1. 生い立ちと背景
ワレンチン・コズミッチ・イワノフは1934年11月19日にソビエト連邦のロシアSFSR、モスクワで生まれた。幼少期からサッカーに親しみ、1950年から1952年までクリリヤ・ソヴェトフ・モスクワのユースチームに所属していた。
2. 選手としてのキャリア
イワノフは、その優れたスピード、ドリブルの質、そして高いテクニックで知られるミッドフィールダーであった。彼は賢明な動きを見せ、得点能力とアシスト能力を兼ね備えていただけでなく、守備面においても貢献できる多才な選手であった。
2.1. クラブキャリア
イワノフは1952年から1966年までの選手キャリアのほとんどをFCトルペド・モスクワで過ごした。彼はソビエト選手権で通算286試合に出場し、124得点を記録した。これはソビエト選手権における歴代9位の得点記録である。
クラブ | シーズン | リーグ | ||
---|---|---|---|---|
ディビジョン | 出場 | 得点 | ||
FCトルペド・モスクワ | 1953 | ソビエトトップリーグ | 19 | 4 |
1954 | 22 | 7 | ||
1955 | 13 | 5 | ||
1956 | 21 | 13 | ||
1957 | 22 | 14 | ||
1958 | 18 | 14 | ||
1959 | 21 | 6 | ||
1960 | 17 | 8 | ||
1961 | 23 | 9 | ||
1962 | 13 | 4 | ||
1963 | 36 | 17 | ||
1964 | 30 | 14 | ||
1965 | 22 | 7 | ||
1966 | 11 | 2 | ||
合計 | 286 | 124 |
2.2. 代表キャリア
イワノフは1955年から1965年までソビエト連邦代表としてプレーし、59試合に出場して26得点を挙げた。この得点数は、オレグ・ブロヒンとオレグ・プロタソフに次ぐ、ソビエト連邦代表歴代3位の記録である。
代表チーム | 年 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
ソビエト連邦 | 1955 | 1 | 1 |
1956 | 8 | 5 | |
1957 | 5 | 1 | |
1958 | 8 | 3 | |
1959 | 3 | 1 | |
1960 | 4 | 4 | |
1961 | 7 | 0 | |
1962 | 7 | 5 | |
1963 | 5 | 1 | |
1964 | 6 | 2 | |
1965 | 5 | 3 | |
合計 | 59 | 26 |
No. | 日付 | 会場 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1955年6月26日 | ローシュンダ, ストックホルム, スウェーデン | スウェーデン | 6-0 | 6-0 | 親善試合 |
2 | 1956年5月23日 | 中央ディナモ・スタジアム, モスクワ, ソビエト連邦 | デンマーク | 1-0 | 5-1 | 親善試合 |
3 | 1956年7月11日 | 中央ディナモ・スタジアム, モスクワ, ソビエト連邦 | イスラエル | 2-0 | 5-0 | 1956年夏季オリンピック予選 |
4 | 4-0 | |||||
5 | 1956年9月15日 | ニーダーザクセンシュタディオン, ハノーファー, 西ドイツ | 西ドイツ | 2-1 | 2-1 | 親善試合 |
6 | 1956年12月1日 | オリンピック・パーク・スタジアム, メルボルン, オーストラリア | インドネシア | 2-0 | 4-0 | 1956年夏季オリンピック |
7 | 1957年10月20日 | シレジア競技場, ホジュフ, ポーランド | ポーランド | 1-2 | 1-2 | 1958 FIFAワールドカップ予選 |
8 | 1958年5月18日 | 中央レーニン・スタジアム, モスクワ, ソビエト連邦 | イングランド | 1-1 | 1-1 | 親善試合 |
9 | 1958年6月11日 | リアヴァレン, ボロース, スウェーデン | オーストリア | 2-0 | 2-0 | 1958 FIFAワールドカップ |
