1. 来歴・人物
猪瀬直樹は、作家、ジャーナリスト、政治家としての多岐にわたるキャリアを持つ。彼の生い立ちから初期の学術・作家活動、そして政治家としての道のりは、日本の社会変革期と深く結びついている。

1.1. 生い立ちと教育
猪瀬直樹は1946年11月20日、長野県下水内郡飯山町(現在の飯山市)で生まれた。父と母はともに小学校教師であり、諏訪市の諏訪市立高島小学校で知り合い結婚し、飯山に赴任した。猪瀬が2歳半の時に長野市に移り住んだ。1950年5月、猪瀬が3歳半の時、父親が狭心症で急死した。
猪瀬は信州大学教育学部附属長野小学校、信州大学教育学部附属長野中学校を経て、長野県長野高等学校を卒業した。その後、信州大学人文学部経済学科に進学し、社会主義運動の理論家である清水慎三のゼミに所属した。大学在学中には新左翼学生運動の指導者として活動し、通称「白ヘル」と呼ばれる中核派に属していた。1967年の羽田闘争を皮切りに新左翼学生運動が活発化する中、1969年には信州大学全共闘議長を務め、大学構内のバリケード封鎖を主導した。また、学生運動の主力部隊を率いて上京し、反米・反イスラエルを掲げた10.21国際反戦デー闘争や佐藤首相訪米阻止闘争に参加した。猪瀬自身は、この1969年の佐藤首相訪米阻止闘争をもって、1960年代後半の学生運動は終結したと述べている。
大学卒業後、上京し結婚。1972年に明治大学大学院政治経済学研究科政治学専攻の博士前期課程に進学し、政治学者の橋川文三に師事して日本政治思想史を研究した。学生運動を離れた後、「日常性の連続がふつうの生活」「そうした日常性から日本の近代やナショナリズムをもう一度とらえ直さないといけないと思った」ことが、ナショナリズム研究の橋川文三に教えを請うた理由だという。1975年に政治学修士の学位を取得した。
2. 作家・ジャーナリストとしての活動
猪瀬直樹は大学院修了後、出版社勤務などを経て作家活動に転じ、ノンフィクション作家、ジャーナリスト、社会批評家として数々の作品を発表し、日本の社会問題に鋭く切り込んだ。
2.1. 主要著作と受賞歴
猪瀬は、1983年の著作『昭和16年夏の敗戦 総力戦研究所"模擬内閣"の日米戦必敗の予測』で、国際軍事裁判で日本の軍国主義的な機関とされた総力戦研究所の調査結果を描いた。この研究所は、徹底した戦争の結末を冷静に分析することを目的としたシンクタンクであり、その結論は「明白な物資の劣等性のため、日本が戦争に勝つ方法はないだろう。戦争は長引くだろう。ソ連が介入し、日本は敗北するだろう。したがって、米国との戦争は絶対に避けなければならない」というものだったと猪瀬は主張している。
1987年には、天皇のイメージの発展を巡る『ミカドの肖像』を執筆し、第18回大宅壮一ノンフィクション賞とジャポニスム学会特別賞を受賞した。また、文学者たちの伝記作品も手掛け、1995年に三島由紀夫の伝記『ペルソナ-三島由紀夫伝』、2000年に太宰治の伝記『ピカレスク-太宰治伝』を、2004年には菊池寛の伝記『こころの王国』を発表した。1993年に執筆した『黒船の世紀』は、2009年に英語翻訳版が出版され、2012年には『ペルソナ』の英語翻訳版も出版された。
1996年に発表した『日本国の研究』では、財政投融資が役人の天下り先を支える構造を告発し、その後の道路公団民営化の端緒を開いたことで文藝春秋読者賞を受賞した。
2.2. 評論活動と社会批評
猪瀬は、日本の既得権益層や官僚制度に対する厳しい批判を展開し、改革の必要性を訴え続けた。長年にわたり、四公団の民営化と、それらを財政的に支える郵便貯金制度の改革を提唱した。
2001年には小泉純一郎内閣の行政改革断行評議会(行政改革担当大臣の諮問機関)の委員を務め、2002年には道路関係四公団民営化推進委員会委員に就任した。彼は容赦ないコストカットを主張したため、一部の委員が辞任する事態も起きたが、民営化案の閣議決定を達成した。2007年には地方分権改革推進委員会委員にも就任している。
猪瀬は、日本が第二次世界大戦で敗北したのは、当時の政府が連合国に勝てないというデータが存在したにもかかわらずそれを無視し、1941年の開戦前に情報へのアクセスを禁じたためだと述べている。彼はさらに、この行為が現在の官僚たちによって経済面で繰り返されていると主張し、負債に苦しむ日本を救うために、官僚が発表する情報だけでなく、人々が正確な情報を共有すべきだと訴えた。「当局が最初に発表するデータよりも正確で客観的なデータを人々が共有すれば、どんな改革でも実行できる」と彼は主張している。
3. 政治家としての経歴
猪瀬直樹は、作家としての活動で得た知見と問題意識を背景に、東京都政、そして国政へと活躍の場を広げた。
3.1. 東京都副知事時代

2007年6月、石原慎太郎東京都知事の要請を受け東京都副知事に就任した。石原知事は、猪瀬との意見の相違があっても「私たちの意見は異なるかもしれないが、多くの相違点を議論し話し合うことは健全だと信じている」と述べていた。当初、猪瀬は自民党の東京都議会議員らと対立し、自民党が主導する都市再開発計画を覆したが、後に石原知事が議員らとの協力を促した。
3.1.1. 東日本大震災への対応
東日本大震災が発生した際、猪瀬は東京都副知事として迅速な対応を指揮した。気仙沼市の中央公民館で孤立した446人の被災者について、イギリス在住の息子から「火の海 ダメかも がんばる」という携帯電話の電子メールを受け取った母親(気仙沼市社会福祉協議会マザーズホーム園長)の安否を尋ねるTwitter上のメンション(直接の呼びかけ)を受け、直ちに東京消防庁の防災部長を呼び出し、ヘリコプターの出動を命じた。地元からの正式な要請がない中でのヘリコプター出動は極めて異例であった。この時の様子や、震災後の復興支援策への関与について、猪瀬は2012年3月に刊行した『決断する力』、さらに『救出-3.11気仙沼公民館に取り残された446人』に詳細なドキュメンタリーとして記録している。
3.1.2. その他の政策活動
副知事時代には、東日本大震災への対応に加え、エネルギー政策の転換、公共交通機関の一元化、水道事業の海外展開など、多岐にわたる政策を推進した。
- 東京天然ガス発電所プロジェクト
2011年5月、「川崎天然ガス発電所」を視察し、狭い敷地での建設が可能である点や、ガスタービンと蒸気タービンを組み合わせる「コンバインドサイクル方式」による高い発電効率を高く評価した。同年8月には「東京天然ガス発電所プロジェクトチーム (PT)」を発足させ、「東京モデル」を打ち出すべく、建設候補地や事業スキームの検討、国への規制緩和提案を行った。このPTには、都庁の縦割りを越えて環境局、交通局、下水道局など9局が横断的に参加した。原発1基分に相当する100.00 万 kW規模の発電所建設を目指し、9月には5箇所の適地を発表し、電力市場の改革を提唱。2012年5月には、江戸川区の葛西水再生センター用地、江東区の砂町水再生センター用地、中央防波堤外側埋立地(帰属区未定)の3カ所に候補地を絞り込み、電力の卸供給事業者 (IPP) としての東京電力への長期契約による売電と、新電力・特定規模電気事業者 (PPS) としての事業を組み合わせれば採算性があるとする報告書を公表した。東京都は2012年6月に3カ所でのアセスメント手続きを開始。
