1. 生い立ちと教育
1.1. 出生地と家族背景
シュローダーは1941年8月26日にイランのテヘランで生まれた。父はスイス人の地質学者ジャン=ウィリアム・シュローダー、母はドイツ人の医師ウルスラである。6歳から11歳まで、父の仕事に伴いコロンビアで生活した。両親の離婚後、11歳からは母と共にフランスに定住し、そこで育った。彼の母方の祖父は、著名な精神医学者であるハンス・プリンツホルン(Hans Prinzhornドイツ語)である。
1.2. 学歴
シュローダーはフランスで教育を受け、名門リセ・コンドルセ校(Lycée Condorcetフランス語)とアンリ四世校(Lycée Henri-IVフランス語)でバカロレアを取得した。その後、ソルボンヌ大学で哲学を修めた。学生時代には映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』に参加し、彼の文章はヌーヴェルヴァーグ運動と並行して発表された。
2. 経歴
2.1. レ・フィルム・デュ・ロザンジュの設立と初期のプロデュース
1962年、21歳(または23歳)の時に、当時42歳であったエリック・ロメールと共に映画製作会社「レ・フィルム・デュ・ロザンジュ」をフランスのパリに設立した。同社の第一作はロメール監督の『モンソーのパン屋の女の子』であり、この作品をもって「六つの教訓話」シリーズの製作が開始された。シュローダーは同作のプロデューサーを務めている。
彼はまた、ジャン=リュック・ゴダール監督の『カラビニエ』(1963年公開)で助監督を務め、ロメール監督の『シュザンヌの生き方』(1963年公開)ではプロデュースとジャン=ルイ・コモリと共に助監督を担当した。1965年5月19日には、シュローダーが企画したオムニバス映画『パリところどころ』が公開された。この作品には、ジャン=ダニエル・ポレ、ジャン・ルーシュ、ジャン・ドゥーシェ、ロメール、ゴダール、クロード・シャブロルといったヌーヴェルヴァーグを代表する6人の監督が参加し、シュローダーはアソシエイト・プロデューサーのパトリック・ボーショー、アシスタント・プロデューサーのピエール・コトレル(シュローダーのアンリ四世校時代の友人であり、後にジャン・ユスターシュ監督のプロデューサーとなる)と共に製作に携わった。
2.2. 監督作品
2.2.1. フランス・ヌーヴェルヴァーグと初期作品
1969年、シュローダーは長編劇映画『モア』で監督デビューを果たした。この作品はヘロイン中毒をテーマにしており、ルクセンブルクと西ドイツ資本の合作であった。シュローダー自身がプロデューサーを務め、アソシエイト・プロデューサーにコトレル、撮影監督にネストール・アルメンドロス、音楽にピンク・フロイドが参加した。ピンク・フロイドはこの映画のために音楽を書き下ろし、アルバム『モア』としてリリースされた。この作品はヨーロッパでヒットを記録し、レ・フィルム・デュ・ロザンジュ社にとっては異色のロック映画となった。
続いて、1972年には『ラ・ヴァレ』を監督。この作品のサウンドトラックもピンク・フロイドが担当し、アルバム『おせっかい』(Obscured by Clouds英語)としてリリースされた。1975年には『女主人』(Maîtresseフランス語)を監督したが、これは特殊上映のみであった。シュローダーは1970年代に4本の長編映画を監督したが、いずれも撮影監督はアルメンドロスが務めている。
2.2.2. ドキュメンタリー作品
シュローダーはドキュメンタリー映画においても重要な作品を監督している。1978年にはINA(フランス国立音響映像研究所)とレ・フィルム・デュ・ロザンジュ社が共同製作したドキュメンタリーフィルム『ココ、言葉を話すゴリラ』(Koko, le gorille qui parleフランス語)を監督した。この作品も特殊上映のみであった。
彼は権力、暴力、社会正義といったテーマを探求した一連のドキュメンタリー映画を「悪の三部作」と呼んでいる。これには、ウガンダの独裁者イディ・アミンへの広範なインタビューを特徴とする『イディ・アミン・ダダ:自画像』(1974年)、弁護士ジャック・ヴェルジェスとその依頼人たちの目を通して過去50年間のテロリズムを考察する『テロの弁護人』(2007年)、そしてミャンマーの仏教徒によるロヒンギャ迫害をテーマにした『ザ・ヴェネラブル・W』(2016年)が含まれる。これらの作品は、社会倫理的な問題を深く掘り下げ、議論を巻き起こした。また、コロンビアの作家フェルナンド・バリェホの物議を醸した小説を映画化した『聖母の暗殺者』(2000年)など、より限定された観客向けの小規模な作品にも関心を持ち続けている。
