1. 概要

アンゼルム・キーファーは1945年にドイツで生まれた画家・彫刻家であり、第二次世界大戦後のドイツを代表する最も著名で、成功し、そして議論を呼んだ芸術家の一人である。彼の作品は、ドイツの歴史、特にナチズムやホロコーストの恐怖といったタブー視されるテーマに深く向き合い、過去のトラウマを直視し、記憶とアイデンティティの問題を探求する姿勢が特徴である。この姿勢は、1960年代後半に発表された、彼自身がナチス式敬礼を模倣する写真作品『占領』など、初期の物議を醸した作品群から一貫して見られる。
キーファーは、パウル・ツェランの詩やカバラの神秘主義といった文学的・哲学的な影響を深く受け、その芸術哲学は素材との精神的な繋がりを重視する。彼は鉛、藁、灰、粘土といった多様な素材を作品に組み込み、それらの錬金術的な特性や象徴的な意味、物理的な変化を活用することで、秩序と混沌のバランスを表現する。彼の絵画はしばしば巨大なスケールで制作され、厚いインパスト層や素材の固着によって特徴づけられる。また、彫刻、水彩画、木版画、ブックアートなど、多岐にわたるメディアで活動し、その表現主義的・新表現主義的なスタイルは現代美術に大きな影響を与えている。
キーファーの主要作品には、『マルガレーテ』、『死のフーガ』連作、そして『アタノール』や『シベリアの王女』などが挙げられる。彼はヴェネツィア・ビエンナーレでのドイツ代表を務めたほか、ルーヴル美術館やグラン・パレでの恒久的なインスタレーションを手がけるなど、世界各地の主要な美術館で大規模な回顧展や個展が開催され、その芸術的功績は高く評価されている。1992年からはフランスに拠点を移し、広大なアトリエ複合施設「ラ・リボット」を総合芸術作品へと変貌させるなど、彼の居住地と制作空間は作品そのものと密接に結びついている。彼の業績は、ウルフ賞芸術部門、高松宮殿下記念世界文化賞、ドイツ書籍協会平和賞など、数々の国際的な賞や栄誉によって称えられている。キーファーは、芸術がトラウマを負った国家と世界を癒すことができるという信念のもと、歴史と現在の倫理的課題に深く関与する芸術の役割を体現している。
2. 生涯
アンゼルム・キーファーの生涯は、第二次世界大戦後の荒廃したドイツで始まり、芸術家としての成長、そしてドイツの歴史と文化に深く根ざした彼の芸術的探求へと繋がっていきます。
2.1. 出生と幼少期
アンゼルム・キーファーは1945年3月8日にドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州ドナウエッシンゲンで生まれた。彼の父親は美術教師であった。第二次世界大戦終結の数ヶ月前に生まれ、彼の故郷は激しい爆撃を受けていたため、キーファーは戦争による荒廃に囲まれて育った。1951年に家族はOttersdorfオッタースドルフドイツ語へ移り、彼はラシュタットの公立学校に通い、1965年に高校を卒業した。
2.2. 教育
キーファーは当初、フライブルク大学で法学とロマンス諸語を学んだが、3学期を終えた後、芸術の道へと転向した。彼はフライブルクとカールスルーエの美術アカデミーで学び、1969年に美術の学位を取得した。カールスルーエでは、写実主義の具象画家であるペーター・ドレーファーに師事した。1970年までには、デュッセルドルフ芸術アカデミーでヨーゼフ・ボイスのもとで非公式に学び、彼の芸術的志向はボイスの芸術的実践に大きく影響された。ボイスが脂肪やカーペットフェルトといった日常的な素材を作品に用いたように、キーファーもまた身近な素材を用いて思想を表現するようになった。
2.3. 初期活動と芸術的始動
キーファーは1960年代後半に、パフォーマンスを行い、それを写真に記録する形でキャリアをスタートさせた。これらの写真作品は『占領(Besetzungenドイツ語)』や『英雄的象徴(Heroische Sinnbilderドイツ語)』と題された。彼は父親のドイツ国防軍の制服を着用し、フランス、スイス、イタリアの様々な場所でナチス式敬礼を模倣した。これは、第三帝国の狂的な外国人嫌悪によってドイツ文化が失ったものをドイツ人に思い出させ、認識させることを意図した政治的行為であった。1969年、カールスルーエのGalerie am Kaiserplatzカイザープラッツ画廊ドイツ語で初の個展「占領(Besetzungenドイツ語)」を開催し、物議を醸した政治的行為の一連の写真を発表した。この頃から、彼はナチスを主題とした作品に取り組み始め、第二次世界大戦後のドイツが忘れようと努めていた暗い過去を白日の下にさらそうとする姿勢を示した。彼のスタイルは、先行する画家ゲオルク・バゼリッツのアプローチに接近し、草や藁など損傷しやすい素材を絵画に用いるようになったのもこの時期からである。
