1. 概要
マイケル・アンソニー・パウエル(Michael Anthony "Mike" Powell英語、1963年11月10日生まれ)は、アメリカ合衆国の元陸上競技選手であり、男子走幅跳の世界記録保持者である。彼は世界選手権で2度、オリンピックで2度銀メダルを獲得した。1991年8月30日に樹立した世界記録の8.95 mは、現在も破られていない最長記録として歴史に名を刻んでいる。
2. 個人史および背景
2.1. 幼少期と教育
パウエルはペンシルベニア州フィラデルフィアで生まれた。カリフォルニア州ウェストコビナにあるエジウッド高校に通い、1981年のCIFカリフォルニア州大会で走高跳で2.1 m (7 ft)を記録した。その後、カリフォルニア大学アーバイン校に進学し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に編入した。彼は、アフリカ系アメリカ人のために設立された最初の大学間ギリシャ文字友愛会であるアルファ・ファイ・アルファ友愛会のメンバーでもある。
2.2. コーチとしてのキャリア
パウエルは、長年にわたりメンターであるランディ・ハンティントンの指導を受けてきた。現役引退後も陸上競技との関わりを続け、2022年秋からはカリフォルニア州のアズサ・パシフィック大学で走幅跳のコーチを務めている。
3. 陸上競技選手としてのキャリア
パウエルは、高校時代に走高跳で優れた記録を残すなど、若い頃からその才能を示した。彼の選手としてのキャリアは、数々の国際大会での輝かしい実績によって特徴づけられる。
3.1. 主要大会
パウエルの選手としてのキャリアは、オリンピックや世界陸上競技選手権大会など、数々の主要な国際大会での輝かしい実績によって特徴づけられる。
3.1.1. オリンピック
パウエルは、オリンピックにおいて2つの銀メダルを獲得している。
3.1.2. 世界陸上競技選手権大会
世界陸上競技選手権大会では、2つの金メダルと1つの銅メダルを獲得している。
3.1.3. その他の主要な成果
- 1993年IAAFグランプリファイナル:イギリスロンドンで開催された大会で優勝(8.54 m)した。
- 1992年から1993年にかけて行われたフットロッカー・スラムフェストでは、フリースローラインからのダンクシュートを試みたが失敗に終わった。この大会はマイク・コンリー・シニアが優勝した。
3.2. 世界記録樹立
パウエルのキャリアの頂点は、1991年の世界選手権で樹立した走幅跳の世界記録である。
3.2.1. 8.95m 世界記録

1991年8月30日、日本東京で開催された1991年世界陸上競技選手権大会において、パウエルは男子走幅跳で8.95 mという驚異的な記録を樹立した。これは、1968年メキシコシティーオリンピックでボブ・ビーモンが記録した8.9 mの記録を23年ぶりに更新するものであった。
この大会では、当時65連勝中であったカール・ルイスとの激しいライバル関係が注目された。ルイスは4回目の跳躍で追い風2.9 m/sの参考記録ながら8.91 mを跳んだが、パウエルは次巡の5回目の跳躍で追い風0.3 m/sというほぼ無風の状況下で、正式な世界記録となる8.95 mを記録した。この跳躍により、パウエルはルイスに打ち勝ち、金メダルを獲得した。
3.2.2. 風上参考記録
パウエルは、1992年7月21日にイタリアのセストリエーレで開催された大会で、追い風4.4 m/sの中で8.99 mという跳躍を記録した。この記録は追い風参考記録として扱われたが、現在も追い風参考記録としては世界最高記録である。
3.2.3. 記録の持続性
パウエルが1991年に樹立した8.95 mの記録は、2024年現在も男子走幅跳の世界記録として維持されており、陸上競技における最長期間保持されている世界記録の一つとなっている。
4. 受賞歴と栄誉
パウエルは、その輝かしい選手キャリア中に数々の賞と栄誉を受けている。
- ジェームズ・E・サリバン賞:1991年に受賞。
- BBC年間海外スポーツパーソナリティ賞:1991年に受賞。
- カリフォルニア・スポーツ殿堂:殿堂入りを果たしている。
5. 引退後の活動

1996年のアトランタオリンピックで5位となった後、パウエルは一度現役を引退した。しかし、2001年には2004年アテネオリンピックへの出場を目指して現役復帰を試みたものの、アメリカ代表チームに選出されることはなかった。
2009年7月には、マスターズの45歳以上カテゴリーにおけるタパニ・ターヴィツァイネンの走幅跳世界記録を破ることを目標に、再び競技復帰を宣言した。2015年2月20日、アイダホ州ポカテロで開催されたシムプロット・ゲームズで、パウエルは再び競技会で跳躍することを公式に発表した。同年3月7日にはニュージーランドウェリントンで開催されたニュージーランド陸上競技選手権大会に出場したが、ウォームアップ中に負傷し、競技には参加できなかった。
彼はヤフー!スポーツのオリンピック陸上競技報道のアナリストとしても活動している。2016年7月には、彼の娘であるマイカ・パウエルがカナダのリオデジャネイロオリンピック陸上競技チームの補欠に選ばれた。マイカの母親であるロージー・エデーは、1996年のアトランタオリンピックの400メートルハードル決勝に出場している。2022年秋からは、カリフォルニア州のアズサ・パシフィック大学で走幅跳のコーチを務めている。
6. レガシーと影響
マイケル・パウエルが1991年に樹立した8.95 mの走幅跳世界記録は、陸上競技界において最も長く破られていない記録の一つとして、その歴史的価値を確立している。この記録は、彼が当時の最強のライバルであったカール・ルイスとの直接対決で打ち立てたものであり、そのドラマチックな背景も相まって、スポーツ史に残る偉業として語り継がれている。彼の業績は、走幅跳という種目の可能性を広げ、後進の選手たちに大きなインスピレーションを与え続けている。
7. 関連人物と記録
マイケル・パウエルのキャリアは、彼が競い合った、あるいはその記録に影響を与えた数々の著名な人物との関係によって特徴づけられる。
- ボブ・ビーモン:パウエルが世界記録を樹立するまで、23年間にわたり男子走幅跳の世界記録(8.9 m)を保持していたアメリカの選手。パウエルはこの記録を更新した。
- カール・ルイス:パウエルの最大のライバルであり、1991年の世界陸上東京大会で激しい競争を繰り広げたアメリカの陸上競技選手。ルイスは走幅跳で65連勝という驚異的な記録を持っていたが、パウエルによってその連勝が止められた。
- イバン・ペドロソ:キューバの走幅跳選手。1995年にパウエルの世界記録を1 cm上回る8.96 mを記録したが、風の計測に疑問があったとして正式には認められず、「幻の世界記録」となった。
- マイク・コンリー・シニア:1992年から1993年のフットロッカー・スラムフェストで、フリースローラインからのダンクシュートに成功し、パウエルを破って優勝した選手。
- タパニ・ターヴィツァイネン:パウエルが2009年に競技復帰を宣言した際に目標とした、マスターズ45歳以上カテゴリーの走幅跳世界記録保持者。
- マイカ・パウエル:マイケル・パウエルの娘で、2016年リオデジャネイロオリンピックのカナダ代表陸上競技チームの補欠選手。
- ロージー・エデー:マイカ・パウエルの母親であり、1996年アトランタオリンピックの400メートルハードル決勝に出場した選手。