1. 概要
林芳正は、日本の政治家であり、自由民主党に所属する衆議院議員である。2023年12月からは内閣官房長官を務め、それ以前には防衛大臣、経済財政政策担当大臣、農林水産大臣、文部科学大臣、外務大臣といった主要な閣僚ポストを歴任してきた。1995年に参議院議員として初当選し、5期務めた後、2021年に衆議院に鞍替えし、山口県第3区から選出されている。
林は、経済の活性化、財政の健全化、国際協調を重視する中道保守的な政治姿勢を持つ。特に、自由民主党の派閥である宏池会に所属し、経済的繁栄、自由主義的価値観、そして国際協力に重点を置くことで知られている。彼のキャリアは、商社勤務から米国での政治経験を経て、日本の政界へと進んだ異色の経歴を持つ。また、日中関係においては「知中派」を自任し、対話と協調を重視する姿勢を示している。一方で、政治資金や外交上の発言を巡る疑惑や批判も報じられており、その政治手腕と倫理的側面は常に注目されている。
2. 初期生い立ちと教育
2.1. 出生と家族背景
林芳正は1961年1月19日に東京都で、通商産業省の官僚であった父・林義郎と母・万里子の長男として生まれた。林家は山口県下関市にルーツを持ち、醤油醸造業の「大津屋」を代々営む旧家である。父・義郎が1969年の第32回衆議院議員総選挙に旧山口1区から立候補するのに伴い、一家は下関市へ転居した。林芳正は、高祖父の林平四郎、祖父の林佳介、父の林義郎と続く、4代目の政治家として知られている。母方の祖父は宇部興産の創業者である俵田明であり、林家は政界だけでなく実業家界にも多くの人材を輩出してきた家系である。
2.2. 学歴
林は下関市立文関小学校、下関市立日新中学校を経て、1979年に山口県立下関西高等学校を卒業した。その後、東京大学に進学し、1984年に東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業した。大学時代は大学の合唱団に所属する傍ら、ロックバンドでも活動していた。卒業後、1991年4月にはアメリカ合衆国のハーバード大学大学院に特別研究生として入学し、1992年9月にはハーバード大学ケネディ・スクールに入学した。1994年6月に同スクールを修了し、公共経営修士(MPA)の学位を取得している。妻の林裕子も東京大学を卒業後、マサチューセッツ工科大学で技術政策の修士号を取得している。
3. 初期キャリア
3.1. 三井物産および米国での活動
東京大学を卒業後、1984年に三井物産に入社し、物資部のタバコ課に配属された。当初、林は父と同じ政治家の道を歩むつもりはなく、政府機関ではなく商社への就職を選んだ。しかし、ニカラグアでのタバコ契約更新のための短期赴任中に、進行中の内戦の影響を目の当たりにし、安定した政府の重要性を痛感したことで、政治家への道を志すようになった。三井物産では他にも、当時同社にとって主要なタバコ供給源であったノースカロライナ州など、いくつかの海外赴任を経験している。
1989年に三井物産を退社し、林家のファミリー企業であるサンデン交通に入社し、社長秘書を務めた。1990年には山口合同ガスに入社した。1991年9月からはアメリカ合衆国下院議員のスティーブン・L・ニールの銀行委員会スタッフとして、また1991年11月からはアメリカ合衆国上院議員のウィリアム・V・ロス・ジュニアの国際問題アシスタントとして勤務した。ロス議員のスタッフ時代には、モーリーン・アンド・マイク・マンスフィールド財団のマンスフィールドフェローシッププログラムの設立に貢献した。
3.2. 政界進出
林は1989年に三井物産を退社し、政治家としてのキャリアを追求することを決意した。1992年12月、父・林義郎が宮澤改造内閣で大蔵大臣に就任した際、大学院を休学して帰国し、父の大臣秘書官を務めた。1993年には国会議員政策担当秘書資格試験に合格し、1994年8月からは父の政策担当秘書となった。この経験が、彼が政界に本格的に足を踏み入れる契機となった。
4. 参議院議員時代
4.1. 初当選と初期の活動
林芳正は、1994年の衆議院議員選挙区画定審議会による区割り変更により、父・義郎が比例中国ブロックへの転出を余儀なくされたことを受け、1995年7月の第17回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で山口県選挙区から立候補した。無所属現職の山田健一らを破り、初当選を果たした。参議院議員としての初期の活動では、行政改革や税制改革に重点的に取り組んだ。
