1. 生涯
平沢進は、日本のミュージシャン、作曲家、プロデューサーとしてのキャリアを築く以前から、機械への深い興味と独特な感性を持っていた。
1.1. 幼少期と家族
平沢進は1954年4月1日に生まれた。幼少期から機械いじりが好きで、自分自身をエンジニアだと考えていた。ラジコン飛行機に熱中し、パイロットを夢見ていた時期もある。両親から与えられた壊れたラジオや懐中電灯などを修理して過ごしていた。
彼の父親は消防士であり、同時に書道家でもあった。父親は「峰石」(峰石日本語)というペンネームで、P-MODELのアルバム『ポプリ』のカバーアートにバンド名やアルバム名を揮毫している。兄の平沢裕一(平沢 裕一日本語、Yūichi英語、1950年10月5日生)は「YOU1」という名義で活動するグラフィックデザイナーであり、マンドレイクのステージ演出チームを担当し、P-MODELの最初の9年間はアートディレクターを務めた。裕一はP-MODELの楽曲「For Kids英語」や「Sunshine City英語」(『In a Model Room』収録)の作詞、および『The Ghost in Science』収録の「Rocket英語」でバッキングボーカルを務めている。
10歳頃、知り合いの牛乳配達員からジミ・ヘンドリックスやクリームのレコードを教えられたことをきっかけに音楽に傾倒していった。小学生の頃にテレビや兄の雑誌で見たエレキギターに惹かれ、赤色のエレキギターを購入。当時はエレキギターの使用が不良と見なされていたため、兄の部屋に隠れて練習していた。消防士の父親は音楽活動に反対していたが、エレキギターは男らしいとして許可した。小学5年生の頃にはギターの腕前を買われ、中高生のバンドに誘われて神社や河川敷でセッションをしていた。
小学生時代は、学校生活において教師やクラスメイトから肉体的・精神的な苦痛を経験した。特に肉類が体質的に苦手で、給食で無理に食べさせられた際にはトイレで血を吐くこともあったという。しかし、平沢は後に当時を振り返り、「幸い、そのような環境が私を育てた」と語っている。12歳頃には音楽制作に興味を持つようになった。
1.2. 教育
高校時代、兄の平沢裕一から読書を勧められたことをきっかけに、宮沢賢治、シオドア・スタージョン、ニコラ・テスラ、量子論、カール・グスタフ・ユングなどの書籍に傾倒していった。
平沢は東京都立本所工業高等学校の電子科で学び、卒業制作としてテレビを製作した。回路を完全に理解していなかったにもかかわらず、一番早く完成させたという。また、この頃はモトクロスも趣味としていたが、高校生の時にトラックとの事故を起こしたことがきっかけで、再びギター演奏を再開した。
1972年に専門学校東京デザイナー学院に入学し、1975年にインテリアデザイン科を優秀な成績で卒業した。卒業制作はタンジェリン・ドリームの公演のためのドーム型ステージセットホール「Hall for Tangerine dream〈胎内から宇宙意識への回帰〉日本語」であった。
2. 経歴
平沢進の音楽キャリアは、初期のロックバンドからテクノポップ、そして革新的なソロ活動へと多岐にわたる。
2.1. 初期音楽活動
1973年、安部文泰と出会い、共に本格的な音楽活動を開始する。メンバー募集の貼り紙を見た田中靖美と田井中貞利が加わり、プログレッシブ・ロックバンド「MANDRAKE」を結成した。当初、平沢はギタリストとして参加していたが、ボーカリスト兼作詞担当だった安部が失踪したため、急遽ボーカルと作詞を担当することになった。マンドレイクはヘヴィメタルやクラウトロックの要素を取り入れ、当時の日本で数少ないプログレッシブ・ロックバンドの一つであったが、活動中にアルバムをリリースすることはなく、大きな成功を収めることはなかった。
マンドレイクの初期には、平沢は共同創設者の安部文泰と共に、朝は青果市場の運搬、夜はペプシの倉庫でアルバイトをしていた。1978年、ヤマハ音楽振興会の非常勤講師の募集に応募し、唯一の応募者であったため採用された。1983年までヤマハシンセサイザー教室で教鞭をとり、この講義を通じて後に共同制作を行う様々なミュージシャンと出会った。講師を辞めた後も、1980年代末までCMソングの制作で生計を立てていた。このCMソング制作の経験が、後のソロ活動における多様な音楽性へと繋がっていく。
1978年から1981年頃まで、平沢は「エレクトロサウンド日本語」という会社に所属し、ヤマハのシンセサイザー教室の講師やマニピュレータ、CMソング制作などに従事した。同時期、田中靖美と共にモーグ・シンセサイザーを用いてバロック音楽などをアレンジした作品を制作。ウェンディ・カルロスの『Switched-On Bach英語』やクラフトワークを参考に、KORG 800DVによるノイズが混ざった音色を「アクリル・ポップ(ミュージカル・ホッチキス)日本語」と名付けた。
2.2. P-MODEL時代
1970年代後半、平沢はパンク・ロックの台頭を知り、ニューウェーブバンドへの転向を模索し始めた。1979年元日、平沢の実家で、兄の平沢裕一、マンドレイクの田中靖美、田井中貞利が集まり、P-MODEL結成に向けたミーティングが行われた。「アクリル・ポップ」を核とした楽曲制作と、カラフルな機材や服装といったヴィジュアルイメージのコンセプトが決定された。同年3月にP-MODELとして初のライブを行い、7月にシングル『美術館で会った人だろ』でメジャーデビューを果たした。
P-MODELはテクノ御三家の一角として、テクノポップブームの火付け役となり、テクノ・ニューウェーブシーンの中心的存在となった。しかし、平沢は自身の名声に対する反動から、バンドの音楽性をポストパンクや実験音楽へと転換させた。平沢が中心となり、P-MODELは様々なメンバーチェンジを繰り返しながら、日本のインディーズ音楽シーンで一定の人気を博した。
P-MODELと並行して、平沢はペンネームでの楽曲制作も行った。プロレスラー長州力の入場テーマ曲「パワー・ホール」を「異母犯抄」(異母犯抄日本語)名義で、ストロング・マシーンの入場曲「ハリケーンズ・バム」を「福来良夫」(福来良夫日本語)名義で作曲している。1979年には三遊亭圓丈と共にシンセサイザー落語を行うなど、多岐にわたる活動を展開した。このCMソング制作の経験が、後の平沢ソロでのバラエティに富んだ音楽性へと繋がっている。
1982年には、平沢が講師を務めていたシンセサイザー教室の生徒であった折茂昌美と足立眞理を「Shampoo」としてプロデュースし、メジャーデビューさせた。折茂とはその後も交流が続き、1990年には島崎和歌子に提供した楽曲「アフリカのクリスマス」を共作し、2005年のイベント『反射の集いは氷の9』、2013年と2022年のインタラクティブ・ライブにもゲストとして参加している。
1988年12月、P-MODELは活動「凍結」を宣言し、活動休止期間に入った。
2.3. ソロ活動
1989年1月、平沢は所属事務所をMODEL HOUSEからアイスリープロモーションへ移籍し、ポリドールと契約。同年、アルバム『時空の水』をリリースし、バンド・ユニットと並行してソロ活動を開始した。彼の音楽は、哲学や心理学のテーマを深く掘り下げながら、多様なジャンルの要素を取り入れている。P-MODELが2000年に解散するまで、平沢はバンド活動と並行してソロでの音楽スタイルの変革を続けた。それ以降も、彼は精力的に新曲をリリースし続けている。
1991年にはロボットアニメ『デトネイター・オーガン』の音楽を担当。以降、劇伴制作にも進出し、HTBの『人間ビジョンスペシャル カムイ・ミンタラ 神々の遊びの庭・阿寒』や志摩スペイン村のライブショー『ロストレジェンド~失われた大陸の伝説~』の音楽を手がけた。1992年には長野県茅野市のからくり時計台のオルゴールを作曲している。
1994年にはディスクユニオン内に自身のレーベル「DIW/SYUN」を設立し、主に『旬』や『P-MODEL』関連のアルバムをリリースした。同年、ストーリー仕立ての観客参加型マルチメディア・コンサート「インタラクティブ・ライブ」を開始。同年7月8日から翌1995年3月31日まで、初の冠番組『平沢進のテクノ実験工房』がエフエム群馬で放送され、上野洋子がパーソナリティを務めた。同年10月28日には女子美術大学短期大学部でAmigaによるCG制作方法とインタラクティブ・ライブの解説を主題とした講演会が開催された。
1996年には、当時の所属レコード会社である日本コロムビア内に自身のレーベル「TESLAKITE」を設立し、第一弾としてシングル『サイレン*SIREN*』とアルバム『SIREN』を発売した。同年、P-MODELのメンバーがそれぞれソロ活動を行うプロジェクト「Unfix英語」が開始。平沢も参加予定であったオールナイトイベント『Unfix #3 Communo Hybridia英語』を急遽欠席。翌1997年にはアイスリープロモーションを退社し、個人事務所「ケイオス・ユニオン」を設立した。この欠席は「殺人的なスケジュール」による平沢の心身の不調が原因であったとされている。
1999年、P-MODELはMP3を使用してインターネット上で新曲を配信すると発表した。この楽曲配信の妨げとなるため、日本コロムビアとの専属契約を解除し、日経BP社の協力のもと配信サイト「P-PLANT英語」を立ち上げた。このMP3による楽曲配信は、メジャーレーベルで活躍してきたプロアーティストとしては日本初の試みであった。
2000年12月、P-MODELは『培養』を宣言し、平沢に活動再開の意思がないことから事実上の解散となった。同年、通算8枚目のソロアルバム『賢者のプロペラ』をケイオスユニオンから発売。CD版とMP3版がそれぞれ制作・販売され、アレンジが互いに異なっている。本作以降、原則的にケイオスユニオン内レーベル「TESLAKITE」から作品が販売されるようになった。
2000年代に入ると、再びアニメやゲームの劇伴制作を行うようになり、2000年にはゲーム『ラグナキュールレジェンド』のテーマ曲「星を知る者」を提供。また、同年には今敏監督のアニメ映画『千年女優』の劇伴を担当した。以降、今敏監督作品であるTVシリーズ『妄想代理人』(2004年)や映画『パプリカ』(2006年)の劇伴も手掛けている。『パプリカ』の音楽は「東京アニメアワード 2007」で個人部門・音楽賞を受賞し、米国の第79回アカデミー賞オリジナル歌曲部門に『パプリカ』のエンディングテーマである「白虎野の娘」がノミネート候補に選定された。その他、三浦建太郎原作のアニメ・ゲーム『ベルセルク』シリーズの劇中歌や楽曲も制作している。
2001年7月2日、必要な電気エネルギーの全てを太陽発電に委ねて音楽制作を試みるプロジェクト「Hirasawa Energy Works」(Hirasawa Energy Works英語)がスタートした。プロジェクト第一弾としてアルバム『SOLAR RAY』が制作された。その後、太陽発電とファンの協力による自然からの蓄電(エナジーハンティング英語)のみを利用したライブ『SOLAR LIVE』を敢行した。このプロジェクトはNHK BS2やTBSで特集された。翌2002年には『Hirasawa Energy Works』の第二弾として、P-MODELのほぼ全ての音源を網羅したボックスセット『太陽系亞種音』を発売。太陽発電を用いたスタジオ「Solar Studio英語」(studio WIRE SELF 2002英語)でリマスタリングされた。
2003年、イラク戦争に対する抗議の意思を表すべく『殺戮への抗議配信』と題し、楽曲「高貴な城」(High-Minded Castle英語)と「Love Song[2003年バージョン]」の無料配信を行った。同年3月には「坂田四郎」(坂田四郎日本語)名義でゆいこのシングル『陸の人よ』の制作を手掛け、10月にはNHK『おかあさんといっしょ』内で放送される「地球ネコ」の作詞作曲も行った。
2004年、P-MODELとは異なるプロジェクトとして、「核P-MODEL」名義で活動を開始。同年10月に『ビストロン』を発売後、断続的に活動を行っている。
2008年6月、イタリアのデス・メタル系ボーカリスト、リッカルド・ブレット(Riccardo Brett英語、InhVmaN英語)との共作でマキシ・シングル『Tetragrammaton英語』をリリース。同年11月、タイ王国の第2の女性(สาวประเภทสองタイ語、Saopraphetson英語、SP-2英語)である友人たち23人との1994年からの交流から生まれたエピソードを彼女たちの写真と共に綴ったエッセイ集『SP-2: タイのニューハーフ? いいえ「第2の女性」です』を出版した。