2.2.3. ハリウッド作品
1987年、メナヘム・ゴーラン監督率いるイスラエル系企業ザ・キャノン・グループは、ミッキー・ロークとフェイ・ダナウェイが主演するアメリカ映画『バーフライ』の監督にシュローダーを抜擢し、彼はハリウッドデビューを果たした。この作品ではシュローダー自身とフランシス・フォード・コッポラがプロデューサーを務めた。この作品以降、日本では英語読み風のバーベット・シュローダーとして知られるようになる。
1990年には『運命の逆転』を監督し、クラウス・フォン・ビューロー役を演じたジェレミー・アイアンズがアカデミー賞を受賞したほか、シュローダー自身もアカデミー監督賞にノミネートされた。その後、彼は多くの大作ハリウッド映画を監督し、しばしばメロドラマとスリラーのジャンルを融合させた作品を手がけた。代表作には『ルームメイト』(1992年)、『死の接吻』(1995年)、『判決前夜/ビフォア・アンド・アフター』(1996年)、『絶体×絶命』(1998年)、『完全犯罪クラブ』(2002年)などがある。
その他の監督作品には、『転落したペテン師たち』(1984年、TV5Mondeでテレビ放映)、『陰獣』(2008年)、『忘れられない記憶』(Amnesia英語、2015年)、『リカルドと絵画』(Ricardo and Painting英語、2023年)などがある。
2.3. 俳優としての経歴
バーベット・シュローダーは映画監督としての活動の他に、俳優としても数多くの作品に出演している。
彼は、自身がプロデュースした『モンソーのパン屋の女の子』(1963年)に自動車販売員として、『パリところどころ』(1965年)のジャン・ルーシュ監督による「北駅」篇にジャン=ピエール役で出演した。また、ジャック・リヴェット監督の『アウト1』(1971年)と『アウト1:スペクトル』(1972年)ではジャン=レト役、そして『セリーヌとジュリーは舟でゆく』(1974年)ではオリヴィエ役を演じた。
その他の出演作品には、『ロベルトは今夜』(1979年)のヴィットリオ役、『ラ・メモワール・クルト』(La Mémoire courteフランス語、1979年)の夕食の客役、『地上の愛』(Love on the Ground英語、1984年)の観客役(クレジットなし)、『黄金の船』(The Golden Boat英語、1990年)の意地悪な通行人役がある。
ハリウッド映画では、『王妃マルゴ』(1994年)の顧問役、『ビバリーヒルズ・コップ3』(1994年)のポルシェに乗った男役、『マーズ・アタック!』(1996年)のフランス大統領モーリス役など、印象的な役柄を演じた。
2000年代以降の出演作としては、『ネ・フェ・パ・サ!』(Ne fais pas ça!フランス語、2004年)のレストランの客役、『情痴 アヴァンチュール』(Une aventureフランス語、2005年)のイドルマン博士役、『パリ、ジュテーム』(2006年)のクリストファー・ドイル監督による「ショワジー門」篇のムッシュ・エニー役、『ランジェ公爵夫人』(2007年)のグランリュー公爵役、『ダージリン急行』(2007年)の整備士役などが挙げられる。2011年には『弁護士』(L'avocatフランス語)でジャック・メコ役を、2012年には『ル・グラン・ソワール』(Le grand soirフランス語)でも同じくジャック・メコ役を演じた。2014年の『アーティストの肖像』(Portrait of the Artist英語)における医師役が、彼の最後の映画出演作となっている。
2.4. テレビドラマ
シュローダーはテレビドラマの分野でも活動している。2009年11月1日に放送されたアメリカのドラマシリーズ『マッドメン』シーズン3の第12話「大人の世界」(The Grown Ups英語)のエピソード監督を務めた。このエピソードは、ジョン・F・ケネディ暗殺事件の出来事を描いたことで注目された。