その後も、2001年の第19回参議院議員通常選挙で再選、2007年の第21回参議院議員通常選挙では、自由民主党に逆風が吹く中で民主党候補を大差で破り3選を果たした。2013年の第23回参議院議員通常選挙では現職大臣として、また2019年の第25回参議院議員通常選挙でも圧倒的な得票数で当選し、参議院議員として計5期を務めた。
4.2. 主要な役職と委員会活動
参議院議員在任中、林は数々の主要な役職を歴任した。1999年10月には小渕第2次改造内閣で大蔵政務次官(主に参議院答弁担当)に任命された。2004年10月には参議院外交防衛委員長に就任し、2006年には第1次安倍内閣で内閣府副大臣を務めた。
自由民主党内では、伝統的に経済的繁栄、自由主義的価値観、国際協調を重視し、ナショナリズムへの傾倒に反対する穏健保守の立場を取る宏池会に所属した。父・義郎や元首相の宮澤喜一もこの派閥に属していた。2009年9月には谷垣禎一自由民主党総裁の下で政務調査会長代理および参議院政策審議会長に就任。2010年には参議院議員副会長に昇格し、党の「シャドウ・キャビネット」では財務金融部会長として「影の財務大臣」を務めた。また、参議院憲法審査会会長や環太平洋パートナーシップ協定等に関する特別委員長も歴任するなど、幅広い分野で活動を行った。
5. 国務大臣としての経歴
5.1. 防衛大臣

林芳正は、2008年8月1日に福田康夫改造内閣において防衛大臣に就任し、初めての入閣を果たした。しかし、福田康夫首相の突然の辞任に伴い、わずか1ヶ月あまりの同年9月24日には退任することとなり、後任には浜田靖一が就任した。
5.2. 経済財政政策担当大臣
2009年7月2日、林は麻生内閣において内閣府特命担当大臣(経済財政政策)に任命された。これは、中川昭一の辞任により兼務していた与謝野馨の兼任を解くための補充人事であった。しかし、同年8月の第45回衆議院議員総選挙における自民党の惨敗と野党転落に伴う麻生内閣の総辞職により、この職務も約2ヶ月という短期間で退任することとなった。
5.3. 農林水産大臣

2012年12月26日に発足した第2次安倍内閣において、林は農林水産大臣に任命された。この任期は2014年9月3日の内閣改造まで続いた。その後、後任の西川公也がスキャンダルにより辞任したため、2015年2月23日から同年10月7日まで再び農林水産大臣を務めた。
国内市場の縮小が進む中、林のリーダーシップの下で多くの農業政策は輸出志向に転換された。彼は「FBI」戦略を推進した。これは、海外で日本食文化を広める「Food from Japan」、海外での日本企業による食品ビジネスを育成する「Food Business by Japanese companies」、そして日本産の食品を輸出する「Food in Japan」という3つの柱からなる戦略である。この戦略の結果、2012年まで年間約4500.00 億 JPYで停滞していた日本の食品輸出額は、2015年には7450.00 億 JPYに増加した。
5.4. 文部科学大臣
2017年8月3日、林は第3次安倍第3次改造内閣において文部科学大臣に任命された。この人事は、加計学園問題を巡り文部科学省のガバナンスが揺らぐ中で行われた。同年11月に発足した第4次安倍内閣でも引き続きこの職を務め、2018年10月の内閣改造まで在任した。文部科学大臣として、2018年3月には高等学校学習指導要領の改訂を行った。
5.5. 外務大臣

2021年11月10日、林は新たに発足した第2次岸田内閣において第151代外務大臣に就任した。就任翌日の記者会見では、職務遂行上の無用な誤解を避けるためとして、日中友好議員連盟会長の辞任を表明した。
外務大臣として、林は活発な外交活動を展開した。2022年4月には、日本の外務大臣として初めてNATO外相会議にブリュッセルで出席し、国際的な安全保障協力における日本の役割を強化する姿勢を示した。同年5月7日には、フィジーのフランク・バイニマラマ首相と会談した。