2009年にはTwitterアカウントを開設。同年から放送されたかきふらい原作のアニメ作品『けいおん!』に自身の名前が由来とされる主人公「平沢唯」が登場したことがきっかけで、フォロワー数が急増した。この出来事が自身のTwitterの方向性を決定づけたとされている。以降、毎週水曜日以外の連日、21時から22時までツイートを行っている。
2011年、東日本大震災が発生し、自宅で被災した。被災時は自身のウェブ番組『亜種音TV』の撮影中であった。同年3月21日には、タイ王国のวัดไร่ขิงタイ語(Wat Raikching英語)寺院にて、被災者への祈りを捧げる映像をインターネット上に公開した。また、同年にはフォロワー数5万人突破記念として、平沢の作業風景を合計5万秒配信する『Hirasawa監視50000秒』がUstreamにて不定期配信された。
2012年2月、1stから7thまでのオリジナルアルバムとシングルカップリング曲、発掘音源などを網羅したボックスセット『HALDYN DOME』を発売。上述の「地球ネコ」も収録されており、平沢自身がボーカルを務めるリアレンジ版が収録されている。2017年には『HALDYN DOME』のブックレットに掲載されている文章を朗読したものと楽曲を交えて構成された初のナレーション作品『第6フォルマント』を配信した。
2014年、Twitterのフォロワー数7万人突破記念として、平沢が合計7万歩散歩する『HIRASAWA追跡70000歩』がUstreamにて不定期配信された。
2017年10月にはTwitterのフォロワーが9万人を超したことから、溶接マスクを付けた正体不明の二人組「黒会人」と、P-MODELメンバーの一人であった上領亘を迎え、ライブ『第9曼荼羅』を開催した。「会人」(EJIN英語)は以降のライブでもサポートメンバーとして参加し、2018年の核P-MODELのライブ『回=回』の他、2019年7月にはペストマスクを装着した「白会人」とのユニット「平沢進+会人(EJIN)」としてフジロックフェスティバル'19に初出演した。同年11月のバトルスの来日ツアーには同ユニットにサポートドラマーとしてユージ・レルレ・カワグチを迎え、オープニングアクトとしてツアーに帯同した。2021年にはTwitterフォロワーが24万人を超したことから、ルベドマスクを装着した正体不明の二人組「ルベダリアン会人」とサポートドラムに再びユージ・レルレ・カワグチを迎え、『平沢進+会人(EJIN)』名義でライブ『24曼荼羅(不死MANDALA)』を開催。同ユニットで同年8月のフジロックフェスティバル'21の最終日の大トリとしてWHITE STAGEに出演した。
2023年2月3日、フジロックフェスティバルで新規にアレンジされて披露された楽曲群をスタジオ収録したアルバム『RUBEDO/ALBEDO -Songs for FUJI ROCK FESTIVAL 2019, 2021-』をBandcampにてリリースした。
2.4. その他プロジェクト
平沢進はP-MODELやソロ活動以外にも、いくつかの音楽プロジェクトやユニット活動を行っている。
1984年にはP-MODELと並行して実験音楽サンプリングユニット「旬」を結成し、1996年までにシングル・アルバム含め6作品を発表している。当時のサンプリングマシンは非常に高価で個人が気軽に所有できるものではなかったため、平沢はラジオカセットレコーダー2台を改造して自作サンプリングマシン「ヘヴナイザー」(Heavenizer英語)を制作した。
また、1987年頃からは関西のテクノユニット「4-D」の小西健司と共に「不幸を退治する」との名目でフロッピーディスクの往復書簡による遠距離での楽曲制作を開始した。この時に制作された楽曲は1996年に「不幸のプロジェクト」名義でアルバム『不幸はいかが?』として発売された。
2004年には、P-MODELとは異なるものとして、「核P-MODEL」名義で活動を開始。同年10月に『ビストロン』を発売後、断続的に活動を行っている。
2017年からはサポートメンバーである「会人」(EJIN英語)を加えたユニット「平沢進+会人」としても活動している。
3. 音楽性
平沢進の音楽は、多岐にわたるテーマと革新的な手法によって特徴づけられる。
3.1. 作風とテーマ
平沢のソロ作品のほとんどは、アルバム全体を通して聴くことで世界観が完成するコンセプト・アルバムである。特に1994年からインタラクティブ・ライブを開始して以降はその傾向が強まり、7thアルバム『救済の技法』ではインタラクティブ・ライブ『WORLD CELL』のストーリーに沿ってアルバムが制作されている。ただし、11thアルバム『点呼する惑星』では最初からアルバム中でストーリーが組まれ、それを解体、再構築する形でインタラクティブ・ライブのストーリーが作られている。
P-MODEL時代の音楽性の変遷と同等、あるいはそれ以上に、P-MODELからソロへの移行はかなり異質なものへの転換が意図されていた。その変化の大きさは、ソロ活動初期に寄せられた「こんな平沢に誰がした」という反応に大きく現れている。これに対し平沢は、「結果それでこそヒラサワ、あるいは完全に裏切られたという反応を期待しており、それなりに成功したおかげで今日までソロ活動を続けることができた」と述懐している。
P-MODELとの主な差別化は、ストリングス・セクションの大々的な導入と、アコースティック・ギターの使用であると述べている。ストリングスの音についてはメロトロンのような本人いわく「暗い音」を好んでおり、現在はEastWest英語社のHollywood Strings英語を使用している。12thアルバム『現象の花の秘密』ではこの音源を大々的にフィーチャーしている。かつてはソロでシャウトを使わないという制約も設けていたが、11thアルバム『点呼する惑星』の「Mirror Gate英語」で解禁した。
1994年、4作目となるソロ・アルバム『AURORA』からはゲスト・ミュージシャンを入れず、Amigaコンピューターを駆使し、一人でのソロアルバム制作を開始した。この頃、個人でのコンピュータとインターネットの利用を開始したことについて、「過去の経験全てが点と点が繋がる感覚で、想像が止まらない」と語っている。
平沢の音楽は、分析心理学、デジタル技術の進歩、陰陽思想、自然と機械の対立といった概念からインスピレーションを得ている。
歌唱においては、軍人のような低い声からシャウト、オペラのようなファルセットまで、様々な声色を使い分ける。平沢の独特なヨーデルのような唱法について質問された際、「江戸時代の消防士である火消しが歌う、木遣りというものからアイデアを得た」と答えている。
ソロデビュー前にはKORG M1を用いて、習作としてマンドレイク時代の楽曲『飾り窓の出来事』のエディットが行われており、長らく離れていたプログレにも接近している。このことから、レコードショップ『ショップメカノ』店長の中野泰博は平沢の音楽性を「現代のプログレ」と評している。バンドにおける制約を排した「なんでもあり」の音楽性が意識されている。
5thアルバムの制作中、平沢はタイへ渡航し、そこで出会ったSP-2の影響を受け、作風が大幅に変化した。同時期に活動を再開したP-MODELでの活動においても平沢ソロとの融合が図られ、民族音楽とテクノポップを融合したアジアン・テクノを打ち出した。
アジアン・テクノ路線も2000年の『賢者のプロペラ』以降は収束し、以降はアメリカ同時多発テロ事件やイラク戦争への疑問から、初期P-MODEL以降距離をとっていたディストピア的な世界観を前面に押し出したメッセージ性の強い楽曲を多く発表するようになる。還弦主義8760時間における過去曲の弦楽的アレンジ作品のリリース、Hollywood Strings英語を導入したアルバムの制作(『現象の花の秘密』)など弦楽的なアプローチを強める一方、核P-MODEL『回=回』やフジロック・フェスティバル2019での演奏からはサーフサウンドのスタイルも見て取れ、平沢ソロと核P-MODELとの融合が感じられる。
歌詞は先に楽曲を作成し、その音の制限内でテーマ上の歌詞を想像していくという手法を用いている。活動初期に歌詞を捻出するのが難しかった頃は、先に歌詞を書き楽曲を作成していたが、楽曲を先に作り「制限を重ねる」ことでむしろ想像の幅が一気に広がったとしている。
3.2. 文学・哲学からの影響
1970年代からSF小説の熱心なファンであり、幅広い読書家である平沢は、フランク・ハーバート、カール・グスタフ・ユング、河合隼雄、宮沢賢治、ジョージ・オーウェル、ヴィルヘルム・ライヒ、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ、セオドア・スタージョン、ニコラ・テスラ、カート・ヴォネガットらの作品からインスピレーションを受けている。
1980年代、平沢が精神的に不安定だった時期にユング心理学に傾倒するようになる。以後、作品の中に錬金術や神話的・仏教的用語が使われていることや、平沢作品のテーマである「全き人格の回復」など、ユング心理学(および河合隼雄、エーリッヒ・ノイマンの著書)の影響が強くなっていく。
歌詞作りにおいては宮沢賢治の作品が大きく影響しており、平沢の歌詞の特徴である「専門用語の多様」「言葉が描き出す世界観」など、宮沢賢治の作品の構成と類似する点が多く存在する。マンドレイク時代に平沢が歌詞作りに困っていた際、じょうじマョンのボーカリストから「ぜひとも、宮沢賢治を参考にしろ」という助言を受けたことがきっかけである。
音楽のリズム・パターンについては、「わたしは世の中で一番好きな音楽が『君が代』なんですけども。ああいう、先に日本語のノリがあった上で成立する音楽は素晴らしい。それはもうリズム・パターンにも影響してきますね。そういう意味で昭和初期の歌謡曲なんかほんとに歌詞の乗せ方からなにからお見事と言うしか言いようがない」と語っている。
3.3. タイでの経験と社会へのメッセージ
平沢の音楽にとって、タイ王国は常にインスピレーションの源となっている。1994年のプーケットへの旅行中、平沢はタイの文化、特にカトゥーイ(กะเทยタイ語、トランス女性のキャバレー・パフォーマー)に「タイショック」と呼ばれる衝撃を受け、感銘を受けた。彼はキャリアを通じて、数人のタイのトランスジェンダーパフォーマーを自身のアルバムの歌手やコンサートのゲストパフォーマーとして招いている。
タイへの度重なる訪問の後、平沢はタイのトランスジェンダーコミュニティとの繋がりを深め、彼らの社会における問題や経験を自身の作品に取り入れるようになった。2004年には、平沢と親交が深かった9人のSP-2が相次いで亡くなったことを受け、彼女たちを追悼するアルバム『SWITCHED-ON LOTUS』が制作された。SP-2の存在そのものが、平沢の創作意欲に大きな影響を及ぼしていると本人は語っており、彼女たちに対して深い尊敬の念を抱いていることがその言動から見て取れる。
幼少期から肉類が体質的に苦手で菜食中心の生活を送っていた平沢は、タイでの経験を経てそれらを「ピタゴリアン」(Pythagorean英語)と呼ぶようになった。
1994年から1998年、2000年、2007年にはファンクラブ旅行『万国点検隊』を開催。主にタイ王国を舞台とし、インタラクティブ・ライブで行われるようなゲームが展開された。1995年と1997年には、インタラクティブ・ライブやアルバムの物語の続編として行われた。2007年の万国点検隊を編集した映像作品『P-0』の売り上げは、現地の老人ホーム、聾学校、野犬保護施設に寄付されている。
2008年11月、タイ王国の平沢の友人である23人のSP-2との1994年からの交流から生まれたエピソードを、彼女たちの写真と共に綴ったエッセイ集『SP-2: タイのニューハーフ? いいえ「第2の女性」です』を自社出版した。
2011年3月11日、平沢がタイ王国滞在中に東日本大震災が発生した。3月21日には、被災された方々へ祈りを捧げるため、現地のวัดไร่ขิงタイ語寺院に依頼し、亡くなった方々の冥福と日本人の安全を祈願する僧侶たちの映像をインターネット上で発信した。
3.4. 音楽ジャンルへの見解
自身の音楽が西洋音楽のジャンル分類に当てはまることについて、平沢は以下のように述べている。
「私の音楽が奇妙なロックだとか、奇妙なテクノだとか言われるのは嫌いです。確かにこのジャンルは音楽シーンでは定義しにくいでしょう。なぜなら西洋の音楽チャートの基準を満たさないからです。だから、もしロック音楽評論家が私(と私の音楽)を評価しようとすれば、彼らができるのはアンビエント・ミュージックだとか、ドラッグを誘発する音楽だとかいうことだけです。(日本の音楽シーンは)ニューエイジやトランスパーソナリティといった用語を紹介する助けにもなりません。私は自分の音楽が、日本文化から生まれた音楽として、社会のより広い層に届くことを望んでいます。だからこそ、音楽シーンには存在しない世界と繋がりたいのだと思います。」
