1. 概要
ダニエル・サラゴサは、1957年にメキシコシティで生まれたメキシコの元プロボクサーであり、1980年から1997年まで競技生活を送った。彼は、1985年にWBCバンタム級タイトルを、1988年から1997年の間にWBCスーパーバンタム級タイトルを獲得し、2階級制覇を達成した世界チャンピオンである。特にスーパーバンタム級では3度にわたり世界王座を獲得し、同階級における史上最年長王者として名を刻んだ。引退後はボクシングトレーナーとして後進の指導にあたっている。

2. 来歴
ダニエル・サラゴサは、メキシコの首都メキシコシティに生まれ、幼少期からボクシングに親しみ、プロ転向に至るまでの道のりを歩んだ。その後、数々のタイトルを獲得し、引退に至るまで輝かしいプロキャリアを築いた。
2.1. 生い立ちとアマチュアキャリア
ダニエル・サラゴサの生い立ち、ボクシングとの出会い、そしてアマチュア時代の主要な活動と成績について詳述する。
2.1.1. 幼少期とボクシングへの道
ダニエル・サラゴサは1957年12月11日にメキシコシティで生まれた。少年時代は弁護士を目指していたが、ボクシングへの情熱を抱き、メキシコ代表チームの監督であったイグナシオ・ベリスタインに誘われたことをきっかけに、プロボクサーの道へと方向転換することを決意した。
2.1.2. アマチュア時代の活動とオリンピック出場
サラゴサはアマチュア時代から国際舞台で活躍した。
- 1979年には、プエルトリコのサンファンで開催されたパンアメリカン競技大会にバンタム級でメキシコ代表として出場。エクアドルのアルフォンソ・アバタに勝利したが、アメリカ合衆国のジャッキー・ビアードにポイント判定で敗れた。
- 1980年には、モスクワオリンピックにバンタム級でメキシコ代表として出場。アイルランドのフィリップ・サトクリフ・シニアとイギリスのレイ・ギルボディにポイント判定で勝利したが、準々決勝でガイアナのマイケル・アンソニーに2ラウンドTKO負けを喫し、メダル獲得はならなかった。
2.2. プロキャリア
ダニエル・サラゴサは1980年10月にプロデビューを果たし、その後2階級で世界王座を獲得するなど、数々の伝説的な試合を経験した。
2.2.1. プロデビューとWBCバンタム級王座獲得
1980年10月17日、ダニエル・サラゴサはマリオ・エルネスト・グティエレスを相手にプロデビュー戦を行い、4ラウンドKO勝利を収めた。
プロ転向後、彼は着実にキャリアを積み重ね、メキシコバンタム級王座を獲得し、10度の防衛に成功した。
1985年5月4日、プロ30戦目でアルバで開催されたWBC世界バンタム級王座決定戦に出場し、フレディ・ジャクソン(アメリカ合衆国)と対戦した。この試合は7ラウンドでジャクソンが意図的な頭突きにより反則失格となり、サラゴサが自身初のWBC世界王座を獲得した。
しかし、1985年8月9日の初防衛戦でミゲール・ロラ(コロンビア)と対戦し、0-3の判定負けを喫して王座から陥落した。
翌1986年4月11日には、オーストラリアでIBFバンタム級王者であり、後に国際ボクシング殿堂入りするジェフ・フェネック(オーストラリア)とのノンタイトルマッチに臨んだが、0-3の判定負けを喫した。
2.2.2. WBCスーパーバンタム級第1期王座時代
バンタム級王座陥落後、サラゴサは階級をスーパーバンタム級に上げ、次戦から7連勝を記録した。
1986年12月6日にはNABF北米スーパーバンタム級王座を獲得し、2度の防衛に成功した。
1988年2月29日、サラゴサはカリフォルニア州イングルウッドのグレート・ウェスタン・フォーラムでWBC世界スーパーバンタム級王座決定戦に出場し、後の殿堂入りボクサーであるカルロス・サラテ(メキシコ)と対戦。12ラウンド制のこの試合の10ラウンドでTKO勝利を収め、自身2度目の世界王座となるWBCスーパーバンタム級王座を獲得し、2階級制覇を達成した。
この王座は、5度の防衛に成功した。
- 1988年5月29日、韓国の麗水市でIBFスーパーバンタム級王者であった李承勲(韓国)と激しい戦いの末、引き分け(SD)で防衛。
- 1988年11月26日、イタリアでバレリオ・ナチにKO勝利で防衛。
- 1989年6月22日、ポール・バンキ(アメリカ合衆国)との3部作の初戦で判定勝利を収め防衛。