同年7月には、安倍晋三元首相の弔問外交で来日した韓国の朴振外相と日韓外相会談を行い、徴用工問題の早期解決について一致した。8月にはASEAN関連外相会議出席のためカンボジアのプノンペンを訪問し、日韓外相会談を継続して両国間の懸案協議を加速させることで合意した。

同年9月22日には、ブリンケン国務長官、韓国の朴振外交部長官と会談した。

2022年11月2日から6日にはドイツを訪問し、ドイツのアンナレーナ・ベアボック外務大臣と会談した。この会談では、安全保障協力、経済的パートナーシップ、ウクライナ紛争の影響などが議論された。林は国連やG7などの多国間フォーラムでの協力の重要性を強調し、両国の経済関係や文化交流の重要性も訴えた。この訪問は、規則に基づく国際秩序と持続可能な発展に対する日独両国の共通の取り組みを明確にするものとなった。
2023年1月11日には、浜田靖一防衛相、アントニー・ブリンケン米国務長官、ロイド・オースティン国防長官と日米安全保障協議委員会を共同開催した。

5.6. 内閣官房長官

2023年9月の内閣改造で外務大臣を退任し、自民党税制調査会小委員長に就任していた林芳正は、同年12月14日、自民党5派閥の政治資金パーティーをめぐる裏金問題で松野博一が辞任した後任として、内閣官房長官に就任した。
2024年10月1日に発足した第1次石破内閣でも内閣官房長官に再任され、同年10月31日の第50回衆議院議員総選挙で再選を果たした。さらに、同年11月11日に発足した第2次石破内閣においても引き続き内閣官房長官を務めている。
6. 衆議院議員への転身と活動
6.1. 衆議院への鞍替えと選挙
林芳正は、2021年7月15日に記者会見を開き、参議院議員を辞職し、同年中に予定されていた第49回衆議院議員総選挙に山口県第3区から立候補する意向を表明した。これは、参議院から衆議院への鞍替えを意味し、長年の懸案であった山口3区の現職議員河村建夫との保守分裂選挙の可能性が浮上した。林の衆議院転出については、2012年と2017年の自民党総裁選出馬時にも期待の声が上がっていたが、河村の反発により実現しなかった経緯があった。
2021年の萩市長選挙では、林が支援した現職の藤道健二が河村の弟である田中文夫に敗れたものの、林の出馬表明記者会見には山口3区内の多くの首長が顔を揃え、山口県議会の自民党所属全議員からの支援を取り付けるなど、「地元の総意」を強調した。同年8月16日、林は参議院議員の辞職願を提出し、許可された。
同年9月29日に行われた自民党総裁選で岸田文雄が当選し、林が所属する宏池会が「総裁派閥」となった。これを受け、10月1日には党山口県連が林を山口3区の公認候補とするよう党本部に推薦した。10月13日、自民党本部は河村に対し衆議院議員総選挙への候補者見送りを要請し、甘利明幹事長と遠藤利明選対委員長が、林との支持率にダブルスコア以上の差があるという最新の情勢調査結果を示した結果、河村は政界引退を決意し、党本部からの調整案を受け入れた。これにより、保守分裂は回避された。
同年10月31日の第49回衆議院議員総選挙において、林は山口3区で76.94%の得票率を獲得し、衆議院議員に初当選した。2024年10月31日の第50回衆議院議員総選挙でも再選を果たしている。
7. 自由民主党総裁選挙への出馬
7.1. 2012年総裁選挙
2012年9月、林芳正は自由民主党総裁選挙に立候補を表明した。これは、1972年に総裁選挙に推薦人制度が導入されて以来、参議院議員が立候補する初の事例であった。選挙戦では、「首相は衆議院議員であるべきだ。なぜなら、衆議院議員は選挙を招集する際に自身の議席を危険にさらすからだ」と述べ、参議院議員である自身の立場が不利に働く可能性を認識していた。1回目の投票では27票を獲得するに留まり、5名の候補者中、最下位に終わった。最終的には安倍晋三が当選した。

7.2. 2024年総裁選挙
2024年8月16日、林は同年9月の自民党総裁選に出馬する意向を固めたことが報じられ、9月3日には国会内で記者会見を開き、正式に立候補を表明した。出馬会見では、「人に優しい『仁』の政治。慈しみ、思いやりの志で政治を行いたい」と自身の目指す政治を強調し、「国民の共感を得られる政治を取り戻す」と語った。同年9月27日に行われた投開票の結果、林は9人中4位となり、8.84%の得票率を獲得した。この結果は「ポスト石破」をうかがえる一定の評価を得たものとされている。