3. 芸術世界
アンゼルム・キーファーの芸術世界は、ドイツの歴史的トラウマ、記憶、そしてアイデンティティの問題を深く探求し、錬金術的特性を持つ素材を駆使することで、秩序と混沌の哲学を表現しています。
3.1. 主要なテーマと影響
キーファーの作品は、ドイツの歴史、特にナチズムやホロコーストの恐怖といったタブー視され、論争の的となる近現代史のテーマに深く向き合っている。パウル・ツェランの詩、特に「死のフーガ」は、彼の作品のテーマ形成に重要な役割を果たしており、例えば油彩と藁を用いた絵画『マルガレーテ』はこの詩に触発されたものである。また、カバラの精神的・神学的な概念も彼の作品に大きな影響を与えている。彼はヘルメス・カバラ主義者であるロバート・フラッドのような人物も研究した。
彼の作品は、文化の暗い過去や未実現の可能性に臆することなく対峙する姿勢が特徴であり、しばしば巨大で挑戦的なスケールで制作される。作品中には、歴史的に重要な人物、伝説上の人物、あるいは歴史的な場所の署名や名前がしばしば見られ、これらはキーファーが過去を処理しようとする暗号化された印章として機能している。これらにより、彼の作品は新象徴主義や新表現主義といった芸術運動と関連付けられている。
初期には伝統的な神話、書籍、図書館を主要な主題およびインスピレーション源とし、中期にはパウル・ツェランやインゲボルク・バッハマンといった文学者から影響を受けた。後期の作品では、ユダヤ・キリスト教、古代エジプト、東洋の文化からのテーマを取り入れ、他のモチーフと組み合わせている。宇宙進化論も彼の作品の大きな焦点である。キーファーは、存在の意味と「理解不能なもの、非具象的なものの表現」を探求している。
3.2. 芸術哲学と素材
キーファーは、作品に使用する素材との「精神的な繋がり」を重視し、「素材の中にすでに宿る精神を引き出す」ことを試みている。彼は酸浴や棒、斧による物理的な打撃など、様々なプロセスで素材を変形させる。彼は特に鉛を好んで使用し、その錬金術的な特性を重視する。鉛への最初の関心は、彼が所有していた最初の家の老朽化した配管を修理する必要があったことから生じた。やがて彼はその物理的および感覚的な特性を賞賛するようになり、錬金術との関連性についてさらに深く探求するようになった。
物理的には、鉛を加熱・溶解する際に現れる多くの色、特に錬金術師が求めた象徴的な金の色を彼が好む。彼はまた、鉛の白い酸化を特に好み、酸を用いて人工的に酸化を促進させようとすることもあった。鉛は錬金術における魔術的な数字や土星の惑星とも関連付けられている。
作品に用いられる藁はエネルギーを象徴している。これは藁の物理的な特性、特にその金色や、燃焼時にエネルギーと熱を放出することに由来すると彼は主張している。その結果生じる灰は新たな創造の道を開き、変容と生命の循環というモチーフを反響させている。彼の作品におけるセラックの使用もまた、その色とエネルギーの可能性に関して鉛と同様の感覚から来ている。彼はまた、研磨される際にエネルギーを帯び、触れると温かくなる点も好んだ。
キーファーはまた、作品における秩序と混沌のバランスを重視し、「秩序が多すぎれば作品は死んでしまい、混沌が多すぎればまとまらない」と述べている。さらに、彼は作品が置かれる空間を深く気にかけており、間違った場所に置かれると「完全に力を失う」と語っている。
3.3. 作業方法と技法
キーファーは主に絵画で知られているが、その絵画は鉛、割れたガラス、乾燥した花や植物が加えられることで、ますます巨大なスケールへと発展していった。これにより、作品の表面は厚いインパスト層で覆われ、固着した状態となる。1970年までに、彼の様式的な傾向はゲオルク・バゼリッツのアプローチに似ていた。彼はガラス、藁、木、植物の破片を用いて制作した。これらの素材の使用は、彼の芸術作品が一時的で脆いものとなることを意味しており、キーファー自身もそれをよく認識していた。彼はまた、素材を偽装せず、その自然な形で表現したいと考えていた。彼の作品の脆さは、絵画の厳粛な主題と対照をなしている。