福島第一原子力発電所事故以降の電力不足を補い、需要家が東京電力以外の選択肢を選べるような柔軟な市場への改革を目指し、2012年5月16日には経済産業省を訪れ、枝野幸男大臣と面会した。東京電力の老朽火力発電所のリプレースを進める際に新規参入を促すための規制緩和や、新電力への資金支援策を設け、「(現在は3.5%に過ぎない)新電力のシェアを30%にまで伸ばすような政策展開をすべきだ」と提案した。さらに7月18日には古川元久国家戦略大臣と面会して要望書を提出し、老朽化した火力発電所の更新期間を短縮するための環境アセスメント手続きの簡素化を求めた。
- 東京電力改革
福島第一原発事故で経営難に陥った東京電力は2011年12月、西沢俊夫社長が企業向け大口料金の値上げ方針を発表し、翌2012年1月17日には一律2.6 JPYの値上げが明らかにされた。大口需要家であり、中小企業を所管する行政主体であり、筆頭株主でもある東京都を代表して、猪瀬は1月26日に記者会見を開き、東電、原子力損害賠償支援機構、経済産業省に対し、「燃料費等負担増、経営合理化の具体的内容について明確な情報開示を求める」と石原慎太郎知事名での緊急アピールを明らかにし、「待った」をかけた。アピールのなかで、都内の東電ファミリー企業の本社を整理するだけで1年で100.00 億 JPYを捻出できるとの独自分析を発表。値上げの根拠としている燃料費増加の内訳を示さなければ値上げに応じられないと指摘し、中小企業に対しても「愛がない」と配慮を求めた。
これを受け、東京電力は3月に値上げ緩和策を発表した。猪瀬は3月に経済産業大臣の枝野幸男を訪ね、東京電力のさらなる合理化策としてファミリー企業などとの随意契約の割合を3割削減することを提案。2011年11月に公表されていた緊急特別事業計画では10年間で2.60 兆 JPYとされていたリストラ額をさらに5000.00 億 JPY上乗せできると述べた。枝野はこれを受け入れ、総合特別事業計画に反映させるよう原子力損害賠償支援機構と東京電力に指示すると明言し、5月に公表された総合特別事業計画では合理化額が3.30 兆 JPYに増額されることとなった。
東京都は2012年4月27日に東京電力に対する5つの株主提案を発表。法人株主に呼びかけ文を送付したほか、個人株主にも賛同を呼びかけた。この第一項目として公認会計士の樫谷隆夫を社外取締役に推薦し、東京電力は5月14日に発表した新役員体制のなかで、7人の社外取締役のうちの一人として樫谷を内定した。また、東電は「顧客サービス第一を使命とする」という経営理念を定款に書き込むよう求めるなどした東京都の他の株主提案について、「定款になじまない」としたものの、内容的にはほぼこれを経営方針の中で受容することを明らかにしている。
- 東京地下鉄、都営地下鉄一元化
2010年4月、猪瀬はプロジェクトチームを立ち上げ、多重行政の象徴である「東京の地下鉄一元化」の検討を開始した。同年6月29日、東京メトロ(旧帝都高速度交通営団)の株主総会に東京都代表として出席し、東京メトロの株をほぼ半分ずつ保有する日本国政府と東京都に同社を加えた3者での協議機関の設置を提案し、合意を得た。
その結果、8月3日に国土交通省にて「第1回東京の地下鉄の一元化等に関する協議会」が開かれ、続く第2回は9月8日に東京都庁舎にて開催された。この会議では、東京メトロの子会社12社の役員報酬などの実態が明らかにされた。さらに並行して、交通政策や会社経営の専門家らによる有識者会議「東京の地下鉄を考える懇談会」も開催された。
2011年2月3日に行われた第4回「東京の地下鉄の一元化等に関する協議会」では、東京地下鉄と都営地下鉄の「一元化」こそ見送られたものの、東京都の承諾のない東京地下鉄の株式売却を阻止し、乗継割引額の引き上げや、両者間の連絡駅の拡充などの実施を定めた合意文書がまとめられた。
協議の結果として、一元化を阻む「壁の象徴」とされてきた九段下駅の東京メトロ半蔵門線と都営新宿線のホームを隔てている、いわゆる『バカの壁』の撤去工事が始まり、2012年6月の東京地下鉄の株主総会を前に、その壁撤去の模様が報道陣に対して公開された。
「一元化は都営地下鉄の借金をメトロに押し付ける」という批判については、猪瀬は「都営も2006年に黒字化しており、経常利益の上昇トレンドもメトロと同じ水準にある」として一蹴した。ただし、経常利益だけでは設備投資や債務返済の関係性が説明できず、また都営地下鉄の借金の返済に直接補助金が投入されている事象などを考えると、東京地下鉄に借金を押し付けないという根拠としては不十分との指摘もある。
このような民間企業としての会計や、大手私鉄のビジネスモデルで理解しようとする見解に対し、猪瀬は「東京の地下鉄は私鉄のビジネスモデルではなく、公的な性格を帯びている」と反論した。理由の一つとして、1970年代以降、日本国政府と東京都が営団地下鉄(東京地下鉄の前身)に対し、5400.00 億 JPYの補助金を折半して支出、また都営地下鉄に対しても両者が折半して8600.00 億 JPYを支出していることを挙げた。沿線開発をしながら資産形成するビジネスモデルの大手私鉄とは異なり、山手線内にある東京の地下鉄経営は、沿線開発ができない代わりに公的資金が投下され、一方で金城湯池での営業を続けることで、巨額の借金を返済するモデルである、と猪瀬は著書『地下鉄は誰のものか』で述べている。なお、地下鉄一元化については、審議会等における計画呼称をはじめとして、東京都心部の地下鉄建設当初から想定は成されていた(例:九段下駅の構造・設計)。
- 東京水道の海外進出
2010年4月、猪瀬は「海外事業調査研究会」を立ち上げ、東京都水道局の海外展開を目指した。海外事業調査研究会は商社など60社におよぶヒアリングを経て、6月には東京水道国際貢献ミッション団の派遣国をインド、インドネシア、ベトナム、マレーシア、モルディブの5ヶ国に決めた。8月にはその第一弾としてマレーシアを訪問し、政府要人に東京水道のシステムの優位性をPRした。9月には来日したマレーシアのピーター・チン大臣と共に東京都水道局水運用センターを視察した。この経験は、彼の著書『東京の副知事になってみたら』にまとめられている。
- 言葉の力『再生』プロジェクト
