1. 概要
ノルベルト・オベルブルガー(Norberto Oberburgerイタリア語、1960年12月1日生まれ)は、イタリアの元重量挙げ選手である。彼は4度のオリンピックに出場し、特に1984年ロサンゼルスオリンピックの男子110kg級で金メダルを獲得したことで知られている。
2. 個人情報
ノルベルト・オベルブルガーの生年月日、出身地、身体的特徴、そして所属クラブについて概説する。
2.1. 出生と背景
ノルベルト・オベルブルガーは1960年12月1日にイタリアのメラーノで生まれた。国籍はイタリアである。身長は182 cm、体重は112 kgであった。彼はAtletic Club Meranoアトレティック・クラブ・メラーノ英語に所属していた。
3. 選手経歴
ノルベルト・オベルブルガーの重量挙げ選手としてのキャリアにおける主要な出場大会と獲得メダルについて概観する。彼はオリンピックに4回出場したほか、世界選手権や欧州選手権でもメダルを獲得している。
3.1. オリンピック出場
オベルブルガーは計4回の夏季オリンピックに出場した。
- 1980年モスクワオリンピック: 男子90kg級に出場し、10位の成績を収めた。記録は315 kgであった。
- 1984年ロサンゼルスオリンピック: 男子110kg級に出場し、金メダルを獲得した。この大会はソ連をはじめとする東側諸国がボイコットしたため、主要なライバルが不在であったことが彼の勝利に影響を与えた。記録は390 kgであった。
- 1988年ソウルオリンピック: 男子110kg級に出場し、6位の成績を収めた。記録は415 kgであった。
- 1992年バルセロナオリンピック: 男子110kg級に出場し、10位の成績を収めた。記録は375 kgであった。
3.2. 世界選手権大会
オベルブルガーは世界重量挙げ選手権大会でも活躍した。
- 1985年世界重量挙げ選手権大会: スウェーデンのセーデルテリエで開催された大会の男子110kg級で銅メダルを獲得した。この大会でも、彼はユーリー・ザハレビッチの後塵を拝した。
3.3. 欧州選手権大会
欧州重量挙げ選手権大会でもメダルを獲得している。
- 1984年欧州重量挙げ選手権大会: イタリアのヴィットリオで開催された大会の男子110kg級で銀メダルを獲得した。この大会では、ユーリー・ザハレビッチが優勝している。
- 1986年欧州重量挙げ選手権大会: 東ドイツのカール=マルクス=シュタット(現在のケムニッツ)で開催された大会の男子110kg級で銅メダルを獲得した。ここでも彼はザハレビッチに次ぐ成績であった。
4. 主要大会記録
ノルベルト・オベルブルガーの主要な重量挙げ大会における年別、階級別の詳細な競技結果を以下の表に示す。
年 | 大会 | 開催地 | 順位 | 階級 | 記録 |
---|---|---|---|---|---|
1980 | オリンピック | モスクワ | 10位 | 男子90kg級 | 315 kg |
1984 | オリンピック | ロサンゼルス | 金メダル | 男子110kg級 | 390 kg |
1984 | 欧州選手権 | ヴィットリオ | 銀メダル | 男子110kg級 | |
1985 | 世界選手権 | セーデルテリエ | 銅メダル | 男子110kg級 | |
1986 | 欧州選手権 | カール=マルクス=シュタット | 銅メダル | 男子110kg級 | |
1988 | オリンピック | ソウル | 6位 | 男子110kg級 | 415 kg |
1992 | オリンピック | バルセロナ | 10位 | 男子110kg級 | 375 kg |

5. 大会背景と文脈
ノルベルト・オベルブルガーが金メダルを獲得した1984年ロサンゼルスオリンピックは、当時の国際情勢が大きく影響した大会であった。この大会は、ソ連とその同盟国(東ドイツ、ブルガリア、キューバなど)が、1980年モスクワオリンピックにおけるアメリカ主導のボイコットへの報復として、大会をボイコットした。
重量挙げ競技においては、ソ連のユーリー・ザハレビッチ(Юрий Захаревичユーリー・ザハレビッチロシア語)がオベルブルガーの主要なライバルであり、1984年の欧州選手権ではザハレビッチが優勝し、オベルブルガーは2位であった。しかし、ロサンゼルスオリンピックではザハレビッチが不在だったため、オベルブルガーは金メダルを獲得する機会を得た。その後も、1985年の世界選手権と1986年の欧州選手権では、再びザハレビッチが優勝し、オベルブルガーは両大会で銅メダルを獲得している。このように、ボイコットはオベルブルガーのオリンピック金メダル獲得に決定的な影響を与えた一方で、彼のキャリアを通じてザハレビッチという強力なライバルが存在し続けた。