4. ライブパフォーマンスと技術
平沢進のライブパフォーマンスは、観客参加型の革新的な形式と、彼自身が開発した特異な機材の使用によって際立っている。
4.1. インタラクティブ・ライブ
平沢は、自身がリリースする主要なソロアルバムごとに、物語を語るためにコンピュータグラフィックスと音楽を融合させた観客参加型の革新的なコンサート形式「インタラクティブ・ライブ」(Interactive Live Show英語)を開催している。各ショーの流れは観客の参加によって決定される。例えば、『Interactive Live Show 2000 Philosopher's Propeller英語』は迷路形式で、観客は進む方向を選択するよう求められた。ある曲では、4台の携帯電話の電話番号が提供され、観客が電話をかけることで、平沢が対応する着信音を演奏し、背景音楽と着信音が即興のハーモニーを生み出した。1998年以降は、インターネットを通じた参加も可能となっている。
平沢のライブ音楽は、彼が自作した様々な機械で起動するサンプリング音源と、ボーカル抜きのプリレコーディングされたトラックで構築されている。『Solar Live英語』コンサートでは、電子機器のエネルギー源として太陽光発電と発電する車輪が使用された。
平沢はソロ活動を開始して以来、自身の周りのパフォーマーの数を減らすことに努めてきた。1992年以降のソロアルバムのほとんどにはゲストミュージシャンが参加しておらず、ライブでのバッキングバンドは1994年に廃止された。それ以来、ごく一部のショーを除いて、ゲストボーカリストやバッキングインストゥルメンタリストは参加していない。
ライブ活動においても当初はサポートミュージシャンを迎え、バンド編成でのライブを行っていたが、1990年の『世界タービン・ツアー』最終公演では『オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ナース』と名付けられた看護婦姿のオーケストラ隊が登場した。その後、1992年に行われたライブ『Hi-Res』ではコンピューターの同期を用いて完全に一人で演奏を行い、これが起点となり、1995年以降は基本的に平沢のみでライブを行うようになった。
レーザーハープなどの自作楽器の利用には、「音楽の身体性をデジタル世界で実現する」という共通テーマがあるとしている。平沢は「デジタル世界では、身体性が無くても音楽が成立してしまう。とすれば、ライブやショーの意味はどこにあるのか?人間がそこにいる意味は何があるのか?」と問い、「打ち込みで完成する音楽を構成する音楽家にとって、ステージ準備段階で仕事は完了してしまう。それでも『ヒラサワという人間』が見たいのだとすれば、自分がステージ上で動くという前提を作らなければならない。そこで『体が動くテクノロジー』を楽器に組み込むようにしている」と語っている。
平沢は元々生演奏におけるミュージシャン固有のニュアンスを排したかったと述べており、以降はP-MODELの再結成やソロ活動初期のようなバンド形式での活動には後ろ向きの態度をとるようになり、2004年に活動を開始した核P-MODELも、基本的には平沢のソロプロジェクトである。一方で、2012年のライブ『PHONON2555』にPEVO1号や元P-MODELメンバーの荒木康弘がサポートメンバーとして参加して以降は、サポートパフォーマーとしてゲストを迎えることも増え、バンド形式での活動も再び増加している。2017年に行われた『第9曼荼羅』より、正体不明のメンバー「会人」(EJIN英語)がサポートとして参加するようになり、2019年からは「平沢進+会人(EJIN)」というユニットとしても活動を行っている。
この「会人」は公演ごとに容姿が変化しており、『第9曼荼羅』では熔鉱炉マスクを装着した「黒会人」、『回=回』とフジロックフェスティバル'19ではペストマスクを装着した「白会人」、『会然TREK2K20』ではテレビの画面にTESLAKITEのロゴが入ったようなマスクを、『24曼荼羅(不死MANDALA)』・フジロックフェスティバル'21ではルベドマスクを装着した「ルベダリアン会人」となっている。
4.2. 使用楽器と機材
平沢は、自身の工学と機械のバックグラウンドに触発され、自作楽器を含む多様な楽器の選択で知られている。
4.2.1. ギター
平沢は日本の楽器メーカーが独自に設計したギターを好んで使用している。1980年代初頭に日本のエレキギターメーカーが海外デザインの量産コピーからオリジナルデザインへと移行する中、平沢は多くのユニークなモデルを演奏した。マンドレイクの末期からP-MODELの初期にかけての5年間で、彼はH.S. Anderson Rider、フェルナンデス Art Wave、ESP Random Starを使用し、それらをバーガンディ、イエロー、ブルー、ホワイトといった鮮やかな色に塗装していた。この時期、P-MODELのデビュー当初はH.S. Anderson製エクスプローラー型ギターのヘッドを削り、ボディを黄色に塗り替えて使用していた。後にこのギターはザ・グルーヴァーズに譲ったと語っている。1980年頃からは黄色から青色に塗り替えたフェルナンデス VK-7を使用。デヴィッド・ボウイのサインがボディー裏側に書かれていたが、このギターはその後行方不明となっている。中期P-MODEL時代ではフリクションのレックから借りたフェンダー製のムスタングをライブ・レコーディング等で使用していた。
1983年には、そのユニークな素材とデザインに惹かれ、東海楽器製造のTalboアルミニウムギターをメインギターとして使用するようになった。彼は11年間にわたり複数の東海Talboを使用し、このギターは彼のイメージに不可欠なものとなった。
1990年代半ば、東海楽器が財政難によりTalboの生産と顧客サポートを打ち切った後、平沢は1994年に自身のデザインによる木製ボディのTalbo型ギター「PHOTON」をフェルナンデスに特注した。「PHOTON」はその後、2014年に改修された際に「PHOTON(光子)」へ改称している。
2004年からは、Talboを愛用しその使用を継続したいと願う他のミュージシャンによって運営されているTalbo Secret FACTORYに、自身のデザインによるTalbo「ICE-9」(カート・ヴォネガットの小説『猫のゆりかご』に登場する同名の物質にちなんで命名)の製作を依頼し、所有するようになった。これは次の8年間、平沢のメインギターとなった。これを披露するため、2005年には同名のミニアルバムを制作している。2021年にはTalbo Secret FACTORYからTalbo「ICE-9」のシグネチャーモデルが数量限定で販売された。
平沢はその後もTalbo Secret FACTORYとの協力を続け、2011年には初期の東海モデルの一つを自身の新デザイン「ASTRO」に改造するよう依頼し、20年使用した「PHOTON」の新しい仕様での更新を求めた。2012年には、Secret FACTORYの共同設立者であるHISASHIから自身のデザインによるTalbo「EVO 0101Z」を贈られ、平沢はこれを新たなメインギターとして採用した。彼は標準モデルに加え、選択的な使用のためにシングルコイルピックアップを搭載した2本も所有している。
その他、平沢は特定の目的のために異なる種類のギターも使用しており、Ibanez X-ING IMG-2010やCasio MG500のようなMIDIギター、様々なアコースティックギターやクラシックギター、モズライトやジャガーのようなクラシックなサーフギター、そしてAria AS-100C/SPLサイレントギターなどを演奏している。
2009年には新たにモズライトギターを導入し、アルバム『点呼する惑星』や『BEACON』のレコーディングで使用されている。2017年のライブ『第9曼荼羅』からはGodin Grand Concert Duet Ambianceを導入し、その後のライブでも使用されている。2018年に購入した「Backlund400」は核P-MODELのアルバム『回=回』の制作、およびライブ『回=回』で使用された。2020年にはボディーカラーが抹茶色の「Mosrite PHYTOELECTRON」を制作し、ライブ『24曼荼羅』において使用された。
2024年開催のLIVE「HYBRID PHONON 2566⁺」において新たに、EVOのデザインを基に新たな平沢モデルである木製のEVO「PLANT-EVO」を制作、開発中のモデルを使用した。本人曰く、「植物性EVO」としている。また、現段階で商品化も検討しており、調整が進められている。
4.2.2. MIDIトリガー
1992年以降はカシオ・FZ-1を、パイプオルガンのパイプのように並んだチューブ管を介して鍵盤を操作する用に改造した、MIDIトリガー「チューブラHz」(Tubular Hertz英語)を用いていた。2001年開催の『LIVE SOLAR RAY』以降は節電のため、改造した自転車の車輪(ハブダイナモ発電装置)を用い、その電気で作動させたMIDIトリガーのスイッチを押すことで出音する楽器『グラヴィトン』(Graviton英語)を使用していた。
2008年のライブ『PHONON2551』からはミュージカル・テスラコイル「The Musical Tesla Coil Zeusaphone Z-60英語」を導入し、2009年のインタラクティブ・ライブ『点呼する惑星』からは発光ダイオードの光を遮ることでMIDIを操作するレーザーハープを使用している。レーザーハープは長年赤外線センサーの横形を使用していたが、2021年のライブ『24曼荼羅』からは最新鋭の認識センサーを導入し鳥居形に改造した。
2017年のライブ『第9曼荼羅』以降は、Novation社製MIDIコントローラのLaunchpadを用いたパフォーマンスを、サポートメンバーの会人に行わせている。また、ヤマハ・Miburiの使用者でもあった。このMiburiは専用トリガーが専用着衣の中に内蔵されており、それを着た人間の動きによってシンセサイザーが演奏できるシステムである。1995年に行われたライブ『INTERACTIVE LIVE SHOW 1995「SIM CITY」』、『ENDING ERROR』や2001年に行われたライブ『LIVE SOLAR RAY』でMiburiの演奏をしており、同名のライブDVDで演奏している姿が確認できる。
4.2.3. レコーディング機材
P-MODEL時代から自宅録音で制作された作品が多数あり、『賢者のプロペラ』以降のアルバムについては全て自宅スタジオの「Studio WIRESELF」(Studio WIRESELF英語)で録音されている。
1987年にはCG制作のために導入したAmigaでの楽曲制作を開始。1990年代初頭から『白虎野』まではAmiga用ソフトの「Bars'n Pipes」(Bars & Pipes英語)などで制作した音源をレコーディングなどにも流用し、2003年までのインタラクティブ・ライブは映像オペレーティングもAmigaで駆動されていた。また、この縁から2005年発表の「AmigaOS 4.0」で起動音を手掛けている。Amigaは「今やAmigaを維持するのはクラシックカーを維持するようなもので、コストがかかる」として、現在は全てMicrosoft Windows環境に移行している。
2003年の『BLUE LIMBO』以降導入したケークウォークのDAW「SONAR」(Cakewalk Sonar英語)を中心に、フリーソフトウェア・シンセサイザー「Synth1」(Synth1英語)や、EastWest英語製「Hollywood Strings」(Hollywood Strings英語)が主な音源となる。2017年、Cakewalk製品の生産終了を機に使用DAWをSONARからStudio Oneに乗り換えた。
また、音声合成を1980年代末より活用し、当初はAmiga内蔵の音声合成機能「Sayプログラム」(Say英語)を自身の楽曲やライブ演出で使用していた。P-MODELの楽曲「WIRE SELF」「ERROR OF UNIVERSE」、平沢の楽曲「QUIT」「UNDOをどうぞ」などで確認することができる。
アルバム『パプリカ オリジナルサウンドトラック』収録曲である「白虎野の娘」と、アルバム『白虎野』収録曲である「確率の丘」には「アマチュアでも使っているごく普通の廉価なヴォーカルエンジン」を使用していることを公式サイトで明らかにし、具体的にはLOLAであると明らかにした。ただし、平沢はヴォーカルエンジンのことを「お姉さんは磨けばプロになる」と表現している。