8. 政策と主張
8.1. 外交・安全保障
林芳正は、自衛隊の存在を憲法に明記することにやや賛成の立場を取っている。新型コロナウイルス感染症が拡大する北朝鮮に対しては、国交がないことを理由に放置すべきではないとし、人道支援の意向を示している。
外交政策においては、日中友好議員連盟の会長を務めた経緯から一部で「親中派」と評されることもあるが、林自身は「知中派」を自認しており、「米国の中で知日派という言葉があるように知中派であってもいい。媚中ではいけない」と述べている。2019年5月には、日中友好議連会長として訪中した際に、「この一年は日中関係にとって非常に画期的な一年となった。現在の令和という元号のように麗しく、ハーモニー、『和』があるという状況になっている」と発言した。外務大臣就任に伴い、職務遂行上の無用な誤解を避けるためとして日中友好議員連盟会長を辞任している。
2022年5月には、韓国の尹錫悦大統領の就任式に合わせて訪韓し、朴振外相候補(当時)と会談した。この会談では、厳しい地域情勢の中で早期の日韓関係改善が不可欠であるとの認識で一致し、未来志向的な関係発展について協議を行った。林は朴振にハーモニカを贈呈し、朴振は「韓日関係がハーモニーを奏でるだろう」と応じた。
同年4月23日には、ラーム・エマニュエル駐日米大使とともにアメリカ海軍の原子力空母、エイブラハム・リンカーンを視察した。これは、厚木基地からMV-22に乗り、太平洋上に展開する同艦を訪問したものである。
8.2. 経済・財政
林は、消費税の引き上げに対して肯定的な立場を取っており、2014年4月に予定されていた8%への引き上げ、および2019年10月に予定されていた10%への引き上げについても、「法律に従い、引き上げるべき」と回答している。
財政再建については、2015年に国会に経済・財政に関する独自の調査機能を持たせるための議員立法を検討し、2021年には国のばらまきを監視する独立機関の設置を目指す超党派の議員連盟の共同代表発起人となった。彼は、積極財政による物価上昇で政府債務の実質的な目減りを目指すシムズ理論のような「うまい話は眉唾だ」と非現実的であるとの見解を示しており、「基礎的財政収支の黒字化を達成し、常に財政健全化を進めている姿勢を堅持することが必要」と強調している。
日本経済を立て直す鍵は「モノづくり」にあるとし、スタートアップ企業が創業しやすい環境を整備することで経済の勢いを取り戻すと主張している。また、池田勇人首相が掲げた所得倍増計画に倣い、令和の日本が目指すべき「大きな枠組み」を示すべきだとしている。脱炭素化のためであれば、原子力発電への依存を容認すべきだとの見解も示している。
8.3. 社会政策
社会政策に関して、林芳正は2016年12月9日の第192回国会において部落差別の解消の推進に関する法律案に賛成票を投じた。
一方で、選択的夫婦別姓制度については「どちらとも言えない」と回答しており、同性婚を法律に明記することには「やや反対」の立場を示している。
9. 人となり
9.1. 趣味と関心事
林芳正は多趣味な人物として知られており、特に音楽活動に熱心である。浜田靖一、小此木八郎、松山政司といった自民党の同僚議員と共にバンド「Gi!nz(ギインズ)」を結成し、ライブ活動も行っている。バンドではボーカル、ギター、ピアノを担当し、作曲も手がける。幼稚園の頃から母親の意向でピアノを習い、小学校からはバイオリンを始めた。中学生の頃からバンド活動を始め、高校ではベースやキーボードを担当し、大学からはギターも始めたという。外務大臣時代には、G7外相会合の夕食会でジョン・レノンの「イマジン」を即興でピアノ演奏する「ピアノ外交」で注目を集めたが、最も得意な楽器はギターであると語っている。
音楽活動の他にも、カラオケやゴルフ、テニスを趣味としている。
9.2. 家族
林芳正は林裕子と結婚しており、夫婦には2人の娘がいる。妻の裕子は山口大学大学院技術経営研究科の特命教授を務めている。長女は1994年生まれである。
10. 家族と親族
10.1. 家系と主要な親族
