1. 概要
アウグスト・モンテローソは、1921年にホンジュラスのテグシガルパで、ホンジュラス人の母とグアテマラ人の父の間に生まれた。彼は生涯を通じてグアテマラ国籍を保持したが、自身を特定の国家の国民というよりも「中央アメリカ人」であると認識していた。11歳で学校を自主退学して以降は独学で知識を深め、文学の道を志した。
モンテローソは、ホルヘ・ウビコ独裁政権への反対活動により1944年にメキシコシティへ亡命し、その後もハコボ・アルベンス・グスマン政権の崩壊に伴う米国の介入を批判するなど、政治的・社会的な問題に積極的に関与した。彼の文学作品は、短編小説や寓話に特化しており、特に「恐竜」は世界で最も短い短編の一つとして知られる。
彼は1960年代以降のいわゆる「ラテンアメリカ文学ブーム」世代の中心人物とみなされ、フリオ・コルタサル、カルロス・フエンテス、フアン・ルルフォ、ガブリエル・ガルシア=マルケスといった著名な作家たちと並び称される。その業績は高く評価され、アステカ鷲勲章(1988年)、ハビエル・ビジャウルティ賞(1975年)、フアン・ルルフォ賞(1996年)、ミゲル・アンヘル・アストゥリアス国立文学賞(1997年)、アストゥリアス皇太子賞(2000年)など、数々の文学賞や勲章を受章した。モンテローソは2003年2月7日にメキシコシティで心臓病により81歳で死去した。
2. 生涯
モンテローソの生涯は、政治的動乱と文学的探求に彩られたものであった。
2.1. 出生と初期の背景
アウグスト・モンテローソは1921年12月21日、ホンジュラスの首都テグシガルパに生まれた。彼の母はホンジュラス国籍、父はグアテマラ国籍であった。両親ともに良家の出身であり、家庭は知り合いの芸術家が頻繁に出入りする自由な環境であった。幼少期はホンジュラスとグアテマラを行き来する生活を送った。
11歳の時、彼は通っていた小学校を自主的に退学し、それ以降は独学で知識を深めた。市場の肉屋で働きながら、空いた時間には古典文学をはじめとする膨大な量の読書に没頭した。
2.2. グアテマラでの成長と教育
1936年、モンテローソの一家はグアテマラに永住することを決め、グアテマラシティに居を構えた。彼は次第にグアテマラの文学界に参加するようになり、1937年には「グアテマラの若手芸術家と作家の会」を結成した。1941年には雑誌『アセント』を創刊し、初期の短編を新聞や雑誌に寄稿し始め、作家としての道を歩み始めた。この時期に彼は「四十年世代」と呼ばれる若手作家たちとグループを組み、活動の場を広げていった。
2.3. 政治活動と亡命
1941年以降、モンテローソはホルヘ・ウビコの独裁政治に対する地下活動を開始した。彼は他の作家たちとともに新聞『エル・エスペクタドール』(El Espectadorスペイン語)を創刊し、独裁政権や米国の多国籍バナナ企業への反対運動を展開した。この活動が原因で、彼は1944年7月に逮捕され、メキシコシティへ国外追放された。
2.4. 外交官としての経歴と転居
メキシコ到着後まもなく、グアテマラではハコボ・アルベンス・グスマンによる革命政府が樹立された。モンテローソはグアテマラのメキシコ大使館で下級職に就き、外交官としてのキャリアをスタートさせた。1953年にはグアテマラ領事として一時的にボリビアのラパスへ赴任した。
しかし、1954年に米国の介入によってアルベンス政権が崩壊すると、モンテローソは職を辞し、チリのサンティアゴへ移住した。この時期に書かれた短編「ミスター・テイラー」は、米国の軍事介入とその帝国主義を痛烈に風刺した作品である。
2.5. メキシコへの定住と活動
1956年、モンテローソは再びメキシコシティに戻り、その後は亡命者として生涯をメキシコで過ごした。彼は様々な学術機関や出版社の役職を務めながら、作家としての活動を続けた。メキシコ国立自治大学の文化院や国立現代美術館が主催する小説創作教室で指導にあたり、多くの優れた後進作家を育成した。彼の妻も当時、彼の教え子であった。