4.2.4. シンセサイザー
マンドレイク時代にCM音楽や放送劇等の効果音制作を行う会社に務めていた平沢は、会社が所有していたMoogの「Mini Moog」やArpの「Arp Odyssey」「Arp 2600」を使用し作曲していた。
初期のP-MODEL時代には「KORG 800DV」のピンク・ノイズとリングモジュレーターを活用し「ミュージカル・ホッチキス」を開発した。「美術館で会った人だろ」や「MOMO色トリック」の間奏で使用された。また、「KORG TRITON」「KORG 800DV」「Roland SH-3」を名器・革新的と評価している。
ソロ活動初期は「KORG M1」を中心に使用していた。1990年代のP-MODELやソロ活動において、DAWに完全移行するまでアナログ・シンセサイザーがレコーディングで使用されており、1999年当時は「Roland JD800」や「E-MU Proteus」などを使用していた。以後のレコーディングではフリーソフトシンセである「Synth1」を使用していた。
2021年にはErica Synthsのモジュラーシンセサイザー「Black System III」の購入を公表した。
5. 社会活動とメッセージ
平沢進は、音楽活動を通じて社会問題に対し独自の視点からメッセージを発信し、慈善活動にも取り組んでいる。
5.1. チャリティ活動
1988年、平沢はカセットブックを代々木のフリーマーケットでチャリティ販売した。このカセットブックには、このリリースのために特別に制作された3曲のオリジナル曲が収録され、自身の夢の分析と現在の経験を記した36ページの小冊子が付属していた。収益はすべて、P-MODELのアルバム『Scuba』や『Karkador』を制作していた頃に平沢がカウンセリングを受けていた心理学者が群馬県に設立した、精神障害者のためのボランティア福祉施設「人間大地・めざめの里」(Human Earth - Awakening Village英語)に寄付された。
2001年、平沢のスタジオに妊娠した野良猫が現れた。彼はその猫の世話をし、2001年から2002年にかけて4回の妊娠を手伝った。全ての子猫の世話ができないため、平沢は一時的なサイトを開設し、里親を募集し、様々な猫の福祉状況を追跡した。
1995年と1997年には、東南アジアで行われた万国点検隊ツアーのDVDの売り上げを、現地の老人ホームや子供たちの通う聾学校などに寄付している。
5.2. 反戦・平和への姿勢
平沢は幼少期、兄の平沢裕一と共に学生運動の映像を視聴し、裕一から何が起きているかを教えられた。
1980年代後期に偶然訪れた老人ホームで、太平洋戦争中に東南アジアへ派兵された元残留日本兵、菊池又衛に出会い、ガダルカナル島の戦いでの極限状態の体験を教えられた。
2000年まで平沢は政治性のある抗議から距離を取っていたが、2001年のアメリカ同時多発テロ事件後、2003年から開始されたイラク戦争におけるアメリカの報復攻撃や自衛隊派兵などへの疑問を抱いた。同時期のソロアルバム制作中に訪れたカンボジア内戦の大虐殺の痕跡を目の当たりにしたことも相まって、その抗議として「殺戮への抗議配信」をインターネット上で配信し、無料ダウンロード楽曲を2曲発表した。そのうちの1曲は1994年の「Love Song」の再録であり、戦場の子供たちについて歌われている。もう1曲は「高貴な城」(High-Minded Castle英語)で、メディアを通じて真実や背景を知ることができない男が、世界の裏側にある真の悲劇に立ち向かおうとする様子を描いている。後者はアルバム『Blue Limbo』からのものであり、このアルバムはアメリカ政府の報復に一部影響を受けたディストピア的なテーマを提示している。
平沢は「背景にある政治的な利害や、平和主義に情緒的に賛同はしない」とし、「国家は利害で動きます。自分の属する国家が結果として殺戮を容認する姿勢を見せようと、国民の一人として私は『それには同意しない』と、今ここに反戦の意思を表明します」と綴り、戦時下に留まらず、世界が子供たちを犠牲にすることに対して怒りを表明した。
フリーランスのジャーナリスト、独立系メディア、市民メディアを支援するため、平沢は独立系ニュースのBGMとして使用できる無料音楽アーカイブを開始した。彼はP-MODELの様々な関係者やメンバーに協力を求めたが、唯一参加したのはギタリストのPEVO 1号であった。アップロードされたファイルは、両ミュージシャンの楽曲のインストゥルメンタルミックスで、その中にはマスメディアによる偽りの現実の伝播をテーマにした『Vistoron』からの楽曲も含まれている。
2003年から2009年までの期間にはディストピアを前面に押し出した『BLUE LIMBO』、『白虎野』、『点呼する惑星』を発表。これらは後に『ディストピア3部作』と称される。2004年からは活動休止していたP-MODELを「核」としたソロユニット、「核P-MODEL」を開始。ソロも含め、以降はあらゆるディストピア的要素をコンセプトとし昇華した作品を発表している。
また、音楽のテーマに取り入れながらも「インターネット上などの発信を含め、これらは音楽のプロセスの為ですから、私の立場を既存的なカテゴリーや集団主義的な話と一緒にしないでください」としており、平沢は自社を含め、政治的な活動や団体への参加や関わりは持たないとしている。
5.3. 環境意識と持続可能なエネルギー
平沢は、2001年に持続可能なエネルギープロジェクト「Hirasawa Energy Works」(Hirasawa Energy Works英語)を開始し、自身の音楽制作の全ての電力を太陽光発電に委ねるライフスタイルへと移行した。二酸化炭素排出量を削減するため、Studio WIRESELFは2枚のソーラーパネルによる太陽光発電システムで完全に電力を供給されるよう設備が整えられ、当初は2つの自動車用バッテリーで余剰エネルギーを貯蔵していた。数年後、平沢はスタジオにさらに2枚のパネルを追加し、バッテリーの使用を廃止した。
Studio WIRESELFは当初、アナログとデジタルの大型機材で稼働していた。しかし、技術の進歩とHirasawa Energy Worksの下での制作の合理化に伴い、作業環境はソフトウェアシンセサイザーへと移行し、スタジオの物理的要素は1つのレコーディングブースと、平沢とエンジニアの鎮西正憲のための2つのワークステーションに縮小された。
平沢は震災発生による大規模停電時も、自作の蓄電システムにより問題なく、自宅にて電力を使用できているとしている。
「Hirasawa Energy Worksの主眼は発想の転換にあります。それは、節約、忍耐、といった省エネのネガティブな印象さえ変えてしまいます。Hirasawa Energy Worksでは、すでに自然界に豊かに用意されている、エネルギーの原野でのピクニックとも言えるでしょう。ですからHirasawa Energy Worksは、『環境保護』や『地球にやさしい』という言葉を好みません。保護されているのは我々だからです。Hirasawa Energy Worksは、その保護者へとアクセスするための、胸踊る探検なのです」と語っている。
また、エネルギー問題への意識に目覚めてからは、それまで所有していたシトロエン・エグザンティアをインターネットオークションで売却し、トヨタ自動車のプリウスを購入した。その後、2020年からは水素自動車であるトヨタ・MIRAIを所有している。
近場であれば自転車での移動を行い、用途によって通常のアップライト自転車とリカンベント(米Burley社のLimbo)を併用している。リカンベントは『RIDE THE BLUE LIMBO』のPVや、インタラクティブ・ライブ『LIMBO-54』などの作品で搭乗している。
5.4. 災害支援と社会問題への言及
2011年東北地方太平洋沖地震と福島第一原子力発電所事故の後、平沢はガイガーカウンターを持って全国を巡り、放射線レベルを測定して自身のTwitterアカウントで報告し始めた。2011年6月には、彼のサイトに「原子力」(原子力日本語、Genshiryoku英語)というタイトルの楽曲が投稿された。これは1984年のP-MODELの楽曲「BOAT」(『Scuba』収録)を「凝集する過去 還弦主義8760時間」プロジェクトのスタイルで再録し、歌詞を日本の原子力発電の使用に抗議し、政府とメディアを批判するものに変更したものであった。「ステルスマン」(Stealthman英語)名義のこの楽曲は、6日間のみサイトで公開されたが、改変せず非営利目的であれば再配布が可能であった。オリジナルが削除された後、平沢によってインストゥルメンタルミックスがサイトに投稿され、同じ配布ガイドラインが適用された。これらの出来事と並行して、平沢はTwitterで「ステルスマン」に襲撃され、自身のコンピューターとウェブサイトがハッキングされたという物語を語った。彼のツイートとウェブサイトでの投稿の言葉遣いを通じて、平沢はこの楽曲から効果的に距離を置き、自身の作品ではないと表明した。この楽曲は、カラオケサービスプロバイダーのJOYSOUNDのオンライン楽曲ライブラリで「ステルスマン」名義で利用可能となっている。
6. ディスコグラフィ
6.1. ソロ作品
- 『時空の水』(時空の水日本語、Jikū no Mizu英語、1989年)
- 『The Ghost in Science』(サイエンスの幽霊日本語、Saiensu no Yūrei英語、1990年)
- 『Virtual Rabbit』(1991年)
- 『Aurora』(1994年)
- 『Sim City』(1995年)
- 『Siren』(1996年)
- 『Technique of Relief』(救済の技法日本語、Kyūsai no Gihō英語、1998年)
- 『Philosopher's Propeller』(賢者のプロペラ日本語、Kenja no Puropera英語、2000年)
- 『Blue Limbo』(2003年)
- 『白虎野』(白虎野日本語、Byakkoya英語、2006年)
- 『Planet Roll Call』(点呼する惑星日本語、Tenko Suru Wakusei英語、2009年)
- 『The Secret of The Flowers of Phenomenon』(現象の花の秘密日本語、Genshō no Hana no Himitsu英語、2012年)
- 『The Man Climbing the Hologram』(ホログラムを登る男日本語、Horoguramu wo Noboru Otoko英語、2015年)
- 『Beacon』(2021年)
6.1.1. サウンドトラック
- 『新日本プロレス・スーパー・ファイターのテーマ日本語』(Shin Nihon Puroresu Sūpā Faitā no Tēma英語、プロレス試合、1980年)
- 『X-Bomber』(エックス ボンバー日本語、Ekkusu Bonbā英語、アニメ、1980年)
- 『Model House Works英語』(広告、1985年)
- 『Detonator Orgun』(アニメ、1991年-1992年)
- 『Glory Wars英語』(ライトノベル、1993年)
- 『剣風伝奇ベルセルク』(剣風伝奇ベルセルク日本語、Kenpū Denki Beruseruku英語、アニメ、1997年)
- 『Lost Legend英語』(テーマパーク演劇、1999年)
- 『Sword of the Berserk: Guts' Rage』(ベルセルク 千年帝国の鷹篇 喪失花の章日本語、Beruseruku Sennen Teikoku No Taka Hen Wasurebana no Shō英語、ゲーム、1999年)
- 『千年女優』(千年女優日本語、Sennen Joyū英語、アニメ、2002年)
- AmigaOS 4(オペレーティングシステム、2004年)
- 『妄想代理人』(妄想代理人日本語、Mōsō Dairinin英語、アニメ、2004年)
- 『ベルセルク 千年帝国の鷹篇 聖魔戦記の章』(ベルセルク 千年帝国の鷹篇 聖魔戦記の章日本語、Beruseruku Sennen Teikoku No Taka Hen Seima Senki no Shō英語、ゲーム、2004年)
- 『パプリカ』(パプリカ日本語、Papurika英語、アニメ、2006年)
- 『Dreaming Machine』(夢みる機械日本語、Yume Miru Kikai英語、アニメ)
- 『Berserk: The Golden Age Arc』(ベルセルク 黄金時代篇日本語、Beruseruku Ōgon Jidai-hen英語、アニメ、2012年-2013年)