3. フィルモグラフィー
3.1. 監督作品
| 年 | タイトル | 備考 |
|---|---|---|
| 1969 | 『モア』 | |
| 1972 | 『ラ・ヴァレ』 | |
| 1974 | 『イディ・アミン・ダダ:自画像』 | ドキュメンタリー映画 |
| 1975 | 『女主人』(Maîtresseフランス語) | 特殊上映のみ |
| 1978 | 『ココ、言葉を話すゴリラ』(Koko, le gorille qui parleフランス語) | ドキュメンタリー映画、特殊上映のみ |
| 1984 | 『転落したペテン師たち』(Tricheursフランス語) | TV5Mondeでテレビ放映 |
| 1985 | 『チャールズ・ブコウスキー・テープス』(The Charles Bukowski Tapes英語) | ドキュメンタリー映画、編集も担当 |
| 1987 | 『バーフライ』 | |
| 1990 | 『運命の逆転』 | |
| 1992 | 『ルームメイト』 | |
| 1995 | 『死の接吻』 | |
| 1996 | 『判決前夜/ビフォア・アンド・アフター』 | |
| 1998 | 『絶体×絶命』 | |
| 2000 | 『聖母の暗殺者』(La virgen de los sicariosスペイン語) | |
| 2002 | 『完全犯罪クラブ』 | |
| 2007 | 『テロの弁護人』(L'avocat de la terreurフランス語) | ドキュメンタリー映画、ナレーションも担当、セザール賞最優秀ドキュメンタリー賞受賞 |
| 2008 | 『陰獣』(Inju: la bête dans l'ombreフランス語) | |
| 2015 | 『忘れられない記憶』(Amnesia英語) | |
| 2017 | 『ザ・ヴェネラブル・W』(The Venerable W.英語) | |
| 2023 | 『リカルドと絵画』(Ricardo and Painting英語) |
3.2. プロデュース作品
| 年 | タイトル | 備考 |
|---|---|---|
| 1962 | 『モンソーのパン屋の女の子』 | 監督:エリック・ロメール |
| 1964 | 『パリのナジャ』(Nadja à Parisフランス語) | 監督:エリック・ロメール |
| 1965 | 『パリところどころ』 | オムニバス映画、自身も出演 |
| 1972 | 『愛の昼下がり』 | 監督:エリック・ロメール |
| 1974 | 『セリーヌとジュリーは舟でゆく』 | 自身も出演 |
| 1976 | 『O侯爵夫人』 | 監督:エリック・ロメール |
| 1998 | 『悪夢の破片』(Shattered Image英語) | 監督:ラウル・ルイス、DVDスルー |
3.3. 出演作品
| 年 | タイトル | 役柄 | 監督 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1963 | 『モンソーのパン屋の女の子』 | 自動車販売員 | エリック・ロメール | プロデューサーも担当 |
| 1965 | 『パリところどころ』 | ジャン=ピエール | ジャン・ルーシュ | 「北駅」篇、プロデューサーも担当 |
| 1971 | 『アウト1』 | ジャン=レト | ジャック・リヴェット | |
| 1972 | 『アウト1:スペクトル』(Out 1: Spectreフランス語) | ジャン=レト | ジャック・リヴェット | |
| 1974 | 『セリーヌとジュリーは舟でゆく』 | オリヴィエ | ジャック・リヴェット | プロデューサーも担当 |
| 1979 | 『ロベルトは今夜』(Roberteフランス語) | ヴィットリオ | ピエール・ズッカ | |
| 1979 | 『ラ・メモワール・クルト』(La Mémoire courteフランス語) | 夕食の客 | エドゥアルド・デ・グレゴリオ | |
| 1984 | 『地上の愛』(L'amour par terreフランス語) | 観客 | ジャック・リヴェット | クレジットなし |
| 1990 | 『黄金の船』(The Golden Boat英語) | 意地悪な通行人 | ラウル・ルイス | |