2010年4月、若者の活字離れ問題を解決するため、横断的なプロジェクトチーム「『言葉の力』再生プロジェクト」を立ち上げた。「日本人に足りないのは論理的に考え、議論する『言語技術』」として、つくば言語技術教育研究所長の三森ゆりかなど「言語」の専門家を招いて若手職員向けの講演会を開催したほか、新規採用職員を対象に言葉の表現力を高める研修を行った。さらに、東京都民を対象に11月3日には「読書」と「言葉」をテーマにしたイベント「すてきな言葉と出会う祭典-『言葉の力』を東京から-」(東京国際フォーラムにて)を開催。この活動は2011年に『言葉の力-「作家の視点で国をつくる」』として書籍化された。
- 参議院議員宿舎建設への反対
副知事に就任してすぐに、清水谷公園(東京都千代田区紀尾井町)に隣接した緑地(東京都の風致地区)に建設が予定されていた参議院議員宿舎の建設中止を提案し、石原慎太郎知事を現地に案内した。石原はその場で「私は(森を潰して宿舎を建設することには)反対」と語った。猪瀬は日経BPの自身のコラムにて、建設予定地が紀州徳川藩邸跡であり、樹齢100年以上の樹木を含む4950 m2の美しい自然林が残っていることに言及した。衆議院が豪華な赤坂議員宿舎で国民の厳しい批判を浴びたばかりであることから、地上16階建て(高さ56 m)、総戸数80戸すべて79 m2の豪華な新議員宿舎を造ることよりも、環境を保全すべきという声があがるのは当然だと述べた。これがのちに、自民党都連幹事長(当時)の内田茂(千代田区選出都議)との対立の原因となった。この経緯は2016年の著書『東京の敵』に詳しく記されている。
- 周産期医療体制整備プロジェクトチーム (PT)
2008年11月、都内で重症妊婦の受け入れ拒否が相次いだことを受けて、「医師や行政ではなく患者側の視点で問題を検証する必要がある」として、「周産期医療体制整備プロジェクトチーム (PT)」を発足し、座長に就任した。発足にあたり、猪瀬は「首都政府、首都公務員として霞が関の縦割りを東京から直していく、東京都が内閣府の役割を担うくらいの気概をもってほしい」と述べている。
都の『周産期PT』は、住宅施策を所管する都市整備局と高齢者福祉を担当する福祉保健局などからメンバーが部局横断的に集められた。墨東病院など4回の現場視察を行うとともに、NICU(新生児集中治療室)1床あたりの収支分析を行い、運営コスト(約4000.00 万 JPY)が診療報酬と補助金の合計(約3300.00 万 JPY)を上回っている現状では、病院がNICUを増やすことが難しいと分析した。そのため、2009年3月、猪瀬は舛添要一厚生労働大臣のもとを訪れ、NICUの整備促進についての緊急要望書を提出。さらに4月には、セミオープンシステムのさらなる普及など10項目の提言を含めた周産期医療体制整備PT報告書をとりまとめた。
- 北海道夕張市への都職員派遣
2008年1月より、財政破綻した夕張市に東京都職員2名を2年間の予定で派遣した。これは「東京都の職員が夕張に行き、財政破綻がどういうものなのか体で感じることが必要。また、東京の持っているノウハウ、高い水準を首都政府として他の自治体に役立てたい」という猪瀬の考えによるものだった。また、「タイムリー研修」と銘打ち、短期の職員派遣も行われた。10月には廃校の備品清掃、整理などの手伝いとして6名を派遣、さらに2009年1月には「雪かき隊」としてさらに都職員10名を派遣し、福祉施設の除雪を行った。「雪かき隊」には猪瀬の呼びかけに応じ、大阪府、広島市からも2名ずつ職員が派遣された。他にも、2009年6月にはメロン農家での収穫手伝いのため6名を派遣している。なお、当初派遣した都職員の一人に後の夕張市長、北海道知事となる鈴木直道がいた。
2010年12月に、東京都青少年の健全な育成に関する条例の反対派に対し、Twitterで「夕張市に行って雪かきすればインタビューに応じる」旨のジョーク発言を行った。その発言に乗っかったアダルト漫画家の浦嶋嶺至は、2011年1月に夕張市を訪れ、実際に雪かきを行った。その後、猪瀬副知事と浦嶋の面会、対談が実現し、その模様はニコニコ動画で生放送され、「メル友」にもなったという。
- 少子高齢化対策
2009年6月、東京都の高齢者人口の増加、高齢者施設やバリアフリー住宅の不足に対応した、「少子高齢化時代にふさわしい新たな『すまい』PT」を立ち上げ、座長に就任した。発足にあたり、猪瀬は「首都政府、首都公務員として霞が関の縦割りを東京から直していく、東京都が内閣府の役割を担うくらいの気概をもってほしい」と述べている。
都の『すまい』PTは、住宅施策を所管する都市整備局と高齢者福祉を担当する福祉保健局などからメンバーが部局横断的に集められた。このとき提起されたケア付き住宅が、その後国策であるサービス付き住宅へと発展するきっかけとなった。
3.2. 東京都知事時代
石原慎太郎知事の退任に伴い、2012年に後継指名を受け、東京都知事としてのキャリアを歩み始める。
3.2.1. 2012年東京都知事選挙
2012年12月16日執行の東京都知事選挙に立候補し、433.89 万 票を獲得し当選した。これは、日本の選挙史上における個人としての最多得票記録である。これにより、青島幸男、石原慎太郎に続き、東京都知事は3人連続で作家出身となった。また、初の戦後生まれの都知事となった。猪瀬は同月18日に第18代東京都知事に就任し、公務を開始した(任期の起算日は選挙の日の16日)。
3.2.2. 2020年東京オリンピック招致
東京都知事として、東京の2020年夏季オリンピック招致委員会の会長を務め、招致活動を成功に導いた。彼はロンドンで開催された2012年夏季オリンピックに出席し、東京の招致キャンペーンを本格的に開始した。
2013年4月、競合都市であるイスタンブールとイスラム圏に対する発言が物議を醸した。ニューヨーク・タイムズ紙のインタビューにおいて、「イスラム諸国が共通して持つのはアラー(神)だけで、互いに争い、階級がある」と述べたと大きく報じられた。国際オリンピック委員会(IOC)の行動規範では競合都市を批判することが禁じられているため、この発言は問題視された。東京2020組織委員会は「すべての候補都市に最大限の敬意を払い、オリンピックの価値である卓越、尊敬、友情に基づいた招致活動を誇りにしてきた」との声明を発表した。猪瀬は数日後に自身の発言について謝罪し、IOCの規則を尊重することに「完全にコミットしている」と表明した。2013年5月9日には、猪瀬自身が駐日本国トルコ共和国大使館を訪問し、セルダル・クルチ駐日特命全権大使と約1時間にわたって会談し、「不快の念を与えたことをお詫びする」と述べた。最終的に、猪瀬が会長を務める東京はオリンピック招致に成功した。
3.2.3. 主要政策と行政