- 1989年8月31日、フランキー・デュアルテにTKO勝利で防衛。
- 1989年12月3日、韓国で元王者である朴讃栄に判定勝利で防衛。
しかし、1990年4月23日、6度目の防衛戦で過去に勝利していたポール・バンキと再戦し、9ラウンドKO負けを喫し、王座から陥落した。
2.2.3. WBCスーパーバンタム級第2期王座時代
ポール・バンキはその後、ペドロ・ルーベン・デシマに王座を奪われ、さらにデシマは畑中清詞(松田ジム)に敗れた。
1991年6月14日、サラゴサは愛知県名古屋市総合体育館(レインボーホール)で畑中清詞に挑戦し、2-1の判定勝ちを収めてWBCスーパーバンタム級王座に返り咲いた。
この第2期王座時代では、2度の防衛に成功した。
- 1991年8月24日、韓国で許準に判定勝利で防衛。
- 1991年12月9日、ポール・バンキとのラバーマッチ(3度目の対戦)に3-0の判定勝利を収め防衛。
1992年3月20日、3度目の防衛戦でフランスのティエリー・ヤコブと対戦し、0-3の判定負けを喫し、王座から陥落した。
その後、サラゴサはティエリー・ヤコブを破って新王者となったトレイシー・ハリス・パターソン(アメリカ合衆国)と2度対戦した。
- 1992年12月5日、フランスでパターソンと対戦し、1-1の判定ドローに終わり、王座返り咲きはならなかった。
- 1993年9月25日、パターソンと再戦したが、サラゴサが負ったカットにより7ラウンドTKO負けとなり、王座返り咲きは叶わなかった。
2.2.4. WBCスーパーバンタム級第3期王座時代と最年長王者記録
1995年6月2日、サラゴサはWBC世界スーパーバンタム級王者となっていたエクトール・サンチェス(ドミニカ共和国)に挑戦したが、0-1の引き分け(MD)に終わり、王座獲得はならなかった。この試合は、多くの関係者がサラゴサの勝利を確信していたため、物議を醸した。
1995年11月6日、サラゴサは再びエクトール・サンチェスと再戦した。この試合では2-1の僅差判定勝ちを収め、37歳11ヶ月という年齢で3度目のWBCスーパーバンタム級王座獲得を果たし、同階級における史上最年長世界王者という記録を打ち立てた。
この3度目の王座獲得は、サラゴサのキャリア終盤における再浮上の始まりとなった。彼はこの王座を4度防衛し、輝かしいキャリアを築いた。
- 1996年3月3日、横浜アリーナで初のボクシング興行として行われた試合で、辰吉丈一郎(大阪帝拳ジム)と対戦し、11ラウンドTKO勝ちを収めて初防衛に成功した。サラゴサはこの試合前から1996年中の引退を宣言していた。
- 1996年7月20日、大阪府立体育会館で原田剛志(ハラダボクシングジム)と対戦し、7ラウンドTKO勝ちで2度目の防衛に成功した。
- 1997年1月11日、無敗のバンタム級王者であったウェイン・マッカラー(北アイルランド)との対戦では、2-1の判定勝ちを収め、3度目の防衛に成功した。マッカラーはこの試合でスーパーバンタム級に階級を上げていた。
- 1997年4月14日、辰吉丈一郎と再戦し、3-0の判定勝ちで4度目の防衛に成功した。
2.2.5. 引退
1997年9月6日、39歳となったダニエル・サラゴサは、5度目の防衛戦で当時無敗の21歳、エリック・モラレス(メキシコ)と対戦した。試合中盤まではほぼ互角の熱戦を繰り広げたが、11ラウンドにKO負けを喫し、王座を失った。
この試合を最後に、ダニエル・サラゴサはプロボクシングキャリアに終止符を打ち、引退した。プロ戦績は55勝8敗3引き分けであった。
3. 獲得タイトルと栄誉
ダニエル・サラゴサは、プロボクシングキャリアにおいて複数のタイトルを獲得し、引退後にはその功績が称えられた。
3.1. プロタイトル
ダニエル・サラゴサが生涯で獲得した主要なプロボクシングタイトルは以下の通り。
- メキシコバンタム級王座(防衛10度)
- WBC世界バンタム級王座(防衛0度)
- NABF北米スーパーバンタム級王座(防衛2度)
- WBC世界スーパーバンタム級王座(第1期:防衛5度、第2期:防衛2度、第3期:防衛4度)
3.2. 国際ボクシング殿堂入り
ダニエル・サラゴサは、その輝かしいキャリアとボクシング界への貢献が評価され、2004年に国際ボクシング名誉の殿堂博物館に殿堂入りを果たした。