林家は、山口県下関市で代々醤油醸造業「大津屋」を営む旧家であり、その起源は1717年に遡る。天明年間(1781年から1789年)に初代・平次郎が向津具村から赤間関(現在の下関)に移り住み、米や質屋の商売で財を築いたとされる。明治時代に戸籍制度が実施されて林姓を名乗るようになった。また、林家はサンデン交通や山口合同ガスといった地域の主要企業の経営にも深く関与している。
林家は政界にも多くの人材を輩出してきた。
- 高祖父:林平四郎 - 林家4代目。衆議院議員、貴族院議員を歴任した資産家で、大津屋本店、春帆楼、生蝋醤油醸造業、料理旅館業を営んだ。1941年12月11日死去。正五位を追贈。
- 曾祖父:林長五郎 - 林平四郎の長男。
- 祖父:林佳介 - 実業家、衆議院議員(日本進歩党)。
- 父:林義郎 - 衆議院議員(自由民主党)。厚生大臣(第1次中曽根内閣)や大蔵大臣(宮沢改造内閣)を歴任した。
- 母:林万里子 - 祖父は宇部興産社長の俵田明。父は宇部興産副社長を務めた俵田寛夫(三井鉱山取締役を務めた属最吉の二男で俵田明の婿養子)。朝鮮出身の音楽評論家である属啓成(旧姓名:朴啓成)は義弟にあたる。
- 叔父:林孝介 - サンデン交通取締役会長、山陽自動車学校相談役、山口県バス協会会長理事、大津屋前代表取締役社長。
- 従弟:林俊作 - 叔父林孝介の長男。大津屋代表取締役社長、山口県PTA連合会会長。
- 妹:林玲子 - 国立社会保障・人口問題研究所副所長。
- 弟:林哲郎 - 三井物産勤務。
- 妻:林裕子 - 山口大学大学院技術経営研究科特命教授。
- 長女:温子(1994年生)。
- 次女:氏名不詳。
縁戚には、宇部興産副社長を務めた祖父の俵田寛夫、元大分県知事の義叔父広瀬勝貞、株式会社テレビ朝日顧問で元日本民間放送連盟会長の広瀬道貞、元富士紡績代表取締役社長の広瀬貞雄などがいる。
11. 疑惑と批判
11.1. 年金未納および政治資金問題
2004年、政治家の年金未納問題が注目された際に、林芳正の年金未納が発覚した。
2015年3月には、政府から補助金を受けた企業から合計60.00 万 JPYの寄付を受けていたことが報じられた。さらに、地元山口県の同一の個人が経営する2社が、2013年10月に合計200.00 万 JPYの政治資金パーティー券を購入しており、政治資金規正法第22条の8で定められた「同一の者から150.00 万 JPYを超えて政治資金パーティーの対価の支払いを受けてはならない」に違反する疑惑が指摘された。これは、150万円の制限を逃れるための分担行為ではないかとの疑念を招いた。また、林芳正の資金管理団体が、彼が農林水産大臣在任中に、女性スタッフが接客するキャバクラで「飲食代」を支出していたことも報じられている。
11.2. 外交上の論争
2022年7月12日の記者会見で、台湾の頼清徳副総統が安倍晋三元首相の葬儀に参列するため訪日した件について記者から問われた際、林は「今、ご指摘のあった人物については(後略)」と発言した。これに対し、7月15日には全日本台湾連合会(全台連)会長から「あまりに非礼」「礼節の国日本を貶める言動である」「日本の国益を毀損する」との強い抗議を受けた。林はこの発言の理由について、「頼副総統について名前を挙げて質問があったので、それに応じる形で『ご指摘の人物』と述べたのみだった」と説明した。松野博一内閣官房長官も同様の説明を繰り返したが、一部の記者からは「中国政府に対する配慮があったのではないか」との批判が上がった。
この発言に対し、弁護士の北村晴男はテレビ番組で、「ならば、例えば米国のバイデン大統領の名前を挙げて質問があったとして、林外相は頼清徳副総統の時と同じ呼び方をするのか。するわけがない。あまりにも失礼だから」と反論し、「日本が中国に忖度して台湾を国家として認めなかった時代を過去のものにして、協力関係を深めようとしている時代に、なんとかそれを食い止めようとしているように見える」と林の外交姿勢を批判した。
11.3. その他の疑惑
2018年4月24日、当時文部科学大臣であった林が、公用車を使って東京都内のヨガ店を訪問していたことが週刊誌で報じられた。報道によると、林は4月16日午後2時半頃に公用車でヨガ店を訪問し、車を待機させ、2時間後に再び公用車で店を出ていたという。政府関係者は公用車の利用自体は認めたものの、公務と公務の間であれば運用規則に抵触しないとの見解を示した。