- 『ベルセルク』(ベルセルク日本語、Beruseruku英語、アニメ、2016年-2017年)
- 『Opus』(アニメ)
6.2. 関連プロジェクト作品
6.2.1. 核P-MODEL
- 『Vistoron』(2004年)
- 『Gipnoza』(гипнозаロシア語、2013年)
- 『Kai=Kai』(回=回日本語、Kai ikōru Kai英語、2018年)
7. 出版物
7.1. 書籍
- 『Landsale - Record Copy Full Score英語』(田中靖美、秋山勝彦と共著、音楽春秋、1980年)
- 『P-Model英語』(I3 Promotion、1992年)
- 『ura P-mania - P-model no kako ha ikaga?日本語』(三角山通信、1995年)
- 『音楽産業廃棄物』(音楽産業廃棄物日本語、Ongaku Sangyō Haikibutsu英語、高橋かしこ著、ケイオスユニオン & ソフトバンクパブリッシング、1999年)
- P-Model Side - Open Source英語
- Hirasawa Side - 『卓上のウロボロス日本語』(Takujō no Uroborosu英語)
- 『Rev.2.0英語』(改訂増補版、Fascination & Book-ing、2005年)
- 『Rev.2.4 v2010英語』(改訂増補デジタル版、ケイオスユニオン & Fascination、2010年)
- 『SP-2: タイのニューハーフ? いいえ「第2の女性」です』(ケイオスユニオン & Teslakite、2008年)
- 『来なかった近未来』(来なかった近未来日本語、Near Future Never Come英語、ケイオスユニオン & Fascination、2012年)
7.2. その他出版物
7.2.1. ニュースレター
- Moire Club英語(Model House、1985年-1989年、全12巻)
- Hirasawa Bypass英語(I3 Promotion、1989年-1996年、全19巻)
- Green Nerve英語(ケイオスユニオン & Teslakite、1997年-現在、全37巻)
7.2.2. 特別リリース
- Another Papers英語(Model House & Personal Pulse、1983年)
- 『宴の栞日本語』(Utage no Shiori英語、DIW & SYUN、1994年)
- tokyo paranesian英語(I3 Promotion、1994年)
- Sim City Photographs英語(I3 Promotion、1995年)
- Interactive Live Show Vol.5英語(Hirasawa Bypass、1996年)
- p-model 1996英語(Hirasawa Bypass、1996年)
- Day Scanner of Susumu Hirasawa英語(ケイオスユニオン & Teslakite、1997年)
- 『錯乱の扉日本語』(sakuran no tobira英語、ケイオスユニオン & Marquee、1997年)
- World Cell - History of Interactive Live Show英語(ケイオスユニオン & Teslakite、1998年)
- A Young Person's Guide to Mandrake 1973-1978英語(ケイオスユニオン & Mecano、2006年)
- Live Byakkoya英語(ケイオスユニオン & Teslakite、2006年)
8. ライブ・コンサート
8.1. ソロツアーおよび単発コンサート
| 年 | 形態 | タイトル | 会場 | サポートメンバー |
|---|---|---|---|---|
| 1989年 | コンサートツアー | 第1回"時空の水"ツアー | DRUM Be-1 | ことぶき光:Key |
| 単発コンサート | 人間大地・めざめの里 Festival '89 | 人間大地・めざめの里 | 秋元一秀:Ba | |
| コンサートツアー | 第2回"時空の水"ツアー | 渋谷CLUB QUATTRO | ことぶき光:Key | |
| 単発コンサート | across the forewaters | 日本大学 芸術学部大講堂 | (ソロ) | |
| 1990年 | コンサートツアー | ライヴ・フォトン | 渋谷CLUB QUATTRO | ことぶき光:Key、Cho |
| 世界タービン・ツアー | MIDシアター | ことぶき光:Key | ||
| 単発コンサート | 人間大地・めざめの里 Festival '90 | 人間大地・めざめの里 | ことぶき光:Key | |
| ライブイベント | ERROR FORCE | 日比谷野外音楽堂 | ことぶき光:Key | |
| コンサートツアー | 世界タービン・ツアー Vol.2 | シアターアプル(昼夜2公演) | 戸川純:Cho | |
| 1991年 | ヴァーチュアル・ラビット・ツアー | 心斎橋CLUB QUATTRO | ことぶき光:Key | |
| ライブイベント | I3 DAYS | ON AIR | ことぶき光:Key | |
| 1992年 | Hi-Res | 渋谷公会堂 | (ソロ) | |
| I3 DAYS '92 | ON AIR | ことぶき光:Key | ||
| 1993年 | ERROR OF INFORMATION 待機 | 日比谷野外音楽堂 | (ソロ) | |
| I3 DAYS '93 | ON AIR | 高橋BOB:Ba | ||
| 1994年 | 単発コンサート | ERROR ENGINE 平沢三幕三時間 | 日比谷野外音楽堂 | 第一幕 |
| 1999年 | コンサートツアー | Live-Phonon 渡橋する声軍 | ON AIR EAST | 中野テルヲ:Systems |
| 2001年 | 単発コンサート | Hirasawa Energy Works - Solar Live LIVE SOLAR RAY | 科学万博記念公園 | (ソロ) |
| 2005年 | ライブ・トーク・イベント | -GREEN NERVE PRESENTS- 反射の集いは氷の9 | 南青山MANDALA(昼夜2公演) | ゲスト: |
| 2007年 | 単発コンサート | PHONON2550 | LIQUIDROOM ebisu | (ソロ) |
| 2008年 | PHONON2551 | 東京キネマ倶楽部 | ||
| 2010年 | PHONON2553 | LIQUIDROOM ebisu | ||
| 2011年 | 東京異次弦空洞 | SHIBUYA-AX | Neng:パフォーマンス | |
| 2012年 | PHONON2555 | ゆうぽうとホール | 荒木康弘:Timpani | |
| 2014年 | 平沢進×核P-MODEL HYBRID PHONON | エプソン品川アクアスタジアム ステラボール | PEVO1号:Gt、Laser Harp、Tesla Coil | |
| 2016年 | ライブ・トーク・イベント | 景観する循環カフェ | Star Pine's Cafe(昼夜2公演) | (観客参加:Cho) |
| 2017年 | 景観する循環カフェ(追加公演) | Star Pine's Cafe(夜公演) | ||
| 単発コンサート | 第9曼荼羅 | Zepp なんば大阪 | SSHO:Gt、Cello、Systems | |
| 2019年 | ロック・フェスティバル | '''平沢進+会人(EJIN) | 苗場スキー場 RED MARQUEE | 白会人SSHO:Gt |
| コンサートツアー | '''戦法STS | 恵比寿ザ・ガーデンホール | 白会人SSHO:Gt | |
| 2020年 | '''平沢進+会人(EJIN) | 会然TREK 2K20▼02 グランキューブ大阪 グランキューブ大阪 | 会人93317543:Gt、Cello、Systems | |
| 2021年 | 単発コンサート | 24曼荼羅 | 大阪 フェスティバルホール | SSHO:Gt、Cello、Dr |
| ロック・フェスティバル | 平沢進+会人(EJIN) | 苗場スキー場 WHITE STAGE | SSHO:Gt、Cello | |
| 2023年2024年 | コンサートツアー | 平沢進+会人(EJIN) | HYBRID PHONON 2566 グランキューブ大阪 グランキューブ大阪 東京国際フォーラム ホールA | 会人SSHO |
8.2. インタラクティブ・ライブ
| 年 | 回 | タイトル | 会場 | サポートメンバー |
|---|---|---|---|---|
| 1994年 | 1 | AURORA TOUR 1994 INTERACTIVE LIVE オーロラ伝説 | 大阪郵便貯金会館 | 戸川純:Cho、"マザー・オブ・ナバホ"役 |
| 2 | TOKYOパラネシアン | 日清パワーステーション | TAKA:Key、"電気ッTAKA"役 | |
| 3 | I3 DAYS '94「Adios Jay」 | LIQUIDROOM | 上領亘:アルゴリズム | |
| 1995年 | 4 | INTERACTIVE LIVE SHOW SIM CITY TOUR | スカラエスパシオ | Miss-N:Cho |
| 1996年 | 5 | INTERACTIVE LIVE SHOW Vol.5 SIREN | 大阪郵便貯金会館 | Miss-N:Cho |
| 1998年 | 6 | INTERACTIVE LIVE SHOW "WORLD CELL" | 中野サンプラザ | 福間創:System |
| 2000年 | 7 | INTERACTIVE LIVE SHOW 2000 賢者のプロペラ | BIG CAT | MIRAI:System、"スペース・ナッカドー"役 |
| 2003年 | 8 | Interactive Live Show 2003 LIMBO-54 | なんばHatch | (ソロ) |
| 2006年 | 9 | INTERACTIVE LIVE SHOW 2006 「LIVE 白虎野」 | なんばHatch | (ソロ) |
| 2009年 | 10 | INTERACTIVE LIVE SHOW 2009 「点呼する惑星」 | 江戸川区総合文化センター 江戸川区総合文化センター | A-sai:パフォーマンス、"Naangfaa 1"役 |
| 2013年 | 11 | INTERACTIVE LIVE SHOW 2013 「ノモノスとイミューム」 | 渋谷公会堂 | 折茂昌美:Vo、ナレーション、"サンミア"役 |
| 2015年 | 12 | INTERACTIVE LIVE SHOW 2015 「WORLD CELL 2015」 | TOKYO DOME CITY HALL | PEVO1号:Gt、Laser Harp、村正 |
| 2022年 | 13 | INTERACTIVE LIVE SHOW 2022 「ZCON」 | 東京ガーデンシアター | オリモマサミ:"シトリン"役 |
8.3. 万国点検隊
| 開催年 | サブタイトル | タイトル | 舞台 |
|---|---|---|---|
| 1994年10月12日 - 10月17日 | HIRASAWA BYPASS Presents 万国点検隊 | トビラ島大追跡旅行団 | タイ王国・プーケット県 |
| 1995年10月10日 - 10月14日 | 第二回万国点検隊 | วิวัฒน์ ธาราสงบ(ウィワット・ターラーサンゴップ)仮想救出移動団 | タイ王国・バンコク |
| 1996年10月16日 - 10月22日 | 第三回万国点検隊 | 偽装巡礼ソプラノ煩悩団 | マレーシア・クアラルンプール |
| 1997年10月28日 - 10月31日 | 第四回万国点検隊 | 非局所性緑色免疫団 | インドネシア・バリ島 |
| 1998年11月28日 - 12月3日 | 第五回万国点検隊 | 世界細胞組合合唱鉄橋団 | タイ王国・バンコク、ムアンカーンチャナブリー郡 |
| 2000年6月14日 - 6月19日 | 第六回万国点検隊 | 平行郷錬金術大プロペラ団 | ミャンマー・ヤンゴン、バガン タイ王国・バンコク |
| 2007年6月29日 - 7月3日 | 万国点検隊2007 | P-0 | タイ王国・プーケット県 |
8.4. ゲスト参加