東京都知事としての猪瀬は、副知事時代に推進した政策を継続・発展させた。特に、東京電力改革への提言やエネルギー政策、公共交通政策などは知事就任後も主要な課題として取り組まれた。これらについては「その他の政策活動」の節で詳述されている。
3.2.4. 徳洲会グループからの資金提供問題と辞任
2013年11月、猪瀬は医療法人徳洲会グループからの金銭授受を巡るスキャンダルに巻き込まれた。報道によれば、2012年の都知事選挙前である同年11月、徳洲会グループ創設者の徳田虎雄に「都知事選に出ます」と挨拶し、徳田毅衆議院議員を通じて「余ったら返すのでまずは1.00 億 JPYをお願いしたい」と電話で資金提供を要求。徳田虎雄は「5000.00 万 JPYで対応しろ」「足がつかないよう議員会館で渡せ」と徳田毅議員に指示し、議員会館の事務所で猪瀬に直接、現金で5000.00 万 JPYが手渡された。この金銭は、猪瀬の選挙運動費用収支報告書、都知事資産報告書、政治資金報告書のいずれにも記載されていなかった(徳洲会事件)。
猪瀬は受け取った資金について、「借入金」であると説明し、「徳洲会側から申し出があり、厚意を断るのは失礼だと考えて借りた。5000.00 万 JPYという額になった理由は分からない」と述べた。同年11月26日には緊急会見を開き、借用書をマスコミに提示し、「そもそも猪瀬が徳洲会からお金を借りたのは、都知事選挙に際して自民党都連は協力しないと通告されたため、ポスター貼りなどを誰かにお願いしたらいいかわからないことだらけの状態だったんです。結局、連合が協力してくれたので、5000.00 万 JPYは使わなくて済んだ。それが収賄だと追及されたのですから全くの冤罪です」と語った。しかし、この借用書はA4サイズの紙1枚に押印や収入印紙もなく、猪瀬の署名だけが入った簡素なものであったため、インターネット上では、猪瀬が掲げる借用書のコラージュ画像が出回った。この借入金は利息や担保がなく、銀行口座ではなく金庫に保管されており、日本の選挙資金規制当局に資産として報告されていなかった。
医療法人徳洲会グループは東京都内にも病院や老人保健施設を抱えており、都がグループの老人保健施設に約7.50 億 JPYの補助金を支出していたことも判明した。また、徳洲会は都知事の認可で老人保健施設を開設しており、武蔵野徳洲苑の工期は2010年から2011年度の2年間で、沖縄徳洲会が西東京市に設立を申請し、都が近隣の施設数などを考慮して150床を認可した。150床規模の施設の場合、都は最大で9.60 億 JPYの工事費を補助しているため、今回の5000.00 万 JPYの授受がその見返りではないかとの疑惑が各新聞社で報じられた。
選挙運動費用収支報告書に記載されていなかったことから公職選挙法違反の疑いで東京都民に告発された。また、市民団体は、5000.00 万 JPYが政治活動のための借入金と認定された場合、政治資金規正法に基づいて政治資金収支報告書への記載が必要となるため政治資金規正法違反にも該当すると指摘した。さらに、徳洲会が東京都の許認可が必要な事業も行っていることから、5000.00 万 JPYの授受が当時の副知事の職務や将来、知事になったときの職務と関連しているとみなされると賄賂となる可能性も指摘された。
2013年11月29日の定例都議会で、猪瀬は医療法人徳洲会から5000.00 万 JPYを受け取った経緯などを説明したが、各会派や傍聴席からは「不十分」「納得できない」と批判の声が相次いだ。猪瀬知事には「職員なら懲戒免職なんだよ」などと野次が浴びせられ、傍聴者の一人が守衛によって議場の外に出された。
2013年12月16日、都議会総務委員会は、猪瀬が「現金は普段使っている鞄に入れた」との証言を裏付けようと、現金を運んだとされる鞄を都議会に提出させた。そして公明党の都議から、5000.00 万 JPY分の札束に見立てた発泡スチロールのブロックを入れるよう要請された。このことは猪瀬には事前に知らされておらず、その場で鞄に押し込んだが、ファスナーが閉まらなかった。このやり取りは、ネット上で人気コンテンツとなり、松本人志も「今年の面白かったベスト10に入る」と評価した。猪瀬は、3日後の2013年12月19日に辞意を表明し、同月24日付で都知事を辞任した。
この点について猪瀬はのちに著作の中で、「(実際に借り受けた際は5000.00 万 JPYが入った)紙袋を折り曲げて持参した鞄に入れた。(略、都議が用意した)発泡スチロールのブロックは折ることも曲げることも分割することもできない。それでは鞄に入るはずがない」と述べている。この総務委員会について猪瀬は「人民裁判」と呼び「あれは完全な吊るし上げです」「僕のときは10時間も立ちっぱなしで答弁させられた。血祭りにあげて、都議がポイント稼ぐことだけが目的なので真相解明は二の次。当時、僕の額から汗が流れる様子まで放送されましたが、あれは追い詰められて冷や汗をかいていたのではなく、単に体力の限界だったからです」と証言している。その後、汗の部分のみの切り取り動画が繰り返し拡散された。
また徳洲会からの収賄疑惑の報道について、猪瀬は都知事辞任後に出版した回顧録の中で、「徳田虎雄理事長や徳田毅議員からも、何らの依頼を受けた事実もなく便宜をはかった事実も、いっさいない、とメディアでも都議会でも答えた通りである。特捜部も現金を借りた以降の行動記録を洗いざらいチェックしていたが、徳洲会側と僕がまったく連絡を取り合っていない事実を確認しているはずだ。アマチュアの僕はお金を借りた人に便宜をはからなければいけないという発想もなかった。永田町のプロフェッショナルな政治家では常識なのかもしれないが、僕にはこの感覚が欠落していた。借りたものは返す、という意識しかなかった。そもそもこんな誤解を招く5000.00 万 JPYを借りるべきではなかった」と記している。
猪瀬知事は「賄賂」ではなく「借入金」である証明として「借用証」を公表し、借用証は郵送で返却されてきたものと説明していた。しかし折り目がなく、押印などもない不自然な体裁だったため、この借用証をメディアはニセモノではないかと決めつけるように報道し、借入金ではなく賄賂だとする印象の流れがつくられた。封筒の公開を求める声が上がり、2013年12月6日の東京都議会一般質問で、提示した郵送されてきたとされる借用証について「封筒は保管していない」と答弁した。借用証ニセモノ説一色のメディアは、記録の残る宅配便や書留郵便、特定記録ではなく配達記録はなかったと問題にし、封筒があれば切手の消印から、問題発覚前から借用書が存在し郵送されたことを証明できるが不可能になったなどと報じた。
