で55kg級に出場し、優勝を飾ったことである。続く2007年にはクウェートで開催されたアジア柔道選手権大会で60kg級に出場して2位となり、同年カザフスタンのアルマトイでの国際大会では3位に入賞した。彼は軍隊に所属していることでも知られている。
2. 競技キャリアと主な実績
リショド・ソビロフは、その競技人生を通じて数々の主要国際大会で輝かしい成績を収め、柔道界のトップ選手としての地位を確立した。
2.1. 初期国際大会での活躍
2008年には韓国の済州島で開催されたアジア柔道選手権大会で5位に入賞した。同年日本の東京で開催された世界柔道団体選手権大会では、ウズベキスタン代表チームの一員として2位となり、銀メダルを獲得した。また、同年韓国の水原市で開催されたワールドカップでは優勝している。
2.2. 60kg級での活動
ソビロフは2008年の北京オリンピックで60kg級に出場し、金メダルを獲得した韓国のチェ・ミンホに敗れたものの、銅メダルを獲得した。
2009年にはドイツのハンブルクで開催されたグランプリ・ハンブルクで優勝し、台北でのアジア柔道選手権大会で3位に入賞した。また、アブダビでのグランプリ・アブダビでは3位となった。
2010年は彼のキャリアにおいて特に輝かしい年となった。1月に韓国の水原市で開催されたワールドマスターズで優勝すると、5月にはチュニジアのガンマルトで開催されたグランプリ・チュニスでも優勝を飾った。同年5月にブラジルのリオデジャネイロで開催されたグランドスラム・リオデジャネイロの決勝では平岡拓晃に敗れ、2位となった。7月にはロシアのモスクワで開催されたグランドスラム・モスクワで優勝した。
2010年9月には日本の東京で開催された世界柔道選手権大会の決勝でゲオルグリー・ザンタラヤを破り、世界選手権初優勝を達成した。同年11月には中国の広州で開催されたアジア競技大会でも優勝し、金メダルを獲得した。
2011年も好調を維持し、アゼルバイジャンのバクーで開催されたワールドマスターズで優勝。さらにフランスのパリとロシアのモスクワで開催されたグランドスラムでも連続で優勝を飾った。同年8月にはパリで開催された世界柔道選手権大会で、決勝で再び平岡拓晃を破り、2連覇を達成した。この年には、IJFから現役最優秀男子選手として表彰されている。
2012年1月にカザフスタンのアルマトイで開催されたワールドマスターズの決勝ではロシアのアルセン・ガルスチャンに敗れ、2位となった。これは2010年5月のグランドスラム・リオデジャネイロ以来、約1年8か月ぶりの敗戦となった。同年2月にはパリで開催されたグランドスラム・パリで優勝を飾った。
絶対的な優勝候補として臨んだ2012年のロンドンオリンピックでは、準決勝でアルセン・ガルスチャンに敗れるが、3位決定戦に勝利し、北京オリンピックに続いて2大会連続で銅メダルを獲得した。
2.3. 66kg級での活動
2012年のロンドンオリンピック後、ソビロフは階級を66kg級に上げた。階級変更後初めての主要国際大会となったグランプリ・アブダビでは2位に入賞した。
2014年の世界柔道選手権大会では7位に終わり、同年韓国の仁川で開催されたアジア競技大会では団体戦で銅メダルを獲得した。
2015年の世界柔道選手権大会では、3回戦で世界選手権3連覇中だった海老沼匡を破る金星を挙げた。準々決勝では韓国のアン・バウルに敗れたものの、敗者復活戦を勝ち上がり3位となり、60kg級に続いて66kg級でも世界選手権のメダルを獲得する快挙を成し遂げた。同年アブダビでのグランドスラム・アブダビでも3位となった。
2016年のグランプリ・ブダペストで3位に入賞した後、リオデジャネイロオリンピックに出場。この大会でも銅メダルを獲得し、オリンピックで3大会連続でのメダル獲得という歴史的な偉業を達成した。
2.4. 主要選手との対戦成績
以下は、2006年以降のオリンピック、世界選手権、アジア選手権、ワールドカップ、グランドプリックスシリーズなどの主要国際大会におけるソビロフの特定の対戦相手との成績である。
対戦相手 | 国籍 | 対戦成績 |
---|---|---|
エリオ・ベルデ | 7勝0敗 | |
平岡拓晃 | 4勝3敗 | |
ソフィアン・ミルス | 4勝0敗 | |
ベスラン・ムドラノフ | 4勝0敗 | |
ゲオルグリー・ザンタラヤ | 3勝2敗 | |
チェ・ミンホ | 1勝1敗 | |
トビアス・エングルマイヤー | 2勝1敗 | |
ウィル・フレーザー | 2勝0敗 | |
ドミトリー・ドラギン | 2勝0敗 | |
ジェローム・モーレン | 2勝0敗 | |
オマール・レバヒ | 1勝0敗 | |
パベル・ペトリコフ | 1勝0敗 | |
マスード・ハジアクンドザデ | 1勝0敗 | |
矢野大知 | 1勝0敗 | |
アミラン・パピナシビリ | 1勝0敗 | |
レバン・チュビナゼ | 1勝0敗 | |
エイサ・ハッサン・マジラシ | 1勝0敗 | |
ルードヴィヒ・パイシャー | 1勝0敗 | |
福岡政章 | 1勝0敗 | |
セルジオ・ペソア | 1勝0敗 | |
ヤニスラフ・ゲルチェフ | 1勝0敗 | |
チャン・ジンミン | 1勝0敗 | |
モフセン・アリ・クースロフ | 1勝0敗 | |
ダビド・アスンバニ | 0勝1敗 |
3. 評価と遺産
リショド・ソビロフは、柔道というスポーツにおいて特別な存在感を放ち、後世に多大な影響を与えた。
3.1. スポーツにおける功績
ソビロフは、柔道界において類いまれな記録を打ち立てた選手として高く評価されている。特にオリンピックにおいては、2008年北京オリンピック、2012年ロンドンオリンピック、そして2016年リオデジャネイロオリンピックと、3大会連続で銅メダルを獲得したことは、柔道史上でも極めて珍しい偉業である。これは、彼の長期間にわたるトップレベルでの安定したパフォーマンスと、どんな状況下でもメダルを獲得する強靭な精神力を示している。
また、世界柔道選手権大会で2度の優勝を果たしたことは、彼が特定の時期において世界の頂点に君臨していたことを裏付けている。アジア競技大会でも金メダルを獲得するなど、地域大会においてもその実力を遺憾なく発揮した。
3.2. 柔道界への影響
ソビロフは、60kg級時代に世界のトップに君臨し、平岡拓晃やゲオルグリー・ザンタラヤ、チェ・ミンホといった同時期の強豪選手たちとの間で数々の名勝負を繰り広げ、柔道ファンを魅了した。彼の試合は常に高い技術と戦術がぶつかり合う見応えのあるものであり、柔道の魅力を世界に伝えた。
また、彼はウズベキスタン柔道の発展にも大きく貢献した。彼が国際舞台で残した実績は、ウズベキスタン国内の若い柔道家たちにとって大きな目標となり、同国の柔道競技レベル全体の向上に寄与した。彼の存在は、ウズベキスタンが柔道強国としての地位を確立する上で不可欠な要素であったと言える。
4. 人物像・プライベート
リショド・ソビロフは、柔道において五段の段位を持ち、その競技キャリア以外に、ウズベキスタンの軍隊に所属していることが知られている。