| 年 | アクト | タイトル | 会場 | バンドメンバー | パート |
|---|---|---|---|---|---|
| 1978年 | The Bach Revolution | FM25時・サウンド・カーニヴァル | 東京郵便貯金会館 | 神尾明朗:Syn | Syn |
| 1986年 | THE LOODS | MORE LOUD MACHINE SESSION | 新宿ロフト | 西村茂樹:Vo、Gt | Key |
| 1991年 | ヤプーズ | ヤプーズ デ ラ クルスの犯罪的人生 | 渋谷公会堂 | 戸川純:Vo | Gt |
| SOFT BALLET | SOFT BALLET meets 平沢進 | 日清パワーステーション | 遠藤遼一:Vo | Gt、Vo | |
| 1992年 | 梅津和時 | 続々・大仕事 | 西荻窪アケタの店(昼夜2回) | 梅津和時:Sax | Com |
| 1994年 | ヤプーズ | I3 DAYS '94 TOKYO & OSAKA | 難波W'OHOL | 戸川純:Vo | Gt |
| TAKA | I3 DAYS '94 TOKYO & OSAKA | 梅田バナナホール | TAKA:Vo | ||
| 1995年 | LONG VACATION | LONG VACATION'S LAST TOUR of the 20th CENTURY | LIQUIDROOM | ケラリーノ・サンドロヴィッチ:Vo | Gt |
| 2006年 | 4-D mode1 | 『Die Rekonstruktion』発売記念ライヴ | 初台DOORS | 小西健司:Com、Vo | Com、Gt、Vo |
| 2009年 | DRIVE TO 2010 | 新宿ロフト | Gt(前もって録画された) | ||
| 2012年 | PEVO | PEVO!PEVO!PEVO! | 高円寺HIGH | PEVO1号:Gt | Gt、Vo(ヴォルキス・プロラデュークとして) |
| 2013年 | ケラ&ザ・シンセサイザーズ | ケラリーノ・サンドロヴィッチ・ミューヂック・アワー | 新宿ロフト | ケラリーノ・サンドロヴィッチ:Vo | Gt、Vo |
| 2014年 | PEVO | NEOZIC | 高円寺HIGH | PEVO1号:Gt | Gt、Vo(ヴォルキス・プロラデュークとして) |
| 2016年 | minus(-) | ecru | LIQUIDROOM | 森岡賢:Key、Vo | Gt、Vo |
| PEVO | Mock'n'doll show 2016 | 表参道GROUND | PEVO1号:Gt | Gt、Vo(ヴォルキス・プロラデュークとして) | |
| ヒカシュー | ヒカシューの絶景クリスマス | 代官山UNIT | 巻上公一:Vo | Gt、Vo |
9. メディア出演
9.1. テレビ・ラジオ
- アニマムンディ - ナレーション、1994年、TBS
- 輝け!噂のテンベストSHOW - 1996年、日本テレビ
- NEWS23 - インタビュー出演、2001年、TBS
- 80年代ニューウェーブ特集「P-MODEL」 - 「LIVE SOLAR RAY」放送、インタビュー出演、2001年、NHKBS2
- ニュース10 - インタビュー出演、2001年、NHK総合
- FUTURE TRACKS - インタビュー出演、2002年、テレビ朝日
- シネマ通信 - インタビュー出演、2006年、テレビ東京
- 最強ダークファンタジー「ベルセルク」TVシリーズ 7/1スタート記念特番 - インタビュー出演、2016年、WOWOW
- 平沢進のテクノ実験工房 - パーソナリティ、1994年 - 1995年、FM群馬
9.2. 寄稿
- ユリイカ2008年12月臨時増刊号 総特集=初音ミク ネットに舞い降りた天使
- 現代思想2011年9月臨時増刊号 総特集=緊急復刊 imago 東日本大震災と〈こころ〉のゆくえ
- 「医道の日本」2016年5月号
- 集英社「kotoba」2021年秋号 特集「人間拡張はネオ・ヒューマンを生むか?」
- ネオ・サピエンス誕生「ディストピアを脱却するためのデトックス」(2022年2月7日)
- 「文學界」2022年9月号「特集『声と文学』」(2022年8月5日)
10. 人物
平沢進の個人的な側面は、彼の音楽活動と同様に、機械への愛、独特なライフスタイル、そして社会に対する明確な視点によって特徴づけられる。
10.1. 家族と個人的習慣
2013年、兄の平沢裕一は茨城県つくば市にカフェバー「Gazio」(Gazio英語)をオープンした。「ニューウェーブ」カフェと銘打たれていたが、P-MODELと平沢のディスコグラフィーをテーマにした店であり、バンド関連の記念品が展示され、彼の楽曲にちなんだオリジナルカクテルが提供され、バンドメンバーや関係者による特別イベントやショーが頻繁に開催された。平沢はGazioのために独占コンテンツを制作し、兄に不要なものを与える習慣があるため、多くのスタジオやステージの品々がカフェに展示されていた。Gazioは2015年にレストランとしての営業を終了し、アートスタジオとして再ブランド化された。裕一は現在、吉祥寺で月2回の「Café Gazio」イベントを開催している。
平沢は1979年に喫煙を始め、2001年に禁煙した。それ以来、熱心な電子たばこの使用者となっている。彼はまた禁酒主義者でもあり、ビールをグラス1杯以上飲むと頭が「5倍に膨らんで爆発する」ような感覚に陥ると述べている。それにもかかわらず、以前は歌唱前に声を保つためにワインを飲んでいたが、現在はのど飴に置き換えている。
平沢は菜食主義者であり、以前に「とにかく肉は食欲をそそらず、気持ち悪い。肉を食べると疲れて吐き気がする」と述べている。彼はつくば市の自宅で、ペットの三毛猫「テビン」(テビン日本語)と共に暮らしている。自宅には庭もあり、そこで一部の食料を栽培している。また、豆乳ヨーグルトを作るために細菌を培養している。
10.2. 食生活と信条
平沢は、神道や仏教、その他のアジアの宗教や哲学の概念を繰り返し音楽のテーマに取り入れながらも、自身の信念を特定したことはない。しかし、かつては天皇の皇室崇拝を心理的な措置として回復させることを支持していた。「陛下は栄光を取り戻す必要があると思います。この点に関しては、私はある種右翼的です。日本の天皇は神としての象徴的な地位を取り戻す必要があります。しかしこれは集合的無意識の健全なプロセスのためであり、私の立場をすべての軍国主義的な議論と一緒にしないでください」と述べている。
父の峰石の遺言、「誕生日とは人様から祝われる以前に今日の日まで己として生き延びられたことのアリガタきを胸に我が現、幽玄、夢想に接続された森羅万象近隣界隈の生物、微生物、鉱物、ヒト、未知なる何かへの謝意を示す日なり」に倣い、年一度の謝意として「OKAGESAMADE」というタイトルの動画を2019年から毎年自身の誕生日に投稿している。
11. 評価と影響
平沢進は、その革新的な音楽性と先駆的な技術活用により、批評家や同業者から高い評価を受け、日本の音楽文化に多大な影響を与えている。
11.1. 批評的評価と受賞歴
2000年に行われた「インタラクティブ・ライブ・ショウ 2000 賢者のプロペラ」は、平成14年度のデジタルコンテンツグランプリ2001において「作品表彰の部」の最高賞である経済産業大臣賞、並びにエンターテインメント部門最優秀賞を受賞している。
2006年にアニメ映画『パプリカ』の劇伴を担当し、主題歌である「白虎野の娘」が米国で行われる第79回アカデミー賞歌曲賞のノミネート候補に選定された。その他、『パプリカ』の音楽は「東京アニメアワード 2007」にて個人部門・音楽賞を受賞している。
アメリカ最大の音楽レビューサイト「Rate Your Music英語」(RYM)の『史上最高の日本の音楽アルバム』では、ソロアルバム『救済の技法』が名邦盤ランキングにて第8位の評価を得ている。また、RYMの世界ジャンル別評価では『救済の技法』がプログレッシブ・ポップランキング5位、平沢のソロユニット核P-MODELの『回=回』がエレクトロ・インダストリアルランキング10位、また、2021年発売のソロアルバム『BEACON』が同年のRYM世界年間アルバム評価チャートにて、プログレッシブ・ポップ・アルバムで4位と高い評価を得ている。
米紙ペーストの「1994年のベストアルバム50選」ではソロアルバム『AURORA』が14位となった。
11.2. 音楽・文化への影響
ミュージシャン米津玄師は、平沢の楽曲「MOTHER」を人生を変えた一曲として挙げ、「全く聴いた事の無い新しい音楽なのだけど、どこか懐かしさ、郷愁感を宿している。そこには普遍的な何かがある」、「凄いバランス感覚で成立している音楽だなと、初めて聴いた時に思ったんです」と評し、強い影響を受けていると語っている。
福間創は、「年配の人たちが当時のニューウェイヴサウンドでいるのは構わない。その人たちにいつまでも新しい物を作り続けろというのも酷な話。ただ若い人達が昔のニューウェイヴに囚われすぎているのが気になる。あくまで『ニュー』ウェイヴなのだから、何十年も前のニューウェイヴサウンドを固持するのはニューウェイヴではない。コピバンとかで各自で楽しむ分は良いけれど、表現として昔の音を踏襲するだけではあまりにもつまらない。日本で一番、新しいことに挑戦し続けている人は平沢さんだと思っている」としている。
平沢の世界観に影響を受けたとしているラップシンガーのDAOKOは、「テクノの要素もあり、民族音楽に通ずるような独特な音楽」、「唯一無二の世界観と音で幅広い世代を魅了し続けている、日本一COOLなコンピューターおにいさん」などと語っている。
平沢を長年リスペクトしているとしている神聖かまってちゃんのの子は、「俺は平沢さんを本当のロックの精神を持ったバンドマンだと思ってる。世の為人の為だとか、ファンの為だとか、文化貢献の為じゃなくて、ただただ自分が作りたい音楽を作ってる。戸川純と二大巨頭で、エベレストの天辺に居る。唯一無二」と語っている。
過去のライブイベントやファンクラブ旅行などに協力してきた、レコードショップ『ショップメカノ』店長である中野泰博は、平沢の音楽性を「現代のプログレ」と評している。
劇伴でもタッグを組んだアニメーション監督の今敏は、平沢の世界観を敢えて単純化すると「相反するものの同居」と評しており、今敏自身の表現に最も影響を受けていると語っている。
精神科医の斎藤環は、「『音楽が直接世界を変えられるわけではない』『その当時の定義の仕方と距離感をおきたかった』と考えていた平沢は、その後も一貫して時流と対峙し、距離を測り続けてきた」とし、「(10年周期で)定期的にファンを裏切り、常にすべてと距離を保っている」と評している。
11.3. デジタル技術とインターネットの先駆者
平沢はデジタル技術やインターネットには黎明期から注目し、1990年代には「インタラクティブ・ライブ」やライブ配信、バーチャル・アバターによる演奏、インターネット上でのやり取りによる遠距離間での共同作曲、メジャー出身アーティストでは初のダウンロード配信を行うなど、未開の地を切り開いたとされる。斎藤環は平沢を「音楽業界では最も初期からデジタル・テクノロジーの可能性を追求し続けてきたアーティスト」とも評している。
1980年代末、P-MODELのライブ演出などで使用するためにパーソナルコンピューター「Amiga」を導入した。当時については「コンピュータについての知識ゼロ」、「まったくのドシロート」であったと平沢は語っており、更に輸入パソコンのAmigaにはマニュアルも無く、手探りでプログラミングやCGデザイン等を覚え、音声合成機能「Sayプログラム」等を含めた音楽への転用を模索していった。
1994年発売の4thアルバム『AURORA』からはゲスト・ミュージシャンを入れず、Amigaを駆使して平沢個人のみによる楽曲制作を開始した。
また、同年より活動再開した改訂P-MODELでは、インターネットをキーワードとしており、P-MODELのオフィシャルサイトではライブツアーやレコーディングの模様をMPEGファイルとして配信し、各メンバーが個人ホームページを開設してリスナーとの直接なやり取りが行われた。平沢も個人ホームページ『Ghost Web』を開設した。
1999年にはP-MODELやドイツのハンス=ヨアヒム・ローデリウスと小西健司とのプロジェクト『Global Trotters』のアルバムをインターネット上のやり取りのみで制作した。
2012年6月にはニコニコ生放送に出演し、約88000人もの来場者数を動員した。ファンのリクエストに答えて同年11月23日にもニコニコ生放送に出演し、こちらも約70000人が来場した。