4. 引退後の活動
プロボクシング引退後、ダニエル・サラゴサはボクシング界での経験を活かし、後進の指導にあたっている。
4.1. ボクシングトレーナーとしての活動
サラゴサは引退後、ボクシングトレーナーへと転身した。2008年からは、元世界王者であるラファエル・マルケスのトレーナーを務めている。彼の指導哲学は、マルケスの特徴である攻撃とスピードを維持しつつ、ディフェンス面を強化することに重点を置いている。
5. プロボクシング戦績
ダニエル・サラゴサのプロボクシング公式戦績は以下の通り。
| No. | 結果 | 通算戦績 | 対戦相手 | 種類 | ラウンド | 年月日 | 場所 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 66 | 敗北 | 55-8-3 | エリック・モラレス | KO | 11 (12), 2:59 | 1997年9月6日 | County Coliseum英語, エルパソ, テキサス州, アメリカ合衆国 | WBC世界スーパーバンタム級王座陥落 |
| 65 | 勝利 | 55-7-3 | 辰吉丈一郎 | UD | 12 | 1997年4月14日 | 大阪府立体育会館, 大阪市, 大阪府, 日本 | WBC世界スーパーバンタム級王座防衛 |
| 64 | 勝利 | 54-7-3 | ウェイン・マッカラー | SD | 12 | 1997年1月11日 | Hynes Convention Center英語, ボストン, マサチューセッツ州, アメリカ合衆国 | WBC世界スーパーバンタム級王座防衛 |
| 63 | 勝利 | 53-7-3 | 原田剛志 | TKO | 7 (12), 2:17 | 1996年7月20日 | 大阪府立体育会館, 大阪市, 大阪府, 日本 | WBC世界スーパーバンタム級王座防衛 |
| 62 | 勝利 | 52-7-3 | 辰吉丈一郎 | TKO | 11 (12), 2:47 | 1996年3月3日 | 横浜アリーナ, 横浜市, 神奈川県, 日本 | WBC世界スーパーバンタム級王座防衛 |
| 61 | 勝利 | 51-7-3 | エクトール・サンチェス | SD | 12 | 1995年11月6日 | Great Western Forum英語, イングルウッド, カリフォルニア州, アメリカ合衆国 | WBC世界スーパーバンタム級王座獲得 |
| 60 | 引き分け | 50-7-3 | エクトール・サンチェス | MD | 12 | 1995年6月2日 | Foxwoods Resort英語, マシャンタケット, コネチカット州, アメリカ合衆国 | WBC世界スーパーバンタム級王座決定戦 |
| 59 | 勝利 | 50-7-2 | ホセ・サナブリア | UD | 10 | 1995年2月11日 | Jai Alai Fronton英語, マイアミ, フロリダ州, アメリカ合衆国 | |
| 58 | 勝利 | 49-7-2 | ウィルフレド・バルガス | KO | 7 (?) | 1994年10月22日 | Jai Alai Fronton英語, マイアミ, フロリダ州, アメリカ合衆国 | |
| 57 | 勝利 | 48-7-2 | ニーニョ・ルイス | TKO | 4 (?) | 1994年8月11日 | メキシコシティ, メキシコ連邦区, メキシコ | |
| 56 | 勝利 | 47-7-2 | ウィルフレド・ウルビナ | TKO | 5 (?) | 1994年7月1日 | ナボホア, ソノラ州, メキシコ | |
| 55 | 勝利 | 46-7-2 | フアン・フランシスコ・ソト | UD | 10 | 1994年6月11日 | Great Western Forum英語, イングルウッド, カリフォルニア州, アメリカ合衆国 | |
| 54 | 勝利 | 45-7-2 | アレハンドロ・バティスタ | RTD | 2 (10), 3:00 | 1993年12月4日 | Jai Alai Fronton英語, マイアミ, フロリダ州, アメリカ合衆国 | |