絵画の他に、キーファーは彫刻、水彩画、写真、そして木版画も制作した。特に木版画は、彼がその後数十年間にわたってあらゆるメディアで繰り返し再利用できる人物像のレパートリーを作り出すために用いられ、彼の作品に一貫したテーマ的結合性をもたらしている。彼の表現主義的、あるいは新表現主義的なスタイルは、現代美術における重要な潮流と見なされている。
4. 主要作品と展覧会
アンゼルム・キーファーの主要作品は、ドイツの歴史や神話、詩、宗教といった多岐にわたるテーマを探求し、彼の巨大なインスタレーションや回顧展は、世界中の主要な美術館でその芸術的功績を広く披露しています。
4.1. 主要作品とシリーズ
キーファーは1980年代初頭に、パウル・ツェランの詩「死のフーガ」に言及するタイトルや碑文を持つ30点以上の絵画、ペイントされた写真、水彩画を制作した。この中には『あなたの金色の髪、マルガレーテ(Your Golden Hair, Margareteあなたの金色の髪、マルガレーテ英語)』や『マルガレーテ』などが含まれる。1980年から1983年にかけて制作された一連の絵画は、そびえ立つ石造りの建造物を描いており、特にアルベルト・シュペーアやヴィルヘルム・クライスが設計した国家社会主義建築の有名な例に言及している。例えば『無名の画家へ(To the Unknown Painter無名の画家へ英語)』(1983年)の広大な広場は、1938年にシュペーアが無名戦士を称えて設計したベルリンの総統官邸の中庭を具体的に示している。
1984年から1985年には、電柱や送電線のある荒涼とした風景を操作した白黒写真を組み込んだ一連の紙作品を制作した。これらの作品、例えば『重い雲(Heavy Cloud英語)』(1985年)は、1980年代初頭の西ドイツにおけるNATOの戦術核ミサイル配備や核燃料処理施設の設置に関する論争への間接的な応答であった。1980年代半ばまでに、キーファーのテーマはドイツ文明における役割から、芸術と文化全般の運命へと広がった。彼の作品はより彫刻的になり、国家のアイデンティティと集合的記憶だけでなく、オカルト的な象徴主義、神学、神秘主義も含むようになった。全ての作品のテーマは、社会全体が経験するトラウマと、生命における継続的な再生と更新である。
1980年代には、彼の絵画はより物質的になり、珍しい質感や素材が特徴となった。テーマの範囲は、例えば大作『オシリスとイシス』(1985-87年)のように、古代ヘブライやエジプトの歴史への言及を含むまでに広がった。特に1990年代の絵画は、国家のアイデンティティよりも存在と意味の普遍的な神話を探求している。1995年から2001年にかけて、彼は宇宙を描いた大作の連作を制作した。
特異な作品として、20年かけて制作された『20年間の孤独(20 Years of Solitude英語)』(1971-1991年)がある。これは数百冊の白く塗られた台帳や手作りの本が天井まで積み上げられ、土や乾燥した植物が散りばめられ、ページには作家の精液の染みが付けられている。タイトルにある「孤独」は、制作に20年かかった間に作家が頻繁に紙に自慰行為を行ったことを指している。
2002年以降、キーファーはコンクリートを用いた作品も制作しており、ミラノのピレリ倉庫のための塔や、ヴェリミール・フレーブニコフに捧げられた一連の作品(海、船、鉛製のオブジェを描いた絵画、2004-2005年)などがある。また、パウル・ツェランの作品への回帰として、ルーン文字のモチーフを特徴とする一連の絵画(2004-2006年)や、その他の彫刻も制作している。2012年の『モーゲンソー・プラン(Morgenthau Plan英語)』では、高さ5 mの鋼鉄製ケージに囲まれた黄金の小麦畑の彫刻でギャラリーが満たされた。彼はまた、リヒャルト・ワーグナーの4部作ニーベルングの指環で解釈されたテーマに関する多数の絵画、水彩画、木版画、書籍を1970年代から1980年代初頭にかけて制作した。
作品リストの一部:
- 『パルメニデスの第二の罪深い堕落(Der zweite Sündenfall des Parmenidesドイツ語)』(1969年)、油彩、キャンバス。
- 『あなたは画家(Du bist Malerドイツ語)』(1969年)、製本された本。