10 | 1958年9月28日 | 中央レーニン・スタジアム, モスクワ, ソビエト連邦 | ハンガリー | 3-0 | 3-1 | 1960年欧州ネイションズカップ |
11 | 1959年9月6日 | 中央レーニン・スタジアム, モスクワ, ソビエト連邦 | チェコスロバキア | 3-1 | 3-1 | 親善試合 |
12 | 1960年5月19日 | 中央レーニン・スタジアム, モスクワ, ソビエト連邦 | ポーランド | 1-0 | 7-1 | 親善試合 |
13 | 6-1 | |||||
14 | 1960年7月6日 | スタッド・ヴェロドローム, マルセイユ, フランス | チェコスロバキア | 1-0 | 3-0 | 1960年欧州ネイションズカップ |
15 | 2-0 | |||||
16 | 1962年4月27日 | 中央レーニン・スタジアム, モスクワ, ソビエト連邦 | ウルグアイ | 4-0 | 5-0 | 親善試合 |
17 | 1962年5月31日 | エスタディオ・カルロス・ディットボーン, アリカ, チリ | ユーゴスラビア | 1-0 | 2-0 | 1962 FIFAワールドカップ |
18 | 1962年6月3日 | エスタディオ・カルロス・ディットボーン, アリカ, チリ | コロンビア | 1-0 | 4-4 | 1962 FIFAワールドカップ |
19 | 3-0 | |||||
20 | 1962年6月6日 | エスタディオ・カルロス・ディットボーン, アリカ, チリ | ウルグアイ | 2-1 | 2-1 | 1962 FIFAワールドカップ |
21 | 1963年9月22日 | 中央レーニン・スタジアム, モスクワ, ソビエト連邦 | ハンガリー | 1-0 | 1-1 | 親善試合 |
22 | 1964年9月12日 | ローシュンダ, ストックホルム, スウェーデン | スウェーデン | 1-0 | 1-1 | 1964年欧州ネイションズカップ準々決勝 |
23 | 1964年6月17日 | カンプ・ノウ, バルセロナ, スペイン | デンマーク | 3-0 | 3-0 | 1964年欧州ネイションズカップ |
24 | 1965年5月23日 | 中央レーニン・スタジアム, モスクワ, ソビエト連邦 | ギリシャ | 2-1 | 3-1 | 1966 FIFAワールドカップ予選 |
25 | 3-1 | |||||
26 | 1965年5月30日 | 中央レーニン・スタジアム, モスクワ, ソビエト連邦 | ウェールズ | 1-0 | 2-1 | 1966 FIFAワールドカップ予選 |
2.3. 主要大会での活躍
イワノフは数々の主要国際大会でソビエト連邦代表として活躍した。

- 1956年メルボルンオリンピック:金メダルを獲得。インドネシア戦で1得点を挙げた。
- 1958 FIFAワールドカップ:5試合に出場し1得点を記録し、チームのベスト8進出に貢献した。オーストリア戦で得点している。
- 1960年欧州ネイションズカップ:ソビエト連邦の優勝に貢献し、自身も得点王に輝いた。チェコスロバキア戦で2得点を挙げた。
- 1962 FIFAワールドカップ:4試合に出場し4得点を記録し、チームはベスト8に進出した。この大会では、ガリンシャ、ババ、レオネル・サンチェス、ドラジャン・イェルコヴィッチ、アルベルト・フローリアーンと共に得点王に輝いた。ユーゴスラビア戦で1得点、コロンビア戦で2得点、ウルグアイ戦で1得点を挙げた。ワールドカップ通算では9試合で5得点を記録し、ソビエト連邦の選手としてはワールドカップ史上最多得点者である。
- 1964年欧州ネイションズカップ:ソビエト連邦は準優勝。スウェーデン戦とデンマーク戦でそれぞれ1得点を挙げた。
3. 指導者としてのキャリア
現役引退後、ワレンチン・イワノフはサッカー指導者としての道を歩んだ。彼は長年にわたり、選手時代を過ごしたFCトルペド・モスクワの監督を務めた。具体的には、1967年から1970年、1973年から1978年、1980年から1991年、そして1998年と、複数回にわたって同クラブを率いた。また、1994年から1996年にはFCトルペド・ルジニキ・モスクワ(FCトルペド・モスクワの別名)の監督も務めている。