このように後付けで作られたのではないか、という借用証に関する疑念が、猪瀬辞任の大きな流れを作った。徳田毅議員は問題が発覚して以降沈黙を守っていたが、衆議院議員辞職願を提出した直後の2014年2月24日の記者会見で「私の事務所で作成し、目の前で署名もしてもらった」と述べ、本物であることを明らかにした。
2014年3月28日、東京地検特捜部は公職選挙法違反の罪で猪瀬を略式起訴した。資金の性質について特捜部は、5000.00 万 JPYが選挙費用として使われた形跡がないこと、知事選後の2013年2月の時点で返却に向けた動きがあった事実が認められ、また実際に同年9月に返済されていることなどから借入金と認定し、借入金が選挙資金収支報告書に記載されていない公職選挙法違反とした。東京簡易裁判所は罰金50.00 万 JPYの略式命令を出した。猪瀬は即日納付し、罰金刑が確定したことにより、政治資金規正法の規定に基づき、5年間公民権が停止されることになった。これにより、猪瀬に対する捜査は終結した。
猪瀬はこの一連の騒動を「副知事になったときに清水谷公園横に建設予定だった参議院議員宿舎を白紙撤回したことで、千代田区選出の"都議会自民党のドン"都連幹事長(当時)の内田茂に恨まれていた。そのため、総務委員会が復讐の舞台になったのです」と述べている。猪瀬は内田に対して「東京のガン」と述べている。
最短の在職期間であった東京都知事の任期を終えた後、2014年2月に実施された知事選挙で舛添要一が猪瀬の後任として当選した。しかし、舛添も2016年6月に金銭問題で辞任している。
3.3. 国会議員としての活動
東京都知事辞任後の2022年、猪瀬直樹は日本維新の会の候補として参議院比例区から出馬し、4.42 万 票を獲得して当選した。彼は現在、参議院議員を務めるとともに、日本維新の会国会議員団参議院幹事長の要職にある。
4. 思想・主張
猪瀬直樹は、作家・ジャーナリストとして長年培ってきた独自の視点から、日本の社会や政治に対して明確な思想と主張を表明してきた。
4.1. 国家観と社会批評
猪瀬は、戦後の日本を「ディズニーランド国家」と表現する。「日本人が長らく過ごしてきた戦後社会とは、『想定外』が許された社会だった。アメリカに防衛を委ねることで、戦争を国家の想定外としてきたのだ。沖縄をはじめ全国に米軍基地を置き、東京の空域も米軍によって使用が制限されている。アメリカまかせの現実を多くの日本人が知りながら、そのことに知らんぷりをしてきた。(中略)戦後の日本は一転して防衛を放棄し、いわば半主権国家となった。日本の戦後66年間は、アメリカという門番に守られた、歴史上特異な『ディズニーランド国家』だったと言える。ディズニーランドは永遠なれ、と日本人は信じた。一抹の不安は抱きつつも、そう信じようとしてきた。『戦後』から『災後』への歴史的転換は、あらゆるリスクを「想定外」とする社会から、起こり得るリスクを『想定』する社会への転換点を意味する。福島第一原発事故を経た我われは、もはや『想定外』という言葉で言い逃れができないことに気づいている。東京電力は戦後社会の象徴だ。福島第一原発事故に際して、東電が口にした言い訳も『想定外』だった」と述べている。
また、日本道路公団民営化(2004年6月道路関係四公団民営化関係四法成立、2005年10月1日分割民営化)の中心人物の一人としても知られている。1996年に『文藝春秋』誌上に連載された「日本国の研究」にて、虎ノ門周辺に集結する特殊法人を巡る天下りや税金の還流の実態を描写した。これは政界での特殊法人改革の萌芽ともなったが、この著書が当時の小泉純一郎首相の目にとまり、その後猪瀬自らも日本道路公団の民営化問題などに携わることになった。2002年、小泉純一郎首相の要請により道路関係四公団民営化推進委員会委員に就任。委員7人中5人が利害関係者に切り崩されて委員を去る中で、民営化案の閣議決定を達成した。自民党「道路族」や国土交通省の官僚など、利害関係者との激しい闘いの日々を著書『道路の権力』(文藝春秋)、『道路の決着』(小学館)に克明に記している。
4.2. 喫煙・マスク着用に関する見解
猪瀬は著名な愛煙家である。彼は『税収に貢献する喫煙者のどこが悪い!』というコラムで、禁煙運動をヒステリックな「禁煙ファシズム」として批判した。2000年頃には大学の禁煙の教室で喫煙しながら教鞭を取ることもあった。ある学生が諫めたところ、猪瀬は「私の講義ではこの教室は分煙だ。君らの席は禁煙でも教壇は喫煙席。文句があるなら受講していただかなくて結構」とはね付けたという。
2017年に『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』に出演した際には、禁煙の会議室でIQOSを吸いながらペーパーテストを受けていたことで番組スタッフから注意を受けたが、猪瀬は「この煙は水蒸気なんだよ」と言い返し、その後も喫煙をやめることはなかった。このとき同席していたカズレーザーは、「めちゃめちゃかっけぇな」「文豪だなやっぱ。一本通ってる。関係ねぇんだ」と猪瀬の言動に感服していた。2022年に当該エピソードがニュースサイトに掲載されると、猪瀬は記事を引用した上で「煙を撒き散らす紙巻きタバコとわずかな水蒸気だけの加熱式タバコを同等に扱わないほうがいい」と持論を展開し、自身の行為を正当化した。
2010年3月、コラム「眼からウロコ」にて『全面禁煙化は中小企業や飲食店には厳しい。たばこ税は国と地方をあわせ2.00 兆 JPY規模で安定した財源でもある』と著した。同年9月には、喫煙について「安易な全面禁煙には賛成しない」「黒煙を上げて走るディーゼル車の方がよっぽど問題」「文化の問題に介入されると社会にストレスがたまる」と産経新聞に語った。
2012年11月、前神奈川県知事の松沢成文が、11月8日の2012年東京都知事選挙立候補表明で、「公的施設では吸わない人の健康を守る。禁煙か完全分煙」と神奈川県公共的施設における受動喫煙防止条例を持ち出し、喫煙規制強化を述べたことに、猪瀬は、神奈川県は神奈川県議会では吸えていることを指摘し、受動喫煙の防止を問題視した。これに対して、松沢は、県議会は分煙しているとし、さらに猪瀬がパーティ会場で分煙せずに喫煙することを問題視した。
猪瀬は、政府によるマスク着用の推奨が続いていることに反対し、コロナ禍が落ち着いたタイミングでの「脱マスク」を主張している。また、マスクの感染予防効果にも疑問を呈している。
2022年10月20日、参議院予算委員会の質疑に立ち「日本人のマスクは令和のちょんまげ、顔パンツ」と発言してマスクを外したが、委員長から注意され、鼻出しマスクで質疑を行った。
2023年1月に出版した『太陽の男 石原慎太郎伝』のあとがきに、「日本人はマスクが好きである。外を歩く際には外していいとの指針があるにもかかわらず、風が吹いていても自転車に乗っていても車を運転していてもマスクをしている。コロナ禍におけるマスクは後ろ向きの民主主義のひとつの象徴的な事例で、日本国を覆っている同調圧力がこの数十年の停滞を招いていることは確かなようだ」と綴っている。