- 『ドイツ精神の救済の系譜(Deutsche Heilslineドイツ語)』(1975年)、水彩、紙。
- 『占領(Besetzungenドイツ語)』からのページ(1969年)。
- 『全ての人間は自身の天球の下に立つ(Jeder Mensch steht unter seinem Himmelskugelドイツ語)』(1970年)、水彩、鉛筆、紙。
- 『ハイデルベルクの洪水(Die Überschwemmung Heidelbergsドイツ語)』(1969年)からの見開き写真と折り込み。
- 『無題(Ohne Titelドイツ語)』(1971年)、油彩、キャンバス(二部作)。
- 『冬の風景(Winterlandschaftドイツ語)』(1970年)、水彩、紙。
- 『枝を持つ横たわる男(Liegender Mann mit Zweigドイツ語)』(1971年)、水彩、紙。
- 『フリア(Fuliaドイツ語)』(1971年)、水彩、鉛筆、紙。
- 『四位一体(Quaternitätドイツ語)』(1973年)、木炭、油彩、麻布。
- 『父、子、聖霊(Vater, Sohn, heiliger Geistドイツ語)』(1973年)、油彩、麻布。
- 『信仰、希望、愛(Glaube, Hoffnung, Liebeドイツ語)』(1973年)、木炭、麻布、厚紙。
- 『森の男(Mann im Waldドイツ語)』(1971年)、油彩、モスリン。
- 『復活した(Resurrexitラテン語)』(1973年)、油彩、アクリル、木炭、麻布。
- 『ノートゥング(Nothungドイツ語)』(1973年)、油彩、木炭、麻布、厚紙。
- 『ドイツの精神的英雄たち(Deutschlands Geistesheldenドイツ語)』(1973年)、油彩、木炭、麻布、キャンバスにマウント。
- 『英雄的寓話(Heroische Sinnbilderドイツ語)』からの見開き(1969年)、写真、厚紙、パステル、鉛筆。
- 『冬の嵐作戦(Unternehmen "Wintergewitter"ドイツ語)』(1975年)、油彩、麻布。
- 『ゲネサレト湖(See Genezarethドイツ語)』(1974年)、油彩乳剤、シェラック、麻布。
- 『頭のある風景(Landschaft mit Kopfドイツ語)』(1973年)、油彩、ディステンパー、木炭、厚紙。
- 『コガネムシよ飛べ(Maikäfer fliegドイツ語)』(1974年)、油彩、麻布。
- 『マルクの荒野(Märkische Heideドイツ語)』(1975年)、油彩、アクリル、シェラック、麻布。
- 『全ての山頂には平和がある!(Über allen Gipfeln ist Ruh!ドイツ語)』(1973年)、水彩、紙。
- 『アシカ作戦 I(Unternehmen "Seelöwe"ドイツ語)』(1975年)、油彩、キャンバス。
- 『ピエト・モンドリアン - アシカ作戦(Piet Mondrian- Unternehmen "Seelöwe"ドイツ語)』(1975年)、34枚の見開き写真、厚紙にマウント、製本。
- 『マルクの砂 V(Märkischer Sand Vドイツ語)』(1977年)、25枚の見開き写真、砂、油彩、接着剤、厚紙にマウント、製本。
- 『ホフマン・フォン・ファラースレーベン、ヘルゴラント島にて(Hoffmann von Fallersleben auf Helgolandドイツ語)』(1978年)からの見開き写真。
- 『ヴァルス(Varusドイツ語)』(1976年)、油彩、アクリル、麻布。
- 『ドイツ人の顔(2000年のための木炭)(Das deutsche Volksgesicht [Kohle fur 2000 Jahre]ドイツ語)』(1974年)からの見開き、木炭、紙、木版画。
- 『ヘリオガバルス(Heliogabalドイツ語)』(1974年)、水彩、紙。
- 『世俗の知恵の道(Wege der Weltweisheitドイツ語)』(1976-77年)、油彩、アクリル、シェラック、麻布、キャンバスにマウント。
- 『世俗の知恵の道 - ヘルマンの戦い(Wege der Weltweisheit-die Hermanns-Schlachtドイツ語))(1978-80年)、木版画、アクリル、シェラック、キャンバスにマウント。