トルペド・モスクワ以外では、1992年から1993年にかけてモロッコのラジャ・カサブランカ、1994年にはFCアスマラル・モスクワ、2003年にはFCトルペド-メタルルグ・モスクワ(後のFCモスクワ)の監督を歴任した。晩年には、FCモスクワの副会長も務め、クラブの運営にも携わった。
4. 受賞歴と栄誉
ワレンチン・イワノフは選手および指導者として数多くの栄誉を獲得した。

4.1. クラブでの受賞歴
- FCトルペド・モスクワ
- ソビエトトップリーグ:1960年、1965年
- ソビエトカップ:1960年
4.2. 代表チームでの受賞歴
- ソビエト連邦
- UEFA欧州選手権:1960年(優勝)、1964年(準優勝)
- オリンピック金メダル:1956年
4.3. 個人での受賞歴
- ソビエト連邦の優秀なサッカー選手33人:12回選出(1位:1955年、1957年-1964年;2位:1953年、1956年、1965年)
- UEFA欧州選手権得点王:1960年
- UEFA欧州選手権大会ベストチーム:1960年、1964年
- FIFAワールドカップ得点王:1962年
- UEFAゴールデンジュビリー投票:45位(2004年)
5. 私生活
ワレンチン・イワノフは、1956年と1960年のオリンピックで体操競技の金メダリストであるリディア・イワノワと結婚した。彼らの息子もまたワレンチンという名で、1961年に生まれた。この息子は、後に国際的なサッカー審判員として活躍したワレンチン・ワレンチノヴィチ・イワノフである。彼は2006 FIFAワールドカップの決勝トーナメント1回戦、ポルトガル対オランダ戦で主審を務め、そのジャッジが国際的に議論を巻き起こしたことで知られている。
6. 死去
ワレンチン・イワノフは2011年11月8日、76歳で死去した。彼は長年にわたりアルツハイマー病と闘病していた。彼の死は、77歳の誕生日を目前に控えてのことであった。
7. 評価と遺産
ワレンチン・イワノフは、史上最も優れたロシアのサッカー選手の一人として広く認識されている。彼のプレースタイルは、その卓越したスピード、巧みなドリブル、そして高度なテクニックによって特徴づけられた。また、彼は得点能力とアシスト能力を兼ね備え、さらには守備にも貢献できる多才な選手であった。
イワノフのキャリアは、FCトルペド・モスクワとソビエト連邦代表における輝かしい功績によって彩られている。彼はクラブにリーグタイトルとカップタイトルをもたらし、代表チームではオリンピック金メダルと欧州選手権優勝という歴史的な成功に貢献した。特に、ワールドカップと欧州選手権での得点王獲得は、彼の世界クラスの得点能力を証明するものである。
指導者としてのキャリアにおいても、彼は長年にわたりトルペド・モスクワを率い、クラブに多大な影響を与え続けた。彼の息子が国際的なサッカー審判員として名を馳せたことも、イワノフ家のサッカー界における深い関わりと遺産を示している。イワノフの存在は、ソビエト連邦サッカーの黄金時代を象徴するものであり、その功績は今日のロシアサッカー界にも語り継がれている。
8. 影響
ワレンチン・イワノフのプレースタイルと業績は、後続の選手たちに大きな影響を与えた。彼のスピード、ドリブル、テクニックは、多くの若手選手にとって目標となり、ソビエト連邦およびロシアのサッカーの発展に貢献した。特に、彼の多才なプレースタイル、すなわち得点能力とチャンスメイク能力を兼ね備え、かつ守備にも貢献できる能力は、現代サッカーにおける理想的なミッドフィールダー像の先駆けとも言える。
また、選手引退後も長年にわたりFCトルペド・モスクワの監督を務めたことは、彼が単なる選手としてだけでなく、指導者としてもクラブの文化と発展に深く関与したことを示している。彼の指導は、数多くの才能ある選手を育成し、クラブの成功を支えた。
イワノフの功績は、ソビエト連邦サッカーの国際的な地位向上にも寄与した。オリンピック金メダルや欧州選手権優勝、そしてワールドカップでの得点王獲得といった輝かしい実績は、ソビエト連邦のサッカーが世界トップレベルであることを示すものであった。彼のキャリアは、スポーツを通じて国家の誇りを高めるというソビエト時代の理念を体現するものであり、その影響はサッカー界全体にとどまらず、社会的な文脈においても評価されるべき遺産となっている。