2023年2月8日に厚生労働省の「アドバイザリーボード」が入学式・卒業式でのマスク着用に対して示した考え方に対し、「この感染症専門家たちのエラそうな言い方。卒業式には条件付きで少しだけマスク外させてやるだと。国民がここまで指図される謂れはない。それよりコロナ関連予算を95.00 兆 JPYまで膨らませた責任、少なくともその痛みぐらいは感じてもらいたい」とツイートした。
5. 私生活
猪瀬直樹は、作家や政治家としての公的な顔の裏で、精力的な私生活を送っている。
彼は日常的にジョギングをするランナーであり、2012年の東京マラソンを6時間40分で完走した経験を持つ。また、柔道の黒帯も所持している。
家族については、最初の妻である猪瀬ゆり子とは1970年に結婚したが、2013年7月に死別した(享年65歳)。二人の間には1男1女の2人の子供がいる。その後、2016年10月には画家で女優の蜷川有紀との交際が明らかとなり、2018年4月に婚約を発表、同年12月下旬に再婚した。
6. その他の不祥事・批判
東京都知事辞任の直接的な原因となった徳洲会グループからの資金提供問題以外にも、猪瀬直樹は公的な活動の中でいくつかの論争や批判、疑惑に直面している。
6.1. オリンピック招致に関する発言
2013年4月27日付けのニューヨーク・タイムズ紙に掲載された猪瀬知事へのインタビュー記事において、競合都市やイスラム圏に対して行った不適切な発言が物議を醸した。記事の中で、記者が「イスタンブールは若い人が多いが、東京は高齢化している」として、イスタンブールとの比較で東京を揶揄するかのような質問を浴びせたことを受け、猪瀬知事は「イスラム国家が共有するのはアラー(神)だけで、互いに喧嘩しており、階級がある」と発言したと、国内メディアに大きく報じられた。
この報道に対し、猪瀬知事は4月29日に「オリンピックの誘致全体について発言したが、インタビューの一部だけが抜き取られて見出しにされた。真意が伝わってない」との趣旨の発言をした。しかし、翌4月30日には東京都庁で「イスラム圏の方に誤解を招く表現で申し訳なかった。甘かったと言えば甘かった」「不適切な発言があったことはお詫びしたい」などと謝罪・釈明に転じた。国際オリンピック委員会のオリンピック招致に関する行動規範は、都市間の関係において「それぞれの都市は、いつ、いかなる状況のもとでも、IOC委員やIOCそれ自体に対するのと同じ敬意を、他都市に払うべきものとする」と定めており、これは招致レース最大のタブーとされている。その後、2013年5月9日に、猪瀬自ら駐日本国トルコ共和国大使館を訪問し、セルダル・クルチ駐日本国特命全権大使と約1時間にわたって会談し、「不快の念を与えたことをお詫びする」と述べ、事態の収拾を図った。
6.2. 名誉毀損訴訟
副知事時代の2012年10月、猪瀬は過去に原作を手がけた漫画『ラストニュース』について、「アホ脚本家が日テレで換骨奪胎し安っぽい報道ドラマにした」などとツイートした。この記述から批判されたドラマが『ストレートニュース』(2000年、日本テレビ)であると推測され、担当脚本家の伴一彦は、「盗作」であるかのような汚名を着せられたとして、2013年3月28日に東京地方裁判所に本件について550.00 万 JPYの損害賠償と謝罪ツイートを求める訴訟を起こした。この訴訟は2014年3月26日、猪瀬が伴に対し100.00 万 JPYの賠償金を支払うことと、謝罪ツイートを掲載することで和解が成立した。
6.3. 国会での言動
参議院議員としての活動中、国会審議の場において、その言動が一部で不適切であると批判されたことがある。
- 国会審議中にガムをかむ
2023年4月12日、参議院憲法審査会での審議中、維新所属の浅田均議員が憲法改正について発言している隣でガムをかみ続けた。14日に石井準一参議院議院運営委員長は同委員会理事会で、各会派に対し緊張感を持って臨むよう注意を促した。理事会で維新の東徹議員は猪瀬を厳重注意したと報告した。猪瀬の事務所は取材に対し「飲食禁止とは知っていたが、ガムまで禁止とは知らなかった。今後は気を付ける」と説明した。
- 電子機器による国会審議妨害
2023年6月5日、参議院の地方デジタル委員会で、猪瀬は大きなあくびをした。そのあと、立憲民主党の小沼巧議員が発言している最中に、猪瀬のスマートフォンの音が響いた。委員会室では、携帯電話の使用が禁止されており、小沼からの注意に対し、猪瀬は「ごめんごめん」と謝罪した。
6.4. セクハラ疑惑と訴訟
2022年6月12日、第26回参議院議員通常選挙に向けて吉祥寺駅前で街頭演説をしていた猪瀬が、東京都選挙区から出馬する海老沢由紀を紹介する際、海老沢の肩やたすき越しの胸に複数回にわたって触れる様子の動画がSNS上で出回った。動画を見た視聴者からは「気持ち悪い」「セクハラだ」との批判が相次ぎ、SNSで大きな炎上を引き起こした。猪瀬は同月17日にTwitterを更新し、「軽率な面がありました。十分に認識を改め、注意をして行動していきたい」と反省の弁を述べたものの、同日の別の投稿では「切り取り報道です」「意図的に拡散する人がいるのです」とツイートし、セクハラ行為に対して指摘をするユーザーを次々とブロックした。党代表の松井一郎は投開票日に出演したラジオで、「(猪瀬さんは)チームですから親しく肩を抱いて紹介しているんですけどね。ですからちょっと誤解があるのかなと思います」と発言した。
猪瀬は9月6日、この動画を見て「間違いなくセクハラではないでしょうか」と述べた上智大学の三浦まり教授、及びそのコメントを掲載した朝日新聞社に対して名誉を毀損されたとして1100.00 万 JPYの損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。訴状で猪瀬は「演説会は公道上で、しかも多数の聴衆の前で行われたものであるから、そこで演説する政治家が、同席した他の政治家にセクハラをすることなどおよそ考えられない状況である。原告は、海老沢氏の胸(乳房)付近に手を当てたことはなく、肩に手をやったのは紹介の際に親愛の情を示したものであって、その直前に音喜多駿議員の肩に手をかけ、音喜多議員が原告の腰に触れたと全く同じである」などとセクハラ行為を否定した。