1988年には、メキシコ政府が外国要人に与える最高の栄誉であるアステカ鷲勲章を受章した。
2.6. 死去
アウグスト・モンテローソは2003年2月7日、メキシコシティで心臓病により81歳で死去した。
3. 主要活動と業績
モンテローソは、その短いながらも深い作品群と、ラテンアメリカ文学界への多大な貢献で知られている。
3.1. 文学活動と作品
モンテローソは生涯を通じて、ほぼ短編小説の形式に限定して執筆活動を行った。彼は短編小説の形式を完璧にすることに努め、文体やテーマのインスピレーションを得るために、しばしば寓話のような類似のジャンルを深く掘り下げた。彼の作品は、そのアイロニーとユーモアに満ちた独特の文体が特徴である。
彼の最初の作品集『全集 その他の物語』(Obras completas (Y otros cuentos)スペイン語、1959年)が出版されると、彼は国際的に有名になった。この作品集に収録されている「恐竜」(El Dinosaurioスペイン語)は、原文でわずか7語からなる「Cuando despertó, el dinosaurio todavía estaba allí.」(彼が目を覚ましたとき、恐竜はまだあそこにいた。)という一文で構成されており、ラテンアメリカ文学史上で最も短い物語の一つとして広く知られている。
1969年に出版された『黒い羊 その他の寓話』(La oveja negra y demás fábulasスペイン語)は、作家としての彼の地位を一層確固たるものにした。彼の唯一の長編小説とされる『残るは静寂』(Lo demás es silencio: La vida y la obra de Eduardo Torresスペイン語、1978年)も、伝統的な小説形式からは逸脱しており、新聞の切り抜き、証明書、日記、詩など、様々な出所不明の短いテキストを不規則に集積することで、架空の主人公の「伝記」を構成している。
1972年に発表された『永遠の動き』(Movimiento perpetuoスペイン語)は、その年の最優秀図書に選ばれた。
3.2. 文学史上の位置づけと影響力
モンテローソは、1960年代以降に世界的な注目を集めた「ラテンアメリカ文学ブーム」世代の中心人物の一人と見なされている。彼はフリオ・コルタサル、カルロス・フエンテス、フアン・ルルフォ、ガブリエル・ガルシア=マルケスといった同時代の権威ある作家たちと並び称される存在である。
カルロス・フエンテスは、モンテローソの『黒い羊 その他の寓話』に言及して次のように評している。「ボルヘスの空想的な動物寓話がアリスとお茶をしているのを思い浮かべてみなさい。ジョナサン・スウィフトとジェームズ・サーバーが手紙をやり取りしているのを想像してみなさい。マーク・トウェインを真剣に読む「キャラヴェラス郡の跳び蛙」を想像してみなさい。モンテローソと出会いなさい。」この言葉は、彼の作品が持つ独特のユーモア、寓話性、そして文学的深さを端的に示している。
3.3. 学術・教育活動
メキシコに定住後、モンテローソはメキシコ国立自治大学の文化院や国立現代美術館が主催する小説創作教室で指導を行った。彼はこの活動を通じて、多くの優れた若手作家を育成し、ラテンアメリカ文学の発展に貢献した。彼の妻もまた、当時彼の教え子であった。
4. 思想と観点
モンテローソの作品と人生は、彼の明確な思想と観点によって貫かれている。
彼は生涯を通じて、ホルヘ・ウビコのような独裁政治に強く反対し、そのために亡命を余儀なくされた経験を持つ。また、米国がハコボ・アルベンス・グスマン政権を崩壊させるために行った軍事介入を批判し、その帝国主義的側面を自身の作品「ミスター・テイラー」で風刺した。
モンテローソは、自身を特定の国家の国民としてではなく、「中央アメリカ人」であると認識していた。このアイデンティティは、彼が国境を越えた政治的・社会的な問題に関心を持ち、地域全体の視点から物事を捉えようとする姿勢を反映している。彼の作品に共通するアイロニーとユーモアは、権力や社会の不条理に対する批判的な視点を、読者に深く考えさせる形で提示する手段であった。