- 『シュテファン!(Stefan!ドイツ語)』(1975年)、水彩、ボールペン、紙。
- 『ジークフリートはブリュンヒルデを忘れる(Siegfried vergisst Brunhildeドイツ語)』(1975年)、油彩、キャンバス。
- 『アタノール(Athanor英語)』(1988-91年)、油彩・アクリル、高知県立美術館所蔵。
- 『星空』(1995年)、国立国際美術館所蔵。
- 『シベリアの王女(Princess of Siberia英語)』(1988年)、ミクストメディア、名古屋市美術館所蔵。
4.2. 主要な展覧会とインスタレーション

1969年、キーファーはカールスルーエのGalerie am Kaiserplatzカイザープラッツ画廊ドイツ語で初の個展を開催した。1980年にはゲオルク・バゼリッツとともにヴェネツィア・ビエンナーレでドイツ代表を務めた。1997年のヴェネツィア・ビエンナーレでも、コッレール美術館で絵画と書籍に焦点を当てた個展を開催した。
キーファーの作品の大規模な個展は、デュッセルドルフ美術館(1984年)、シカゴ美術館(1987年)、セゾン美術館(東京、1993年)、ベルリン国立美術館(1991年)、メトロポリタン美術館(ニューヨーク、1998年)、バイエラー財団(バーゼル、2001年)、フォートワース近代美術館(2005年)、ハーシュホーン美術館と彫刻庭園(ワシントンD.C.、2006年)、サンフランシスコ近代美術館およびビルバオ・グッゲンハイム美術館(2007年)などで開催された。2007年には、ビルバオ・グッゲンハイム美術館が近年の作品の大規模な調査展を開催した。2009年には、彼の作品のいくつかがマヨルカ島のエス・バルアード近代現代美術館で初めて展示された。2012年には、ハミルトン美術館が彼の絵画を展示した。2014年9月には、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(ロンドン)が、イギリスで初となるキーファーの回顧展を開催した。
2007年、キーファーはパリのグラン・パレで初の「Monumentaモニュメンタフランス語」展のために、彫刻と絵画による巨大なサイトスペシフィック・インスタレーションを制作するよう依頼された。同年、ルーヴル美術館で壁画『アタノール(Athanor英語)』と二つの彫刻『ダナエ(Danae英語)』、『閉鎖された庭(Hortus Conclususラテン語)』からなる三部作が公開され、キーファーは1953年のジョルジュ・ブラック以来、同美術館に恒久的なサイトスペシフィック・インスタレーションを制作した初の現役芸術家となった。
2008年、キーファーはロサンゼルス第一バプテスト教会の講堂兼体育館に、モニュメンタルなヤシの木と36枚の鋼鉄とガラス製の聖遺物箱のタブレットからなる『聖枝祭(Palmsonntagドイツ語)』(2006年)を設置した。この作品のために部屋は再構成され、床はバスケットボールコートのマークが取り除かれ、聖遺物画のための壁が内部に構築された。2010年にはこの作品がオンタリオ美術館(トロント)に設置され、キーファーは同美術館での展示のために新たに8枚のパネルを制作した。2010年にガゴシアン・ギャラリーで開催された『来年エルサレムで(Next Year in Jerusalem英語)』展では、各作品が彼が最近耳にした個人的な「衝撃」への反応であるとキーファーは説明した。
2013年9月、ホール・アート財団はマサチューセッツ現代美術館と提携し、同美術館敷地内の特別に改修された0.1 万 m2 (1.00 万 ft2)の建物で、彫刻と絵画の長期インスタレーションを開始した。2014年には、財団はこの建物の周囲の景観を整備し、屋外彫刻の長期インスタレーションを展示した。この長期展には、鋳造コンクリート、露出した鉄筋、鉛でできた長さ25 m (82 ft)の波状彫刻『狭い器(Étroits sont les Vaisseauxフランス語)』(2002年)、写真と壁のテキストが付いた20台以上の鉛製ベッドで構成される『革命の女たち(Les Femmes de la Revolutionフランス語)』(1992年)、ロシアの数学的実験主義者ヴェリミール・フレーブニコフの奇抜な理論に触発された海戦を扱う30点の絵画を収めた鋼鉄製パビリオン『ヴェリミール・フレーブニコフ(Velimir Chlebnikov英語)』(2004年)、そしてマサチューセッツ現代美術館のインスタレーションのためにアーティストが制作した鉛上の新しい大判写真が含まれる。