| 53 | 敗北 | 44-7-2 | トレイシー・ハリス・パターソン | TKO | 7 (12), 2:07 | 1993年9月25日 | Mid-Hudson Civic Center英語, ポキプシー, ニューヨーク州, アメリカ合衆国 | WBC世界スーパーバンタム級王座決定戦 |
| 52 | 引き分け | 44-6-2 | トレイシー・ハリス・パターソン | SD | 12 | 1992年12月5日 | Palais des Sports英語, ベルク=シュル=メール, パ=ド=カレー県, フランス | WBC世界スーパーバンタム級王座決定戦 |
| 51 | 敗北 | 44-6-1 | ティエリー・ヤコブ | UD | 12 | 1992年3月20日 | Chapiteau-Vieux Fort Niculay英語, カレー, パ=ド=カレー県, フランス | WBC世界スーパーバンタム級王座陥落 |
| 50 | 勝利 | 44-5-1 | ポール・バンキ | UD | 12 | 1991年12月9日 | Great Western Forum英語, イングルウッド, カリフォルニア州, アメリカ合衆国 | WBC世界スーパーバンタム級王座防衛 |
| 49 | 勝利 | 43-5-1 | 許準 | UD | 12 | 1991年8月24日 | Daehan Life Insurance Bldg英語, ソウル, 韓国 | WBC世界スーパーバンタム級王座防衛 |
| 48 | 勝利 | 42-5-1 | 畑中清詞 | SD | 12 | 1991年6月14日 | 名古屋市総合体育館, 名古屋市, 愛知県, 日本 | WBC世界スーパーバンタム級王座獲得 |
| 47 | 勝利 | 41-5-1 | モイ・ヘルナンデス | PTS | 10 | 1991年4月5日 | ピエドラス・ネグラス, コアウイラ州, メキシコ | |
| 46 | 敗北 | 40-5-1 | ポール・バンキ | TKO | 9 (12), 2:51 | 1990年4月23日 | Great Western Forum英語, イングルウッド, カリフォルニア州, アメリカ合衆国 | WBC世界スーパーバンタム級王座陥落 |
| 45 | 勝利 | 40-4-1 | 朴讃栄 | SD | 12 | 1989年12月3日 | Sunin Gymnasium英語, 仁川, 韓国 | WBC世界スーパーバンタム級王座防衛 |
| 44 | 勝利 | 39-4-1 | フランキー・デュアルテ | TKO | 10 (12), 1:54 | 1989年8月31日 | Great Western Forum英語, イングルウッド, カリフォルニア州, アメリカ合衆国 | WBC世界スーパーバンタム級王座防衛 |
| 43 | 勝利 | 38-4-1 | ポール・バンキ | SD | 12 | 1989年6月22日 | Great Western Forum英語, イングルウッド, カリフォルニア州, アメリカ合衆国 | WBC世界スーパーバンタム級王座防衛 |
| 42 | 勝利 | 37-4-1 | バレリオ・ナチ | KO | 5 (12), 1:06 | 1988年11月26日 | Palazzo dello sport英語, フォルリ, エミリア=ロマーニャ州, イタリア | WBC世界スーパーバンタム級王座防衛 |
| 41 | 引き分け | 36-4-1 | 李承勲 | SD | 12 | 1988年5月29日 | Hongkuk Gymnasium英語, 麗水市, 韓国 | WBC世界スーパーバンタム級王座防衛 |
| 40 | 勝利 | 36-4 | カルロス・サラテ | TKO | 10 (12), 2:54 | 1988年2月29日 | Great Western Forum英語, イングルウッド, カリフォルニア州, アメリカ合衆国 | WBC世界スーパーバンタム級王座獲得 |
| 39 | 勝利 | 35-4 | ノエ・ゴンザレス | KO | 7 (?) | 1987年12月17日 | Arena Naucalpan英語, ナウカルパン・デ・フアレス, メキシコ州, メキシコ | |