5. 個人史
モンテローソの個人的な側面は、彼の文学的才能と深く結びついていた。彼の両親はともに良家の出身であり、家庭は非常に開放的で、芸術家たちが頻繁に出入りする環境であった。このような背景が、彼の自由な発想と文学への傾倒を育んだと考えられる。
彼は11歳で学校を自主退学するという異例の選択をし、その後は独学で膨大な知識を吸収した。この独学の経験は、彼の作品に独自の視点と深みを与える基盤となった。メキシコで小説創作教室を指導していた際には、後に彼の妻となる人物と出会った。これは、彼の人生と文学が密接に結びついていたことを示すエピソードである。
6. 受賞と評価
アウグスト・モンテローソは、その卓越した文学的業績に対して、国内外で数々の権威ある賞を受賞し、高い評価を得た。
6.1. 主な受賞歴
モンテローソが受賞した主要な文学賞および文化勲章は以下の通りである。
- ハビエル・ビジャウルティ賞(1975年): メキシコの文学賞で、彼の作品『永遠の動き』がその年の最優秀図書に選ばれた後に受賞した。
- アステカ鷲勲章(1988年): メキシコ政府が外国の要人に与える最高の栄誉。
- フアン・ルルフォ賞(1996年): スパニッシュアメリカおよびカリブ文学を対象とする国際的な文学賞。
- ミゲル・アンヘル・アストゥリアス国立文学賞(1997年): 彼の出身国であるグアテマラの最高の文学賞。
- アストゥリアス皇太子賞(2000年): スペイン語圏で最も権威ある文学賞の一つ。
6.2. 文学的評価
モンテローソは、批評家や同時代の著名な作家たちから、その独創性、短編小説における卓越した技術、そして独自の文体に対して非常に肯定的な評価を受けている。彼は「ラテンアメリカ文学ブーム」世代の中心的作家の一人として、フリオ・コルタサル、カルロス・フエンテス、フアン・ルルフォ、ガブリエル・ガルシア=マルケスといった巨匠たちと並び称される存在である。
特に、彼の作品に一貫して見られるアイロニーとユーモアは、社会や政治に対する鋭い批判を、読者に深く考えさせる形で提示する彼の文学的手腕の証とされている。彼の極めて短い作品群、特に「恐竜」は、文学の可能性を広げた革新的な試みとして、後世の作家や読者に大きな影響を与え続けている。
7. 著作リスト
モンテローソが出版した主要な作品は以下の通りである。
- 『全集 その他の物語』(Obras completas (Y otros cuentos)スペイン語)、1959年
- 『黒い羊 その他の寓話』(La oveja negra y demás fábulasスペイン語)、1969年
- 『永遠の動き』(Movimiento perpetuoスペイン語)、1972年
- 『残るは静寂』(Lo demás es silencio: La vida y la obra de Eduardo Torresスペイン語)、1978年
- 『寓話の中心への旅』(Viaje al centro de la fábulaスペイン語)、1981年
- 『魔法の言葉』(La palabra mágicaスペイン語)、1983年
- 『文字e(ある日記の断片)』(La letra e (Fragmentos de un diario)スペイン語)、1987年
- 『あの動物相』(Esa faunaスペイン語)、1992年
- 『黄金を探す人々』(Los buscadores de oroスペイン語)、1993年
- 『雌牛』(La vacaスペイン語)、1998年
- 『ヒスパノアメリカの鳥たち』(Pájaros de Hispanoaméricaスペイン語)、2002年
- 『文学と人生』(Literatura y vidaスペイン語)、2004年
- 『日蝕』(El Eclipseスペイン語)