2014年にはケイオスユニオンのYouTubeチャンネルを開設。公式ホームページや他サイト等で行った配信や動画のアーカイブ、ライブの無料同時配信等に利用していたが、インタラクティブ・ライブショウ「WORLD CELL 2015」の公演後より、「平沢進のBack Space Pass」と名したライブの後日配信を行っている。
1998年の『インタラクティブ・ライブショウ「WORLD CELL」』から2020年の「会然trek 2k20▼02」までの期間、毎ライブの無料同時配信を行っていたが、「音楽のライブ配信の活用を示す事としてやっていたが、今年から浸透し始めた」として有料の高画質ライブ配信の活用を開始した。
11.3.1. MP3音源の活用と楽曲配信
パソコン黎明期から音源のMP3に対して関心を持ち、1999年にソロ10周年・P-MODEL20周年記念として行われたプロジェクト『音楽産業廃棄物 P-MODEL OR DIE』において、P-MODELメンバーがMP3を用いて各自宅のみで楽曲を制作。インターネット上で公開ミックスダウンも行われた。MP3でファンがP-MODEL楽曲をリミックスするイベントも開催された。楽曲配信の弊害となるため、日本コロムビアとの専属契約を解除し、日経BPの協力によりP-MODELの音楽配信サイト『P-PLANT』を開設。アルバム『音楽産業廃棄物』や『VIRTUAL LIVE』シリーズが配信された。オンライン販売にはビットキャッシュの電子決算システム"BitCash"が利用された。このMP3による楽曲配信は、メジャーレーベルで活躍してきた日本のプロアーティストとして初めてとなった。
その後、MP3ファイルについては公式ウェブサイト内において未CD化曲の販売を行っており、また、ニューアルバムをリリースする度に収録曲の中から一曲またはアウトテイク数曲を無料配信している。2011年3月にはフリージャーナリスト・市民メディア向けに楽曲を無料配信を行った。同年6月24日にはパレード・パンクの期間労働者・ステルスマンなる人物にオフィシャルサイトを占拠され、楽曲「原子力」(P-MODELの「BOAT」を編曲・歌詞を改変したもの)を無料配信させられる。後に平沢はステルスマンから奪ったカラオケ音源をオフィシャルサイトで無料配信した。
MP3をインターネットそのものを含めて「表現者としてリスナーとコミュニケーションを取る新しい枠組み」と評価している。サブスクリプションサービスにおいては「然るべき努力を積み重ねてきた人たちが作った楽曲と、『できちゃったからアップしてみた』みたいな人の楽曲が、同じ土俵に上がっているのは問題といえば問題」としているが、「たとえばリスナーとしての自分は、曲単位で聴いても本当に『いい』と思えばアーティスト名も経歴も調べる。曲の良し悪しを超えて、そのアーティストのことをもっと知りたいと思うし、アルバムで聴きたくなる。つまり、アルバムは必然なんですよ。きっと、ファストフードのように消費される音楽がある一方で、手の込んだ料理を味わい尽くすように楽しむ音楽も存在する。そこはなくならないんじゃないかと思いますけどね」と語っている。
11.3.2. 著作権管理団体および大手レーベルからの撤退
それまで権利関係に疎かった平沢は、自分の楽曲の著作権が出版会社に永久譲渡という形で契約されていることを知った。出版会社は、日本音楽著作権協会(JASRAC)から分配された楽曲使用料(印税)のうち50%を控除し、残額をアーティストに分配していたことから、その出版会社が控除した楽曲使用料がどのように運用されるのか、平沢は説明を求めた。しかし、出版会社からは「プロモーションに努める」という回答しか得られず、どのようなプロモーションを行い、どれだけの対費用効果があるのか、平沢が納得できるだけの具体的な回答が無かった。出版会社の変更もレコード会社との関係で困難であったことから、「なぜ私の権利が私の選んだ出版会社と契約できないんですかと、一回ゴネたことある」と述べている。
その後、1999年にはP-MODELのアルバム『音楽産業廃棄物~P-MODEL OR DIE』をMP3で配信することを発表し、それに伴う大手レーベルからの撤退を発表する。以降は自社ケイオスユニオンよりTESLAKITEレーベルを設立。演奏権を除き、配信やレンタル、通信カラオケ等の著作権はNexTone(旧イーライセンス)に委託する契約を行っている。P-MODELとして活動した初期の楽曲については権利を永久譲渡しているため、2010年に平沢が発売した『突弦変異』の収録曲の一部である、P-MODEL時代の1stまた2ndアルバム曲のセルフカバーはJASRACに支払いを行った。
1999年に、P-MODELがMP3による新曲配信をMP3にて行っていくとしてメンバーの小西健司と福間創らと共に記者会見を開いた際には、「我々はメジャーから外されても自分たちの活動は変わらない自信があるし、曲を直接リスナーに届けたいという気持ちから、メジャーからの契約を打ち切って音楽配信に踏み込んだ。MP3形式のデータを聴けないユーザーにもCDのパッケージ販売も続けていく」と答え、「今後は、レコード会社に所属しないミュージシャンが増加するだろう。ミュージシャンの自立を怖がるレコード会社もあると思う。しかし、MP3形式によるデータ配信は在庫管理などの面から見ても人員削減以外によるリストラが可能になるなどマイナス面ばかりではないだろう」と語った。書籍『音楽産業廃棄物』では、「メジャーレーベルに属す限り、メジャーレーベルが売りたいと思える曲でなければ世に出せないのが現状です。インターネットなら際限がなく音楽を発信でき、そのアーティストの音楽を聴きたい人に直接届ける事が出来るわけです。遠くない未来に、このようなアーティストが台頭していくでしょう。大手レーベルならば儲ける事を強要されるが、インターネットでならリスナーとアーティストで作品を直接提供でき、どれほどお金が必要かは自分で決めれる。自分は音楽で大儲けしたいのではなく、音楽で生活が成り立てばいい」と語った。
2000年以降はケイオスユニオンが運営する公式ショップ「TESLAKITE ONLINE SHOP」によるインターネット通販が中心となっており、店頭在庫が存在する店舗はタワーレコードやHMVのような大都市部などのインディーズレーベルを大々的に扱っているCDショップに限られている。2000年発売の『賢者のプロペラ』以前の作品もボックスセット『HALDYN DOME』と『太陽系亞種音』の発売により、ほぼ全ての既発表音源が公式ショップで購入可能となった。また、2021年にリリースしたアルバム『BEACON』と、核P-MODELのアルバム『回=回』はBandcampにてアルバムダウンロード販売されている。
また、版権がポリドール(ユニバーサルミュージック)、日本コロムビアにあるオリジナル・アルバムについては2021年現在オリジナル・アルバムが2社から全て再販されており、iTunes Store等音楽配信サイトにてAACファイルの形で入手することが可能となっている。
音楽業界及びJASRACの著作権管理体制については厳しく批判している反面、リスナーによる個人間の二次利用については「資本主義と相容れない音楽の性質」として、自身への同一性保持権の侵害に該当しなければ基本的には黙認している。
11.3.3. Twitterの利用と活用手法
P-MODEL結成30周年、およびソロ活動20周年にあたる2009年に『凝集する過去 還弦主義8760時間』というプロジェクトを開始し、特設サイトではイントロダクションとして平沢による語りと今までのライブ音源やライブ画像、フライヤーが視聴、閲覧が可能であった。また、P-MODELと平沢ソロの楽曲をそれぞれストリングスアレンジしたアルバム『突弦変異』、『変弦自在』をリリース。
このイベントの一環として本人による公式Twitterのアカウントを開設。進捗状況の報告を行い、いくつかの発言がインターネット上で話題となった。スケジュールの都合により発売記念ライブは行わない予定であったが、Twitterのフォロワー3万人を突破した事により翌年に『東京異次弦空洞』が開催された。本来ならばTwitterアカウントはイベント終了後に削除する方針が示されていたが、ライブ『東京異次弦空洞』にてイベント終了後も運用を続行する旨が発表された。
以降はTwitterのフォロワー数に応じてインターネット上にて各種イベントを開催しており、2011年にはフォロワー数5万人突破記念として平沢の作業風景を合計5万秒配信する『Hirasawa監視50000秒』、2014年にはフォロワー数7万人突破記念として平沢が合計7万歩散歩をする『HIRASAWA追跡70000歩』がUstreamにて不定期配信された。2021年現在はアーカイブが公式Youtubeチャンネルで閲覧が可能となっている。
毎週水曜日以外の連日、フォロワー及びファンとの交流として21時から22時まで起承転結のツイートを行っている。所謂「人気物」や「大量消費」という扱いを好まないため(自身は「ステルスメジャー」と名乗っている)、人気が出て来ると意図的にファンを裏切り、常にすべてと距離を保ち、ファンから自身との距離を取らせている。TwitterやBSP配信では、フォロワー数が増えるとフォロワーやファン減らしの為の投稿や発言を敢えて行い、「平沢進」を疑わせ思考を促そうとする。
公式サイトやTwitter上での投稿はあくまでも仕事の一環として行っており、仮に個人的な利用なのであればプライベートな情報を日々公開する事は無いとしている。投稿はTweetDeckより行っており、「ファンからのリプライは画面上に自動的に流れていく」としている。
2017年にはTwitterフォロワー数が9万人を突破したことを記念し、5公演内でスネアドラムを合計9万打目指すライブ『第9曼荼羅』が開催された。なお、ゲストドラマーとして会人:鶴(TAZZ)またはP-MODEL改訂期の元メンバー、上領亘が参加した。その後、全公演通してのスネアドラムの打数が9万回を達成したことを記念して、音源「第9曼荼羅」が配信された。また、2021年にはフォロワー数24万人を突破したことによりライブ『24曼荼羅(不死MANDALA)』を開催した。なお、24曼荼羅ではドラムスにユージ・レルレ・カワグチが参加した。
12. 関連人物
- 平沢裕一(平沢You1) - 平沢進の兄。グラフィックデザイナーとして凍結までのP-MODELのアルバムジャケットやプロモーションビデオを手掛けた。マンドレイク時代は演出チーム「ディバイス・マンドラゴラ」を率い、P-MODELのメジャーデビュー後はセルフマネジメント事務所「MODEL HOUSE」リーダーを務めた。2013年4月より茨城県つくば市にカフェバー「Gazio」(Gazio英語)をオープンしたが、2015年11月をもってレストランとしての営業を終了し、以降は不定期に、イベント「Cafe Gazio」や「ゆるGazi」などを開催している。CDやグッズの通販サイト「GAZIO WEB SHOP」も運営している。
- 鎮西正憲 - 平沢進の音楽作品、ライブイベントに長年携わっている音響技術者(サウンド・エンジニア)、レコーディング・エンジニア。平沢が参加した今敏の映画作品「千年女優」、「パプリカ」のサウンド・エンジニアも担当。平沢曰く、「ヒラサワの音楽作品には絶対に欠かせない存在」としている。2018年に脳溢血で倒れ、2019年に言語障害が残りながらも現場に復帰。2022年の『INTERACTIVE LIVE SHOW 2022 「ZCON」』では、長年担当を躊躇していたPAエンジニアを担当。「復帰された鎮西さんは、これまで以上に笑顔とチャレンジ精神の溢れる方に進化された」と平沢は語っている。
- 中野泰博 - 元ディスクユニオン社員。中野ブロードウェイ3Fのレコードショップ『ショップメカノ』店長。ディスクユニオン時代から平沢とは親交があり、FC会報でのライブレポートや、万国点検隊の隊長を務めたお礼として、平沢は核P-MODELのメカノ限定シングルを提供した。
- 高橋かしこ - 編集者。記念本「音楽産業廃棄物」や作品のライナーノーツを手がけている。平沢進ソロ25周年記念企画の監修を務め、『初期三部作』のリマスター盤に解説を寄稿、ベストアルバム『Archetype英語』の選曲にも携わった。