2015年には、ポンピドゥー・センター、フランス国立図書館(パリ)、ライプツィヒ視覚芸術美術館が、キーファーの70歳の誕生日を記念する回顧展を共催した。2016年には、ウィーンのアルベルティーナ美術館が彼の木版画に特化した展覧会を開催し、1977年から2015年までに制作された35点を展示した。2018年5月、彼はロックフェラー・センターでアメリカ初の公共芸術作品『ウラエウス(Uraeus英語)』を発表した。この彫刻は、一部エジプトの宗教的シンボルとツァラトゥストラはこう語ったに触発されたものである。これは7月22日まで展示された。
2003年には、ザルツブルクのGalerie Thaddaeus Ropacタデウス・ロパック画廊ドイツ語のVilla Katzヴィラ・カッツドイツ語で初の個展「Anselm Kiefer: Am Anfangアンゼルム・キーファー:始まりにドイツ語」を開催した。これは歴史と神話という繰り返されるテーマに焦点を当てた一連の新作に捧げられたものであった。2005年には、タデウス・ロパック画廊のザルツブルクの場所で2回目の展覧会「Für Paul Celanパウル・ツェランのためにドイツ語」を開催した。これはキーファーの書籍への没頭に焦点を当て、ゲルマン神話への言及と、チェルノヴィッツ出身のドイツ語を話すユダヤ人であるパウル・ツェランの詩を結びつけた。この展覧会では11点のキャンバス作品、展示ケースに収められた一連の製本された書籍、そして5点の彫刻が展示された。これには、鉄筋コンクリートと鉛の要素からなる強力でモニュメンタルな屋外彫刻1点、青銅のヒマワリと組み合わせた鉛製の本の山2点、鉛製の船と楔、そして『植物の秘密の生活』シリーズからのモニュメンタルな鉛製の書籍2点が含まれていた。この展覧会は翌年、パリのタデウス・ロパック画廊とイヴォン・ランベール画廊を巡回した。
2006年には、キーファーの展覧会「Velimir Chlebnikov英語」がバルジャック近郊の小さなスタジオで初公開され、その後ロンドンのホワイト・キューブに移り、コネチカット州のアルドリッチ現代美術館で終了した。この作品は、特別に建設された波形鋼板の建物に、作成されたスタジオを模倣して、向かい合う壁に15枚ずつ2列に吊るされた30点の大作(2 m x 3 m)の絵画で構成されている。この作品は、ロシアの未来派詩人ヴェリミール・フレーブニコフの奇抜な理論に言及している。フレーブニコフは「ザウム」と呼ばれる「未来の言語」を発明し、壊滅的な海戦が317年ごとに歴史の流れを変えると仮定した。キーファーの絵画では、おもちゃのような戦艦(歪んで、傷つき、錆びて、ねじれたワイヤーで吊るされている)が、絵の具と石膏の波によって投げ出されている。作品の繰り返し現れる色彩は黒、白、灰色、錆色であり、表面は粗く、絵の具、石膏、泥、粘土で厚く塗られている。
2009年、キーファーはロンドンのホワイト・キューブ・ギャラリーで2つの展覧会を開催した。ガラスのショーケースに収められた一連の森の二連祭壇画と三連祭壇画は、多くが密なモロッコのとげで満たされており、『カルブンケルフェー(Karfunkelfeeドイツ語)』と題された。これは戦後のオーストリアの作家インゲボルク・バッハマンの詩に由来するドイツ・ロマン主義の用語である。『肥沃な三日月地帯(The Fertile Crescent英語)』では、15年前にインドを旅行し、初めて田舎のレンガ工場に出会ったことに触発された壮大な絵画群を発表した。過去10年間、キーファーがインドで撮った写真は彼の心に「反響」し、メソポタミアの最初の人間文明から、彼が少年時代に遊んだ第二次世界大戦後のドイツの廃墟に至るまで、広範な文化的・歴史的参照を示唆した。歴史家サイモン・シャマはカタログエッセイで、「構築された壮大さの不安定さについて共鳴する瞑想を求める者は誰でも、キーファーの『肥沃な三日月地帯』をよく見るべきだろう」と書いている。
2012年、キーファーはパンタンにあるタデウス・ロパック画廊のギャラリースペースを、モニュメンタルな新作の展覧会「Die Ungeborenen未生ドイツ語」で開館した。この展覧会には、アンゼルム・キーファーによる手紙と、アレクサンダー・クルーゲ、エマニュエル・デイデによるエッセイを収録した出版物が付随していた。