| 1994 | 『王妃マルゴ』 | 顧問 | パトリス・シェロー | |
| 1994 | 『ビバリーヒルズ・コップ3』 | ポルシェに乗った男 | ジョン・ランディス | |
| 1996 | 『マーズ・アタック!』 | フランス大統領モーリス | ティム・バートン | |
| 2004 | 『ネ・フェ・パ・サ!』(Ne fais pas ça!フランス語) | レストランの客1 | リュック・ボンディ | |
| 2005 | 『情痴 アヴァンチュール』(Une aventureフランス語) | イドルマン博士 | グザヴィエ・ジャノリ | |
| 2006 | 『パリ、ジュテーム』 | ムッシュ・エニー | クリストファー・ドイル | 「ショワジー門」篇 |
| 2007 | 『ランジェ公爵夫人』(Ne touchez pas la hacheフランス語) | グランリュー公爵 | ジャック・リヴェット | |
| 2007 | 『ダージリン急行』 | 整備士 | ウェス・アンダーソン | |
| 2011 | 『弁護士』(L'avocatフランス語) | ジャック・メコ | セドリック・アンジェ | |
| 2012 | 『ル・グラン・ソワール』(Le grand soirフランス語) | ジャック・メコ | ブノワ・デレピーヌ、ギュスターヴ・ケルヴェル | |
| 2014 | 『アーティストの肖像』(Portrait of the Artist英語) | 医師 | アントワーヌ・バロー | 最後の映画出演作 |
4. 私生活
バーベット・シュローダーは現在、フランスに居住しており、女優のビュル・オジエと結婚している。
5. 論争と批判
2009年、バーベット・シュローダーは、ロマン・ポランスキー監督を支持する嘆願書に署名した。この嘆願書は、ポランスキーが1977年に13歳の少女への薬物投与と強姦の容疑で逮捕されたことに関連し、スイスでの彼の釈放を求めるものであった。
6. 受賞歴と評価
バーベット・シュローダーは、そのキャリアを通じていくつかの重要な賞を受賞し、高い評価を受けている。
2000年には、監督作品『聖母の暗殺者』で第57回ヴェネツィア国際映画祭の上院議会金メダルを受賞した。また、2007年にはドキュメンタリー映画『テロの弁護人』でセザール賞の最優秀ドキュメンタリー映画賞を受賞している。1990年に監督した『運命の逆転』では、アカデミー監督賞にノミネートされた。
シュローダーの作品は、しばしば社会倫理的な問題を扱い、その探求的な姿勢は批評家から高い評価を受けている一方で、一部の作品では議論を巻き起こすこともあった。特に「悪の三部作」に代表されるドキュメンタリー作品は、権力や暴力といった困難なテーマに切り込み、観客に深い問いを投げかけている。
7. 映画界への影響
バーベット・シュローダーは、フランス・ヌーヴェルヴァーグへの貢献、ハリウッドにおける独自のスタイル構築、そして社会的問題の探求を通じて、映画界に多大な影響を与えてきた。
彼はレ・フィルム・デュ・ロザンジュの共同設立者として、エリック・ロメールやジャン=リュック・ゴダールといったヌーヴェルヴァーグの主要監督たちの初期作品の製作に携わり、この革新的な映画運動の発展に不可欠な役割を果たした。彼のプロデュース作品は、ヌーヴェルヴァーグの多様な表現と実験性を支える基盤となった。
監督としては、初期の作品でピンク・フロイドを起用するなど、ジャンルの枠を超えた挑戦を行った。ハリウッドに進出してからは、メロドラマとスリラーを融合させるという独自のスタイルを確立し、『ルームメイト』や『死の接吻』などの商業的成功を収めた。
また、彼のドキュメンタリー作品群は、権力者の心理、テロリズムの根源、民族紛争といった、社会的に重く、論争の的となるテーマに果敢に挑んだ点で特筆される。特に「悪の三部作」は、人間の悪の根源とその影響を深く掘り下げ、観客に倫理的な問いを投げかけることで、ドキュメンタリー映画の可能性を広げた。シュローダーは、商業的な成功を収めながらも、常に芸術的な探求心と社会的な問題意識を持ち続け、その多岐にわたる活動は、映画製作の多様性と深さを示すものとして、後進の映画製作者たちに影響を与え続けている。