| 38 | 勝利 | 34-4 | ダリル・シグペン | PTS | 12 | 1987年7月31日 | Memorial Coliseum英語, コーパスクリスティ, テキサス州, アメリカ合衆国 | |
| 37 | 勝利 | 33-4 | ラミロ・アダメス | TKO | 5 (10) | 1987年6月28日 | Las Americas Arena英語, ヒューストン, テキサス州, アメリカ合衆国 | |
| 36 | 勝利 | 32-4 | アーロン・ロペス | UD | 12 | 1987年4月3日 | Freeman Coliseum英語, サンアントニオ, テキサス州, アメリカ合衆国 | NABF北米スーパーバンタム級王座防衛 |
| 35 | 勝利 | 31-4 | マイク・アヤラ | KO | 7 (12), 0:38 | 1986年12月6日 | Freeman Coliseum英語, サンアントニオ, テキサス州, アメリカ合衆国 | NABF北米スーパーバンタム級王座獲得 |
| 34 | 勝利 | 30-4 | ラウル・ネグレテ | TKO | 7 (?) | 1986年8月29日 | ティフアナ, バハ・カリフォルニア州, メキシコ | |
| 33 | 勝利 | 29-4 | アントニオ・ゴンザレス | PTS | 10 | 1986年7月4日 | ティフアナ, バハ・カリフォルニア州, メキシコ | |
| 32 | 敗北 | 28-4 | ジェフ・フェネック | UD | 10 | 1986年4月11日 | Entertainment Centre英語, パース, 西オーストラリア州, オーストラリア | |
| 31 | 敗北 | 28-3 | ミゲール・ロラ | UD | 12 | 1985年8月9日 | Tamiami Fairgrounds Auditorium英語, マイアミ, フロリダ州, アメリカ合衆国 | WBC世界バンタム級王座陥落 |
| 30 | 勝利 | 28-2 | フレディ・ジャクソン | DQ | 7 (12), 1:30 | 1985年5月4日 | Concorde Boxing Arena英語, オラニエスタッド, アルバ | WBC世界バンタム級王座獲得; ジャクソンが意図的な頭突きにより失格 |
| 29 | 勝利 | 27-2 | ホルヘ・ラミレス | PTS | 12 | 1984年11月30日 | ラパス, バハ・カリフォルニア・スル州, メキシコ | メキシコバンタム級王座防衛 |
| 28 | 勝利 | 26-2 | ホルヘ・ラミレス | DQ | 11 (12) | 1984年9月21日 | Plaza de Toros Alberto Balderas英語, シウダー・フアレス, チワワ州, メキシコ | メキシコバンタム級王座防衛; ラミレスが頭突きにより失格 |
| 27 | 勝利 | 25-2 | マリオ・ゴメス | TKO | 3 (12) | 1984年5月21日 | ティフアナ, バハ・カリフォルニア州, メキシコ | メキシコバンタム級王座防衛 |
| 26 | 勝利 | 24-2 | パトリック・ヤング | TKO | 4 (?) | 1984年3月16日 | Auditorio del Estado英語, メヒカリ, バハ・カリフォルニア州, メキシコ | |
| 25 | 勝利 | 23-2 | ハビエル・マルケス | TKO | 5 (12) | 1984年2月18日 | メヒカリ, バハ・カリフォルニア州, メキシコ | メキシコバンタム級王座防衛 |
| 24 | 勝利 | 22-2 | リゴベルト・エストラーダ | PTS | 12 | 1983年12月16日 | シウダー・フアレス, チワワ州, メキシコ | メキシコバンタム級王座防衛 |
| 23 | 勝利 | 21-2 | ロドルフォ・マルティネス | TKO | 11 (12) | 1983年10月29日 | グアダラハラ, ハリスコ州, メキシコ | メキシコバンタム級王座防衛 |
| 22 | 勝利 | 20-2 | マーティン・トーレス | TKO | 5 (12) | 1983年9月26日 | ティフアナ, バハ・カリフォルニア州, メキシコ | メキシコバンタム級王座防衛 |