1969年、キーファーは書籍のデザインを開始した。初期の例は通常、加工された写真であったが、彼の最近の書籍は、絵の具、鉱物、または乾燥した植物物質が層になった鉛のシートで構成されている。例えば、彼は歴史の蓄積され、廃棄された知識の象徴として、図書館の鋼鉄の棚に多数の鉛製の書籍を組み立てた。書籍『ライン(Rhineドイツ語)』(1981年)は、ライン川沿いの旅を示唆する25点の木版画の連作で構成されている。ライン川はドイツの地理的・歴史的発展の中心であり、リヒャルト・ワーグナーの『ニーベルングの指環』のような作品ではほぼ神話的な意味合いを獲得している。手つかずの川の風景は、1941年の戦艦ビスマルクの沈没(「ライン演習作戦」とコードネームされた大西洋での出撃中)を表す暗く渦巻くページによって中断されている。
5. 個人生活と居住地
アンゼルム・キーファーの個人生活は、彼の芸術活動と密接に結びついており、ドイツからフランスへの移住、そして広大なアトリエ複合施設の創造は、彼の作品のスケールと深さに大きな影響を与えました。
5.1. アトリエと居住地
キーファーは1992年からフランスに住み、制作活動を行っている。2008年以降は主にパリに居住している。1971年、キーファーはホルンバッハ(ヴァルトデュルン)に移り、スタジオを設立した。彼は1992年までネッカー=オーデンヴァルト郡に留まり、この最初の創作期間は「ドイツの時代」として知られている。1992年にバルジャックへ移住する際、彼は最初の妻と子供たちをドイツに残した。2008年からは、パリのマレ地区にある大きな家に、2番目の妻であるオーストリア人写真家レナーテ・グラフと2人の子供たちとともに住んでいたが、2014年にグラフとは離婚した。2018年には、オーストリア国籍を取得した。2017年には、月刊ビジネス誌『マネージャー・マガジン』によって、ドイツで最も裕福な1001人の個人および家族の一人にランク付けされた。キーファーは、ヴィム・ヴェンダース監督による3D映画ドキュメンタリー『アンゼルム』(2023年)の主題となっている。
キーファーの最初の大きなスタジオは、ホルンバッハにあった元校舎の屋根裏部屋であった。数年後、彼はブーヘン(ホルンバッハ近郊)の工場建物にスタジオを構えた。1988年、キーファーはヘプフィンゲン(ブーヘン近郊)にあった元レンガ工場を、多数のインスタレーションや彫刻を含む広範な芸術作品へと変貌させた。1991年、オーデンヴァルトでの20年間の制作活動を終え、彼はインド、メキシコ、日本、タイ、インドネシア、オーストラリア、アメリカ合衆国など、世界中を旅した。1992年、彼はフランスのバルジャックに拠点を構え、35 haの広大なスタジオ複合施設「ラ・リボット(La Ribauteフランス語)」をゲザムトクンストヴェルク(総合芸術作品)へと変貌させた。元絹工場であった彼のスタジオは巨大であり、多くの点で産業化へのコメントとなっている。彼はガラス張りの建物、アーカイブ、インスタレーション、素材や絵画のための貯蔵室、地下室、回廊からなる広範なシステムを構築した。ソフィー・ファインズは、キーファーのバルジャックのスタジオ複合施設を、ドキュメンタリー映画『あなたの街に草は生える(Over Your Cities Grass Will Grow英語)』(2010年)のために撮影し、環境と制作中のアーティストの両方を記録した。
2008年、キーファーはバルジャックのスタジオ複合施設を離れ、パリに移住した。110台のトラックが彼の作品を、かつてラ・サマリテーヌ百貨店の倉庫であったクロワシー=ボーブール(パリ郊外)の0.3 万 m2 (3.50 万 ft2)の倉庫に輸送した。あるジャーナリストは、キーファーが放棄したスタジオ複合施設について、「彼はバルジャックの偉大な作品、つまり芸術と建物を後にした。管理人がそれを世話している。誰も住んでいないその場所は、静かに自然が支配するのを待っている。なぜなら、ご存知の通り、私たちの街には草が生えるのだから」と書いた。キーファーは2019年の夏をバルジャックで過ごし、制作活動を行った。
6. 評価と論争