- Shampoo - 1979年に結成された女性ユニット。当時シンセサイザー教室の生徒だった折茂昌美と足立眞理を、講師だった平沢がプロデュースした。1982年にデビューしその後、足立が1983年に脱退し折茂のソロユニットとなるが、1999年頃よりキーボーディストの鈴木KCが参加し、2011年に正式加入。2018年にKCが逝去し、再びソロユニットとなっている。折茂はのちに大病を患い右足を切断するも、楽器化した特注の義足を駆使して活動している。折茂は2005年のFC会員限定イベント「反射の集いは氷の9」にゲストとして参加。2013年には折茂がインタラクティブ・ライブ「ノモノスとイミューム」に登場人物の「サンミア」役として参加し、2015年には「World Cell 2015」に登場人物の「サリー」役として映像に出演している。2022年の『INTERACTIVE LIVE SHOW 2022 「ZCON」』には折茂が"シトリン"役として参加。
- 村田語(カタル) - パンクバンドニューロティカのメンバー。かつて平沢がプロデュースしたバンドTHE LOODSのメンバーであった。その時平沢がP-MODELの菊池達也が使用していたベースを譲り渡したものの、後にライブで壊してしまっている。
- デヴィッド・ボウイ - マルチ・アーティスト。1979年から1980年に知り合いの京都宅に滞在していた事で知られ、P-MODELの京都公演に観客の一人として参加。ライブ後に楽屋にボウイは訪れ、メンバー達と語らった。平沢は黄色から青色に塗り替えたFernandes VK-7(エレキギター)にサインをボディー裏側に書かれたが、このギターはその後行方不明となっている。
- ヴァン・ヘイレン - アメリカ合衆国出身のハードロック・バンド。当時P-MODELはワーナーの洋楽部門に所属しており、対バン希望について聞かれた際、テクノ以外のバンドと演りたいとして同じワーナーの洋楽部門所属のバンドのリストからヴァン・ヘイレンを希望した。1980年の来日ツアーをP-MODELが前座を務め、日本武道館での演奏も行った。楽屋でエドワード・ヴァン・ヘイレンとマイケル・アンソニーと仲良くなり、楽屋でP-MODELの曲を演奏した。平沢曰く、「ギターの人(エディ)はシャイでいい人」「ドラムの人(マイケル)は不思議な面白い人」だったと語っている。
- 今敏 - 漫画家、アニメーション監督。高校時代からの平沢のファンでもあり、表現スタイルに最も影響を与えたのは平沢の音楽であると語っていた。『千年女優』以降、『パプリカ』や『妄想代理人』などの音楽も平沢が担当した。平沢から先に作中曲を提供してもらい、それを聴きながらコンテを起こしていた。2010年、平沢も参加予定であった新作『夢みる機械』制作中に膵臓がんで逝去。2010年11月15日、平沢は「今敏監督を送る会」に参加。今が自身をなぞらえて最も気に入っていた黄鉄石を受け取り、自身の引き出しに閉まっている。
- 丸山正雄 - マッドハウス、MAPPA、スタジオM2の創業者であるアニメプロデューサー。今敏のプロデューサーを長年務め、今が2010年に新作「夢みる機械」の準備中に46歳の若さで亡くなった後に今敏作品の企画を一時的に凍結していたが、今が監督業を本格的に始める前に漫画化として連載していた『OPUS』をアニメーション化すべく、旧友である平沢進に再度劇伴製作を頼み、スタジオM2にて映像化する事を仏パリで行われたJAPAN EXPO 2017にて発表。2018年発表の核P-MODELのアルバム『回=回』には、『OPUS』というタイトル曲が収録、及び既に製作済みであり、同年の核P-MODELのLiveに丸山が訪れ、平沢と会っている。
- 秋元きつね - 丁稚奉公と称して1980年代後半から1990年代前半にかけてツアーライブや作品に参加。平沢を「師匠」と呼んでいた。平沢から学んだAmigaを使いCG作家としてデビュー。1999年にスクウェア・エニックスよりゲーム『せがれいじり』を発表。2014年、糖尿病の悪化により逝去。
- 三浦建太郎 - 漫画作品『ベルセルク』の原作者。学生時代からの平沢のファンであり、漫画制作中も楽曲を流しながら作業していた。ベルセルクのアニメ劇伴を平沢が担当するようになり、以降20年来の付き合いとなる。ゲーム『ベルセルク 千年帝国の鷹篇 聖魔戦記の章』主題歌の「Sign」、映画『ベルセルク 黄金時代篇』の主題歌「Aria」は三浦が作成した俗語一覧から平沢が作詞・作曲を行った。2021年5月20日、大動脈解離により急死。同日、平沢は自身の公式ホームページに「三浦建太郎先生の訃報に接して」と追悼文を掲載した。
- 戸川純 - 1983年に結成したヤプーズのリーダー。1991年には平沢がヤプーズのサポートに参加。同年にはTV番組「夢で逢えたら」のコーナー「バッハスタジオⅡ」にヤプーズで出演した。また、1990年~1994年にかけて戸川が平沢のライブにサポートメンバーとして参加している。平沢は「戸川純が居れば、下手な女性活動家は必要ないのではないか」と戸川の楽曲と活動姿勢をリスペクトしており、雑誌上やTVで音楽やジェンダーに関する対談を行っていた。
- 砂原良徳 - テクノミュージシャン、マスタリング・エンジニア。電気グルーヴ加入前に平沢ソロライブ「ヴァーチュアル・ラビット・ツアー」のサポートメンバーに参加し、平沢から解凍後のP-MODELへの加入を願われたが、石野卓球から電気グルーヴへの加入希望を先に言われていたこともあり、CMJK脱退後の電気グルーヴのメンバーとして同年夏に加入。1993年6月のキーボードマガジンでの平沢との対談では、「P-MODElフリークス」と紹介され、平沢の作曲テクニックを全て言い当てた。
- 巻上公一 - P-MODELと共に「テクノ御三家」と称されたヒカシューのリーダー。1990年に行われた平沢主催のライブイベント「ERROR FORCE」や2016年12月の「ヒカシューの絶景クリスマス」にて共演した。
- ケラリーノ・サンドロヴィッチ - 有頂天のリーダー。1980年代後半には初期P-MODELのコピーバンド「此岸のパラダイス亀有永遠のワンパターンバンド」を平沢と共に結成した。また、2013年「ケラリーノ・サンドロヴィッチ・ミューヂック・アワー/生誕50周年・ナゴムレコード30周年&新生記念・新宿ロフト4days」に平沢がゲスト出演し、2016年12月の「ヒカシューの絶景クリスマス」には「キューピッター」として参加した。
- 大和久マサル - 3DCGムービーの制作やゲーム系デザイン、映像ディレクションなどを手がけている。1998年にTOWN-0 PHASE-5のMV制作を、1999年にP-MODELの論理空軍のMV制作を担当。以降、平沢のMV制作の他、映像作品の編集やインタラクティブ・ライブの3DCGも担当している。自身のブログ上にて過去の資料や文書一覧を公開している。2012年、2013年には初音ミクのオリジナルMVも発表している。
- PEVO - P-MODELのコピーバンド大会「P-MANIA!」優勝バンド。バンドネームの由来はP-MODELとDEVOを掛け合わせたものであり、DEVOのような衣装が特徴的。1stアルバムはヴォルキス・プロラデューク名義で平沢がプロデュースを行った。メンバーのPEVO1号は、2014年のライブ「パラレル・コザック」「HYBRID PHONON」や、2015年のインタラクティブ・ライブ「World Cell 2015」にサポートメンバーとして出演した。
- 中井敏文 - 1993年に開催されたP-MODELコピーバンド大会の初代優勝者。その後平沢進のアルバムやビデオのデザインを担当する傍ら、小西健司の4-Dや中野テルヲのスタッフとしても尽力していた。近年の平沢進作品のアートワーク全般を手がけている。2021年5月24日には平沢の自社レーベル「TESLAKITE」よりアルバム2作品がリリースされた。
- 会人 - 読み方は「EJIN」。平沢進の2017年のライブ「第9曼荼羅」よりサポートメンバーとして参加している、謎の二人組。それぞれ松(SSHO)、鶴(TAZZ)と名がある。2019年7月にはペストマスクを装着した「白会人」が2018年の核P-MODELのライブ「回=回」に参加。2019年、会人がフジロックへの出演を模索しており、そのことを知った平沢はそれを支援する形で、平沢がゲスト出演する「会人(EJIN)+平沢進」という形式で企画書をSMASHに提出したところ、「平沢進+会人(EJIN)」という形式であればより広い会場を提供するとオファーされたため、ユニット「平沢進+会人(EJIN)」としてフジロックフェスティバル'19に出演した。同年11月のバトルスの来日ツアーには同ユニットにサポートドラマーのユージ・レルレ・カワグチと共に、オープニングアクトとしてツアーに帯同した。2021年にはルベドマスクを装着した正体不明の二人組「ルベダリアン会人」としてユージ・レルレ・カワグチと共に、『平沢進+会人(EJIN)』名義でのライブ『24曼荼羅(不死MANDALA)』に参加。同名義で同年8月のフジロックフェスティバル'21のWHITE STAGEに最終日の大トリとして出演した。2022年の『INTERACTIVE LIVE SHOW 2022 「ZCON」』にもサポートとして参加。
- 中村健寿 - 茨城県つくば市のヴィーガンラーメン専門店「KENJUキッチン」の店主。「KENJUキッチン創業三周年感謝祭」では平沢裕一が創業三周年記念グッズであるランチョンマットのデザインを行った。また、平沢進と対談収録がYoutubeチャンネルにて無料公開された。
- ベネディクト・シュナイダー(Benedykt Szneider英語) - 2014年に設立されたポーランドのゲーム会社「REIKON GAMES」のコンセプトアーティスト、クリエイティブ・ディレクター。長年平沢のファンであり、自身らが当時開発していたサイバーパンクゲーム『RUINER(ルイナー)』のゲーム内にて平沢の楽曲を使用するアイデアを持ち出し、ゲームとマッチするとわかり楽曲提供を平沢の事務所に依頼。その後平沢が許可を出し、ポリドール時代の楽曲「トビラ島」等をゲーム内楽曲として提供。『RUINER』は2017年よりSteam、PS4、Xbox Oneにて配信され、2020年にはNintendo Switchより配信並びにパッケージ版が発売された。
- ユージ・レルレ・カワグチ - 小学校の音楽室にあったドラムから叩きはじめ、高校卒業と同じくしてハードコアバンド"ROSEROSE"にて活動。メジャー活動を経て現在はフリーランス。ロンドン/日本/ストリートと国内外・場所を問わずで活動するドラムソロプロジェクト(#STDRUMS)としても活動中。シェイクスピア劇団『カクシンハン』では演奏&役者出演を担当。平沢が海外のドラマーをサポートとしてYouTubeで検索して探していた所、ロンドンの地下鉄内でのドラムパフォーマンス動画を発掘され、サポートドラマーとして呼ばれ、2019年末のバトルスの国内ツアー前座に「平沢進+会人」と共に参加。以降は2020年3月のライブ『会然TREK2K20▽03』、2021年の24曼荼羅、フジロックフェスティバル'21に「平沢進+会人」と共に参加。趣味は60~70年代のロックレコード収集・美味しいGUINNESSビールのお店探し。キング・クリムゾンやレッド・ツェッペリン等も好み、平沢とは倍ほど年齢が離れているがルーツが近しい為、平沢からも「話がよく合い、会話しやすい」とされている。
- ナカムラルビイ - 1996年1月10日生まれ。父親はドラムミュージシャン、俳優の中村達也。中学3年生時代に合法薬物バンド「酢酸カーミン」を発足。高校生時分には、当時のクラスメイトと「地下女子企画。」なるモツ投げ地下アイドルユニットを結成。同時期にDJも開始。2015年には、芝居方面でも表現の幅を広げ、田中要次監督作品などに出演。2019年3月には中村達也独り叩き旅にてソロサックスO.A.。同年7月、「太陽肛門スパパーン」にて『平沢進+会人(EJIN)』と同じくフジロックフェスティバル'19にてフジロック初出演。2020年、Freaky Style Locaの活動休止に伴い、説法パンクバンド「Buddhadatta」に加入。2022年3月開催予定のインタラクティブ・ライブ、『INTERACTIVE LIVE SHOW 2022 「ZCON」』に"ルビイ"役として参加。
- 吉田大八 - 映画監督。2013年、『桐島、部活やめるってよ』で第36回日本アカデミー賞最優秀監督賞、最優秀作品賞を始め各賞を受賞。学生時代から平沢のファンであり、「僕そのものの考え方を半分くらい作った」と語っている。2017年に三島由紀夫の小説「美しい星」の映画に平沢のソロ曲「金星」が提供されるにあたり、「CDジャーナル 2017年5月号」で対談が掲載された。
- 斎藤環 - 筑波大学医学医療系社会精神保健学教授。初期P-MODELからのファンであり、平沢とは2000年からの付き合い。2019年にはゲンロンカフェにて平沢と対談公演、配信を行った。自身のnoteでは『「平沢進」論』を寄稿している。
- 八木智晴 - デザイナー。回=回より平沢のステージ衣装を手掛ける。また、平沢は八木氏デザインのシャツも所有している。