1. 幼少期
1.1. 出生と教育
モーはモンタナ州ミズーラで生まれた。彼の身長は約178センチメートルだった。彼はモンタナ州ホワイトフィッシュ近郊のザ・ビッグ・マウンテンでスキーとレースを学んだ。この場所では彼の父親がスキーパトロール隊員を務めていた。彼はその後、アラスカ州アンカレッジ近郊のアリエスカ・リゾートで、グレイシャー・クリーク・スキー・アカデミーに通いながらスキルを磨いた。
1.2. スキー競技への入門
1986年、16歳でアメリカスキーチームに加わり、選手キャリアをスタートさせた。
2. 競技キャリア
トミー・モーの競技キャリアは1986年にアメリカスキーチームに加入したことから始まり、ワールドカップでの経験を積み、1994年リレハンメルオリンピックで輝かしい成果を上げた。その後は負傷に苦しんだが、最終的に1998年に引退するまでトップレベルで活躍した。
2.1. ワールドカップ初期シーズン
モーは17歳でワールドカップデビューを果たした。19歳の誕生日を数日後に控えた1989年アルペンスキー世界選手権(コロラド州ベイル)では、滑降で12位に入賞した。1990年アルペンスキーワールドカップの最終戦が開催されたスウェーデンオーレでは、13位でフィニッシュし、自身初のワールドカップポイント(上位15位以内)を獲得した。
2.2. 1994年リレハンメルオリンピック
1994年リレハンメルオリンピック(ノルウェー、クヴィートフィエル)では、驚くべきパフォーマンスを見せた。彼は滑降で金メダル、スーパー大回転で銀メダルを獲得し、アメリカ人男子スキー選手として初めて1回の冬季オリンピックで2個のメダルを獲得する快挙を達成した。ノルウェー系の祖先を持つ彼は、地元ノルウェーのヘーティル・アンドレ・オーモットを0.04秒差で破り滑降で金メダルを獲得したにもかかわらず、クヴィートフィエルの観衆からすぐに人気者となった。24歳の誕生日には、スーパー大回転でドイツのマルクス・ワズマイヤーに0.09秒差で次ぐ2位となった。この成功は、彼がオリンピック前にはワールドカップでの優勝経験がなかったにもかかわらず達成された。彼は前年の1993年アルペンスキー世界選手権(日本)の滑降で5位に入るなど、過去12か月間良い成績を収めていた。オリンピックの1か月後、彼はカナダのウィスラー・ブラックコムで開催されたスーパー大回転で自身唯一となるワールドカップ優勝を飾った。

2.3. オリンピック後のキャリアと負傷
モーのキャリア最高のワールドカップシーズンは1994年であり、スーパー大回転で3位、滑降および総合順位で8位を記録した。なお、1971年以降、ワールドカップの順位には冬季オリンピックや世界選手権の結果は含まれていない。
1995年3月、モーはオリンピックメダルを獲得したわずか13か月後のクヴィートフィエルで右膝を負傷した。この負傷から回復した後、彼はかつてのトップフォームを取り戻すことはできなかった。1997年には、1月下旬に親指の珍しい怪我で手術が必要となり、世界選手権を欠場した。しかし、同年3月に復帰し、メイン州で開催された全米アルペンスキー選手権の滑降で優勝した。彼は1998年長野オリンピック(長野市、白馬村)に3度目のオリンピック代表として出場し、スーパー大回転で8位、滑降で12位に入賞した。
2.4. 現役引退
彼は1998年6月、28歳で競技スキーから引退した。
3. 主な業績と栄誉
モーのキャリアは、オリンピックでの歴史的なメダル獲得、国内選手権での成功、ワールドカップでの勝利、そして全米スキー殿堂入りによって特徴づけられる。
- 1994年リレハンメルオリンピック(ノルウェー、リレハンメル)で2つのメダルを獲得
- 滑降で金メダル
- スーパー大回転で銀メダル(24歳の誕生日)
- 全米アルペンスキー選手権で5度のタイトルを獲得
- ワールドカップで1勝(1994年、ウィスラー・ブラックコムでのスーパー大回転)
- ジュニア世界選手権で3つのメダルを獲得
- 1989年アリエスカ大会、複合で金メダル
- 1989年アリエスカ大会、スーパー大回転で金メダル
- 1987年ヘムセダール大会、滑降で銀メダル
- 2003年、全米スキー殿堂入り
4. 詳細な競技結果
4.1. ワールドカップ成績
シーズン | 年齢 | 総合 | 回転 | 大回転 | スーパー大回転 | 滑降 | 複合 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1990 | 20 | 97 | - | - | - | 36 | - |
1991 | 21 | 74 | - | - | - | 29 | - |
1992 | 22 | 79 | - | - | 49 | 40 | 31 |
1993 | 23 | 31 | - | - | 26 | 19 | 48 |
1994 | 24 | 8 | - | - | 3 | 8 | 4 |
1995 | 25 | 28 | - | - | 11 | 18 | 12 |
1996 | 26 | 152 | - | - | 62 | 65 | - |
1997 | 27 | 87 | - | - | 50 | 35 | - |
1998 | 28 | 72 | - | - | 32 | 35 | - |
4.2. 世界選手権成績
年 | 年齢 | 回転 | 大回転 | スーパー大回転 | 滑降 | 複合 |
---|---|---|---|---|---|---|
1989 | 19 | - | - | 21 | 12 | - |
1991 | 21 | |||||
1993 | 23 | - | - | 中止 | 5 | 13 |
1996 | 26 | - | - | 42 | 21 | - |
1997 | 27 | 親指負傷のため不参加 |
- 1993年のスーパー大回転は、悪天候による度重なる遅延の後、中止となった。
4.3. オリンピック成績
年 | 年齢 | 回転 | 大回転 | スーパー大回転 | 滑降 | 複合 |
---|---|---|---|---|---|---|
1992 | 22 | - | - | 28 | 20 | 18 |
1994 | 24 | - | - | 2 | 1 | 5 |
1998 | 28 | - | - | 8 | 12 | - |
5. 引退後の生活と私生活
競技引退後、トミー・モーはスキー関連のビジネスに携わりつつ、私生活では家族を築き、ワイオミング州で生活している。
5.1. 引退後の活動
引退から5年後の2003年に全米スキー殿堂入りを果たした。現在はアラスカ山脈にあるトーンドリロ・マウンテン・ロッジの共同オーナーを務めている。また、ワイオミング州ジャクソンホール・マウンテン・リゾートのスキーアンバサダーとしても活動している。
5.2. 私生活
モーは2003年に長年のガールフレンドであったミーガン・ゲリティと結婚した。彼らには2人の娘がおり、ワイオミング州ウィルソン西部に居住している。
6. 功績と評価
トミー・モーは、その競技成績、特にオリンピックでの功績が評価され、全米スキー殿堂入りという栄誉に輝いている。
6.1. 全米スキー殿堂入り
2003年、彼は全米スキー殿堂に選出され、彼の輝かしいキャリアとアメリカスキー界への貢献が正式に認められた。この殿堂入りは、彼のアルペンスキーにおける卓越した業績、特にオリンピックでのメダル獲得やワールドカップでの成功が評価された結果である。