キーファーは第二次世界大戦後のドイツが生んだ最も有名で、最も成功し、最も物議を醸した画家である。彼の作品は、過去の歴史と向き合い、近現代史におけるタブーとされてきた論争的な問題を扱ってきた。特にナチス支配に関連するテーマは彼の作品に顕著に反映されている。例えば、絵画『マルガレーテ』はパウル・ツェランの有名な詩「死のフーガ」からインスピレーションを得ており、キャンバスに油彩と藁が用いられている。彼の作品の芸術的価値については、数十年にわたりメディアで議論が続けられてきた。
彼の絵画は、鈍く、無力で、ほとんど抑圧的で破壊的なスタイルが特徴であり、多くは大規模なものである。彼の作品のほとんどで写真が表面に用いられる傾向が顕著であり、土やその他の未加工の素材がしばしば混ぜられている。キーファーは芸術がトラウマを負った国家と、苦悩し分裂した世界を癒すことができるという信念を持って制作してきた。彼は巨大なキャンバスに壮大な絵画を制作し、リヒャルト・ワーグナーやゲーテのような人物の描写を通じてドイツ文化の歴史を呼び起こし、世界を表現する媒体としての絵画の歴史的伝統を継続している。歴史と現在の倫理的課題に関与する芸術の義務をこれほど明確に表明し、人間の努力を通じて罪の解消の可能性を表現できる現代の芸術家は少ない。
7. 受賞歴と栄誉
- 1983年 - ハンス・トーマ賞(バーデン=ヴュルテンベルク州)
- 1985年 - カーネギー賞
- 1990年 - ウルフ賞芸術部門
- 1990年 - ゴスラー市カイザーリング賞
- 1999年 - 高松宮殿下記念世界文化賞(日本美術協会より、生涯の業績を称えて)
- 2002年 - 芸術文化勲章オフィシエ
- 2004年 - アメリカ芸術科学アカデミー外国名誉会員
- 2005年 - オーストリア科学芸術勲章
- 2008年 - ドイツ書籍協会平和賞(視覚芸術家としては初の受賞。美術史家ヴェルナー・シュピースは、キーファーが文学から作品のインスピレーションを得る熱心な読書家であるとスピーチで述べた。)
- 2009年 - アデナウアー=ド・ゴール賞(パリ、ベルリン)
- 2010年 - コレージュ・ド・フランス芸術創造講座教授
- 2011年 - B.Z.文化賞(Berliner Bärドイツ語)
- 2011年 - レオ・ベック・メダル(ニューヨークのレオ・ベック研究所より)
- 2014年 - トリノ大学哲学名誉博士号
- 2015年 - セント・アンドルーズ大学名誉文学博士号
- 2015年 - アントウェルペン大学名誉博士号(総合功績)
- 2017年 - J・ポール・ゲッティ・メダル
- 2017年 - フライブルク大学名誉博士号
- 2019年 - 理解と寛容の賞(ベルリン・ユダヤ博物館より)
- 2020年 - ブレラ国立美術学院名誉博士号(芸術コミュニケーションと教育)
- 2023年 - ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章星章
- 2023年 - ドイツ国家賞
8. 影響
アンゼルム・キーファーの作品は、新象徴主義や新表現主義といった芸術運動と関連付けられ、その代表的な作家の一人と見なされている。彼の芸術は、後続の世代の芸術家や現代美術全体に深い影響を与え、特にドイツの歴史的トラウマや集合的記憶という困難なテーマに、芸術を通じて向き合うことの重要性を示した。
9. 所蔵
キーファーの作品は、以下の主要な公立および私立のコレクションに所蔵されている。
- ハンブルガー・バーンホフ(ベルリン)
- ニューヨーク近代美術館(ニューヨーク)
- ソロモン・R・グッゲンハイム美術館(ニューヨーク)
- デトロイト美術館(デトロイト)
- テート・モダン(ロンドン)
- サンフランシスコ近代美術館
- オンタリオ美術館(トロント)
- ノースカロライナ美術館(ローリー)
- ハイ美術館(アトランタ)
- オールブライト=ノックス美術館(バッファロー)
- フィラデルフィア美術館
- オーストラリア国立美術館(キャンベラ)
- テルアビブ美術館
- アルベルティーナ美術館(ウィーン)
- メトロポリタン美術館(ニューヨーク)は、キーファーの珍しい水彩画20点を所蔵している。
- 著名な個人コレクターには、イーライ・ブロードやアンドリュー・J・ホールなどがいる。
- 日本国内では、高知県立美術館、国立国際美術館、名古屋市美術館が彼の作品を所蔵している。