騒動を巡っては、海老沢も騒動直後のブログで、猪瀬が主張する事実経過を述べた上で、「胸を触っていないし、仮に当たっていたとしても、それはたすきをたたいた結果であり、変に触る意図は全くないことは明白なのです。猪瀬さんは、名前を間違えたことを気にしています。肩を何度もたたいたのは、スマンという意味もあったでしょう。それを感じ取っていたから、わたしは不快に思わず、全く覚えていなかったのだと思います。」と綴り、全面的に否定した。しかし、朝日新聞社が出資する『ハフポスト』は、「ハラスメントが権力関係があって抵抗できない被害者に行われやすいという構造を軽視して、『ハラスメントではない』という言葉を鵜呑みにして否定することは非常に危険」「動画を見た人は、『自分よりも権力のある人にハラスメントを受けても、政治の場では笑って受け流さないとやっていけない』と認識してしまう」「他人の体に不用意に触ることは人権を侵害する行為だという認識のアップデートが必要」などと指摘している。
2023年12月15日、東京地裁は猪瀬が三浦と朝日新聞社に対して損害賠償を求めた訴訟について、「意図的に女性の胸に触れたのは真実と認められる」「前提とする事実が重要部分で真実であるとの証明がある」として請求を棄却した。2024年10月9日、東京高裁は請求を棄却した一審・東京地裁判決を支持し、猪瀬の控訴を棄却する判決を言い渡した。高裁判決は記事について、猪瀬が意図的に女性の胸に触れたことは真実であり、女性が不快に感じたか否かにかかわらずセクハラにあたるとする論評だと指摘した。記事は論評の域を逸脱したとはいえないとした一審判決は相当とした。
7. 著書
猪瀬直樹は、作家、ジャーナリスト、政治家としてのキャリアを通じて、多岐にわたるテーマで数多くの著書を執筆してきた。彼の作品は、日本の歴史、社会、政治、文学、そして個人的な思索に深く踏み込んでいる。
7.1. 日本語での著作
- 『天皇の影法師』朝日新聞社(1983年)。新潮文庫、朝日文庫、中公文庫(各・改訂版)
- 『昭和16年夏の敗戦 総力戦研究所"模擬内閣"の日米戦必敗の予測』世界文化社(1983年)
- 『昭和16年 夏の敗戦』文春文庫(1986年)・中公文庫(2010年、改版2020年)
- 『日本凡人伝』弓立社(1983年)・新潮文庫(1985年)
- 『死者たちのロッキード事件』文藝春秋(1983年)
- 『死者たちのロッキード事件』文春文庫(1987年)
- 『日本凡人伝-二度目の仕事』新潮社(1985年)・新潮文庫(1988年)
- 『あさってのジョー』新潮社 (1985年) 「二度目の仕事 日本凡人伝」文庫
- 『ミカドの肖像』小学館(1986年)。同ライブラリー、新潮文庫、小学館文庫
- 『死を見つめる仕事』新潮社(1987年)、「死を見つめる仕事 日本凡人伝」文庫(1991年)
- 『土地の神話』小学館(1988年)。同ライブラリー、新潮文庫(1993年)
- 『ノンフィクション宣言』インタビュー・編 文藝春秋(1988年)・文春文庫(1992年)
- 『ニューズの冒険』文藝春秋(1989年)「ニュースの冒険」文庫(1993年)
- 『今をつかむ仕事』新潮社(1989年)「今をつかむ仕事 日本凡人伝」文庫(1993年)
- 『ふるさとを創った男』日本放送出版協会 (1990年) 『唱歌誕生』文春文庫(1994年)
- 『欲望のメディア』小学館(1990年)・新潮文庫(1994年)
- 『ミカドの国の記号論』小学館(1991年)・河出文庫(1996年)
- 『ニュースの考古学』文藝春秋(1992年)
- 『迷路の達人 猪瀬直樹エッセイ全集成』文藝春秋 1993 『僕の青春放浪』文春文庫(1998年)
- 『禁忌の領域 ニュースの考古学2』文藝春秋 (1993年)
- 『黒船の世紀 ミカドの国の未来戦記』小学館(1993年)
- 文春文庫、中公文庫(上下)、角川ソフィア文庫(各・改訂版)
- 『交通事故鑑定人S氏の事件簿』文藝春秋 (1994年)
- 『ニュースの考古学 3』文藝春秋 (1994年)
- 『ペルソナ-三島由紀夫伝』文藝春秋(1995年)・文春文庫(1999年)
- 劇画原作『ラストニュース』全10巻(弘兼憲史・画)小学館・小学館文庫
- 『ニッポンを読み解く!』小学館 1996年
- 『瀕死のジャーナリズム』文藝春秋 1996年
- 『日本国の研究』文藝春秋(1997年)・文春文庫(1999年)
- 『マガジン青春譜 川端康成と大宅壮一』小学館(1998年)・文春文庫(1994年)
- 『続・日本国の研究』文藝春秋(1999年)・文春文庫(2002年)
- 『明日も夕焼け』朝日新聞社(2000年)
- 『二十世紀-日本の戦争』文春新書(2000年)
- 『ピカレスク-太宰治伝』小学館(2000年)・文春文庫(2007年)(2002年映画化(河村隆一主演))
- 『小論文の書き方』文春新書(2001年)
- 『ラストチャンス』光文社 (2001年)
- 『日本の近代 猪瀬直樹著作集』全12巻(小学館)2001-02
- 第1巻『構造改革とはなにか-新篇日本国の研究』
- 第2巻『ペルソナ-三島由紀夫伝』
- 第3巻『マガジン青春譜-川端康成と大宅壮一』
- 第4巻『ピカレスク-太宰治伝』
- 第5巻『ミカドの肖像』
- 第6巻『土地の神話』
- 第7巻『欲望のメディア』
- 第8巻『日本人はなぜ戦争をしたか-昭和16年夏の敗戦』
- 第9巻『唱歌誕生-ふるさとを創った男』
- 第10巻『天皇の影法師』
- 第11巻『日本凡人伝』
- 第12巻『黒船の世紀 ガイアツと日米未来戦記』
- 『日本システムの神話』(2002年) 角川oneテーマ21
- 『日本復活のシナリオ 論客20人の結論』PHP研究所 (2002年)
- 『道路の権力 道路公団民営化の攻防1000日』文藝春秋(2003年)・文春文庫(2006年)
- 『決戦・郵政民営化』PHP研究所 (2005年)
- 『ゼロ成長の富国論』文藝春秋 (2005年) 『二宮金次郎はなぜ薪を背負っているのか』文庫
- 『こころの王国』文藝春秋(2004年)・文春文庫(2008年)(2008年5月映画化(タイトルは『丘を越えて』西田敏行主演))
- 『道路の決着』小学館(2006年)・文春文庫(2008年)
- 『作家の誕生』朝日新書(2007年)
- 『空気と戦争』文春新書(2007年)
- 『日本の信義 知の巨星十人と語る』小学館(2008年)
- 『国を変える力 ニッポン再生を探る10人の提言』ダイヤモンド社(2008年)
- 『霞ヶ関「解体」戦争』草思社(2008年)のちちくま文庫
- 『ジミーの誕生日 アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」』文藝春秋(2009年)
- 『東條英機 処刑の日』文春文庫(2011年)、『昭和23年 冬の暗号』中公文庫(2021年)
- 『東京の副知事になってみたら』小学館101新書(2010年)
- 『壊れゆく国』日経BP Sha(2010年)
- 『猪瀬直樹の仕事力』潮出版社(2011年)