2021年12月23日、山口県警察は、2021年の衆議院選挙で林芳正が当選した山口県第3区において、林の後援会の入会申込書を複数の県幹部を通じて職員に配布し、氏名などを記入させた公職選挙法(公務員の地位利用)違反の疑いで、山口県副知事と山口市幹部職員2人を書類送検した。翌24日、山口区検は公選法違反の罪で3人を略式起訴し、副知事には罰金30.00 万 JPYの略式命令が出され、即日納付された。
また、林は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係についても疑惑が持たれた。2022年8月2日の記者会見では、旧統一教会とのつながりについて「関係はない」と明言したが、同年8月10日の記者会見で、2012年に旧統一教会と関係が深い機関の取材を受けていたことを公表し、「関連しているという認識がなかった。大変申し訳ない」と謝罪し、「今後は一切関係をもたないことをお約束する」と述べた。しかし、2024年2月7日午前の記者会見で、2021年9月に教団関係者と面会していたことを改めて明らかにした。「地元政界関係者の調整で面会することになった。多数ある面会の一つであり、相手がどういう方で、どのような話をしたのか、現時点では定かでない」と説明し、支援や寄付を受けたことはないと強調した。
12. 選挙歴
選挙名 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 順位 | 定数 | 結果 | 年齢 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
第17回参議院議員通常選挙 | 山口県選挙区 | 自由民主党 | 287,099 | 46.03% | 1 | 1 | 当選 | 34 |
第19回参議院議員通常選挙 | 山口県選挙区 | 自由民主党 | 428,122 | 61.39% | 1 | 1 | 当選 | 40 |
第21回参議院議員通常選挙 | 山口県選挙区 | 自由民主党 | 419,947 | 56.73% | 1 | 1 | 当選 | 46 |
第23回参議院議員通常選挙 | 山口県選挙区 | 自由民主党 | 455,546 | 79.36% | 1 | 1 | 当選 | 52 |
第25回参議院議員通常選挙 | 山口県選挙区 | 自由民主党 | 374,686 | 69.97% | 1 | 1 | 当選 | 58 |
第49回衆議院議員総選挙 | 山口県第3区 | 自由民主党 | 96,983 | 76.94% | 1 | 1 | 当選 | 60 |
第50回衆議院議員総選挙 | 山口県第3区 | 自由民主党 | 115,687 | 69.67% | 1 | 1 | 当選 | 63 |
13. 栄典
林芳正は、その功績を認められ、以下の栄典を受章している。
14. 所属団体・議員連盟
林芳正が所属している、または関連する主要な議員連盟や団体活動は以下の通りである。
- 独立財政推計機関を考える超党派議員の会
- 国際連合食糧農業機関(FAO)議員連盟(会長)
- 自民党たばこ議員連盟
- 神道政治連盟国会議員懇談会
- みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会
- 北京オリンピックを支援する議員の会(幹事)
- 朝鮮通信使交流議員の会(幹事)
- 日中友好議員連盟(元会長)
- 茶道裏千家下関支部(支部長)
- ソフトテニス連盟(会長)
- 伊藤博文公追頌会(会長)
- 亀山八幡宮(総代会長)
- ボウリング連盟(会長)
- クラスター爆弾禁止推進議員連盟(発起人)
- ボーイスカウト振興国会議員連盟(理事)
- 国際連帯税創設を求める議員連盟
- ギインズ
- 小規模企業税制確立議員連盟
- コンテンツ産業振興議員連盟(会長)
- バドミントン協会(会長)
15. 支援団体
林芳正の政治活動を支援している主要な団体は以下の通りである。
- 全国たばこ販売政治連盟(組織推薦候補者)
- 神道政治連盟
16. 著書・論文
林芳正は以下の著書や論文を執筆している。
; 共著
- 「国会議員の仕事 - 職業としての政治」(津村啓介との共著、中公新書、2011年)
; 論文
- 国立情報学研究所のCiNiiに収録された論文がある。