| 21 | 敗北 | 19-2 | ハロルド・ペティ | UD | 12 | 1983年8月8日 | Astro Arena英語, ヒューストン, テキサス州, アメリカ合衆国 | NABF北米バンタム級王座決定戦 |
| 20 | 勝利 | 19-1 | ヘスス・ロペス | PTS | 12 | 1983年5月27日 | シウダー・フアレス, チワワ州, メキシコ | メキシコバンタム級王座防衛 |
| 19 | 勝利 | 18-1 | リゴベルト・エストラーダ | PTS | 12 | 1983年3月18日 | シウダー・フアレス, チワワ州, メキシコ | メキシコバンタム級王座防衛 |
| 18 | 勝利 | 17-1 | ロレンソ・ラミレス | PTS | 10 | 1983年1月29日 | スポーツ・アリーナ, ロサンゼルス, カリフォルニア州, アメリカ合衆国 | |
| 17 | 勝利 | 16-1 | ヘスス・ロペス | PTS | 12 | 1982年11月29日 | ティフアナ, バハ・カリフォルニア州, メキシコ | メキシコバンタム級王座防衛 |
| 16 | 勝利 | 15-1 | ホルヘ・ラミレス | PTS | 12 | 1982年9月4日 | メキシコシティ, メキシコ連邦区, メキシコ | メキシコバンタム級王座獲得 |
| 15 | 敗北 | 14-1 | ハロルド・ペティ | UD | 10 | 1982年7月29日 | Showboat Hotel & Casino英語, ラスベガス, ネバダ州, アメリカ合衆国 | |
| 14 | 勝利 | 14-0 | ラモン・コンチャ | TKO | 2 (?) | 1982年4月23日 | アカプルコ, ゲレロ州, メキシコ | |
| 13 | 勝利 | 13-0 | フランシスコ・パコ・マヨ | TKO | 5 (?) | 1982年3月5日 | アカプルコ, ゲレロ州, メキシコ | |
| 12 | 勝利 | 12-0 | ミゲール・フアレス | PTS | 10 | 1982年2月12日 | アカプルコ, ゲレロ州, メキシコ | |
| 11 | 勝利 | 11-0 | マリオ・チャベス | PTS | 10 | 1981年11月21日 | メヒカリ, バハ・カリフォルニア州, メキシコ | |
| 10 | 勝利 | 10-0 | フリオ・アベンダーニョ | KO | 4 (?) | 1981年10月30日 | アカプルコ, ゲレロ州, メキシコ | |
| 9 | 勝利 | 9-0 | ハビエル・マルケス | TKO | 8 (?) | 1981年9月16日 | メヒカリ, バハ・カリフォルニア州, メキシコ | |
| 8 | 勝利 | 8-0 | ライート・ゴンザレス | TKO | 4 (10) | 1981年8月28日 | カンペチェ, カンペチェ州, メキシコ | |
| 7 | 勝利 | 7-0 | アロンソ・ゴンザレス | PTS | 10 | 1981年7月22日 | ロサンゼルス, カリフォルニア州, アメリカ合衆国 | |
| 6 | 勝利 | 6-0 | ロケ・ギジェン | TKO | 3 (?) | 1981年6月27日 | トゥクストラグティエレス, チアパス州, メキシコ | |
| 5 | 勝利 | 5-0 | ホセ・サパタ | PTS | 10 | 1981年5月15日 | ビジャエルモサ, タバスコ州, メキシコ | |
| 4 | 勝利 | 4-0 | ヘスス・マラビジャ | KO | 2 (?) | 1981年3月29日 | ビジャエルモサ, タバスコ州, メキシコ | |
| 3 | 勝利 | 3-0 | ジョエル・セグラ | KO | 10 (10) | 1981年2月21日 | メリダ, ユカタン州, メキシコ | |
| 2 | 勝利 | 2-0 | ポルフィリオ・ウルティア | TKO | 3 (?) | 1980年12月19日 | タンピコ, タマウリパス州, メキシコ | |
| 1 | 勝利 | 1-0 | マリオ・エルネスト・グティエレス | KO | 4 (?) | 1980年10月17日 | ポサリカ, ベラクルス州, メキシコ |