- 『地下鉄は誰のものか』中公新書(2011年)
- 『突破する力』青春新書インテリジェンス(2011年)
- 『言葉の力-「作家の視点で国をつくる」』中公新書ラクレ(2011年)
- 『決断する力』PHPビジネス新書(2012年)
- 『解決する力』PHPビジネス新書(2012年)
- 『さようならと言ってなかった わが愛 わが罪』マガジンハウス(2014年)
- 『救出: 3・11気仙沼 公民館に取り残された446人』河出書房新社(2015年)のち小学館文庫
- 『民警』扶桑社 (2016年)のち小学館文庫
- 『東京の敵』角川新書(2017年)
- 『日本国・不安の研究 「医療・介護産業」のタブーに斬りこむ!』PHP研究所(2020年)
- 『公 日本国・意思決定のマネジメントを問う』ニューズピックス(2020年)
- 『カーボンニュートラル革命』ビジネス社(2021年)
- 『太陽の男 石原慎太郎伝』中央公論新社(2023年)
共編著
- 『ミカドと世紀末』平凡社(1987年)・新潮文庫、小学館文庫 - 山口昌男との対論
- 『東京、ながい夢』河出書房新社(1989年)『東京レクイエム』河出文庫(1995年)北島敬三写真・解説
- 『猪瀬直樹「戦う講座1」 この国のゆくえ』
- 『-2 持続可能なニッポンへ』ダイヤモンド社(2006年)- 編著
- 『東京からはじめよう 国の再生をめぐる9つの対論』ダイヤモンド社(2007年)- 編著
- 『戦争・天皇・国家 近代化150年を問いなおす』田原総一朗共著 角川新書(2015年)
- 『正義について考えよう』東浩紀共著 扶桑社新書(2015年)
- 『国民国家のリアリズム』三浦瑠麗共著 角川新書(2017年)
- 『明治維新で変わらなかった日本の核心』磯田道史共著 PHP新書 2017年
- 『リーダーの教養書 11名の選者による〈保存版〉ブックガイド』幻冬舎 2017年
- 出口治明,楠木建,岡島悦子,中島聡,大竹文雄,長谷川眞理子,森田真生,大室正志,岡本裕一朗,上田紀行共著
- 『ここから始まる 人生100年時代の男と女』蜷川有紀共著(2018年)
- 『平成の重大事件 日本はどこで失敗したのか』 田原総一朗共著 朝日新書(2018年)
- 『ニッポン 2021-2050 データから構想を生み出す教養と思考法』落合陽一共著 KADOKAWA(2018年)
7.2. 英語翻訳作品
- The Century of Black Ships: Chronicles of War between Japan and America英語 (2009年)
- Persona: A Biography of Yukio Mishima英語 (2013年)
8. 評価・影響
猪瀬直樹は、作家、ジャーナリスト、政治家としての多岐にわたるキャリアを通じて、日本の社会に大きな影響を与えてきた。
作家としては、鋭い社会批評と綿密な調査に基づくノンフィクション作品で知られ、『ミカドの肖像』や『日本国の研究』などの受賞作は、日本の歴史観や官僚制度の問題に深く切り込んだ。特に『日本国の研究』は、後の道路公団民営化の議論に火をつけるなど、現実の政治・行政改革に直接的な影響を与えた。
政治家としては、東京都副知事時代に東日本大震災での迅速な対応や、東京電力改革、地下鉄一元化構想など、具体的な政策推進で手腕を発揮した。東京都知事に就任後は、2020年東京オリンピック招致の成功に貢献し、その交渉力やプレゼンテーション能力は高く評価された。
一方で、彼のキャリアは数々の論争や批判にも彩られている。オリンピック招致活動中のイスラム圏への不適切発言は国際的な波紋を呼び、その後の謝罪に至った。また、東京都知事辞任の直接的な原因となった徳洲会グループからの資金提供問題は、彼の政治家としての信頼性を大きく損なった。この問題は、公職選挙法違反という司法判断が下され、公民権停止処分を受ける結果となった。これは、彼の改革者としての側面と、政治資金の透明性に対する認識の甘さという負の側面を浮き彫りにした。
知事辞任後に国会議員として復帰してからも、国会審議中の不適切な言動や、セクハラ疑惑を巡る訴訟など、再び公的な場で批判にさらされる場面があった。彼の言動は、既存の枠組みや同調圧力に対する批判的精神の表れとも見られるが、同時に、公人としての倫理観や社会への配慮が問われることも少なくなかった。
総じて、猪瀬直樹は日本の近現代史において、言論と行動の両面から社会変革を試みた人物であり、その功績と課題の両方が、後世に議論されるべき存在である。
9. 関連人物・項目
猪瀬直樹の人生や活動に深く関わった人物、あるいは彼の経歴や思想と関連性の深い項目を以下にリストアップする。
- 浅田均
- 安倍晋三
- 青島幸男
- 東浩紀
- 安藤達己
- 石原慎太郎
- 磯田道史
- 内田茂
- 海老沢由紀
- 大宅壮一
- 大宅壮一ノンフィクション賞
- 落合陽一
- 小沼巧
- 柿澤弘史
- 小泉純一郎
- 国際オリンピック委員会
- 国際日本文化研究センター
- 佐藤栄作
- 参議院議員
- 三浦瑠麗
- 三島由紀夫
- 松井一郎
- 松沢成文
- 舛添要一
- 蜷川有紀
- 日本維新の会
- 日本道路公団
- 橋川文三
- 伴一彦
- 樋口恵子
- 東日本大震災
- 福島第一原子力発電所事故
- 徳田毅
- 徳田虎雄
- 徳洲会
- 東京都知事
- 東京地下鉄
- 東京都交通局
- 東京電力
- 2020年東京オリンピック
- 太宰治
- 菊池寛
- 公民権
- 公職選挙法
- 新左翼
- 政治資金規正法
- 石井準一
- 鈴木直道
- 総力戦研究所
- だっこちゃん騒動
- 竹内洋
- 中央大学
- チューインガム
- 日本国憲法
- 日本大学
- NHK
- ハフポスト
- 樋口恵子
- 藤原帰一
- 法政大学
- 舛添要一
- 松井一郎
- 丸山真男
- みずほフィナンシャルグループ
- 三浦まり
- 宮崎学
- 村田諒太
- メディア
- 森喜朗
- 山崎正和
- 山口昌男
- 横山やすし
- 吉田茂
10. 外部リンク
- [https://www.inose.gr.jp/ 猪瀬直樹 公式サイト]
- [https://www.inose.gr.jp/profle/main_p_en.htm Official profile] Official profile公式プロフィール英語
- [https://www.metro.tokyo.jp/ENGLISH/PHOTO/2007/070603.htm Photograph of Naoki's appointment as Vice Governor] Photograph of Naoki's appointment as Vice Governor副知事就任時の写真英語